ドラマのはなし2つ(その2)
そして翌日、日曜。
駅前のホテルでお話の会をします、というので
行ってきました。
知らせをもらったのが去年で、それから抽選があって
参加者が決まる、ということになっていました。
申込をして最初は気にはなっていたのですが、
そのうち年末で仕事が忙しくなって、
すっかり忘れたころに、ひょっこり
入場券が送られてきたのでした。
お話の会の話者は高畑さん。
高畑さん、というより、去年の大河ドラマ篤姫の本寿院さま役
の女優さんといえば、話は早いですかね。(笑)
お話の会の始まるのは10時半でしたが、9時半受付開始というので
ちょっと早めに家を出ました。
駅に着きました。
ここは九州の門司港駅と同じ、ターミナル駅の造りです。
何か日本ではターミナル駅、というと、四方八方から
鉄道だのバスが集中する駅のように思われていて、
ターミナル、っていう単語本来の意味の言葉が
ちょっと違う意味で遣われているように思います。
ターミナル、というのは、「終着」ですよね。
だから、俺が行っているがんセンターでも
医学・医療用語としてターミナルケア、という言葉が
出てきたりします。この場合の訳は、だから
「終末期介護」となっているようですが。
あ、うちのブログも、「終着」だった。(笑)
終着駅がターミナルのはずですが、
やっぱり外国語を日本語に移すとどうしても
ちょっと違った意味になってしまいますよね。
エスニック料理だってそうですよね。
日本人がエスニック料理と言えば、日本の民族
の料理だから当然和食、ということになるわけで、
だから、本来ならほうれん草のおひたしとか、
子芋の炊いたんとか、お味噌汁にならないと
いけないわけですが、どういうものだか
この国でエスニック料理というと、
東南アジア方面の料理になるのが
不思議なことです。 まぁいいや。
発着の列車を眺めていたら、どんどん時間が経って
しまったのであわてて会場に行くことにします。
(だってどんどん列車が出発したり、到着したりしているの
見るの、飽きないんだもん。笑) あわてて移動です。
途中、バスターミナルの前に来ました。
この場所は、ムラカミハルキの小説に
出てきますんですよ。
こんなふうに。
「ほら、着いたわよ」と彼女は言う。
僕は座席の中で身体をのばし、手の甲で
目をこすり、それから窓の外を眺める。たしか
にバスは駅前の広場みたいな ところにとま
りかけている。朝の新しい光があたりに満ち
ている。まぶしいけれどどことなく穏やかな光だ。
東京の光とは少し印象がちがう。僕は腕時計
を見る。6時32分。
彼女は疲れきった声で言う。「ああ、長かった。
腰がどうにかなってしまいそう。首も痛い。夜行
バスになんかもう二度と乗らない。少し値段が
高くても飛行機にする。乱気流があろうと、ハイ
ジャックがあろうとぜったい飛行機に乗る。」
海辺のカフカ 上 第5章 53ページから
そりゃ、東京から13時間バスに乗ったらしんどいと思います。
それでこないだ謙介は東京日帰り、飛行機にしたんですけどね。
何せ成田からニューヨーク行くのと同じくらいですし。(笑)
さて会場に到着です。
受付で入場整理券を渡し、好きな場所に着席します。
まだ時間が早かったせいか、前のほうが
空いていて、謙介の席は、前から4列目の、
中央からちょっと右側というあたりでした。
やっぱり早く来て正解でした。
席が自由なので、先に来た人は
みんな前に座り、後から来た人はやはり後ろ、
になってしまいます。会場は階段式のホールではなく
平面の客席ですから、後ろでは見づらい、という
ことになりますし。
さて、時間が来て、お話の会がはじまりました。
主催者の挨拶、話者紹介があった後、高畑さんが
会場に入ってこられました。いきなり演壇で、という
のではなくて、後ろからひょこひょこ歩いてこられたので
みんなびっくりです。
黒の襟のないブラウスに、朱色のタイトなスーツといういでたち。
かっこいい。
司会者のおばさん(おばさんでゴメンね。いや、
多分年齢的には高畑さんより司会者の人のほうが若い
とは思うんだけどさー、でも精一杯やつしても、片方は
田舎の山出しのおばさんで、片方は洗練された人なんだもの。)
はぁ。洗練とはこういうことを言うのか、とその極端な
差に、まずちょっとびっくりしたのでした。
スタイリストが付くとやっぱり全然違います。
それから、高畑さんのお話がはじまって、
もうひとつ謙介がびっくりしたことがありましてですね。
それは高畑さんの声がすんごく若い、ということ。
もうねぇ、30代でも十分通る声でした。
やっぱり舞台からスタートした女優さんだけに
声がよく通るんですよね。発声がしっかりしていて
ノドからだけでなく身体全体から声が共鳴して
出ています。全然声の出が違う。しかも声が美しい。
と、いうことは篤姫の本寿院の時の声というのは
作っていた声だった、ということか、と思いあたったのでした。
で、最近風邪が流行っている、という話になって
なんと驚いたのは、あの方、一日に40回うがいを
するんだそうで。げほげほ言ってる人が横を通ったら
もうすぐ、うがいなんだとか。
あ、そうそう篤姫の話もありました。
篤姫の話は一回の収録は45分の一回分なのだ
そうです。(今、4月からの朝のドラマの撮影を
しているのだけど、朝ドラの一度の撮影は一週間分
90分 まとめて撮るのだそう。「気がついたら、篤姫から
こっち、私、もう1年以上、ずーっとNHKに通っています。」って。)
だけど、大河ドラマは、撮影が早朝から深夜、2時3時までになって
しかも、ずーっと頭にかつらをつけてあの本寿院の
格好でいないといけないので、もう夜中になると
気分が悪くなる、ということでした。
頭のかつらも、あれは、単にかつらをスポッとかぶって
いるのではなくて、地毛をアップさせたものと、かつらを
一緒にまとめているので、かつらだけ脱ぐこともできなくて
「横になることだってできないんだからー。」ということでした。
それで、やはり年とったオバサン連中から順番に
気分が悪いと言い出すんだそうで。
「ふらふらする。」って言いだすのは、大抵
「私か松坂(慶子)さんでしたわ。」だそうで、
爆笑になりました。
お話の中で、一番印象的だったことが
やはり人生の中でいろいろと失敗があった、
時のことでした。
とりあえず29歳まではこの仕事(女優)を
しようと思っていた、でもいつも着ぐるみでヘビのシッポの
役ばっかりだったそうです。なかなか芽が出なかった。
あるとき芝居で共演した加藤健一さんに言われたそうで。
「キミの芝居はまずいところもない代わりに
おもしろいところもない。」と言われて、それで
考えたんだとか。「自分で芝居を楽しんで、それを人に伝えようと
しているか? 」となったら、注意されたり、指導されたことは
きちんと直すばかりで、それ以上のものがなかった、
ということに気がついた、と。
そこで、そういう何かを目指すことにした、
ということでした。
でもやっぱり失敗してへこんで寝られない夜が
続いた、とか、役を他の人に奪われて
悔しい思いをした、とかいうお話もあって、そういう
失敗をしたり、不本意な思いの中からそれでも立ち直って今に至った、
という話は強く俺の心に響きました。
後、聞きたかったのが、台詞をどうやって覚えるか、
ということでした。テープレコーダーに入れて、
もう時間があったら、繰り返し聴く、
ということからはじまって、家事をしながら相手の
台詞だけ吹き込んだテープを用意して、自分の台詞を
言うようにする。」ということでした。
家で、きゅうりを切りながら「おのれ篤姫ぇぇぇ」なんて
やってたそうです。考えたらすごいことですね。
煮物の味見なんかしながら、「それでご老中はなんと、、」
なんてやっているわけですから。
それから、少しご家族のことになりました。
高畑さん、家に戻られたら、思春期の子どもを
抱えるお母さんでもあります。思春期で
情緒不安定な子どもと、更年期でこれまた情緒
不安定な親が一つ屋根の下で
毎日やりあっているんです、という話でした。
でも役者の生活は大変で、出演が決まっていたドラマが
急に製作が中止になったので、あてにしていた
収入が入ってこなくなって、そのために子どもの塾を
やめさせてしまったりしたこともあった、とか。
ああ、みんないろいろとしんどい中でやりくりをつけながら
それでも仕事を続けているのだ、と思いました。
それから昨年の藝術祭参加ドラマの「告知せず」の話に。
あのドラマでガン発見が手遅れになって全身に転移して最期を
迎える奥さんの役をされましたけれども、実はあれは
高畑さん、おとうさまを3年前に膀胱がんで亡くされていて
その時のおとうさまの最期をそのまま演技にうつした、という話でした。
小さな街医者にずっと通って、きちんきちんと薬を飲んでいたにも
拘わらず、街医者で設備がなく、十分に検査をしてこなかったので
やっぱり急速に体調が落ちて、大病院に行ったら、もう末期の膀胱がんで
助からなかった、ということでした。そのおとうさまの姿を
重ねて、演技された、ということでした。
あ、だからかぁ、、と謙介は分かったのでしたが。
でもね、俺、やっぱりそこですごい、と思わざるを得なかったです。
親が亡くなろうとしているところを、片方で看取りながら
片方で冷静に観察をもしていた、ということですね。
それは客観性がないとできないことです。
どこかで醒めた部分があって、それがずっと活写していた。
その研究熱心さ、があるから、ここまでになられたのだなぁ
ということを俺は思いました。
そんなお話をされて、時間があっとい間に過ぎてしまいました。
それでは、ということで、お話の時間は終了したのでした。
× × ×
月曜に恒例のガンセンターに行く。
採血の結果を見せてもらう。
やっぱりすい臓に問題がねぇ、、とのことらしい。
血清アミラーゼの値が良くない。
まぁねぇ、東京日帰りなんてムチャをしましたですし。
自業自得だ、と自分でも思ったけど。
しばらくはうろうろしてはいけない、とのこと。
はい。自重して静かに過ごします、と返事をした。
自分のしなければならないことを考えると
やはり体調をこれ以上悪化させることはできないし。
後は中央処置室で採血をして帰る。
さて、節が分かれ目が訪れて、翌日。
春が立つ日。
今日から本当の意味での新しい年になった。
目には見えないけれど地面の下で、木々の内側で
自然は、「その次の準備」を黙々として用意している。
そういう地道な作業って自分としては好きだ。
昼、少し用事で外出する。
寒いのは寒いのだけど、
ほんの少し、先月とは違った
春の気を感じた。
自分の方向性についてもよく考えて
また、その準備もはじめなくては。
そんなことをぼんやりと考えながら
家に戻ったのだった。
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