心と体

18. 12. 30

その後の状態について

今回、帯状疱疹になってから、
改めて周囲を見ると、「帯状疱疹」への
注意がなされていた
ことがわかりました。

「40歳以上になったら、
帯状疱疹のワクチン接種を受けましょう」
というポスターが
病院の待合室に貼ってあったのです。

で、注意して見ると、そのポスター、
あっちこっちに貼ってあって。

でも、今回、その病気になるまでには、ぜーんぜん
そんなことに気が付かなくて。 つまりは
ポスターは見ていても、見ていなかった、
ということなのですね。

視界には入っていたのに、
きちんと意識をこめて見ていなかった、
ということなのですね。

今回の帯状疱疹についてですが、
頭が痛くなったのが12月2日の午後のことでした。
自分の場合、頭痛があっても大抵は一晩寝たら
治るのですが、それかなぜかずーっと
続いていたのです。

12月4日になっても頭痛は消えず、
12月5日になってもまだ頭が痛かったので、
それで12月5日に脳神経外科を受診
しました。 MRIを撮ってもらい、神経も撮ってもらった結果
特段問題はないんだけど、、、ひょっとしたら、2,3日後に
帯状疱疹が出る可能性もありますねぇ、ということでした。

それで、帰って普通に生活していたのですが、
熱は出るし、しんどい状態は続いていました。
12月7日と8日は、出張があって、謙介、どうしても
そこで発表しないといけない、会議がありました。
7日も熱が出る、ということで、ロキソニ○を飲んで
参加しました。

で、8日になったら、左目が殴られたボクサーみたいに
なっていて、、、それでもひどい顔のまま参加しました。

で、その会合が午後の4時半に終わったので
主治医のところに行ったら、帯状疱疹ですね、
との診断を受けました。

すぐに薬を処方してもらって、
抗生物質を飲み始めました。
何せ目が腫れてしまっていたので、
翌日、目の状態を診てもらうために、
眼科に行きました。

結果、特段異状はないとのことで
安心した、ということです。

それで、主治医からはとにかく休め、
ということだったので、12月11日から16日まで休んで
17日から出勤しました。で、22日23日は
行政書士さんと恩師に用事があったので
京都に行きました。25日にもう一度、病院に行って
年末年始分の薬をいただいてきました。

病状としては、17日の月曜の段階では
まだ瞼の腫れが残っていました。
頭の痛みも頭頂部を中心にびりびりとする
痛みでした。
それはずーっと25日くらいまで続いていました。

それが、ロキソニ○を飲まないと頭が痛いのです。
で、飲むと今度は、頭がかゆくなっていくのです。
その状態がずーっと続いていました。

26日を過ぎたころから、頭頂部の痛みは
減ってきて、今度は左目の奥のほうが痛く
なってきました。
それで今に至っている、という感じです。

今はロキソニ○を飲まないと目の奥のほうが痛い、
という状態です。

帯状疱疹ですから、12月9日ごろには
顔の左目の周辺、左目の額周辺に
ものすごい赤いぶつぶつができていました。

まぁだから疱疹、ということなんですけど。

その疱疹自体は服薬のおかげで
1週間で枯れてはしまいましたが、
やはり今も茶色くぶつぶつの跡が残っています。

跡が残ってはいけないと思って、
栄養クリームを塗って、跡がなるべく残らない
ように、と思っているんですけどねぇ、、。
でも今なおしっかりと痕跡が残っています。

不思議なもので、頭頂部のピリピリが
あった時は、おでこのへんの皮膚も
ガサガサだったのですが、
痛みが無くなってくると同時に
おでこのへんの皮膚もほかのところと
同じような感じになってきました。
今は、鼻の横、左目の右あたりの
皮膚ががさがさしています。

目下メコバラミ○という小さな錠剤と
リリカ、という名前はかわいらしげな薬を
普通に飲んでいます。

このメコバラミ○は、末梢神経を修復する薬なのだ
そうですが、5ミリほどの粒の薬なんですよ。
アリナミ○にも配合されていて、
傷んだ神経を修復する、と西島くんも
言っているあれですね。

でもね、このメコパラでん
えらく錠剤が小粒なのですよ。
錠剤があまりに小粒なので、
うちの仕事場の保健師の方に、
こんな小さい粒の薬で効くの?
と聞いたのです。もっと大きい錠剤のほうが
いいんじゃないの? とか。

そうしたら、これはね、大量に摂っても
結局体に吸収される量は一定でしかないし、
この粒の量が、身体に吸収する最大限度の量
なので、これより大きな錠剤を服用しても
意味がないのですよ、と
教えてくれました。

この症状がいつまで続くのか、ということは
個人差があってわからない、ということですが、、
やがて収まってもらえたらなぁ、と
思います。

眼の奥の痛みは今も続いていて、
ロキソニ○のお世話になり続けています。


早くロキソニ○のお世話になる状態が
終わってくれたらなぁ、と思うのですが、、

今の段階ではこんなふうな感じです。

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18. 12. 26

目の腫れは収まったんですけどね

先週はいつも通り出勤をして、
仕事をしておりました。
先週はまだ目が腫れていたのです。
今週になって目の腫れは
収まってきたように思います。

ただ、神経の痛みはまだ取れません。
時に強くなったり、収まりかけたり、
を繰り返しています。

それでも、先々週、先週に比べたら
だいぶん弱くなってきました。
でも、やはり薬が切れると
ピリピリとした痛みが頭のてっぺんから
耳の後ろにかけて起こります。

それと左目の周囲を触ると
やはり全体的にヒリヒリと
します。

あんまりなんでもロキソニ〇頼りに
してはいけないんですけどね。

ただ、前に先生から処方していただいた
他の薬もなくなってきたので、
今日は薬をもらってきました。

これで何かあったらお正月も
越せそうです。

もうちょっと休んで、という同僚の話も
あったのですが、
両親の関係で、どうしても
京都に行って、行政書士さんと
話をしたりしないといけないことがありまして、

その京都行に向けて、体を動かして
普通に動ける状態にしておかないと、
ということもあって、仕事をする状態に
した、というところもあります。

とはいえ、仕事も7割くらいの運転で
やるようにしましたけれども。

顔に出た疱疹の跡は、まだ色濃く
残っています。

主治医の話では、全部収まるまでには
やはり3か月くらいかかるだろう、
とのことですので、うーん。
来年の春くらいまでこの状態が
続く、ということなのかなぁ、と
思います。

今回この帯状疱疹になって、
改めて気づいたのが、
結構あちこちにこの帯状疱疹予防の
ワクチン注射のポスターが出ていたことです。

ということは、やはりそれだけ
おっさんおばさんになると身近なもの、
ということだったのですね。

それと、自分の身体に無頓着だった
ところがありますが、これからは、
もう少し自分の身体をいたわって
いかなくては、ということに
気づきました。

総務のえらいさんが、
「もう、無理はしたらいかん、というこっちゃ」
と言ってくれましたが、
まぁそういうこと、なんでしょう。

とはいえ、しないといけないこともあるので
加減をしながら、ぼちぼちやって
行こうと思います。


ということで、少しずつ立ち直りつつ
あります。

次回から、
その京都行のお話をしたいと思います。
それでは。

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18. 12. 21

瞼の腫れややもひいてきました

今日は、久しぶりに立ち上がって、
主治医のところに
行ってきました。

瞼の腫れはまだぷくっと残ってはいるのですが、
今週のはじめ、左目が全然見えなかったときに
比べたら、ずいぶんと開いて、見えるように
なってきました。

今のところ、明日の昼まで、先週の土曜に
処方された薬があるので、
とりあえず、なくなるまでそれを飲み続けます。

かさぶたについては、自然に取れていくし、
取りたかったら、取っていいよ、
ということでした。
人の多いところへは、謙介が行くのは
いいけれども、その際に子どもに会ったら、
子どもに水疱瘡をうつすことになるかもしれない、、
ということは言われました。

まぁこの時期、インフルエンザや風邪も
流行っているので、人ごみは避けたい
と思います。

まだ頭痛が残っています、と言ったら
末梢神経を修復する薬とロキソニ〇を2週間分
処方してくれました。

実際頭痛だけでなくて、
神経がやられてしまったために
いろいろと不具合が出ているのが
だんだんわかってきました。

眼球そのものには被害はなかったのですが、
視力ががたっと落ちたなぁ、という気がします。

それから食べ物の味がちょっと変わった
感じです。
ということは視神経と、味覚神経に
影響が出ている、ということなのでしょうか。
特に動体視力があかんようになって
しまいましたねぇ。

一生このまま、なのかなぁ、と
思ったら、やはりちょっと、
重たい気分になります。

お医者さんは、今回のこの
帯状疱疹の原因がストレスと
過労、と言われました。

最近、食後にちょっと休んで、
目とか体全体をいたわるようにしているのですが、

その時にどっと疲れが出てくる、
という感じです。
やっぱりあちこちと無理をしていたんだなぁ、と
改めてわかりました。

今年は大掃除とか、片づけは
目をつぶることにして
新しい年を迎えようと思っています。
まぁそんな年もあるか、
というところで、、


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18. 12. 13

スカスカかと思ったら、、

今回の帯状疱疹なんですけど、
元をたどれば、12月の2日の午後から
頭が痛くなっていた、というあたりが
最初だったのです。

謙介の姉じゃ人は、しょっちゅう片頭痛がする、
というのですが、謙介はほとんど頭痛と
いうことがありませんでした。

たまに頭痛があっても、一晩寝たら
たいていは解消していて、
あ、治ったわ、というようなものでした。

それが今回の頭痛は違っていました。
翌日3日になっても治らない。
やはりジンジンと痛いのです。
3日は午後から大切な研修会があったので、
とりあえずロキソニ〇を飲んで出かけました。
ロキソニ〇の威力や大したもので、
たちどころに頭痛は去って、
快調そのもの、という顔になって、
何とか無事に研修会を終えられたのでした。

で、翌日です。頭痛はまだしています。
頭痛は強弱を繰り返すのです。
一時すごく弱くなって、こりゃ大丈夫、
と思っていたら、しばらくしてまた強くなって
しんどくなるとか、、。

で、とうとう意を決して、脳外科に行くことにしたのが
5日のことでした。
脳外科なんて、ちょっと特殊な科だから、
行ったらすぐに診察してくれるだろう、と
いう謙介の想像は完全に裏切られました。

診察開始時刻の15分後に行ったにもかかわらず、
待合室は、お年寄りだらけだった! のです。
ほとんど老人の社交場と化していました。

幸い人は多かったのですが、お一人お一人の
診察は、そう長い時間がかかるようなものでは
なかったので、(たいてい、顔色を見て、ちょっと
会話をして、「薬出しとくけんなぁ」でおしまい)
パッパパッパと済んで、謙介の番になりました。

診察をしていただいてから、
じゃあ、頭の検査もしましょう、という
ことになりました。MRI検査でした。

たまたまその時に別の人がMRI検査を
していたので、その人の終了を待って、
ということで、15分くらい待って、
謙介の名が呼ばれました。


両親も何度も受けていて、
「ホンマ、やかましい検査!」と言っていたあれです。
丸い穴の中に頭を突っ込んで、加えて
検査中に、鼓というのか日本の小太鼓というのか
それを打ったようなポンポンポンという音が
断続的に聞こえてくるあれです。

最初、看護師さんから、この検査は20分程度かかります、
と言われて、え? 20分もかよ、と思ったのですが、、、。

でもねぇ、よほど疲れてしんどかったのだと
思います。そのうるさいポンポン検査の間、
最後のほう、寝ていたのです。

看護師さんが、終わりました、と言って
ドームを外してくれて、
気が付いたら知らぬ間に終わっていた、
という感じでした。

それからややあって、
もう一度診察室に呼ばれました。
で、その時に、MRIの検査の結果の画像と
神経の画像を見せてくれました。

頭の中、最近物忘れが激しいので
もうスカスカだろうと思っていたのですが、
画像から見る限り、思ったより結構詰まっている
ようでした。

高校の時の古文の先生がすんごく口の悪い先生で
ちゃんと質問に答えられなかったら、

君の頭は空か?
なんやったら、そこの味噌屋の
(学校の近くに味噌屋があった)
味噌でも詰めておいたらええねん
なんてよく言われていました。

うーん。それで行ったら、脳みそが詰まっているのか
それともその古文の先生のおっしゃったように
西京味噌だったのか、、、不明(笑)


ただ、その時に脳外科の先生が
ひょっとしたら、この病気は
2、3日遅れで、帯状疱疹が出ることが
あってねぇ、、、ということをおっしゃったのでした。
謙介もその話をちゃんと聞いたから
まぁこうやって覚えていたわけですけど、、

で、予言通りにそれから2日半遅れて、帯状疱疹の
症状が出たのでした。

後は今に至る、ということでした。

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18. 12. 10

今日は左目が開きました

今朝、起きたら、おかげさまで熱が下がっていました。
土日はやっぱり熱が高くて、38度台だったのです。
昨日の夕方で37度7分とかでした。
それが今朝になって測ってみたら、36度4分に
まで下がっていました。

熱が下がると、それまでは全然なかった食欲が
少し出てきました。
昨日なんて、口当たりのいい蒸しパンを半個
食べるのがやっとだったのですが、
今朝は肉まんとあんまんを1個ずつ食べて
(小さいサイズでしたけど)ヨーグルトも食べました。
やっぱり食欲が出る、って大切なことですよね。


今日(月曜日)は、どうしても提出しておかないといけなかった
書類の提出があったので、出勤をしたわけです。
ええ、もちろん殴られまくったボクサーの試合終了時の
ような顔でです。

朝の出勤時の車の運転は本当にものすごく
注意をしました。何せ左目が開きませんから、
いつもより余計に注意して車を走らせました。
どうしても注意確認するのでいつもより
ワンテンポ遅れるんですよね。
そうすると、この辺、すごく運転マナーの悪いところで
後ろにピタッとつかれたりするんですよ。

何とかかんとか運転をして仕事場に着きました。

先週は週末出張していたのでその時の
書類でもあるかと思ったら、何にもなかったので
ちょっとホッとしました。あったらあったで
その処理もしないといけませんし、、。

総務に自分のIDカードを持って出勤のサインを
しに行ったときに、総務課長に顔を見られて
しまいました。
「ど、どしたんぞー」と驚いてくれました。
「ヘルペスにかかったんです」
ということを説明したら、
「休め休め」ということで、今日、ちょっと必要な
仕事を仕上げた後は、帰って静養する、
ということにしました。

どうしても出さなくてはいけなかった仕事を仕上げて
それぞれのセクションに提出して、同僚に
後のことを頼んで退勤しました。
帰りもまだ左目が見えなくて大変だったのですが
午前10時半くらいだったので、ちょうど車の往来も
少ない時間で、帰りも無事に帰ることができました。

帰りに郵便局に寄って手紙を投函して、
スーパーで買い物をして帰りました。

主治医は栄養のあるものを食べてゆっくりしなさい、
と言ってくれたのですが、謙介さんときたら、、
日頃は絶対に買わないようなジャンクフード
(カップ焼きそばとかカップ麺とか)を買って
帰りました。お医者さんはきっと栄養価の高い
お肉とか魚を食べろ、ということだったのに
カップ麺で、、もう安上がりの人生ですね。

ペヤングで昼をいただいて、そのあとちょっと
休憩をして横になって目が覚めたら、なんと
左目が見えるようになっていました。
ちょっと腫れがひいたのだろうと思います。
鏡を見たら依然として殴られたボクサー顔でしたが。

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18. 12. 09

朝起きたら顔が変わっていた

昨日の土曜日の朝、起きたら左目がしっかりと
見えなかったんです。
鏡を見たら、あーあ、顔がすっかり変わっていました。
ボクシングの試合をした後のボクサー
みたいに瞼が腫れていて、
そのため左目がほとんど開かず状態
でした。それと熱を測ったら38度2分あったのです。


それでもその日、どうしても外せない会合が
あったのです。その会合の講師をすることに
なっておりまして、
仕方がないから、ロキソ〇ンを飲んで
何とか熱だけは下げて
その顔のまんまで出かけました。
会合の参加者の半分くらいは知り合いだったので
まぁ謙介さんその顔どうなさったの、
と言って驚かれました。

朝起きたら、虫にはなっていなかったのですが
顔がこんなふうになっていまして、、
と言ったのでした。

何とかお役目を終えたのが夕方の4時で、
それから、病院は何科にかかったら
いいのかわからなかったのですが
とりあえず熱もあるしなぁ、
と思って普段の主治医(内科)に行くことに
しました。

で、さすがですね、パッと見ただけで
ああ、帯状疱疹ですねぇ、
という診察になりました。

この病気は
どうなってなるのですか?
と聞いたら、過労とかストレスとかで
身体の抵抗力が落ちたらなります、
ということでした。

言われたらもう思い当たることばかりで、、
去年の夏からものすごく忙しくなったのと
親の介護の両立でしんどいことだったからだ、
とすぐに思いました。

このところこのサイトの更新ができなかったのも
あまりに忙しかったからです。

今日は日曜診療の眼科に行って、
目を専門的に見ていたでいて
きましたが、眼球そのものには被害はないとのことでした。

帯状疱疹は、場合によったら失明をする場合も
ありますから、やはり専門的に診てもらって
おいたほうがよいだろうと思ったのです。

主治医からは、とにかく休め、という指示だったので
10日から一週間休もうと思います。

帯状疱疹に気をつけましょう、
というポスターをあちこちで見ていたんですけどね。
40代あたりから増えていく病気だそうで、、
みなさまもどうぞお体ご自愛ください。

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18. 01. 09

がんセンター内科外来で

今日は病院に行きました。

がんセンターは中核病院なので
最初からがんセンターに診療に、
という人はほとんどいなくて
街場のクリニックとか医院からの紹介で
来院する人がほとんどです。

しかもそういう人はたいてい午前中に来て
午後はもう定期的に来院していて、予約を
取っている人だけの診療、
謙介のようにずーっと通ってきている
患者に限られる時間帯ということになります。

なので、謙介の行く時間の内科外来
というのはたいてい見知った顔の人ばかり、
ということになります。

謙介、ひとまず肝臓からウイルスが除去されは
しましたが、それまでに肝臓が痛めつけられて
いたので、肝がんのリスクは、相当に高いのです。

なので、相変わらず1か月に一度の通院は
ずっと続いていますし、半年に1度は必ず
超音波による診断を受けることになっています。

まぁ前みたいに1週間に2回も3回も通院、ということは
さすがに無くなりましたけれども。

やはり今日、待合室の話題になっていたのは
星野監督のことでした。


実は謙介、今にして思えば、星野監督のことで
あれ? と思うことはあったのです。

というのが、去年の11月3日のことでした。

11月3日は謙介、実家に戻って
夕方のローカルニュースを見ていました。

実家の方のテレビの民放局はすべて、
謙介のいる四国側と、お向かいの岡山県側と
両方がネットされます。

従ってニュースの時間には、
当たり前のように四国側のニュースと
岡山県のニュースが
混在して放送されるわけです。

それで、その日のニュースに
倉敷市文化章(賞ではなくて、文化章だそうです)
を星野監督が受賞した、というニュースが
ありました。(11月3日でしたからね)

授賞式のあと、星野監督のインタビューが
映ったのですが、その時にあれ? 
と思ったのです。その話し方があまりに
ちょっと弱弱しい感じがしました。 
阪神とか楽天の監督だったころと比べると
元気がなかったですし、
その後のテレビ番組なんかに出てきて
しゃべっている時の話し方とは
ずいぶん違うなぁ、という印象でした。

で、今回の訃報です。

今になって、
ああそういうことだったのだ、という
ことで合点がいった、ということでした。

いまにして思えば、去年の11月3日の
段階も相当に辛かったのではないか、
と思いました。

人体のなかで膵臓のあるあたりは、
臓器が重なっているので、
超音波診断でも膵臓がんは見つけにくい、
と言われます。

うちの主治医だって
「機械に映る部分については、
異常はなかったですねぇ」
という言い方ですし、、、。

それともうひとつ。
非常に不思議なことがあります。
謙介ががんセンターで、知り合った
膵臓がんの人は、みんな69歳とか、
70歳前後だったんですよ。

いろいろな歳の人がいるのが
普通だと思うんですが、
膵臓がんの患者さんに限れば
みんな70歳前後でした。
それで、今回の星野監督も70歳でしたし、、

膵臓がんは70が壁なのか?
とさえ、ちょっと思ったりしたのでした。

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17. 01. 28

しばらく更新をお休みします。

さきほど追突事故に遭ってしまいました。

幸い何とか生きております。
そういうことで、しばらく更新をお休みします。

また落ち着いたら更新しますので、
その時はどうぞよろしくお願いします。

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17. 01. 18

ストレスチェック結果

今朝勤務先の入り口のところ、、標識がこんなふうになっていました。
Img_1493_1


横から見たらこんなふうでした。
Img_1492_1
車がぶつかったらしいのですが、
見通しの良い道路です。どうしてぶつかったりするのでしょう。
加えて横は用水路で。 標識にぶつかったために
標識がガードレール代わりになって、車が
用水路に転落するのは避けられたようです。
(車が落ちたという形跡がない)


       ×      ×      ×

去年の11月の終わりだったかに
職場でストレスチェックを受けたんですよ。
今回、その結果が返ってきて見てみたら、
Img_1687

高ストレスの状態だ、と書かれてありました。 
Img_1688

産業医の受診をしてください、ともありました。

で、いろいろと書いてあるんですよね。
仕事をほかの人に代わってもらうように、とか。
そうなんですよ。
それができたらどんなにかいいのですが。

うちのセクションは4人で仕事をしています。

謙介と同僚の女性とほかに管理職と
後、非常勤の女性です。

謙介の仕事、確かに資格のいる仕事なんですけどね。
で、もう一人の専任の女性もその資格を持っています。

ですが、管理職はその資格を持っていません。
というのが、他のセクションから来た人で、
加えてその人は定年まであと2年ということなので、
二人のやっている専門的な仕事を覚えようとしてくれることは
ありません。


というより、二人がいるから、ということで
その仕事から逃げています。

人事担当者から、今の管理職を
うちのセクションに持ってくる、
という話があった時、「どうしてうちなのですか?」
と聞いたら、「だってほかに持って行くところがない」という
お返事でした。

要するに専門が二人いて、仕事をこなしているから、
そこに持って行っても何とかなるだろう、という考え方
だったのでしょう。

その時の人事担当者、そういう人事をしておいて
1年後に肝臓がんが悪化して亡くなってしまいました。


専門職二人の仕事は、それぞれが分担しあっています。
そういうと聞こえはいいのですが、

それぞれが自分の分担の仕事をするのに精いっぱいなので、
片方が休んだとしても、そのフォローはできない、
ということなのです。 

そりゃ最低限の書類を受け取るとか
伝言を伝える、という程度のことはしますが、
謙介が彼女の代わりに、彼女の業務をする、ということは
無理です。

なので、仮に体調不良で休んだとしても、
自分の机の上に不在の間の仕事がどんどん
積み重なっていくばかりなのです。

たとえばに謙介の仕事は、他の関係機関との
資料の貸し借り・送付という仕事もしています。

しかも以前にこんなことがありました。
木曜日・金曜日と出張があって、大阪に行っていたのです。
謙介が月曜に出てきたら、木曜に東京は本郷の某大学から
資料を送ってくれ、という依頼が来ていました。

ですが、さっきも言ったように、その依頼の資料を探し出して
送る係はうちでは謙介だけですし、そうした依頼は謙介の
仕事場のパソコンだけに来るようになっているので、
謙介が不在の間は、パソコンを立ち上げることもありませんから、
従って依頼はそのままで留め置かれていた、ということです。

そうしたら、月曜の朝いちばんにその本郷の某大学から、
資料がまだなんだけど! どうなってるの? という督促のお電話が
かかってまいったわけでございます。

出張明けで、居なかった間の出張報告にはじまって
溜まっていた職場内の事務処理をしている時に
そういう電話がかかってきたので、

「うちは1人で、他の業務と掛け持ちでやっています。
しかも木・金は出張で不在でした。そちらが
お急ぎ、というのであれば、こんな四国くんだりの機関に
依頼なんかせずに、都内の機関に依頼したらよろしいでしょう。」

「そちらでは、この係の方は何人いらっしゃるのですか?」
と聞きましたら「10名ですが」とのお返事。
と言っておきました。そりゃ、東大であればスタッフだって
何十人といるのでしょうが、うちはそんなこと無理です。

そういうふうなことで、ちょっと不在にしようものなら、
よその機関からもあれこれ文句を言われることもありますし、
全く休めないのです。

普通ならそういう時にこそ管理職が
仕事のフォローをするものだと思うのですが、
うちの管理職なんて、「ボクはよくわかんないから」と言って最初から
逃げていますし、、。

仕事場では業務の年間計画を作成して
さらに上のセクションに出さないといけないのですが、、
そういうの、って管理職の仕事だと思うんですが、
ボク、よくわかんないからやってねお願い、と言って
こちらに丸投げです。結局のところ、
謙介さんの仕事になってしまっています。

このストレスチェックの結果、同僚の女性に
どうだったの? と聞いたら、彼女も同じく
高ストレスの状態で、産業医の面接が必要
とのことでした。

産業医の面接を受けたところで、
今の職場の人事環境が刷新されるとか
新しい人が入ってきて、仕事にゆとりができる、
ということがあって、職場環境が飛躍的にでも
変更のない限り、改善は難しいと思います。

保健担当の人に、そういうことですから
いくら医者の面接を受けたって
仕方がない、ということを申し上げました。

ストレスチェックは、毎年実施するとのことですから
来年度も実施して、その結果がやはり芳しいもので
なかったとしたら、その時、考えます、ということで
最終的な結論になりました。

これをお読みのみなさんの職場では
ストレスチェック、実施されていますか?
そして、どんな結果が出たのでしょう。

あーあ。もうちょっとお気楽に生きたいです。

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16. 11. 14

リスクは常にある

先週の水曜は、がんセンターで、
主治医による検診日でしたので、行ってきました。

以前、3剤併用の治療をしていた時は、
週に3回も通院していて、治療で行かないといけないのは
分かってはいました。でも、週に3回の通院は
正直辟易としていました。 

治療終了後は、月に一回と、行く回数も
減ってくれたので、ずいぶん楽になりました。

今回は超音波診断がありました。
暗い検査室で、何だかよくわからない
砂絵のようなものを見せられつつ、
担当医の解説があります。

機械が起動してすぐは、
直線が2本、画面の奥に向かって
対照に伸びていて、、
なんだか、夜の飛行場で、
飛行機がこれから滑走路を走って
離陸をする時の画面のような感じ
なのですが、、それが、版画のローラー
みたいな機械の先に、ゲル状のどろどろ
したものをつけて、おなかの辺を転がすの
です。その転がすたびに、息を止めろ、
じっとしていろ、と主治医から指示が来ます。

バリウムを飲んだ胃の集団検診の時も
そうですが、ものすごく無理な姿勢でいるときに
じっとしろ、息を止めろ、という指示が来るんですよね。

実は前回の検診が先月だったのですが
その時にちょっと異常な影が見えたので、
継続検査として、もう一度、超音波診断を
することになったのです。(通常なら半年に1回くらいです)

検査の結果は特に異常となるような
点はなかった、ということで安心しました。

検査の後、今度は主治医から、
写真を見ながらの解説が加えてありました。

やはり問題となるようなものは見当たらなかった、
ということで安心したのでしたが、、
主治医の先生は怒っていました。

来年ね、また新薬が出るんだけどね、と
主治医の先生はおっしゃいました。

また、ですか?

と謙介思わず言ってしまいました。

ここ4年ほど、毎年のように新薬が出ています。

去年出た薬は謙介が一昨年使った薬よりさらに進化した
薬でした。

謙介の時は、ソブリアードという薬を3か月間飲みつつ、
インターフェロンの注射とリパビリンという薬を半年
続けなければならなかったのですが、
去年出た新薬は、3か月間、その薬だけ飲んでいたら
オッケーという薬なんだそうです。

謙介の時は、どうしてもインターフェロンを使うので
やはり副作用がきつくて、本当にしんどい治療でした。

ですが今の薬なんて副作用がほとんどないのだとか。

でも、まぁ新薬の力というのはすごいので
今までどうしても除去できなかった
ウイルスを、ほとんどの人が除去できることになりました。

最初の頃はインターフェロンでウイルスを除去できるのは
5パーセント、って言われていました。それがリパビリン併用療法が
できて30パーセントになり、今や新薬によれば、99.8パーセント
くらいの人が除去できるようになりました。

で、主治医が怒っているのは、そこなのです。
確かに新薬によってウイルスをほとんど100パーセント近くまで
除去できるようになりはしたのですが、、、。

ウイルスを除去できたこと、イコール
「C型肝炎は治る時代になりました」と今、流れているCMが
言っているわけですが、あれは
正しい表現ではない、と言っているのです。

主治医の言うのは、確かにウイルスは消える、
しかし、今までウイルスに感染していたために
肝臓が相当に痛めつけられているために
非感染者に比べて、肝がんになるリスクは
非常に高いのだ、という話です。

だから謙介のように、新薬の治療が終わっても
継続して定期的に肝臓の状態を見て行かないと
いけないのだ、 という話でした。

たとえば、60歳まで煙草を吸っていた人が
60歳で禁煙したから、といって肺がんのリスクが
0になるのか、と言えば、やはり非喫煙者よりは
リスクは高いわけで、それと同じだ、と言う話でした。

というわけで、これからもずっとこの砂絵のような
画面を見せられながら、主治医から状況の説明を受ける、
ということは続く、ということなのでした。


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