いなかのせいかつ

24. 09. 04

場違いなところに行ってしまいました

先週は、ずっとアルバイトをしておりました。
(あ、仕事場にはそのことはきちんと説明をして
許可をもらっています)朝から晩まで話しっぱなしで
のどがかれてしまいました。
その仕事は1週間ありまして、、月曜からはじまって
金曜日、台風の中でしたが、なんとか終わりました。
会議のまとめ役みたいな役割だったのですが、、
その会議がZOOMによる会議でですね。
参加者の方々は、岐阜とか奈良とか、福島の方もいましたし、、
九州各地の方もいました。
前回も言ったように、台風の通過時期と重なってしまい、、
謙介のPCはPCに線をつないで使うタイプでしたので、
雨が降ったって全然関係ないのですが、、
Wi-Fi接続の人は、、大雨が降ると途端に通信がダメに
なってしまいます。
Wi-Fiの電波を大雨が吸い取ってしまうのが原因です。
だもんで、今回の参加者のうち、大分とか宮崎と
いった大雨の降った地方の人は、途中で
何度も通信が落ちてしまった、ということを
後から聞きました。

ともあれ、何とかそのうっとうしい仕事も
終わりましたので、、どこかに出かけたいと思ったわけです。
先日知り合いから鳥栖のプレミアムアウトレッ〇の話を
聞いていました。
謙介さん、ブランドものには興味ないし、、
アウトレットは前にいったことあったんですけど、、
やはり安いだけに、服の布地が薄かったり、、
色が独特過ぎて、、ちょっとこれはとおもうようなものばかりで、、、
というイメージでした。とはいえ、九州にいる間に
そう遠くない場所にありましたし、、、、
一度経験でまぁ、どんなところでどんなものを売っているのか
見に行くくらいはしてもいいかなぁと思った次第です。

行く方法は2つあります。一つは私鉄を使う方法です。
謙介の最寄りのバス停からバスに乗って、〇鉄の駅まで
行きます。そこから小郡(おごおり)というところまで
電車に乗っていき、(10分くらい)小郡でアウトレット行のバスに
乗り換える、という方法です。
この方法だと、交通費は往復で1300円くらいかかるのです。
〇鉄では、鳥栖ぷれみあむあうとれっ〇切符というのを
売っています。これは通常1300円くらいかかる
往復運賃を900円に割引して、それにアウトレットで使える
1000円のお買物券を付けて1900円でどうだ、という切符です。

もう一つはJRとバスで行く方法です。
謙介の最寄りのところからJRで弥生が丘という鹿児島本線の駅まで
行きます。ここまでが360円くらいだったと思います。
弥生が丘からアウトレットまでのバスが160円です。
そうすると往復で1000円ちょっとということになります。
こちらはお買物券はありません。

まぁ今回は〇鉄のぷれみあむあうとれっと切符というものを
買って行ってみることにしました。
家を11時過ぎに出て、、小郡に着きまして、

Img_0147

そこから
バスに乗りました。バスは20分くらいかかりました。
アウトレットにいったのは平日だったので、小郡からの
お客さんは3人だけでした。しかも、後の2人は
途中のバス停で降りてしまわれたので、結局アウトレット
まで行ったのは謙介だけ、ということでした。
やっぱり平日だったから、お客さんが少なかったのでしょうかねぇ。

Img_0145_20240904221701

まず、アウトレットの総合案内所に行かないといけません。
ここで、このアウトレット切符に付いているお買い物券を
金券に交換しないといけないのです。

 

早速に交換してもらって、、
お店をまわることにしました。
と言ったって、ブランドなんかよく知りませんし、、
文字通り行き当たりばったりで、ショーウインドーを見て
惹かれたものがあったら入ってみて、、
いろいろと見て回るのの繰り返しでした、、。
一通りアウトレットの中をまわってみました。

 

こんな感じで店が並んでいます。

Img_0144

人がいないように見えますが、人は日陰の回廊部分を歩いていました。

面倒くさいのは、お店を見て回るについて
あちこち歩かないといけないということです。
まぁそういう見てまわるのが好きな人もいるんでしょうけど、、、

お店の中は空調がきちんと利いていますが
通路は戸外ですからねぇ、、暑いのなんの。
アウトレットに来て、30分ほどで、、
ああもうわかった、という感じになりました。

謙介の予想としては、、
外国人買い物客が多いのでないか、と
思っていて、、確かに台湾からも韓国からの
人も見かけはしました。

韓国人のおばちゃん、もう遠くから歩き方
見ただけで分かります。すごい外股歩きを
するんです。どうしてなんだろう。韓国のおばちゃん。
遠くから歩き方見て、「あ、あの人は絶対韓国人だー」と思って
見ていて、その人が近づいてきて、、話している言葉を聞いて
ああ、やっぱり、とか思ったようなことでした。

お店に入って、、見てみたのですが、、、
結局欲しいものもあまりなくて、、
でも1000円のお買物券はあったので、某店で
Tシャツを買いました。もう夏も終わりなので
50%オフ、とか書いてありました。
ということで、バスに乗って帰ることに、、

結局アウトレット滞在時間は1時間ちょっと、
ということでしょうか。最後まで、
ずーっと場違いなところに来たなぁという
気持ちを抱えたまま、でした。
ブランド品なんて興味がないし、、
仮に持っていたって不釣り合い極まりないような
おっさんですしねぇ、、。

やっぱり人には合う場所、合わない場所っていうのが
あるんでしょうかね。
そんなことを思いながら帰ってきたのでした。

 

 

 

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24. 09. 03

振り出しに戻る

先日、こちらに台風が来ました。南の鹿児島から北上してきて、
どうやら謙介が住んでいる街の南あたりでくるっと右折して
東の方に行ったようでした。

大変な規模の台風だというのと、降雨量も多いと聞いていました。
謙介の住んでいる辺は、しょちゅう洪水が起きます。
去年まで5年連続で浸水だの土砂崩れだのという洪水関連の
被害があって、また大雨が降って被害でも出たら困るなぁ、
と思っていました。幸い雨は降ったのですが、2日間ぐらい
で終わったので、大きな被害は出なかったようです。

これをお読みのみなさんのところは大きな被害はなかったでしょうか?
さて。その台風一過の8月31日の土曜日、
書留がうちに来ました。
受け取ってみたら、郵便局からの大きな封筒でした。
えーまた、めんどいこと言うてきたんとちがうんかー
とか思って封筒をあけたら、、、

そのめんどいことが書いてありました。
やれやれ。
8月13日付で送った、父の戸籍の写しに不足していた戸籍が
あって、1959年から1962年までのものがないので
それを市役所で取って送れ、ということと、
もう一つは、母の書類の押印がないということでした。
母の書類の押印は、そんなの簡単にできるのですが、
父の戸籍はまた市役所まで暑い中取りに行かないといけません。
ああめんどくさー。

でも、取りに行かないと、ことは前に進まないので、
9月2日の月曜日、市役所まで行ってきました。
市役所の本庁へ行くと、長い時間待たされるので、
近所(でもない2.5キロくらいあるし、、)そうそう比較的近所の
支所に行きました。
事情を話すと、分かりましたと言って、10分くらいで四国のほうの市役所の
戸籍が取れました。
本当に地元の市役所で、父の戸籍がすべて取れるようになって
ありがたいです。
市役所で戸籍を取って、前に手続きをした、郵便局に書類を
持ち込みました。
今回は郵便局の人と、こちらで計5回くらい確認の上に確認をして
オッケーということで受け取ってもらったということでした。

前回手続きをしたのが、8月13日だったわけですが、
2週間かかって書類がダメです、ということになったわけです、、
今回書類を提出したのが9月の2日ですからねぇ、、。

いつまでも書類の不備とか、何が要るとか、何が足らないとか
そんなことにかかずらわっていられませんし、、
今月中に手続きが終わって欲しいなぁ、と思いながら
郵便局から帰ってきたことでした。

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24. 08. 23

地方都市移住アンケート

職場に置いてある、エコノミス〇という雑誌が
地方都市移住アンケートというのの特集を
組んでいたので見てみました。
これは人にどこに住みたいか、というのを聞くアンケート
ではなくて、
いくつもの評価基準をポイント化して
それで数値化していったもののようです。
最近、勤務形態が変わって、出社しないで仕事ができるとか、
出社も月に一度とかで良くて、後は田舎に住んでていいとか
いうような勤務形態も変わってきています。

最近では2拠点生活がかっこいいとか言われたりしていますが
謙介なんか、もう30年くらい前から2拠点生活なわけで、、
正直言って、2拠点生活なんて、おしゃれでもかっこよくも
全然ないです。 お金だってかかりますよ。
うちの場合なんか、介護でしかたなかったから
2拠点生活になっているだけですし。

まぁそれはともかくとして。
で、そのアンケートで数値の高かった推奨できる都市は、、
以下の9都市

富山、高松、松山、奈良、静岡、
大分、神戸、福岡、熊本

なんだそう。

だけどこういうデータを数値化しても
結局のところは実際はやっぱりよくよく調べてみないと
分かんないなぁ、という気もします。福岡も入ってますけどね。

福岡はこの少子化の中では珍しく今後も人口が増える、ということに
なっていますけど、、何か月か前の西日本新〇の記事によると
もう福岡の街中で住宅は建てられないんだそうです。
住む場所がない、ということです。だから今や福岡郊外の都市が
マンション、住宅ブームになっています。

謙介の住んでる町なんて、今やすごいマンションブームです。
市内の中心部、マンションがどんどん建っています。
不動産屋さんに訊いたら、もう福岡には住めないので
(土地もないし、売りに出るマンションは
価格高騰している。だからおいそれとマンションなんか
庶民が買える価格ではない、ということで)
お手頃価格のこの辺に住まわれる
人が急増しています、ということでした。
この辺だと、福岡の中心部まで〇鉄の電車で30分だからなぁ、、
通勤時間で30分以内というのは、まぁ普通にある
ことですし、、、。

福岡はそう物価も高くないし、おいしいものは
多いんですけど、、難点は治安ですかねぇ、、。

謙介、四国にいたウン十年の間にパトカーの
サイレン、聞いたの、10回はないんですけど、、
こっちに引っ越してきて、パトカーが現場に行くために
「道あけてくださーい。パトカーが通りまーす」
と言いながらサイレン鳴らして猛スピードで
走っていくパトカー、週に4日くらいは見ます。
もう頻繁にパトカーが現場に急行している、という
感じで、、結構な頻度だなぁ、と思います。
そういう数値っていうのは、こういうアンケートに
出てこないですしね。

結局はこういうアンケートの数値の結果、というより、
実際に行ってみて、しばらく滞在するとかしてみてから、
その土地が合う合わない、という相性も分かって来るでしょうから、、
そうした体感を含めていろいろと実際に見てから
から決める、ということなんでしょうかねぇ。


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24. 08. 16

手続き関係の書類提出について

8月13日、3連休が終わって営業再開した郵便局に
父の口座片づけの書類を持っていきました。


もうね、この書類作成については、めんどくさいことてんこ盛りだったわけです。
母の印鑑証明書がいるとか言われて、印鑑証明登録書を作ったり、
父の出生から死亡までの戸籍を取り寄せたり、
自分の印鑑証明書を取りに行ったり、と暑い中、何度市役所と家を往復したことやら。
近所のコンビニでとれるから、と言われて行ったら、ただいまメンテナンス中で
できませんとか言われて、やれやれと暑い中市役所まで行ったり、と
書類をそろえるのに結構な手間がかかりました。


で、13日の朝、なるべく暑くなる前に行こうと思って
8時40分に家を出たわけです。こういうのは、大きな郵便局の方が
担当がいてしっかりしているのでは、という気がしたので
この辺で一番大きい郵便局に行ったのでした。
そうして、順番のカードを取って窓口に行きましたら、、、
このご相談については、当局は事前予約制でございます。
じゃあ、いつの何時だったら予約可能なのでしょうか、
と聞いたら、4日後の午後2時ですね、
と言われてしまいました。
金曜日はともかくとして、午後2時なんて暑い盛りじゃないですか。
そうしたら、郵便局の窓口の人が、当局では予約制ですが
他の郵便局でしたら随時受け付けてくれます、ということでした。

それなら、ということで、また自転車をこいで、
(東向き 太陽に向かって走るので暑かったー)
汗だくになって近所の郵便局に行ったのでした。
事情を話して、書類を出しました。
何か所か修正をしないといけない個所があって、
そこに線を引っ張って修正印を押しまくったので
書類が大変汚くなりました。
いつもの謙介だったら、こんな修正印だらけの書類出すんだったら
書き直すけど、と思ったのですが、母のサインがあるので、
書き直すわけにもいかず、、その修正印だらけの書類を
出すようなことになりました。

窓口のおねいさんは、30代前半の方でしたが、、
この書類、見慣れた感じです。厳密にチェックするところを
鉛筆でひとつひとつチェックをしていきました。
そうして父の戸籍、母の印鑑証明書、謙介の同じ書類
と提出書類も揃っていることを確認して、
これで結構です、ということになりました。
やれやれ。近所の小さい郵便局のほうが、手慣れていて
さっと手続きをしてくれました。

郵便局に書類の提出が終わって家に帰ったのは、
まだ朝の10時半だったのですが
もうその段階で、その日一日の仕事終了、と言う感じで、、、。
他に何もする気が起こらず、、一日ぐーたらしていたのでした。
こんなに暑いと、どこかに出かけようかという気さえ起こらなくなりますねぇ。

もう何せお盆だし、、暑かったし、、、。
あ、帰ってから洗濯と布団干しはしました。
ですが最大難関の書類を提出し終えたので
ちょっとホッとしているところです。

 

 

 

 

 

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24. 08. 15

お盆の帰省(2)

本当に暑いですねぇ、 オリンピックは終わりましたけど、
少しは涼しくなるかと思って、同じフランス開催の
冬季オリンピックの時の「白い恋人たち(グルノーブルの13日)」
を聞いているんですが、ちっとも涼しくなりません。
(そりゃそうか。)


お盆帰省の2日目です。
謙介、今回の帰省、用事が多かったので、2日目も
午前中は用事をして、午後の新幹線ということで
予約を入れてたんですよ。
そうしたら、1日目にがんばったので、2日目の用事が
なくなってしまいました。
じゃあまぁ九州に行こうかと思って、四国から出発したのです。
(朝の8時20分)
1時間ほどで岡山に着きました。

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岡山駅のみどりの窓口に行って
早い時間のさくら号に空席があるかどうか聞きました が、
まあねぇ、お盆の時期に新幹線の空席なんてねぇ、

空席があるなんて、まぁないだろうとは思ってたんですけど、、

にべもなく「ありません」と言われてしまいました。
まぁ指定席を取れているんですから、変更なしで
その指定席で九州に戻ることにしました。
ちなみにさくら号の出発は午後2時11分です。
謙介が岡山駅にいた時間は、9時半でした。

どうするかなぁ、、
その時、あ、そうだそうだと思い出したことがありました。
日本全国に都道府県立図書館は47あるわけですが
その中で、ライブラリアンの意見でどこが評価が高いかと言えば、
1位は鳥取なんですよね。僅差で2位が岡山だったでしょうか。

そうだ図書館に行こう、ということを思いつきました。
ということで世評に人気の高い岡山の県立図書館に
行ってみることにしました。

Img_0073_20240814130101

図書館へは、路面電車(岡山電気軌道=岡電)で行きます。
岡電の路線は清輝橋線と東山線に分かれていますが
県立図書館へ行くには、東山線に乗ります。
県庁通りで降ります。

Img_0076_20240814130101

交差点の名前がよその人には難読かもしれません。
内山下交差点、というのですが、
読みは「うちさんげ」と読みます。


目の前には(本店 岡山)の看板がある中国銀〇の
本店が建っています。

Img_0074

そこから350メートルほど行くと
県庁舎が先に見えてきました。
前川國男さん設計の建物ですね。今年の3月に改修工事が
終わったばっかりなので、古い建物とは思えないくらい
きれいになっていました。

Img_0078
加えて先日のオリンピックで大活躍だった
男子体操の金メダリストが岡山県のご出身だったということで
もう顕彰の垂れ幕がものすごいことになっていました。

あ、県庁の話ばかりしていますが、行くのは県庁ではなくて、図書館です。
土日の図書館は、午前10時開館なので、開いた直後でしたが
もう相当の人が入っていました。

Img_0079
やっぱりすごいなぁ、と思ったのは、返却カウンターでした。
3つくらいの返却図書の山があって、、、担当の方が
ものすごい勢いで返却処理をされていました。

館内をぐるっと一回りしてみたのですが、開館10分後にもかかわらず
もう100人くらいの利用者さんが入館していました。
蔵書冊数は160万冊。資料の年間予算は減ったとはいえ、
9000万円台というのはすごいと思います。
都道府県の全国平均は、4000万円台ですし。
名前は出しませんけど、九州の某県の県立図書館の資料費の予算、
2023年度は2850万だったと聞きました。

そういう中で9000万円台というのは、
潤沢な予算が確保できているのではないでしょうか。
館内をあちこち見てまわって面白かったのは、交通関連の図書の
コーナーがあったことですかね。
航空機は少なかったのですが、船舶、鉄道、バス、の資料は
ありました。
あと、利用者に対して、さまざまなテーマの調べ方の
パンフレットを作って置いてありました。

おもしろかったのは、今年が瀬戸内海国立公園ができて
100年目なんですけど、、四国の図書館にも
当然その展示企画はありました。
ですが、同じ瀬戸内海国立公園と言っても、、
岡山県のほうは、国立公園の中の山を中心にした
展示が多くて、、、瀬戸内海と言いつつ
ちょっと違った感じを受けました。
図書館の中で、2時間あちこちの資料を見回って
楽しみました。


お昼になったので、再び電車に乗って岡山駅に戻りました。
岡山駅前に高島〇がありまして、ここの食堂に
行こうと思っていました。
電車で駅前に着き、歩いて5分ほどでデパートに
到着です。食堂は8階にありました。

Img_0085
岡山高島〇の建物は、もうなくなってしまいましたけれども
心斎橋の十合と同じ村野藤吾さんの設計です。
岡山にある唯一の村野建築なんですよね。
この建物ができたのは1973年のことだそうですから
もう51年目になるのですね。
入った感じは、一階は天井も高く、照明器具も凝ったものが
付けられていて、昭和の百貨店という感じの造りでした。
百貨店に行くのが晴れの日の買い物だったり
娯楽だったりした時の、ゴージャスさを演出するような
内装でした。 思わずそうそう、デパートってやっぱり
こういうのだったよね、とか思い出させる造りでした。
8階にあがり食堂の前に来ました。

ところが、、、お盆のデパートの食堂のお昼なんて
すごい人です。一応入り口のところに名前を書いて
おきました。20分ほどで呼ばれました。
デパートの大食堂なんてもう何年ぶりでしょうか。
前任地にも髙島〇と〇越と2軒のデパートがありましたが、、
どちらも大食堂がなくなってしまいました。
(赴任した最初のころはあったんですけどね)

折角岡山に来たので、岡山の名物をいただかなければ
なりません。ということでえびめしにしました。
注文をして、、、さらに20分。(やれやれ)
ようやっとのことでえびめしさん到着です。
これがえびめしです。
色が黒いですがカラメルソースの味で非常に穏やかな味です。
これは万人受けするなぁ、と思いました。

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食べ終わったら、1時間ほどかかっていました。
後は、岡山駅の地下街で、すこしパンを見ました。
岡山には東京の銀座の木村〇から枝分かれした
岡山の木村〇のパン屋さんが
あります。
ここで懐かしいものを発見しました。
「労働研究饅頭」です。
略して労研饅頭(ろうけんまんとー)と呼ばれているものです。
謙介の前任地でもこの労研饅頭のお店が市内に2軒ほどあって
よく買い求めたものでした。 まぁ昔風の蒸しパンなんですけど、、
保存料は一切入っていないので、賞味期限は当日のみ。
翌日にはもう固くなっています。
それと、せっかく木村〇なので、あんぱんを買いました。

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駅の待合室に行きました。(1時45分)
そうしたら、ホームの放送で、、、
「東京方面からの列車は、地震の影響による徐行運転のため
すべての列車が10分程度遅れております」ということでした。
だけど、謙介さんのさくら号は別に東京から来るわけでなし、、
と思っていたら、のぞみが遅れて走っていたため、その
影響を受けてさくらも遅れている、ということでした。
結局、14時11分のさくら号がホームに入ってきたのは
20分のことでした。
岡山駅を11分遅れて出発したさくら号は、
少しずつ時間短縮して行って、、
博多には5分遅れ、というところまでになっていました。
ところがこの電車、博多の次の新鳥栖でリレーかもめに
接続することになっていたのですが、、、
どうするのかなぁ、と思っていたら車掌さんが
「新鳥栖駅でリレーかもめ号にご乗車予定のお客様は
少々お急ぎください。リレーかもめはご乗車を確認してからの
発車です」ということでした。
というようなことで、さくら号は5分遅れで最寄り駅に到着したのです。
で、そこから在来線に乗り換えだったのです。
在来線は、16時40分発だったのですが、、
45分になっても車両の姿は見えません。
その時になってようやっと構内放送があって、、
謙介の乗る列車は20分遅れで現在運転しています、
ということでした。
どうして20分も遅れたのかしらん。と思っていたら、、
あまりに暑いから、レールが暑さでゆがみそうになってしまって
徐行運転しているのだとか。

まぁあまりに暑いからレールさんかてつむじ曲げて
しまうんぞな、 というようなことでした。

列車は、20分遅れでホームに入ってきました。
乗っていたお客さんをおろして、謙介たちが乗り込みます。
結局なんだかんだとあって30分遅れで列車は発車しました。

まぁ、いろいろとありましたが、無事に帰ってこれたので、
すべてよしとしたいと思います。

ということで途中下車の岡山でした。

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24. 08. 14

お盆の帰省(1)

8月11日 12日の2日間でお盆帰省してきました。
今回はそのことを。
11日に九州から四国に移動するときは、そう大した混乱も
なかったのです。
1泊2日の帰省というのは結構忙しいです。
九州を朝の6時半くらいに出発して、四国に帰り着くのは
10時過ぎです。駅からバスで実家に帰って
用事開始は11時から、ということになります。
今回は暑かったので、とりあえず最初に散髪をしました。
それから帰りにうどん屋に寄って昼食を食べて、
ショッピングモールに行って、母の施設でのお菓子を買います。
ショッピングモールの食品売り場に全国のお菓子を扱うコーナー
があって、そこで、あちこちのお菓子を30個(大体1か月分)
買います。主治医からは、食の規制なんてそのお歳になったら
要りません。食べたいものを食べる、でよろしいです。
ということです。施設の人にお菓子のことを聞いたら
「楽しみにされています」ということなので
毎回大量に買っています。
夏は水ようかんとかプリンとかゼリーも結構買っています。
それから施設に行って、そのお菓子を渡して、
あと少し母に面会しました。
ゆうちょの書類を書いてもらおうとしてのですが、、
細かい書類を見て字を枠に入れる、というのがもうできなくなっていて
難渋してなんとかしました。
少し話をして、、、
目の前にいるのは誰でしょう? なので、、。
本人の頭の中は、どうも小学校の2,3年生ごろになっているようで、、

まだ両親がしっかりしている時に、二人の人生について
聞いておいたことがありましたが、、
それが早速何かの役に立つとかは思いませんが、
両親がどういう生き方をしてここに至ったのか、
ということは聞いておいて損はないように思います。
ですが、改めて思ったのは昔の親は本当に無茶苦茶なことを
平気でしていたんだなぁ、ということです。
自分の兄弟から、子をくれ、といわれたら、
さっさと養子に出したり、ろくに世話をしなかったり、、
もう虐待はするわ、育児放棄のし放題、
今の常識からいえば、もうあちこちでとんでもない育児が
(育児以前のような気もするけれども)行われていた、
ということを両親の話から想像しました。

まぁ母に会って、少し話をして(20分ぐらい)
施設から戻りました。居ない間に雑草抜きやら植木の剪定を頼んでいた
植木屋さんが来てお支払いをしました。
それが終わったらもう夕方になっていたので
お墓参りに行ってきました。昼間なんて暑くて行けません。

お墓参りの帰りにスーパーに寄って食料品を買って
家に帰ります。
夕食の準備をするまでに時間があったので
郵便物の整理をします。
父の関係の諸届の処理がまだまだあって、、
例えば2024年度の保険料が一括して4月に
徴収されていたのだけど、それを返却します、
ついては、この銀行のこの口座に入れてくれという指示の
書類も結構(3通)書かないといけません。
投函は翌日するとして、その書類を書いて
ハンコを押して、ということをするのも結構な手間です。

ようやっと3通の書類を仕上げて、夕食の用意をして
ごはんを食べて、、その日は終了です。
九州を立ったのは、朝の5時50分だったので、
早々に寝てしまいました。

そういうようなことで1日目が終わりました。

 

 

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24. 08. 12

世の中、そういうふうになっていたんですねぇ

先日来、断続的に父の死後のゆうちょの始末のことを書いて
おります。 ゆうちょに提出する書類のうちで、
めんどくさーと思っていた書類に、父の戸籍、というのが
ありました。要するに父が生まれてから先日亡くなるまでの
戸籍一式です。
それを聞いた時、面倒くささに気が遠くなる思いでした。
父が住んでいたそれぞれの都市の市役所に連絡して
戸籍を取り寄せないといけないかと思うと
出た言葉が、ああめんどくさ、というような
ことでした。

ここで本日のお題です。
多分世の中、謙介みたいな遺族が諸手続きで苦労していたんでしょう。
今年の3月から、(つい数か月前から)自分が今住んでいる市町村の
窓口で、他都市の戸籍が取れるようなことになっていたのです。

謙介が実家の街の市役所に、戸籍のことを電話で聞いた
ことから話ははじまります。
謙介の実家の市役所、ショッピングモールの中に
サービスセンターがあって、そこでは土日祝日も
戸籍が取れることになっていました。
父の戸籍のことで相談したら、、「土日祝日でも取れはするんですが
本籍が他府県にあった場合は取れません」ということでした。
「そういう場合はどうしたらいいんですか?」
「やはり本籍のある市町村に連絡をして、、」
「あ、それはですね平日だったら最寄りの市町村から
取れます。」
「え? 今 私は九州にいるんですが、九州で京都市の戸籍が
取れるんですか」
「取れます」
というすばらしいお返事をいただいたのが発端でした。
ということで、謙介が今、住んでいる市の市役所に行きました。
本庁に行くと、ものすごく混んでいるので、謙介の家から
比較的近い(でも3キロ近くある)支所に行きました。
支所までは自転車で行きます。
行くときはずーっと上り坂なんですよ。
しかも暑い。
そういうことで、家を8時過ぎに出て
(まだ比較的涼しい時間)8時半の市役所業務開始に
間に合うようにしました。
おかげで支所に着いた時も
あんまり汗はかいていなかったです。

支所に行って、
そこで、窓口の人に事情を説明して、父が生まれてから亡くなるまでの
戸籍を全部お願いしました。
家族関係とか、どの戸籍がいるのか、ということを説明するのに
結構時間がかかりました。(窓口の人に理解してもらわないと
いけません)
少々お時間がかかりますが、、ということでしたが、
あちこちの区役所市役所に戸籍送付申込書を送って、、という手間に
比べたら、ただ待つだけです。楽勝です。
結局小一時間かかりましたが、
父が生まれてから亡くなるまでの全部の戸籍、6種類ありましたが、
確かに入手できました。びっくり。
ということで、面倒くさいと思っていた戸籍の取り寄せが
案外楽にできてちょっとほっとしたようなことでした。

 

 

 

 

 

 

 

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24. 07. 21

次は年金関係の処理

四十九日法要は何とか終わりました。
料理を作ってくれたOくんのおかげで好評のうちに
宴会も終わり、ホッとしたようなことでした。
で、次は年金関係の後始末。

この年金関係も結構面倒くさいんですよ。
というのが、年金の手続きで分からないところがあります。
実家の年金事務所に電話をかけて聞いたら、九州の年金事務所でも
手続きができますとのことだったので、九州の年金事務所に
電話をして相談予約の日を決めることになりました。

明日、年金事務所に行って聞こう、というのではいけないのです。
まず、所轄の年金事務所に電話をして、相談予約を取らないといけません。

それで相談予約の電話をして、相談の日を決めたのですが、
相談できることになったのは電話から一か月後のことでした。
それまで予約で立て込んでいるとのことでした。
でも今回、相談に行ってみて、予約が必要という意味が分かりました。
なるほど、これだったら予約が必要である、ということが
分かりました。

というのが予約の段階で、父の年金番号とか住所を
伝えていたので、予約の日に行ってみると、
担当者のほうで父の年金関係の書類が全て
プリントアウトされて揃っていたのです。
ああこれだったら事前予約は必要だな、
ということがよくわかりました。
年金相談は9時からだったのですが、年金事務所の場所は、
謙介が滅多に行かない方面だったので、所要時間が分からず少し早めに
出かけました。そうしたら、9時の約束時間に8時半に着いて
しまったのでした。
事務所の中の待合室で待っていたのですが、10分ほどで
どうぞと案内され、20分早く8時40分から開始してくださいました。

それで行ってみると、父の年金関係の書類がすべて
打ち出されており、後はこちらが別の書類に記入していけばいいように
なっていました。
年金事務所の方からは事前に持参して欲しい書類を言われていたので、
言われた段階で、はい、はい、と渡して行きました。
というようなことで、相談というよりは申請資料の記入というような
ことになりました。
言われるままに記入していくだけなので、手続きは30分ほどで
終わりました。せっかくの機会だったので、自分の年金関係の
疑問についても質問して聞いておきました。
(これは10分ほどで終了)
ということで、年金関係の相談、すごい時間がかかるのか、
と思っていましたが、1時間もかからずに終了でした。

これでひとつ、年金関係のものが終わりました。
世間の息子・娘はこうした親の死後の手続きを
どうして処理しているのだろうか、と思って調べました。
すると、こうした手続きの一切を有料で請け負って
代行してくれるサービスがあるということです。

この代行サービスについてどれくらいの費用で
やってくれるのか、と思って調べたら、34万円とありました。
うーん。34万払って面倒くささから逃げるか、愚痴を言いながら
自分ですべて行うか、ということですねぇ。
ちなみに高校時代の友人は、全部自分でやったと言っていました。
(30万もかかるのもったいないやろ、と言っていました。
謙介もそう思います)

何とか2つやり終えたのであと2つ(法務局関係とゆうちょ関係)
済まそうと思います。わはははは がんばろー

 

 

 

 

そのゆうちょがねぇ、結構面倒くさいの。
やれやれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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24. 07. 18

七七日法要が終わりました(その2)

いよいよ法要当日になりました。
当日は当日で、まだ買わなければならないものがあります。
それは法要後に行く、お墓のお花です。

法要の開始時刻は10時だったのですが、
お寺さんからは30分前に来ておいてください、
という話がありました。
というのも、果物や、お餅、お菓子をそれぞれ
お供え用の三方に綺麗に盛ってご本尊にお供えする
必要があったからです。

 

お寺には9時25分に着きました。
心配していた天候は、吹き降りの雨でもなく
日差しが照り付ける晴天もなく、
曇りという本当に絶妙な天候でした。
早速大師堂(真言宗のお寺なので、ここで言う大師とは当然弘法大師)
に入ってお菓子屋さんから来ていたお菓子とか、持ってきた桃とか
お餅をお供えするようにおきました。
それからお寺の大黒さまが(ご住職の奥さん)お花を預かってくださって
花生けに入れてくださいました。
それから仏壇屋から頂いてきたお位牌を正面に置いて
何とか法要の形が出来ました。

 

そのうちにいとこたちも来て、お坊さんも
やあやあ、ということで庫裏から出てこられました。
予定では10時開始だったのですが、準備が早くできたので
9時50分開始となりました。

 

読経があり、その間焼香もあって、、
法要は40分ほどで終了です。
その後、庫裏に引き上げられるお坊さんに
お布施をお渡しし、お供えの品々を人数で割って袋に入れ、
お寺での法要は終了しました。

 

次は墓地に移動です。
墓地に行って、お花を供えて、一同でお参りをしました。
この時も曇り空で、本当に良かったです。

お墓参りも済ませ、次は料理屋さんに移動になりました。
このころから雨がぽつりぽつりと降ってきたのですが、
もう戸外での行事もありません。ぎりぎりで助かった、
という感じでした。

 

行った料理屋さんなのですが、もうねぇ、、外見は
本当にパッとしないというのか、一緒に行った人が
「ホンマにここ営業してんの? 」と訊いてきたくらいの
外観のお店です。
その外見から見てまず、近所のこの店の味のレベルを知っている
人以外は絶対に利用しようとは思わないような気がします。

 

その建物ができて40年以上は経っているように思うのですが、、
一度も改築はしたことがない、と思います。

 

料理屋さんにはいると、年配の現在のご店主さんが
最初は応対してくれていたのですが、、
調理場にいたOくんと目が合って、、
「ひさしぶりー」というあいさつをしたりしました。
30年ぶりに見る彼は、ひとかどの料理人になっていて、、
時間の経過を改めて思ったようなことでした。
まさか彼の料理をいただく日が来るとはねぇ、、
と思ったりしました。
最初、じゅんさいを張った卵豆腐からはじまった
お料理は、お刺身が出たり、鱸のポアレが出たり
鱧の鍋が出たり、あ、ローストビーフも出たし
最後のほうは天ぷらも出ました。
Oくんは途中、料理を運んで来てくれては
料理の解説や、謙介とOくんの共通の知り合いの
消息なども教えてくれました。

 

いとこの子ども(中学生)が、食べきれん、
というような料理が出てきました。
全部おいしくて、ひたすらパクパク食べるだけ
だったんですが、、
最後は、桃とびわの紅茶ゼリーのデザートが
出て、おしまいでした。

 

これだけのお料理が出て一人5000円というのはちょっと
安すぎやろ、という気もしました。
ということで法要後の宴会も無事に終了し、家へと
帰ったのでした。
家に帰ってから礼服を脱いで、3時間くらい昼寝を
しました。たぶんよほど疲れたのだと思います。
ようやっと、法要関係が終わったー、という気がしたのでした。

 

 

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24. 07. 15

七七日法要が終わりました(その1)

13日の土曜日、七七日法要(四十九日)の法要が終わりました。

早いもので、父が亡くなって四十九日の法要を(繰り上げなんですが)
終えることができました。
本当は、7月19日なのですが、謙介、この日は仕事が立て込んでいて
できないので、1週間、繰り上げていただいた、というような次第です。
この四十九日の法要についても、ですが、友人知人のお世話になるところが
大でした。

 

四十九日になりました、法要をします、と言っても、簡単には行きません。
準備をしないといけません。
まずは一番肝心の旦那寺のお坊さんがその日空いているかどうか、
ということで日程を聞きました。
どうやらオッケーということです。
次に当日までに準備しておかないといけないものがいくつも
あります。

 

まずはお位牌です。お位牌は30年前に亡くなった祖母のものと
同じあつらいにしました。お位牌は簡単にできるものではありません。
まずは戒名の字を一字一字確認します。
お坊さんのつけてくださった戒名は、旧字体で書いてあったので、
その字を旧字体のままにするのか、新字体にするのか、という
確認をお寺さんに聞きました。
結果、旧字体にしておくということになりました。
仏壇屋さんに行って、お位牌を注文します。
真言宗の場合、お位牌はいたって地味なのですが、、
紫檀の材で、ずっしりと重い材です。

 

謙介さん、今を遡るウン十年前に、夏休み仏壇屋で
アルバイトをしていました。その時に仏壇屋の
社長の息子だった人が今は社長です。
(まぁねぇ年の流れですね)

 

お店に行ったら、さすがに店内はずいぶんと変わって
いましたが、奥の駐車場とか社員さんだけの
スペースは昔のままで、、なんだかすごく懐かしい気がしました。
社長さんに会って、やあやあということで
久しぶりのご挨拶をして、お位牌の注文をしました。
お位牌は2週間ほどでできたのですが、謙介
法要の前日でないと取りに行けない、と言ってそれまで
預かってもらうことになりました。
これでお位牌の手配も終わりました。

 

その次は、当日のお供えが必要です。
まずお餅。お正月の鏡餅のようなお餅と、
小さい丸いお餅が要ります。

 

それからお供えのお菓子。
お餅とお菓子は一括してお寺出入りのお菓子屋さんに依頼注文しました。
お寺出入りのお菓子屋さんは、当日、お寺までお菓子とお餅を
配達してくれて、飾りつけもしてくれるので助かります。
これでお菓子、お餅の手配が終わりです。

 

その次は法要後の宴会の予約です。
最初に候補だったホテルに聞きに行ったら、その日のご宴会は
満席でできません、と断られてしまいました。
あーあ、と思い、知り合いの料理屋さんに聞いてみたら
空いてますよ、ということで、お願いをしました。
結果的にそれがものすごくよかったのです。

 

法要前日になりました。来ていただく親戚に電話をかけまわって
明日よろしく、との確認をしました。
それからお菓子屋さんと料理屋さんにも電話をして明日の配達、
宴会の確認をしました。
そして仏壇屋さんにお位牌を受け取りに行きました。
お位牌を受け取りに行ったら、お値段があらまぁ、という
ことになっていました。
お位牌、本体が7万円で、文字加工料とか雑費が入って
の請求金額だったのですが、、、
払う時にはなぜか、本体価格の7万だけ
ということになっていました。
まぁ安くなったらそれで何よりだったのですが、、、

 

それから前日と言うことでお供えの果物を買いに行きました。
この時期の果物ということで、父もよく買って食べていた
桃にしました。

 

ということで、前日までにそろえておかないといけない
ことは一応全部できた、ということでした。
(まだ前日の準備なのですよ)
長くなったので、ここでいったん措きたいと思います。

 

 

 

 

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