おげいじゅつ

17. 11. 12

お「ふろいで」(Freude!)の日(その2)

今年の9月、母方の祖母の27回忌法要を
高野山でいたしましたが、あの時で良かった、
と思いました。

実は先日の台風で、南海電車の高野線、
不通になりました。

というのか、今もずっと
不通で、年内はおろか来年のお正月にも復旧再開
は合わないかも、と言われています。

途中の上古沢駅で、地滑りが起こってしまい、
その原因究明、復旧工事完成となると、さて、
いつのことやら、だそうです。

今はふもとの橋本から高野山まで代行バスが
走っているのですが、橋本から高野山まで
2時間から3時間かかっているのだそうな。
(ちなみに橋本から特急電車、ケーブルカー、
南海りんかんバスだと1時間弱です)

実は今年の暮れに、もう一度南海電車に乗って
高野山に行きたい、と思っていたのですが、、
これでは無理です。

高野山に行くのであれば、その代行バスか、
自動車でも行けるんですけど、自分の場合、
電車に乗って行くのが、高野山へ行く楽しみの
5割くらい(笑)占めているので、
やはり電車の再開を待って、ということに
なって、でしょうかねぇ。

       ×      ×       ×


話を第九に戻します。
舞台集合時間に何とか間に合いました。
オケのみなさまも席について準備をはじめていました。

先に合唱団だけ、発声練習をして
一度合唱の部分すべてを通して歌ってみました。
合唱の監督から、適宜指示があって、
気になるところをチェックしていきました。

それが40分ほど。
そうして指揮者、ソリストも入って
ゲネプロになりました。
指揮者は藤岡(幸〇)先生
Fujioka

藤岡先生の指揮も今回で7回目になりました。
オーケストラは関西フィルハーモニー管弦楽〇でございました。
このところずーっと関フィルなんですけど。

指揮は飯森泰次〇先生と毎年交代で
振っていただいていて、今年は藤岡先生の番でした。
飯森先生は枯淡の境地(笑)
藤岡先生は、エネルギッシュで
それぞれ個性があって面白いです。

ゲネプロもいろんな意味を持って使われることが
多いのですが、うちのコンサートでは基本的に
客入れをしないで、通しで一度やってみる、
ということを言っています。


ゲネプロが終わって、今度はオケが
第一楽章からもう一度やってみる、というので
合唱団はステージを下りました。
お待ちかねのお弁当。
Toshiraku

合唱団がお弁当を食べ終わったころ、
ホールでは客入れがはじまっていました。
合唱団の楽屋には、館内の各所に置いてあるカメラから
それぞれの場所の状況がモニターに分かるようになっています。
開演前からお客さんが100人くらい並んでいてくださって、
もう本当にありがたく思いました。


そうこうしているうちに、合唱団のうち数十名の人が
舞台裏に整列する時間になりました。

というのが、うちの第九は毎年、あの有名なMの部分
「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン、、」の歌のところを
客席の人も全員で歌うことにしているのです。
その歌唱指導、ということで、コンサートより先に
その練習の時間というのがあるわけです。
それが終わってから、正式なコンサートがはじまる、
ということになります。

舞台では開演に先だってのご挨拶やら、
歌唱指導がありました。
歌唱指導に出ていたメンバーが戻ってくると
いよいよコンサートのはじまりです。
われわれは、第二楽章が終わった段階で
ステージに上がります。

第三楽章が眠い眠い。
ライトが当たってホカホカとあたたかいわ、
第九の第三楽章はゆるやかーな曲だわ、
ということで、本当に眠くなるのです。
(もうねぇ30回目なもんで、不必要に緊張はしないのです
力を抜くところ、集中しなければいけないところ、メリハリも
つくようになっています)

ということで、マエストロの指揮棒が
今まで第一楽章から延々と演奏してきたことの全否定の部分に
入ってきました。
ソリストが立ちあがって歌い始めます。

いよいよ出番がやってきました。
藤岡先生は、一緒に歌ってくれます。
でも、各パートの入りの指示はしてくれずに
指揮をして行きます。

飯森先生は歌ってはくれないのですが
合唱の各パートの入りの部分で
きっちりと指示を出してくれます。
それぞれ個性がありますが、、。

まぁ要するに指揮棒を集中して視る、
ということですねぇ。

堂々とした行進曲の部分があって、その後
オーケストラだけの演奏で緊張を高めていく部分も
あって、ホルンの呼び声のあと、
そこから突き放されたように高らかに
あの有名なMの部分がはじまります。

やっぱりねぇ、Mの部分というのは
アドレナリンがドバドバ出て、本当に
興奮しますねぇ。

で、急転直下、重々しく
「ザイトゥム シュルンゲンー」と合唱は続きます。
この辺、荘重に歌わなければなりません。
(でも、バスなのに、むっちゃ音程が高くて
声を出すのに苦労するのです)

そのあと、カノンの部分があります。
(謙介的にはこのカノンの部分が一番好きです)

この後、ソリストのカノンの部分が
ありまして、合唱が最後にからみます。

で、ここまで来ると、いよいよ最終コーナーを
まわってきます。

もう競馬と同じですね。
最後の直線コース。
マエストロの指揮棒が
馬の鞭ですね。(笑)

この後は一気呵成にコーダ(終末部)へと流れ込みます。

で、最後の「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン
ゲッテルフンケン」と歌い納めると、後はオーケストラが
なだれ込んで、大団円!

ということで今年も無事にステージに立って
歌うことができたのでございました。
善哉善哉。

カーテンコールも終わって、終わりのアナウンスがあった
直後のホールです。
この後、指揮者、ソリスト、オーケストラ、合唱団で
ご苦労様の会をやって終わりになりました。


Butai2

まだ熱気の余韻が残っている、という感じでした。

いつも練習があって、今年はどうしようかと
思うのです。もういい加減止めてもいいか、
とも思ったりするのですが、、。

終わったら、「やったー! また歌いたい」と、コロッと
考えが変わって、(笑)

なんだかんだと言いつつ、結局来年も歌うのだろうと
思います。

こうして今年の第九音楽会も無事に終わったので
ありました。


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17. 11. 11

お「ふろいで」(Freude!)の日(その1)

もう亡くなってしまった作家なのだけど、
以前、開高健という小説家がいました。

この人の小説に『日本三文オペラ』という
作品があります。

謙介、開高さんのこの作品、
高校生の時に読みました。

舞台は大阪の京橋と森之宮の間。
大阪城の東側、今、OBPとか大阪城公園、
地下鉄の森之宮電車区がぜーんぶ
陸軍の大阪砲兵工廠という軍需工場だったのです。


今はぐるっと環状につながっているこの路線の
東側の路線のことを昔は「城東線」と言っていたのです。
文字通りお城の東側の、それも軍需工場の真ん中を
電車は走っていました。


その砲兵工廠、大阪の市内にあって、
軍需工場なのですから、
当然米軍の攻撃対象になって、その結果
何度も米軍機の空襲に遭いました。
そうして、廃墟になって終戦を迎えることになりました。

金属物資なんて、払底していたこの国で
その廃墟に残った、さまざまな武器を作るための
機械の残骸は貴重な金属資源に変わりました。

と言ったって、その軍需工場は国営だったですから
本来はその機械の残骸だって、国家のものだったのですが
戦後の無秩序状態の時期でしたから、
夜陰に乗じて、そのスクラップ類をいただきに
行く人が次から次へとあらわれたわけです。

開高健の『日本三文オペラ』は、その盗みに行く人の
生活が活写されています。

面白いのは、彼らがそのスクラップを盗みに行くときの
隠語です。
「今から歌いに行くのや」と言います。
しっかりと「ブツ」を盗めた日には

「ああ歌うた(うとうた)、歌うた。よーに歌うたでぇ」と
言いました。

彼らにとってみれば、それは隠語でしたけど、、

謙介にとってみれば、一年に一回、
泥棒をしに行くのではなくて、
本当に「ああ歌うた!」という日が来たのでした。

今年も「おふろいで」を歌いに行ってました。

音楽会自体は今年で31回目になりました。
そのうちで、なんだかんだと言いつつ、
欠席したのは1回だけだったので、
謙介的には、今年が30回目、ということに
なりました。

県民ホール前です。
県民ホールは江戸時代に築城されたお城の中に
あります。なので、ちょっと櫓が見えていますですね。
Tamamo

で、これが県民ホールです。
県民ホールには、大ホールと
別棟に小ホールがありますが、今日の公演は大ホールです。
入って行くと、地元の画家、猪熊弦一郎の壁画があります。

Hall2

受付を済ませてどんどん奥に行きます。
こんな表示がありますが、

Hall3

本日は「関係者」なので
ふん、とか言いながら無視して中へ。

男声合唱団の楽屋です。
この表示はいつも謙介が書いています。(笑)
Hall4_2

舞台集合時間が迫っていたので、荷物を置いて
上はTシャツ1枚に着替え、すぐに
ステージにむかいました。
リハーサルの時には、舞台のライトもリハーサルで
あっちの照明、こっちの照明といろいろつけたり消したり
するので、そのライトのために結構な気温になるのです。
なのでTシャツ1枚で十分なのです。


舞台裏ではオーケストラの管楽器の人たちが
楽器をあたためるために音出しをしていました。
Hall5

ステージの袖でストレッチや柔軟体操をしておき、
身体をほぐしてから、舞台に上がりました。
Butai1_2


長くなりました。今日はここまでといたします。


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17. 03. 09

「官能」を遠く離れて

謙介ったら、

つい先日、
自分の人生の中でついぞ忘れ果てていた
言葉に久しぶりに遭遇してしまひました。

あまりーにも長らく忘却の彼方にあった
ので、その言葉を見た時に、
しばらーく「はぁ」と思ったのでした。

Heibon

みなさま、「官能」だそうでしゅよ。
(あはは おもわず言葉が上ずってしまった)


官能、たって、謙介の場合、もう最近は
「官能検査」というふうに
もっぱら試食方面でしか遣わない
言葉でしたもんねぇ。

ちなみに、この雑誌の「官能特集」の写真を
拝見した、わけなのですが、謙介的には、
あんまり、というのか
全く官能の感覚が動きませんでした。
セクシーとは、、ちょっと思えませんでした。

もう官能を受信する感性が鈍磨してしまって
いたのでしょうか??

官能というようなことをすっかり忘れ果てて
しまったのでしょうか??

それとも
単に趣味が合わなかっただけ、なのでしょうか??

こないだお話した
『蔵の中』、ここで再録しようかとも思ったのですが、
サイトでしてあったので、そっちを見てもらったら、
いいんじゃないか、と、気がつきました。

1本の小説で、当然分量もそれなりにありますゆえ、
覚悟して読んでくださいね。

少しは「官能」になっているでしょうか。(笑)


ここに書くにあたって蔵の中を再読したのですが、
読みながら、この小説を書いていた時のことを
思い出しました。

大体プロットはできていたので
ひたすら書いていく、というだけ
だったです。割と毎日ここからここまで、
という感じで書いていってて。

小説を書いてはいたのですが、その片方で
当然日常生活もしていたわけです。
食事の支度とか、洗濯とか、掃除とか。
仕事の算段とか、処置を考えることもあって、、。


思えばやっぱりあのころから
官能とはあんまり関係ない生活だったのか、
とか思ったり、、、


はて、官能は何処に。(笑)

久しぶりにそんなことを考えたのでした。

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17. 03. 01

あれはBL、なんですかねぇ

たまに自分のペンネームで
検索をかけてみることがありまして、、。
そうすると、意外なものが見られることが
あります。

こないだもそれをしてたんですけどね。
そうしたら、BLの小説の大量の切り抜きを
ネットオークションに
出している人がいました。

その小説の切り抜きの中に、謙介さんが
かつて書いた作品が入っていて、、。

上から5番目の『蔵の中』っていうのがそうです。
ええ。

ペンネームは「五十崎銀次」としてあります。
略すと「いか銀」です。「いかさま銀次」!

ああ、この出品した人って、雑誌掲載になった時は
とりあえず気に入ってくださって、切り抜きとかして
くれたんだなぁ、とか、思いました。

で、この小説って、ちょっと変わったいきさつが
ありましてですね。

この小説を切り取った人は、BLって言うんだから
おそらく「ジュネ」に載ったものを切り取ったん、だと
思うんですよね。

うーん。 「ジュネ」に掲載された、ということは
BLなんでしょうけど、本人はあんましそんな自覚は
なくてですね、、、。
どっちかと言えば、SM小説でしたけど。(爆笑)

でもね、謙介、この『蔵の中』っていう小説、別の雑誌に
出して、そこで掲載されていたのです。

あ、決して二重投稿なんかしていません。

出版社の編集さんが、先に出した雑誌から
いくらか経って、同じ会社の別の雑誌(ジュネ)に
掲載した、のです。

これは作者の関知しないことでした。
(こんなの有り? とは思いましたけど)

で、「ジュネ」は大きな書店でも取り扱いがあった
わけです。

いつだったか、紀伊国○書店に行って見てみたら、
ちゃーんと並んでました。

でも、最初に掲載してもらった「さぶ」って、
同じ出版社なのに、大きな書店での取り扱いは
なかったです。
(やっぱり「キワモノ」扱いされてたんでしょうね。)

その謙介の原稿の掲載されている「ジュネ」を
手に取って立ち読みしていたおねいさんがいました。


掲載誌は1冊送ってきてくれていたのですが、
もう1冊欲しかったので、本屋さんに行ってみたわけです。

それでもって手を伸ばして、その雑誌を
取ろうとしたわけです。

そうしたら、別にその人のどこかと当たったとか触れた、
っていうのでもないけど、その立ち読みしていたおねいさんが
こちらのほうをすごく嫌そうな顔をして睨むみたいに
見たんですよ。

「何してんのよおおおおお、このおっさん」という感じで。
あからさまに顔にそう書いてありました。

まさか、今目の前にいるおっさんが、
あんたが今読んでる雑誌の作者のひとり、
とも思ったりしてもいなかったでしょうし。

(だからまぁ、自分の中のファンタジーを
眼前のおっさんが踏みにじったような気がして
睨んだのだと思いましたけど)

まぁ、その雑誌を取ろうとしたのが、
今風に言えば、そこでその雑誌を取ろうとしたのが
イケメンというのか、チャラそうな
そこそこのフェイスのレベルのおにいさんだったら、
良かったのでしょう。

わっはっは。

現実って、残酷ですね。(笑)
二重の意味で。


ここまで縷々書いてきて、、
ふと思ったのですが、

「BL」って
おわかりですよ、ね?


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16. 12. 24

書きぐせ

ちょっと前に、勤務先の仕事でハガキを100枚ほど
書かないといけないことがありました。

この時期いろいろと字をあれやこれやと
書く時期が到来しました。

その時に、一つ心がけたことがありました。

何年か前から、字を書いたときに、
自分の字を見て、
あ、嫌だな、と思うことがあったんですよね。

それは何かといえば、
変な書きくせがついていたことです。

それの原因は2つあると思っています。

いつも言っていることですが、
字を書く、という作業は
体のいろいろな部分を使うわけです。

若い時は身体も柔軟で、手だけでなくて、
腕全体というような、
大きな動きもできるのですが、

段々歳を取ると、身体があまり動かなくなっていって、
字を指先だけで書くようになってしまうのです。

そうすると字の線が全然のびやかでなくて、
字がカチカチになったり、
字の形がいびつになったりするんです。


前にもお話しましたが、
練習をしているのに、字が上手にならない、
と言っている人の字を書いているところを
見せていただくと、単に指先だけで
字を書こうとしている場合が多いのです。

もしくは、身体の全体の姿勢が、いびつというか
不自然な格好で書いていたり。

スポーツでもフォームの良しあしが
パフォーマンスに影響する、と言われます。
無理のない、自然なフォームがいいと。


実は字を書くのもそうです。
無理な格好で書いていると、
腕とか、肩とかに余計な力が入ります。
そうなると、字の形が変な格好になりやすいんですよね。
余分な力を抜いて字を書くことです。

そういう身体の動きの柔軟さがなくなって、
字が下手になる、ということが原因のひとつ。

それからもう一つは、字を書いていて
変な自己流の省略が出てくることです。

基本に忠実な書き方をすればいいのに、
変な自意識が出てきて、、
字の形を不自然に変えてしまうのです。
これが一番ダメ。


こういうの、音楽でもありますよね。

若い時は自然な歌い方で良かったのに、
ベテランになって、何だか変なくせがついてしまい
若い時の歌い方のほうが良かったのに、、
なんだか変なことになっていてがっかり、、
と残念に思うことがあったりします。

自分の字を見ていると、
そういう変な癖が、字を書いていて
ちらちらと見えるようになりました。


謙介が書道の「漢字」を習った先生は、
93まで生きて、90歳くらいまで作品を展覧会に
出していましたが、あの先生は最晩年になっても、
変な変化をするようなことはなくて、
書体が全然変わりませんでした。

そういうふうになりたいなぁ、と思います。
それで、今年字を書く時には、
基本に忠実に書く、ということを
心がけました。

字ってなかなか難しいところがあって、
書いた直後に見るのと、翌日になって見返した時とまた
印象が違っていたりします。

書いた直後は、おっ、なかなかの出来、
とか思っていたのに、翌日見たら、
大したことないやん、とか思ったり、、
その逆もあったりします。

いずれにせよ思ったのは
書く速度を落として、ゆっくりと書かないと
いけないなぁ、ということでした。
若い時は、勢いに任せて早書きしていたのですが、
今は、もっと落ち着いて、丁寧に書く。
そうやってこれから書いていこうと思ったのでした。

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16. 06. 12

噴飯物

最近やたら同じような変な質問を
あっちこっちから受けるのですよ。

「字を書くときにチャイナ服着たことある?」
「ない」
「チャイナ服着たら、きれいな字が書けるの?」
「書けると思う?」
あまりにばかばかしいので、
答える気にもなりませんでした。

どうしてそんなことを聞いてくるのか、と思ったら
一連のマスゾエ知事の政治資金についての
弁護士の調査発表の中に
絹のチャイナ服を買った、というくだりがあって。


で、書道の際に着用すると筆をスムーズに
滑らすことができる、とおっしゃったんだとか。

で、弁護士の前で服を着用して実演した、と。
そんでもって、「マスゾエ知事の件のチャイナ服が
墨で汚れていたことを確認した、趣味の書道を
政治活動に取り入れていることから問題なし
と認定した」ということだそうな。


あのね。
字を書くときって、スムーズに筆を走らせるだけが
能ではないのです。

筆の抑揚、それから筆の速度には
緩急をつけないといけません。


書道を習う、というと、大抵の人は字の書き方を学ぶ
としか思って思っていない人が非常に多いのですが
それは大きな間違いです。

字の書き方だけ学ぶのではありません。
筆の動かし方も勉強するのです。

筆にはいろいろな材質の毛の筆があります。
イタチ、タヌキ、ウマ、ニワトリ、ヒツジ、サル、
それぞれ毛の質について、紙に筆を置いた時に
どのような動きをするのか、ということも
何枚も書いて、身体に覚え込ませる、という
修練をするのです。

イタチとかウマとかタヌキの毛は剛毛といって
毛の質が固いのです。毛が固いので
物理で言うところの支点が固定しますから、
要がぐらぐらしないわけで、初心者でも
楽に字を書くことができます。

それに対して羊毛は毛がくねくねしていて
安定してくれません。

よほど紙の面に対して筆を垂直に持っていかないと
筆先が寝てしまいます。

筆先が寝ると線が軽くなりますし、汚い線の字になります。
ですから、羊毛の筆はよほど垂直に
真上から力を下すようにして筆を
扱わなければならず、習熟した筆あしらいの
技量を要求されるのです。

それから、紙の上で筆の穂先をどちらに向けるか、
どちらに向いた状態で筆を動かすか、
ということも技術として習得しなければならないのです。

紙の上で筆をどう動かすか。

それがうまくできてはじめて字だって書けるわけです。
字の練習を何百枚とするのは、
5万いくらある漢字、それぞれについて
筆をどう動かせばいいのか、
それを身体に覚え込ませる、という習練をしているのです。
そうやって体の動かし方、筆の動かし方を学んで
はじめてまともな字が書ける、ということです。

マスゾエ知事の御説のように
筆の速度をつけて速書きすると
筆と紙の摩擦が減りますから
線が軽くなります。

「スムーズに筆を走らせる」のを至上命題として
そんな服を購入する、というのですよね。

チャイナ服なんか着る前に
身体の柔軟運動とかストレッチでもして
書いたほうがよっぽど字のためにはいいと
思いますけどね。

それからマスゾエ知事のそのチャイナ服が
墨で汚れていた、ということですが。


亡くなりましたけれども、謙介が行書を習った
中島皓〇先生は、字を書いていて墨を服や手に
つけるのは、下手な証拠! といつも言っておいででした。

先生、いつも白いシャツで字を書いておいででしたけど
墨が飛んで汚れた、ということはついぞ見たことがありませんでした。

謙介も最初のころは、あちこちに墨を飛ばしていて
服やらひどい時は部屋の壁まで墨が飛んだことが
ありましたけれども、、
先生に師事した最後のほうは、全然服も手も汚れなくなりました。
先生が、「謙介もやっと服を汚したり手を汚したりせんようなったなぁ」
と褒めてくださったほどです。(それもあって覚えているのですが)

要するにまぁ墨を服に飛ばす、というのは
決してほめられたことではない、ということですね。

まぁ知事のあの説明なんて、苦し紛れの
取ってつけたような屁理屈弁解なのですから、
こじつけられるものは何でもかんでも
平然とこじつけをしているのでしょうが、、。

以上、書道を50年近くやってきた人間から見て、
変だなぁ、と思う点について
疑義を呈しておきました。


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16. 05. 09

ブラタモ○のおまけ

先週の土曜日(5月7日)
NHKのブラタモ○、伏見の巻を見ていて、
おおっ、って思ったところが2カ所ありました。

一つはようかんの駿河〇のお店が映ったこと。
もともとあのお店って、老舗中の老舗の
お菓子屋さんだったのですが、(ブラタモ○の中でも
そのことは当然触れられていた)

ですがちょっと前に経営に行き詰まって倒産して
しまって、伏見のあそこも店を閉めた、と聞いていました。

でも、やはりあのお店のお菓子でないといけない、という
人が多かったために、スポンサー先を探し、ようやっと
出資企業が出て、再開にこぎつけることができ、
あの店も再開されて、番組の中で太閤ゆかりのお菓子屋
と紹介されたのは良かったですね。


それともうひとつ
ちらちらっと、鉄橋が
映っていたので、触れないのかな、と思ったら、
最後に出ましたねー。

Naraden


謙介はあの番組、オヤジと一緒に見ていたのですが、
鉄橋が映ったとたん、
「あ、奈良電の鉄橋やんか」とコメントがありました。


そうなんです。
この鉄橋、奈良電気鉄道の橋梁として架けられました。
普通、鉄橋には、途中に支柱があって、その支柱間を
橋げたで渡す、という構造にずるのですが、
この橋梁にはその支柱と言うものがありません。

ブラタモ○の中では、橋の紹介はありましたが
どうして支柱を作らない構造の橋にしたか、
という説明はありませんでしたね。

実はこの橋の下の河原が軍隊の演習場だったのです。
それで、
「支柱を作ると演習上の障害物になる。
そんな邪魔なものを、作ることはまかりならん」と
軍隊がごねたので、
そうしたら支柱を作らんかったらよろしいのやな、
ということになってできた橋梁というのが
この奈良電気鉄道の澱川(よどがわ)橋梁だった、ということです。

謙介、大学の時に図書館で『奈良電鉄社史』という本を
見つけて、さっそく借りて帰って、熟読しました。

それでこの橋梁のできた経緯を知っていました。


奈良電は、この澱川橋梁建設時も横やりを入れられて
難渋しましたが、
確か、伏見の町中を通るときにも、問題が生じた、と
書いてあった、と思います。

電車の線路を作るときに
線路の基礎杭を打つことになったのですが、
それに伴って、井戸水が出なくなったらどうするんだ!
と沿線の酒造の蔵元から保証を迫られた、と
ありました。

何せ、伏見といえば、日本でも有名な日本酒の
醸造地です。

電車の工事なんかで、その酒を造るための
水が出なくなったら死活問題だ、と蔵元は
いきり立った、ということなのでしょうね。

奈良電は大阪をはじめとしていろいろな
方面に延伸計画が浮かんでは消え、
消えては浮かび、の繰り返しでしたが、
基本的に京都と奈良を結んで走る、
という程度でしたから、路線の長さも短く、
そのため経営基盤も弱かったのです。

今でこそ、小倉の辺にニュータウンができたとか
城陽の辺は住宅がぎっしり建っていますが、
奈良電が走っていたころは、
田んぼとか蓮池ばかりで、、
沿線人口なんて、知れたものでした。

その短い路線で経営基盤を強くする、ということも
できずに、やはり結果的に近鉄と合併、ということに
なってしまいました。

その奈良電のころは、丹波橋で
京阪と奈良電が相互乗り入れしていて、
奈良電の京都駅に京阪電車が来ていた時期も
あったそうです。 最初に書いた『奈良電鉄社史』に
奈良電の京都駅で停車中の京阪電車の写真が
あったのを覚えています。

番組にも出ていたコンクリート製のあの伏見城って、
やはり大きな建物でした。 伏見とは真反対の
京都の街の北西にあった常盤とか太秦辺の
高架からも、はっきりと見えていました。

伏見って、伏見稲荷に行く、という目的以外は
大抵、奈良に行く近鉄電車で通過することが
多くて、、その前の嵐山は同じ右京区だったので
しょっちゅう行っていたのに比べると、あまり
出かけないなぁ、という場所ですが、
また機会があったら行ってみたいなぁ、と
思ったのでした。


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16. 04. 20

瀬戸内国際芸術祭2016・春会期(その5)

この作品は、藤山哲朗さんの『赤い窓の回廊』という
作品だそうです。


Ykk
で、この「窓」はYK○のアルミサッシを使っています。
というのが、この沙弥島からほんの5分ほどのところに
YK○の工場がありまして。 そこでアルミサッシを
作っているのです。 

沙弥島会場の諸作品の統一した
テーマが、この島のある坂出とか、瀬戸内、という
ものを強く意識した作品、ということになっています。
YK○というと全国的な企業ではありますが、
坂出の人にとってみれば、地元の会社、という意識も強いのです。
これもまたそのひとつ、ということだと思います。


この浜辺から北西に浜伝いに歩いていくと
「下記の元の人麻呂」←うちのパソコンのソフト
かきのもとのひとまろ、と入力するとこんなふうに
転換されてしまいます。やれやれ。


「下記の元の」ではなくて、
柿本人麻呂さんの石碑があるのです。
万葉集の巻2 220番の歌、人麻呂さんが
この沙弥島で歌を詠んでいるのにちなんだ石碑です。

この220番歌の詞書は、
「讃岐の狭岑の島の石の中に死れる人を視て 
柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首幷に短歌」とあります。

Hitomaro

長歌は「玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども 飽かぬ 神柄か」と
はじまります。 

「玉藻よし」は讃岐にかかる枕詞ですが、
以下、讃岐の国を褒め称えた歌詞が続きます。
こういう歌を「国褒め歌」と呼びます。

それで、どうして国褒めという行為を行うかと言えば、
古代の人もあちこちと旅行をしたわけですが、
旅行の移動の途中で異郷を通過するときに、
まずその土地の神さまに祈りをささげて
旅路の無事を祈ったからです。

この詞書からみると、何らかの事情でこの沙弥島の
岩場に死体が流れ着いていた、それを見て
人麻呂さんが作った歌、ということですね。

その亡くなった人を見て、人麻呂さんは、より一層強く、
旅の途中、船が難破したり、さまざまな厄災に
遭ったりせずに、無事に目的につけるように、
という祈りを込めてこの地で、歌を作ったのでしょう。

そして、行路の国や土地、
ここでは当然この沙弥島のある讃岐の国の神に

「ここはすばらしい土地、なんて素敵なところなんでしょう」

と歌を詠むことで、その土地の神さまのご機嫌を良くしていただき、

「そんな素晴らしい土地であるところの讃岐の神さま、
お願いだから無事に通してね♪」

と祈りを込めて歌ったのがこの歌
というわけですね。


その歌が歌われた(のではないか)という場所に
石碑が建てられて、それが上の写真、ということなのでした。

国褒め、という儀礼は古代ではよくおこなわれていた、と
考えられます。

旅だけでなくて、農耕の儀礼としても、こういう国褒めは
行われました。
この素晴らしい土地の神さま、どうか作物のお恵みを与えてください、
と祈って、どうか天変地異が起こらないように、
作物がたくさん採れるように、と祈ったのです。

沙弥島の北側から、今度は西側に移動しました。
ここには、海に面して 
五十嵐靖晃さんの『そらあみ-島巡り-』 という作品がありました。
この網は、アートの作者と、沙弥島の人が協力し合って
編み上げた網だということです。

Tateami

それからさらに浜を奥の方に行ったら、
坂出市の万葉会館があります。
Hitomaro2

ここの2階には万葉集関連の図書も結構置いてありました。

謙介、自分の上代文学関係の本、将来、ここに寄贈しようかなぁ、
とふと思ったりしました。ここだったら使ってくれそうな感じです。

Hitomaro3

ここには、蓮沼昌宏さんの『12島の物語回遊式アニメーション』が
ありました。今回の瀬戸内国際芸術祭の
それぞれの島のストーリーが作られていて、
それをぱらぱらまんがの形式で見せてくれるものでした。

Patapata
男木島、女木島、小豆島、直島、高見島、犬島、沙弥島、、豊島、
大島、粟島、伊吹島、そしてこの沙弥島、と12の島のそれぞれの
島のストーリーはくすっと笑えるもの、ファンタジーのもの、
いろいろなタッチのストーリーがあって、それぞれに楽しく面白いもの
でありました。


そして最後に見たのが、インドのジティッシュ・カラットさんの作品
『Rippled Sky for Hitomaro』でした。

Ki

木からぺろんぺろんと水が噴射されて、その出方がとっても
のっぺりとした感じで、、思わず笑ってしまったのですが、
作品解説を読むと、結構考えられた、テーマで、あれまぁ、と
びっくりしてしまったのでした。


解説には、

「島の港を守る防波堤。
ここに水を使った作品を設置し、
海と島を遠景として見せ地続きとなった
沙弥島が本来は「島」であった姿に
気付かせる作品。
島に残る柿本人麻呂の伝説に基づき、
静かかつ荒々しい海を作品で表現する。」

とありました。

うーん。謙介的には、全然荒々しい、という感じはしなくて、
のんびりした感じで、面白かったんですけどね、、。

こういう気候のいい時期に
鳥のさえずりを聞きながら島を巡って、
いろいろな発見とか驚きの経験をする、
というのは、なかなか楽しいものですね。

以上が沙弥島会場で謙介が見た作品でした。
春は春でいろいろと忙しくて見学が
遅くなってしまったのですが、
夏と秋は、もっと計画的に回ろうと
ちょっと反省をしたのでした。

長くなりましたが以上が今回の
瀬戸内国際芸術祭2016春会期のお話でした。

最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。

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16. 04. 19

瀬戸内国際芸術祭2016・春会期(その4)

朝鮮飴でございます。
Chousename

このお菓子、結構好きです。

(いきなり団子も好きだけど)

問題は、このお菓子って、白い粉の中に
入っているのですよ。
Chousename2

食べるときは、そのお菓子の周りの粉がそこいらじゅう、
落ちまくって粉だらけになるんですよね。なので
食べるときに、紙を口元に添えて落ちる粉を紙で
ガードしないといけないところ(笑)
ですかね。
まぁ食べて、服とかについた粉をパタパタと
はたくとか、粉だらけになった周囲を拭くとかすれば
それでいいんですけど。

そして17日の日曜の地元紙のスポーツ欄は
こんなふうになっていました。
Ehime_035

   ×        ×        ×

さて、瀬戸内国際芸術祭の話を続けます。

Shami7

16日の土曜日は先週と打って変わって
すばらしいお天気になりました。
浜辺に「窓」が見えていますが、
あれはYKKの作った今回の芸術祭の
作品です。(また次回に説明します)
今回は旧沙弥島小中学校の校舎を使って
開催されていた神戸芸術工科大学の
アートプロジェクトの説明をしたいと思います。
「テーマは3つの赤」だそうで。
Img_0602

これは校舎外側に掲示された中山玲佳さんの
『Las Islas しま・しま』という作品。
これって、ぱっと見には、壁とか布に描かれた
作品のように見えますが、目の細かい網に描かれた
ものなのです。ですから内側から見ると、外の風景が
透けて見えるんですよ。
Shamisho1


それからこれはかわいひろゆきさんの
『ハレの日、金時への道』という作品。
この展示会場に行くためには、この部屋用の
ブーツに履き替えて鑑賞する、ということに
なりました。
Kintoki1

この「白い」ものはなんだと思いますか?
実は「塩」なのです。
この沙弥島のある坂出市は、入浜式塩田で
かつて日本の塩の6割を
製造していました。坂出=塩の町、だったのです。
それから瓶に入っているのは、やはり坂出で
作られている金時にんじん。 その金時にんじんで
作ったピクルスが入っているそうです。
Kintoki3

作者は、この金時にんじんを坂出の親子30人と一緒に
作るところからはじめて、金時にんじんのピクルスを作り
それをこうした作品に仕上げた、のだそうです。


次の部屋の作品は戸矢崎満雄さんの『空飛ぶ赤いボタン』
要らなくなった赤いボタンを集めて、同じように要らなくなった
釣りのテグス糸でそのボタンをハート形に吊り下げた作品。
Shamisho2

ひとつひとつのボタンがこんなふうに天井から吊り下げられて
います。
Shamisho3

それからこれは、しりあがり寿さんの『赤いネジ』(まんまですねー)
Shamisho4


しりあがりさんからのメッセージを再録します。

「学校だったという過去の力と それを忘れさせようとする時の力と
人の心に残る記憶の力が赤いネジとなってしまったりゆるんだり
しながら回り続けるのであった」

お部屋がカオスというのかラビリンス状態ですが
それも含めての展示です。


作品を鑑賞して外に出たら、こいのぼりが春の風に
泳いでいました。
Shamisho5
今日はここまでといたします。

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16. 04. 18

瀬戸内国際芸術祭2016・春会期(その3)

熊本・大分の地震、激烈で、言葉もありません。
大分が震源の地震、こちらでも結構揺れました。
大分なんて、西四国からはほんの数十キロの
場所ですから。

うちの家からは大分の放送がはいるくらいなのです。

震源が断層帯の広域で起こっている、ということですが
ただ、防災学の先生に伺いましたら、
大分でも震源が、別府湾、ということになったら
四国への影響は考えないといけない、という話でした。
今はまだ、そこまでは行ってないようですが。
この先どうなるのか、、本当に不安です。


ただ、謙介、地震ということにかかわらず、
そろそろ自分の持ち物の処分を考えないとなぁ、とは
思っていたのです。
いつまでもたくさんのものを
持っていても仕方がないですし、、、。

少しずつ、整理をしていこうと今回の地震で改めてその
思いを強くしたところです。

熊本には友達が2人います。
(熊本市内と山鹿市)

二人とも連絡が取れたので
ホッとしています。

でも二人とも口をそろえて言うのには
熊本は、今回のような巨大地震は想定されて
いなかった、ということでした。
 
今回の地震後に、地震専門家の人が、今回地震を引き起こした
日奈久断層は危険な断層であった、とか言っています。

でも、そんなものいくら専門家には認識があったとしても
それが一般の市民にまで下りてきて一般の人たちも
この断層は危ない断層なのだ、認識が共有されて
いなければ何の意味もないでしょう。

謙介の恩師がいつも言っていたのは
「小学生にかて、自分の研究を説明できるように
せんとあかんねんで」ということでした。


しかしそれにしても、、。


大分や熊本は何度も行ったことがあって、
(頻繁な時は年に数回、ということもありました)
地名を聞くと、大体地理的な位置関係が分かります。

そうか、あの辺がなぁ、と報道を聞きながら
思うことがいろいろとあります。


      ×      ×      ×

地震も気にはなるのですが、ひとまず書き始めた
瀬戸内国際芸術祭2016、最後まで書いて
おくことにします。

春会期は17日で終了したのですが、
前回よりやはり人出は多かった、ということでした。
どの会場も、前回より増えていた、という話です。


沙弥島会場の写真は、曇っている写真と、快晴の写真が
出てきます。実は沙弥島会場は2回行ったのです。
はじめのほうは4月10日で、この日は曇っていました。
2回目は4月16日で、この日は快晴でした。

ということで、今回のご報告の中に曇った天候の写真と
晴れの日の写真が出てくるのです。


4月10日 坂出の沙弥島に出かけました。


Shami1
島、という割に、なんだか海が見えないじゃないか、と
言われそうですね。ここは以前は島だったのですが、
昭和40年代に埋め立てられて、今は、島ではありません。
坂出市内から、車でそのまま沙弥島まで行くことができるように
なりました。
でも、瀬戸芸の公式ページを見ても「沙弥島」と
島扱いで書かれているので、ここでも沙弥島
と表記することにします。

この埋立地を経由して瀬戸大橋が作られています。
Setooohashi1

瀬戸大橋は上が道路、下を鉄道が走っています。
これは、岡山・高松の間を走っている
快速マリンライナー。 30分おきに出ていて
これで通勤・通学している人もいます。
地元ではマリンライナーと言わずに単に
マリン、と呼ばれることが多いです。
海を渡るので、電車から眺めると
下をタンカーとか客船が航海しているのが見えます。
Setoohashi2

車を駐車場に置いて、沙弥島会場のほうに
行きましょう。
最初の作品はターニャ・ブレミンガーさんの

階層・地層・層 という作品。
この人は「ターニャ」という名前なのでロシアの人だろうと
思ったら、ロシア生まれで今はイスラエルで活動している人だ
そうです。
Shami3

こんもりとした山で、、この程度の山って、なんだかのぼりたく
なるんですよね。(笑)
Shami4_2

てっぺんにのぼるまでにジグザグの道がつけられていて
そのジグザグが面白かったので、写真に撮ってみました。

Shami5


ちょっと長くなったので、今日はここまでといたします。


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