Season greeting

23. 12. 31

そして仕事は終わらない

とうとうおおつごもりになってしまいました。が、
実はまだまだ毎日仕事がありまして、、、。
実家には帰ってきているのですが、毎朝9時から11時半まで
ZOOMで仕事をしています。
同僚が持ってきた書類の原稿を見て、文章を直す、
データの確認をする、というような仕事をしています。
ZOOMができてから、仕事は追いかけてくるし
どこでもできるし、、。本当に面倒くさい世の中になりました。
休みは休みできっぱりと何もしない、という状態にしたいのですが、、
ZOOMでできるからそういうわけにもいかないし、、
ということで、もうおおつごもりだろうが正月だろうが関係ない
というようなことです。
おまけにクリスマス過ぎの26日ごろから、ちょっと風邪気味になってしまいまして、、
ここ数日、ゲホゲホと言いながら、毎朝、PCの画面に向かっているような
ことです。
明日も、9時から10時まで、10時から11時まで、11時から12時までと
3人の人と打ち合わせして原稿を作る作業というのがあります。
まぁ、こういうことだっていつまでも続かないとは
思っているんですけどね。
こんなことなので、12月、まともに更新ができなかったようなことです。


来年は、いや来年もかなぁ、忙しいことになりそうです。
どうぞ、みなさまよいお年をお迎えください。

こんなサイトですが、今年、訪れてくださったみなさま
本当にありがとうございました。

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21. 12. 31

年末のこと

このサイトをお読みくださっているみなさま。

 

今年も本当にありがとうございました。
今年は出勤は27日で終わったのですが、
仕事はたんとありまして、、結局溜まった仕事を
持ち帰って家で片づかない仕事をし続けている、
というようなことになりました。
(今もやっています)
仕事は、九州から四国に持って帰ってきて、、
相も変わらず連日悩んでいるところです。
そんなわけで、ブログの更新も、大阪・京都旅行の
途中で越年というようなことになってしまい、、
中途半端なことになってしまっています。
来年には、途中で終わってしまった旅の記録を
最後まで書き終えなければ、と思っています。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

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20. 12. 31

いやしけよごと

昨日から今朝がたにかけて、中国地方では
大雪になったとのこと。そして31日から
元日にかけて、積雪量は増える、との予報です。

さっき鳥取県東部の積雪を見たら
43センチ(31日午後2時)とのことでした。
予報ではもっと積もります、ということです。
もうずいぶんと以前のことになりますが、
冬にお隣の島根県の湯抱温泉に行ったことが
ありました。山陰線の大田市からバスで
山の中に入っていったところです。
行くときは、うっすらと道路に雪が、そうですね
3センチくらい積もっていた、ということだったの
です。バスも普通に走っていました。
旅館に着いて、お風呂に入って
あれよあれよという間に、雪がどんどん
積もってきました。2時間ぐらいの間に
数10センチ積もってきて、、。

次の日は、お昼ぐらいのバスで温泉を
出ることにしていたのです。
あくる朝、起きてみたら、、、
もう一面の降雪で、、。
昨日、来た時は、まだ地面が見えていましたし、、
謙介、そういうことでスニーカーで、来ていたのです。
それが、、その時ですでに20センチは積もっていたかと
思います。

朝ごはんになりました。
旅館の人が、この降り方だったら、おそらく
昼のバスは運休になると思う。
いますぐ、タクシーで大田市まで行ったほうが
いいよ、というアドバイスをしてくれました。
その日、同宿だった人がもう一人いて、、
その人と取り急ぎ荷物をまとめて、温泉を降りて
大田市に行きました。
大田市は、温泉のあたりほど雪は積もっては
いませんでした。(まだ地面が見える程度。
うっすらと言う感じ)

雪国で生活したことがなかったので、
雪の積もり方については、全然知らなかったので
のほほんとしていましたが、、あの時、
本当に雪の積もり方の速いのを経験して
知ったのでした。

759年のこと。
因幡の国司だった家持さん、年末の晩から年始の朝にかけて
宴会をしていました。宴会の途中、外の景色を見るようなことが
あったのでしょう。山のある平野の端までは
一面の降雪だったのでしょう。
本当に寂しい新しい年のはじまりです。

ろくでもないことばかり起きた前の年が
改まり、新しい年になった。
せめて今年は、今こうして降っている雪が
積もっているように、良いことが重なって
いって欲しい。
こうしてこの歌を解釈してみますと、
何とまぁ、2020年のいまと酷似しているのでしょうか。
家持さんが、1261年前に鳥取の国庁で思った気持ちを
考えながら、今年最後の更新としたいと思います。

今年1年もこのサイトにお越しくださって
お読みくださったこと、本当にありがとうございました。
来年は「吉事」がいろいろと重なってくれる、でしょうか。
良いことも、望まないことも、必ずいつか終わりが来ます。
それを信じつつ、またひとつ歩みを進めてまいりましょう。

それでは良いお年をお迎えください。


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19. 12. 31

万感の思いをこめて

2019年は、これをお読みのみなさまにとって
どんな年だったでしょうか。


謙介は、今年、本当にいろいろなことがあったなぁ、
と思い返しています。

やはり実家のオヤジがベッドから落ちて
大腿骨を骨折したことでしょうか。
整形外科で手術をして、その後、リハビリテーション病院に
転院をしてもらって、リハビリに取り組んでもらいました。
もう少しで退院、というところで、転倒してしまい、
結局、歩行器での歩行、ことになりました。
ですが、オヤジは自分の歩行だけで
精一杯、ということで、とてもではないですが
オフクロの世話、ということはできそうにないので
リハビリテーション病院退院のタイミングで
施設に入ってもらいました。

本人はそれが不服で、今も帰宅願望があるのですが
段差だらけの古い日本家屋で85歳と92歳の
老人が、ホームヘルパーやさまざまなサービスを
一切拒否して、自活生活が送れる、とは
無理と判断しました。
介護の本を読むと、決してお年寄りの言うことを
否定してはいけません、とありますが
そんなものは無理です。
帰りたい。はいはいオッケーーです、とか
言って帰らせていたら、そんなもの、
数日のうちに共倒れになってしまうのは必至です。

そもそもが今回の骨折だって、契約の時に
いやだいやだと否定されていたのですが、
無理やりお願いしていたホームヘルパーの
人が安否確認に来て、骨折して動けなくなっている
オヤジを発見してくれたのですから。

最近の入院・入所は、その都度家族が立ち会って
契約に関する説明を聞いて、契約書を交わすことに
なっています。今年はやれ入院・転院・
病院のカンファレンス・介護段階の変更・
担当者会議、と、両親のことで
立ち会わなければならないことが多くて
そのためだけに年次休暇を20日くらい
取らなければなりませんでした。

両親のことで、ばたばたと走り回ることが
多くて、自分のためにのんびりとする、
という時間がなかなか持てませんでした。

結局、その反動で、奈良に2回行けた
ということはありましたが、、
でもね、奈良に行ってぼーっとして
力をいただいたり、自分を回復する、
ということぐらいしないと
やっていられない、というところがありました。

その反面、9月には、自分の属する研究会で
今までやってきたことの研究発表を
することができました。
10月にも小さい研究会で発表もしました。
ひとつ、道標を作れたことだけは
幸いな記憶です。

それでも今年は本当に消耗の激しい年でした。

年末に大家さんのところに行ったら
今住んでいるアパートを来年には壊します、
ということを言われてしまいました。

新しい住処を探さないといけなくなりました。
来年は、どんな年になるのか、、

今年、いろいろと経験したことで、
改めて強く思ったことがあります。

それは「時は止まらない」ということ。

何事もうつろい去っていく。 ということです。

頂点を極めても、どん底に落ちたとしても
それはいつまでも続かない。

その言葉を改めてかみしめつつ
来年へ向かいたいと思います。

今年一年もこのブログ、お読みくださって
ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いします。

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19. 01. 01

そして時代は続く

あけましておめでとうございます
今年もどうぞよろしくお願いします。

去年の歳末、本当に多かったのが
「平成最後の」という言葉でした。

まぁ、「最後」とか「限定」という言葉で
自分ちの商品を売り込もうという
営業方針だったのだと思いますが。

それでもって、紅白歌合戦も
「平成最後の」ということを言っていましたけれども、、
後半は、ベテランの人の出番を持ってきたから
かもしれませんが、ユーミンにサザンに、
と、謙介が大学生だったころの歌が歌われて、、
懐かしいなぁ、と思いながら見たのでした。

今朝、起きて、ぼんやりとした頭で考えたのは、
「年号」のことでした。

毎度言いますが、「一世一元」ということが
決まったのは明治以降のことであって、
それまでは、同じ天皇の治世の途中で
年号が変わるなんていうことは
頻繁にあったわけです。

明治以降、天皇の治世中は
年号を変えない、ということに
なったために年号イコールひとつの時代、
という思いに変わってきたのだと思います。

ですが、昨日の紅白歌合○の後半のように
歌われていた歌は「昭和の歌」だったりしました。
平成になったから、と言って平成だけで、
ということはできません。
時代は、私たちの生活は続いているのですから。


今年の5月1日に新天皇が即位して
新しい年号の時代になりますが、
そうなったからと言って、
冷蔵庫の中のものがぱっと
新しいものになる、なんていうことは
ありません。 昨日の、平成時代の
使い残りのものが冷蔵庫に入っているわけで、、。

時代が変わりました、ハイすべてが
新しくなる、とはいきません。
私たちは生きてきたそれぞれの
時代のものを引きずりながら
生きているのです。 

それはもうどうしようもない、
ことです。


年号が変わったとしても、次の時代になった、
と明確な変化が生じるまでには、20年かかると
歴史学では言われます。 

それで行くと、真の平成時代というのは、
10年ほどだった、ということになるかもしれません。

謙介としてはむしろ今年の5月以降に始まるであろう
新しい年号の年こそが、
本当の意味での「平成独自の文化の時代」
になるのだろう、と思っています。

なので、謙介としては、あまり時代が変わる、
ということは意識せずに今年を
過ごしていくことになると思います。

ただ、その一方で
天皇の代替わりの儀礼については
自分の専門なので、
興味深く見ていきたいとも
思ってはいるのですが。

そんなことを起き抜けにぼんやりと
考えつつ、新しい年を迎えたのでした。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
(最後だけ取ってつけたみたいになりましたが。笑)

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18. 12. 31

今年もありがとうございました

今年一年も、このブログをお読みくださって
本当にありがとうございました。

今年は、個人的には本当に忙しい年でした。
自分の仕事場の仕事ばかりではなくて、
いろいろなお役目が一気に回ってきて、
対外的な仕事が5つほどありました。

特に一番最後の12月7日から8日の
仕事が一番重かったように思います。

それは帯状疱疹になりかけで、その仕事を
した、というのではなくて、あとからその仕事を
一緒にやった人からも、大変しんどかった
という感想をいただいていたのでした。

普通に病気を持っていない人でさえ
結構ヘビーな仕事だった、ということでしたから、、

まぁそういう積もり積もった疲れとか
ストレスが重なって、その帯状疱疹が出た
ということだったのでしょう。

ですが、そのついでにMRIも撮って
頭の中の状態も知ることができましたし、
それはそれでよかったのだろうとは思います。


今回のこの病気を経て思ったことは、
もう無理はできないなぁ、ということと
改めて自分の人生のこれから、
ということに思いを致した、ということでした。

今回のことで、
友人にも言われましたことは、
身体を壊してまでする仕事はないぜ、
もっと自分の人生をよーく考えろよ、
ということでした。

このことについてはよくよく考えたいと
思います。


いつもいつもコメントを寄せてくださる方々、
そこまではないにしろ、たまに来てくださって
あいつ生きてるのか、という確認をしてくださる方々、
そうしたみなさんのアクセスに支えられてきた
ように思います。
今年一年、本当にありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いします。

みなさま よい お年をお迎えください。


              謙介拝

今年一年間で一番驚いたことは、
種田山頭火と壇蜜の誕生日が同じだった、
ということでした。
しかし、、この程度か、、。

(おまけの加筆)


例によっての
けんちゃなよ国のことについてですが、
今の大統領が決まった時に謙介さん
以下のような予想をしたわけです。


1.選挙期間中にけんちゃなよな(耳障りの良い)ことを言いまくる
 (あちこちで公約の大安売りをする)
    ↓
2.大統領になって、各所から情報が上がってきたら
 候補の時のようなお気楽なことが言えないないことが分かる
    ↓
3.あちこち調整したけど、無理
    ↓
4.こないだの公約はどうなった、と不満の声が上がり始める
    ↓
5.とりあえず求心力を復活させるために「反日」をしてみる
  で、慰安婦問題の合意は破棄と日本政府に告知する
    ↓
6.どうだ、日本に対して堂々と言ってやったぞ、と
 えっへんと自慢をする
    ↓
7.一時そのことによって世論は静かになる
    ↓
8.それでもやはり公約実現はできていないので
 各所から抗議の声があがる
    ↓
9.内政でにっちもさっちもいかないところに
  中国は「さあど問題」があるし、日本は「たけしま」やら、
  「うぃあんぷ問題」があって、外交的にも内政的にも
  行き詰ってしまって、しっちゃかめっちゃかの
  じょうたいになる
    ↓
10.やけくそ、もしくはけんちゃなよ、になって投げ出す


今は、8の段階ですかねぇ。 今や各所で文政権打倒の
デモが起こっているらしいですし、、。


本当にあの国だけは
いつまでも、いろいろな話題を提供してくれる
国だなぁ、と思います。 そういう意味で言えば
実に興味深い、といえるかもしれません。
来年もゆるーく眺めて行こうか、と思っています。

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18. 01. 02

あけまして おめでとうございます

あけまして おめでとうございます
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

お正月、近所の神社に初詣に行くくらいで
後は、家で静かにしています。

今日の朝でしたか、
両親がテレビを見ていたのですが。

お魚のことに詳しい小学生とか、
難しい漢字の読める小学生とかが出てきていて
それぞれ大人の詳しい人と、対決する、というような
番組をしていました。

漢字の良く読めるお子には東大の漢字を
研究している学生さんが対決していましたが、、

見ていて、あああ、と思いました。
東大の学生さん、小学生のお子の出す問題
読めなくても仕方ないなぁ、と思ったのです。

というのが、小学生のお子の出していたのが
「たまくしげ」とか「め」とか、
要するに古事記・日本書紀に出てくる
やまとことばを漢字に置き換えた場合の
表記のよみを聞いてきていたわけです。

学生さんは漢字の成り立ちを研究している、
ということでしたから、きっと中国文学の専攻で
国文学の上代文学の専攻ではないでしょうし。
そんなの専門じゃないですからねぇ。
そら答えられなくたって仕方ないで、と思いました。
ちょっと大学生がかわいそうでありました。


今年、書いた年賀状、
戌年とは書かず、犬歳としました。
「戌」は、「滅」の意味があります。
新年早々、「滅」はやはりちょっと避けたい、
と思いました。

普通だったら、そこまで気にする奴なんていねえよ、
ということになるんでしょうけど、
何せ謙介の周囲は国文科の卒業生やら
漢文学の専門の人間がたーくさんいますから、
当然のように言葉の意味も分かっている人間だって
たくさんいます。

「戌年」なんて書こうものなら、「戌」は
当然「滅」の意味があるということは知っているわけで、、
どうせ儂に対する当てつけやろ、とか
言われたりしますし、、。

でもまぁそれも漢字の言葉の意味を知って
TPOに応じて遣う、遣わないようにする、ということですし、
漢字を生活の中に生かしている、ということでは
ありますね。(笑)

さてさて。
今年はどんな年になるのでしょうかねぇ。

ウエブの占いを試しに見てみましたら、
ある占いによると、ろくなことのない年で、
別の占いを見ると、3年間続いた不調から
脱出して最高の運気とありました。

どっちになるのでしょうねぇ。

それはさておき。
みなさまにはどうぞ良い年になりますように。

今年もどうぞよろしくお願いします。

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17. 12. 30

今年もありがとうございました

今年もここでお読みのみなさまと
いろいろな話ができたこと、
本当にうれしく思います。
来年もどうぞよろしくお願いします。
良いお年をお迎えください。

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14. 01. 01

あたらしきとしのごあいさつ

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           今年もどうぞよろしくおねがいします。
                     2014年 謙介拝上

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13. 01. 01

謹賀新年

年末28日の晩に実家に戻りました。
よく考えたら金曜の晩の移動ですから
普段と変りないのですが。

29日はオフクロを病院に連れていきました。
風邪をひいて咳がおさまらないので、、。
おそらく咳止めの薬なんて、
トローチとか例の濃厚ブロチンコデインシロップを
処方されておしまい! っていうのは、自分の場合を
想像して大体わかってはいたんですけど、
年寄りの場合、別のとんでもない病気だったりすると
怖いので、一応、と思って出かけたわけです。
前回採血して、血液の状況を調べてもらったのですが
血液は問題がなかった、とかで安心しました。
とりあえず薬を処方してもらっていただいてきました。

おせちの食材の
買い物に行こうかなぁ、とも思ったのですが
この時期、田舎はあっちこっちから
大根ができたの蕪あげるの、
干物たくさんもらったからあげるとか言ってもってきて
くださるので(おそらくその家でも持て余したので、
持ってきたに違いない)

そんなこんなしていたら、食べ物の備蓄が
ものすごいことになってしまいました。
家に体育会系の高校生とか大学生でもいれば
そんなに食べ物があっても、あっという間に消費してしまうの
でしょうが、大して食の進まないような大人3人では、
それを消費するだけで、もう十分、という気がしました。
なので、今年はおせちも作らず、スーパーで他の買い物もせずに
そのいただいたものを品々食べてお正月を過ごす
ということにしました。

31日のお昼は、それでも面倒だったので
近所のうどん屋に行きました。
うどん屋の店内には年越しうどん・そば用の
ブースができていて、そこで、うどんとかそばを
売っていました。そのうちの半分くらいは
名前が書かれていたので、予約なのですね。
予約だけで、食品ケースに10段くらいありましたから、、。
あの店の閉店は午後3時。食べに行ったのが
午後1時ですから、、後、2時間であれが全部
掃けてしまう、ということなのでしょう。


31日の午後3時ごろ、こちらは雪が降りました。
思わず家持さんの万葉集最後の歌を思い出して
しまいましたよ。

新しき(あらたしき)年のはじめの 初春の
今日降る雪の いや敷け 吉事

この家持さんの時代も本当に希望のない暗い
時代だったのでしょう。
これがその家持さんが勤務していた因幡国庁の跡です。

Inabakokucho
(21世紀の現代でもこれくらいしか人家が
見えないのですから、家持さんの時代の夜の暗さは
もっともっと暗かった、のだと思います。)

あたりはほとんど灯りの消えた暗い夜、
年をまたいで、静かに降り積もるその雪にさえ
新しい年が少しでも今より良くなることを
祈らずにはいられなかった、ということなのでしょう。
しかもその歌で万葉集は終わっているのです。


なんだか、全然希望が出てこない
今の状況とそっくりじゃないか、と
鉛色の空から降ってくる雪花の舞う中で
洗濯ものを慌てて取り込んだのでした。

それにしてもだんだんお正月、という感覚が
希薄になってしまっているのはどうしてなのでしょう。

12月31日が終わって、2013年の1月1日が来た
だけ、という気がしてならないのです。

何年か前に、京都の妙心寺の除夜の鐘の
鐘つきのお手伝いをしたことがありました。
あのお寺の除夜の鐘は、単に鐘を撞くではなくて
鐘を撞く前段としてさまざまな鳴らし物を
決まりに従って、決まった鳴らし方で決まった回数
鳴らさないといけないのです。ですから、
一般に鐘を撞くのを公開はしていません。

鐘楼に入るのが11時20分くらいで
それからさまざまな鳴らし物を鳴らしていきます。
そうして、前の年に1つ撞きます。
後の107つを新しい年に撞くのです。

年をまたぐということ。
前の年のさまざまな行いを悔過し、
すべて捨て去って新しい年へと。

年を越す、ということの厳粛な意味を
感じることができていました。

昨年は、と一言では決してまとめられないことのあった
1年でした。特に昨年後半は自分自身、今までの考え方が
大きく変った年になりました。
今までにもまして、一日一日を大切にして
生活していきたい、と思います。

あまりお正月、という気のしない
年のはじめではありますが、、。

Onenga
サイトの分で書いた色紙ですが、。

このブログ、今年も続けていきたいと思います。
お時間のあるときにでも、またよろしければ
のぞいてやってください。


ぼつぼつと今年も書いていきたいと思います。
お読みのみなさんといろいろなお話ができれば、
と存じます。
(なんだかあんまりおめでたくなさげな新年の言葉に
なってしまいましたね。)


なにはともあれ。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。


でもまぁ、あんまりお正月、ということを
感じなかった分、日常の仕事にすぐ戻れそうでは
ありますが。
(それがいいんだか、悪いんだか。笑)

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