書籍・雑誌

10. 04. 07

さいきん読んだ本、何冊か。

えー、今日は、最近読んだ本の紹介です。

謙介の仕事場がある街の本屋さんでこのところ、売り上げの
上位に入ってる本。 (ただこれはこの辺だけの地域限定的な
現象とは思いますけど、、。)
これです。

「ボクは坊さん。」
韓国語で言えば、「なぬん すにむ。」(나는 스님 ・笑)

Iambouzu

ほぼ日イトイ新聞に連載されているので
(その文章をまとめた本でもあります。)
あ、知ってる、っていう人もいるかもしれません。
書いたのは四国霊場57番札所の栄福寺のご住職の
白川密成(しらかわ みっせい)さん
彼はこの寺の息子として生まれました。

「寺の息子であれば、住職の跡継ぎをするのは
当然じゃないか。」
と短絡的に思うのはどうでしょう???

確かに周囲から見てそれは望ましくもあるし、特に檀家の人間は自然な形、
と納得するかもしれません。しかし、ですよ。
もしもあなた、自分がその立場に置かれたとしたらどうします?

たとえば、自分はコンピュータのプログラマで、今まで仕事をしてきて
これから仕事がもっとおもしろくなる、という時に、とうちゃんが亡くなって、
周囲がオマエが寺を継げ! って言ってきたとして、素直に、じゃあ、
わかりました。跡をつぎます、って、サッと言えますか? 


俺は前から言っているように周囲に坊さんの友達が多いです。
そうした坊さん友達が、学校を出て、一度普通に社会に出て仕事をしていて、
家の関係でどうしても「田舎に帰って、ボウズになってくれぃ。」
って家に言われて、泣く泣く坊さんになった、
というヤツを何人も知っています。
たとえば、長男は大学院を出て大学で法律を教える先生に
なってしまった、なので次男が出家して寺のあとをついだ、
とか。どうしても寺の仕事をするのが嫌で、都会でホストクラブの
ホストになっている、というヤツもいます。

他人事として考えるなら、さっさと家に帰って
坊主のあとをつげば?っていえるんですが、
自分の身として、そうしろ、って言われてごらんなさい、本当に
たまらないものがあるんですよ。


彼は高校を卒業して大学に進学しようとするとき、
たまたま高野山大○の入学案内を取り寄せてみたそうです。
そうしたら、おおっ! って高校生だった当時の白川歩くん
(まだその頃は出家していなかったので、俗人としての
歩、という名前だったそう。)の興味を惹いた写真が
そこにあって、彼は高野山大学を受験しました。
そうして試験に合格して入学することになりました。
それは決して実家が寺だったから、という短絡的な
理由ではなかった、そうですが、もしかしたら
弘法大師さんが、えい! とその神通力で
彼を真言密教の世界に引っ張りこんだのかもしれません。

そこで彼は高野山ですから当然真言宗の仏教の勉強をします。
ですが、まだ実家には祖父が住職として仕事をしていたので
彼は卒業するとふつうに就職、ということで実家近くの
本屋に就職します。

ところが。
ある日、その住職であるおじいちゃんが病気になった、と。
で、病院で精密検査をしたら、末期のがんで、
すでに手の施しようがない状態である、
ということが分かります。 彼のお父さんは高校の先生だそうです。
そうして彼は俗世の生活を1年で切り上げ
おじいちゃんの跡をつがなければならなくなりました。

そうして、24歳にして晋山式(その寺の新しい住職として
本山の認可を受けて正式に着任する、という式)をして
住職になった、ということです。

この本には、そうした彼の生い立ちから、住職になるまでのこと、と
住職になってから、今まで、どういうふうに過ごしてきたのか、
ということがほのぼのとしか筆致で語られています。

四国に来た友達に、俺は必ず四国八十八カ所の札所のお寺のうち
どこかの札所のお寺を案内することにしています。

四国という土地は、仏教が毎日の生活の中に自然に生きています。
俺も出勤の途中、毎日のように巡礼のお遍路さんを見ます。
それから人びとの生活もそうです。
わざわざお寺に行く、というのではなくて、犬の散歩の
ついでに、山門の前を通りがかって、片手でおがんでいく人とか
札所の境内で毎日ラジオ体操をする人たちとか、
そういう生活の中に、お寺というものが自然にあるのです。

同じ真言宗の本山の寺院でも、京都の東寺や、和歌山の高野山
は厳しい雰囲気ですが、四国の善通寺なんかは、境内で子どもが
鬼ごっこをしてきゃあきゃあ言いながら遊んでいます。
そんな人びとの生活の中の仏教、特に、お坊さんとして
筆者が考える仏教、が率直な言葉で語られていて、
なかなかいい本だと思いました。
糸井重○氏強力ご推薦の本、だそうです。(そりゃまぁそうか。)
ちなみに。これが栄福寺のサイトです。


で、次もぼんさんの本です。


Bozudays1

タイトルからして「坊主DAY’S」でございます。
これは作者のお兄さんが、やはりお坊さんになってお寺の住職になった、と
そのお兄さんがどういうふうに育ってきて住職になったのか、というふうな
ことが妹の目からか書かれています。お坊さんの修行のところは
お兄さんからの聞き書きになっています。

で、作者のお兄さんは臨済宗のお坊さんです。
あんまり仏教関係の本を読まない人には、
そんなことはどうだっていいことかもしれないのですが、
俺は、この「臨済宗」というところがこの本の値打ちを
あげているように思います。
臨済宗というのは、言うまでもなく禅宗です。
日本の禅宗は、曹洞宗と臨済宗が大きな2大宗派ですよね。
ですが、禅の本、っていう場合、そのほとんどが
曹洞宗の禅の本ばかりです。臨済宗の本、っていうのは
非常に少ない。

早い話が、前にあったもっくん主演の映画の「ファンシィ・ダンス」だって
あれは曹洞宗の話です。
なぜか、というと、答えは簡単です。一人前のお坊さんになるについて
あの映画では「法戦式」という儀式をクライマックスでしました。
法戦式をするのは曹洞宗だからです。臨済宗ではああいうことはしません。

曹洞宗と言えば永平寺ですが、禅の修業と言えば、やはり大抵の人は
そんなふうで永平寺を想像するんじゃないでしょうか。
臨済宗、っていえば、京都だと妙心寺とか大徳寺ですが、
妙心寺なんて、、多くの人は知らないんじゃないかしらん。 
むしろ一休さんのいた大徳寺のほうが有名だったり、、
石庭で有名な龍安寺は妙心寺の末寺になります。

それから「まっつしぃまーあのぉぉぉ、さーよーずーいーがんじーー
ほーどーの てーらーもなーーいーとーえぇぇぇぇ。」の歌で有名な
松島の瑞巌寺も、臨済宗のお寺です。けど、関係のない人に
とってみたら、乱暴に言ってしまうと瑞巌寺が何宗でも
別に関係ないや、っていうようなことかもしれないですね。
瑞巌寺が真言宗でも臨済宗でも、関係のない人にとってみれば
どっちでもいい、というようなものかもしれません。


まぁ、曹洞宗側の禅の本、っていうのは多いし、
結構知られているんです。ところが臨済宗の禅のことについて
分かりやすく解説してくれた本、ってほとんどないんですよ。
いえ、あるにはあるんですが、非常にマニアックで(笑)
よほど好きな人間しか読まない。
それと、臨済の人間は、「禅は実際に身体を動かし
頭を働かせて、悟るのが本筋であって、文字を読んで知る
というのは本当に悟ったことにはならない。」と思っていところが
あるからです。「禅は不立文字である。」と考えます。
なので、臨済宗側の本は非常に少ない。
そういう意味で、俺はこの本はすごく貴重だ、というふうに
思うのです。

曹洞宗と臨済宗、同じ禅宗でもやはり結構違いがあるんですが
一番に違うところはお坊さんの修行の仕方ですね。
臨済宗では、お坊さんの修行している「専門道場」のトップである
老師さまから、「公案」という問題を授かって、それを考えて
考えて、自分の解答を見つけ出す、ということをします。
接心(せっしん)の期間中は、もうその回答に毎日老師さまの元に
行かなくちゃなんない。老師さまの部屋に入って、形式に則って
答えをいいます。その答えが正しければ、老師さまはうなずくの
ですが、その答えが違っていたら、チリンチリンと小さな鐘を鳴らして
おしまい、です。要するに「オマエはまだ修行がたらん。ハイ次。」
ということです。こういう修行をして悟りを深める。
この本にはそうした修行の仕方とか臨済宗のお坊さんの修行を
する場所(「専門道場」と言いますが)そこの組織とか、運営の
仕方について、分かりやすく書かれています。
何たってマンガですもん。

それから座禅をするときの向きが臨済宗は通路に向かって
座禅をするのに対し、曹洞宗は、通路に背中を向けて、家の壁に
向かって座禅をします。そこが素人目にも分かる大きな違いかな。

でもさぁ、この本に出てくるお坊さんがみな美形、というのは、、
現実を知っている謙介は、ちょっと「うそ~」と思ったり
するのですよ。

Bozudays2

まぁこれは創作の世界でのお話ですね。(笑) いや、中には、はぁ、カッコいい
お坊さんがいないこともないんですけど、、。
とはいえ、食べるものは粗食、寝る時間は少ない、作務(さむ=作業)
は多い、ということで、本当に修行中のお坊さん(雲水といいます)
は、確かにみんな鋭くて味のあるいい面構えになっては行くんですけどね。
(これは確かに事実かもしれない。)

臨済宗のお坊さんの修行の様子、それから、お寺のこと、
そういうふうなことがマンガで描かれているので、
禅宗って何? 坊さんライフってどうよ、っていうふうな
ことを知りたい人にとっては(そんな人、いるんかどうかは
知りませんけど。)おススメの本だと思いますです。

今日はおススメのぼんさん関係の本、2冊でしたぁ。
しかし、一体、何を読んでいるのやら。

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10. 03. 03

今日のご本

同僚が「おもしろい本なーい? 」って聞いてきたので
今日のお昼休み、ご飯を食べながら
最近読んだ本の話をしてた。
「謙介はオガワヨーコさんってどう? 好きな作家?」
「ごめん。俺、あの人の小説、好きじゃないの。」
「どうして? おもしろくない? 」
「あのさー、もうこれは趣味の問題なんだけど、
あの人の小説って、あざといんだもん。
いや、言いたいことは分かるんだ。だけど、知に走り過ぎてて
意、余って計算足らず、というのかねぇ、、。
俺ね、小説って、作者のたくらみを見せてもらう、
っていうところがあるって思うんだけどさ。
あの人の作品って、「さぁ、今からさくひんの中に
入っていきますからね。いいですかぁぁぁ。」って、
大仰な前振りがあってそれで、どっこらしょって跳ばないといけないの。
だから嫌いなの。
入るよ、っていう意識して入っていかなくちゃなんない、っていうのが。

俺がいいなぁって思うのは、自然に気がつかない間に
のせられてて、気がついたら、作品の中に入ってて、、っていうの。
小説なんてだまくらかし、なんだから、
どうせだったらうまくだまして欲しいわけ。
知らない間にだまされてた、っていうのなら
あ、やられたなぁ、って思うし、うまいなぁ、
って思えるんだけどさ。
あの人の作品は
なんだか作品に入っていくところから身構えないといけなくて、、
それが「わざとらしい。」というのか「あざといなぁ。」って
感じさせられるから嫌なの。

でも彼女の小説が好き、っていう人にとっては
彼女のその世界に入っていく行為が特別な感じがして
いい、って思えるんだろうけど、俺は、なんかそこがねぇ
取ってつけた、っていうのか、、どうしても好きになれなくて。
まぁ、これはもう個人の好き嫌いの問題だからさー。
「という理由で謙介は好きじゃない、と。」
「そう。」
「だけど、あんた、結構好き嫌い激しいねぇ。」
「だってさ、たとえば大学の講読の授業で、
単位がかかってる、っていうのなら
好き嫌いはとりあえず横において、
分析作業しなきゃなんないだろうけど、
趣味で読むんだもん。(笑)」
「まぁね。気楽に読んだらいいんだけどさ。」
「そうそう。」

「で、おもしろい本よ。」
「うーん。おもしろい、っていうんじゃなくて、
こんな本もあったか、っていうのになるんだけど、、。」
「どんなの? 」
「一冊はこれ。」
「なぁに。」
「あぶら部」
「あぶらぶ? 」


Aburabu


「うん。油をたーっぷり使った、お料理の本。
もうねぇすごいよー。サブタイトルが、こってり料理で男子のハートと
胃袋をわしづかみ!! だもん。」
「男子のハートと胃袋をわしづかみ、っていうのがいいねー。」
「うん。」
「で、わしづかまれてしまいました? 」
「そりゃあもう。」(笑)
写真がハレーション起こしてて申し訳ない。
でもねぇ、本当にどれもこれも、、魅惑のお料理ばかりでさー。

Aburabu3
衣もおいしい、ジューシーパイコーハン (中華風豚肉のてんぷら)

Aburabu4
半熟目玉焼き×ウインナー×チーズカレー

Aburabu5
あぶLOVEお好み焼き(中の肉は当然豚バラ)

Aburabu6

とろけるチーズのフライドポテト&ケチャマヨオニオンリング。
さすがに、一品あたりのカロリーは書かれてませんでしたねぇ、。
あぶらたっぷりのお料理って、
どうしてこうもまぁおいしそうに映るのでしょうか。

痛風? 肥満? そんなものはクソくらえだぁぁぁ。
食べたいものを食べたいときに食べられなくて
どこに人生の楽しみがあるかぁぁぁ。

ま、そこまで言うのは、大げさですけど、、。
たまには、こういうお料理もいいですよね。
(そうです。たまに、です。決して日常的にではありません。笑)
ということで。

はい次、二冊目。

Shigotoba1

今度は絵本です。
タイトルは「しごとば」
もちろん「仕事場」のことですね。
いろいろな職種の人の仕事場のありさま、
一日の仕事の流れ、というのが文字通りの絵で
紹介されています。
その紹介されている職種の選び方が
おもしろい。

歯医者さんとか

Shigotoba7


Shigotoba3

プロ野球選手とか(ここでは○天の選手、ということになってる。)
Shigotoba4

後ね、美容師、新幹線の運転手さん、パティシエ、 本屋の店員さん、
イラストレーター、 豆腐屋さん、革職人
獣医さん
っていうふうに、この仕事の選び方、っていうのも
絵本を描いた人のセンスが出てるなぁ、って思った。
最初、「しごとば」、1冊だったけど、好評だったみたいで
続編が今年の1月に出た、って。(そりゃそうでしょう。)

でね、それぞれの人の仕事に使う道具、とか仕事場に
置いてある細々した道具ひとつひとつの名前が、
全部書き込まれているところが本当にすごい。

「ひとつ残念だったところがあります。」
「何? 」
「続編でさー、考古学者のしごとば、っていうのが
あったんだけどさ。」
「ふん。」
「お酒のビンが全然描かれてなかったんだよ。
あれがリアリティがなかったー」
「そんなもの、子どものまじめな絵本に描けるわけないでしょ。」
「だってさぁ、、酒ビンの林立していない
考古学者の部屋なんて、、有り得へんわ。」
「そんなのダメダメ。(笑)」

「まぁ謙介の最近のお勧めはこの2作品ですね。」
「でも、あたし、別に胃袋をわしづかみにしたいお男子は
今のところいないから、しごとばのほうを見てみようと
思います。」
「さいですか。(笑)」

最近の中では、謙介の印象に残った本です。
書誌データをご参考までに。

あぶら部
著者 市瀬悦子
出版社: 泰文堂 (2009/11/25)
標準番号: 978-4803001808


しごとば (続編もあります。)
著者 鈴木のりたけ
出版社: ブロンズ新社 (2009/03)
標準番号: 978-4893094612

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06. 11. 17

待つということ

今日は最近読んでおもしろかった本のことなど。
鷲田さんの (「待つ」ということ)っていう本
 以下本文から引用

  みみっちいほど、せっかちになったのだろうか・・・・
 せっかちは息せききって現代を駆り、未来に向けて深い前傾姿勢を
 とっているようにみえて、じつは未来を視野に入れていない。未来と
 いうものの訪れを待ち受けるということがなく、いったん決めたものの
 枠内で一刻も早くその決着を見ようとする。待つというより迎えにゆく
 のだが、迎えようとしているのは未来ではない。ちょっと前に決めた
 ことの結末である。(中略) 

  「待たない社会」そして「待てない社会」
  意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしている
 しかないもの、そういうものへの感受性をわたしたちはいつか無くした
 のだろうか。偶然を待つ、じぶんを超えたものにつきしたがうという
 心根をいつか喪ったのだろうか。時が満ちる、機が熟すのを待つ、
 それはもうわたしたちにはあたわぬことなのか・・・・・。


 やっぱり人が自然環境と身近に接しなくなったからなのかなぁ。
このあいだ実家の近所の大学生の女の子と話をしていたら、牛の
話になって、何とその女の子、乳牛って、メスの牛が大きく
なったら、自然に乳が出るものだ、と思ってた、という話に
なった。「そんなもの、子牛を産まないとおっぱいなんて出る
はずないじゃないか。人間だってそうでしょ。赤ちゃんを
産まないとおっぱいは出ないでしょ」って言ったら、
「はじめて知りました。」 って言われた。


 驚愕


農作業とか漁業っていうような自然を相手に仕事を
していたら、人間の思う通りにはなってくれないことなんて
しょっちゅう起こる。それでも仕方がない。「おてんとうさま」
の決めたことだから、そう言って人は、根気よく自然と
つきあっていた。待つなんてことは日常茶飯事だった。

 農作物とか自然の成長ってそうだけど、ゆっくりとした
時間がかかる。それは仕方がないこと。
人もそうなんじゃないかなぁ。人が成長する過程というのは
時間がかかる。
 けど、なんだか今はみんな何か成果を出さないといけない
脅迫観念にさいなまれているようにさえ思う。

 人がそうした自然から離れていくに従って、自然から得て
いた実感が次第に薄らぎ、今やそこいらじゅうでイライラ
しているように思うのだけど。

  自然にいつか出るものだから「結果」といっていたはずなのに、
いつか「結果を出す」なんて言う言い方になってしまった。
 何か世の中みんなイライラしてるの。 俺ずーっとそう思ってた。


 俺は自分の病気に逆らうのではなくて、病気と向き合いながら、
ゆっくり生きていきたいなぁ、と思う。


 今日は最近読んだ本の紹介をしました。

   「待つ」ということ 角川選書  
   標準番号は4047033960  

(今日聴いた音楽 ロードショー 歌 古時計
 1976年 ただしCDは2006年発売盤)

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