おべんきゃう

17. 12. 05

即位儀礼

今上天皇の退位・次の天皇の即位の日程が
決まった、というニュースが先日報道されていました。

謙介、毎度言いますが、
学部の時に研究していた内容が
一部、天皇の即位儀礼に関係した箇所もあったり、
大学院の時の研究が、六国史に出てきた
死亡記事全部を比較検討する、
というものだったので、
当然、六国史に記載された天皇の崩御、
新天皇即位 改元 という記事は
ずーっと調べていました。


明治以降は、天皇一代で
ひとつの元号、
ということにはなりました。
ですが、日本史的にみれば、そんなもの
ごく最近のことであって、

江戸時代以前は、もう
数年でぱっぱぱっぱと元号を変えていたり
したこともありましたし、

飛鳥時代なんて、天皇が変わったら
都もぱっぱぱっぱと変えていましたのでね。

謙介的には、元号が変わる、と言っても
「ああ変わりますねぇ」という程度
のことなのではありますが。


新しい天皇が即位して、元号が変わったら
新しい時代になったのか、と言えばそうではないのです。

やはり、大嘗祭を経なければ、
正式に天皇が即位した、
ということにはならないように思います。


まぁその前に即位礼正殿の儀という儀式が
ありまして、即位を公に宣明し、
即位を内外の代表がことほぐ儀式というのが
ありますが。

大嘗祭は、音読みすれば「だいじょうさい」
なのですが、やまとことばで言うと
「おほにへのまつり」と言います。

日本の国のうち、卜占でもって
悠紀(ゆき)と主基(すき)の国をそれぞれ
選定しまして、天皇がそこで採れたお米を
神さまとともにいただく、という儀式です。

ちなみに平成の時の悠紀の国は秋田県で
主基の国は大分県でした。

神さまと一緒にこの悠紀・主基の国で
それぞれ作られたお米を
いただく、ということで、この国を統治する
力を体内に宿す、という呪術的な儀式です。

この大嘗祭は即位後、一度行い、
その後は、毎年新嘗祭という祭りを行います。

新嘗祭の日は11月23日。
今は「勤労感謝の日」ということになっていますが、
あれは本来新嘗祭の日だ、ということです。

毎年、秋にこの国で作られたお米をいただくことで
天皇はこの国を統治する力を体内に宿す、
という意味がありました。

冬至は、今の暦では12月の21日~22日ごろですが
旧暦ですと、11月です。

冬至は昼間の長さが一番短くなった日ですね。

天皇家は太陽信仰ですからね。
アマテラスさんのご子孫ですもん。

つまりは一番統治の力が弱まるのが
冬至の日、ということになります。

そこで、大嘗祭・新嘗祭で、
この国で採れたお米をいただいて、
今風に言えば、パワーチャージをしていた、
ということです。


この大嘗祭を経て、天皇ははじめてこの国を
統治する力を得る、ということだったわけです。

だもんで、宮中の数ある儀式の中でも
践祚大嘗祭は別格の儀式なのです。

この体内に祖霊の力を取り込む、
という儀礼は、今でも痕跡のように
あちこちに残っているのです。

京都の葵祭の時に、参列者が
髪に葵を挿すのもそれですね。
葵の持つ呪術的な力をそこに取り込もうと
したわけです。

お寺の本堂の前に、大きなお線香立があって、
そこからもうもうとお線香の煙が上がっていますが、
そのお線香の煙を、頭とか手とか足とか
いろいろなところにつけるようなことをしている人が
よくいますが、あれだってそうですね。

仏さまの功徳を身体の悪いところにつけて
治してもらいたい、という信仰ですよね。

即位儀礼は、その時々の記録に残っていたりはしますが、
案外その時々の経済事情とかで、方法が違っていたり
します。

ああいう儀礼になったら、やたら伝統的伝統的
という人が必ず出てきますが、謙介はちょっと
聞いてみたい気がします。
「あなたの言う伝統的、っていつのことなの? 」とか。
「六国史にそうあったのですか? 」とか。

なので、その基本的な「思想」の部分として
どうしても変えられない、譲れない、という部分は
残して、改変ができそうなところは、現代風に変えても
いいんじゃないか、と思うんですけどね。


そんな思いで即位儀礼を見てみたい、と
思っているのです。

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17. 08. 24

買った感想文は先生に分かるのか?

ネットで買った感想文は先生に分かるのか
という記事がありました。


ばかばかしい。

そんなの国語の先生とか、
小学校のクラス担任の先生だったら、分かるでしょう?

それぞれの生徒の文章を書く程度、能力、っていうのは
先生にしてみたら、日常の授業とか定期試験の中で
分かっているはずです。


加えて、その子の語彙を使いこなすい程度とか、
文体に人それぞれ違いだってありますからね。


ああ、これはあの子が書いた文章じゃない、
誰かが書いた文章を取ってきたなぁ、というのは
すぐにばれるでしょう。

それから、感想文の内容でもそうですね。


このブログで、謙介は何度も何度も感想文の書き方に
ついて書いてきました。


それじゃダメです。

本の感想を書くのが感想文じゃないのですよ。
ここを分かっていない人がすごく多いのです。

読んだ本をダシにして、そこから得られた
自分の生活やものの見方の変容を文章にするのが
感想文なのです。

そういう感想文を書けば、文章が少々下手でも
誤字だらけであっても、その人のオリジナリティが出ていて
読んだ人に何か伝わるものがあるのです。

読んだ本の感想なんて、、、あなた、「文芸お評論家」にでも
なるつもりですか?

国文科の時に、1年間実践文章講座の実習を受けたのですが、
その時に先生にそういうことを言われました。
「あんた、これ、感想文やなくて、文芸評論になってまっせ」
とか。

そういうことで言えば、そんなふうな個人の心理的変容なんて
ネット上で売ってる感想文には書かれているのですかね。

ただ単に本の感想だけ書いているんじゃないのかなぁ。


お金をいくばくか出して、感想文を買って、
買った感想文の出来がダメ、って、、、
あまりにアホらしいではありませんか。


そういうのって、「ババつかみ」って言うのだと思います。

今からでも遅くないから、図書館に行って、カウンターの
司書さんに「ボクは、こういうことに興味があるんですけど、
そういうジャンルの本でおもしろいのありませんか? 」って
相談して、本を決めて、読んでみたらどうでしょうかね。

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17. 05. 30

「お団子」は流行の最先端

最近あっちこっちでグルテンフリー、
ということを聞くのですが、、


管理栄養士の友達に、グルテンフリーの
食生活について聞いてみました。
「グルテンフリーって、あれ、身体にいいの?」
「謙介、セリアック病って診断されたん?」
「セリアック病って何それ? 」

「セリアック病っていうんは、「グルテン」に
過剰反応して体調不良を起こすような病気よ。
あんた、それって診断されたんか? 」

「違うよ。 そんな病気違うし」

「まぁ、そやろ。あれは白人に多い病気やもんね」
「日本人は少ないの? 」
「まぁ0ではないけど、日本人には少ない、
と思うよ。聞いたことあらへん」

「でも最近、あっちこっちで、グルテンフリー食、
とか言うてるよね」

「確かにセリアック病のグルテンフリー食、
という論文はあるけどねぇ、、、
せやけどな、グルテンフリーが日本人の身体に
どう影響して、どういういいことがあるのか、ということに
ついて研究された論文って、出てへんねん。」

「え? ということは、学問的には立証もされてないの?」

「聞いたことないで。
エビデンス(学術的証拠)なんかあらへん
こんな雑誌も見たけど、載ってへんの」
Img_2203


「でも、みんな騒いでるけど、、」

「まぁあれは、なんたらダイエット、とおんなじで
一時の流行やと思うわ 」

「そうしたら、いつだったか流行った
トマトダイエットとかリンゴダイエットとかとおんなじ? 」

「そやろ  あと5、6年経ってみ。グルテンフリーなんて
だーれも言わんようになるんと違う?
まぁ、グルテンの入ってるもんはあかん、と言うたら、
今度はお米の粉がぎょうさん売れるから、グルテンフリーって
言うといて米粉売りたいのと違う?」

「米粉って、要するに団子の粉か? 」
「そうそう。スーパーでは団子の粉、言うて売ってるあれ」

「なんや、あほらし 謙介は団子好きやし、こない
おされな流行になる前から、だんごやういろや
グルテンフリー食、食べてるわ、、、」

「そやなぁ。あんたういろうとか団子とか好きやし」

「水無月かて好き」

「あ、はいはい」

「そうしたら、お菓子屋さんに言うたらどないやろ。
団子の粉、水で練って串に刺して焼いただけの団子、
グルテンフリー食の食品! でございます、言うて」

「焼いただけのお団子がグルテンフリー食、って宣伝したら
”ふぁっしょなぶる”やねぇ あはははは」

「流行の最先端やろ」
最初からそれ狙っとったんかなぁ


というような話をしたのでした。

はてさて、5年後にもグルテンフリーは
永らえて流行を保っていることができるのでせうか。


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17. 05. 07

貧乏ヒマなし

みなさま、ゴールデンウィークはいかがでしたでしょうか?

謙介は4月から仕事をする場所が二つになって
しまったので、
本当に目が回るみたいに忙しくなってしまいました。

午前中は元のいつもの場所で仕事をして
午後から車で移動して、新しいオフィスで仕事、
という毎日です。加えて新しいオフィスのほうは
立ち上がったばかりで、何もないので
準備とか、ない設備でこれを入れてくれ、あれも入れてくれ、と
各部署と折衝もしなくてはならなくて、、
折衝といっても相手次第なので、電話をかけても
相手が居なければまた後日、ということで
なかなか前に進まないのです。

そういうことで連休中もたまった仕事を持って帰って
家で片付けておりました。
おかげさまで何とかめどはつきました。

そういうわけで連休中にどこに行ったか、と言えば
近所の委佐子の店だけであった、というありさまです。

あ、そうだ1回だけご飯を作るのが面倒になって
近所のうどん屋に行ったのでした。
そうしたら、びっくりしたのが駐車場にいた車のナンバーですよ。

なにわとか、滋賀、京都、神戸、広島、島根、高知、
中には横浜、とかありました。 
「おっちゃん、倒れんようにせんといかんよ」
と麺を打っているおっちゃんに言ってしまいました。
「連休が済んだら、10日くらい休むわ」とのお返事。
「そんなに閉められたら、こっちが困るわー」と言ったのですが、、
でも、いつもは近所の人しか食べにこないようなうどん屋に
行列ができていて、、びっくりしてしまいました。
おっちゃんが過労で倒れないように、と思いながら
うどん屋から戻ってきたのでした。

そういうことで、家でずーっと仕事をして、それで連休は
終わった、という感じです。
あーあ。いつになったらちょっと仕事の余裕ができるのだろう。


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17. 02. 14

愛があるなら叱りなさい(その2)

それで以下講演の内容です。

2004年までの27年間、ずっとシンクロナイズドスイミングの
コーチをしてきて、外国チームのコーチに就任することに
なったとき、井村さんはいろいろと、それ相当のことは
言われるだろう、ということは思っていたけれども、
その投げつけられた言葉は本当にひどかった、という
ことでした。中には「国賊」と言った人もあったとか。

日本と言う国は、外国からコーチを連れてきて
指導を受ける、ということは、ある程度できるけれども、
逆に日本人が外のコーチになる、ということには
全然慣れていない国なんだ、ということを
改めて知った、と言います。

そんな中、どうして日本のコーチに戻ったのか、
と言えば、水泳連盟の理事3人から、
ウクライナに負けて6位になった。これでは
オリンピックに出られない。何とかしてくれ、
と懇願されたから、だそうです。

で、そんなふうに日本チームのコーチに
再就任したのだけど、驚愕したことが
ありました。 選手が日本語のできる外国人化
していたといいます。

以前教えていた当時の選手とは全く違った
考え方の連中だったそうです。

あいさつはできない。私が注意しても何について
叱られたのかが分からない。
ウォーミングアップで1500メートルから5000メートル
程度泳がせるのだけど、みんな一身長分開けて
全くの等間隔で泳ぐ。
「どんなつもりで泳いだの?」と聞いたら
「がんばりました」と答える。

好きな言葉は「きずな」
人より目立つことが嫌いで、みんな一緒。
一緒だったら安心していられる。
結果だらだらするばかり。

そういう選手たちに対して、どのようにコーチの考えを
伝え、浸透させ、実際にトレーニングの中で技術の向上を
はかっていくのか、ということが本当に至難の技だった、と
いいます。


話を聞いていて、あ、そうだったのか、
と思ったことがあります。
それは井村さんが、選手のできていないところを指摘した後、
必ず、その改善方法も一緒に伝えている、と話してくださったことでした。

ドキュメンタリーで出てくるのは、インパクトのある、
「あんたはここの部分ができてないやないの!」と
いう叱っている部分だけなんですけど、
実際は、「そやからこうやって、ここをこうして
こうする! 」と具体的に指示を出しているのだとか。

あ、なるほどな、と思いました。
謙介も仕事をはじめて3年くらい経ったときの
上司から、そんなことを言われたことがありました。
というのが、その年、
はじめての後輩が入ってきた時だったのですが。

後輩にいう時は、具体的にここがこういうふうに
ダメだから、そこをこういうふうに直して、と
具体的に指示するように、ということでした。
その時の上司と井村さんの指示が同じだったので、
ああ、と思ったのでした。

講演の最後のほうは、去年のリオオリンピックの時の
選手とのコミュニケーションの話になりました。
この段階でこういう練習をさせて、この段階では
どんなメンタルについてのアドバイスをしたのか、
ということでした。
シンクロナイズドスイミングのすべての演技は
井村コーチが考えた振りつけてするそうですが
どのような意図を持って、あの演技を組み立てたのか
という説明がありました。

選手の着用していた水着の素材は、
繊維メーカーとかけあって、日本選手に最適の素材を
開発してもらった、ということでした。
それから水着を飾っていた1000個のスワロフスキは
すべて各選手のお母さんにつけてもらった、
ということでした。

それから使用する音楽も、他国と一線を画して
日本の演技を印象付けるために、起承転結のある
音楽にしたこと。 観客を味方にひきいれるために
(観客から手拍子を起こさせるようにするため)
心拍数と同じテンポの曲をある部分使った
という説明でした。心拍数と同じテンポにすると
人は手拍子を起こしやすいのだそうです。


その最後に、大変贅沢な時間が
ありました。

井村さんの解説を聞きながら、
リオのシンクロナイズドスイミングの演技を見る、
という時間があったのです。

ここの部分はこういうことを意図していた、
ここではこういうことを狙っていた、
というコーチの説明を聞きながら、会場の大画面に投影された
演技を見たのでした。

体型や技術で相当の見劣りのする日本チームを
どのようにカバーしていったか、という話は
本当に聞いていてぐいぐいと惹かれるものが
ありました。

ということで講演は終了しました。

はじめに井村さんが登壇された時と、
終わった時の聴衆のみなさんの拍手の力強さが
全然違っていたのを耳から感じることができました。

やはり聴いていた人、それぞれに感銘を受けたからこその
拍手だった、と思いました。


追突事故に遭って、一時は行くのは無理かなぁ、と
思ったこともあったのですが、何とか行くことも
できましたし、講演もとても面白い講演で、
自分自身でも参考になるところが多々ありました。
謙介は講演を聞きながら、ノートにメモをしていたのですが、
メモはノートに6ページほどになりました。

講演の時間は、
去年の9月にシスター渡辺の話を聞いた時より
今回の井村さんの話の方が短かったのですが
メモの分量は、シスター渡辺の時が2ページだったのに
対して、今回は6ページでした。本当にいろいろな意味で
内容の濃い講演会だったと思います。

改めて行けて良かった、という気持ちに浸りつつ
会場を後にしたのでした。

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17. 02. 13

愛があるなら叱りなさい(その1)

先日表題のタイトルのような演題の講演会に行ってきました。


うちの職場のおばちゃんに、
「シンクロの先生の話を聞いてきた」と報告しました。

「え? シンクロの先生言うて、
あのいっつも怒っている人?」
と聞かれたので、
「オリンピックの井村ヘッドコーチ、、」と言ったら、
反射的に、「あっ、こわ!」

「いや、別に謙介がシンクロで、
指導を受けた、というのでもないし、
がーがーと注意されたわけでもないし」
と言ったのですが、
彼女は「そらそやけど、こわ! 」
という感想を述べました。

おばさんにとって井村さんはとにかく怖い人、
というイメージだったのでしょう。
ずーっとこわいこわい
と言っていました。

と、いうことでお話を伺ったのは、
シンクロナイズドスイミング 
日本代表ヘッドコーチの井村雅代さんでした。

おばちゃんの話でもそうでしたが、
ドキュメンタリー番組か何かで
彼女の指導を見たことがある人なら、
「こわい人」とか、「スパルタ教育の人ね」
という反応になるのですね。たぶん。


じゃあなぜあの方が、ああいう指導法を取るのか、
その理由、その考え方の根本を、謙介は知りたいと
思ったのです。

ああいう指導されるのには、やはり
あの方なりの信念、何かしらの考えに基いた
ものが絶対にあるのだろうと思いました。


それならば、どうしてああいう指導法を採るのか、
その理由を直接ご本人の話から
お伺いするのに如く(しく)はないであろう、と。

それで、出かけてみることにしたのでした。


というのか、まずはこの講演会、抽選に当たった人だけが
参加できる会だったので、
まずは抽選に当たらないと、話も聞けない、
というわけなのでしたが。


Comz

何せ謙介、追突事故に遭った翌日でしたし、
会場も交通至便の市内中心部だったので、
代車は使わずに、電車で出かけることにしました。

ターミナル駅で、降りて会場まで歩きました。

Shieki

雨が降る、という予報だったのですが、
幸いまだ雨は降っていませんでした。

10分ほど歩きますと、会場に到着しました。

Shintama1

コムズ、という愛称がついているのですが、、
Shintama2


実際は、こういう3つの施設が入っている建物なのです。
Shintama3


ここは、
男女共同参画センターも兼ねている施設なので、
LGBTの活動にも開館当初から
熱心に取り組みをしています。

LGBTの方々の悩みの相談会とか、
講演会とか、ミーティングの開催案内、というのを
しょっちゅうポスターで見たことがありました。

久しぶりに来ました。
講演の開始が1時からで、開場は12時30分だったので、
謙介、12時20分くらいに行ったのですが、すでに30人くらいが
並んでいて、、、びつくりいたしました。
会場の外側の廊下に並んでいたのですが、
大体がそんな行列をして開場を待つ、というような
設備ではないので、廊下に並んだ人が一杯になりかけました。
さすがに主催者側も慌てたのでしょう。
12時半の開場を繰り上げて、謙介が並んですぐに
「開場します」との案内がありました。


前からお詰め合わせておかけください、ということ
だったので、座ったのはほぼ中央の前から2列目
という場所でした。 いくら最近目が悪くなってきた
(遠視ではなくて、最近近視になった!)
謙介でも、井村さんの表情は見えると思いました。

長くなりましたので、
今日はいったんここで措きたいと思います。


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16. 11. 21

会話の実験

今日は最初に以下の会話を見てください。


       ×      ×       ×


あ、あのさ、

何?

こ、このあとどこ行こう?

あ、ちょっと待って。あのぅ、すいません。

お下げしてよろしいですか? 

お願いします。

あと、お飲み物がついています。ホットコーヒー、レモンティー、ミルクティの
3つからお選びください。

どうする?

え? 

だから、ホットコーヒーか紅茶か、って

あ、ああ、うーん、ホットコーヒー、あ、いや、紅茶紅茶。

紅茶のどっち? ミルクなの、レモンなの?

ミルク。

すみません。じゃあ、ホットコーヒーとミルクティお願いします。

かしこまりました。

あ、それでなんだっけ。

だからさ、この後。

あ、うーん、なんでもいい。

映画でも、、行かない?

今どんなのやってるの?

え、っと、『海賊と呼ばれた男』でしょ『デスノート』でしょ『君の名は。』 でしょ。
  

映画かぁ

じゃあさ、映画行かない? 
まだ時間あるでしょ。
ね?

        ×       ×       ×


とまぁこんなふうにちょっと文章を書いてみたのですが、、。

何をしたかったのか、と言いますと、
実はこの文章でもって、ちょっと実験をしてみたのです。

ここには、まぁウエイターさんは別として2人の人間が
出てきます。 まぁ便宜的に映画を誘っているほうを
Aくんとします。 もう片方をBくんとします。


でね、謙介の知り合いの先生の作った
AIにこの会話を解析させたのです。

それで、映画を誘ってる側のAくんって
どんな子だと思うか、と人工知能さんに訊いてみたわけです。


そうしたら、出てきたお答えが「映画の好きな人もしくは詳しい人」
というものでした。

正直、あ、やっぱりな、と思いました。
あ、今の段階の人工知能って、この程度なんだな、
とも思いました。

実はAくんは、正直、そんなに映画を積極的に見たい、
と思っているのではないのです。

それがどこに出ているのか、と言えば
「映画にでも行かない?」と言う誘い方ですし、
「映画」という漠然とした言い方なのです。

本当に見たい映画があるなら、「君の名は。」見に行かない?
というふうに、具体的なタイトルを言ってくるはずです。

そこに「映画でも」なんて言う言い方はしないはずです。

謙介の質問って、
人工知能からすれば一番不得意な質問ですね。(笑)

今、人工知能、って盛んに言っているのですが、
はぁ、そういう程度なんだ、ということは
よーく分かりました。


人間の判断って、案外直感とか、好き嫌いとかで
決まることが多いですもんね。

しかもその好き嫌いって、必ずこれは好き、これは嫌い、
というわけでもなくて、その場の相対的な流れで、
たまたま、どっちを選ぶか、という選択に迫られた時、
たまたまその時はこっちのほうが「まし」と思って
選択することだってあるわけで、、、。

こういう時は必ずAを選ぶ、というわけでもありません。
いつもAを選ぶのに、たまたまこの日の気分はB、
とかね。その場の思い付きでたまたまこっち、という
ことだってありますし、、、。(笑)

先生にAIって、そういう見極めはできるんですか?
と尋ねてみましたら、

そこがAIの致命的なところでねぇ、
そういう見極めはできないなぁ、ということなのでした。

データからだけ見たらそうなるのかもしれませんが、
1+1が必ずしも2にはならない、ところが、
不確かな人の感情、というものなのでしょうねぇ。


(今日聴いた音楽 風のメロディ チューリップ歌)


        ×         ×


カルビマッ○とかいうものを再販しはじめた、というので
実際に見てみたら、、、
カルビなんかどこにも入ってない!(笑)
普通のハンバーガーに
ただのばら肉を炒めて味付けたものが入ってるだけ。
これがホンマのカルビです。

Karbi

カルビというのは「肋骨」ですからね。

日本って、肉の部位の名前がめちゃくちゃだなぁ、と思います。
もうアホか、というような状況です。


カルビという名前で嘘の部位のばら肉を売っていて、
一方で、本当の肋骨の部分は「スペアリブ」っていう名前で
売ってるんです。

ほんとうはカルビ イコール スペアリブでないといけないのですが。

カルビマック、定価は390円ですが、
本当のカルビを入れたハンバーガーだったら、たったの
390円なんかで売りだすことができるはずがないじゃないか、
って思います。
最低1000円したっておかしくないんだけど。
別に焼肉マックでいいじゃないか、って思います。
ただそれだけのものなんだし。

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16. 10. 13

編集・校正・校閲担当者から

今年もうちの仕事場で発行する
論文集の編集がはじまりました。
今年もまたはじまったなぁ、という
時期になりました。

毎年発行している論文集ですが、
今年のものが紙形式で発行する
最後の論文集になります。

昨日行われた編集会議で、来年度以降は
紙媒体を止めて、機関リポジトリのひとつとしてウェブ上で
発行するように変える、ということが話あわれました。

こないだある人から、水曜日の晩の10時から
『校閲なんたら』、というドラマを
今、やってるで、という話を聞きました。
で、まぁ見たのですが、、。


ドラマの出版社は大きいので編集と校閲・校正係りが
別のセクションですが、うちなんて、俺一人が
編集兼校正係りでずーっとやっています。
もう20年以上。

うちは一人なので、
ドラマにあったような編集者と校閲者が
喧嘩する、などと言うことは起こりません。
が、印刷所と編集者がやりあう、という事象は
よく起こります。(笑)

両方やっているので、結構
これからの時期は大変なんす。

まず、論文が執筆者から、謙介のところに来ます。
それから提出された論文を謙介が全部下読みをします。
それで論文を査読してもらう先生の候補をリストアップ
しておきます。 

そして編集会議が開かれて、査読者を正式決定します。

その後編集担当(謙介)から査読者に連絡をして
論文の査読の依頼をします。
その後論文を査読者に送って、
査読者が、持ち込まれた論文の審査を行っていきます。

問題点があれば、指摘をして書き直させる、
というものです。 査読はブラインドレフェリー、
つまり匿名で行います。

編集担当が執筆者の名前を消して、査読者のところに
持って行って、査読者も、その論文の査読結果をワープロで
印字して編集者に渡します。 

もちろん無記名です。
査読者の筆跡が分かってはいけませんから。

ワープロが無かった昔は、査読者から来た指摘を
編集担当が書き直して執筆者に渡していました。
それくらい厳格に行います。

査読は当然その論文の執筆者の専門分野と同じか、
近い人に依頼を出します。

10月11月で、こんなふうに提出された論文の査読をします。


査読・原稿修正があって、論文集掲載可、ということに
なります。

その間に編集者は、印刷業者を決めておかなければ
なりません。
会計担当と協議して、印刷業者の候補を5軒くらい
リストアップして、そこに見積もりを出してくれと頼みます。
それで見積もりの結果、印刷業者が決まります。


大体12月ごろに査読が終了して、最終的に原稿が
集まります。そこでもう一度確認のための編集会議を行い、
問題がなければ、印刷所に原稿を渡して、原版づくり、
ということになります。

12月に原稿を印刷業者に渡して、1月~2月で校正です。
校正は基本的に執筆者と編集者の2人態勢で行います。

書いた本人は、正しく書いた、と思っていても
末端まできちんと見ていなくて、誤字脱字があったりするのです。

専門外の人間が見るのは、たえず疑いの目で見ていくことが
できるから、なのです。

あんなキャーキャーとわめき騒ぐ校閲者なんて
いないぞ。ぶつぶつ。

かといって暗いだけもないけど。


昨日のドラマは、印刷して出来てきた本の表紙に
脱字があって、、、作業工程上、刷り直し発行はできなくて
シールを貼ってごまかした、というお話でしたが、、

実は謙介にもその経験があります。
全部出来上がって、印刷所から運ばれてきた
論文集を見て、顔色がさっと変わりました。
執筆者の名前の漢字が一字違っていたのです。

もう目の前が真っ暗になりました。
急いで編集委員全員に集まってもらって
協議をした結果、印刷所に訂正のシールを作ってもらう、
ということになりました。
印刷所に言って、シールを急いで作ってもらいました。

それで、そのシールを謙介一人で、貼りました。
昨日のドラマは校閲部員全員が手伝ってくれたお話でしたが、
あんなもの、ドラマだから感動的に盛り上げようとして
全員が協力してやっていましたが、
うちなんか自分の責任だし、謙介一人でぜーんぶ貼ったぞ。


ドラマを見ながら、できた論文集にせこせこと
シールを貼っていた何年か前の春のことを思い出した
謙介なのでした。

はじめにも書きましたけれども、編集校正担当を
もう20年やっていますが、
編集途中で毎年どこかここかで問題が発生します。
それは、きちんと何度も確認していても、
やはりどこかで問題が発生します。

今年も昨日ひとつ問題が起こって、、(笑)
(謙介のせいではないので、気が楽でしたが)

今年もいろいろなことが出来すると思いますが、
それでも何とか大過なく今年も出版できるように
祈るような気持ちでいるのです。

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16. 10. 05

お脳の調子

大学の時に、近代文学研究の授業で
2年間漱石を集中的に勉強したことがありました。

大抵は漱石さんの作品の場合、
中学校で『坊っちゃん』、高校で『こころ』
が教科書に入っている率が高くて、それでまぁ
知ってる、という人が多いのではないか、と
思います。
でも、謙介の高校で採用していた教科書に
『こころ』は入っていなくて、大学で勉強するまで
結局漱石の作品で謙介が読んだのは
『坊っちゃん』だけだったのです。

漱石さん、幼少時に、養子に出されたこともあって、
自分を取り巻く人間の顔色、というものに
とても敏感だった、というところがあったようです。

そもそも親は子どもとの結びつきを構築します。
その結びつきを学ぶことを基本にしながら、
子は次第に他の人との人間関係を作っていくわけですから、
普通は親子の信頼による人間関係が、その人の基本になるわけです。


ところが漱石さんのところは、
「お前は里子に出す」と言ってその親が、
よその家に放り出したわけです。

養子に出した家は
もとはそこそこの資産家だったらしいのですが
零落したとかで、お寺か神社の参道で夜店をしていました。

養子先の親がやっている夜店に漱石が一緒にいて、
それがあまりにかわいそうな姿だった
と漱石の長兄が親に懇願して、
漱石は再び夏目家に戻ってくることになりました。

世の中にはどうしようもない親もいるので、
自分との信頼関係を構築する相手が親でなくて
ほかの人でもいいのですが。

とにかく、自分が、ある特定な人との
間に、信頼関係を作ることができれば、、
それ以降の人間関係も、そこから発展させて
築いていくことができやすいのでしょうし、
自我が何とか育っていく、ということなのだと思います。

ところが漱石の場合は、誰か特定な人との信頼関係を
築けなかった。そのため、自我もいつまでもぐらぐらとしていて
不安定なままだったようです。

ある時は「私の個人主義」と言って、周囲との関係を排除して
自分は自分、他の人は他の人と言ったかと思うと、
逆についつい他人の顔色とか機嫌をやたら気にし過ぎて、
その結果、身動きが取れなくなったりしています。

それで再び他人の思惑ばかり気にし過ぎた結果、
また身動きが取れなくなって、苦しくなっていきます。

そうして苦しい自分に今度は禅に救いを求めて、
「則天去私」と言ったりしたわけです。


漱石さんの人生は結局、その自我の不安定さのために
周囲との距離の取り方が、うまくできず、
自己を確立して生きる! と 他人との関係性の中で生きる
の間で揺れまくり、一生を終える、ということになりました。

しかし自己と他者との距離感の問題、というのは、
実は私たち近現代の人間が抱える
大きな問題でもないか、と思うのです。

そういう他者との距離感の問題で
悩んでいる人って、決して少ないない、のでは
ないか、と思います。


授業の中で、作品を読みながら
謙介はそういうことに気づきました。

そう考えたときに、なんだか自分からは遠い作家だった
漱石さんがいきなり目の前にやってきた、
という気がしました。

それから漱石の全作品を読みました。
それと併せて、漱石の奥さんが話して
娘婿の松岡譲が筆記した
『夏目漱石の思い出』も読みました。
Kinchan
今はこの作品は文春文庫所収ですね。
(あ、著作権法違反しちゃった♪
こんなふうに本の表紙をブログに載っける場合は
出版社の許可を得ないといけないんですよ。
あ、テーブルの写真を撮ったら、本が写っちゃった、
ということにしておこう。(笑)


謙介のもっている本は1986年発刊の
角川文庫改版21版のものです。

今、NH○で、この本を下敷きにしたドラマをやっているので
先週見ました。
今年は夏目漱石没後100周年ですからね。
 

本の中では、
鏡子さんが、漱石は「お脳の調子が良くない時」があって、
その時は大変だ、というような話をしていました。
そのお脳の調子の悪い時期が済むと、穏やかになるのだけど、、
とあった、と記憶しています。

この「お脳の調子が悪い」というのは、
謙介的には気にいったフレーズになりまして。
その後、調子が良くない時は、すべて「お脳の調子が悪い」
ということにしていました。

いやいや、今日は「お脳の調子」が良くないのです、とか。

先週ドラマを見ていましたら、
画面の中で、漱石役の長谷川なんとかさんが
荒れ狂っておりましたです。

それで、「ああそうだった、お脳の調子の良くない時期だ」ということを
思い出したのでした。

謙介なんか、相変わらずいつもお脳の調子がよくないぞ。


(今日聴いた音楽 いい日旅立ち 山口百恵歌
 1978年 今日は1980年に山口百恵の引退コンサートの
 あった日だとNH○のラジオで言っていました。
 謙介、1980年のこのころは、それこそお脳の調子が
 最悪の時期で、、うつ状態だったんですよね。
 ああ、引退するんだなぁ、ということは、当時ものすごく
 報道されたから、知らないわけではないのですが、
 あまり印象に残っていないのは、きっと自分のことで
 手一杯で、よそを見る余裕が全くなかったからでしょう)


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16. 09. 13

話し方に自信がないので

今の仕事、ここにきて、やたらプレゼンをしろ、
と言われることが増えてきてしまいました。

今の仕事にかわった時に、
ああ、これであまり話すの少なくなる、
とよろこんだのです。
大体人前で話すのにあまり自信が持てなくて、
というのか、声は変だし、滑舌はよくないし、
本当に嫌で嫌で、、。

加えてマイクを通したり、何かの時に録音された
自分の声を聞くと、あまりのひどさに、、、
よくもまぁほかの人は、こんなのを我慢して
聞いてくださっている、、ありがとう、とさえ
思います。

そんなコンプレックスがあるのに、
ふと気がつくと
前の仕事と同じくらい人前で話をする、
という機会が増えてしまって、、。

もう声は直りませんから、
せめて、間の取り方とか、速度とかで
何とかしようと、思って練習をしているわけです。

昨日はそのレッスンがありまして、
行ってきました。

お師匠さんは、元NH○アナウンサーの
加賀○幸子さんでございます。

加賀○さんが目の前で一文を読んでくださって、
その部分を同じように読む、という練習です。

加賀○さん、朗読の時は、間をおいたり、
聞いている人間に意味を理解してもらいながら
読んでいきますから、読む速度はそう早くは
ないのですが、普段の話す速度は
ものすごく速いのです。
かつ、エネルギッシュです。

ご本人は年齢をあっけらかんとおっしゃるのですが、
1940年のお生まれですから、
今年76歳なわけです。

と、いうことは、お歳のくくりでいけば、「後期高齢者」と
いうことになるのですが、、、
全然そんなふうには見えません。

授業は、先生が一文を読む、
こちらが同じ個所を読む、
その繰り返しで進められました。

ただ単に字面通りに間違えずに読んでいけばいい、
というのでは決してありません。

意味を考え、何を一番聞き手に伝えなければ
ならないか、そのためには、どこで間をとればよいのか
それを考えて読む。ことのことを叩き込まれました。

加賀○先生、
最後に、「これからも切磋琢磨ですよ」と謙介におっしゃいました。
学問や道徳に励みに励んで向上することですよ。


ひええええ「切磋琢磨」なんて一番苦手な四文字熟語ですぅ。

謙介の好きなのは、「放蕩三昧」とか「無為徒食」とかなんですけれども。
そんなことは許されません、というお顔でございました。

まぁそういうふうに切磋琢磨してこられたので、
あのお歳でもあれだけエネルギッシュなのだなぁ、と
思ったのですが。

自分にできる範囲で(笑) ぼつぼつやって行くことに
いたしますです。はい。

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