「わがあこがれの美の郷」は?
謙介、こないだから、ずっと↑の
組子さんが自死した事件のその後の報道を
見ています。
たぶん自分自身も、小学校から果ては大学院まで、
いじめやらアカハラに遭ってきました。
辛い辛いことがあって、もうどうしようもなくて
追い詰められて、もうどうしようもない、
というところまで行ってしまって
残った考えは死と言うことしか思い浮かばなかった、のでしょう。
親御さんにしてみても、大切に育ててきた娘さんだったのに、
愛する自分の娘をそんなことで喪わなければ
ならなかったご家族の心境はを想像すると、
こちらまでもらい泣き
してしまいます。(おっさんは涙もろいもので)
あそこの上級生による指導と言う美名による
しごきというのかいじめはもう昔から有名でした。
いじめの話を最初に聞いたのは、オヤジからでした。
オヤジの友人が、元そこにいた方を奥さんとして
迎えたのです。
その奥さんの子どもさんが中学に入って
ある運動系の部活をはじめたそう。
ところがトレーニングがきつくて、辞めたい
ということになった時に、「あんたなぁ、
〇〇の練習なんてそんな甘いもんやないねんで」とか
言ったことがあったとか。それをたまたまオヤジが
聞いていて、「そんなにきついんか」ということで
いろいろと聞いたのだそう。それを話してくれました。
もうそれはずいぶん昔のことですが、、要するに
あそこの体質はもうあれでずーっとやってきていて
しかもそれを「誇るべき伝統」としてきていた、
ということなのでしょう。
よく教育界がブラックといわれますが、
今回のことは、その「教育界のブラック」の考え方と、
日本の伝統的な芸事は「血のにじむような努力が必要」
という考え方があって、「芸の向上には苦労をしないといけない」
というのが、間違った方向へ進んだ結果なのではないのか、
ということを謙介は思っています。
何でも根性で乗り切れ、ということです。
そもそもがあそこは「劇団」ということにはなっていますが、
基本的に言うと、あの劇団は、付設の音楽学校の卒業生の
公演という解釈です。ですからあの劇団に関して言えば、
団員という言葉より「生徒」という言い方をよくします。
生徒だから、上級生の言葉には絶対服従、
どんな暴言でも「親身なご指導」と思って聞かないと
いけない、ましてや演出家の先生の意見は、
絶対である。
加えて、日本の伝統的な芸事は、
血のにじむような苦労を数多く行う、
そうした苦しいことを我慢してやってこそ
一人前になれる。
という考え方が根底にあって、ああいうことになったのでは、
と思うんですよね。
だから、あの時も、団員で亡くなった方がいたのに、
上級生が、残った人間だけで公演をしようと言った、
というのは、「弱いから、根性がないから死ぬんだ」
という考え方がそこにあって、それが言わせた言葉では
ないのか、と思います。
今度のことで、今までの悪弊にいろいろとメスが入って
変わってくれたらいいのですけれども、、
次期理事〇も恫喝するようなことを平気で言ってるし、、
謙介もああもう済んだわ、と思いました。
どうなるんでしょうかね。
今しばらく事の推移を見ていきたいと思います。
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