おべんきゃう

17. 05. 07

貧乏ヒマなし

みなさま、ゴールデンウィークはいかがでしたでしょうか?

謙介は4月から仕事をする場所が二つになって
しまったので、
本当に目が回るみたいに忙しくなってしまいました。

午前中は元のいつもの場所で仕事をして
午後から車で移動して、新しいオフィスで仕事、
という毎日です。加えて新しいオフィスのほうは
立ち上がったばかりで、何もないので
準備とか、ない設備でこれを入れてくれ、あれも入れてくれ、と
各部署と折衝もしなくてはならなくて、、
折衝といっても相手次第なので、電話をかけても
相手が居なければまた後日、ということで
なかなか前に進まないのです。

そういうことで連休中もたまった仕事を持って帰って
家で片付けておりました。
おかげさまで何とかめどはつきました。

そういうわけで連休中にどこに行ったか、と言えば
近所の委佐子の店だけであった、というありさまです。

あ、そうだ1回だけご飯を作るのが面倒になって
近所のうどん屋に行ったのでした。
そうしたら、びっくりしたのが駐車場にいた車のナンバーですよ。

なにわとか、滋賀、京都、神戸、広島、島根、高知、
中には横浜、とかありました。 
「おっちゃん、倒れんようにせんといかんよ」
と麺を打っているおっちゃんに言ってしまいました。
「連休が済んだら、10日くらい休むわ」とのお返事。
「そんなに閉められたら、こっちが困るわー」と言ったのですが、、
でも、いつもは近所の人しか食べにこないようなうどん屋に
行列ができていて、、びっくりしてしまいました。
おっちゃんが過労で倒れないように、と思いながら
うどん屋から戻ってきたのでした。

そういうことで、家でずーっと仕事をして、それで連休は
終わった、という感じです。
あーあ。いつになったらちょっと仕事の余裕ができるのだろう。


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17. 02. 14

愛があるなら叱りなさい(その2)

それで以下講演の内容です。

2004年までの27年間、ずっとシンクロナイズドスイミングの
コーチをしてきて、外国チームのコーチに就任することに
なったとき、井村さんはいろいろと、それ相当のことは
言われるだろう、ということは思っていたけれども、
その投げつけられた言葉は本当にひどかった、という
ことでした。中には「国賊」と言った人もあったとか。

日本と言う国は、外国からコーチを連れてきて
指導を受ける、ということは、ある程度できるけれども、
逆に日本人が外のコーチになる、ということには
全然慣れていない国なんだ、ということを
改めて知った、と言います。

そんな中、どうして日本のコーチに戻ったのか、
と言えば、水泳連盟の理事3人から、
ウクライナに負けて6位になった。これでは
オリンピックに出られない。何とかしてくれ、
と懇願されたから、だそうです。

で、そんなふうに日本チームのコーチに
再就任したのだけど、驚愕したことが
ありました。 選手が日本語のできる外国人化
していたといいます。

以前教えていた当時の選手とは全く違った
考え方の連中だったそうです。

あいさつはできない。私が注意しても何について
叱られたのかが分からない。
ウォーミングアップで1500メートルから5000メートル
程度泳がせるのだけど、みんな一身長分開けて
全くの等間隔で泳ぐ。
「どんなつもりで泳いだの?」と聞いたら
「がんばりました」と答える。

好きな言葉は「きずな」
人より目立つことが嫌いで、みんな一緒。
一緒だったら安心していられる。
結果だらだらするばかり。

そういう選手たちに対して、どのようにコーチの考えを
伝え、浸透させ、実際にトレーニングの中で技術の向上を
はかっていくのか、ということが本当に至難の技だった、と
いいます。


話を聞いていて、あ、そうだったのか、
と思ったことがあります。
それは井村さんが、選手のできていないところを指摘した後、
必ず、その改善方法も一緒に伝えている、と話してくださったことでした。

ドキュメンタリーで出てくるのは、インパクトのある、
「あんたはここの部分ができてないやないの!」と
いう叱っている部分だけなんですけど、
実際は、「そやからこうやって、ここをこうして
こうする! 」と具体的に指示を出しているのだとか。

あ、なるほどな、と思いました。
謙介も仕事をはじめて3年くらい経ったときの
上司から、そんなことを言われたことがありました。
というのが、その年、
はじめての後輩が入ってきた時だったのですが。

後輩にいう時は、具体的にここがこういうふうに
ダメだから、そこをこういうふうに直して、と
具体的に指示するように、ということでした。
その時の上司と井村さんの指示が同じだったので、
ああ、と思ったのでした。

講演の最後のほうは、去年のリオオリンピックの時の
選手とのコミュニケーションの話になりました。
この段階でこういう練習をさせて、この段階では
どんなメンタルについてのアドバイスをしたのか、
ということでした。
シンクロナイズドスイミングのすべての演技は
井村コーチが考えた振りつけてするそうですが
どのような意図を持って、あの演技を組み立てたのか
という説明がありました。

選手の着用していた水着の素材は、
繊維メーカーとかけあって、日本選手に最適の素材を
開発してもらった、ということでした。
それから水着を飾っていた1000個のスワロフスキは
すべて各選手のお母さんにつけてもらった、
ということでした。

それから使用する音楽も、他国と一線を画して
日本の演技を印象付けるために、起承転結のある
音楽にしたこと。 観客を味方にひきいれるために
(観客から手拍子を起こさせるようにするため)
心拍数と同じテンポの曲をある部分使った
という説明でした。心拍数と同じテンポにすると
人は手拍子を起こしやすいのだそうです。


その最後に、大変贅沢な時間が
ありました。

井村さんの解説を聞きながら、
リオのシンクロナイズドスイミングの演技を見る、
という時間があったのです。

ここの部分はこういうことを意図していた、
ここではこういうことを狙っていた、
というコーチの説明を聞きながら、会場の大画面に投影された
演技を見たのでした。

体型や技術で相当の見劣りのする日本チームを
どのようにカバーしていったか、という話は
本当に聞いていてぐいぐいと惹かれるものが
ありました。

ということで講演は終了しました。

はじめに井村さんが登壇された時と、
終わった時の聴衆のみなさんの拍手の力強さが
全然違っていたのを耳から感じることができました。

やはり聴いていた人、それぞれに感銘を受けたからこその
拍手だった、と思いました。


追突事故に遭って、一時は行くのは無理かなぁ、と
思ったこともあったのですが、何とか行くことも
できましたし、講演もとても面白い講演で、
自分自身でも参考になるところが多々ありました。
謙介は講演を聞きながら、ノートにメモをしていたのですが、
メモはノートに6ページほどになりました。

講演の時間は、
去年の9月にシスター渡辺の話を聞いた時より
今回の井村さんの話の方が短かったのですが
メモの分量は、シスター渡辺の時が2ページだったのに
対して、今回は6ページでした。本当にいろいろな意味で
内容の濃い講演会だったと思います。

改めて行けて良かった、という気持ちに浸りつつ
会場を後にしたのでした。

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17. 02. 13

愛があるなら叱りなさい(その1)

先日表題のタイトルのような演題の講演会に行ってきました。


うちの職場のおばちゃんに、
「シンクロの先生の話を聞いてきた」と報告しました。

「え? シンクロの先生言うて、
あのいっつも怒っている人?」
と聞かれたので、
「オリンピックの井村ヘッドコーチ、、」と言ったら、
反射的に、「あっ、こわ!」

「いや、別に謙介がシンクロで、
指導を受けた、というのでもないし、
がーがーと注意されたわけでもないし」
と言ったのですが、
彼女は「そらそやけど、こわ! 」
という感想を述べました。

おばさんにとって井村さんはとにかく怖い人、
というイメージだったのでしょう。
ずーっとこわいこわい
と言っていました。

と、いうことでお話を伺ったのは、
シンクロナイズドスイミング 
日本代表ヘッドコーチの井村雅代さんでした。

おばちゃんの話でもそうでしたが、
ドキュメンタリー番組か何かで
彼女の指導を見たことがある人なら、
「こわい人」とか、「スパルタ教育の人ね」
という反応になるのですね。たぶん。


じゃあなぜあの方が、ああいう指導法を取るのか、
その理由、その考え方の根本を、謙介は知りたいと
思ったのです。

ああいう指導されるのには、やはり
あの方なりの信念、何かしらの考えに基いた
ものが絶対にあるのだろうと思いました。


それならば、どうしてああいう指導法を採るのか、
その理由を直接ご本人の話から
お伺いするのに如く(しく)はないであろう、と。

それで、出かけてみることにしたのでした。


というのか、まずはこの講演会、抽選に当たった人だけが
参加できる会だったので、
まずは抽選に当たらないと、話も聞けない、
というわけなのでしたが。


Comz

何せ謙介、追突事故に遭った翌日でしたし、
会場も交通至便の市内中心部だったので、
代車は使わずに、電車で出かけることにしました。

ターミナル駅で、降りて会場まで歩きました。

Shieki

雨が降る、という予報だったのですが、
幸いまだ雨は降っていませんでした。

10分ほど歩きますと、会場に到着しました。

Shintama1

コムズ、という愛称がついているのですが、、
Shintama2


実際は、こういう3つの施設が入っている建物なのです。
Shintama3


ここは、
男女共同参画センターも兼ねている施設なので、
LGBTの活動にも開館当初から
熱心に取り組みをしています。

LGBTの方々の悩みの相談会とか、
講演会とか、ミーティングの開催案内、というのを
しょっちゅうポスターで見たことがありました。

久しぶりに来ました。
講演の開始が1時からで、開場は12時30分だったので、
謙介、12時20分くらいに行ったのですが、すでに30人くらいが
並んでいて、、、びつくりいたしました。
会場の外側の廊下に並んでいたのですが、
大体がそんな行列をして開場を待つ、というような
設備ではないので、廊下に並んだ人が一杯になりかけました。
さすがに主催者側も慌てたのでしょう。
12時半の開場を繰り上げて、謙介が並んですぐに
「開場します」との案内がありました。


前からお詰め合わせておかけください、ということ
だったので、座ったのはほぼ中央の前から2列目
という場所でした。 いくら最近目が悪くなってきた
(遠視ではなくて、最近近視になった!)
謙介でも、井村さんの表情は見えると思いました。

長くなりましたので、
今日はいったんここで措きたいと思います。


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16. 11. 21

会話の実験

今日は最初に以下の会話を見てください。


       ×      ×       ×


あ、あのさ、

何?

こ、このあとどこ行こう?

あ、ちょっと待って。あのぅ、すいません。

お下げしてよろしいですか? 

お願いします。

あと、お飲み物がついています。ホットコーヒー、レモンティー、ミルクティの
3つからお選びください。

どうする?

え? 

だから、ホットコーヒーか紅茶か、って

あ、ああ、うーん、ホットコーヒー、あ、いや、紅茶紅茶。

紅茶のどっち? ミルクなの、レモンなの?

ミルク。

すみません。じゃあ、ホットコーヒーとミルクティお願いします。

かしこまりました。

あ、それでなんだっけ。

だからさ、この後。

あ、うーん、なんでもいい。

映画でも、、行かない?

今どんなのやってるの?

え、っと、『海賊と呼ばれた男』でしょ『デスノート』でしょ『君の名は。』 でしょ。
  

映画かぁ

じゃあさ、映画行かない? 
まだ時間あるでしょ。
ね?

        ×       ×       ×


とまぁこんなふうにちょっと文章を書いてみたのですが、、。

何をしたかったのか、と言いますと、
実はこの文章でもって、ちょっと実験をしてみたのです。

ここには、まぁウエイターさんは別として2人の人間が
出てきます。 まぁ便宜的に映画を誘っているほうを
Aくんとします。 もう片方をBくんとします。


でね、謙介の知り合いの先生の作った
AIにこの会話を解析させたのです。

それで、映画を誘ってる側のAくんって
どんな子だと思うか、と人工知能さんに訊いてみたわけです。


そうしたら、出てきたお答えが「映画の好きな人もしくは詳しい人」
というものでした。

正直、あ、やっぱりな、と思いました。
あ、今の段階の人工知能って、この程度なんだな、
とも思いました。

実はAくんは、正直、そんなに映画を積極的に見たい、
と思っているのではないのです。

それがどこに出ているのか、と言えば
「映画にでも行かない?」と言う誘い方ですし、
「映画」という漠然とした言い方なのです。

本当に見たい映画があるなら、「君の名は。」見に行かない?
というふうに、具体的なタイトルを言ってくるはずです。

そこに「映画でも」なんて言う言い方はしないはずです。

謙介の質問って、
人工知能からすれば一番不得意な質問ですね。(笑)

今、人工知能、って盛んに言っているのですが、
はぁ、そういう程度なんだ、ということは
よーく分かりました。


人間の判断って、案外直感とか、好き嫌いとかで
決まることが多いですもんね。

しかもその好き嫌いって、必ずこれは好き、これは嫌い、
というわけでもなくて、その場の相対的な流れで、
たまたま、どっちを選ぶか、という選択に迫られた時、
たまたまその時はこっちのほうが「まし」と思って
選択することだってあるわけで、、、。

こういう時は必ずAを選ぶ、というわけでもありません。
いつもAを選ぶのに、たまたまこの日の気分はB、
とかね。その場の思い付きでたまたまこっち、という
ことだってありますし、、、。(笑)

先生にAIって、そういう見極めはできるんですか?
と尋ねてみましたら、

そこがAIの致命的なところでねぇ、
そういう見極めはできないなぁ、ということなのでした。

データからだけ見たらそうなるのかもしれませんが、
1+1が必ずしも2にはならない、ところが、
不確かな人の感情、というものなのでしょうねぇ。


(今日聴いた音楽 風のメロディ チューリップ歌)


        ×         ×


カルビマッ○とかいうものを再販しはじめた、というので
実際に見てみたら、、、
カルビなんかどこにも入ってない!(笑)
普通のハンバーガーに
ただのばら肉を炒めて味付けたものが入ってるだけ。
これがホンマのカルビです。

Karbi

カルビというのは「肋骨」ですからね。

日本って、肉の部位の名前がめちゃくちゃだなぁ、と思います。
もうアホか、というような状況です。


カルビという名前で嘘の部位のばら肉を売っていて、
一方で、本当の肋骨の部分は「スペアリブ」っていう名前で
売ってるんです。

ほんとうはカルビ イコール スペアリブでないといけないのですが。

カルビマック、定価は390円ですが、
本当のカルビを入れたハンバーガーだったら、たったの
390円なんかで売りだすことができるはずがないじゃないか、
って思います。
最低1000円したっておかしくないんだけど。
別に焼肉マックでいいじゃないか、って思います。
ただそれだけのものなんだし。

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16. 10. 13

編集・校正・校閲担当者から

今年もうちの仕事場で発行する
論文集の編集がはじまりました。
今年もまたはじまったなぁ、という
時期になりました。

毎年発行している論文集ですが、
今年のものが紙形式で発行する
最後の論文集になります。

昨日行われた編集会議で、来年度以降は
紙媒体を止めて、機関リポジトリのひとつとしてウェブ上で
発行するように変える、ということが話あわれました。

こないだある人から、水曜日の晩の10時から
『校閲なんたら』、というドラマを
今、やってるで、という話を聞きました。
で、まぁ見たのですが、、。


ドラマの出版社は大きいので編集と校閲・校正係りが
別のセクションですが、うちなんて、俺一人が
編集兼校正係りでずーっとやっています。
もう20年以上。

うちは一人なので、
ドラマにあったような編集者と校閲者が
喧嘩する、などと言うことは起こりません。
が、印刷所と編集者がやりあう、という事象は
よく起こります。(笑)

両方やっているので、結構
これからの時期は大変なんす。

まず、論文が執筆者から、謙介のところに来ます。
それから提出された論文を謙介が全部下読みをします。
それで論文を査読してもらう先生の候補をリストアップ
しておきます。 

そして編集会議が開かれて、査読者を正式決定します。

その後編集担当(謙介)から査読者に連絡をして
論文の査読の依頼をします。
その後論文を査読者に送って、
査読者が、持ち込まれた論文の審査を行っていきます。

問題点があれば、指摘をして書き直させる、
というものです。 査読はブラインドレフェリー、
つまり匿名で行います。

編集担当が執筆者の名前を消して、査読者のところに
持って行って、査読者も、その論文の査読結果をワープロで
印字して編集者に渡します。 

もちろん無記名です。
査読者の筆跡が分かってはいけませんから。

ワープロが無かった昔は、査読者から来た指摘を
編集担当が書き直して執筆者に渡していました。
それくらい厳格に行います。

査読は当然その論文の執筆者の専門分野と同じか、
近い人に依頼を出します。

10月11月で、こんなふうに提出された論文の査読をします。


査読・原稿修正があって、論文集掲載可、ということに
なります。

その間に編集者は、印刷業者を決めておかなければ
なりません。
会計担当と協議して、印刷業者の候補を5軒くらい
リストアップして、そこに見積もりを出してくれと頼みます。
それで見積もりの結果、印刷業者が決まります。


大体12月ごろに査読が終了して、最終的に原稿が
集まります。そこでもう一度確認のための編集会議を行い、
問題がなければ、印刷所に原稿を渡して、原版づくり、
ということになります。

12月に原稿を印刷業者に渡して、1月~2月で校正です。
校正は基本的に執筆者と編集者の2人態勢で行います。

書いた本人は、正しく書いた、と思っていても
末端まできちんと見ていなくて、誤字脱字があったりするのです。

専門外の人間が見るのは、たえず疑いの目で見ていくことが
できるから、なのです。

あんなキャーキャーとわめき騒ぐ校閲者なんて
いないぞ。ぶつぶつ。

かといって暗いだけもないけど。


昨日のドラマは、印刷して出来てきた本の表紙に
脱字があって、、、作業工程上、刷り直し発行はできなくて
シールを貼ってごまかした、というお話でしたが、、

実は謙介にもその経験があります。
全部出来上がって、印刷所から運ばれてきた
論文集を見て、顔色がさっと変わりました。
執筆者の名前の漢字が一字違っていたのです。

もう目の前が真っ暗になりました。
急いで編集委員全員に集まってもらって
協議をした結果、印刷所に訂正のシールを作ってもらう、
ということになりました。
印刷所に言って、シールを急いで作ってもらいました。

それで、そのシールを謙介一人で、貼りました。
昨日のドラマは校閲部員全員が手伝ってくれたお話でしたが、
あんなもの、ドラマだから感動的に盛り上げようとして
全員が協力してやっていましたが、
うちなんか自分の責任だし、謙介一人でぜーんぶ貼ったぞ。


ドラマを見ながら、できた論文集にせこせこと
シールを貼っていた何年か前の春のことを思い出した
謙介なのでした。

はじめにも書きましたけれども、編集校正担当を
もう20年やっていますが、
編集途中で毎年どこかここかで問題が発生します。
それは、きちんと何度も確認していても、
やはりどこかで問題が発生します。

今年も昨日ひとつ問題が起こって、、(笑)
(謙介のせいではないので、気が楽でしたが)

今年もいろいろなことが出来すると思いますが、
それでも何とか大過なく今年も出版できるように
祈るような気持ちでいるのです。

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16. 10. 05

お脳の調子

大学の時に、近代文学研究の授業で
2年間漱石を集中的に勉強したことがありました。

大抵は漱石さんの作品の場合、
中学校で『坊っちゃん』、高校で『こころ』
が教科書に入っている率が高くて、それでまぁ
知ってる、という人が多いのではないか、と
思います。
でも、謙介の高校で採用していた教科書に
『こころ』は入っていなくて、大学で勉強するまで
結局漱石の作品で謙介が読んだのは
『坊っちゃん』だけだったのです。

漱石さん、幼少時に、養子に出されたこともあって、
自分を取り巻く人間の顔色、というものに
とても敏感だった、というところがあったようです。

そもそも親は子どもとの結びつきを構築します。
その結びつきを学ぶことを基本にしながら、
子は次第に他の人との人間関係を作っていくわけですから、
普通は親子の信頼による人間関係が、その人の基本になるわけです。


ところが漱石さんのところは、
「お前は里子に出す」と言ってその親が、
よその家に放り出したわけです。

養子に出した家は
もとはそこそこの資産家だったらしいのですが
零落したとかで、お寺か神社の参道で夜店をしていました。

養子先の親がやっている夜店に漱石が一緒にいて、
それがあまりにかわいそうな姿だった
と漱石の長兄が親に懇願して、
漱石は再び夏目家に戻ってくることになりました。

世の中にはどうしようもない親もいるので、
自分との信頼関係を構築する相手が親でなくて
ほかの人でもいいのですが。

とにかく、自分が、ある特定な人との
間に、信頼関係を作ることができれば、、
それ以降の人間関係も、そこから発展させて
築いていくことができやすいのでしょうし、
自我が何とか育っていく、ということなのだと思います。

ところが漱石の場合は、誰か特定な人との信頼関係を
築けなかった。そのため、自我もいつまでもぐらぐらとしていて
不安定なままだったようです。

ある時は「私の個人主義」と言って、周囲との関係を排除して
自分は自分、他の人は他の人と言ったかと思うと、
逆についつい他人の顔色とか機嫌をやたら気にし過ぎて、
その結果、身動きが取れなくなったりしています。

それで再び他人の思惑ばかり気にし過ぎた結果、
また身動きが取れなくなって、苦しくなっていきます。

そうして苦しい自分に今度は禅に救いを求めて、
「則天去私」と言ったりしたわけです。


漱石さんの人生は結局、その自我の不安定さのために
周囲との距離の取り方が、うまくできず、
自己を確立して生きる! と 他人との関係性の中で生きる
の間で揺れまくり、一生を終える、ということになりました。

しかし自己と他者との距離感の問題、というのは、
実は私たち近現代の人間が抱える
大きな問題でもないか、と思うのです。

そういう他者との距離感の問題で
悩んでいる人って、決して少ないない、のでは
ないか、と思います。


授業の中で、作品を読みながら
謙介はそういうことに気づきました。

そう考えたときに、なんだか自分からは遠い作家だった
漱石さんがいきなり目の前にやってきた、
という気がしました。

それから漱石の全作品を読みました。
それと併せて、漱石の奥さんが話して
娘婿の松岡譲が筆記した
『夏目漱石の思い出』も読みました。
Kinchan
今はこの作品は文春文庫所収ですね。
(あ、著作権法違反しちゃった♪
こんなふうに本の表紙をブログに載っける場合は
出版社の許可を得ないといけないんですよ。
あ、テーブルの写真を撮ったら、本が写っちゃった、
ということにしておこう。(笑)


謙介のもっている本は1986年発刊の
角川文庫改版21版のものです。

今、NH○で、この本を下敷きにしたドラマをやっているので
先週見ました。
今年は夏目漱石没後100周年ですからね。
 

本の中では、
鏡子さんが、漱石は「お脳の調子が良くない時」があって、
その時は大変だ、というような話をしていました。
そのお脳の調子の悪い時期が済むと、穏やかになるのだけど、、
とあった、と記憶しています。

この「お脳の調子が悪い」というのは、
謙介的には気にいったフレーズになりまして。
その後、調子が良くない時は、すべて「お脳の調子が悪い」
ということにしていました。

いやいや、今日は「お脳の調子」が良くないのです、とか。

先週ドラマを見ていましたら、
画面の中で、漱石役の長谷川なんとかさんが
荒れ狂っておりましたです。

それで、「ああそうだった、お脳の調子の良くない時期だ」ということを
思い出したのでした。

謙介なんか、相変わらずいつもお脳の調子がよくないぞ。


(今日聴いた音楽 いい日旅立ち 山口百恵歌
 1978年 今日は1980年に山口百恵の引退コンサートの
 あった日だとNH○のラジオで言っていました。
 謙介、1980年のこのころは、それこそお脳の調子が
 最悪の時期で、、うつ状態だったんですよね。
 ああ、引退するんだなぁ、ということは、当時ものすごく
 報道されたから、知らないわけではないのですが、
 あまり印象に残っていないのは、きっと自分のことで
 手一杯で、よそを見る余裕が全くなかったからでしょう)


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16. 09. 13

話し方に自信がないので

今の仕事、ここにきて、やたらプレゼンをしろ、
と言われることが増えてきてしまいました。

今の仕事にかわった時に、
ああ、これであまり話すの少なくなる、
とよろこんだのです。
大体人前で話すのにあまり自信が持てなくて、
というのか、声は変だし、滑舌はよくないし、
本当に嫌で嫌で、、。

加えてマイクを通したり、何かの時に録音された
自分の声を聞くと、あまりのひどさに、、、
よくもまぁほかの人は、こんなのを我慢して
聞いてくださっている、、ありがとう、とさえ
思います。

そんなコンプレックスがあるのに、
ふと気がつくと
前の仕事と同じくらい人前で話をする、
という機会が増えてしまって、、。

もう声は直りませんから、
せめて、間の取り方とか、速度とかで
何とかしようと、思って練習をしているわけです。

昨日はそのレッスンがありまして、
行ってきました。

お師匠さんは、元NH○アナウンサーの
加賀○幸子さんでございます。

加賀○さんが目の前で一文を読んでくださって、
その部分を同じように読む、という練習です。

加賀○さん、朗読の時は、間をおいたり、
聞いている人間に意味を理解してもらいながら
読んでいきますから、読む速度はそう早くは
ないのですが、普段の話す速度は
ものすごく速いのです。
かつ、エネルギッシュです。

ご本人は年齢をあっけらかんとおっしゃるのですが、
1940年のお生まれですから、
今年76歳なわけです。

と、いうことは、お歳のくくりでいけば、「後期高齢者」と
いうことになるのですが、、、
全然そんなふうには見えません。

授業は、先生が一文を読む、
こちらが同じ個所を読む、
その繰り返しで進められました。

ただ単に字面通りに間違えずに読んでいけばいい、
というのでは決してありません。

意味を考え、何を一番聞き手に伝えなければ
ならないか、そのためには、どこで間をとればよいのか
それを考えて読む。ことのことを叩き込まれました。

加賀○先生、
最後に、「これからも切磋琢磨ですよ」と謙介におっしゃいました。
学問や道徳に励みに励んで向上することですよ。


ひええええ「切磋琢磨」なんて一番苦手な四文字熟語ですぅ。

謙介の好きなのは、「放蕩三昧」とか「無為徒食」とかなんですけれども。
そんなことは許されません、というお顔でございました。

まぁそういうふうに切磋琢磨してこられたので、
あのお歳でもあれだけエネルギッシュなのだなぁ、と
思ったのですが。

自分にできる範囲で(笑) ぼつぼつやって行くことに
いたしますです。はい。

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16. 08. 30

著作権講習会

1年に1度、文化庁の著作権講習会を
受講しに行っています。
最近はおされに著作権セミナーとか言っているらしい。

今年も、講習会の開催通知が来ましたので
行ってきました。

会場はうちのアパートから、そう遠くない
(車で20分ほど)のところでした。
台風がどうなるか、と思ったのですが、
台風は夜半に通り過ぎていて、
朝、起きたときは、曇り空ではありましたが
雨は止んでいました。

会場の施設につきました。
車を駐車場に置いて、さて会場へ、、

駐車場から会場まで、行こうとしたら、
嫌がらせのような階段がありました。
Img_1038

先週のように気温36度とかでなくて良かったです。

艱難辛苦(笑)の末に、会場に着きました。
Img_1037


うちのブログ、これでも(笑)一応
著作権法には気をつけてはいます。
(一応ですけど)

ほかの人のブログを見ていたら、
美術の展覧会とかイベントのちらしとか、
ポスターとかをブログにそのまま貼り付けている人が
いますが、あれは著作権法違反になっちゃうんですよね。

もし、自分のブログにそういうものを
貼り付けたい場合は、主催者に連絡をして
展覧会に行った感想を書きたいので、そこに
一緒にちらしとかポスターを貼り付けたいのだけど
構いませんか?

とお伺いをして、主催者の許可をもらわないといけません。

おそらくポスターやらちらしを
貼り付けている人に、そんなことを言ったら、
「え? そんなことまでしないといけないの? 」
っていう反応が返ってくると思うのですが、
でないと著作権法違反になるんですよ。


でね、たとえば、そのちらしとかポスターを
個人的に集めて、それを一人で鑑賞する、
っていうんだったら別にいいんです。

ちらしやポスターをブログにアップする、ということは、

「他人の著作物をインターネットで送信するなど、
権利者の権利に抵触する利用については、権利者の
許諾を得ることが必要」になります。


そういうふうに著作権法は解釈されるんだ
ということなんて、全然知らないでいた、
多数いるように思われます。


謙介、以前に仕事場の広報誌の編集をしていました。
その時に本とかDVDの写真をつけたい、ということが
ありました。

そういう時は、その本の出版元に電話をして
まずどうやったらよいか、ということを聞いて
その手続きをしていました。

中には、出版社の法務担当と話してくれ、
というところさえありました。
それとか、もっとストレートに
その小説家担当の編集者を介して
小説家本人の許諾を得る、というところまで
いったことさえあります。

法務担当の方に事情を説明して
それで掲載の許可をいただいて、
もちろん掲載誌をお礼状とともに送る、
というようなこともしました。

中には掲載用の図書の写真をお貸しくださった
出版社もあったくらいです。


それとか芸能人の「ようつべ」の動画、
いっぱい貼りまくっていたブログがあって、
いきなりブログの運営会社から、
ブログそのものを強制的に削除された、
っていう例もよく見かけます。

2、3日見ないで、久しぶりにそのブログを見に行ったら、
急に削除されて無くなった、っていうブログが
ありました。


動画を、1つか2つくらい、
それもたまーに貼るのであれば、
まぁ個人の運営のブログだから、っていうので、
大目に見てくれるというのか、
黙認もされるのでしょうけど。
(本当は厳密に言えば、それも違反なんですけどね)

あまりにしょっちゅう、それも多量に貼っていたら、、
(1回分書くところに、6つも7つも貼っている。)
それは目に余る行為で許せません、
ということになって
強制閉鎖、ということになります。

ブログを運営している会社だって、
そんなブログを放置していたら、レコード会社なり
出版社から訴訟を起こします、と言われますし、
そうなったら当然敗訴になるでしょうから、
そんな厄介なことが起こる前に、
強制削除してしまう、ということになるのでしょう。

だけど、その一方でブログを書いている人は
著作権法なんて全然知らないから、
「どうして強制閉鎖になってしまったんだ! 」って
運営会社に対して怒ります。

で、またその強制削除された人が、今度は
別のところで、同じようにやってるのを
偶然見かけたりします。

運営会社がちゃんと本人に説明をしないのも悪いでしょうけど、
運営会社にとってみたら、強制削除の事例なんて
いちいち人によって違いますから、
それぞれのケースを詳細に説明するような
こともできないのでしょう。

大して説明のないまま強制削除になりますから、
そのブログの管理人も、どうして強制削除に
なったか、わかっていません。

いきなり自分のブログが消されてしまったことについて、
理由が十分に分かっていない、というのか、
懲りていないから、また同じように貼りまくりです。

で、その人の文章を読んだら、急に強制削除されてしまった、
どうしてなんだ! って怒ってるの。

謙介から見たら、あれだけポスターだの、
ようつべの動画、貼りまくりだのとやってたら、
そんなもの著作権法違反で、
強制削除されたって文句は言えんやろ、って
思うのですが。


たぶん著作権法の運用規則というのを全く知らないか、、
短期間であちこちゲリラ的に移動しながらするのでいいや、
と思っているかのどちらか、だろうと思うのですが。

それが文化庁からの講習会の時期がいろいろで、、
予定が組めなくて困るのですよ。

夏休みのこの時期、という時もありましたし、
早春の2月、という時期もありましたし、、。
そのたびにスケジュールの調整が難しくて。
できたら毎年同じ時期にやってもらいたい、
と思います。

どうして毎年受けるかと言えば、
毎年著作権法の改訂が
あるからです。

ええ。毎年どこかが変わっている。
まぁ基本的なところは変わらないのですけど。
(毎年大幅に変わっていたら、そんなもの
本当に困ります。)


もうすぐ変更があるかもしれないのは、
著作権保護の期間、でしょうかね。
今は著作物の場合、原則は著作者の死後50年です。
ペンネームの場合は、公表後50年。
団体名義も同様に公表後50年、
音楽CDも公表後50年ですが、TPPの条約との絡みで、
全部70年に延長される見通しです。
(映画だけは、以前から70年になっていた)


ひとつ目が点になったものがありました。
著作権のことについて、利用者側と
権利者側で交渉がこじれたときに、
文化庁の仲裁制度、というシステムがあるのですが、、。
その仲裁制度をお知らせする動画、というのを
試聴させられしました。

どういう方向に向けてこの仲裁制度の動画を作ったのかは
知りませんのですが、いきなり文化庁長官が出てきて
ラップを歌うのには、驚愕いたしました。

ラップというより、お念仏というのか
説教節というのか、、。

それとともに、文化庁にゆるキャラがいたという
ことも初めて知りまして、、。

よいお勉強になりましたです。


TPPの交渉の時に、日本ではやたら農業問題の
報道ばかりが目立っていましたけれども、
実際にもつれていたのは、
実はこの「知的財産権」の取り扱いだった、
と新聞記事で読みました。

それから変わった点としては、
以前は、著作権法って、「親告罪」だったのです。

親告罪というのは、著作権の侵害を受けた側が
「この人が、私の作品を無断で使っているのは
けしからん」と言って告訴しなければ、
公訴を提起することができない犯罪なんですが、
今年から、著作権者の告訴がなくても、
検察官が控訴を提起できる非親告罪に変わりました。


今の世の中、個人がこういうふうに自己表現の場として、
サイトとかブログを持つようになっていますからね。

いきなりブロバイダ会社から強制削除します、
というような仕儀にならないようにするためにも、
本当は、みんな著作権法の基礎くらいは、
知っておかないといけない時代じゃないか、と
思います。


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16. 08. 22

今日は宮中儀礼について考えていたことを
書きたいと思います。

国民が接する天皇陛下の報道については、
国会の開会式にお出になったとか、
外国の賓客にお会いになった、とか、
災害の被災地に赴かれ、
避難所で避難されている方々を励まされた、
というようなニュースがその大半だろうと思います。

ですが、実際はこうしたこと以外に、宮中祭祀も
行っておいでなのですが、
宮中祭祀については、ほとんど報道がありません。

謙介は卒業研究の中で天皇の即位儀礼の
「大嘗祭」をいろいろと調べました。
また、それに関連して
宮中の祭祀についてもいろいろと調べました。

引き続いて大学院で研究したのが、六国史の中の
「死」の表記だったために、天皇の崩御記事も
ずーっと研究対象で調べ続ける、ということになりました。

宮中祭祀の中には、
夜中とか早朝に祭祀が行われることが
あります。

加えてそうした祭祀の行われる時期も
春秋といった気候の良い時期だけではなくて、
冬のさなかの時期の新年とか、暑い時期
の行事もあります。


例えば、元旦には四方拝という行事があります。

1月1日の朝の午前5時30分に、天皇陛下が
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう、と読みます)
と呼ばれる束帯をお召しになって、
神嘉殿の南側の庭に設けられた建物の中に入り、
伊勢の皇大神宮・豊受大神宮の両宮に向かって拝礼した後、
続いて四方の諸神を拝する、という儀式です。

朝の5時30分に儀式が開始される、ということは
逆算したら、4時とか4時半には、準備を開始
しなければならない、ということですね。

そしてそうした宮中行事の中には、
非常に寒かったり暑かったりするようなところで
しかも長時間行われるものもあります。


どうしてそんな早朝からの儀式になるかといえば、
天皇は「太陽信仰」に基づいて儀式を行うからです。
それは「アマテラスオオミカミ」を見れば、
分かることですね。


話をもとに戻します。
天皇陛下のお歳、ということを考えたなら、
こうした宮中行事を含むご公務は、御体に相当のご負担を
生じさせているように思います。

本当にこの辺でご譲位があって
しかるべきではないかと、謙介は何年も前から
思っていました。


先日放送のあった天皇陛下のお気持ち、の中に
以下のくだりがありました。

 天皇の終焉に当たっては、
 重い殯の行事が 連日ほ
 ぼ2ヶ月にわたって続き、
 その後喪儀に関連する行
 事が、1年間続きます。
 その様々な行事と、新時代
 に関わる諸行事が
 同時に進行すること
 から、行事に関わる人々、
 とりわけ残される家族は、
 非常に厳しい状況下に
 置かれざるを得ません。


「殯」は、「もがり」と読みます。


このお言葉にあった、「殯」の行事、ですが
以下のようなものなのです。

古代の人の考えた「死」という概念は、
タマシイが弱ってきて、
身体からタマシイが離れることだ、
と考えました。

またタマシイはひとつ、というわけではなくて
分割・増加が可能と考えられました。

万葉集の中に「竹玉をしじに貫き垂らし」という
言葉が出てきます。 細い竹を小さい輪切りにして
それをネックレスとして首にかけたものでした。

どうしてそんなことをするのか、といえば、
古代において霊的な植物と考えられた
竹を短く切ってつないだ、その一つ一つの
パーツの中に「タマシイ」が宿る、と考えたわけです。
しかも「しじに」というのは、「たくさん」ということです。

このタマシイを増加させることを
タマフユ、と呼びました。
フユは「殖ゆ」の字を充てます。


タマシイがたくさん宿った竹の玉、というのは
生命力が盛んである、ということの象徴でした。

首にじゃらじゃらとした玉のネックレスをかけるのは
装飾、という意味だけでは決してありません。


「生命力を盛んにさせて、死を遠ざける」
という呪術的な意味がそこにありました。


生命力が弱くなった時は、
タマシイを活発化させ、身体から
タマシイが遊離しないようにする、
ということが、「死なないようにする」という儀式で
あったわけです。

実は「ふんどし」もそうしたタマシイの遊離を
防ぐ、という意味があって着用された
ものと考えられています。

このタマシイを活発化させる動作のことを
「タマフリ」と呼びました。

弱くなってしまった消えかかった「タマシイ」を
天皇の身体を揺することで、
そのタマシイを再び活性化させようとした、のです。


「殯」は具体的には、天皇のお体の入った棺を
毎日定期的に揺らす、ということを行いました。
そうすることで、天皇の「タマシイ」を
復活させようとしたのです。

この何とか生きかえって欲しい、という気持ちをこめて
天皇の棺を毎日揺らす儀式が「殯」という行事でした。

そうして2か月間天皇の棺を揺すって、「タマフリ」の
行事を行い、再生の儀礼を試みたのだけど、その
甲斐なく天皇のご意識が復活されることはなかった、
蘇生されることはなかった、ということになります。

その段階を以って天皇の「崩御」が
最終的に決定されるわけです。


そして、その「殯」の儀式の終了をまって、
今度は正式な葬送儀礼がはじまる、
ということになるのです。


この天皇の「代替わりの儀式」、というのは
天皇陛下のお言葉にあったように、
長く続きますし、、本当に大変なことだ、と思います。


昭和天皇の時は、
昭和64年の1月7日に皇居吹上御所で崩御された、
と報道があったのですが、それは近代医学上、加えて
法制上の解釈であって、宮中儀礼の上では、
まだ「崩御はされていない」という状態でした。

上にも書いたように
天皇の崩御は、「殯」という再生儀礼が終了したのちが
本当の崩御、ということになりますからね。

大体、「殯」なんて、
史学科の古代史専攻の人間か、
謙介みたいに国文学の上代文学専攻の人間でもなければ
ほかの人は知らないでしょうし、おそらく聞いたこともない、
というような行事ではないか、と思います。

上に書いたように、医学的、法制度的に、
天皇の崩御を意味する日付と、宮中祭祀として
天皇の崩御を意味する日付には差がありますが、
でもまぁその「殯」の期間の間に、
今度はそれに続く葬送儀礼の準備をしないと
いけませんからね。そういう次の準備、ということに
ついても必要な期間であると思います。

昔は「殯」を延々と2年くらい続けて、その間に
御陵を造営していた、ということも
ありましたからね。


ただし、現在の宮中の葬送儀礼というものは、
古代のまま、ということではなくて
明治期、大日本帝国になってから、特に
天皇の威厳を示さなければならない、ということで
付加されたものも結構あったりします。


上代から近世までの、さまざまな歴史の記述を見ていけば、
結構その時代の考え方によって、
天皇の葬送儀礼も簡素化した時期もありましたし、
逆に重大化した時期もありました。

ですから、一口に伝統にのっとった形式、と言っても
どの時代に合わせるのか、ということで
儀式の進め方にしても、違ってきたりするのです。


古代なのか、中古(平安時代)なのか
中世なのか、近世なのか。
いつの時代に合わせるのでしょう?

それぞれの時代によって、
宮中儀礼の形式もずいぶん違ってきていますからね。

そういうことなので、現代は現代で、
今の時代の状況にあったものに、
変えていってもいいのではないか、
という気も謙介はするんですけどね。

そんなことをお言葉に接して思ったりしたのでした。

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16. 07. 04

フランス人による文楽の本

フランソワ・ロゼ著 秋山伸子訳の
『文楽の日本 人形の身体と叫び』を読みました。
Benben


著者のロゼさんは、
東大のフランス文学の教員なのですが、
滞日10年を数え、今や浄瑠璃をおっしょさんについて
習っている、という人です。

ロゼさんのこの著書の原文はフランス語で書かれた
ものだったので、謙介が読んだのは当然日本語訳、
ということなのですが。


翻訳の文章って、謙介みたいに国文科の人間からすると
どうしてそんなこなれていないようなこむつかしい言葉を使うんだよ、という
思いがいつもありまして、謙介としては、読むの、結構しんどいのです。
特にフランス語の日本語訳って、、、、嫌いだ。(笑)

確かにこの『文楽の日本』もそういうところはありました。
文章、こんなふうなのです。 以下引用

  語り手と呼ばれることもある太夫は日常言語を統御する規範
  のほとんどすべてを乱す。 西洋の俳優は顔のすべてを総動員
  して、複雑な地形を垣間見せ、内面の変化に応じて表情を刻々と
  変化させていくが、太夫に関しては、顔全体で、この熱狂的な
  音を生み出していくのだ。したがって太夫が見せる様々な表情から
  登場人物の純粋かつ単純な表出を読み取る必要はない。ディドロ
  (フランスの作家)が当時演技に定評のあった俳優モンニメルに
  ついて述べたことは太夫には当てはまらないのだ。 太夫は口を
  ゆがめ、頬をふくらませ、唇を震わせ、眉を寄せ、額に皺を寄せ
  目を見開き、頬骨を飛び出させる。それは舞台上の若い主人公が
  絶望しているからでもなく、恋する娘が悲しんでいるからでもない。
  (中略) 太夫の声というこの素材は、激しい興奮状態にあり、
  忘我の境地にあることもしばしばで、唸り声、舌打ち、歯ぎしり
  甲高いヒューという音になって現れる。爆音に轟音、変貌自在な
  太夫の表情(とりわけ豊竹嶋大夫の顔は大きく震えているかの
  ようだ)は、魂とか心の動きを表現するものとなることを拒否する。

たとえば一行目。 「大夫は」の後、「、」を打てよ、とか
思ったりするのです。もうちょっと句点を打っていけば、
意味がクリアになるのに、どうして文章をだらだらと
続けるかなぁ、という気がするのですが。

ただね、今回のこの文章は、
今までの翻訳書と違ってそう苦痛にはならなかったのです。

というのが、この文章の題材が「文楽」であって、対象が
謙介的には自分がよく知っている対象だったので、
この本で書かれていることを、比較的簡単に
自分の中でイメージすることができたからです。

自分の場合、翻訳本、を読むときって、
文章から一度、これは、どういう意味なのだろう、
と考え、その書かれている文章を自分なりにイメージする作業をして
こういうことか? と創りあげながら、本を読み進めていく、
というふうにします。

ところが、上の文章の描写ですと、
パッと嶋大夫さんが、黒漆に金の紋の入った
豪壮な見台の前で、
顔の表情筋のすべての運動をするかのようにしながら、
要するにすんごい顔をして浄瑠璃を語っているありさまを
すぐに目に浮かべることができたのです。

この筆者に謙介はリクエストをしたいと思います。

浄瑠璃を聴くのであれば、
東京とか大阪の劇場に出演する
名人上手と言われる人のだけでなくて
各地で今も行われている人形浄瑠璃、
を聴いて欲しいのです。
(この本の中で一か所だけ、淡路島の文楽の話は出てきますが)

地方で行われている文楽の公演、
広報活動があまりされていないだけで
丹念に見て行けば、あちこちでやっています。

そういう地方の浄瑠璃語りは、人間国宝の
芸からすれば、お話にならないようなものも
あるかもしれません。

名人上手の浄瑠璃の、
その語りはどうしても浄瑠璃の語り、として
芸術的に昇華されて、
素晴らしく完成してしまっています。

中世のころ、大きな道の交わる辻とか市の立つ集落の
出入り口に立って、布教活動をしていた
ヒジリと呼ばれる人たちの説教節が
やがて、口説きになって、それがやがて、
音曲を伴った河内音頭・伊勢音頭と呼ばれるようになった系譜、
もうひとつはこうした語りの要素の濃い浄瑠璃へ行った系譜、

素朴な語りの中からは、
あ、語るということはこういうことなんだ、
ということも分かるように思いますし
語りの芸能、というものが、本当は大劇場の
洗練されたような場所で観るようなものではなくて
庶民の生活に根ざしたものだった、
ということも分かるように思うのですが。


この本を読んで、そんなことを感じ、思いました。


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