さいきん読んだ本、何冊か。
えー、今日は、最近読んだ本の紹介です。
謙介の仕事場がある街の本屋さんでこのところ、売り上げの
上位に入ってる本。 (ただこれはこの辺だけの地域限定的な
現象とは思いますけど、、。)
これです。
「ボクは坊さん。」
韓国語で言えば、「なぬん すにむ。」(나는 스님 ・笑)
ほぼ日イトイ新聞に連載されているので
(その文章をまとめた本でもあります。)
あ、知ってる、っていう人もいるかもしれません。
書いたのは四国霊場57番札所の栄福寺のご住職の
白川密成(しらかわ みっせい)さん
彼はこの寺の息子として生まれました。
「寺の息子であれば、住職の跡継ぎをするのは
当然じゃないか。」
と短絡的に思うのはどうでしょう???
確かに周囲から見てそれは望ましくもあるし、特に檀家の人間は自然な形、
と納得するかもしれません。しかし、ですよ。
もしもあなた、自分がその立場に置かれたとしたらどうします?
たとえば、自分はコンピュータのプログラマで、今まで仕事をしてきて
これから仕事がもっとおもしろくなる、という時に、とうちゃんが亡くなって、
周囲がオマエが寺を継げ! って言ってきたとして、素直に、じゃあ、
わかりました。跡をつぎます、って、サッと言えますか?
俺は前から言っているように周囲に坊さんの友達が多いです。
そうした坊さん友達が、学校を出て、一度普通に社会に出て仕事をしていて、
家の関係でどうしても「田舎に帰って、ボウズになってくれぃ。」
って家に言われて、泣く泣く坊さんになった、
というヤツを何人も知っています。
たとえば、長男は大学院を出て大学で法律を教える先生に
なってしまった、なので次男が出家して寺のあとをついだ、
とか。どうしても寺の仕事をするのが嫌で、都会でホストクラブの
ホストになっている、というヤツもいます。
他人事として考えるなら、さっさと家に帰って
坊主のあとをつげば?っていえるんですが、
自分の身として、そうしろ、って言われてごらんなさい、本当に
たまらないものがあるんですよ。
彼は高校を卒業して大学に進学しようとするとき、
たまたま高野山大○の入学案内を取り寄せてみたそうです。
そうしたら、おおっ! って高校生だった当時の白川歩くん
(まだその頃は出家していなかったので、俗人としての
歩、という名前だったそう。)の興味を惹いた写真が
そこにあって、彼は高野山大学を受験しました。
そうして試験に合格して入学することになりました。
それは決して実家が寺だったから、という短絡的な
理由ではなかった、そうですが、もしかしたら
弘法大師さんが、えい! とその神通力で
彼を真言密教の世界に引っ張りこんだのかもしれません。
そこで彼は高野山ですから当然真言宗の仏教の勉強をします。
ですが、まだ実家には祖父が住職として仕事をしていたので
彼は卒業するとふつうに就職、ということで実家近くの
本屋に就職します。
ところが。
ある日、その住職であるおじいちゃんが病気になった、と。
で、病院で精密検査をしたら、末期のがんで、
すでに手の施しようがない状態である、
ということが分かります。 彼のお父さんは高校の先生だそうです。
そうして彼は俗世の生活を1年で切り上げ
おじいちゃんの跡をつがなければならなくなりました。
そうして、24歳にして晋山式(その寺の新しい住職として
本山の認可を受けて正式に着任する、という式)をして
住職になった、ということです。
この本には、そうした彼の生い立ちから、住職になるまでのこと、と
住職になってから、今まで、どういうふうに過ごしてきたのか、
ということがほのぼのとしか筆致で語られています。
四国に来た友達に、俺は必ず四国八十八カ所の札所のお寺のうち
どこかの札所のお寺を案内することにしています。
四国という土地は、仏教が毎日の生活の中に自然に生きています。
俺も出勤の途中、毎日のように巡礼のお遍路さんを見ます。
それから人びとの生活もそうです。
わざわざお寺に行く、というのではなくて、犬の散歩の
ついでに、山門の前を通りがかって、片手でおがんでいく人とか
札所の境内で毎日ラジオ体操をする人たちとか、
そういう生活の中に、お寺というものが自然にあるのです。
同じ真言宗の本山の寺院でも、京都の東寺や、和歌山の高野山
は厳しい雰囲気ですが、四国の善通寺なんかは、境内で子どもが
鬼ごっこをしてきゃあきゃあ言いながら遊んでいます。
そんな人びとの生活の中の仏教、特に、お坊さんとして
筆者が考える仏教、が率直な言葉で語られていて、
なかなかいい本だと思いました。
糸井重○氏強力ご推薦の本、だそうです。(そりゃまぁそうか。)
ちなみに。これが栄福寺のサイトです。
で、次もぼんさんの本です。
タイトルからして「坊主DAY’S」でございます。
これは作者のお兄さんが、やはりお坊さんになってお寺の住職になった、と
そのお兄さんがどういうふうに育ってきて住職になったのか、というふうな
ことが妹の目からか書かれています。お坊さんの修行のところは
お兄さんからの聞き書きになっています。
で、作者のお兄さんは臨済宗のお坊さんです。
あんまり仏教関係の本を読まない人には、
そんなことはどうだっていいことかもしれないのですが、
俺は、この「臨済宗」というところがこの本の値打ちを
あげているように思います。
臨済宗というのは、言うまでもなく禅宗です。
日本の禅宗は、曹洞宗と臨済宗が大きな2大宗派ですよね。
ですが、禅の本、っていう場合、そのほとんどが
曹洞宗の禅の本ばかりです。臨済宗の本、っていうのは
非常に少ない。
早い話が、前にあったもっくん主演の映画の「ファンシィ・ダンス」だって
あれは曹洞宗の話です。
なぜか、というと、答えは簡単です。一人前のお坊さんになるについて
あの映画では「法戦式」という儀式をクライマックスでしました。
法戦式をするのは曹洞宗だからです。臨済宗ではああいうことはしません。
曹洞宗と言えば永平寺ですが、禅の修業と言えば、やはり大抵の人は
そんなふうで永平寺を想像するんじゃないでしょうか。
臨済宗、っていえば、京都だと妙心寺とか大徳寺ですが、
妙心寺なんて、、多くの人は知らないんじゃないかしらん。
むしろ一休さんのいた大徳寺のほうが有名だったり、、
石庭で有名な龍安寺は妙心寺の末寺になります。
それから「まっつしぃまーあのぉぉぉ、さーよーずーいーがんじーー
ほーどーの てーらーもなーーいーとーえぇぇぇぇ。」の歌で有名な
松島の瑞巌寺も、臨済宗のお寺です。けど、関係のない人に
とってみたら、乱暴に言ってしまうと瑞巌寺が何宗でも
別に関係ないや、っていうようなことかもしれないですね。
瑞巌寺が真言宗でも臨済宗でも、関係のない人にとってみれば
どっちでもいい、というようなものかもしれません。
まぁ、曹洞宗側の禅の本、っていうのは多いし、
結構知られているんです。ところが臨済宗の禅のことについて
分かりやすく解説してくれた本、ってほとんどないんですよ。
いえ、あるにはあるんですが、非常にマニアックで(笑)
よほど好きな人間しか読まない。
それと、臨済の人間は、「禅は実際に身体を動かし
頭を働かせて、悟るのが本筋であって、文字を読んで知る
というのは本当に悟ったことにはならない。」と思っていところが
あるからです。「禅は不立文字である。」と考えます。
なので、臨済宗側の本は非常に少ない。
そういう意味で、俺はこの本はすごく貴重だ、というふうに
思うのです。
曹洞宗と臨済宗、同じ禅宗でもやはり結構違いがあるんですが
一番に違うところはお坊さんの修行の仕方ですね。
臨済宗では、お坊さんの修行している「専門道場」のトップである
老師さまから、「公案」という問題を授かって、それを考えて
考えて、自分の解答を見つけ出す、ということをします。
接心(せっしん)の期間中は、もうその回答に毎日老師さまの元に
行かなくちゃなんない。老師さまの部屋に入って、形式に則って
答えをいいます。その答えが正しければ、老師さまはうなずくの
ですが、その答えが違っていたら、チリンチリンと小さな鐘を鳴らして
おしまい、です。要するに「オマエはまだ修行がたらん。ハイ次。」
ということです。こういう修行をして悟りを深める。
この本にはそうした修行の仕方とか臨済宗のお坊さんの修行を
する場所(「専門道場」と言いますが)そこの組織とか、運営の
仕方について、分かりやすく書かれています。
何たってマンガですもん。
それから座禅をするときの向きが臨済宗は通路に向かって
座禅をするのに対し、曹洞宗は、通路に背中を向けて、家の壁に
向かって座禅をします。そこが素人目にも分かる大きな違いかな。
でもさぁ、この本に出てくるお坊さんがみな美形、というのは、、
現実を知っている謙介は、ちょっと「うそ~」と思ったり
するのですよ。
まぁこれは創作の世界でのお話ですね。(笑) いや、中には、はぁ、カッコいい
お坊さんがいないこともないんですけど、、。
とはいえ、食べるものは粗食、寝る時間は少ない、作務(さむ=作業)
は多い、ということで、本当に修行中のお坊さん(雲水といいます)
は、確かにみんな鋭くて味のあるいい面構えになっては行くんですけどね。
(これは確かに事実かもしれない。)
臨済宗のお坊さんの修行の様子、それから、お寺のこと、
そういうふうなことがマンガで描かれているので、
禅宗って何? 坊さんライフってどうよ、っていうふうな
ことを知りたい人にとっては(そんな人、いるんかどうかは
知りませんけど。)おススメの本だと思いますです。
今日はおススメのぼんさん関係の本、2冊でしたぁ。
しかし、一体、何を読んでいるのやら。
Recent Comments