日々のおもい

11. 05. 19

関係性の変化について

来月、またしんどい出張があるんですよ。
前々からお話しているように2年間継続の
研究会の出張で、1回の研究会は3日間。

研修会そのものは
朝の8時から夕方の6時まであってさ。
さらに夜の懇親会までありまして。

で、この懇親会も研修の一環なので
仲のよい気
心の知れた人だけと話をしたら
いけなくて、参加した人全員と同じように親しくお話を
して懇親を深めないといけないんだそうで。
で、ちゃんと全員の話を聞いて、全員と会話をする。
そんなこと言ったってさー、
誰だって波長の合う人と合わない人がいて
ちょっと話をしたら、そんなことわかるじゃないかー
って思うんだけど、それではだめで、全員と
等しく親しくお話をしないといけないんだそうで。(やれやれ)


おまけに受講生が8人だから
居眠りなんて、ああた、全然できない状態で。(笑)
居眠りどころか、講義形式は最初の3時間
くらいで、後はプレゼンテーションをしたり
そのプレゼンの批評会だったり、討議・発表
だったりで、もう1日終わってさ、宿舎に入ったら
ぐったり。
それが今回なんて、泊り込みの合宿でさ、
しかも去年からの受講生は今年からの受講生と

2人一組の部屋で、いろいろ話をすること、だって。
もう24時間一緒みたいな研修で、、。

その要項が先週の金曜に添付ファイルつきで
仕事場のパソコンに来たわけですよ。
それを見て一緒に行くもう一人の同僚と
やれやれですねぇ、、、
また近づいてきましたねぇ、、という話をしていたんだけど、、。

で、その中に、自分が学校を卒業して
今まで働いてきたわけだけど
その時々でどういう仕事をしてきたのか、また
その仕事によってどのようなことが分かったのか
学べたのか、というのをずっと自分史の年表みたいに
書いていくのが課題としてあったの。(今回は
その今まで書いてきた課題の最終確認みたいなもの。9

これって分かりやすく言えば自分の「職業経験の可視化」
ということになるのかなぁ。

で、去年の7月に、第一回の研修会があって
その研修会の宿題として、自分の今までの
職業経験を書いていって、それ以来、何度も
確認と指導を受ける先生から
ここんところはこういう要素も入れてみて、とか
ここをもうちょっとくわしくとか「ご指導」があって
書き直してきたんだけども。

例えば2001年4月から5月まで、こういう仕事の
担当をした、と。具体的にはこういう仕事の内容で
こういうふうなことをやった、と。それで結果として
顧客にこういうものを作った、とか提案をして渡した、
と。その時に、自分はどういうことに気をつけて
その仕事をした、とか、こういう成果があった、とか
逆にこういうようにしようと思ったけれども上司と
対立して思うようにできなくて残念であった、とか
書いていくの。

実際に文字にしていったら、その時々で自分の動きとか
何をしたのか、どうしようとしたかったのか
とか、客観的に見えるようになるんだよね。
それを読んでいたら、あ、と言って思い出すこととか
あってさ。

その時自分はこういう仕事をしようとした、と
でも結果的に失敗した、と。その原因は今に
して思えば~だったのではないか、と。
過去の失敗とかうまく行ったこととか見てると
そこから今の自分がわかってくること、って
あるよ。毎日の生活で、ちょっと先の自分しか
見えにくくなることが多いんだけど
すっかり忘れてしまっていた、将来、自分は~を
したかったんだ、ということとか、その過去に持っていた
希望とか夢は今も同じなのか、違ってきたのか
じゃあ、今の自分はどうしたいのか、どうしようと
しているのか。 その書いた項目から自分の
今と先のことを考えるようになるの。

今までの仕事の経験の中でこういうことが
できるようになった、とか、近い将来はこれをしたい、とか
そういう自分を見直す資料としてこれを書いていって
すごく役にたったなぁ、って思った。

20代のころは自分を取り巻く仕事上の人間関係
なんて単純でさ。
自分⇔他者(あるいは組織全体) の一方向だけ
見てたらよかったんだけど、歳とってくると今度は
組織全体を見て、「調整」しないといけない、っていう
お役目がまわってきて、、。この調整っていう
お仕事がねぇ、しんどいことなんですよ。

若いときは仕事で会う相手だけ見てたらいいし、大抵は
それで事足りるから、自分の立場だけでものが言えたり、
人間関係も単純明快に
こうじゃないか、って言い切ることもできた。

でも、おっさんになってくると「調整」っていうお仕事
が入ってくるの。最近の言い方だと「マネジメント」
しないといけなくなる。

それは基本的に自分が動くんじゃなくて、この人はここに
この人はこういうのが得意だからこっちに、っていう全体を
見て、どうするのか、ということを考えないといけない、という
お仕事。


基本的に理想とすれば適材適所がそりゃいいんだろうけど
それはあくまで「理想よ理想。」
だって現実問題として、どこの職場も人数とかスタッフが揃ってるとは
限らないから、人数の関係でどうしたって
得意な分野でなくても、しょうがなくてこの人にやって
もらわないといけない、っていう場合だってあるし。
そうしたら当然その人からは文句が来る(笑)
「なんで私なんですか。 私はそんなのできません。」って。
若いと自分と組織だけ、とか相手だけ見てたらいい、
っていうのはこういうこと。
自分ができない、となったら「私、できません。」とだけ
言ったらそれで済む。
済んでるうちは楽でいいよね。
全体を見て調整とか配置を考えないといけない場合は
少々、どころか現実を考えたら大幅な無理をしないと
どうしようもないときだって出てくる。


「私、できません。」っていう人を見たとき
思わず言ってやろうかと思った。「はいはいわかってます。でも
人手が足りなくて、ほかにいなくて仕方ないんです。」って。(笑)

他にいないから、やってもらわないとしかたがないの。
仕事ってそういうものだと思う。
自分はこれをやってきたから、って
その専門が生かせる、なんていう仕事はなかなか
ないもの。専門が生かせる仕事に就くなんて、
本当にとても難しい。

仮にうまく自分の専門を生かせる仕事に
ついたとしても、半分くらい雑用があって
全然関係ない仕事だってしなきゃいけない。


だからさ、国文科出て、コンクリートの型枠に
生コンクリートを流す仕事だって、
他に人がいないからやってね、ってさせられちゃう。

人はいない。でもしなくちゃなんない、っていうので
全然その人とは関係のないというのかミスマッチな
業務を振られて、やれやれ、っていうことなんて
そんなの昔からあるよ。

でも、そういうときにでもやらなくちゃなんない、っていう
のが仕事だと思う。仕事してお金をもらう、って
そういうことでもあると思う。

全然英語ができなくても
はい君が担当、って国際関係のセクションに振られたりする
なんてあるしさ。
え? って思うようなことって結構あるもん。

それに自分の専門を生かせる職場であったとしても
仕事がうまくいかなくて自己嫌悪になったり
スランプに入ったり、ってあるでしょ。

前に今、楽天にいる岩村選手のお話会があって
それを聞きにいったら
あの人、一日100回は野球やめたい、
って思うことがある、って。
自分の専門についててさえも辞めたい、
って思うことがしょっちゅうだって。
だから専門についたから幸せなのか、と言ったら、
それだって幻想かもしれない。
専門の仕事は専門で
また別のしんどさ、だってあるだろうし、、。

専門外の仕事についてたら
どうして俺は専門の仕事につきたかったのに
うまくいかないんだろ、とか思うだろうけど
仮に専門の仕事についたとしても、、いろいろあって、、
ねぇ、、。

だから専門とか専門外、っていう見方で
仕事を考えるんじゃなくて、その仕事は自分が
何とかできそうな仕事か、到底自分には合っていなくて
無理だから嫌な仕事か、で仕事って考えていったほうが
いいと思う。だからそのためにはまず自分のことを
よく知らなきゃ、何が合ってて何が合わないか
だってわかんないもんね。 仕事って「自分を見つけること」
っていうのは、そういうことなんだ、って思う。

今回こういうふうに自分の仕事のことのまとめを
書いていくと、客観的に自分が今まで
何をしてきたのか、っていうことがわかった。

そしてその中で仕事の中身とか、他との関係性というのか
結びつきのしかたもずいぶん変化してきたなぁ、って
改めて思った。
そういう発見があったのはよかったことなんだけど、、。

来月の研修までに課題が二つありまして。
その宿題に当面また追われそうです。
謙介さんはのほほん、と行きたいんですけどねー。
なんだかのほほん、としてたら、
「あんたヒマそうやな。」って言われて、これもしろ
あれもしろ、って言われているところです。
やれやれ。 明日はどうなるのでしょう??
はて。


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08. 09. 08

数字のトリック

いつもうちのブログをお読みいただき
ありがとうございます。
あ、はじめての方は、どうぞよろしく
お願いします。

このブログをお読みのみなさんのあたりは
気温はいかがですか?
こちらの今日の最高気温が33度。ふう。
先月が確かに35度とか36度行ってましたから
さすがに若干涼しくなった、と言えば
まぁねぇ。(笑)
ですがお天気で雨は全く降らず。
恐らく、俺の今までの経験から行って、
来年の春辺りまで、水が足らない、という
状況はずっと続くのではないか、と
想像します。
ホント、いろんな年がありまして、
ある年は水がない、って言ってたら、
台風が一個来て、「どうだ! 」って言ったら
一夜にしてダムの水が満水になったこともありました。

週末、実家に帰っていたら、
うちのオフクロが、俺が入院してる間に
講演会に行ってきてんで、と言うんです。
誰の? って聞いたら、
内館牧○だそうで。
あらまぁ、とってもタイムリー。(笑)

またその話は「今日のこと」もありますゆえ
日を改めて思ったことを書きたいと思います。

          ×       ×      ×

月曜日なので、毎度のがんセンターへ。
前回のデータを見せていただく
数値的には大きな変動はない、のだけど
「すい臓が気になる、から
油ものを食べるのは控えてください。」と
先生から。
しかしねぇ、俺、もうほとんど油ものなんて
食べてないもの。
フライとか、てんぷらはほとんど食べないしさぁ。

もう何かさー、枯れたおっさんになれって、いうことなのか?
今だって十分枯れてるぞ。(笑)
明日、データを見せて早速管理栄養士の
友達の意見を聞こうと思う。

診察のあとで、先日出てた新聞広告の話になる。

このあいだ新聞を見ていたら、こんな広告が出ていたわけです。


Hcv

製薬会社の広告なんだけどさ。
謙介、思わず本当にそうなのか?
っていうことを聞きたくなったね。

広告には約60パーセントの人がなおる
って書いてある。
この療法というのはリパビリンというお薬を毎日2回
飲みつつ、インターフェロンの注射を週一回する、というもの。

これね、この病気に関係のない、普通の人だったら
どう思うかなぁ。

え? 6割の人が治るん?
そうしたら治療しようか、しらん、と。

あのね、うちの主治医の話によると
大体多く見積もって、この薬で治る人って
4割程度なんですよ。

ちなみに俺もかつてやって効かなかった人間です。
でずっと追跡検査してるけど、正直言って悪化しています。
だから、4割しかなおらない、と。
そういう事実がある、ということを
まず知っておいてくださいね。
じゃあ、この6割という数字、どうなって出るのか、
その理由を、ひとつひとつ説明していくと以下のようになるわけですよ。


まずこの療法は非常に体力の負担を強いる
という療法である、といえます。
俺も経験あるけど、もう自分の体力の
4割がたは薬の副作用で持っていかれる、っていう
感じ。 なんたって、薬の使用説明書の冒頭に
赤字枠囲みで「劇薬」って書いてあるんだもん。
で、その薬を飲みはじめると副作用で
熱が出ます。
食欲は全くなくなる。食べると吐いてしまう。
皮膚がかさかさになって、やたらかゆくなる。
頭の毛がワサワサと抜ける。
体力がある程度大丈夫、っていう人が
はじめたとしても、途中で投げ出したくなるの。
そりゃ、嫌にだってなります。

げっそり痩せて、顔色は悪い、食欲はない。
頭の毛ははげかかってくる。
正直、鏡なんか見たくもなくなります、って。


で、実際、この療法って48週間
ずっと続くから、
途中で体力的に無理、となるとか、途中で
薬の副作用が強く出て身体を壊して
実際この治療をあきらめて止める、という人が
多いんです。
それからこの療法、すごくお金がかかる。
注射が1回1万円。3割負担の額で、それです。
お薬が1回1500円。これを一日2回飲みます。
ここまで書くと、え? 肝炎の治療は国の補助が
できたように聞いたけど? という方もいるかもしれないですが。
あの適用が受けられるのは、
初めて肝炎の治療を受ける人だけです。
前に一度、別の治療法をしていて効かなかった、
じゃあ、次はこの療法、という2度目3度目の患者
さんは補助は受けられません。
これは前にお話しましたね。

厚生労働省は、認めてもいい、と言っているのに、
財務省が金がないから、
そんな治る見込みもないやつに
金をかけるのは無駄、と言って反発して
そういう二度目の患者は適用の範囲外です。
ですから二度目以降の治療の人は補助なしです。
そういうことで、この治療を受けるのは、
受ける側の経済的負担が大きいのです。
ですから「支払い能力のない人間は受けられない。」
ということがあります。

つまり問題点の1はここですね。
100分の60ではないんです。
治るで言えば100分の40としましょうか。
すると40パーセントですね。
でも途中であきらめて治療を中止せざるを
得ない人、支払える能力のない人、
の数字を引いてみます。

100-20=80 で、分母が80となりました。
80分の40とします。
すると数字は、ほーら。
80分の40ですから、50パーセント。(笑)
ね。いきなり10パーセント、1割ドーンと上昇しました。


それから次。 算数の問題からいきなり
言語学的解釈の問題に移ります。
「治る」という言葉を聞いて、みなさんは
どう捉えますか? 
治る、といわれると完治する、って思いません?

でもね、医学のほうでは、どういうのが治ると
というかというと、「完治はしなかったけれども
薬を投与して反応のあった人は、効果があった、
とする。」 という解釈を取って、治った、という人の
カテゴリーに含めます。
ですからこの療法をしはじめて体内にいる肝炎の
ウィルスが除去はできなかった。
けれども、肝臓のGOTとかGPTという数値が
療法開始前に比べて低くなって反応はした、と。
それも薬の効果があった、と解釈されます。

普通の人は、ウィルスが除去されないと効果が
あった、なんていえないんじゃないの? って思いますが
薬会社はそういう数値が動いた人も効き目があった
という範囲に入れてしまいます。
ほら、だからここはおたがいの言葉の解釈の問題ですね。
だもんで謙介は言語学的な問題、と言ったわけです。

で、さらに1割を入れてみましょう。
40+10で50となりますね。
分母は80人とします。80分の50。
0.625です。62.5パーセント。
約6割という数字がここで出てくるわけです。

仮に分母を100にしておいたって、
そういう数値の動いた人の割合を入れたら、
100分の50で、これまた一割は変わってきます。


ね、


6割と書いてありますが、
そういうふうにして出てきた6割です。
実態、というものはそういう程度です。
でも、そういう「説明」はどこにも
ありません。
製薬会社の都合のいい解釈を重ねて
いくと、確かにそうはなるから、あながちうそか、と言われたら、
うそではない。でもまぁその数字を出そうと思えば、
↑に言ったような強引な解釈をしないと出やしません。
分母を80にする。なんとなく数字の変わった人も
全部入れる。そういう操作しまくりでの上のあの数字です。

ですがその説明はありません。
それが実態をきちんと反映した数字といえるでしょうか?


今日は主治医とそんな話を診察のあとでしました。

データが客観的か、といえば、それを解釈するこちらの
「感情」がそこに入って、目をくらませる、ということも
ある、ということです。


やっぱりデータとともに、その実態とか現場に行くとか
できるだけたくさんのいろいろな切り口から書かれた
人の話を集めるとかして客観的な、見方をしないと
本当のことはなかなか分かってこない、っていうこと
あるように思います。
データだって、実際のところ、本当にどうだか?
って思っていたほうがいいかもしれませんね。

そんな話をして採血を終えて会計を済ませて。
ちょっと院内のコンビニに寄りました。
すると、レジで入院患者のおじいさんが
レジのおねいさんの言葉が聞き取れないらしくて
「え? 」「え? 」って何度も聞きなおしていました。
おねいさんは、大学生のバイト、っていう感じ
だったんですが。

歳を取ってくるとねぇ、早口で言葉を
ささっ、と言われちゃうと、言葉の意味が取れなくなって
くるんですよ。 

女子高生くらいの歳の子が、よくいろんなところでしゃべってるのを
聞くこともあると思うのですが、あの程度の速さの会話になると、もう
お年寄りには意味が取れなくなるんです。お年寄りの立場で
言えば、「さっぱり意味が分からない。」っていうことになるんですよ。

人間歳を取ると、若いときにはよく聞いた
ロックを聞かなくなる、っていう人がいます。
その理由はまぁ人それぞれでいろいろあるとは思いますが
音声学的に言えば、若い頃だとロック歌手の歌ってる意味がきちんと
取れたものが、だんだん歳とともに、意味が取れなくなってくる、という
事実があります。

お年寄りがロックを聞いて、よく
「何を歌っているのやら、わけが分からない」っていうのは、
そういうことなんですよね。

お年寄り、って言うと、耳の聞こえの問題に
行こうとするのだけど、まぁ確かにそれもあるけど、
一方でやっぱり早口だと意味が取れない。
早口で言ったのでは、理解してもらえない、ということは
知っておいたほうがいいんじゃないかなぁ。
案外その事実、知らない人が多いんじゃないでしょうか。


で、お年寄りが何度も聞き返すから
若い人のほうは、こんなに言ってるのにぃぃぃ!
って腹をたてる。 そういう齟齬って割によく
あることなんじゃないか、って思います。

まぁ、その一方で、確かに音楽に対する
嗜好が変ってくる、っていうこともあるんですけどね。

だからと言って、幼稚園児に対するみたいに
変に「さぁ何とかかんとかしましょうねぇ。」
なんていう言い方をする必要もないけどね。
何たって人生の先輩なんだから。
普通の口調で、ゆっくりはっきり言えばいいと思います。

多分、その大学生の女の子、普段どおりの
話し方というのか、普段どおりのスピードで
話したんでしょうね。何の疑いもなく。
でも、それじゃ、無理なんですよ。

そういうのって、店員のマニュアルにないのかしらん?

そんなことを思いながら、病院を後にしたのでした。


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08. 02. 04

ペンギンもなかとロケットうどん

土曜日。


金曜の晩から実家に戻っていた。
戻ったのが遅かったけど、いつもの習慣で5時に眼が覚めた。
(毎日5時起きの6時40分出勤なので。)
朝ごはんを作っているとオフクロが起きてきて
元気にみちた声で言う。「私、インフルエンザなの。」
赤い顔もしていなければ、しんどくもなさそう。
「全然熱も出ないし、至って普通よ。」と言う。
「何で? 」
「だってタミフル飲んだもの。」
ひええ、やっぱり異常行動が何とかかんとか、って
言ったって、効く分には効くんだ。
「熱も出ないし、食欲だって普通にあるの。」
という。
おまけに「うちの家、平屋やし何の問題もない。」
ハイハイ。(笑)
やっぱり恐るべしタミフル。


食事が終わって
(ご飯、白菜をゆでてポン酢をかけたもの 目玉焼き お味噌汁
 具は油揚げ、えのき、たまねぎ、とうふ わかめ)
コーヒーを飲もうと思って、豆の入った缶を開けると豆がない。
「豆の買い置きは? 」
「あ、ごめん。切れてんの。 あんた、ひとっぱしりいって
買うてきて。」
ということで、寒風吹きすさぶ中、ひと歩きして
近所のコーヒー屋さんに豆を買いにいく。
いつものコーヒー屋。
Coffee


「ぺんぎんもなか」って作ってみたんですけど。
「ぺんぎんもなか。」
Monaka

「おひとつどうぞ。」
中のつぶあんにかすかに残るコーヒーの味。
「コーヒーあんのもなかなんですよ。」
きょうはコーヒーあんのもなかであるところの
ぺんぎんもなかをたべた、と
日記に記しておこう。

日曜日。

朝、テレビをつけたら、東京はすごい雪だとか。
「東京すごい雪だって。」
「東京じゃなくたって、うちの裏山だってすごい。」と
オヤジが言う。
え? え、え。 慌てて外に出る。
裏山は真っ白。ひえええ
こ、これは、ひょっとして、、
おなべを出して、ネットにつないで
高速道路の通行状況を見る
案の定この辺の線は全部真っ黒。通行止めだ。
先々週も大雪が降って、普段なら2時間
かからずに行ける場所がその時は16時間かかった、
って聞いた。
荷物をまとめてすぐ出発する、ということに。
一般国道のほうは雪・湿潤とはあったけど、不通とは
書いてなかったので、どうやら通ることができるらしい。

走っていると、国道はひっきりなしに車が走るから
雪も全然なかったけれども、国道に通じている
細い道は真っ白で、雪が結構多かった。
何とか半分まで来た。
お昼を少し過ぎにだいたい中間地点に来たので、
途中「ロケットうどん」に寄る。
ロケットうどんの名物は焼きうどん。
すき焼きのおなべに熱い焼きうどんが
ジュウジュウいいながら
出されてくる。
Yakiudon


はふはふいいながら食べる。
ロケットうどんで少し休んで運転再開。
高速が閉鎖なので高速バスものろのろと国道を走る。
途中、対向車線に大阪梅田とか岡山、といった
何台ものバスに出会う。
峠まではすごい雪が積もっていて、
なるほど、不通になるはずだ、と思ったのに
トンネルを越えたら、仕事場の街は晴れていて、
こちらは雪? 何 それ、っていう感じで。
全然何事もないような普通の冬の日だった。

     ×     ×      ×

雪が積もって、北風が吹いて、と
まだまだ冬、と思っていても
夜明けの時間はすこしづつ早くなって
日暮れも遅くなってきている。
今日もがんセンターの帰り、
日暮れの時間が遅くなってきたことを実感する。
気候は真冬でも、時の、暦の動きは確実に
動いていっているのだ、とはっきりわかる。
昨日が季節の分かれ目で、
今日が春の立つ日。
新しくなった暦。
変わるところ
変わらないところ
変えたいところ
変えたくないところ
そんなものがすべて平行して
自分の中にあって。
確かにそれが全部てんでばらばらなので
時々自分でもうんざりすることはあるのだけど、
でも、世の中のすべてのものはそんなふうに
てんでばらばらでまとまりなんてないのだ。
やれやれ、と思いながらも、今少し
この自分の中のてんでばらばらを
見ていこうと思った春立つ日。

(今日聴いた音楽 RIDE ON TIME  歌山下達郎
 そもそも日立マクセルのカセットテープのCMの曲
 だったんだけどね。 1980年 音源はレコード。
 今日は山下大先生のお誕生日なので、記念して
 この曲です。
 しかし、それにしても。自分の人生において
 「甘く危険な香り」なんていうことが
 言えるような状況はもうこないのか。)


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07. 04. 25

顔について

オヤジの母方の親戚で、役者をしている人がいる。
素人の人が余暇を使ってやってる「演劇活動」みたいなものではなくて
ちゃんとしたプロの役者。
映画とかテレビのドラマにも出てる。


それでたまたま里帰りしていたその人とずいぶん前に話す機会があった。
「謙介は、花伝書は読んでるやろ。」と訊かれた。
「はい。もちろん読みました。大学の時に中世文学研究の授業で。」
と俺は答えた。

「花伝書」は正しくは「風姿花伝」という。言うまでもなく著者は世阿弥。
さっきも書いたように、読むことになった最初のきっかけは中世文学研究
の授業ではあったのだけど、読み始めたらおもしろくて授業の教科書
ということを忘れて一気に読んでしまった。

「時分の花、ってあるやろ。」と、その人が言う。
「はい。若い時に 若さに任せて一時的にわっ、と出てくる魅力、っていう
あれですね。」
「そうや。若い時は、もう若いっていうだけで、キラキラするような魅力が
あったりするもんや。」
「テレビのドラマなんか出てる、売り出しはじめの人っていうの、いっぱい
いますもんね。」
「毎年まぁ、ようも飽きんと次から次から出てくるわ、、、。そやけどな。」
「はい?」
「ものになるのはそのうち何人居てるやろな。」
俺は黙ってその人の顔を見た。
「めっきというのんか、それは数年をたたずに剥げてしまう。
問題はそれからや。」
「その売れなくなった時期をどう過ごすか、っていうことですね。」
「そや、、。まぁ、俺はその役者がどんなことをやってきたか、なんて
一々は知らん。けどな、、。ずっと自分の中で何かを抱えてやってきた
奴っていうのはな、40過ぎたら、分かってくるんや。」
「どういうふうに?」
「40過ぎたら、自分のそれまでの生き方がはっきり顔に出るからや。」
「やっぱり、出ますかね?」と俺は訊いた。
「出るなぁ。自分と向き合って、自分に何か問題があったとしても、逃げないで
真正面から当たってきてた奴はそれなりにいい面構えになるよ。」
「世阿弥が言う、真の花っていうことですね。」
「うん。」その人はそう言い、
俺はだまってうなずいた。
「そやから、自分をごまかさず、しんどい生き方になるかもしれんけど
逃げんとやれよ。」
「ごまかしたり逃げたりはしたくないですけど、、だけど俺、そもそもが役者に
なれるようないけてる顔ではないし、、」とそこまで言ったら、その人は遮るように、
「オマエの生きてきた全てが出るねんから、ごまかしたりするな。
あ、まぁオマエは、むしろ不器用なほうやしなぁ。そのまままでええか。」
そう言ってその人は笑った。

年をとるといろいろな変化が身体全体に現れる。
ゲイの人のブログを見ていても、「もう若くない。」とか「前はもっとお肌にハリが
あったのに、、。」とかそういう年を経て出てくる変化が書かれていたりする。
それはある意味どうしようもない。
それと思うのだけど、たぶんGBrなんかに登録してるブログを書いてる人の年齢って
比較的若いんじゃないかなぁ。だから、年齢を経た人が書いているブログ、って
比較的少ないからどうしても書いているのが若い人の方から、っていう
書く人間の人数に年齢的な偏りがあるんじゃないかな、という気がする。

第一若い人にそんな将来のこと、ったって、ねぇ、わかんないものね。(笑)
だけどある程度の年齢になると、そんな顔のことより、仕事とか人間とか
そういうものもすべてひっくるめて、その人は? ということを見たり
見られたりするようになる。
だってさ、外見はカッコよくたって、(役者とかホストとかそういう外見の必要な仕事
はともかくとして)肝心の仕事ができない、っていうのでは、ホント困るんだもの。

うちの職場にも居たよ。確かにカッコよくてスーツをピシッと着こなしていて、、
という人なんだけど、書類作っておいて、、って頼んでも、期限までにできない。
というのか、仕事がすんごく遅い。もしくは、できてても、ミスがあちこちにあって、、
とか、用事を頼んだら、3件のうち1件は必ずといっていいくらい忘れていた、とか。
それがしょっちゅう。

これではいくらカッコよくてもねぇ、、周囲は困る。四六時中そいつの
フォローばっかりしていなくちゃなんない、って、そんなのでどうするよ?
使えねえんだもん。

今年の1月だったか、うちの姉が実家にもどっていて、近所のスーパーに行ったら
はるか昔、大学生の頃、すごくハンサムでかっこよかった人が
「えらいふけはってたわ。」なんてことを言ってた。
鼻が高くて彫りの深い顔立ちだったから、年が寄って、目の周りとか頬の肉が
ずーんと落ち窪んでしまって、余計にふけて見えたとか。
役者のその人も言っていたけど、彫りの深い顔立ち、っていうのは、頬とか
顔の肉がドーンと落ち窪んでしまって、年取るとすごく損らしい。 
むしろ平面的な顔だと、顔が落ち窪んだりするようなことが少ない分
あんまり老けた感じにはならないんだとか。

まぁそういう実際的な変化、っていうのは、謙介の場合、土台がそもそも
わはははですから(笑) お話にならない、っていう感じではありますが。

それはさておき、じゃあ、そんなふうに変化・変貌していく「自分」を
どうしますか? 
いやだいやだ、って言っていつまでも受け入れ拒否します? 
それとも、しっかりと受け止めます?


はてさて自分と言えば。
朝、顔を洗った時に、たまに自分のご面相を眺めたりする。
自分でも「あーあ」とため息は出るけどね。
でもま、人と比較しても仕方ないやね。(笑)

役者をやってるその人は、若い時だってなかなかだったし、
今なお「おおっ。」っていうようなものを持っている。

俺もその人に言われたことを思い出して、
せめて自分は、何とかごまかしたりすることをせずに生きて行きたいなぁ、
と思っているんだ。せめて自分に納得できる生き方がしたいじゃないか。
(まぁ周囲の状況とかで妥協したりしないと
いけなかったり、思うようにいかないこともしょっちゅうあったりはするんだけど。
でも、そういうことって、みんなだってあるけどね。笑 )

(今日聴いた音楽 ひだまり ピアノ 西村由紀江 
 アルバム 大地のうた 2000年発売版から
 この曲を聴くと、田舎の家の母屋と蔵の間に
 あった、ほっこりとしたひだまり を思い出して
 穏やかな気分になれる。)

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06. 12. 07

あなたは声をあげて泣くことができますか?

近頃あっちこっちで「号泣」という文字が
書かれているのを見る。


こんなに「号泣」という言葉を見かけるようになったのは、
江國さんの小説が出てから、だろうか。
だけど、そんな「号泣」という単語の入った文章をじっと
見ていると、俺は何だかその文章の中から、「号泣」の文字だけ、
浮いてしまっているような気がしてくる。


ところで。

ものすごく基本的な質問をしたいのだけど、
「号泣」の意味って、分かってる?


意味をちゃんと分かった上で、
「号泣」なんて言葉を遣っているのだろうか。 
普通に涙を流す、なんていうのは全然問題外だよね。
そんな程度じゃ全然「号泣」なんて言えやしない。


号泣、って、大声をあげて泣き叫ぶ、
うぁんうぁん泣く、
という意味。


今まで長い間押さえられていた苦しみとか悲しみとか
まとまりのつかない感情が一気にはげしくあふれだして、
大声を出して泣く。
そんな感情が突出して出てしまった泣きかた。
いや、泣くなんかじゃ弱いな。
そうだ、慟哭(どうこく)だ。慟哭なら、近いかもしれない。


あっちこっちで「号泣」という文字を見る。

だけど

人って、そんなに簡単に号泣することが
できるものなの?
それとも、俺という人間が号泣なんてできない
だけなのだろうか?


あなたは声をあげて泣くことができますか?

最近、声をあげて泣いたことってありますか?

(今日聴いた音楽 グレゴリオ聖歌から
 聖母マリアの被昇天の祝日のための聖歌 
指揮 フォスコ・コルティ 歌 アレッツォ・フランチェスコ
コラディーニ・スコラ・カントールム 1975年4月の録音)
 


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06. 11. 10

終わった 終わった。

やったー。

6月から、ずーっと準備をしてきた大きな会議が
今日やっと終わった。後は今日の記録の整理をして
来年の事務局担当者に引き継ぐ。

まだまだ残務作業はだいぶん残ってはいるけど、
身体もなんとか持ってくれたし、

とりあえず大過なく終わったのでホッとした。


(今日聴いた音楽 松任谷由実 ノーサイド 
1984年発表 アルバム ノーサイド から
音源はLPレコード)

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06. 11. 09

病気とのつきあい

昨日 仕事帰りにがんセンターに寄る。
こないだから、今までと違う薬が処方されたので、
その状況を知らせてと 主治医から言われていたので
その報告に行く。

薬を飲んで、ぼぉっとすることはあるのだけど、
まぁそれは想定内の副作用らしく
じゃあ、しばらく続けて服用してください、
ということになる。

診察後少し雑談。
(俺がその日最後の患者だったこともあって時間があった。)
話は、当然、という感じで
今、こちらで大問題になっている腎臓の移植のことになる。
臓器移植もいろいろあって、一番簡単な「臓器移植」だと
結構大勢の人がやっているんだよ、とのこと。

「献血」。
あれも臓器移植なんだそう。

今の医学では病気になって機能が喪われてしまった
臓器を再生することはできないそうなので、
移植、という方法が最終的に残された方法になる、という話。
特に腎臓はよく移植の問題になると出てくる内臓だそうな。

腎臓病になると本当に大変だと思う。
血液の濾過装置が壊れて機能が果たせなくなる。
腎臓病にかかると、週に3回くらい
病院に行って人工透析を受けなければならない。
腎臓でやってる濾過を、機械で代行する。
1回の透析に3時間から4時間。
これを週に3回。
聞いているだけでもしんどいなぁ、と思う。


俺が病気のことを最初に診てもらった大学病院の先生から
告げられたときは、やっぱり目の前が真っ暗になったような
気がした。

今の医学では完治は難しい、と言われたけど
何%かは治る見込みがあるからね、って。
何%くらいですか? と聞くと
そうだねぇ。15%くらい、といわれた。
それから3回
違う治療法を試してみた。
8月の末までやっていた治療も、ついこのあいだ、結局効果が
なかったとことが、検査の結果ではっきりした。

このあいだ友達と話をした。
その友達も病気を抱えている。
「結局、焦らず気長に病気とつきあっていく、しか方法はないよね。」って
彼が言った。
治そう、たたいてしまおう、ってしゃかりきになるんじゃなくて、
病気とうまくつき合いながら、過ごしていく、という方法。
このほうが無理がないよね、とお互い話をした。

大学のときに中世文学講読の授業で「徒然草」を読んだ。
兼好さんは、友達の要件の中で「病気の友」ということを
書いてあった。 その時は字面だけの理解だったけど、
こうして病気とともに歩くようになって、
その気持ちが痛いほどよく分かる。

この先、自分の身体の中で病気がどう変化するのかは
よく分からない。 だけど、病気を力でねじ伏せてしまうのではなくて
自然にゆるゆると病気と向き合って過ごしていけたらいいなぁ
と昨日は車の中でもう一度思ったことだった。

(今日聴いた音楽 渡辺はま子 蘇州夜曲 1985年の復刻盤から)

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06. 11. 08

顔写真をめぐる葛藤について

 前に大学の時に習った書道の教官が個展を開いたことがあってね。
そのときに(まぁ浮世の義理で) 個展を見に行ったんですよ。
で、会場でパンフレットをもらって見たの。

 そうしたら、作者ご近影写真、っていうのがどーん、とパンフの最初に掲げられていて。
実はそのセンセイのプロフィールの写真、もう20年くらいずっーーーーーーーっと使い続けているやつ。
俺、何度その写真繰り返して見たかしれやしない。
にもかかわらず「作者近影」だって。

 いつだったかうちのねいちゃんに
「このセンセイ近影っていいながら、20年以上使い続けた
写真をプロフの写真に使ってはったわ。」と言ったら、
「あんた、このセンセイ、最近撮影した写真を近影と
言うてはるのとちゃうねん。 カメラを近くに寄せてアップで
撮影した写真のことやし。そやから近影。」

そんなアホな。

 まぁでも何もそんなもの、書道やってるおっさんになんか限った
ことではない。 だってさ、クラシックの音楽会なんか行くと
ポスターとかパンフレットの写真と、いざ公演がはじまって
ご本人が登場したときのギャップがあまりに大きい(というかほとんど別人)
人、結構多かったりする。

 よくゲイの人の掲示板で、詐欺画像が問題になってたりするけど
そういうのって、別にどこだって普通にある問題なのかもしれない。

 だけど、そういう問題があっちこっちで発生する、って
いうのは、やっぱり根底に、ある部分で自分の顔にコンプレックス
を抱えた人が多くいるからなんでしょうね。 
だから一等写りのいい、と自分で思ってる写真を使い続ける、
っていうことになるんだろうな、って俺は思う。

ところが年齢って一方で、確実にどんどん経過していく。
「事実」はそうなんだけど、その一方で人によっては、その現実を
認めたくない、っていう人もいるわけで。
だから、自分の写りのいい写真を使って、その現実を見ないように
してる、っていうこともあるかもしれない。 

 だけど、周囲からかっこいいねぇ、って山ほど言われる
奴でも、実際に仲良くなって、本音で話すようになると
結構いろいろと顔とか身体についてのコンプレックスを抱えて
いるんだよ、っていうことを話してくれたことがあってね。
まぁ、そういう奴はそういう奴で、いろいろと悩みはあるわけなんだ。
煩悩は尽きないものよのォ。(笑)


 実は、こないだ、俺が所属してるある団体で会員登録の更新で
必要だから、っていうんで、自分の写真を会員カードとともに送った。
写真なんて面倒だったから、たまたま来てた友達が
デジカメを持っていたもので、さっと撮ってもらって、サイズに加工して
プリントアウトして送ったんだけど。

 その後、机の中を整理してたら、去年これも必要があって
証明写真を撮ったものの残りが出てきた。
それは、ちゃんとしたプロに撮ってもらったものだった。
(たまたま東京に行ったときだったので、新宿○勢丹の写真部で撮って
もらった。 ここで撮った写真を会社の採用試験の応募申請の履歴書に
貼って出したら、採用合格率が上がる、っていうジンクスがあるらしいのだけど、
それって、本当なのか?)

 さすがに、こないだデジカメでぱぱっと撮ってもらった写真より数倍(当人比)は
よさげ。 それでまぁ、そういうふうに写りのいい写真を使う人の気持ちも
なんとなくわかった、っていう気がしたんですけどね。(笑)

 だけどこないだ、何でもはっきり言う友達に言われてしまった。
「謙介は外見をかまわなさすぎる」んだって。
もうちょっと、「かっこいい奴」とか、「イケてる奴」「センスのいい人」を見て学習しろ、
だってさ。

 へいへい。わかりました。研究と向上への努力が足らないわけですね。
(あーあめんどくさ) 一応「努力しまーす!」って、とても元気よく
言っておきましたですよ。(さすがにその友達も、「どうだか」っていう顔してたけど。)

ちゃんちゃん。

(今日聴いた音楽  哀しみの聖母  ピアノ演奏 西村由紀江 
アルバム 大地のうた 1998年発表 から)


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06. 11. 07

きっぱりと、冬

 朝、起きると外から風の音がする。どうやらものすごい勢いで風が
吹いているらしい。出勤の時間になって外に出ると、雨も降り出す。
もちろん横殴り。

 昼休み、いつも調剤を頼んでいる薬局から、がんセンターから
ファックスで送られた俺の処方箋を見ると、薬が前回と変更に
なっているが、という確認の電話。主治医の診察の結果、薬を
少し変えてみましょう、ということになった経緯を話す。

 仕事帰りに薬局に寄って薬をもらってくる。
 昨日と比べて7度気温が下がった、って。だけどまぁこの時期
ならこれが普通なのかもしれないなぁ。夜、あたたかいものが
食べたくなったので、サツマイモとニンジンと小魚で
かきあげを作って、湯だめうどんとともに食べる。

 うどんは坂出の○之出製麺のもの。 薬味は細ネギと胡麻
しょうが、大根おろし。
 あ、おかげですっかりからだがあたたまった。


(今日聴いた音楽 大阪で生まれた女 BORO 1979年
音源はシングルレコード)

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06. 11. 06

自分に合った仕事(その1)

 連休中は実家で過ごしていました。
お休みなので、いつもは都会にいる友達とか知り合いとか、
親戚が来たりで、家にいても結構いろいろなことがありました。

 で、近所のOLのおねいさんが、信州に行っていた、というので
小布施の栗のお菓子を持ってきてくれたときに少し話をしたのだけど
彼女の弟が、大学を卒業したんだけど
「自分に合った仕事を探したい。」って言っているんだそうな。

 よく聞くんだけどさ。この「自分に合った仕事」って。
俺、そう言わると、「自分に合った仕事?」って逆に聞きたくなるのよ。
「自分に合う」とか「合わない」って一体どういうこと? って。

 俺ね、小学校から高校まで国語は比較的好きなほうの教科では
あったけど、でも、中でひとつ大嫌いな分野がありました。
そりゃあ、「国文法」ですよ。
用言 体言 にはじまって、助詞 助動詞 っていうあれですね。
「つぎの言葉は何にかかりますか? 」 とか
「どの言葉を修飾していますか? 」っていうようなやつ。
文語の助動詞の意味、とか。

 もう嫌で嫌でたまらなかった。
何で世の中、こんな文法なんていうものがあるんだ、
とか。やってる最中、ずーーーーーーーーっと
きらいきらいきらいきらい(笑) って思ってましたもん。

 その人間が書いた論文が、奈良時代の「死」を表記する語彙について。
ハイ。立派な国文法の中の論文。
俺ね、自分の人生で、ホンマ学習したんですよ。
嫌いや、好きじゃない、自分に合わない、って思ってたって、
人生、ある瞬間で何が起こって、どう変化するか、なんてわかんないなぁ、って。
あれほど大嫌いだったものが、何ということでしょう。
(劇的ビフォアアフターの加藤さんのナレーションみたいですけど)
自分の資格になってたりしますもん。

 じゃあ、何が変わったか、っていうと、
文法は大して変わりようがないのですから、
俺のほうの意識が変わった、っていうことでしょ?
それしかない。

 嫌いだったものが、好き、とは言えないけど(笑) 
興味を惹く存在になった、っていうことかな。
案外みんな、大きなこと忘れていたりするんだよね。
自分の考え方って、どんどん変わる、っていうこと。
自分に合う、とか合わない、って言ってる人って、話を聞いてると
自分の考え方は、ずーっと変わらない、って思ってたりするけど、さ。
自分の考え方って、変わった部分はないですかね?
10年くらい前と、今はどうですか?
 もちろん同じところもあるけど、すっかり変わった、っていう部分だって
あるって思うんだけど。

 何か「自分に合う仕事」って言ってる人って、話を聞くと
未来永劫、自分っていう人間の考え方は変わらない、
って思いこんでさ、仕事を合う、合わない、って言ってるような気もするんですよ。

自分の考え方って、一方でどんどん変化していってるわけでしょ?
で、その仕事についた時は、たまたま自分に合う、と思っていた、と。
だけど考え方が変わって、すごく嫌。自分には合わない、となったらどうします?


確かに嫌いな仕事は最初からしたくない、
っていうのは分かるけど、
合わない、っていって全部切ってしまっていたら、合うものも見つからなくなる
なるようにも思うし。嫌いなものだって、いつ何かの加減で
好きなふうに転ぶかわかんない、って思うし。

だってさ、他の人のブログ見てたら、
以前は気にもならなかった○○が最近は微妙に気になる、とか
書いてあるじゃないか。 (笑) 
小さい時に嫌いで、あんな食べ物のどこがいいんだ、
なんて思っていたものが、大人になったら、好きになってるとか。
こんなふうに人の好みだって変わっていったりするじゃない?

だから仕事探しって、「自分に合う」っていうことで探すのも
あり、だとは思うけど、

もうちょっと間口を拡げてさ、とりあえずこの仕事は嫌いではないよ、
っていうあたりまで条件をゆるめたほうがいいんじゃないか、って
思うんだけどな。
OLさんの弟くんの話を聞いてて
俺、そんなふうに思った。


(昨日聞いた歌  ベートーヴェン作曲 交響曲第9番 ニ短調 
指揮小沢征爾 ニュー・フィルハーモニーア管弦楽団 演奏 )


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