おもうこと

18. 05. 07

非効率

最近、日本の企業なんだけど、
社内の会議を英語で行う、とかいう会社が
ある、と聞きました。

山口県に本社がある某衣料製造販売会社では
会議を英語でするようようにしたそうです。

ふーんと思っていたら、
その会社の会議、2段構えだった、
ということがわかりました。

第1段の会議は英語でやって、
その中で特に重要な主題の会議は、さらに2段目、
今度はその会議を日本語でやり直しをして
最終決定するんだそうで。

最初の会議は英語でやっておいて、
さらに大事な会議は日本語で
する、って、、その意味がわかりません。

そういうのを非効率、とか時間の無駄
というのではないんでしょうか???


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18. 04. 26

春が来て

4月ももう下旬。来週は5月になります。

どうしたものか、謙介は3月から4月の
この時期になると、高校から大学に入ったころを
いつも思い出すのです。

謙介の高校時代は、本当に面白くないものでした。
進学校で、勉強勉強とばかり言われて、、。

加えて家の中もいろいろあって、
今でこそ時が経って家族関係も修復されましたけれども
もう家族関係も破綻をしていて、、

そんなこんなで
あの時は、小説を読む、ということに
逃避していたのかもしれません。
1日に4冊同時進行で小説を
読んでいたこともあります。

学校に行くとき、学校の休み時間に
学校の帰り、家に戻って、
と4冊の本を読んでいました。

そんなことで内容は覚えているのか?
と言われたら、それが不思議と覚えていたのですよ。

きっと感性もみずみずしかった(笑)ですし
若くて記憶もしっかりと
刻み込まれて、いたのでしょうね。


本当に規制規制規則規則ばかりで、
なんの自由もなくて窒息しそうな気がしていた
高校から、大学に入って、
本当にいろいろなことで楽になった、
のを覚えています。

当時の大学って、入学式が遅くて、、
謙介の行ったところなんて、入学式は
4月の20日ごろだったように思います。
4月になって周囲の連中は入学式があって
すでに大学生だったのですが、謙介は
入学式がまだだったので、ずーっと宙ぶらりんなまんまで、、

そんなときでしたか、ひとりふらっと歩いて
妙心寺に行ったことが
ありました。


それまでは、買い物のついでとか、どこかに行くときに
妙心寺の中を通って、という程度で、
わざわざ妙心寺に行く、ということはありませんでした。

ですが、その時は、その宙ぶらりんな自分の気持ちに
妙心寺の境内のたたずまいは、すっと入ってきたのです。
いつもは通るだけで、方丈の中にわざわざお金を出して
入る、ということはありませんでした。

その時、方丈の縁に座って
春の空をぼんやりと眺めていました。
塀を越して、向こうに松の木々が見えて、、
この先、どんなことになるのかなぁ、と
想ったりしました。
よほど印象が深かったのでしょうね。
その時のことは今もはっきりと覚えています。

年上の友達から、今年繰り上げ退職をした、
というメールをもらいました。

そうか、もうそういうことが視野に入ってくるように
なりつつあるのか、ということを思って
時の流れの速さを改めて思った次第です。

そんなことがあったために今年の春はいつもより余計に、
時の流れについて考えざるを得ない春でした。


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18. 02. 22

家の匂い

この時期、寒いのでみんなコートとか
ダウンジャケットとかジャンバーを着ます。

でね、
こちらの近くで、そうしたコートとかジャケットを着たままで、
その人が身体を動かしたりすることがあるわけですよ。

そんなふうに体を動かすと、不意に、
ジャケットの間から、
その人の家の匂い、というのか、空気が
ふわっとこちらに匂ってくることが
あります。

いえ、その匂いがくさいとか
言うんでは決してなくて、

ああなるほど、この人の家は、こんなふうな
匂いがしているわけだ、とか、
分かったりするのが、
結構興味深かったりする、
ということなんですけど。

そういう匂いについて感じているのは
謙介だけなんだろうか、
とか ふと思ったので、
ちょっと書いてみた次第です。

謙介のうちの場合は、この時期
石油ストーブの匂いが濃厚にあるように
思います。

今日は短めですが、これで。

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17. 09. 28

2008個目

この投稿で2008個目の投稿です。
2000とか、きりのいい数字でなくて、2008、
というところが、、、(笑)

最初はホームページにしていたのですが、
ブログに移行しました。
移行して驚いたのは、
アクセス数が増えたことでした。

それまでのホームページなんて
多くて一日2ケタで、
少ない時は、3人とかいう時も
ありました。

それとキーワードで検索をして
訪れてくださる方も増えました。

ブログはキーワード検索からヒットする場合が
多いですね。


ツイッターは、言葉の切れ端でしかないので
好きではありません。 

実は、人を納得させるための文章を書く場合、
日本語の場合、やはり200字程度は必要だ、
というのが分かりました。

どうしてそんなことが言えるのか、といえば、
いろいろな人の書いた企画書とか
計画書を見て、字数を拾っていったのです。

さすが! という企画書の文章は
大体200字でした。

ツイッターだと、ちょっと前まで140字でした。
今は制限が若干緩和された、と聞きますが
ツイッターで200字も書いている人はまれです。

断片としての感情の吐露はできるでしょうけど、
まとまった考えを書く、というのは、
人に自分の考えを言う、ということでは、
ツイッターではできないと思います。

そういうことでツイッターには移行しませんでした。


最近は、仕事がとみに忙しくなって、
なかなか更新が思うようにできません。
それが悩みです。

9月は9月で結構忙しかったのですが、
来月は締め切りの仕事が2つあるし、
その間を縫って別の仕事がどんどん
入ってきています。無事に10月を
終えることができるのか?
と思いますが、、。

更新のペースは落ちると思いますが、
身の回りのことを書いていきたいと
思います。
よろしかったらお付き合いをお願いします。


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17. 08. 07

あまりになにもない

この時期、というわけでもないのですが、、、。

古い戦前の写真を見るのが好きです。


写真に撮って、残すのですから、
そうした写真というのは、

その街を代表するような立派な建物だったり、
繁華な街並みとか
名所旧跡であることが多いわけですね。

ただ謙介的に、ことに惹かれるのは、繁華な街並みを
写した写真です。

そういう写真には、垂れ幕とか
店の看板とか、もちろん当時の人が写っています。

そこに写っている人を見て、
どんな生活をしていた人なのだろう、
と、つい、あれこれと想像してしまうわけです。

先日、機会があって、戦前の広島の
写真を見ることがありました。

昭和10年の写真でした。

今は平和公園の一角になっている
旧の中島本町に慈願寺、というお寺が
ありました。そのお寺の小さな山門が
写っていました。

その門前では「盆灯篭」を売っていました。
ですが、その売っているおばさん、
暑さのせいで、灯篭の置いてある樽の横の
長い床几に横になって、涼んでいる、
というのか、うつらうつらしているようでした。
(それで商売になっていたのか 笑)

そこには、夏の昼間ののんびりとした
時間が流れているかのようでした。
おそらく蝉の鳴き声だって聞こえていたでしょう。
夏休みの子供たちの歓声だって聞こえていたでしょう。

街をゆく物売りの声だって響いていたかもしれません。
そうした日常がこの街にはあったのです。

そしておいて、10年後の写真を見るのです。
そこには、全く何もない、というのか
あまりになにもない、のです。

当時の中島本町は広島でも屈指の賑やかな
街であった、と記録にあるのですが、、、。

人の暮らしの跡はもちろんのこと、
その写真にはただただがれきの荒野がそこに
あるだけです。

そのお寺のあった場所からそう遠くないところに
建っている原爆資料館へも何度も行きました。
そこには、数々の遺品が展示されていますが、
それは「まだ、遺品として残ったもの」
ということなのでしょう。

原子爆弾の炸裂直前まで、その街で生きていた
おびただしい人の生活、暮らしのありさま、
そうしたものを想像しようとする意識の
一切を、その原子野は拒否している、
と謙介には映りました。

あまりにそれまでの生活がそこで断ち切られてしまって
いて、本当にそこから次が、もうどうしようもないのです。

それが却って
戦争、というものの意味、を自分に強く語りかけて
来た、ということです。

戦前の広島の写真を見ながら、そんなことを
思ったのでした。

今日聴いた音楽は、もうこれしかありません。
広島と言えば、、、。

この歌、森山さんが歌っていたのですね。

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17. 05. 25

後ろむき人生

最近、謙介の仕事場の街の放送局が
「ゆめモグ」とかいうキャンペーンをやっているのです。

それは何かと言えば、小学生くらいの子に
将来は何になる、とか何になりたい、
という夢を語らせて、その夢を大切に持たせる、
という運動なんだそうで。

これをお読みのみなさんは、
小さいころに、将来はこういう職業に就きたいとか
こういう人になりたい、というようなことがありましたか?

謙介はね、そういうのが全くなかったのです。

全然思いつかなかった。

小学校の時だったか、図画工作の時間に、
自分の将来なりたいものの絵をかきましょう、
というテーマで絵を描かなくちゃならない時があって、、。

周囲の人は、画家になりたい、とか
野球選手になりたい、とか、
何だかもう決まっていたらしくて、
さっさと絵を描き始めていたのです。

しかし謙介なんて、将来のなりたいものが
「さぁ、、?」の段階ですから、
そこからまず考えないといけなかったわけで、、。
本当に困りました。

それでね、「お坊さん」になりたい、ということを
言って、お坊さんがお経をあげているところの
絵を描こうとしたわけです。

そうしたら、担任の先生が
「変わっている」とか言って、、
結局その絵をかきあげて、学期末の保護者懇談会で
返してくれたのですが、「お坊さんになりたい、
ということを彼は言っています。、お家でよく話してください」
というようなことでした。

そのニュアンスが、あからさまに「お坊さんは
感心しない」というような考えに基づいていた、
というのは、子ども心にもわかったのでしょうね。

大体が大きくなったら、こういうものになりたい、
というのもなかったですし、その中から必死に
ひねり出してきた「お坊さん」というのも否定されて
しまって、謙介はますます
大人になったら、こういう職業につきたい、
というようなことは全く考えなくなってしまいました。

それともうひとつ。

多分小さい時から書道なんかやっていたことも
理由のひとつになるのかもしれません。


字のうまい、下手を見てしまったから。

大きくなってこんな職業につきたい、とか言ったって、
「才能があらへんかったら、どないしようもないで」
とか、みもふたもないようなことを
思っていました。

「大人になったら、何になりたいの?」というような
大人はそういうの要求したがるんですけどね。
夢があったらいいじゃないか、
と言っている人がよくいますが、、、、


夢に向かって努力する、と言っても
「どうしようもない」場合だってあるよ、とか。

それで、そういう夢を持つって、
必要なことなんですか? 
と真顔で聞いてみたいのです。

大学に入学する18くらいでさえ、
今思うと自分のことなんて全然わかっていなかったなぁ、と
思います。自分の場合は25を過ぎてからでしたねぇ、

そこで、
自分の場合は、仕事として何ができるのか
何だったら、我慢してでもできそうか、
と考えていって、消去法で自分のできそうな
仕事を出していきました。
いくつか出したうちのひとつが、今の仕事ではあります。

まぁそういうふうに先のことは全然考えようとか
しないくせに、

過去のことは思い出して
しみじみと感慨にふけったりすることは
ものすごく多いのです。

実はこのところ、ずっとその状態が続いておりましてですね。

というのもNH○で毎回楽しみに見ていた
『京都人の密かな愉しみ』が終わってしまったから、
ということが一番大きいわけなのです。


あの番組の中に出てきた京都のそこここを
見るたびに、「ああ、あそこはあの時に○○さんと
歩いたなぁ」とか、ドラマの撮影に使われた
相国寺とか妙心寺の塔頭とかを見るたびに
ドラマの筋とは関係ない個人的な思い出が
後から後から浮かんできて、、ふう、とため息を
つくようなことがこのところ続いているから、なのです。

「未来の夢を語りたい」前向きな人からみれば
やたら「過去の思い出を語りたがる」人間は
後ろ向きで、非生産的で、と言われるんですけどねぇ。

でもね、自分の場合は、
その思い出が自分の生きる糧、になっているのです。

あの時に見た、西山に沈んでゆく夕陽、
春の宵、嵯峨で見た満月、
夕方の渡月橋、
黄昏時の太秦三条の商店街
上賀茂の御薗橋から見た時雨の北山、
叡電で上がった貴船の新緑
いろいろな風景が季節の折々に浮かんできます。

その記憶とともに一緒にその場にいた人のことも
思い出します。
中にはもう会えない人もいて(そんな人のほうが
ずっと多くなってしまいました)

その人の声と、一緒に見た風景を重ねて思い出します。

毎日の生活で荒んでとげとげしくなっていた
気持ちも、そんな回想で、少し穏やかになるのでした。



とおいひはにどーとかえらない
ゆうやーみのかつらがわーっと。


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17. 05. 19

椅子の違い

今日は簡単に。

これって、どういう意味なんでしょうか、ね。

20170518hyokei02


Koike


Onaga


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17. 03. 20

歳のとりかた

こないだ、小沢健〇さんが、ずいぶん久しぶりに
新曲を出すことになって、ついてはあちこちのマスコミに
出てた、ということがありました。
その中の番組の一つを偶然見たのでしたが、、

歌う時、声が、全然出ていなかったし、、
歌い方にもなんだか変なくせが出ていて、、
聴いていて正直、きついなぁ、と思いました。

昔、アイドルとか言われて、もてはやされた人って
特に歳の取り方というのが、
難しいなぁ、と改めて思ったことでした。

しかしどうしたものでしょうねぇ、
前にも↓のようなことをお話しましたが、、
若い時は変なくせもなくて、そのままで
素直に歌っていて、それが良かったのに、
歳を経るにつれて変なくせがついてしまって、、

今度は逆のパタンなのですけど。

それから数日のち、
ぼやーっと(まぁ要するにいつものように)
テレビのCMを見ていましたら、某自動車会社の
CMで「おじいちゃんと私」というシリーズが映ったのを
見たわけです。

風間杜○さんがおじいちゃんになって、
孫娘と一緒に「初恋の人に会いに行く」というような
ドラマ仕立てのCMでした。

その時、小沢さんのことも忘れて、
今度は風間さんがおじいちゃんねぇ! 
としみじみ思ってしまったのです。

(まぁ芝居というのか、そういう設定だった、という
ことなんでしょうけれども)

というのが、謙介、実は、今月の11日に風間さんの
落語の会に行ってきて、生の風間さんを
目の前で見てきたばかりだったところだったのです。


謙介がはじめて風間さんの芝居を観たのが、
つかこうへいさんの芝居、
『戦争で死ねなかったお父さんのために』でした。
あのころつかさんの芝居を謙介はずーっと見ていたのです。

京都会館で『広島に原爆を落とす日』を見ました。
それから、81年の冬に四条烏丸のシルクホールで
『銀ちゃんのこと』を見ました。これがのちに改題されて
『蒲田行進曲』になったわけですが。


そういうことで、つかこうへいさんの芝居を通して
風間さんの芝居はずいぶん見ていた、のです。

今にして思えば、そのころはまだ風間さんが30代
だったのですね。

確かにそのころと今では、ずいぶんな歳月が
経過してしまいました。
そして風間さんも68歳になったのでしたが、、

でも颯爽と歩く姿といい、その語り口といい、、、
並みの68歳の人とは全然違う身のこなしでした。


そんな人に
おじいちゃん、というのはちょっとなぁ、と思いました。


若いころはさほどそういうことは考えなかったのですが、
最近いろいろな人の歳の取り方、というのを
注意してみるようになってきました。

(自分もそういうことをよーく考えるようになったから、
なのですが)

成熟ということ、大人になる、ということは
この日本社会ではなかなか難しいことだと思うのです。

 

(今日聴いた音楽 悲しくてやりきれない 
 北山修 加藤和彦 歌)

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17. 02. 09

事故に遭って

この間短信でお知らせしましたように、
追突事故に遭ってしまいました。

1月28日の夕方のことです。(4時半ぐらい)
その事故、というのが
交差点の信号待ちで停まっていたら、
後ろからどーんと追突された、ということでした。

出てみると、バンパーが押されてずり下がっているし
ランプは壊れていて、その下のナンバーも折れ曲がって
いました。


向こうの車は、GTウイングのついた
レーシング仕様のRX-7です。
↓こんなの
P1

運転していたのは30代の女の人でした。

まずは警察に来てもらいました。
警察の人の聴取は10分ほどで終わりです。


こちらの車は止まっていて、
追突された、ということなので、
事故の負担は100対0ということに
なりました。


事故の場合、この車が止まっている、いない、
ということが、いかに大きなことになるのか、
ということを前回の交通事故で謙介痛感していました。

前の事故の時は、状況判断せずに、
交差点の手前で車線変更してきた
車にぶつけられて事故に遭ったのです。

ぶつけられたのは後ろ側のドアでしたし、
そんなもの視野の範囲外で、向こうが左右の確認も
せずにいきなり車線変更したためにぶつかってきたのですから
向こうが全面的に悪いじゃないか、と、謙介は主張したのですが、

こちらも低速ながら動いていた、
ということで、責任の負担割合が
85対15ということになったのです。

こちらとしては、ぶつかってきたのは、相手側なんだし、
しかも謙介の車の後部です。こちらとしても
突然車線変更してきたとしても、避けようが
ないじゃないか、ということを主張したのですが、
こちらも動いていた
ということで、そういう割合になりました。

その時に、事故の際の負担割合は、
車の状態がどうだったのか、
ということが大きな判断材料になるのだ、
ということを謙介は知りました。


加害者の人の住所・電話番号を聞いた後、
何とか自力走行できそうだったので、
いつも整備をお願いしているディーラーにまず
電話をして、それから、そこに車を運び入れました。

事故をしたところが、県境付近の遠いところだったので、
整備工場に行くまでに小一時間かかってしまいました。

それから謙介のほうはとりあえず、代車を借りて
戻ってきました。

とりあえず、身体は動きましたが、やはり
精密検査をしてもらおうと思いました。

しかし事故に遭ったのが、
土曜の夕方だったこともあって、
加えて病院の全然ないような田舎の場所だったので、
結局病院に行くのは、月曜ということになりました。

普通だったら、そこからは相手方の入っている
自動車保険会社の担当との話になると思いました。

最初は相手の人は、自動車保険の会社名を
言っていたりしていたのですが、
よくよく聞いてみると、その人の手違い(と本人は言っている)
で任意の保険に入っていなかった、ということが
分かりました。


自賠責は入っていたようですが、
その保険では、こうした時の修理のお金とか、
こちらが病院に行った時の費用とかが
出ないのだそうです。

今回の事故のような場合の補償は、
任意の保険から出るような仕組みなのですが、
それはあくまで「任意」の保険です。
加入してもしなくてもいい、という保険です。

で、その人は任意の保険に、入っていない、
ということでした。


任意の保険でも、最近では保険料が安くて
補償は手厚い、というCMをよく聞きます。

よくテレビだのラジオとかネットで
走行距離に応じた自動車保険、
お安い保険料、とか言っているCMを、見たり
聞いたりするのですが、
その保険会社で一度シュミレーションをして
みたことがありました。


データ入力の時に、一か月の平均走行距離は
何キロですか? という設問があって、2500キロ
と打ったら、「それは年間総走行距離ではありませんか?
もう一度確認してください」という表示が出ました。

「だーかーら、一か月の走行距離が2500キロなんだ」ってば、
と思いながら、打ち続けました。

そうしたら謙介の場合、走行距離が年間3万キロなので
保険の年額が10万円ちょっと、と
提示されました。


ちなみに謙介が今入っている、
やたら長ーい社名の自動車保険の会社の保険料が
年間で7万程度ですから、10万という保険料は、
却って割高だなぁ、という結果になりました。


ですが、事故になると、想像もしていなかったような
状況が起きますし(実際起きました)
こんなお金が要るの? というようなことも多々あります。

整形外科に行く、交通費だって要りますし、、、。


よく保険に入るときに、オプションとして
いろいろな特約を保険会社の人が言ってきます。
正直、そういうの、面倒くさいしお金がかかるし、
嫌だなぁ、と思ったこともありました。

それはラーメンのトッピングと同じようなもので
基本のラーメンの値段は680円でも、ネギに煮卵に
チャーシューにと言っていたら、ラーメンの
お代はたちまち1000円を超えてしまう、
というようなことと同じですよね。(笑)


謙介の入っていた保険の特約の中に、
今回の場合のように、加害者側が
任意保険に入っていなくて、加えて
こちらの落ち度がない場合については、
自分の入っている保険のほうから補償を
してくれるという特約を使うことができました。 

自分の保険を使ったから、と言って、
次年度、保険料率の変更はないとのことです。

あれこれ特約をオプションでつけていましたし、
保険料も高いなぁ、と思ったのですが
今回は、その特約が生かされて、それで補償ができた、
のです。


事故をいろいろと経験して思ったのは、
事故というのは、
単に車と車がぶつかりました。そうしたら保険の補償で
車を直します、というだけではない場合も多いわけです。

通院にかかるお金だって要りますし、通院費用だって
要りますし、最悪の場合、身体にいろいろと後遺症だって
残るとかする場合だってあります。

そういう時に、どれくらいの金額まで、どんなふうに
保障してもらえるのか、ということは、やはり
保険に入るときによく確認しておかないといけない、と
改めて思いました。


謙介の場合は、保険の担当の人が、こういう場合は
こういうところまで補償します。この場合はこうなります、
と20分くらいかけて説明をしてくれて、こちらも
質問をして、また答えてくれる、ということで
1時間くらいそれについての説明とか質問をする時間を
作りました。

車にあまり乗らない、という人であれば、
掛け金の安い、ベーシックな保障のタイプのもので
良いとは思いますが、謙介のように、年間の走行距離が
結構な数字になる、という人間は、やはりいろいろと
保障を手厚くしておいたほうがいいなぁ、と思いました。

それから、以前ネットの保険でシュミレーションした時に
感じたのですが、ネットの保険って、
そういう細かい補償についての説明がちょっと不十分だな、
と思いました。 

というのが事故が起きると、そのケースケースが本当に
いろいろあるわけです。

ところがネット上だけの説明ですと、
保険会社は、都合の良いようなことしか
書いていない場合があります。

よくよくこの場合はどうですか? ということに
なったら、それは適用の範囲外なので、補償できません、
と言われることも多々あるそうです。(知り合いの話から)

だから、やはり、保険の担当者に、いちいち、こういう場合は
補償してくれるんですか? できないんですか?
と聞いて、確認をして、その上で納得して
保険に入るほうが良くはないか、
と今回の経験を通して思いました。


事故に遭ったのが、1月28日で、
きょう、2月9日に、車の修理代が入金されたとかで
工場で修理開始になったそうです。
保険会社と車の修理工場間の手続きだったら
もっと速くに対応してもらえていたと思うのですが、、
後、まだ1週間は代車に乗って移動しないといけなさそうです。

今、代車に乗っているわけですが、、。
その代車が、ディーゼルエンジンの
日産キャラバンなんですよ。

Daisha

ワゴン車なので、背が高い!
いつも乗っているのが、小さくて背の低い車なので、
うわーこんなに見晴らしがいいのか、と、
そっちにびっくりしています。
それと、車長がやはり全然違うので、いつもの
小さい車を運転しているのとは全く違った
ハンドル回しをしないといけないので、それに気を
遣います。

毎日土木現場の作業員の送迎バスを
運転しているような気分で、、、。

こんな車を運転する経験をするなんて、、
とそのことにも驚いています。

人生、どんな経験をするようなことになるか
分からないものだなぁ、と改めてそんなことを
思ったりしたのでした。

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16. 11. 20

訊いたのであれば、きちんとこたえるべき

二番目の職場の上司だった人が、
よく言っていた言葉に、「アンケートをするとか
調査をしたのであれば、その回答は必ず回答した人に
こういう結果が出ました、ときちんと示さないといけない」
と言っていました。

謙介が就職しころなんて、まだ情報公開なんていうことを
言っていなかったころだったのですが、その時の上司は
すでにそういうことを言っていました。

調査したのであれば、それはすべてきちんと公開すべき
本当にそうだと思います。
自分もいろいろな調査をしてきましたが
その結果は必ず公示してきました。

で、先月、国から調査が来たのです。
その調査は毎年10月の初めに公文書が送られてきて
11月の10日までに回答しろ、ということでした。

その調査の結果については、一応、
冊子体のものが送られてはきます。


まぁ毎年のことですから、8月の末くらいに準備を
していて、公文が来たら、すぐに回答する、
というふうにしたのですが。

謙介さん、いつもその調査の回答集を見て、
ちゃんと結果を出せよ、
(この場合はこの言い方で正しいのです。)
と言いたくなるのです。

というのも、調査の中に、特記事項というのが
あって、その団体ならでは取り組み、実践例を
書きなさい、という欄があるのです。

毎年、その欄もきちんと書いているのですが、
送られてくる調査集計集には、その部分については
回答が省略されていて、何も書かれていないのです。


調査集計集に出ているのは、
データの蓄積とその平均値だけです。

そんなもの、各回答を集積して、平均値を出す
プログラムさえ作っていれば、
アッという間に出るはずです。

問題なのは、そんな数値だけでなくて、
むしろ、回答したところが、どのような
特徴ある活動を実施しているのか、
というところであって、そういうことこそ
こちらは知りたいのですが、、、、。


上司の言っていた、
「訊いたのであれば、きちんとそれにこたえろ」」
ということができていないような集計集をもらっても、
それは「全然つかえねえ」というものです。

うちの上司、こうも言っていましたよ。

「訊いたものを答えられないのであれば
最初から訊くな。」


ましてや、民間企業の市場調査などではなくて
国の役所が行う調査なのですから。

そんな調査の基本すらできていない調査、、
毎年回答をしていて、不毛感だけが残るのです。

今度機会があったら、言ってちゃんと回答集を出してくれ、
と言おうと思っています。


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