治療記録

14. 10. 19

治療日誌まとめ (2)薬局・主治医との関係

Zenbu
上の写真が今回の治療に当たって、
8か月間に飲んだ薬です。

8カ月でどれくらいの量の薬を飲むのか、
謙介、知りたかったので、薬のパッケージを全部残して
おいたんですが、 最終的にまぁ、これだけ、ということでした。


で、前にもお話しましたが、この白いパッケージ
がソブリアード(シメプレビル)、
Soburiado

こちらがレベトールです。
Rebetoru

この二つの薬が劇薬指定の付いている薬でした。

今回の治療に当たって、結構重要な役割を
果たしてくださったのが、実は調剤薬局でした。

今や医薬分業ということになって
病院の中で薬をそのままもらえるところは
めっきり少なくなってしまいました。

そのくせ病院を出たら、横に調剤薬局があって、、、
なんだかパチンコ屋と景品交換所みたいだなぁ
といつも思ったりしている謙介なのですが。

謙介は基本的にはそれぞれの
病院の横にある調剤薬局ではなくて、
仕事場に近い場所にある調剤薬局で
ほぼ全部の調剤をお願いしています。

調剤薬局はやはりひとつのお店に絞るのが
本筋だったはずですよね。

そこですべての薬の相談とか、
いつ、どんな種類の薬を飲んだか、
という記録を残してあるとか、
そういう記録をもとに
日頃から薬のことについて相談できるというのが
医薬分業にした時の趣旨でしょ?

薬局の支払い明細見たことがありますか?
あれって単に薬や調剤の料金だけではありません。

薬代以外に薬学管理料というのを取られていますもん。
患者はそういうデータの蓄積のために
お金を払っているのです。

ですから、そういう自分のデータについて
あれこれ聞くというのは、
そういう意味で言えば
当たり前のことをしているだけに
すぎないのかもしれません。

ただ、現実としてひとつの薬局だけでは
いかない場合だってあります。

たとえば風邪をひいたとか熱が出て近くのクリニックに行って、
(さすがに風邪ひきでがんセンターは行きません)
すぐに薬をもらって飲まないといけない、という場合は
いつもお願いしている薬局は遠いので
もう一軒だけ、そういうときに行くクリニックの
横の調剤薬局を使うこともあります。

それからお年寄りの方があちこちの病院に行って
さらに調剤薬局に行くために移動しないと
いけないのはつらい、という場合もあります。
(最近では、薬を配達してくれるところもあるようですが
まだ一般的ではありません)そういう場合は
病院の横の調剤薬局、ということになるかもしれません。

ですが、謙介は基本的には1軒のところで
全部管理をしてもらっています。
もう10年くらいずっとそこでお願いをしています。

1軒の調剤薬局に決めておくと、
薬についていろいろと相談できるのがいいです。

「レベトール、お茶で飲んでもいい? 」とか
聞いても「濃いお茶でなかったらいいです」というふうに
答えてくれますし、以前に飲んでいた「ウルソ」
という薬は、乳製品とは一緒に摂らないように
という注意があったのですが、「ウルソをのむ前に
ヨーグルトを食べたんですが、大丈夫でしょうか?」
とか。そういうふうな質問だってどんどん聞ける
わけです。

関係が親しいと「こんなしょうもないようなこと」と
思うようなことでも、気軽に聞けます。 
でも業務的な関係しかない調剤薬局だと
「そんなあほなこと聞いてもいいのかなぁ」とか変に
遠慮してそういうことすらなかなか聞けなかったりします。


それから一度、こんなこともありました。
薬を仕事場の街のほうの家に忘れて
実家に帰ってしまったのです。


どうしよう、と思って急いでその調剤薬局に電話をしたら、
「速達で送りましょう」と言ってくださって、
送ってもらったこともありました。
ソブリアードは1日1回の薬なので、
翌日中に着けばよくて、ちゃんと間に合いました。

(次の薬の時に、その送った分の量を引いて
薬を出してもらいました。)
緊急時にはそういうことだってやってもらえました。

そういうふうに調剤薬局をひとつに絞って
そこでおなじみの関係を作っておくと
そういう緊急時にも、じゃあ、こうしましょう、
と、柔軟に対応してくれます。

それから正規の営業時間外でも、
出勤の時に要る、と言ったら、
朝の7時半で薬をいただくことも
できました。

この調剤薬局は個人経営のお店です。なので
こういう細かな対応をすぐしてもらえるんですよね。

チェーン店の薬局ではおそらくこうした対応は
してくれないでしょう。第一、営業時間外なんて
誰もいないでしょうし。

ですから、あちこちの病院の横での
複数の調剤薬局を作る、というより
できたら一軒のお店にすべて集約して、そこで
自分の服薬情報の一括管理をお願いする、
としたほうが自分の記録のためにもいいと思いますし、
今回の治療でも何度も困ったことがありましたが
薬局の方の機転のきいた対応のおかげで
何とか乗り切ることができました。

ただ、個人経営の調剤薬局では問題がないわけでも
ありません。今回のように特殊な新薬を使う場合、
お願いしてすぐに行っても、
店に新薬の在庫がない、という場合があります。
(前回の時にありました。)

なので
がんセンターの中にそれぞれの調剤薬局あてに
処方箋をファックスで送信するカウンターで
いつも先に送っておいてもらうか、
謙介が薬局に電話をして、処方箋を読み上げて
先にお願いしたおいたりしました。

そういうことは気をつけないといけませんでしたが
やはり長期の治療ですから、
調剤薬局さんとも長い付き合いになりますし、
その中でなんでも聞けて、話せて、
の関係を作っていることが大切だなぁ、と痛感しました。


それからお医者さんとの関係ですが、
これは前回もお話したように、
やはり患者もその病気のこととか
治療についてよく調べて
知っておく必要があるように思いました。
特に、今回の治療は新薬を使いました。
まだ未知の副作用だって出るかもしれません。
(実際出ました。)ですから、患者の側も
いろいろと調べておくことも必要だ、と思いました。
ただその際に気をつけないといけないのは、
その情報が正しいかどうか、ですね。

やはり医学的なことですから
製薬会社のCM的なものとか、
民間診療というのか、胡散臭いものも
結構あります。やはり調べるときに
これは正しそう、こっちはちょっと???
とよく確認する必要もあろうかと思います。
肝臓学会の一般人用のシンポジウムとか
肝臓治療で名前をよく聞くお医者さんの講演会
とかの話はやはり参考になりました。

いずれにしろ、患者の側も結構勉強をして
自分の症状をたえずチェックする、という
姿勢はこの病気の場合必要だと思いました。

実際同じ病気で治療に取り組まれている方々の
ブログを拝見していても、肝臓医の講演会に
参加されたりして、今の状況についての最新の情報を
とるなどされている方もおいでで、やはり
お医者さんに任せて、という方法では
最終的に自分が困ってくることもあるように
感じました。


でも、病気を治す時は治療に専念する意味でも
正直、あんまり治療のこと以外で
気を煩わせるようなことはしたくなかったんですよ。

(主治医も治療に集中して、ほかのことはあまり考えない方が
いいです、とか言ったのですが。 そんなことはまったくできませんでした。)
のんびりと私は病人です、なんて言っていられるようなゆとりなど
全くなくて、今回の治療の間は結構難しい判断を迫られることも
多々ありました。


単身で仕事をしながら治療に通う、となると
そんなふうにのんびりしたようなことも言えず、、。

ですから、中央処置室の看護師さんに
「終わってよかったですね」って、最後の注射の時に
言われても、全然実感がなかったんだと思います。
その時謙介明日の仕事の予定とか考えていましたもん。


 
こんなことが今回の治療を通して思ったり考えたことでした。

以上で今回の治療のまとめとしたいと思います。
後は時々経過報告、という形で書いていきたいと思います。
長々とお読みくださってありがとうございました。

(今日聴いた音楽 ブルー 歌:渡辺真知子
 京都の市電が廃止になったころに流行っていた
 曲でしたね)

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14. 10. 16

治療日誌・まとめ (1)患者の側から

今回の治療を終えて、
思ったことをまとめておきたいと思います。


まず、治療期間ですが、この治療、24週が基本ということには
なっていますが、謙介の場合は、24週どころか
32週、中断期間も入れたら、最終的に直接の所要日数は
34週間かかりました。


ですから言われている基本日数では
全然終わらない場合だってある、
ということです。 


そして、治療が終わっても、すぐに
体力ははかばかしく改善はしていきません。

前の時だって、体力が戻ったなぁ、と言う状態に
なるまでに数年はかかりました。

今回はその時よりさらに年齢が上になっているので、
もっと時間がかかるかもしれません。


自分の場合の具体的な体力が戻った指標と言うのは
エレベーターではなくて、階段で5階まで自力で
あがれるかどうか、ということです。

今なんか、2階まで階段であがろうとしたらめまいがしますからね。(笑)
まだ全然ダメです。
そのうち改善する日が来てくれるだろうと思いつつ、、。

そういうことなので、治療をするつもりなら、やはり1年間は
最低かかる、という覚悟でやらないといけないと思いますし、
そういう日程的な余裕というのを自分の生活の先の予定も十分に
勘案したうえで治療を開始する必要もあるようにに思います。

だって治療がはじまりました。しばらくすると通院できません、
ということでは困りますもんね。

まして謙介のように採血をして、その結果を見て
注射、ということになれば、週に2回通院しないといけませんでした。

ですから、仕事帰りに、そういう週2回の通院だって
可能なのかどうか、ということも考えておかないと
いけないと思います。

それからやはり経済的なことも考えておく必要も
痛感しました。 

補助が出るといっても、
ウイルスを叩くための医療については出ますが、
副次的なものは出ない可能性だってあります。

皮膚が副作用でかゆくなったりしましたが、
きついステロイド入りのクリームは出してくれますが、
単に皮膚がかさかさになったような場合(これだって副作用です)
のクリームについては、処方されませんでした。

だからやはりそのためのクリームは個人で買ったり
しないといけません。 こういう細かな支出も結構多いです。

通院に伴って交通費の負担もあるでしょう。

それから経済的なこと、ということで思い出したのですが、
内科外来で一緒になった同じ治療中の方が
ため息交じりに言っていたことがあります。

その方はマイホームを建てようとして
銀行で、ローンを組む段になって断られたのだそうです。

患者は、銀行で住宅ローンが借りられない、のです。
住宅ローンの場合、もしも返済途中で亡くなった場合、
ローンの返済が滞る可能性があるので、
大抵ローンの申し込みと一緒に団体保険に加入するように
なっているのですが、そういう疾病を持っている患者は
団体保険に加入が断わられてしまいます。


どうして団体保険に加入するのかと言えば、
返済途中で死んだ場合、その返済を
保険金から充当する、というシステムです。

団体生命保険に加入できなければ、
それに代わる資金的な返す担保があればいいのですが、

こういう患者さんは生命保険にも入って無い場合が多いのです。
ですから返す場合の担保がない。

ということで団体保険に加入できない、ローンも組めない、
ということだって起こり得ます。

団体保険の会社も営利企業なので「病気」という
少しの問題でもあれば、即、却下なのだそうです。


そういう一見、病気と全然関係のないような方面にも
この病気というものは影響があるのだ、ということは
知っておいたほうがいいかもしれませんね。


話を元に戻します。


それから一番考えないといけないのは
患者側が自分自身で決めないといけないことが
結構多くて、治療にあたって
のんびりとすべてをお医者さまに任せておけばいい、
ということではどうしようもないことが起こるということです。

主治医なんて、最初に「この治療は、うつ状態も併発する
ことがあるので、大事な判断はなるべくしないように」なんて
説明しましたが、そんなものは全然あてになりませんでした。

いろいろな判断とか記録をきちんとこちらも取っておいて
お医者さんにこちらが言わなければならないことも多々あって
決して気がぬけませんでした。


たとえば使用するレベトールという薬。
この薬にはジュネリックで、リパビリンという薬が
あります。謙介も最初、ジュネリックのリパビリンのほうを
使っていたのです。

添付文書を見ると、このリパビリンは
レベトールのジュネリックである、と、あって、
そこまでは別に問題はなかったのですが、
レベトールとリパビリンは薬の効果に違いが
あります、と、はっきりと書かれていました。

効果が同じで安ければ問題はありませんが
患者の立場からすれば価格の安い分、
それなりに効果も減った、とか違ったでは困ります。

謙介は薬の添付文書を見て、
その添付文書を診察の時に持って行って
どういうふうに違うのか? 薬効に差があるということなら
患者としてはやはり元のレベトールを使ってほしい
と言いました。

それで、最初の二週間だけリパビリンで、後はずっとレベトールの
処方になった、ということがあります。

こういうふうに患者もいろいろと調べて、確認し
主治医に言わないといけない、ということが
ありました。


それから治療のスケジュール。

謙介の場合は水曜に診察日を持ってきました。
どうしてかと言えば、カレンダーで日程を見た結果、
水曜なら休日とか祝日で病院が休みになって
治療ができない、という日がなかったからです。
それに金曜は実家に移動しなければなりません。
そういう個人的な予定をよく勘案する必要も
あります。それから、週に2回の通院になったわけですが、

その際も主治医に注射を打つ間隔としてはどれくらいまでなら
1週間分として許容されるのか、ということを聞いて
こちらのスケジュールを確認して、ということになりました。


で、注射を打った場合に、発熱の副作用が出る場合が
あります。その場合、仕事に影響が出ないかどうか、
ということも考えて日程を組む必要があるかもしれません。


働きながら通院していたら、大抵主治医が指定してくるような
通院日では無理な場合が出てきます。 
その時に、医学的なことを聞いたうえで、
(たとえば1週間として考えられる注射の期間は何日までで
あれば最大取れるのか、とか)
自分の日程調整を
自分でしていかなければなりません。

謙介の場合は
たとえば基本的に水曜の診察だったのですが、
木曜に出張が入って病院に行けない場合だって出てきます。
(木曜は注射を打ちにまた行かないといけない日ですから)
その時は、前倒しをして月曜に診察してもらいに行って、
火曜に結果を聞いて、水曜に注射を打ちに行った、
ということもありました。ですから、たえずスケジュール帳と
にらめっこで、自分の先の予定を見ながら、通院日も決めておく
ということもしないといけませんでした。

それから副作用についてですが、
毎日体調の記録をつけていました。
それで気になったことについては、
水曜の診察の時に、まとめて主治医に聞いたり言うように
していました。

確かに治療記録のところにも書きましたように
身体の皮膚が荒れてかゆい、と謙介が
言っても、主治医はステロイド入りのクリームを処方
してくれるくらいしかしてくれませんでした。

ですが、万が一、その症状が別の重篤な病気に
つながる場合だってあるかもしれません。

事実、今回の治療中に敗血症を併発して
不幸にして亡くなった方がいらっしゃる、
ということも伺いました。


ですから、何かしらの気になる症状が出たら
必ず主治医には伝えるようにはしておきました。

そういうことで、治療が始まったら
一切を主治医にお任せする、というのではなくて

こちらもたえず治療の状態や身体の状況を把握して
気になったことはどんどん質問もしていきました。
インフォームドコンセントですもん。
まず患者側がその治療に納得する必要があると思うんですよ。

身体の状態、(皮膚がこんなになっている、
とか注射の打ち過ぎで、お尻にしこりが
できてしまってかゆいとか)
もすべて報告しました。

だって、基本的にお医者さんの身体と
患者の身体は別ですから、患者が今はこんなふうだ、と
言わなければ、相手は分からないですもん。

ですから言ったことについては専門的な知見でもって
何かしらの対応をしてくれるでしょうが、
患者側が言わないことについては、対応できませんよね。

そういうことで、この病気については
単に治療にだけ専念できるような病気治療などではなくて、
患者側も自分が今、どういう状態状況なのか、ということを
確認して、よく気をつけて治療に臨む、ということが必要であった、と
実感したのでした。

これが患者側の意識としてのまとめです。

(今日聴いた音楽 ノーサイド 歌松任谷由実
 1984年 アルバム ノーサイドから )

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14. 10. 14

治療日誌(第32・33週:9月28日~10月9日)

9月28日(日)
朝顔の片づけ、とおもっていたが、家の中で、ごみの分別やら
新聞をまとめてひもで結わえる、というようなことをしていたら
ことのほか時間がかかってしまい、朝顔は次週に持ち越し。
夕方、仕事場の街に移動。

9月29日(月)
朝から会議があった。
どうでもいいような枝葉末節の些少なことにこだわって
ギャーギャーいう人がいて、正直そんなこと、どうでもええがな
ばかばかしい、って言ったらいけないのだろうか、とか思った
けれども、たぶん謙介が正直な意見を言うとさらに紛糾して、
会議が長引きそうで、うっとうしくなるので、意見は言わなかった。
その代りに、最後の議決になった時に、反対、と言った。
議決の結果を見てみるとみんなその人の意見に
反対をして、結局否決されたので、ああ、みんなも同じことを
考えていたのだと思った。

9月30日(火)
仕事のことで、打ち合わせをしていくと、やはり
9月の末で、いろいろなものが一段落した、という感じがした。

10月1日(水)
仕事を終わって、がんセンターに行く。
最終の24回目の注射と、月初めなので、試験管7本分の採血をする。
毎週毎週、左右の腕は変えるのだけど、採血をしているので
注射針を刺されるとやはり非常に痛い。
でもまぁ今回で終わりだと思うと、ちょっとほっとする。
中央処置室の看護師さんに、「長かったですがよく頑張りましたね」と
言われたのだけど、今月からばたばたと忙しくなるので、そのことが
頭を占めていて、治療が終わった方については
あまり実感がなかった。
一応「どうもありがとうございました」とお礼は申し上げたのだけど。

10月2日(木)
注射は終わったけれども、後、一週間、レベトールは飲み続け
なければならない。
そのことがあるから終わった実感がまだないのかもしれない。
後、一週間、最後までのみ忘れのないようにしなければならない。

10月3日(金)
明日、原稿をプリントアウトする。
昨日の晩から歯茎が腫れて痛い。ごはんが食べにくいのが困る。
晩は雑炊にした。 夜、実家に移動する。

10月4日(土)
朝9時過ぎに原稿を持っていく。
そのあと、図書館に行って、高野山関係の本を何冊か借りてくる。
歯茎が昨日より痛くなる。

10月5日(日)
台風が来そうなので、昼過ぎに出発する。
出発が早かったので、台風の影響もなく、いつも通りに
戻ってくることができた。夜中になって、台風通過。
風の音、雨の音激しくなる。
歯茎の腫れ、少しましになる。

10月6日(月)
夜は友達と外食。
(最初に行こうと思っていた中華のお店が臨時休業だったので
その近くの定食屋に行く。)
帰って早くに寝る。

10月7日(火)
朝から市内一斉「美智也」の日。

朝の5時半からこの音楽が市内中に鳴り渡る。
スーパーに行っても店内音楽は全部これ。
市内どこに行っても美智也から抜け出せない。(笑)
それにつれて、町内放送の連絡がやたらあって
やかましくて仕方がない。

で、これが朝の6時過ぎの状態。
月曜晩に一緒にご飯を食べた友達も言っていたのだけど
神輿に乗って上から煽っている人が、どう見てもカタギの人に
見えないねぇ、、って。あれで果たして市民のための祭りなんだろうか、
という素朴な疑問がいつもあるよね、という話をしていた。



10月8日(水)
病院に行く。
10月1日の採血の結果をいただく。

総コレステロール----139
AST --------------22
ALT --------------10
γ-GTP -----------11
白血球 ---------2,800
赤血球 ----------325
好中球数 ---------20
ウイルス ----------検出せず

ただし最終的な結果については、これから1か月に1度通院して
採血をしていって、半年経過観察をして、最終的な判断と
なるとのこと。

終わった実感がないのは、たぶん治った実感がまだないからだと
思う。前の時は、治療が終わる直前になって消失していたはずの
ウイルスが再燃して、見つかる、ということがあった。
結局1年間治療したけれども、効果が無かった、ということが
あった。 おそらくはその時の意識が今もあるのだと思う。
「終わっても最終的にどうなるかわからない」という意識が。
なので、終わっても全然終わった、というすっきりとした気持ちに
ならないのは、そういうことだと思う。
仕事も今週後半からまた忙しいし。
まぁとりあえず終わったので、
ホッとしながら病院から帰ってはきたけれど。

と、いうことで、あまり終わった、治った、という
実感があまりないままに治療終了になった、
という次第。


と、いうことでこれが最後の薬。
Kusuri1


(下に写っているのは治療記録のノート)

以上で治療日誌は終わりです。
近いうちにまとめを書いておきたいと思います。


(今日聴いた音楽 なのにあなたは京都に行くの
 歌チェリッシュ 1971年 これはリアルタイムで
 聞いたことはないんですけど、、。 このころ
 ディスカバージャパン っていう国鉄の広告で
 京都とか萩、津和野、鎌倉が何度もCMに
 載りまして、、そういうブームだった、という
 時代背景があっての曲かなぁ、と思います。
 けど、謙介は当然この曲は京都で聴いたわけです。
 しかしこの曲を聴くというのは、ちょっと歌詞に
 そぐわないような気もしましたが。まぁいっか。)

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14. 10. 13

治療日誌(第30・31週:9月14日~9月27日)

台風19号も現在四国西部からは過ぎ去りつつあります。
台風が来るというので、謙介、昨日の12日のうちに
仕事場の街のほうに移動していました。

あんな大きな台風です。高速道路、一般国道なんて
通行止めになることは当然予想していましたから。
移動できるうちに、と思って繰り上げて戻っていました。
朝、夜が明けてみると、すでに嵐かなあ、と思ったらまだ小雨でした。
片づけやら掃除機をかけて掃除をして、9時になったのですが
まだ小雨だったので、何軒か買い物に行きました。

友達が来月ミュージカルの公演をするので、
そのお祝いの花束を花屋さんに注文に行ったり、その後、スーパーに行って
ささっと買い出しを済ませて10時半には家に戻りました。
幸い、戻ってしばらくすると雨がひどくなって、、。
台風といっても、謙介の住んでいるのはどちらかと言えば内陸部
なので、風もそう吹かず、雨が少し激しく降った程度でした。
朝の10時半から午後2時半ぐらいまでが雨のピークで
3時過ぎにはもう小雨になっていました。

今、午後7時過ぎですが、雨は止んで虫の音が
あちらこちらから聞こえています。

これから、台風は東上していくでしょうから、
東のほうの方は、どうぞお気をつけください。


さて。振り返りますと、2月19日からはじまった
この治療ですが、10月の8日で、何とか終了しました。

最初の予定では8月のはじめまでには終わる、ということでしたが
結果的には2か月余分にかかった、ということです。

10月8日に主治医から10月1日に行った採血の結果をもとに
診断があって、今回の治療は終了しました。
その翌日、県の保健所に治療補助の受給者証も返却しました。
一つこれで区切りがついた、と思いました。

最後のほうはもういったいいつ終わるのか、
というようなことを思っていましたが、
よく考えるとそれは、体調が良くなったからこそ
言えたことに違いないのです。

状態が悪くなっていたなら、
もっともっと切迫した気持ちで、
治るまで続けなければ、と思うでしょうし
もう、いつになったら終わるの、なんて
そんなのんきなことを言うような状態でも
なかったはずです。

うちのブログについている検索キーワードを
見てみると、やはり結構多くの方が、今回使った
シメプレビル治療とか、ソブリアードというキーワードで
ここに来られているのがわかりました。


そこで、一応、この週版の治療記録の後で
今回の治療を受けてのまとめの記録を書いて
おいたほうがいいのか、とも考えたりしています。
それはまた今度の機会にするとして

とりあえず今日は、途中になっていた治療日誌を
つづけていきたいと思います。

          ×         ×

9月14日(日)
京都の発表から帰って一段落する。
ここ半年いろいろとやってきた資料を整理しながら
ひとつ終わったなぁ、と実感する。
とりあえず一昨日・昨日の疲れは出ていない。
(と言っても翌日に疲れが出なくなって二三日後に
出るのだけど)

9月15日(月)
高知の友達がうどんツアーに来たので同行する。
栗林の上原屋本〇⇒中野町の松〇⇒金蔵寺の長田in香の〇
⇒善通寺のうどん屋というコース。
お昼前にお別れして、少し休んで、夕方仕事場の街に移動
夜、着いて片づけをしていたら、宅急便が来た。
何かと思ったら、前に一緒に仕事をしていた方から、
自家製イチゴジャムとブルーベリーソースの差し入れ。

9月16日(火)
皮膚のかゆいのは相変わらず。特に左わき腹の一部が
カサカサになっていて、非常にかゆい。
主治医は副作用なので、治療が終わったら治ります、
ということではあるのだけど、、。

9月17日(水)
診察日。主治医から今、一番困っていることは?
と質問されたので、「階段があがれないことです」と答える。
前回もそうだったのだけど、1階から2階にあがろうとしただけで、
途中で息切れはするし、足が鈍くひきつるような感じがしてしまう。
階段を5、6段上がったら、もう無理という感じ。
後、別に蚊に刺されたわけでもないのに身体のあちこちが
かゆい。特に背中。これは前回の時もそうだった。
あまりに背中がかゆかったので、孫の手を買ってきて
それを日常的に使っていた。今回もその片づけていた孫の手を
出してきてまた使っている。 
階段があがれない、皮膚がかゆい、と困っている、と言っても
主治医は、「それは治療が終わったら治る」と言う。
問題はここにあると思う。

患者の意識としては、階段が上がれないとか
背中があまりにかゆくて仕事に集中できない、というのは
普通の日常生活が送れない、という点で、非常に困ったことで
あると思っているのだけど、主治医はそんなもの、という程度と
しか思っていない。だから結果的にこういう質問をされても
「どうせ、治療が終わったら治る」という答えしかもらえないだろう、
という想像が働いて言っても無駄、ということになってしまう。

採血をして帰る。

9月18日(木)
電話で昨日の採血の結果を聞いたところ、やはり
好中球数の悪化のために今回は注射は見送りとなる。
ただ、主治医に9月中は週2回通院ができるけれど、
まさか10月まで治療が延々と続くとは思っていなかったので
10月から仕事が忙しくなり、週2回の通院は無理である、
とのことを言う。相談の結果、22日の月曜に23回目の
注射をして、(22日だったら血液の状態も回復している
だろうとのことで。) 最終の24回目の注射を10月の1日に
行うことで、何とか終了、ということにしましょう、とのことになる。
ようやっと目途がついた。

9月19日(金)
午後から年休をもらって実家に帰る。車を修理工場に持っていく。

9月20日(土)
朝、一番の高速バスでOCAT。南海なんばから高野山に行く。
夜のバスで実家に戻る。
金剛峰寺にお参りし、緑の木々の中を歩くと、とても落ち着いた
気持ちになった。今回は日程的に余裕がなかったので
今度は1泊したいとぜひとも思った。

9月21日(日)
昨日のことで熱とかは出るかな、と思っていたけれど
朝が36.4度、夕方が36.2度で、発熱はなかった。
朝、日産に行って車引き取り。 夕方まで休んで
仕事場の街に移動。

9月22日(月)
仕事が終わって、がんセンターに行く。
予定通り注射の23回目を行う。

9月23日(火)
部屋の掃除と洗濯をしたほかは一日身体を休める。
夕方、原稿書きをする。

9月24日(水)
昨日書いた原稿の再読を行う。
薬局に行って、最終1週間分のレベトールをもらってくる。
仕事場で、2階から5階に行こうとして
階段は上がれるかな、と思って試してみたがやはりダメ。
2階から3階まで上がったら、目の前が真っ白になって
しまったので、やはりしばらくはエレベーターを使うしかないなぁ
と思う。

9月25日(木)
原稿の校正を行う。今日は語句だけ見ていく。
皮膚のカサカサになっている部分が非常にかゆい。


9月26日(金)
仕事が忙しくなる。しなければならない仕事を全部紙に書き出して
順番をつけて、一つずつ片づけて行く。 夜、実家に移動。

9月27日(土)
オフクロの通院に付き添い。
診察が終わって出たら、もうお昼だったので、そのまま外食して帰る。
午後、扇風機と窓のすだれなどを片づける。
近いうちにグリーンカーテンにしていた朝顔も片づけなければ。


(今日聴いた音楽 In My Life 歌 川手照子)


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14. 09. 23

治療日誌(第28・29週:8月31日~9月13日)

謙介の病気の薬については
近々また別の新薬の適用が
はじまることになってはいます。


これになりますと、インターフェロンを使わないので
謙介のように、延々と治療期間が延びて延びて、という
ことはもうないと思います。

主治医のお話によると
ただ、次に採用になる薬はなるほど効果は高いそうですが
突然変異株ができる事例が結構ある、ということです。
ということは、この薬を使って変異株ができた場合は
その次に出る薬以降は薬の効かなくなる、という可能性だって
あるよ、ということだそうで、今秋承認になった薬については
うちの主治医は正直、あまりお勧めしません、とのことだそうです。


それでも今秋に承認になった薬以降も新しい薬が次々に出るようで
過去にがんセンターに入院した時に、この病気の手遅れで
同室に入院していた人が亡くなった、というのを何度も
接してきたので、
新しい薬によって一人でも患者さんの命が救われて欲しい、
と切実にそう思います。

ただ上に挙げた以外にやはりいくつか問題もあるんですよね。
一つは患者側の意識の問題。

この病気って、病状が深刻化して腹水がたまるとか
肝硬変から肝がんになるというような状態にならないと
自覚症状がないので、放置されたままで、ということが
多いのです。で、気が付いたら処置できない、という
状態のことが多いです。

今、倍賞千恵〇さんがやってる「日ごろ肝臓の検診を」
というCMとか啓発のポスターを見るのですが、
CM、本人に肝臓が悪いから何とかしたい、という
意識の高まりがないとどうしようもありません。
そういう患者側の意識の問題もあります。


それからもう一つは、新薬と言うのはどこかの環境大臣が言った
台詞がそのまま当てはまるということでした。
「結局は金目でしょ」というあれです。


今回の治療を受けていて実感したのは
新薬の開発というのは、仮に製薬会社がこの病気に
効く薬を作ったとしてその薬が果たして会社にとって
儲けになるかならないか、
で薬の開発が決まるのだ、ということです。

今、アフリカでエボラ出血熱が流行って
大変なことになっていますが、なぜ、今まで
そのための薬が開発されなかったのか、
と言えば、製薬会社が薬を開発したところで、
エボラ出血熱では儲けにならない、と
踏んだから、開発しなかった、ということのようです。

謙介の病気については日本国内で300万人はいる
ということです。そんでもって謙介の使っていた
シメブレビルなんて、たった1錠が数万円の薬です。

それを何万人かの人が一斉に使ったら
そりゃ製薬会社は儲かるでしょう。

それも全部外資系の製薬会社であって国産は開発費が
出せないので、そういう新薬はなかなか作れません。
そういうところ、特に外資系の製薬会社はシビアですね。
金になるかならないか、で、製薬製造を判断しますもんね。


        ×       ×       ×
8月31日(日)
熱はこのところ36度台で、以前のように発熱することは
なくなった。今年の夏は、暑くなかったので、本当に
助かった。これで去年の夏みたいに、38度とか39度とか
いっていたら、ずーっと寝ていたかもしれない。何とか
立ち上がって頑張れたのは夏が暑くなかったからと思う。
夕方、実家を出発、仕事場の街に移動。

9月1日(月)
仕事場の研修会その2、今日は謙介が各発表の
タイムキーパーをするので、研修の間中、時計と
にらめっこ。同時進行で発表の内容もまとめて
おかないといけないので、終わったらちょっと疲れた。
このところ食欲があまりない。

9月2日(火)
明日は9月1日付で新たに入った人の研修の講師を
しないといけないので、その資料をもう一度見直す。
今年の3月に1時間半でやったバージョンを1時間で
やってくれと言われたので、どこを削るか悩んだ。

9月3日(水)
午後から1時間ほど、レクチャーをする。
何とかうまく行った。 しかしそれにしても食欲が
あまりない。食パン1枚食べるのにさえ、途中で嫌になって
しまう。終わってから病院に行く。
いつものように採血をする。

9月4日(木)
昨日の採血の結果、やはり白血球数が3000
好中球数が14。 3000×14で42000となって
50000に達しなかったので注射は中止。

9月5日(金)
9月13日の京都での学会発表の発表用ペーパーを
作る。見なくて言えるようにはしているけれども
もし、頭が真っ白になって立ち往生しては困るので、、。
夜、実家に戻る。

9月6日(土)
母を病院に連れて行く。
主治医と診断の結果について話す。大体いつもの通り。
服薬も同じで、、との指示。終わってから屋島のきりんうどんへ行く。

9月7日(日)
朝、日産に行って、車のことについて打ち合わせ、
書類など作成してもらう。
午後、京都の親戚に荷物発送。

9月8日(月)
病院に行く。採血をする。
皮膚ががさがさしているのだけど、とりあえず尿素入り
クリームでしのいでいる。

9月9日(火)
夏休みをとる。 寝る部屋のじゅうたんが相当に古くなって
いたので、思い切って捨てる。と同時に少し片付け。
部屋がすっきりした。 一日活動したのでやはり疲れてしまった。
食欲、少しましになる。
先生は好きなものを食べたらいい、とおっしゃるのだけど、
結構突発的にいろいろと浮かぶのだ。
たい焼きとか、焼きそばとか、牛丼とか。何の脈絡もなく。
でも自炊しているので、まだこの食材があったじゃないか、
これを早く食べてしまわなくては、とか思って、
せっかく食べたいと思っても、食べられない。
いっそ自炊を止めてしまおうか、とか思ったりする。


9月10日(水)
月曜の採血の結果は、白血球3200、
好中球数が21、 で 3200×21=67200となって
50000を越えていたので、仕事帰りに注射に行く。
しかしそれにしても週に2回通院するのは結構しんどいし
時間を取られる。何とかならないかしらんとも思うけれども
何ともならないんだよねぇ。 やれやれ。

帰って京都行の準備をする。
持っていく資料に漏れがないかどうかの確認をして
今回はパソコンも持っていかないといけないので
結構いろいろと荷物が多い。

9月11日(木)
いつも通り仕事をして、夜、実家の街に移動。
帰りにあ、そうだった、今日は誕生日だったというような
ことを思い出した。

9月12日(金)
朝6時過ぎの高速バスで大阪へ。
塚本の親類の家の跡に行った後、なんばの高島屋の史料館。
そこから天王寺に移動して阿倍野近鉄とかハルカスを見たのち
鶴橋経由で奈良に行って、秋篠寺。
もう一度西大寺から近鉄で竹田乗換で京都四条。
移動距離はすごかったけど、もうエレベータ、エスカレータを
使って動いたのでそうしんどいこともなかった。
夜発表のリハーサルをしてみた。
10過ぎに寝た。

9月13日(土)
朝起きてもう一度リハーサルする。一度発表資料を使いながら
やってみたのだけど、思いっきり失敗してしまい、ああ、
やらなければよかった、と後悔する。
行く前に東本願寺に行って、9時過ぎに会場入りする。
17時終了。何とかうまく行った。
19時前の高速バスで京都を出発。 3連休なので
高速が渋滞しているか、と思ったけれどもほぼ定刻通りに
到着。と、いいつつ疲れていたのでバスの車中ではずっと
寝ていた。
今回の移動、服薬を忘れるとかタイミングを逸するとか
しないできちんと服薬できるか、と思っていたけれども
忘れもせず、きちんと飲むことができて良かった。

しかしそれにしても、今週で29週が終わった。
基本の治療は24週なんだけど。
いつまで続くのだろうか。

もうすごろくのようなものだなぁ、と思う。
一回やったら一回休み。(笑)
このままのペースで行くと10月に入ってもまだ
やっている、ということになるのだろうなぁ、、。

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14. 09. 10

治療日誌(第26・27週:8月17日~8月30日)

最初の予定では7月末までの治療計画だったのですが
9月10日現在、いまだ治療継続中です。

おそらく、この調子で行けば、10月に入ってもまだまだ延々と
続くのは予想に難くありません。

うちのブログ、
シメプレビルなりソブリアードのキーワードで検索をかけて
ここに来られる方も結構おいでのようです。

中にはこれからこの治療を行うので
その予習ということで、ここに来られている方も
おいでかもしれません。

この治療、基本の治療は24週になっていますが
上のタイトルをご覧いただければお分かりですが
27週を越えて、今は28週目です。

治療期間なんて、個人差があってその人の状況次第では、
延々と伸びてその倍だってかかる
ということは頭に入れておいたほうがいいと思います。

謙介のように好中球の値が低くなってしまう場合は
採血をして、その結果によって注射の可否を判断しますから、
採血のための通院と注射のための通院と
週に2回、通院しないといけません。

水曜に通院して採血をして
翌木曜の昼に主治医に電話をして
数値を聞いて、注射の可否の診断を聞きます。
それで数値があがっていてオッケーだったら
またもう一回病院まで注射をしに通院ということです。


前のテラプレビルは薬の服用間隔はきっちり食後8時間、という
ことだったので、朝の4時から朝飯を食べないといけないというような
服用方法の薬でした。朝の4時に朝食を食べろ、って一体患者の
生活をなんだと思っているのでしょう。

あれも結構副作用があってきつかった、
と聞いていますが、今回のこのシメプレビルだって
ただでさえ貧血になっていて体力の落ちている患者に向かって
週2回病院に通え、というわけです。

正直いい勝負なくらいしんどいことです。

これから治療をする方は、そういう治療期間がどんどん延びる、
ということもありますし、
治療後に体力の回復する期間だって必要ですから
やはり治療全体は1年はかかる、と最初から
考えておくべきでしょう。

治療にかかる前に、

まず患者さん自身の日程的なこと、
仕事のスケジュールとか、自分の生活の計画とか
というようなことを十二分に考えてできるかどうか判断する
ということだって要るよ、と謙介は今回の治療を
受けて思いました。

治療の終了が7月末の予定だったので
10月は治療も終わっていて影響がないだろう、ということで
仕事場のほうに伝えてあったら、この調子では10月まで
延々とかかる予定です。
で、仕事の予定と治療との関係で本当に困っています。
通院できない可能性だってありますし。


        ×       ×
8月17日(日)
今日は熱も出ず、落ち着いた感じだった。
夕方実家から仕事場の街に移動。


8月18日(月)
週明けで普通に出勤。
8月29日、9月1日に仕事場で業務の研修会があるので
それまでは休めそうにない。
お盆もお休みなしだったので、やはりしんどい。
けれどもPCを開いてみると、いろいろなところが
用事がぎっしり来ていて、あああああと思う。
何とか夕方までに片づける。

8月19日(火)
熱がある、というまではいかないのだけど、
37.4度、、。微妙な発熱。
皮膚は左わき腹の部分がずーっと
カサカサ状態。主治医に聞いたら薬の副作用とのこと。
かゆくはないので、今のところ市販のニベ〇の乳液で
何とかごまかしている。

8月20日(水)
本来であれば、今日でレベトールの服用が終わるので
主治医に今後のレベトールについてきいてみたら
レベトールとインターフェロンはセットで行わないと
いけない、ということで、注射が終わるまで服用も
続けてくださいとの指示。しかし、お注射は一体
いつまで続くのだろう。
今日はとりあえず採血だけして、明日の結果を見て
注射をするかどうかの判断をしますとのこと。

8月21日(木)
昼、病院に電話をして訊いたら、白血球数が
2700で好中球数が17ということで
かけると45900だから50000に達していないので
注射は中止、とのこと。
たぶんこのペースで行けば
注射をした翌週は血液の状態が悪化して
注射をできない。なので、2週間おきに注射をする、
ということになるから、後6週間はかかるということだろう。
10月になってもまだ治療は続く、ということなのだろうか。
でも最初の話だと7月末に終わる、という予定で
こちらも仕事の準備とか計画を立てていたのに
さっぱりその計画がめちゃくちゃになってしまった。
自分のこととはいえ、ちょっとこの状態では、、一体
いつ終わるやら、、で、仕事の計画も立てられず
本当に困っている。

8月22日(金)
午後から出張。その帰りに9月の研究会の
関係の手続きをする。 コンビニに寄ってバスの
チケットの発行・支払いとか済ます。
そのあと、一旦アパートに戻って実家に移動

8月23日(土)
このところ忙しかったので今日はゆっくりする。
お昼も自分のところで作らずに
両親と和食の店に行って済ましてしまった。

8月24日(日)
手紙を書こうと思って鳩居堂の便箋を買いに
市内の文房具屋に行く。行ったら、小中学生と
その親御さんで、文房具屋はものすごい
混雑。まぁ夏休み最終週だからね。
手紙を書いて投函して仕事場の街に移動
今年の夏は暑くなかった、、このまま暑さも収束していくのだろうか?

8月25日(月)
研修会の資料を印刷する。50部。
29日の研修会の主担当者と当日の
分担について最終確認をする。
もうこの治療に入ってから前回もあったのだけど
階段を2階まで上がれない。
足が重くなって上がらない、息も切れたりする。

8月26日(火)
8月末で退職する同僚なのだけど
以前に依頼した仕事2件について
その後も全然報告がない。併せて事務の引継ぎも
しようという話がまったくないので、
明日、朝から報告を全部してください、
と依頼をした。

8月27日(水)
朝から昼までかけて引継ぎを行う。
仕事が終わってから病院。
主治医に階段を上がるのがしんどいです。
とお話したら、心電図をとってみましょう、
ということになって、急きょ、心電図をとる。
結果は異状なしとのことで安心する。
採血をして、明日結果を見て注射。

8月28日(木)
白血球数3700、好中球数16で
59200とかろうじて50000を越えたので
今日は注射をします、とのこと。
明日は仕事場の研修会なので、午後会場設営をする。
8人の委員で設営したので、1時間ほどで終了。
仕事帰りに病院に行く。
この治療で、敗血症になり死亡例が出た、と言われたら
そりゃまぁ慎重になるだろうけれど、病院に間に合うように
行かないといけないし、週に2回となるとやはり結構きつい。

8月29日(金)
8月末で退職の人は、正午に退勤していった。
午後1時から5時まで研修会。
3番目にプレゼンをすることになっていたのだけど、
本番になって、パソコンの調子が悪くなって
スライドショーが動かなくなってしまった。
結構事前に準備をしたり、パソコンの具合もチェック
していたのだけど、、。まぁこういうこともありますね、
というところ。
何とか5時に終わったので、一度家に帰って、その後
実家に移動。

8月30日(土)
前の診察から2か月経過したので、オフクロを病院に
連れて行く。主治医と相談して、気になりそうな箇所を
全部検査してもらうことにした。
オフクロは、身体も悪くないのに病院に行く必要が
ないというのだけど、行く必要が出てきてからでは
遅い場合だって謙介は何度も見てきたので、
「悪くなって行ったら、大事になる場合だって
あるから、予防で行こう」と言って一緒に行くようにしている。
自分はなんたって週2回通院しているので(笑)
病院が特別な時に行くものとか、わざわざ行くところ、というような
気持ちは全然なくて、とても気軽な感じでいくことが
できる。まぁ今の治療をしていて「病院慣れ」をしたことが
唯一の良かった点かもしれない。


(今日聴いた音楽 ムーンライトセレナーデ 歌 阿川泰子
 ジャスの名曲ですが、この曲に限っては、インストゥルメンタル
 より、演奏にボーカルがのって、歌として聴いたほうが好きです。
 満月の夜、静かに彼女の歌が聞こえてくる、というのは
 素敵だなぁ、と思います。)


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14. 09. 03

治療日誌(第24・25週:8月3日~8月16日)

8月3日(日)
身体がとてもしんどい。何をするのもおっくうで
何かしようとするのが面倒くさくなる。
でも、月曜から仕事で大切な会議があるので、
午後は休んで、夕方車に乗って出発。

8月4日(月)
身体のしんどいのは継続中。
10時半から、仕事場の研修委員の会議。
8月の末にある研修会の会場の机のセッティングについての
最終確認
夕方、がんセンターに行く。
木曜夕方に仕事場の会議が入って
がんセンターに行けないため繰り上げ。
身体のしんどいことを言う。
しかし言ったところで、薬も出ないし、
改善するというものでもないけど。

8月5日(火)
午後から出張。
自分のところの報告などする。
その後、会議に参加していたほかのところの人と懇談。
身体がしんどいので、途中退席して帰ってきた。

8月6日(水)
朝がんセンターに電話して月曜の採血の結果を
聞いたが、50000に達していないので、
やはり今回も注射は中止とのこと。

8月7日(木)
仕事を終わって、別の会議が外であったので
出かける。身体は週明けに比べたら
ややしんどくない感じ。
しかし、薬の副作用で体中の皮膚が荒れて
やたらかゆい。
治療が終わったら治ります、とは言うのだけど、、。

8月8日(金)
今日は休暇をとった。
台風が来るかもしれないのだけど
実家の街でどうしてもしなければならない用事が
あったので、朝一番に立って実家の街に戻る。
走りまわって書類を提出し、午後から家に必要な
買い物をする。帰ってきて天気予報を見ると
台風が接近してきて、明日の道路の通行も怪しい状況。
夕ご飯を食べて、出発。
結局実家日帰りになってしまった。

8月9日(土)
台風接近で荒れた天気。
終日家の中でいろいろたまった資料の片づけなどする。
いつまでも置いていても結局見ない、使わないものは
場ふさぎになるだけなので、
5年間使わなかったものは一気に全部ごみとして捨てることに
した。

8月10日(日)
今日は仕事場で用事があったのだけど
台風接近のため、行事は一切中止。
一体何のために8日のとんぼ返りをしたのか???
でもまぁ終日家でのんびりと体を休める。
明日、8時半から胃カメラだし、、。

8月11日(月)
今日は年休をとって朝一番でがんセンターに行く。
胃カメラの検診をしていただく。
10時半に検査終了。

先週の採血の結果が出る

ウイルス量 検出せず
ALT   12
AST  19
総ビリルビン  0.8
ヘモグロビン 10.5
白血球数  2800
好中球数   15
血小板数   33.2

というところ。 2800×10.5=42000なので
あ、これは50000に達していないので注射中止に
なった、ということかなとわかった。

8月12日(火)
昨日の胃カメラのこともあったので、昨夜は安静にして過ごした。
世間的には今日あたりから休んで実家に帰省する人も
多いのだろうけど、うちは14日までずっと仕事。

8月13日(水)
11日の採血の結果、50000に達していたとのことなので
注射に行く。 今年の夏は涼しいので助かっている。
これが去年のように気温が38度とか40度と言われていたら
8月中はほとんど寝込んでいたかもしれない。
とはいえ天候が全然安定しない。
晴れた日、というのが8月は皆無。
ちょっと今やっているある手続き関係で急に書類が必要なことに
なり慌ててあちこちに連絡依頼して書類をそろえる。
本当にばたばたと1日走り回った日だった。


8月14日(木)
仕事が終わって実家に移動する。
昨日のことでいろいろと疲れてしまった。

8月15日(金)
朝から手続き関係のことで
役所と交渉しに行く。
最初はどうなるのだろうと思っていたが
ひとまず、案が提示されて、それなら
こちらも納得できそうな案だったので
その線でいくことを依頼する。一安心。
しかし主治医からこの薬の副作用で、うつ状態になったり
正しい判断ができないときがあるから、重要な判断は
治療が終わってからのほうがいい、と言われたのだけど
ここ数か月、その重要な判断をすることばかりで
本当にこれでやっていっていいのか、と思う。
もちろん周囲に聞いてアドバイスを受けたうえで
進めているのは確かなことなんだけど、、。
今日も終日雨

8月16日(土)
お坊さんに来ていただいてお経をあげていただく。
お昼は屋島のきりんに行く。


(今日聴いた音楽 夏の終わりに アリス歌
 1978年  1978年の9月というと、京都では
 市電が廃止になりました。ちょうどこの時期
 廃止まで1か月を切った時期だったので、
 思い出づくりに市電に乗る人がやたら多くて
 乗るたびに人の多さにびっくりしたことが
 ありました。また京都では今出川通りに
 市電を復活させる、という動きもあるようです。
 果たしてどうなりますことやら。アリスのこの
 歌はあまり有名な曲でないかもしれませんが
 個人的にはいろいろな自分の思い出と重なって
 好きな曲です。)
 

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14. 08. 12

塗炭の苦しみ

月曜日は週明けからしんどいことでございました。

何をしたのか? って、胃カメラ検診ですよ。
事の起こりは先月のこと。
胃の上のほうが何やらしくしくと痛むし
不快感があったわけです。
それで主治医に「胃の辺が変なんです」と言ったわけです。

そうしたら主治医、パソコンの謙介のカルテを見て、、
前に胃カメラ検診したの、5年も前ですね。
これは一度この際にやっておいたほうがいいでしょう。

げろげろ。

謙介、この時も含めて過去に2回やっているのですが、、
どうしてもあの不快感はちょっと、、
特に喉を通過するときにオエッとなりそうになるし、、
食道をカメラが通っていっているのも分かるし、、
またあれを経験しないといけないのかぁ、、と
思うと、ちょっと決心が簡単につかなかったのです。

主治医に言いました。
のどのところでやっぱりオエッとなるんですけど、、
「ああ謙介さんは、のどのそこが非常に敏感なんですね。
普通は年取ったら、その辺が敏感でなくなってくるんですが、、」
「そうなんですか? 」
「だんだんねぇ、、。でも、オエッとなるのは決して悪いことではありません」
「どうしてですか?」
「喉の感覚が若いということです」
「喉が若いと言われても外見はオッサンでしかありません」
「(主治医謙介の発話を委細無視して)
喉が敏感ですと、誤嚥になりにくいですから」

謙介、その誤嚥に反応してしまったのです。
というのも親戚の人でこないだ誤嚥から肺炎になって
しばらく入院してしまった人を知っていたのです。

お年寄りで誤嚥から肺炎になって亡くなる人が
非常に多いのです。

喉の感覚が鋭いというのも、そういう意味では
悪くないのかも、、とかのんきに思ってしまったのです。
やったーとか。

一応3日間ほど考えたのですが、、
まぁいい機会ということで胃カメラ検診5年ぶりに
受診することになったのでした。

8時半に病院に来てください、というのできっちり8時半に
病院に行きました。
いつもは内科外来に行くのですが、今日は検査室のほうに
行きます。

何だか検査室って、受付があるんですが、その入り口の箱に診察券と
予約の紙を入れると、だまーってするっと向こうで係の人が取るんです。
それがまるで地獄に吸い込まれていくような感じで、、、。
地獄の果てに連れて行かれそうな気がするわけです。

まずはじめに、コップ1杯の薬を飲みます。
これで胃の中をきれいにするのだそうで、、。
それから筋肉注射をします。
しばらくしてどろっとしたゲル状の薬を口の中に入れられます。
このどろっとした薬が麻酔で、10分間それをお口の中で
置いておいてください、と言われます。

そのゲルが口の中に入った瞬間から口の中がしびれはじめます。
10分間も口の中にそのゲルを入れていたら、
本当に口の中がマヒしてしまいました。

で、げろげろっとそれを吐いて、、
もう一度ダメ押しで喉の奥にむかって
スプレー式の麻酔薬を振りかけられました。

そうして検査室のほうに移動します。
この検査室、エコーもここで診察するのですが
画面を見ないといけませんから、照明はありません。
あるのはディスプレイの画面の明るさだけです。

診察台の上に横になって顔を横にしてください、
との指示がありました。お口はマウスピースを
かませられます。
よだれはどんどん外に出してください、
と言われたのですが、そう出はしませんでした。

もう口の中から喉のあたりまで、麻酔がはっきり
きいている状態ではありました。

主治医が来られまして、重々しく
「それでは開始します。」とおっしゃいました。
なんだか余計に緊張してしまいます。
どうも管が入り始めたようでした。
やはり喉のところで激しくオエッとなりました。

もうこれを「塗炭の苦しみ」と言わずして
何を言うのでしょう。

そこを通過して、今度は食道を黒い管が
入っていくのが分かります。
しばらくすると、胃カメラが到達したのでしょう
あちこち撮影が始まったようでした。

胃カメラの先端には撮影用の照明が
ついているので、今頃おなかの中では
ピカピカ光っていたわけです。

照明がピカピカしてイルミネーションのおなかです。
腹黒い、という言葉は普通ありますが
その時の謙介は「腹明るい」状態だったわけです。
こういう言葉はありませんが、だっておなかの中で
照明がついて明るいわけですから、
「腹明るい」としか言えません、よね。変な表現ですが。


どれくらいあちこち撮影したのか、、
時間の経過は分かりませんが
とりあえず主治医が「終わりましたからね」
とおっしゃいました。
でもそれは単に撮影が終わっただけのことであって
胃カメラはまだ胃の中でピカピカ光っているのです。

そこからまた今度は食道を管が上がってきました。
幸いなことに気持ちが終わった終わった終わったと
思っていたのでしょう、入れるときほどはオエッとは
なりませんでした。

終わってから主治医が胃の中の写真を
あちこちと見せてくれました。
一見するとつるんとしていてよさげなのですが
画像加工して青く凹凸をつけてみると
結構凹凸がありますね、ということでした。
まぁ大きな異常はありませんでした、
ということで安心しました。
大きな異常があったら、そのまま
入院だったかもしれませんし、、、。

終わってから看護師さんがオレンジ色の薬を
静脈注射でしました。尿が濃い色になりますが
心配はありません、とのことでした。
それから胃カメラ終了が9時30分だったので
今から1時間は誤嚥防止のために食事はしないでください
とも言われました。 10時半からご飯を作っていたら
11時過ぎで、、うかうかしていたら昼です。

でも朝昼兼用はできません。
薬を飲む関係があるので、朝は朝、昼は昼で別に食べないといけないのです。
なので家に帰って11時ごろ朝ご飯を食べて服薬となりました。

その後はどっと疲れて2時まで寝ていました。
大しておなかはすいていませんでしたが、
食べないといけないので
とりあえずおなかに入れて薬を飲みました。

やはり1日休暇を取って行って正解でした。
主治医はまた胃カメラで検診しましょうね、と
おっしゃったのですが、、、。
後、5年のうちにもっと負担の少ない胃カメラが
できてほしいなぁ、と心底思った謙介だったのでした。

(今日聴いた音楽 朝の空 1979年 紙ふうせん
 朝の空はあしたのそら、と読みます。
 朝日放送のおはよう朝日です の最初の
 オープニング音楽です。関西のおっちゃんおばちゃんなら
 大抵知っているはずですね。)

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14. 08. 03

治療日誌(第24週:7月27日~8月2日)

7月27日(日)
このところ暑いのでやはり食欲が落ちている。
今日は午後から仕事場の街で打ち合わせがあるので
朝、一番に出発。
何とかお昼に到着して、昼ご飯を食べて打ち合わせに行く。
3時からの打ち合わせ、1時間くらいかかるのか、
と思ったら、30分で終わってちょっと拍子抜けしてしまった。
帰ってきて少し疲れたので横になって休憩
ちょっとましになった。
胃は薬のおかげで、先週のような痛みはなくなった気がする。
皮膚ががさがさ。
クリームを塗ればいいのかもしれないけれども、
塗ったら塗ったでべたべたして非常に不快なのだ。
本当なら乳液のようなものでなくて
ヘチマコロンのようなもののほうがいいのだけど、、。
でもそれだと効果がないので、本当に悩むところ。

7月28日(月)
同僚、さすがに今日は出勤してきた。
「体はどうなんですか? 」
「と聞いたら、はぁ、まぁ、、あとで、、」というような話だった。

そのあとから上司がやってきて、同僚が8月いっぱいで
退職する、ということになったらしい。
今月も勤務日の半分を体調不良でお休みしているし
来てもちょっと仕事になっていないので、正直、ちょっと
難しいなぁ、と思っていた。
別の同僚に聞いたら、「私は7月末で辞めるんじゃないか
と思ってた」という話だった。

でも、そうなったらそうなったで仕事の引継ぎもあるし
おそらく今回欠員になっても、人員の補充ができるのは
来年の4月だろうから、それまでは欠員のままだろう。

おそらく仕事の大半は謙介がしないといけないし、、
やれやれ、こちらも今の体の状況では決して余裕なんて
ないし、、。 

7月29日(火)
朝から8月にある研修会の資料作りをする。
午後、別のセクションからどーっと仕事がやってきて、
その仕事の処理で全部終わってしまった。
皮膚のガサガサが本当に不快。

7月30日(水)
午前中、8月の研修会のための会議。
仕事が終わってからがんセンターに行く。
主治医が触診しながら、「本当に皮膚がガサガサやねぇ。」
「これも副作用でしょうか? 」
「たぶんそうでしょう。クリーム出しておこうか? 」
「べたべたして、、」
「どうしてもかゆくて我慢できない時だけ塗ったらいい」
ということで一番弱いステロイドのクリームを処方してもらった。
採血をして、明日の昼に結果を聞き、大丈夫だったら
もう一度がんセンターに来ないといけない。
1週間に2度の通院は結構疲れる。

7月31日(木)
昼前に主治医に電話をして聞いたら、
白血球3600 好中球数23で
3600×23ということで82800
50000は越えていたので注射に行く。

8月1日(金)
昼過ぎから雨がずーっと降っている。1時間くらいで
止むのかと思ったら、延々と降って一向に止む気配がない。

仕事場に今年の4月からアルバイトの女の子(大学生)が
入ったのだけど、その歓迎会をゑちごやの隣のイタリアンの店でする。

ここは、何でもかんでも漱石なんだけど
「ダ・ボッチャーノ」ってさぁ、、
イタリアンまで夏目漱石、って、、(やれやれ)


Dabocchano

この店は今度東京のKITTEに分店を作ったんだとか。
東京駅近くにもこのイタメシ坊ちゃんがあります。

ピッツアやパスタはおいしかったのだけど、
脂っこい料理ばかりで、結局体に良くなかった。
帰ってからお風呂に入らなきゃなんないし、
昼食の弁当箱だって洗わないといけなかったのに
身体がしんどくてどうしようもなかった。

次の日、起きても胃が食べたものを全然消化していない感じで、
胃がもたれてしまっていた。
身体のしんどさもあった上に、食事が脂っこいもので、、
イタリアンは少なくとも治療終了までは
止めたほうがいい、と改めて分かったのだった。

8月2日(土)
朝、起きたらすごい雨。
朝は軽くおかゆをいただく。朝ごはんを食べておかないと薬が
飲めないので。薬を飲んでから雨の中実家の街に出発。

高速道路は大雨の関係で、途中何カ所も通行止め区間があった。
普通は瀬戸内側の雨なんて、何時だって数時間であがるのに
今回は、昨日の午後からずーっと雨が降っていて一向にやむ気配がない。
途中で橋を何か所も渡ったけれども、いつもの夏なら、
川の水なんて干上がってしまって、地面の表面はろくに流れていないのに
今日は、水しぶきをあげて轟々と流れていて、とても驚いた。
昨夜の雨が相当の降りだった、ということなのだろう。


実家に帰っても脂っこい料理を胃が消化していない感じ。
非常に疲れている。午後は1時から3時半までずっと横になっていた。
その間もずーっと雨。結局土曜も終日雨だった。

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14. 08. 01

治療日誌(第23週:7月20日~7月26日)

7月20日(日)
朝食をいただいてから荷造りをして仕事場の街のほうに移動。
いつもと車の流れが違うなぁ、と思ったら、世間は明日も
休みなのだった。 昼過ぎ到着してちょっと疲れたので横になる。
早々に起き上って、何通か手紙を書く。胃の調子がおかしい。
明日の仕事の準備。 

7月21日(月)
通常通り仕事があるので、出勤。
さすがに車が少なくていつもの所要時間の3分の2程度の
時間で到着してしまった。
同僚から仕事の状況の報告がないので、どうなっているのか
訊く。 こちらが訊かないと何も言ってくれない。
1週間に1度は、今どこまで仕事が進捗していて
どうなっているのか説明してください、と、もう15回くらい
彼に言っているのだけど、いまだにそれをしてもらえない。

こちらも同じことで何度も注意したくないのだけど、、
本当にどう言えばいいのだろうか。
やはり胃が痛い。

7月22日(火)
少し熱っぽかったのだけど、今日はどうしても出席しないと
いけない会議があるため、出勤する。

朝、上司がやってきて「体調不良でお休み」とのこと。
また、急いでその人の仕事をしに走る。
10時30分から会議。12時に終了。急いで部屋に戻り
遅れていた仕事を片づける。 ロキソニンのおかげで
ややましになる。 正直、こっちだって体調不良で
休みたいのだけど、、。

午後は、8月の発表の資料作成をする。

7月23日(水)
今日も同僚は体調不良で休みとのこと。
仕事後がんセンターに行く。 診察で、皮膚が荒れてしまったことと
胃が痛いことを言う。
主治医がカルテを見ながら、、「謙介さん、前に胃カメラで診たの
5年も前ですね。今回、いい機会ですから、一度診ておきましょう。」
「だ、だって、先生、やっぱりオエッとなるんです。あれ、、」
「だけど、身体が大事でしょう? 」
そういわれたら仕方がない。やれやれ、、。

来月、こちらの予定と病院の日程を調整して
胃カメラの予約をしないといけない。
バリウム飲んでかたい板の寝台の上で
身体を回転させたり、逆さ吊になるほうがまだましだけど、、。
中央処置室で採血をして明日の結果を俟って、インターフェロンの
注射の可否を決めましょうとのこと。

7月24日(木)
昼前に主治医に電話をしてみたら、白血球数 2800で
好中球数が16しかない。 2800×16では44800なので
50000に届かない。ということで今週は注射は中止。
これでまた治療期間終了が1週間先に延びてしまった。
9月中には終わるのだろうか?

7月25日(金)
今日も同僚は体調不良でお休みとこのこと。
今週出勤してきたのは月曜のみ。
大丈夫なんだろうか? まぁがんセンター通院患者が
大丈夫なんだろうか? って言うのも変な話なんだけど、、。
仕事を終えてから実家の街に移動。


7月26日(土)
朝、オイルの缶を持って自動車のディーラーに行く。
また場所借りしてオイルの交換をする。
帰ってきて今日は地元の神社の夏祭りなので
小学生の獅子舞が来た。こころばかりだけどご寄付。

この暑い中、町内をあちこち回って獅子舞をするなんて
その労力を考えただけで、いくらおぢさんより若くて元気だといえ
本当に大変だと思う。

おぢさんなんて暑いから疲れて午後ぐったりしていた。 
後から気温を聞くと36度だったとか。 
夕方からエアコンを入れて涼む。
やっと落ち着く。
晩はお祭りの焼きそばとフランクフルト。

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