いなかのせいかつ

17. 07. 16

田舎の事件2つ

先日、うちの仕事場が属している地域の協議会の総会が
ありました。

実は今、世間で話題になっているりかちゃんだいがくの
獣医学部の話を聞いたのが、去年のその会議の場でした。


ですから、もうあれから1年経ったのだなぁ、と改めて
思いました。 うちの仕事場に勤務してもらっている
バイトの大学生に「160人も学生が集まるかねぇ」
と聞いたら、「無理でしょうね」の即答でした。


こないだ
前の愛媛県知事が国会に出てきて、
「獣医が足らない」と言った由ですが、
後から後から毎年160人もの求人が
あるのでしょうかね。

今、、大体獣医さんって足りてる、というし、
1度充足されたら、もうそれでいいわけで、、
継続して雇用があるとも思えないし、、。

あ、ちなみにあの前愛媛県知事、
著作権法の専門家なんです。
戦後の日本の著作権法制は、すべて
あの人が作った、と言っても過言では
ありません。

謙介、毎年、お役目がら、文化庁の著作権講習会に行って
お勉強をするのですが、文化庁は、「四国くんだりの田舎の
講習会の講師なんて、若い経験のないやつでいい」
としたのかどうかは知りませんが、、。

講習会の後に、質疑応答の時間があるのですが、
こちらが「この場合は著作権法違反ですか?」
と具体的な事例に即して質問するのですが、、
その時に若い担当者ときたら、全然答えられないのです。

「本省にかえって調べて回答します」ばっかりで。

それで、とうとう後ろのほうから、「県知事呼んできて
回答させろぉ」というヤジが出たくらいで、、。

そのとき以降、次年度からは、ちゃんと答えられる
担当者に代わりましたけど、、。

まぁどっちにしろりかちゃんだいがくの件は説明不足で
さっぱりわかりません上に、こちとら、お金を出さされる身
ですからね。納得のできる回答をしろ、(無理でしょうけど)
と思います。

実家の近所のショッピングモールで
エスカレーターで車いすを押していたおじいさんが
バランスを崩して、ひっくり返って、落ちていった途中に
その巻き添えで下敷きになった人が亡くなるという事故
ありました。

亡くなった人は、三条町に住んでいた人、とありました。
三条は、このショッピングモールのある町の隣町ですから
近所の人で、買い物に来ていた、ということだったのでしょう。


そこは、自分もよく行くところです。

ショッピングモールの別館の建物で、
3階建ての建物です。1階は駐車場と
別館への入り口があります。2階は
南半分が〇ニクロのメンズ、北半分が雑貨のお店と
〇トリ、3階も南半分が〇ニクロのレディス 北半分が
ニト〇という店内です。

建物の真ん中と
南側にエスカレーターがあるのです。
そこで事故が起こった事故です。

○トリのエスカレーターということですから
建物の真ん中のエスカレーターだと
思います。

謙介はその車いすを押していたおじいさんに
全く同情しません。

というのが、エスカレーターの場所の後ろ側、
10メートルのところにエレベーターがあるのですよ。

車いすを押して、数百メートルも行かないといけない、
とかいうのではありません。たったの10メートルです。

Tkm_20170601_2f

↑がフロアマップですが、エスカレーターの場所と
そう遠くないところにエレベーターがあるのが
わかると思います。


おじいさん、面倒くさい、って、エスカレーターに
乗ってしまったようです。

確かにエレベーターだと、なかなか自分のいる階に
来ないとか、来ても満員だった、というようなことも
ありますが、この建物は3階建てですからね。
エレベーターなんてちょっと待ったらすぐきます。
で、たいていの人はエスカレーターに乗ります。
エレベーターに乗るのは、ベビーカーに乗った
家族連れとか、○トリで大きなものの買い物を
した人くらいなので、そうたくさんいるわけでも
ありません。

多分、そのおじいさん、ここに来るたびに、
いつも「それくらいええが」と思って
エスカレーターに乗せて移動させていたのでは
ないでしょうか。
いつもやっているように、その日もやったけれども、
バランスを崩して、、、こういう事故になって
しまったのでしょう。
ちょっとのことをしなかったばかりに、、


なんともやりきれない事故だと思いました。


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17. 06. 06

定形外の規格内だって

りかちゃんだいがく問題、まだまだもめています。
近々国の実地調査もある、ということを
ききました。

謙介、聞いてびつくりしたことがあります。

りかちゃんだいがくの1学年の募集人員が160人、
ということだそうです。 160人、って、ものすごい
強気の数字です。

田舎で、正直そんなに高校生の
生徒が来ますか? という疑問があるんですけど、ねーえ。

よしんば来たとしても最初の1、2年は
来るかもしれないけれども、、
その後はどうでしょうかね。
 
大学って、1度作ると、完成年度までは、
スタッフも募集人員も一切変えられません。 

獣医学部の場合は修業年限が6年ですから
完成年度は開学以降6年目、ということです。

つまり教員組織・定員といった大学の教学組織の部分について、
6年間は一切の変更はしてはいけません。

160人定員でスタートしたけど、学生が集まらないから
100人に変える、というのは、できて6年目までは許されません。
定員割れしていようが、なんだろうが、その人数、スタッフで
行かなければなりません。 

「それで作ったんやから、それでやれ」ということですね。

それと、今回も誘致した街の市役所の人間が言ってるんですけどね。

大学を誘致したら、若者が増えて
街が活性化するとか、定住人口が増えてにぎわう、
とかいうの。

あれははっきり言って幻想です。

大学ができたからと言って、街が活性化なんかするもんか。

同志○大学が新田辺に新しいキャンパスを
作ったのですが、JRの駅から校門までの間に
いまだにコンビニ2軒しかありません。
後はたんぼ。

もうできて何年もなるのにいまだにそれです。


学生なんて、授業が終わったら、
とっととにぎやかな街に帰ります。
わざわざ寂しい街の学校なんかいるもんか。

そもそもが、地方の大学が軒並み定員割れしている
理由の一つがそれです。
田舎のさびしい場所の交通不便な
大学なんざ行きたくもねぇ、というのが高校生ですよ。

どうしてそんな自明のことが行政の人間に
分からないのでしょうかね。

大学誘致で街を活性化、なんて、
そんなものは幻想でしかありえない。

先週ある機関が今治市民に
獣医学部の誘致はどう思いますか?
ということでアンケートを取った、と
地元の放送局のラジオニュースで伝えていました。

6割の住民が、そんなものに金使う暇があったら
もっとほかのものに金使え、という回答でした。

本当にそう思います。
かつての今治の街の中心だった「ドンドビ」のあたりとか、
今治銀座の商店街も大正町も室屋町も、
もう寂れ果てています。

市民は少なくとも大学より、市民の暮らしを何とかせえ、
と言っていますが、、どうするんでしょうか。

       ×       ×       ×

あ、ついつい話がそっちに行ってしまった。
話を本題に。


6月1日から、郵便料金が改定になった、のです。

それは前々から知らされていたことでした。
謙介的には、はがきが値上げする、
という程度の認識だったのですが、、

よく聞いてみると、謙介が仕事場でよく出している、
定形外のやや大きい郵便物も変更があったのです。

今までは、定形外は、その郵便物の重さに応じた
料金の区分だけだったのです。

ですから、定形外で50グラムまでであれば120円だし
100グラムまでだったら140円というふうになっていた
わけです。

たとえばうちわに切手を貼って出しても、
そのうちわの重量が50グラムまでであれば、
120円切手を貼って出せばよかったのです。

それが、今回の改正で変わって、、
定形外のものは、B5版の入る封筒、A4版の入る封筒
というふうに、決まった封筒で出すのであれば、
規格内、ということで、今までと同じ料金です。

その逆に規格外、という価格設定が
新しくできたのですよ。
定型外の規格外と規格内。


でもさぁ、定形外の規格内、って
変な区分けだと思いません?

なんだよ、これ、って思ったの。


変な形の郵便物なんか出したら手間がかかるんやから
別料金取るぞ、というようなことなんでしょうね。


そもそも、謙介なんて、「定形外の規格外」の人間ですからねーえ。


郵便局になんか持って行ったら、まともに取り扱って
くれないような、そんな気がしながら郵便局から
帰ってきたのでした。


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17. 06. 03

地元銘菓

このへんの銘菓といえば、、
これとか。
Bodan
このようかんとか。
Usuzumi
タルトでしたが、、。
Rokujiya_taruto02

これらのお菓子って、箱詰めにして、贈り物とか、で
持っていった場合、重量的に結構重いんです。

羊羹だって1切れだったら、軽いですが
4棹とか、5棹になってごらんなさい。1キロはあるんだから。

タルトだって、あんこがずっしりよ。
そういうことで、お菓子的に言えば、
やたら重いお菓子ばかりだったのですが、、

これからはこれが地元銘菓ですね。(笑)
B3bf94f6
先日東日本では販売中止、ということになって、
東京のほうでは、もう買えなくなる、ということで
大騒ぎになっているのだとか。

これはすんごく軽くていいですね。

Mitsuhama
そのお菓子、ここで作っています。


謙介ね、当然この前も通ることもあるわけなんですが、、、。

カール、って書いてあるの、ただ単に宣伝として
表示しているだけであって、
ここで作っているとは思ってもいませんでした。

今回のことで、ここで作っている、ということを
知ったのでした。


来年から東日本方面に行くときは
お土産はこれにしようっと。


(でも、東京方面なんて、、
行くことがあるんだろうか? )


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17. 05. 17

いなかのできごと

となりまちに、「りかちゃんだいがく」が、獣医学部を作る、
という話を謙介が聞いたのは、去年の夏のことでした。
(あ、りかちゃんだいがく、というのは、謙介が適当に
付けた名前でなくて、そこの大学が
自分で言っていたことです↓)

Rikachan


去年の夏休み。忘れもしません。8月の8日でした。
謙介のところに「獣医学部ができるらしいで」という
話が来ました。それで謙介、その話を持ってきた人に
「どこの学校が経営するん? 」とすぐに訊き返した
わけです。 そうしたら「りかちゃんだいがくやで」
というお話でした。

謙介はなるほどなぁ、と思いました。
りかちゃんだいがく、って、すごく商売がうまい、というのか
手広くやっているので、有名なので、「なーるほど」
と別に不思議には思いませんでした。

その後、地元の新聞にとなりまちに大学ができる、
というニュースが載ったのが
今年に入ってから、(1月ごろ)だったかと
思います。それが具体的に大学法人名まで出たのが
3月ごろのことでした。 ニュースでりかちゃんだいがく
と言っているのを聞いて、ああ具体化したのね、と
思ったのです。

となりのまちは謙介のいる県で、2番目に人口が
多いまちではあります、が、このところ
人口が急激に減っていっていました。

となりのまちの主要産業は、造船と繊維工業
と電気工業でした。 造船と繊維はまぁまぁ
なのですが、まちの真ん中にあった東〇の工場が
閉鎖されてしまったのです。

ここから広島の尾道に向かって橋ができました。
かつては、そうした離島航路へのフェリーの
発着場として、このまちはにぎわいました。
港からまちの中心部への1キロくらいの商店街は
それはそれはにぎわっていたのです。

商店街の出口には、大〇デパートもありました。
でも、橋ができて、大半の離島航路はなくなり
商店街を利用する人は急速に減っていって、、
他のまちの商店街のようにシャッター通りになって
しまいました。

そのころ市町村合併があちこちで行われ
ここも周辺の島や近隣のまち、14と合併したのです。
それでも人口減は急速に進んでいっていました。

そこで定住人口を少しでも増やさないと、
ということで、まちの西の郊外の丘陵地に
「新都市」と名付けた土地開発にかかったのでした。
新都市には、「おかだや」を誘致しました。

謙介は正直、どうしてそこに「おかだや」を誘致するのか
訳が分かりませんでした。 というのも、そのまちには、
すでに3つも「おかだや」があったからです。

人口の少ないまちに「おかだや」を4つも作ってどうするんだ、
と思いました。 おかだやの人も思ったみたいで
市役所がおかだやを誘致して一度、決まりかかったのですが、
おかだやが嫌だ、と言って、計画がぽしゃりかかったのです。
そこへ、「むりこやりこ」なりふりかまわずに誘致活動を
行った結果、おかだやも折れて、店を作ることになったのです。

さっきも言ったように中心市街地の商店街は
さびれ果てています。そこに核店舗というくくりで
おかだやが来るのであれば、まだましですが
4つめのおかだやを作る、ということは、
商店街に、もう商売を止めてしまえ、
というようなことと同じだと思うんですけどね。
とまれ、その新都市の第一街区におかだやが
できました。そして第二街区には大学を誘致する、
ということになったのです。

最初は地元の私大が、新しい学部を作る、
ということで、名乗りを上げていたのですが、
それが沙汰やみになってしまい、大学誘致が
宙に浮いた形になりました。 それから、いろいろと
学部の候補を挙げていって、獣医学部を
作ろうということになったらしいのです。

理由は、四国にないから、ということでした。
でもねぇ、四国にはなくたって、獣医学部に
進学する学生の需要と供給はバランスが
取れていて、これ以上作っても仕方がない、
ということだったのです。

となりまちのトップが国に、大学を作りたい
作りたい作りたいと、2007年から
15回にわたって言い続けたのでしたが
国はもうこれ以上は要らない。ダメ、
と言い続けたそうです。

というのが、今年の4月だったか、前のそのまちの
トップの人が、「今まで何度も国に申請したのに
できなかった」ということを述懐している
地元の新聞の記事を読んだのでした。

で、今の内閣になって、それまでの
獣医学部は多いからダメ、が、一転、そういうことだったら
作ってもええよ、というふうに態度が変わったのだとか。
前のトップの人は、「よくもまぁここまで来たなぁ」
ということを言っていましたが、、。


今まで獣医学部は多いからダメ、
と言っていたのが一転態度が変わったのは
どうしてなのでしょうかね。

それと、その獣医学部の土地は、となりまちが
土地を無償供与するのだそうです。
県の補助も38億だとか出る、という話です。

県の補助ということは、謙介の払った
県民税からもお金は出ているわけで、、
俄然ちゃんと見ておかないと、という気がして
きました。

いなかのできごとでありがちなのが
「うやむや」です。


今日は国会で「いつも赤いネクタイをしている」
議員さんが、首相に質問していましたけれども、、。

野党も頼りないしなぁ、、
真相をきちんと究明してもらいたい、
と思います。


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17. 05. 16

時代は遷って

先日、ながったらしい銀行名の銀行の
途中に出てくる「東京」の部分が
消える、ことになった、という報道を聞きました。

そのながったらしい銀行名のうちの「東京」の部分は
この銀行名から、だったわけですが、、、。


Img_2187


おらなんか、物持ちがいいもんで
いまだにこんなもの持ってるだよ。(笑)

どうしてこんなキャッシュカード持っているのか、
と言いますと、東京銀行というのは、国内より外国に強い銀行で、
日本で唯一の外為銀行だったのです。

謙介がソウルにいたころは、まだ東京銀行が
ありましてね。 いろいろと送金をする関係があったので、
東京銀行に口座を持っていた、ということなのです。


ちなみにキャッシュカードの最初の058という番号は
京都支店のコードでした。

今のながったらしい銀行名になっての058は、
大阪の堂島支店のコードだとか。

日本に帰ってきてから、謙介もいろいろありましたし、、
東銀もながったらしい銀行名の「一部」になって
かろうじてその痕跡を残していた、ということで今に至っていた、
ということだったのですが、とうとう消える、ということになったそうです。

そのながったらしい名前の銀行に、一昨年だったか行って、かつての
三和銀行のスヌーピーの通帳の解約をしてもらって
お金を返してもらうことにしたのです。
三和銀行は「UFJ」の部分の銀行でしたもんね。

行ってすぐに、解約の手続きを、と、言ったら、
通帳の台帳が見つからない、とか言われてしまいました。

三和銀行の合併後の銀行に行っているのにない、とは
これいかに。 別にみず○とか、りそ○に行って
三和の解約してくれ、と言っているわけでなかったのですが、、

そこから台帳を探してもらって、やっと見つかるまでに
1時間。手続きを終えるまでにさらに1時間。
それだけのことをするのに、2時間もかかりました。


きっとこの東京銀行の通帳も、行って手続きをしたら
正式に解約できて、お金がいくばくか返ってくる、
ということになるのだろうとは思いますが、、

そこまでに
何時間かかることやら、、、

(しかも返ってくるお金は、
たぶんドトー○で飲むコーヒー代くらいしか返ってこない)


めんどくさ。


諸事手続きをするのを億劫がって、
放置する、というのが老化のはじまり
というのはよく知ってはいますが、、、でもなぁ、、。

かくしてあれもこれも
「めんどうくさい」というようになっていって、
どんどんと老化は進んでいくのでせう。

平成時代も今年で終わりのようですね。

来年には改元があって、
新しい元号になるとのこと。

やれやれ。

こうして昭和なんて、
いよいよ昔のはなしになっていくのでしょうねぇ。

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17. 04. 19

デッドセクション

先月、両親と奥琵琶湖のほうをまわったお話は
ここで何度かに分けてしましたよね。

その時に、近江今津駅で、湖西線の高架を
走っている電車を見たのです。

すぐに敦賀行きの新快速の電車だと気づきました。
新快速、と言っても、近江今津から、
敦賀までは、各停になるんですけどね。

京阪神からの直流作動の電車が
送電方式の違う交流路線の北陸線の敦賀まで直通で走る、
などということは、ちょっと前までは考えられなかった
ことでした。

今も言ったように
北陸線は電気の送電が交流方式ですし、
東海道線は直流方式でしたから
米原から福井とか金沢方面に走る電車は
すべて両方の送電方式に対応できる
交直両用の電車でした。
なので北陸方面に使用する車両が
東海道線の電車とは
違った電車で、米原の駅で、見慣れない交直両用の
電車を見ては、珍しいということで写真を撮りまくった
記憶があります。


高架を颯爽と走って行く電車を見ながら
あ、そうだった、それが今は敦賀の駅の向こう、北陸トンネルの
手前まで直流方式になったのだった、と改めて思ったのでした。

さっきも言ったように東海道線は直流方式で
北陸線は交流方式なので、
直流の送電方式を交流の方式に変える区域がありました。

その何百メートルの間、電流は流されないのです。
電気を架線から取らない、取れない間、
電車は惰性で走って、その間に切り替える
という方法を取っています。
その区域を「デッドセクション」と言う、ということは
どういうわけだか(たぶん鉄道雑誌を読んでいて
得た知識だったのでしょうけれども)知っていました。

ずいぶん前に、今回と同じように
奥琵琶湖に行った時も
わざわざその北陸線のデッドセクションを
見に行ったほどだった
のです。(ヒマなヤツ)

それが今回そのデッドセクションを調べていて
とんでもないことが分かったのでした。
敦賀まで行かなくても、謙介の仕事場の街に
そのデッドセクションがあるのだそうです。
しかも、4月からの新しい職場の横!
ということで早速行ってきたのでした。

で、↓ここなのでございます。
Img_2138
まぁ見た通り、デッドセクションなんて
なんじゃそれ、というようなものですが。

実はこの鉄道のデッドセクションというのは
こういうことなのです。
郊外電車の路線が3本あるのですが、
そのうちの1本の路線だけ、電圧が600Vなのです。
他の2本の電圧は700Vなのです。
どうして1本だけ電圧が600Vなのかというと
その路線だけ、路面電車と平面交差しているから、
なのです。

Otemachi

市内線(路面電車)は600Vで、
郊外線は700Vなのですが、郊外線の中で、
この路線だけ市内電車に合わせて600Vに
なっています。

下の写真の手前の線路の路線が600Vの路線で
奥に走っている電車の路線は700V、ということ
なのです。
Img_2142
で、郊外電車は600Vの区間から700Vの区間へと
通しで走っていますから、途中、どうしても
600V⇔700Vに切り替えないと
いけなくなります。

それで電圧を切り替える場所を作る必要が
できた、ということなのです。

でもね、デッドセクションといっても、
ここのは600Vが700Vに電圧が変わるだけですし
その電圧の変わり方も600Vが1500Vになる、
というような大きなものではないので、電車は
走ったまま、電流も流れたまま、ぱっと
変わる、というだけのもののようです。
場所的にはこの辺なのですけどね。
Img_2139

この鉄道は電車の平面交差のほうは有名なのですが
デッドセクションのほうはあまり知られていないのです。
ということで見に行ってきた、というお話だったのでした。

最近、更新がままなりません。
というのも、仕事場が2つになって
仕事場のかけもちをしないといけない状態だから、
なのです。午前中は本務の場所で仕事をして
午後からは車で移動して、20キロ程離れた
新設のほうのオフィスに行って仕事をしています。
そういうことで、書きたいことはいろいろと
あるのですが、、時間が取れない状態です。

まぁ時間を見て、ぼつぼつ更新していきますので
またたまに来てくださって見てやってください。
よろしくお願いします。


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17. 03. 13

変な引力でもあるのでしょうか

昨日、コンビニに車をとめようとしましたら、
いきなり別の車(軽のワンボックス)が急にバックしてきて、
謙介さんの乗った車に当たってきたのです。

やれやれ毎月です。

運転していた人、その前にヤンキーのにいちゃんに
気づかず車を停めようとして、あやうく当たりそうになって
ヤンキーのにいちゃんが、その運転手さんに
怒鳴り込んでいたのです。それでその運転手さん
パニックになって、前後左右も見ないで、後ろに急に下がって
謙介の車に当たった、ということです。

前ほどひどいようなものではなくて、
タイヤの上あたりの車体が、
ホンの少し引っ込んだ、ということでした。


正直、車の傷、我慢したら我慢できる程度のものでは
あったのですが、車に乗るたびにそこを見なければならず、、
見るたびに思い出して嫌な気持ちになるのもどうかと
思ったので、直してもらうことにしました。


何か変なものを引き寄せる力でもあるのでしょうか??


車は、来週の3連休の後で、修理です。

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17. 02. 28

通ひが吸ひ込まれてゐってしまひました

先日、ちょっとお金をおろす用事があって
地元の地方銀行に行ったのです。

通帳を見たら、あと3件で、通帳の記入欄が
いっぱいになるみたいで、ひょっとしたら更新かなぁ、と
思いながら行ったのでしたが、、。

5万円ほど下しました。
そうしたら、案の定というのか
「通帳がいっぱいになりました。新しい通帳に
更新しますか?」という表示が出たのです。

時間はそうなかったのですが、
まぁ機械の通帳更新だから、
5分もかからないだろうと思いました。

というのも、1月に別の銀行で同じようにATMで
通帳の更新をしていて、その時だって3分くらいで
できた、ということがあったから、まぁその程度だろう、
と思ったわけです。

機械ががしゃがしゃ言い始めて、時々ジー、ジー、
と言っています。 更新の手続きをしているのだろう、
と思ったら、、、、、それっきり何も音がしなくなってしまいました。


そのうち、
「通帳更新手続き中」と表示されていた
ディスプレイが真っ暗になって、、、、、

あれ、暗黒だ。

しばらくその暗黒が続いたかと思うと、
ピポンっと言う警報音みたいのが鳴って、
窓口係員にご連絡ください、という表示に変わりました。

その時思ったのは、
あああ、これは5分では済まないなぁ、
ということでした。

実は9時に人と会う約束があったのです。
その時時間は8時50分だったのですが、、

仕方がないので、インターホンで、

通帳の更新手続きをしようとして
ATMに通帳を入れたら、出なくなってしまい、
係を呼んでくださいの表示が出ました、と
係りの人に言いました。

「はい、それでは伺います」という女性係員のお返事がありました。

その間にも刻々と時間が迫ります。
ATMを離れて電話したいのですが、
それもできそうにありません。

係のおねいさんが来ました。
「通帳が機械に入ったきり出てこなくなりました」と
もう一度その人に言いました。
その女性は「わかりました」と言って、そのATMに
「調整中」というボードを置いて、また立ち去りました。


そのうち機械の向こう側で、
バタン、ぎぎぎぎぎ ドシャッ! 
ガタッ! という大きな音がしました。

ちょっとその間に、謙介急いで9時のお約束だった人に
「今、銀行に来たら、ちょっとトラブルに巻き込まれてしまって、、」
と電話をしました。

「え、なに? 強盗とかに遭遇したん? 」

「そんなんと違います、って。(にいちゃんドラマの見過ぎよ)
それに強盗になんか遭遇してたら、こんな電話なんか
かけられへんやん」と言いました。

「どれくらいかかりそう? 」

「たぶん15分くらい遅れるくらいかなぁ
ATMのトラブルみたいで、、さっき通帳の
更新をATMでしようとして、通帳を入れたら
出てこなくなったの」と理由を説明しました。

「じゃあ、予定を変更しないで待ってる」という返事で
まぁそっちのほうは、何とかなったわけですが、、

さて。

問題は最初に戻って、、
ATMに吸い込まれていって出てこない通帳ですよ。

さっきものすごい音がしたので、
おそらくATMから通帳は取りだせていたのだろうとは
思いました。

でも、機械の向こう側のことなのでよく分かりません。

その間、3台あるATM
(1台は調整中なので2台ですね)
にはどんどんお客さんが来て、行列ができています。
いつもなら3台使えるから、もっとお客さんの動きも
スムーズだったのでしょうけど、1台が使えないので
そういう状態です。

申し訳ないなぁ、と思いつつ、
いつまでかかるのだろう、、
と思いました。

別にATMによその銀行の通帳を入れたわけでは
ないのです。そりゃ、地方銀行のATMにゆうちょとか
都市銀行の通帳を入れたら、おかしなことになるかも
しれませんが、、。

その銀行の通帳を入れてそれで
ダメ、っていったい、、、、

ただまぁ、もし仮によその銀行の通帳を入れたとしても
今時の機械だったら、
この通帳は使えません、というような表示が出ると
思うんですよね。


カードなんか入れた日には、よその銀行のカードだって
お金が下せます。(なおかつ手数料をしっかり取られて、
ですねぇ )

通帳は果たして、、
どうなっているのだろう、と思って待っていたら
それからしばらくして、おねいさんがやってきました。
2冊の通帳を持って。


「ATMで更新できない通帳でしたから、
手動でしました」ということでした。

古い通帳だから機械が対応できなかった、のだそうで。

まぁねぇ、、古いと言えば、確かに古い通帳ですねぇ。

最初の印字が平成2年ですし、、。

27年前だ。

この銀行の通帳を解約してしまってもいいのですが、
やがて仕事を辞めて実家に戻ってきたら、
仕事場で給料の振り込みとか、いろいろな支払いに
使っている銀行は県外の銀行、ということになって、
こっちでは支店も少ないし、ATMも遠いので
使わなくなるでしょうから、こちらの銀行の口座を
使うようになると思うんですよね。

なのでまぁ置いてあるんですけど、、。


まぁそういうことで、無事に通帳の更新もできて
謙介は約束場所へと行ったのでした。
結局20分ほど遅刻、ということでした。


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17. 02. 24

車の修理が終わりました

先日、元の車の修理が終わって
引き取りに行ってきました。
ここ2週間、ワゴン車に乗っていて、
元の車に戻っただけなのですが、、、

それも、この元の車に乗って、
もう7万5000キロも走っていたのです。
慣れているはずだったのに、、

3週間、他の車に乗って、もとに戻ったら、、
ものすごく違和感がありました。
車の中が新車のようなにおいになっていて(笑)
あらまぁ、と思いました。

前の車の「標高」がやたら高かったので、
今の車のシートに座って思ったのは、
ものすごく低い! ということでした。
地べたすれすれ。(笑)

地面となかよし。

まぁこういうふうに重心が低いからこそ、
強風の時でもふらふらしにくいのですが。


ワゴン車に乗って、高速道路を走っていた時、
数回、風でグラっと流されそうになったことが
ありました。

それと、車が大きかった、ということもあるのですが、
ハンドル回しが大変でした。
よっこらしょ、という感じで大きく回らないと
いけなかったのです。

直ってきた車は、マーチなので、
小回りが利く上に、スポーツカー仕様なので
ハンドルの利きがすごい。
ちょっと回したら、即反応、という感じです。

それとこれも大きかったのですが、
速度感覚の違いです。

マーチは50キロ出していても、
やや遅い、という感じがして走るのですが、
代車で50キロで走りますと、
ものすごく速い速度で走っている、という感じに
なりました。60キロとか出したら、ちょっと怖い、
という感じがしました。

でも、改めて今乗っている車の性能とか
運転時の反応のよさも再確認できて、
その点は良かった、と思いました。


代車は代車で運転していていろいろな発見があって、
それなりに面白かったのですが、
その一方で、やはりあれは業務用の車でしたから
あの車をずーっと運転していたら、
気持ちが荒んでくるような気もしました。

無理して楽しげに乗ってはいましたが。

正直、運転していて、後続の車が車間距離をやたら
詰めてこられたりすると、事故のことを思い出して、
本当に嫌な気持ちになります。

でも、まぁ慣れていかないといけませんけれども。

まだちょっと「あっ怖!」というような気持ちもあって
運転していますが、、
しばらくすると慣れていくのでしょう、かねぇ。

そんなことで、また元の車に戻って
走る日が復活したのでした。

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17. 01. 20

22年の後

父方の親戚が淡路島の北端、
淡路市の岩屋、というところにいます。
22年前は、北淡町岩屋という地名でした。

阪神淡路大震災の震源がここだったのです。

あの日のことは、今も鮮明に覚えています。
謙介は仕事場の街のアパートで、朝食の準備を
していたわけですが、
淡路島からはるか数百キロも離れたこの場所でさえ、
思わずストーブのクイック消火ボタンを押して、
火を消した程の揺れでした。

それからテレビをつけてみますと、、、

地震発生の10日前に謙介、神戸の街を歩いていたのですが、
これが同じ街なのか、と目を疑うような風景が画面に
拡がっていました。

見慣れたはずの三ノ宮の阪急の駅周辺は、
ビルが倒壊したり、倒壊に至らなくても
途中の階が押しつぶされたようになっていたり、、、。

晩、友達と一緒に歩いた阪神高速下の道路は
その高速道路の高架が横倒しになっているし、、

長田の辺は黒煙が上がって、手の付けられないような
火事が起こっていましたし、、

最初は、ただただ画面を信じられない気持ちで
見るばかりでした。

そのうち、断片的な情報が、
怒涛のごとく押し寄せてきました。
震源が淡路島、それも北淡町と聞いた時には、、
目の前が真っ暗になったような気がしました。

神戸でさえ、ものすごい状態です。

ましてや島の木造家屋の多い、しかも、平地が少なくて
細い道が曲がりくねっている街並みです。

そんなところで、家が倒れたら、火事が起こったら、、
大変なことになる、実際そうなっているのでは? 
と思いました。 

電話をしましたが、そんなもの通じるはずがありません。
何度かけても、
「ただいま、回線が非常に混雑しており、、」と
いうメッセージが流れるか
呼び出し音が鳴るばかりでした。


それから数日後、電話がかかってきて、
家の中はひっくり返って、もうしっちゃかめっちゃかだけど
生きているから大丈夫、という連絡があった時は
本当に涙が止まりませんでした。

あれから22年が経過したのですね。


先日、その淡路の親戚から、
対岸の明石のお菓子を送ってきてくれました。
藤江屋分○の丁稚羊羹です。
(まぁ見たらわかりますけど)

Img_1689

電話でお菓子のお礼を言った謙介に、
「またこんなふうに明石の丁稚羊羹を
食べられる日が来るとは、思いもせえへんかったわ」と、
しみじみとした声が
向こうから聞こえてきました。

Img_1690


とはいえ、
もう22年では決してないと思います。

実際に淡路島とか神戸で経験された方にとってみれば
瞬く間の22年だった、と。

淡路島の街も、神戸の街も、外見上は
復興を遂げたかのように見えはします。

でも、人の気持ちや心はそう簡単に癒されるものでも
ないと思うのです。 

未だに復興住宅の仮住まいのままの方も
相当数おいでです。

時の流れ、人の暮らし、
そんなことを改めて感じた日でした。


     ×      ×      ×


あ、羊羹はおいしかったです。

Img_1694


丁稚羊羹は、昔、商家で働いていた
最下層の使用人のことを丁稚(でっち)と
呼んだのです。

丁稚さんには、お休みがほとんどありませんでした。
年に2回だけ、盆と正月に「やぶいり」と言って
各1日だけ休みをもらえました。

よくうれしいことのたとえに「盆と正月が一緒に来たような」
と言うのは、その「やぶ入りのお休みをもらえる丁稚さんの
気持ちのこと」を指して言った言葉です。

「やぶいりの休み」をもらって、
実家に帰っていたわけですが、丁稚羊羹は
その時のお土産用としてお菓子屋さんが
作った羊羹でした。

丁稚さんはお金をあまり持っていないので、
普通の羊羹より材料の配合を少なくして
価格を下げたものを作りました。

配合を少なくしたために、
普通の羊羹より、軽い味の羊羹ができて、
それが却って人気を呼んで
名物になってしまった、と。

明石のこの丁稚羊羹も有名ですし、
京都の新京極の西谷○の丁稚羊羹も
有名です。

久しぶりにいただきましたが、
結構濃厚な味で、これで軽い味かぁ? とか
思ってしまったのでした。

それにしても、22年だった、のですね。

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