いなかのせいかつ

17. 05. 17

いなかのできごと

となりまちに、「りかちゃんだいがく」が、獣医学部を作る、
という話を謙介が聞いたのは、去年の夏のことでした。
(あ、りかちゃんだいがく、というのは、謙介が適当に
付けた名前でなくて、そこの大学が
自分で言っていたことです↓)

Rikachan


去年の夏休み。忘れもしません。8月の8日でした。
謙介のところに「獣医学部ができるらしいで」という
話が来ました。それで謙介、その話を持ってきた人に
「どこの学校が経営するん? 」とすぐに訊き返した
わけです。 そうしたら「りかちゃんだいがくやで」
というお話でした。

謙介はなるほどなぁ、と思いました。
りかちゃんだいがく、って、すごく商売がうまい、というのか
手広くやっているので、有名なので、「なーるほど」
と別に不思議には思いませんでした。

その後、地元の新聞にとなりまちに大学ができる、
というニュースが載ったのが
今年に入ってから、(1月ごろ)だったかと
思います。それが具体的に大学法人名まで出たのが
3月ごろのことでした。 ニュースでりかちゃんだいがく
と言っているのを聞いて、ああ具体化したのね、と
思ったのです。

となりのまちは謙介のいる県で、2番目に人口が
多いまちではあります、が、このところ
人口が急激に減っていっていました。

となりのまちの主要産業は、造船と繊維工業
と電気工業でした。 造船と繊維はまぁまぁ
なのですが、まちの真ん中にあった東〇の工場が
閉鎖されてしまったのです。

ここから広島の尾道に向かって橋ができました。
かつては、そうした離島航路へのフェリーの
発着場として、このまちはにぎわいました。
港からまちの中心部への1キロくらいの商店街は
それはそれはにぎわっていたのです。

商店街の出口には、大〇デパートもありました。
でも、橋ができて、大半の離島航路はなくなり
商店街を利用する人は急速に減っていって、、
他のまちの商店街のようにシャッター通りになって
しまいました。

そのころ市町村合併があちこちで行われ
ここも周辺の島や近隣のまち、14と合併したのです。
それでも人口減は急速に進んでいっていました。

そこで定住人口を少しでも増やさないと、
ということで、まちの西の郊外の丘陵地に
「新都市」と名付けた土地開発にかかったのでした。
新都市には、「おかだや」を誘致しました。

謙介は正直、どうしてそこに「おかだや」を誘致するのか
訳が分かりませんでした。 というのも、そのまちには、
すでに3つも「おかだや」があったからです。

人口の少ないまちに「おかだや」を4つも作ってどうするんだ、
と思いました。 おかだやの人も思ったみたいで
市役所がおかだやを誘致して一度、決まりかかったのですが、
おかだやが嫌だ、と言って、計画がぽしゃりかかったのです。
そこへ、「むりこやりこ」なりふりかまわずに誘致活動を
行った結果、おかだやも折れて、店を作ることになったのです。

さっきも言ったように中心市街地の商店街は
さびれ果てています。そこに核店舗というくくりで
おかだやが来るのであれば、まだましですが
4つめのおかだやを作る、ということは、
商店街に、もう商売を止めてしまえ、
というようなことと同じだと思うんですけどね。
とまれ、その新都市の第一街区におかだやが
できました。そして第二街区には大学を誘致する、
ということになったのです。

最初は地元の私大が、新しい学部を作る、
ということで、名乗りを上げていたのですが、
それが沙汰やみになってしまい、大学誘致が
宙に浮いた形になりました。 それから、いろいろと
学部の候補を挙げていって、獣医学部を
作ろうということになったらしいのです。

理由は、四国にないから、ということでした。
でもねぇ、四国にはなくたって、獣医学部に
進学する学生の需要と供給はバランスが
取れていて、これ以上作っても仕方がない、
ということだったのです。

となりまちのトップが国に、大学を作りたい
作りたい作りたいと、2007年から
15回にわたって言い続けたのでしたが
国はもうこれ以上は要らない。ダメ、
と言い続けたそうです。

というのが、今年の4月だったか、前のそのまちの
トップの人が、「今まで何度も国に申請したのに
できなかった」ということを述懐している
地元の新聞の記事を読んだのでした。

で、今の内閣になって、それまでの
獣医学部は多いからダメ、が、一転、そういうことだったら
作ってもええよ、というふうに態度が変わったのだとか。
前のトップの人は、「よくもまぁここまで来たなぁ」
ということを言っていましたが、、。


今まで獣医学部は多いからダメ、
と言っていたのが一転態度が変わったのは
どうしてなのでしょうかね。

それと、その獣医学部の土地は、となりまちが
土地を無償供与するのだそうです。
県の補助も38億だとか出る、という話です。

県の補助ということは、謙介の払った
県民税からもお金は出ているわけで、、
俄然ちゃんと見ておかないと、という気がして
きました。

いなかのできごとでありがちなのが
「うやむや」です。


今日は国会で「いつも赤いネクタイをしている」
議員さんが、首相に質問していましたけれども、、。

野党も頼りないしなぁ、、
真相をきちんと究明してもらいたい、
と思います。


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17. 05. 16

時代は遷って

先日、ながったらしい銀行名の銀行の
途中に出てくる「東京」の部分が
消える、ことになった、という報道を聞きました。

そのながったらしい銀行名のうちの「東京」の部分は
この銀行名から、だったわけですが、、、。


Img_2187


おらなんか、物持ちがいいもんで
いまだにこんなもの持ってるだよ。(笑)

どうしてこんなキャッシュカード持っているのか、
と言いますと、東京銀行というのは、国内より外国に強い銀行で、
日本で唯一の外為銀行だったのです。

謙介がソウルにいたころは、まだ東京銀行が
ありましてね。 いろいろと送金をする関係があったので、
東京銀行に口座を持っていた、ということなのです。


ちなみにキャッシュカードの最初の058という番号は
京都支店のコードでした。

今のながったらしい銀行名になっての058は、
大阪の堂島支店のコードだとか。

日本に帰ってきてから、謙介もいろいろありましたし、、
東銀もながったらしい銀行名の「一部」になって
かろうじてその痕跡を残していた、ということで今に至っていた、
ということだったのですが、とうとう消える、ということになったそうです。

そのながったらしい名前の銀行に、一昨年だったか行って、かつての
三和銀行のスヌーピーの通帳の解約をしてもらって
お金を返してもらうことにしたのです。
三和銀行は「UFJ」の部分の銀行でしたもんね。

行ってすぐに、解約の手続きを、と、言ったら、
通帳の台帳が見つからない、とか言われてしまいました。

三和銀行の合併後の銀行に行っているのにない、とは
これいかに。 別にみず○とか、りそ○に行って
三和の解約してくれ、と言っているわけでなかったのですが、、

そこから台帳を探してもらって、やっと見つかるまでに
1時間。手続きを終えるまでにさらに1時間。
それだけのことをするのに、2時間もかかりました。


きっとこの東京銀行の通帳も、行って手続きをしたら
正式に解約できて、お金がいくばくか返ってくる、
ということになるのだろうとは思いますが、、

そこまでに
何時間かかることやら、、、

(しかも返ってくるお金は、
たぶんドトー○で飲むコーヒー代くらいしか返ってこない)


めんどくさ。


諸事手続きをするのを億劫がって、
放置する、というのが老化のはじまり
というのはよく知ってはいますが、、、でもなぁ、、。

かくしてあれもこれも
「めんどうくさい」というようになっていって、
どんどんと老化は進んでいくのでせう。

平成時代も今年で終わりのようですね。

来年には改元があって、
新しい元号になるとのこと。

やれやれ。

こうして昭和なんて、
いよいよ昔のはなしになっていくのでしょうねぇ。

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17. 04. 19

デッドセクション

先月、両親と奥琵琶湖のほうをまわったお話は
ここで何度かに分けてしましたよね。

その時に、近江今津駅で、湖西線の高架を
走っている電車を見たのです。

すぐに敦賀行きの新快速の電車だと気づきました。
新快速、と言っても、近江今津から、
敦賀までは、各停になるんですけどね。

京阪神からの直流作動の電車が
送電方式の違う交流路線の北陸線の敦賀まで直通で走る、
などということは、ちょっと前までは考えられなかった
ことでした。

今も言ったように
北陸線は電気の送電が交流方式ですし、
東海道線は直流方式でしたから
米原から福井とか金沢方面に走る電車は
すべて両方の送電方式に対応できる
交直両用の電車でした。
なので北陸方面に使用する車両が
東海道線の電車とは
違った電車で、米原の駅で、見慣れない交直両用の
電車を見ては、珍しいということで写真を撮りまくった
記憶があります。


高架を颯爽と走って行く電車を見ながら
あ、そうだった、それが今は敦賀の駅の向こう、北陸トンネルの
手前まで直流方式になったのだった、と改めて思ったのでした。

さっきも言ったように東海道線は直流方式で
北陸線は交流方式なので、
直流の送電方式を交流の方式に変える区域がありました。

その何百メートルの間、電流は流されないのです。
電気を架線から取らない、取れない間、
電車は惰性で走って、その間に切り替える
という方法を取っています。
その区域を「デッドセクション」と言う、ということは
どういうわけだか(たぶん鉄道雑誌を読んでいて
得た知識だったのでしょうけれども)知っていました。

ずいぶん前に、今回と同じように
奥琵琶湖に行った時も
わざわざその北陸線のデッドセクションを
見に行ったほどだった
のです。(ヒマなヤツ)

それが今回そのデッドセクションを調べていて
とんでもないことが分かったのでした。
敦賀まで行かなくても、謙介の仕事場の街に
そのデッドセクションがあるのだそうです。
しかも、4月からの新しい職場の横!
ということで早速行ってきたのでした。

で、↓ここなのでございます。
Img_2138
まぁ見た通り、デッドセクションなんて
なんじゃそれ、というようなものですが。

実はこの鉄道のデッドセクションというのは
こういうことなのです。
郊外電車の路線が3本あるのですが、
そのうちの1本の路線だけ、電圧が600Vなのです。
他の2本の電圧は700Vなのです。
どうして1本だけ電圧が600Vなのかというと
その路線だけ、路面電車と平面交差しているから、
なのです。

Otemachi

市内線(路面電車)は600Vで、
郊外線は700Vなのですが、郊外線の中で、
この路線だけ市内電車に合わせて600Vに
なっています。

下の写真の手前の線路の路線が600Vの路線で
奥に走っている電車の路線は700V、ということ
なのです。
Img_2142
で、郊外電車は600Vの区間から700Vの区間へと
通しで走っていますから、途中、どうしても
600V⇔700Vに切り替えないと
いけなくなります。

それで電圧を切り替える場所を作る必要が
できた、ということなのです。

でもね、デッドセクションといっても、
ここのは600Vが700Vに電圧が変わるだけですし
その電圧の変わり方も600Vが1500Vになる、
というような大きなものではないので、電車は
走ったまま、電流も流れたまま、ぱっと
変わる、というだけのもののようです。
場所的にはこの辺なのですけどね。
Img_2139

この鉄道は電車の平面交差のほうは有名なのですが
デッドセクションのほうはあまり知られていないのです。
ということで見に行ってきた、というお話だったのでした。

最近、更新がままなりません。
というのも、仕事場が2つになって
仕事場のかけもちをしないといけない状態だから、
なのです。午前中は本務の場所で仕事をして
午後からは車で移動して、20キロ程離れた
新設のほうのオフィスに行って仕事をしています。
そういうことで、書きたいことはいろいろと
あるのですが、、時間が取れない状態です。

まぁ時間を見て、ぼつぼつ更新していきますので
またたまに来てくださって見てやってください。
よろしくお願いします。


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17. 03. 13

変な引力でもあるのでしょうか

昨日、コンビニに車をとめようとしましたら、
いきなり別の車(軽のワンボックス)が急にバックしてきて、
謙介さんの乗った車に当たってきたのです。

やれやれ毎月です。

運転していた人、その前にヤンキーのにいちゃんに
気づかず車を停めようとして、あやうく当たりそうになって
ヤンキーのにいちゃんが、その運転手さんに
怒鳴り込んでいたのです。それでその運転手さん
パニックになって、前後左右も見ないで、後ろに急に下がって
謙介の車に当たった、ということです。

前ほどひどいようなものではなくて、
タイヤの上あたりの車体が、
ホンの少し引っ込んだ、ということでした。


正直、車の傷、我慢したら我慢できる程度のものでは
あったのですが、車に乗るたびにそこを見なければならず、、
見るたびに思い出して嫌な気持ちになるのもどうかと
思ったので、直してもらうことにしました。


何か変なものを引き寄せる力でもあるのでしょうか??


車は、来週の3連休の後で、修理です。

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17. 02. 28

通ひが吸ひ込まれてゐってしまひました

先日、ちょっとお金をおろす用事があって
地元の地方銀行に行ったのです。

通帳を見たら、あと3件で、通帳の記入欄が
いっぱいになるみたいで、ひょっとしたら更新かなぁ、と
思いながら行ったのでしたが、、。

5万円ほど下しました。
そうしたら、案の定というのか
「通帳がいっぱいになりました。新しい通帳に
更新しますか?」という表示が出たのです。

時間はそうなかったのですが、
まぁ機械の通帳更新だから、
5分もかからないだろうと思いました。

というのも、1月に別の銀行で同じようにATMで
通帳の更新をしていて、その時だって3分くらいで
できた、ということがあったから、まぁその程度だろう、
と思ったわけです。

機械ががしゃがしゃ言い始めて、時々ジー、ジー、
と言っています。 更新の手続きをしているのだろう、
と思ったら、、、、、それっきり何も音がしなくなってしまいました。


そのうち、
「通帳更新手続き中」と表示されていた
ディスプレイが真っ暗になって、、、、、

あれ、暗黒だ。

しばらくその暗黒が続いたかと思うと、
ピポンっと言う警報音みたいのが鳴って、
窓口係員にご連絡ください、という表示に変わりました。

その時思ったのは、
あああ、これは5分では済まないなぁ、
ということでした。

実は9時に人と会う約束があったのです。
その時時間は8時50分だったのですが、、

仕方がないので、インターホンで、

通帳の更新手続きをしようとして
ATMに通帳を入れたら、出なくなってしまい、
係を呼んでくださいの表示が出ました、と
係りの人に言いました。

「はい、それでは伺います」という女性係員のお返事がありました。

その間にも刻々と時間が迫ります。
ATMを離れて電話したいのですが、
それもできそうにありません。

係のおねいさんが来ました。
「通帳が機械に入ったきり出てこなくなりました」と
もう一度その人に言いました。
その女性は「わかりました」と言って、そのATMに
「調整中」というボードを置いて、また立ち去りました。


そのうち機械の向こう側で、
バタン、ぎぎぎぎぎ ドシャッ! 
ガタッ! という大きな音がしました。

ちょっとその間に、謙介急いで9時のお約束だった人に
「今、銀行に来たら、ちょっとトラブルに巻き込まれてしまって、、」
と電話をしました。

「え、なに? 強盗とかに遭遇したん? 」

「そんなんと違います、って。(にいちゃんドラマの見過ぎよ)
それに強盗になんか遭遇してたら、こんな電話なんか
かけられへんやん」と言いました。

「どれくらいかかりそう? 」

「たぶん15分くらい遅れるくらいかなぁ
ATMのトラブルみたいで、、さっき通帳の
更新をATMでしようとして、通帳を入れたら
出てこなくなったの」と理由を説明しました。

「じゃあ、予定を変更しないで待ってる」という返事で
まぁそっちのほうは、何とかなったわけですが、、

さて。

問題は最初に戻って、、
ATMに吸い込まれていって出てこない通帳ですよ。

さっきものすごい音がしたので、
おそらくATMから通帳は取りだせていたのだろうとは
思いました。

でも、機械の向こう側のことなのでよく分かりません。

その間、3台あるATM
(1台は調整中なので2台ですね)
にはどんどんお客さんが来て、行列ができています。
いつもなら3台使えるから、もっとお客さんの動きも
スムーズだったのでしょうけど、1台が使えないので
そういう状態です。

申し訳ないなぁ、と思いつつ、
いつまでかかるのだろう、、
と思いました。

別にATMによその銀行の通帳を入れたわけでは
ないのです。そりゃ、地方銀行のATMにゆうちょとか
都市銀行の通帳を入れたら、おかしなことになるかも
しれませんが、、。

その銀行の通帳を入れてそれで
ダメ、っていったい、、、、

ただまぁ、もし仮によその銀行の通帳を入れたとしても
今時の機械だったら、
この通帳は使えません、というような表示が出ると
思うんですよね。


カードなんか入れた日には、よその銀行のカードだって
お金が下せます。(なおかつ手数料をしっかり取られて、
ですねぇ )

通帳は果たして、、
どうなっているのだろう、と思って待っていたら
それからしばらくして、おねいさんがやってきました。
2冊の通帳を持って。


「ATMで更新できない通帳でしたから、
手動でしました」ということでした。

古い通帳だから機械が対応できなかった、のだそうで。

まぁねぇ、、古いと言えば、確かに古い通帳ですねぇ。

最初の印字が平成2年ですし、、。

27年前だ。

この銀行の通帳を解約してしまってもいいのですが、
やがて仕事を辞めて実家に戻ってきたら、
仕事場で給料の振り込みとか、いろいろな支払いに
使っている銀行は県外の銀行、ということになって、
こっちでは支店も少ないし、ATMも遠いので
使わなくなるでしょうから、こちらの銀行の口座を
使うようになると思うんですよね。

なのでまぁ置いてあるんですけど、、。


まぁそういうことで、無事に通帳の更新もできて
謙介は約束場所へと行ったのでした。
結局20分ほど遅刻、ということでした。


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17. 02. 24

車の修理が終わりました

先日、元の車の修理が終わって
引き取りに行ってきました。
ここ2週間、ワゴン車に乗っていて、
元の車に戻っただけなのですが、、、

それも、この元の車に乗って、
もう7万5000キロも走っていたのです。
慣れているはずだったのに、、

3週間、他の車に乗って、もとに戻ったら、、
ものすごく違和感がありました。
車の中が新車のようなにおいになっていて(笑)
あらまぁ、と思いました。

前の車の「標高」がやたら高かったので、
今の車のシートに座って思ったのは、
ものすごく低い! ということでした。
地べたすれすれ。(笑)

地面となかよし。

まぁこういうふうに重心が低いからこそ、
強風の時でもふらふらしにくいのですが。


ワゴン車に乗って、高速道路を走っていた時、
数回、風でグラっと流されそうになったことが
ありました。

それと、車が大きかった、ということもあるのですが、
ハンドル回しが大変でした。
よっこらしょ、という感じで大きく回らないと
いけなかったのです。

直ってきた車は、マーチなので、
小回りが利く上に、スポーツカー仕様なので
ハンドルの利きがすごい。
ちょっと回したら、即反応、という感じです。

それとこれも大きかったのですが、
速度感覚の違いです。

マーチは50キロ出していても、
やや遅い、という感じがして走るのですが、
代車で50キロで走りますと、
ものすごく速い速度で走っている、という感じに
なりました。60キロとか出したら、ちょっと怖い、
という感じがしました。

でも、改めて今乗っている車の性能とか
運転時の反応のよさも再確認できて、
その点は良かった、と思いました。


代車は代車で運転していていろいろな発見があって、
それなりに面白かったのですが、
その一方で、やはりあれは業務用の車でしたから
あの車をずーっと運転していたら、
気持ちが荒んでくるような気もしました。

無理して楽しげに乗ってはいましたが。

正直、運転していて、後続の車が車間距離をやたら
詰めてこられたりすると、事故のことを思い出して、
本当に嫌な気持ちになります。

でも、まぁ慣れていかないといけませんけれども。

まだちょっと「あっ怖!」というような気持ちもあって
運転していますが、、
しばらくすると慣れていくのでしょう、かねぇ。

そんなことで、また元の車に戻って
走る日が復活したのでした。

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17. 01. 20

22年の後

父方の親戚が淡路島の北端、
淡路市の岩屋、というところにいます。
22年前は、北淡町岩屋という地名でした。

阪神淡路大震災の震源がここだったのです。

あの日のことは、今も鮮明に覚えています。
謙介は仕事場の街のアパートで、朝食の準備を
していたわけですが、
淡路島からはるか数百キロも離れたこの場所でさえ、
思わずストーブのクイック消火ボタンを押して、
火を消した程の揺れでした。

それからテレビをつけてみますと、、、

地震発生の10日前に謙介、神戸の街を歩いていたのですが、
これが同じ街なのか、と目を疑うような風景が画面に
拡がっていました。

見慣れたはずの三ノ宮の阪急の駅周辺は、
ビルが倒壊したり、倒壊に至らなくても
途中の階が押しつぶされたようになっていたり、、、。

晩、友達と一緒に歩いた阪神高速下の道路は
その高速道路の高架が横倒しになっているし、、

長田の辺は黒煙が上がって、手の付けられないような
火事が起こっていましたし、、

最初は、ただただ画面を信じられない気持ちで
見るばかりでした。

そのうち、断片的な情報が、
怒涛のごとく押し寄せてきました。
震源が淡路島、それも北淡町と聞いた時には、、
目の前が真っ暗になったような気がしました。

神戸でさえ、ものすごい状態です。

ましてや島の木造家屋の多い、しかも、平地が少なくて
細い道が曲がりくねっている街並みです。

そんなところで、家が倒れたら、火事が起こったら、、
大変なことになる、実際そうなっているのでは? 
と思いました。 

電話をしましたが、そんなもの通じるはずがありません。
何度かけても、
「ただいま、回線が非常に混雑しており、、」と
いうメッセージが流れるか
呼び出し音が鳴るばかりでした。


それから数日後、電話がかかってきて、
家の中はひっくり返って、もうしっちゃかめっちゃかだけど
生きているから大丈夫、という連絡があった時は
本当に涙が止まりませんでした。

あれから22年が経過したのですね。


先日、その淡路の親戚から、
対岸の明石のお菓子を送ってきてくれました。
藤江屋分○の丁稚羊羹です。
(まぁ見たらわかりますけど)

Img_1689

電話でお菓子のお礼を言った謙介に、
「またこんなふうに明石の丁稚羊羹を
食べられる日が来るとは、思いもせえへんかったわ」と、
しみじみとした声が
向こうから聞こえてきました。

Img_1690


とはいえ、
もう22年では決してないと思います。

実際に淡路島とか神戸で経験された方にとってみれば
瞬く間の22年だった、と。

淡路島の街も、神戸の街も、外見上は
復興を遂げたかのように見えはします。

でも、人の気持ちや心はそう簡単に癒されるものでも
ないと思うのです。 

未だに復興住宅の仮住まいのままの方も
相当数おいでです。

時の流れ、人の暮らし、
そんなことを改めて感じた日でした。


     ×      ×      ×


あ、羊羹はおいしかったです。

Img_1694


丁稚羊羹は、昔、商家で働いていた
最下層の使用人のことを丁稚(でっち)と
呼んだのです。

丁稚さんには、お休みがほとんどありませんでした。
年に2回だけ、盆と正月に「やぶいり」と言って
各1日だけ休みをもらえました。

よくうれしいことのたとえに「盆と正月が一緒に来たような」
と言うのは、その「やぶ入りのお休みをもらえる丁稚さんの
気持ちのこと」を指して言った言葉です。

「やぶいりの休み」をもらって、
実家に帰っていたわけですが、丁稚羊羹は
その時のお土産用としてお菓子屋さんが
作った羊羹でした。

丁稚さんはお金をあまり持っていないので、
普通の羊羹より材料の配合を少なくして
価格を下げたものを作りました。

配合を少なくしたために、
普通の羊羹より、軽い味の羊羹ができて、
それが却って人気を呼んで
名物になってしまった、と。

明石のこの丁稚羊羹も有名ですし、
京都の新京極の西谷○の丁稚羊羹も
有名です。

久しぶりにいただきましたが、
結構濃厚な味で、これで軽い味かぁ? とか
思ってしまったのでした。

それにしても、22年だった、のですね。

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17. 01. 01

捨てる!

毎年のように、お正月になると、人口統計のグラフが出ていて
人口が減っている問題だ問題だ!
と言っているんですけど、あの記事を見るたびに
謙介は、いったい何なんだ、と思います。

謙介が中学とか高校生のころは
日本の人口は8000万程度が理想であって、
1億なんか越えたら危険だ、という話でした。
社会科の授業で謙介はそう習ったのです。

どうして日本の人口が1億を越えたら
ダメなのか、と言えば、食糧危機が起こる、
と真剣に言っていたのです。

ところが日本の人口は増加の一途をたどって、
1億を越えましたが、幸か不幸か食糧危機は
起こりませんでした。

それが、今や人口が減っている。
人口減少が大問題、ということになっています。
謙介、8000万が理想って言っていたのだったら
減ったらいいじゃないか、とか思ったりするのですが。
あのころ、人口が増えるのはよくない、って言っていて
今は減ったら困る、って、世の中っていったいなんだ、
って思うのです。誰もそう言っていたことの責任を
とらない。

日本の人口だって
減っているんだったら、減っているように
経済とか社会の仕組みを変えたら? と思うのですけど、、。
宅配便のドライバーが足りなくて
輸送が滞っているという話も聞きました。

都会のコンビニの24時間営業は分かるのですが、
田舎のあちこちのコンビニとかファミレスが全部
24時間の営業でなくてもいいように思うのです。
(最近、吉野○とかジョ○フルでも営業時間を
絞った店が出てきました)

それでいてコンビニの店の配置なんて
営業本部の一存で決まります。

田舎の、それまであった商店を駆逐して
コンビニができておいて、方や古くからのお店を
閉めさせてしまって、
その地区にはコンビニしかないような状況にしていて、
儲けが少ない、というような
営業本部の経営方針とかで、閉店してしまい、、
その場所にお店が全くなくなってしまった、というような
ことが四国の田舎に行くといくつもあります。

高齢者が運転するのは事故の元!
で、免許証を返納した、んだけど、
スーパーはない、買い物サービスの車は来てくれない、
ということで仕方なくタクシーでスーパーに買いものに行く
というお年寄りが田舎では目につきます。
スーパーの入り口でタクシーがよく止まっています。

でも山奥に住んでいる人なんて、
1回タクシーに乗ってスーパーに行こうとしたら、
往復で5000円以上払わないといけない人も結構います。

限られた年金の額で、タクシー代に、毎月1万も2万も払うことも
できません。

お年よりですから、インターネットなんて使えませんから
ネットスーパーの利用だって難しい。

介護サービスの利用をしようと思ったって、
まず申請をして認定を受けて、そこからですもんね。
そういう申請ができない、申請方法がわからない、
というお年寄りだって結構います。

経済の雑誌を読むと、物が売れない時代だ、と
書いてあります。

でも、どこの家に行ったって、
どの家もそこそこ必要なものは持っています。
物があふれている、というのに、よほどのことでもないと
そんなもの、買おうとか思わないでしょうに。

日本なんてそんなふうなのに、
企業っていうのは、いまだに以前のような大量消費
大量供給、っていうことを考えているんですかねぇ、、

もうそういう社会構造でないことなんてはっきりしているでしょうに。

もうちょっと今の社会の仕組みに見合ったように、いろいろと
変えていかないと、いけない時期にとっくに来ているように
思います。

にも拘わらず、従前の方針とか、システムは維持しなければ、
たって、それは無理、というようなものではないのでは?
と謙介なんて過疎地に住んでいるものとしての実感として
ひしひしと感じるのですが、、。


なんだかお正月から、暗い話になりましたけれども、、。

年末年始、家の片づけをしていました。

スーパーの袋とか、
いろいろな店の包装紙を取っておいていたのですが
それがあまりにたまっていて、こんなの使えない、
というような量になっていたので、思い切って捨てよう、と
両親に言って、どんどん片づけていきました。


そのついでに今まで部屋の片隅に積み重ねていた箱を
片っ端からあけていって、どんどん整理する、捨てる
という作業をしていました。


ある箱を開けたら8年前の賞味期限のビールなんか出てきて、、
どんどん捨てました。


両親はやはり捨てるのを嫌がっていたのですが、、
「置いておいたって、使わないでしょ。」
と言って、どんどん片づけました。

両親も高齢になって、自分の使う、
使えるも道具も限られてきています。

いつかは使うから、置いておこうと言ったって、
若い時のようにあれこれと、使う、使いこなせる、
というものでもないでしょうし、、。

使わないものを大量にしまい込んでいたって
ただでさえ狭い限られた空間をより狭くして、
場ふさぎになるだけだと思います。


そのかわり、今、あるものを十二分に使いこなして、
という中で生活をしていかなければ、
と強く思います。


そういうことで、これからは物を増やさない、
減らしていく、という生活に入りたいと思います。
そういうことで、今年のテーマは決まりました。
捨てる。軽くしていく。というの。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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16. 12. 30

べにまどんな

こないだ来月の家賃を大家さんのところに持っていったんです。
まぁいつものことなんですが、12月はいつもお歳暮を持っていきます。
お歳暮、たって、例によっての『うどん』なのでございますが。

でも普通のうどんでは面白くないので、
毎年、ここは、という製麺所に頼んだものを
箱に入れてもらって持っていくようにしているんです。

今年は、まだ県外に出ていない新しい小麦の品種
「さぬきの夢2009」でうどんを打ってもらって
それを持って行きました。

そうしましたら、大家さんが、ちょっと待ってね、
と言うと奥に引っ込んで、、ややあって
段ボールの箱を持って出てこられました。

「紅まどんな、もろたから、ちょっと食べてみてくださいや」
と大家さんはおっしゃいました。

謙介は、その段ボールの箱の中の何個かを
いただいて帰るのか、と思いましたら、
「いいえいいえ、箱ごとです」
「えええええええ」と思わず言ってしまいました。


かんきつ産地の愛媛が、高付加価値かんきつとして
売り出すことになった品種です。
食べた人の話によると、食感はゼリーのような味わいで、、
ということでしたが、、、。

たぶんね、漱石先生の例の小説(笑)の登場人物の
「マドンナ」からとった名前だと思うんですけどね。


この紅まどんな、スーパーとかデパートにも
売ってはいるのですが、謙介、いつも横目で
見るだけで、買って食べたことはなかったのです。


スーパーの売り場で見て、何度か手に取ったりしましたが、、
謙介には縁遠いものでした。

だって、1個が500円くらいするんです。これ。
お歳暮用でスーパーに売っているものですと、
進物用で平たい箱に10個も入っていないものが
5000円ってありました。

いただいた
段ボールには、ぱっと見たところ、30個くらい入って
いましたから、、、、それで謙介、ええええええと
言ってしまったわけなのでございます。

まぁ、いただいたのは、皮の感じから見て、
あまりご器量がよさげには見えなかったので、
出荷できなかったランク落ちのものだと思いました。
(でないと、箱いっぱいなんてくれませんよね)
Img_1508


まぁ外見はあまりご器量良しではないですが、
そこはそれ、中身は紅まどんなには
違いないのですから、、、。

この紅まどんな、皮が非常に薄いです。

Img_1510


でも結構しっかりした皮で剥きにくい。
加えて中の果肉が以前、テレビで試食して
いた人が言っていましたが、ゼリーみたいに
柔らかいので、ちょっと力を入れて皮を剥こうと
すると中の果肉がつぶれかけてしまいます。
剥くのになかなか技術が要ります。

なんとか剥いて半分に割ってみました。
Img_1512

内側の皮はとても薄くて
一緒に食べても大丈夫のようです。

これが果肉の状態です。
Img_1522

味は、ネーブルをもっと繊細にしたような
味ですね。

上等なフルーツですが、、、
でも、1個食べたら、もう十分、という感じで、、
あまりたくさん食べなくてよい、というものでした。

今までのかんきつ類と一線を画して、味が全然違う、
というようなものだったら、おおっ! と思うこともあるかもしれないの
ですが、、。まぁかんきつ類はかんきつ類ですし、、。

ともあれ、
お正月はこれをいただきながら過ごそうと思います。


  ×         ×          ×

(2016.12.31 追記)

シスター渡辺が12月30日にお亡くなりになりました。 
つい、9月にお会いしたばかりで、、、。あの時は、
お元気そうで、まだまだこんなことになるなんて、
思っていなかったのですが、、。
ご冥福をお祈りしたいと思います。


今年もこのブログ、見ていただいてありがとうございました。
いつまで続けられるかわかりませんが、、、。


そのうち、書くのができなくなったら、
そこでおしまいにするとは思いますが、、。


書きたい、と思ううちは、続けて書いていこうと思います。
来年もどうぞよろしくお願いします。

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16. 12. 25

年末作業

ここのところ更新があまりできていなかったのは、


実は年末に仕事場の作業を計画していまして、、。
目下その作業のことで頭がいっぱいで、、
他のことまで気が回らない、というところなのです。

作業というのは、仕事場の書庫の整理でして、、。

算数以前の問題なのですが、、、
うちの仕事場の書庫、
11万冊まで図書資料を収容できる、、
という設計で建物を作ったわけなのです。

2016年12月1日現在の書庫の資料数、、
14万3000。

それまであった空きスペースに書架を無理やり増設していって
何とか資料を納めている状態です。

ですが、要らないから、と言って簡単には廃棄は
できないのです。
なぜかと言うと、受け入れた資料は、
資料台帳に記載しているので、
それは「資産」になるわけです。
資産を廃棄するためには
一定の手続きが必要なのです。

要らんから、と言って勝手には捨てられない。

というのか、必要な資料なので捨てられない、
ということが前提にあるんですけどね。

なので、雑誌の書架の資料を動かして、
空きスペースを無理やりひねり出す、というのが
年末の作業なのでした。

しかも、これは一人でしないといけないのです。
というのが、うちの書庫は、電動書庫なので
通路が1カ所しか開きません。
同時進行でいろいろなところから手をつける、
ということもできませんし、
余裕のややあるのが書架の最後のあたりなので、
そこから前へ前へと詰めていく必要があります。


しかも学術雑誌の刊行状況を考えながら、
謙介がどれくらいの間隔を開けておけば
数年間置けるか、という按配を考えつつ、
詰めていかないと仕方がないのです。

雑誌の発行形態は本当にまちまちで、
毎週刊行されるものもあれば
1年に1冊か2冊しか刊行されないものもあります。

ですから、それに合わせて開ける空間も
考えていかなければならない、
ということになるのです。

加えて雑誌の大きさもいろいろです。

ですから雑誌によって書架の上下の寸法を
かえなければなりません。

じゃあ、同じ寸法の雑誌ばかり置けば?
と言われそうですが、それはできません。

雑誌は基本的に五十音順に置いていかないと
いけないのです。
置いた人間だけが置き場所を分かっているのでは困ります。
誰もが分からなければなりません。
他の人が行って探した時にすぐに分かる方法ということで
雑誌の排列(配列ではありません。排列です)
は五十音順にしています。

雑誌の刊行頻度・判型を考えつつ、書架に置くところを
決めていかないければならないので、
パスル的な要素もあって、どうするのか、
と考えながら雑誌を配置していく必要が
あります。

ですから、同僚には手伝ってもらわず
一人でやるしかない作業なのです。

しかも雑誌は結構重いですし、、
エアコンなんていう上等なものは入っていませんから、
この時期書庫の気温は10度いかないのです。

こうやって、空間を開けたところを、、

Img_1496

後ろから詰めて行くのです。
これは詰めて行った後です。
Img_1495


ところどころ、思い切って一棚ほとんど空いているところも
見えますが、そこには週刊の雑誌が入ります。
もしくは雑誌一冊の厚さが厚いとか。
なので空けるところは思い切って一棚分くらい空けます。

一棚まるまる空いていても、2年間経ったら
もう一杯になるのです。


あ、世間は降誕祭、だったですねー
謙介的にはそういうの、全く関係ないですし。

世間はどうあろうと、
こういう作業を一人黙々とするのって、
自分の場合はあまり苦にはならないのです。

作業が遅れたら、1月に入ってもしばらくこの作業かなぁ、
と思っていたのですが。
おかげで何とかめどがつきました。

これで2年~3年は何とかなりそうです。

(今日聴いた音楽 浪漫鉄道 JR九州社歌
 うた ハイ・ファイ・セット この曲、社歌の中では
 なかなかすぐれているのでは、と思います。1989年)

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