関係性の変化について
来月、またしんどい出張があるんですよ。
前々からお話しているように2年間継続の
研究会の出張で、1回の研究会は3日間。
研修会そのものは
朝の8時から夕方の6時まであってさ。
さらに夜の懇親会までありまして。
で、この懇親会も研修の一環なので
仲のよい気
心の知れた人だけと話をしたら
いけなくて、参加した人全員と同じように親しくお話を
して懇親を深めないといけないんだそうで。
で、ちゃんと全員の話を聞いて、全員と会話をする。
そんなこと言ったってさー、
誰だって波長の合う人と合わない人がいて
ちょっと話をしたら、そんなことわかるじゃないかー
って思うんだけど、それではだめで、全員と
等しく親しくお話をしないといけないんだそうで。(やれやれ)
おまけに受講生が8人だから
居眠りなんて、ああた、全然できない状態で。(笑)
居眠りどころか、講義形式は最初の3時間
くらいで、後はプレゼンテーションをしたり
そのプレゼンの批評会だったり、討議・発表
だったりで、もう1日終わってさ、宿舎に入ったら
ぐったり。
それが今回なんて、泊り込みの合宿でさ、
しかも去年からの受講生は今年からの受講生と
2人一組の部屋で、いろいろ話をすること、だって。
もう24時間一緒みたいな研修で、、。
その要項が先週の金曜に添付ファイルつきで
仕事場のパソコンに来たわけですよ。
それを見て一緒に行くもう一人の同僚と
やれやれですねぇ、、、
また近づいてきましたねぇ、、という話をしていたんだけど、、。
で、その中に、自分が学校を卒業して
今まで働いてきたわけだけど
その時々でどういう仕事をしてきたのか、また
その仕事によってどのようなことが分かったのか
学べたのか、というのをずっと自分史の年表みたいに
書いていくのが課題としてあったの。(今回は
その今まで書いてきた課題の最終確認みたいなもの。9
これって分かりやすく言えば自分の「職業経験の可視化」
ということになるのかなぁ。
で、去年の7月に、第一回の研修会があって
その研修会の宿題として、自分の今までの
職業経験を書いていって、それ以来、何度も
確認と指導を受ける先生から
ここんところはこういう要素も入れてみて、とか
ここをもうちょっとくわしくとか「ご指導」があって
書き直してきたんだけども。
例えば2001年4月から5月まで、こういう仕事の
担当をした、と。具体的にはこういう仕事の内容で
こういうふうなことをやった、と。それで結果として
顧客にこういうものを作った、とか提案をして渡した、
と。その時に、自分はどういうことに気をつけて
その仕事をした、とか、こういう成果があった、とか
逆にこういうようにしようと思ったけれども上司と
対立して思うようにできなくて残念であった、とか
書いていくの。
実際に文字にしていったら、その時々で自分の動きとか
何をしたのか、どうしようとしたかったのか
とか、客観的に見えるようになるんだよね。
それを読んでいたら、あ、と言って思い出すこととか
あってさ。
その時自分はこういう仕事をしようとした、と
でも結果的に失敗した、と。その原因は今に
して思えば~だったのではないか、と。
過去の失敗とかうまく行ったこととか見てると
そこから今の自分がわかってくること、って
あるよ。毎日の生活で、ちょっと先の自分しか
見えにくくなることが多いんだけど
すっかり忘れてしまっていた、将来、自分は~を
したかったんだ、ということとか、その過去に持っていた
希望とか夢は今も同じなのか、違ってきたのか
じゃあ、今の自分はどうしたいのか、どうしようと
しているのか。 その書いた項目から自分の
今と先のことを考えるようになるの。
今までの仕事の経験の中でこういうことが
できるようになった、とか、近い将来はこれをしたい、とか
そういう自分を見直す資料としてこれを書いていって
すごく役にたったなぁ、って思った。
20代のころは自分を取り巻く仕事上の人間関係
なんて単純でさ。
自分⇔他者(あるいは組織全体) の一方向だけ
見てたらよかったんだけど、歳とってくると今度は
組織全体を見て、「調整」しないといけない、っていう
お役目がまわってきて、、。この調整っていう
お仕事がねぇ、しんどいことなんですよ。
若いときは仕事で会う相手だけ見てたらいいし、大抵は
それで事足りるから、自分の立場だけでものが言えたり、
人間関係も単純明快に
こうじゃないか、って言い切ることもできた。
でも、おっさんになってくると「調整」っていうお仕事
が入ってくるの。最近の言い方だと「マネジメント」
しないといけなくなる。
それは基本的に自分が動くんじゃなくて、この人はここに
この人はこういうのが得意だからこっちに、っていう全体を
見て、どうするのか、ということを考えないといけない、という
お仕事。
基本的に理想とすれば適材適所がそりゃいいんだろうけど
それはあくまで「理想よ理想。」
だって現実問題として、どこの職場も人数とかスタッフが揃ってるとは
限らないから、人数の関係でどうしたって
得意な分野でなくても、しょうがなくてこの人にやって
もらわないといけない、っていう場合だってあるし。
そうしたら当然その人からは文句が来る(笑)
「なんで私なんですか。 私はそんなのできません。」って。
若いと自分と組織だけ、とか相手だけ見てたらいい、
っていうのはこういうこと。
自分ができない、となったら「私、できません。」とだけ
言ったらそれで済む。
済んでるうちは楽でいいよね。
全体を見て調整とか配置を考えないといけない場合は
少々、どころか現実を考えたら大幅な無理をしないと
どうしようもないときだって出てくる。
「私、できません。」っていう人を見たとき
思わず言ってやろうかと思った。「はいはいわかってます。でも
人手が足りなくて、ほかにいなくて仕方ないんです。」って。(笑)
他にいないから、やってもらわないとしかたがないの。
仕事ってそういうものだと思う。
自分はこれをやってきたから、って
その専門が生かせる、なんていう仕事はなかなか
ないもの。専門が生かせる仕事に就くなんて、
本当にとても難しい。
仮にうまく自分の専門を生かせる仕事に
ついたとしても、半分くらい雑用があって
全然関係ない仕事だってしなきゃいけない。
だからさ、国文科出て、コンクリートの型枠に
生コンクリートを流す仕事だって、
他に人がいないからやってね、ってさせられちゃう。
人はいない。でもしなくちゃなんない、っていうので
全然その人とは関係のないというのかミスマッチな
業務を振られて、やれやれ、っていうことなんて
そんなの昔からあるよ。
でも、そういうときにでもやらなくちゃなんない、っていう
のが仕事だと思う。仕事してお金をもらう、って
そういうことでもあると思う。
全然英語ができなくても
はい君が担当、って国際関係のセクションに振られたりする
なんてあるしさ。
え? って思うようなことって結構あるもん。
それに自分の専門を生かせる職場であったとしても
仕事がうまくいかなくて自己嫌悪になったり
スランプに入ったり、ってあるでしょ。
前に今、楽天にいる岩村選手のお話会があって
それを聞きにいったら
あの人、一日100回は野球やめたい、
って思うことがある、って。
自分の専門についててさえも辞めたい、
って思うことがしょっちゅうだって。
だから専門についたから幸せなのか、と言ったら、
それだって幻想かもしれない。
専門の仕事は専門で
また別のしんどさ、だってあるだろうし、、。
専門外の仕事についてたら
どうして俺は専門の仕事につきたかったのに
うまくいかないんだろ、とか思うだろうけど
仮に専門の仕事についたとしても、、いろいろあって、、
ねぇ、、。
だから専門とか専門外、っていう見方で
仕事を考えるんじゃなくて、その仕事は自分が
何とかできそうな仕事か、到底自分には合っていなくて
無理だから嫌な仕事か、で仕事って考えていったほうが
いいと思う。だからそのためにはまず自分のことを
よく知らなきゃ、何が合ってて何が合わないか
だってわかんないもんね。 仕事って「自分を見つけること」
っていうのは、そういうことなんだ、って思う。
今回こういうふうに自分の仕事のことのまとめを
書いていくと、客観的に自分が今まで
何をしてきたのか、っていうことがわかった。
そしてその中で仕事の中身とか、他との関係性というのか
結びつきのしかたもずいぶん変化してきたなぁ、って
改めて思った。
そういう発見があったのはよかったことなんだけど、、。
来月の研修までに課題が二つありまして。
その宿題に当面また追われそうです。
謙介さんはのほほん、と行きたいんですけどねー。
なんだかのほほん、としてたら、
「あんたヒマそうやな。」って言われて、これもしろ
あれもしろ、って言われているところです。
やれやれ。 明日はどうなるのでしょう??
はて。
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