駅で降りた人間はぼくだけだった。
電車はすぐに動こうとせず、しばらく
停まったままだったのだけど、そのうちドアを
ごろごろと閉めると、ゆっくりと動きはじめた。
からんからんというのんびりとした音を
伴奏にしながら、車体を前後左右に揺らして
電車は遮断機の向こうを
ゆっくりと移動していく。
そうして白っぽいあかりを窓の外に放出しながら、
電車は、次第に小さくなっていった。
警報機は最後に二度、からんからんと
まったくやる気のなさそうな音を鳴らして止まり、
それをしおに、ぎしぎしと音を立てて遮断機が
上がった。
やっぱり満月のせいなのかな。こんなに明るいのって。
ぼくはそう思いながら、踏切を渡ると、山のほうに続く
住宅街の坂道をゆっくりと上がっていった。
そう言えば、、、と、ふっとあのころをぼくは思い出す。
こんな遅くなると、正純は必ず駅まで迎えに
来てくれてたっけ。
電車のドアが開くと、
無愛想な顔をしたあいつが立っていて。
おかえり、でもなく、遅かったね、でもなく、
ぼくの顔をじっと見て、それだけ。
「行こうか。」 って言って、後は何も言わず、
あいつは歩き出して。俺も一緒にその横を
歩いた。
並んで歩いていると、かすかに正純の手がぼくの手に
触れた、と思ったら、ぼくの手は
彼の大きな手でぎゅ、っと包みこまれるように
握られていた。 そのままぼくたちは手をつないで
夜道を帰った。
ぼくは正純の気持ちをその手で知った。
言葉に出して自分の気持ちを話す、と
いうことはしないヤツだったけど、
その手のあたたかさは、
彼の気持ちを雄弁に語り、
ぼくの中にしっかりと伝わっていた。
もう3年か。
ぼくは振り返って思う。
あいつがいなくなってから、
ぼくがひとりで過ごしてきた時間を。
ひとり、になれば、それなりにひとりで
やってこれるものだな、と。
ぼくも少しはましな人間になったのだろうか。
進歩はしたのだろうか。
どう思う? まさずみくん。
いつか住宅街が途切れて、道の両側には
畑が拡がっている場所に来た。
こんもりとした竹やぶが見えてきた。
その竹やぶの前の小さな古い一軒家がぼくの家。
正確には、なくなったおばさんの家だったけど、
おばさんが、いなくなった後、ぼくが借りて
そうさなぁ、 もう10年になる。
はぁ、疲れた。
とりあえず風呂に入ってゆっくりしたい。
どうせ明日は休みだし。
のんびり入浴。
ぼくはしばらくお湯のたまるのを見ていたけれど、
待ちきれず服を脱いで、浴槽に入る。
ふぅー
身体中の力が抜けて、とろけそうになる。
気持ちいい。極楽極楽。
風呂場の上の方にあるガラス窓の外がやたらと明るい。
すりガラスの向こうに白っぽく見えているのは
月だろうか。
ぼくは、立ち上がって、ガラス窓を開けてみる。
射しこむ月の光。
うぉー、なんだかすごいぞ。
ぼくは、風呂場のあかりのスイッチを切った。
白い光が、柔らかく風呂場に入ってくる。
全然暗くないや。
ぼくは浴槽の中でおもいっきり足を伸ばした。
しばらく浴槽の中につかってぼんやりしていると、
風呂場の外で、がたがた、という音がした。
え? 何? ぼくは慌てる。
ガラス戸の向こうに白いぼんやりとした
人の影のようなものが映っている。
あ、え、どろぼうか?
何だ、何だ。どうしよう。
ぼくは焦った。え、さっき家に帰ってきた時に、
玄関のカギ、ちゃんとかけたよな。えーっと、、
どうだったっけかな。
それに、こ、こんな、ボロ家なんか泥棒に入ったって
金なんかあるわけないじゃないか、
えー、マジかよー。どろぼうだったら、どうしようか。
何か、武器になるようなもの、
たとえばこのヴィダルサスーンのシャンプーの
ボトルは、武器になるだろうか?
そのときだった。
白い人影は、戸の外からぼくに言った。
「俺だよ。」 とガラス戸の向うの白い影が言った。
「え? 正純? 」
「ああ。」
「ちょ、ちょっと待って。」
ぼくは、恐る恐る戸をあけて、外を見ると
見覚えのある青いジャケット姿のヤツがいた。
「俺も一緒に入っていい? 」
「ん。」
ぼくの喉の奥から出てきたのは、ただ
ん、という言葉にならないような音だけだった。
外で服を脱ぐ音がした。やがて戸が開いて
正純がこちらに顔をみせた。
「やぁ。」
ぼくは思わずふきだしてしまった。
「やあ、ってさぁ。」
「何だよ。」 そういいながらヤツは浴槽の湯を身体にかけている。
「入るよ。」
入れさせてくれる? でもなく、入ってもいい? でもなく、
それは入るよ、だった。
ぼくは答える言葉を失ってただ黙っていた。
ヤツの身体の匂いがふっと、して、ぼくの目の前に
その大きなかたまりが視界を圧するように迫ってきた。
「俺が下になるから。」そう言って正純は僕の身体を
少し押した。
「あ、」声にならない声がぼくの喉からもれた。
ぼくが少し身体を浮かせた隙間にヤツはするり、
と自分の身体をすべりこませた。ぼくの身体は
正純の大きな身体の中に、後ろから大きく
抱え込まれた形になった。
「お月夜だね。」
「月の光って、結構明るいんだね。」
「そりゃそうさ。」
「どうして? 」
「狼男を豹変させる魔力だってあるんだ。」
「あ、はいはい。,,,,,でも、なんかこの月の光を
こうして浴びながらいるとちょっと別な世界にいる、っていう
感じがする。」
「どう? あたたかい? 」彼がぼくの耳元で
小声でそう聞いた。
「う、、ん。」
身体全体が包まれるような気持ちよさ。
こんな感覚は本当に久しぶりだった。
「オマエ、少し痩せたんじゃないのか?」
「う、、ん。 どうかなぁ。」
「まさくん。」
「うん? 」
「どこに行ってたのさ。」
「うん? ああ。」ヤツは寂しそうに微笑むだけで、答えない。
「どこにいたの? 」
「だから、帰ってきた。」
「もう、どこにも行かない? 」
ぼくはヤツの顔を見ようとして、首を一生懸命後ろに
回そうとした。彼は、言葉のかわりに
僕の口を、唇でふさいだ。
ぼくは必死で彼の唇を求めた。
彼もぼくの気持ちにこたえてくれた。
ぼくたちは息をするのももどかしいくらい
唇をかさねあった。やわらかな唇の感触が
ぼくの中にすっかりわすれかけていた
正純の記憶を次々に呼び起こしてきた。
「さみしかった。」
少し唇が離れたとき、ぼくはこらえきれずに
そう言った。そう言うと一緒に涙があふれた。
「------」
「もう、いなくなってどうしようかと思った。」
「------」
ぼくはキスの間にそんなことばをとぎれとぎれに
ヤツに言った。
「泣くな。」
彼はそう言った。
「俺はここにいる。」
そう答えた正純の目は、
それはそれは哀しそうな目をしていた。
まるで世の中の哀しみをすべて見据えてきたかの
ような。哀しい目だった。
ぼくはその目を見ていると、もうそれ以上
何も言えなくなってしまった。
「まさくん。」
「うん? 」
「あったかいや。,,,,,,あ。」
「何? 」
「おっきくなってる,,,,,よいしょ、っと。」ぼくは、
身体を回して向かいあうように座りなおした。
もういちどぼくは彼の唇を求めた。
ぼくの気持ち、ぼくの思いはどれくらい今、彼に伝わって
いるだろうか。ぼくはもどかしくてならなかった。
「あっ! 」
ぼくは、その大きくなったものを握ると正純が声をあげた。
「気持ちいい? 」
「うん。 あ、 ...... 」
ぼくは、彼のを大きくなったものを見ながら
手を上下させていた。すると、彼がぼくのあごを軽く握って
上にあげた。近づいてくる彼の顔。 唇が軽く、触れるか触れないか
くらいに、そっとあたる。そうしておいて、今度はぐっ、と顔が近づき、
ぼくの口の中に舌がさしこまれる。
彼の舌がぼくの口の中に入ってくる。
ぼくは彼のすべてが欲しかった。
毎日のルーティンな生活で、ぼくがすっかり
忘れ去ってしまっていたものが、急に
噴き出してきた。
しかしぼくはそのことを決して忘れていたのではなかったことを
改めて知った。
それは、出口を失って、そこにただただあっただけなのだ。
ぼくの身体の反応はそんなことを改めてぼくに強く
訴えかけてきていた。
息をするのももどかしい。
ぼくは彼の口を必死でむさぼった。
彼の息づかいがぼくのすぐ前で聞こえる。
ぼくは彼を彼のすべてを全身で感じたかった。
今というこの瞬間を、ぼくは永遠に感じていたい、と思った。
「あ、あ.....はあっ! あ、あぅっ!」
彼がぼくの乳首を少し力をこめてつまんだ
瞬間、思わず身体の奥からこみあげてくる
大きなかたまりに身体を貫かれて、ぼくはあっけなく射精していた。
ぼくは身体ががくがくと揺れた後で、
正純の広い胸の中に倒れこんだ。
しばらく何も言わず、ぼくはその胸の中で
じっとしていた。静かな中で、彼の心臓の音だけが
ぼくの中にあった。
「なぁ,,,,」 しばらくして正純がぼくに話かけてきた。
「うん? 」
「月見に行こう。」
「え? 」
「ホラ、この竹やぶの向こう側に池があるじゃない。
あそこに行こう。」
「行こう、って今から? 」
「うん。」
「俺、もうちょっとこうしていたい。」
「行こう。」
「そんなぁ。今から外、なんて風邪ひくかもしれないじゃないか。」
「よく拭いて、暖かくして行けばいい。」
正純はこういうとき、一切ぼくの話は聞いてくれなかtった。
行こう、とは言うけれど、本当は行きたい、だから行く、じゃないか、
ってぼくはいつも思う。
ヤツはぼくの身体を抱えたまま、ゆっくりと立ち上がる。
「えーー。マジ? 」
「うん。」
「はぁ。」
一度言い出したら、もうどうしようもない。
ぼくは、ため息をひとつ吐くと、頭をかきながら、彼から離れて
タオルで身体を拭きはじめた。
竹やぶを抜けると、そこに池があった。
向こう岸に桜が植えられていて、何本もかたまって植わっているものが
月の光に照らされて、白っぽい靄のように拡がっていた。
水面は月の光と岸辺のその靄のような桜の木を映して
あたりは静まりかえっていた。
「あれ、いつだったかな。こうやってここに来たよね。」
「4年前じゃなかった? 」
「よく覚えてるね。」
「だって、その次の年、、。」
ぼくがそう言った時、正純はぼくの手を強く握ってくれた。
「よかった。元気そうでいてくれて。」
「元気じゃなかったよ。」ぼくはかすれた声でそう言った。
「そうか。」
「どんなに寂しかったか。どんなに、、どんなに、、」
「会えて、安心した。.......俺、もうそろそろ行かなきゃ。」
「------」 ぼくは何も言えなかった。やっぱりそうだったんだ。
やはりぼくの前からいなくなってしまう。
これが現実なんだ。
やっぱりこれは,,,,,,,ぼくは、しばらく俯いていた。
正純は、どんな顔をしているのだろう。
ぼくはどんな顔をしていればいいのだろう。
こわごわと上げると正純の少し笑っている顔が
そこにあった。
あの時とちっとも変わらない顔。
ぼくの中のヤツの顔はいつもあのときのままだ。
「行かないでほしい。」
ぼくはやはり言ってしまっていた。
彼が行ってしまうことが、ぼくにはたえられないように
思えた。
彼は少し困ったような顔をして、
ただただ寂しそうな表情でかすかに笑うだけだった。
「ねぇ、答えてよ。」
「もう時間がないんだ。」
「どうしても行かなきゃなんない? 」
「------」彼は返事の代わりに黙って首を縦に振った。
ぼくは思わず彼に抱きついた。
彼も力いっぱいぼくの身体を抱きしめてくれた。
正純の身体のあたたかさ、ぼくは、ぼくは,,,,
が、しかし、すぅっとぼくの身体はいつか正純から離されて
しまった。
「じゃあな。」
差し出したあいつの手を、ぼくは両手に包んで、力を込めて握った。
ぼくの手が離れると、ヤツはゆっくりと歩きはじめた。
「まーくん。」
「泣くな。また必ず来るから。」
そうして彼はゆっくりと桜の靄の中に消えていった。
ぶぇーくしょん
顔が水の中にすっかりつかってしまって、
ぼくは目をさました。
射し込んでいたいた月は、すっかり窓からは見えなくなって
浴槽のお湯もすっかり冷えてしまっていた。
シャワーを浴びて、もう一度身体を温め、ぼくは
ながいながい入浴を終えた。
あれから、3年。
ぼくが喪ったものは元に戻ることはもうないけれど、
あしたはあいつの好きだったイノダのコーヒーを魔法ビンにつめて
「東大谷」に眠っているヤツのところに持って行ってやろう。
眠る前にぼくはそう思った。
× × ×
rhinoさんに、俺、小説を書きたいんですけど、何かキーワードを
いただけないでしょうか? と相談したら、「踏み切り」なんてのは
いかがでしょう、というお題をいただきました。
そこで「踏み切り」をきっかけに話を書いてみました。
お読みくださったみなさん、最後までおつきあいくださいましたこと、それから
キーワードを与えてくださったrhinoさん、どうもありがとうございました。
(BGMは、素直に森山くんの「さくら(独唱)」 がよろしいかと。)
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