年末28日の晩に実家に戻りました。
よく考えたら金曜の晩の移動ですから
普段と変りないのですが。
29日はオフクロを病院に連れていきました。
風邪をひいて咳がおさまらないので、、。
おそらく咳止めの薬なんて、
トローチとか例の濃厚ブロチンコデインシロップを
処方されておしまい! っていうのは、自分の場合を
想像して大体わかってはいたんですけど、
年寄りの場合、別のとんでもない病気だったりすると
怖いので、一応、と思って出かけたわけです。
前回採血して、血液の状況を調べてもらったのですが
血液は問題がなかった、とかで安心しました。
とりあえず薬を処方してもらっていただいてきました。
おせちの食材の
買い物に行こうかなぁ、とも思ったのですが
この時期、田舎はあっちこっちから
大根ができたの蕪あげるの、
干物たくさんもらったからあげるとか言ってもってきて
くださるので(おそらくその家でも持て余したので、
持ってきたに違いない)
そんなこんなしていたら、食べ物の備蓄が
ものすごいことになってしまいました。
家に体育会系の高校生とか大学生でもいれば
そんなに食べ物があっても、あっという間に消費してしまうの
でしょうが、大して食の進まないような大人3人では、
それを消費するだけで、もう十分、という気がしました。
なので、今年はおせちも作らず、スーパーで他の買い物もせずに
そのいただいたものを品々食べてお正月を過ごす
ということにしました。
31日のお昼は、それでも面倒だったので
近所のうどん屋に行きました。
うどん屋の店内には年越しうどん・そば用の
ブースができていて、そこで、うどんとかそばを
売っていました。そのうちの半分くらいは
名前が書かれていたので、予約なのですね。
予約だけで、食品ケースに10段くらいありましたから、、。
あの店の閉店は午後3時。食べに行ったのが
午後1時ですから、、後、2時間であれが全部
掃けてしまう、ということなのでしょう。
31日の午後3時ごろ、こちらは雪が降りました。
思わず家持さんの万葉集最後の歌を思い出して
しまいましたよ。
新しき(あらたしき)年のはじめの 初春の
今日降る雪の いや敷け 吉事
この家持さんの時代も本当に希望のない暗い
時代だったのでしょう。
これがその家持さんが勤務していた因幡国庁の跡です。
(21世紀の現代でもこれくらいしか人家が
見えないのですから、家持さんの時代の夜の暗さは
もっともっと暗かった、のだと思います。)
あたりはほとんど灯りの消えた暗い夜、
年をまたいで、静かに降り積もるその雪にさえ
新しい年が少しでも今より良くなることを
祈らずにはいられなかった、ということなのでしょう。
しかもその歌で万葉集は終わっているのです。
なんだか、全然希望が出てこない
今の状況とそっくりじゃないか、と
鉛色の空から降ってくる雪花の舞う中で
洗濯ものを慌てて取り込んだのでした。
それにしてもだんだんお正月、という感覚が
希薄になってしまっているのはどうしてなのでしょう。
12月31日が終わって、2013年の1月1日が来た
だけ、という気がしてならないのです。
何年か前に、京都の妙心寺の除夜の鐘の
鐘つきのお手伝いをしたことがありました。
あのお寺の除夜の鐘は、単に鐘を撞くではなくて
鐘を撞く前段としてさまざまな鳴らし物を
決まりに従って、決まった鳴らし方で決まった回数
鳴らさないといけないのです。ですから、
一般に鐘を撞くのを公開はしていません。
鐘楼に入るのが11時20分くらいで
それからさまざまな鳴らし物を鳴らしていきます。
そうして、前の年に1つ撞きます。
後の107つを新しい年に撞くのです。
年をまたぐということ。
前の年のさまざまな行いを悔過し、
すべて捨て去って新しい年へと。
年を越す、ということの厳粛な意味を
感じることができていました。
昨年は、と一言では決してまとめられないことのあった
1年でした。特に昨年後半は自分自身、今までの考え方が
大きく変った年になりました。
今までにもまして、一日一日を大切にして
生活していきたい、と思います。
あまりお正月、という気のしない
年のはじめではありますが、、。
サイトの分で書いた色紙ですが、。
このブログ、今年も続けていきたいと思います。
お時間のあるときにでも、またよろしければ
のぞいてやってください。
ぼつぼつと今年も書いていきたいと思います。
お読みのみなさんといろいろなお話ができれば、
と存じます。
(なんだかあんまりおめでたくなさげな新年の言葉に
なってしまいましたね。)
なにはともあれ。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
でもまぁ、あんまりお正月、ということを
感じなかった分、日常の仕事にすぐ戻れそうでは
ありますが。
(それがいいんだか、悪いんだか。笑)
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