いなかのせいかつ

24. 07. 02

面倒くさいのが来ました。

郵便局の担当者が言ったように、ゆうちょの父の通帳の
手続き関連の書類が来ました。
見たら、案の定、印鑑証明を取れと書いてあります。
書類の送付用紙に、ご不明の場合はこちらに連絡して
くださいとあったので、電話をして、母なんかに印鑑証明を
作る説明をしても通じないし、無理です、ということを
言いました。そうしたら郵便局に連れてきて、ということを
言うわけですが、それだって無理と言いました。
他の方法がないか、そちらで考えてみてください、
と言って、ボールを郵便局に投げたら、
もう無茶苦茶な返球をしてきました。
家裁に行って成年後見者を見つけてほしい、ということです。

思わず、「はぁ? 」と言いました。
こういう高齢の人のゆうちょの手続きについて
うちのような事例はほかにないのでしょうか?
謙介さん、とうとう切れてしまいました。
「あのね、カスハラとおっしゃるんだったらそれで
結構でございます。そちらのほうの手続き方法自体に、
あまりに実態を無視した方法しかおっしゃらないことについて
私は抗議をしています。そういう
手続き方法しか考えられないのですか? 
適当な時だけ、お客様に寄り添うサービスなんて
言ってるけど、全然寄り添ってなんかしてないじゃ
ないですか。」
に始まって、15分くらいガンガン言い続けました。
謙介さん、あまりカッカしないのですが、さすがに
今回ばかりはちょっとなぁ、ということでした。

そうしたらゆうちょの人、こういうことを言いました。
そういう場合は、行政書士の方にお金を払って
手続きをしてもらう方もいます。
行政書士に頼んだら、そりゃ自分はしないから楽ですけど、、
費用としては30万円くらいかかります。
自分でできるのであれば、自分でする、というのが
スタンスなので。あくまで自分でやろうと思っています。

ただ、ひとつ、姉がよい知らせを持ってきてくれました。
印鑑登録、印鑑証明、本人が行かなくても、
母の印鑑登録証は作れる、(ただし手間と時間がかかる)
ということでした。今度、帰るのが四十九日の法要の
折なのですが、その際に、母の印鑑登録証を
作ることになりました。

ゆうちょの手続きは、1年以内に手続きをしたらよいらしいので
なんとか間に合いそうかなぁ、と思います。
とりあえずこの次は、四十九日法要ですねぇ。
旦那寺の和尚さんには日時、場所を知らせています。
お供えの品もいろいろと準備をしておかないといけないので
それも用意しているところです。
おまけに終わってから宴会をしないといけないので、
お店選びもしました。
四十九日の法要が終わったら、今度は「満中陰」ということで
デパートから品物を送る手配をしないといけません。
品物も何が良いか決めないといけません。

謙介的にはタオルにしようか、と
思っています。前任地は今治タオルの工場が
あちこちにあって、そこに頼むとさっと送れて
いたんですけどねぇ、、。

それと満中陰のお礼状は、やはり謙介としては
印刷ではなくて、きちんと巻紙に書きたいですし、、
その準備もしないといけません。

合言葉はとりあえず四十九日法要です。
これを終わらせることが当面の目標ですかね。

もちろんこういうことと並行して仕事もあるわけで、、
最近の口癖は「ああ、めんどくさ」というような
ことでしょうか。(やれやれ)


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24. 06. 16

次は手続き

Img_8820

今日博多駅に行ったら、山笠の山車建てが始まっていました。

季節はどんどんと変化をしているのですね。

父が亡くなって、お葬式をして、それで終わりでは決して
ありません。
というのか、死後にあれやこれやと手続きをしないといけないのです。

まず葬式の終わった翌日に行ったのが市役所でした。
住民登録で世帯主の変更をします。
それから健康保険証、印鑑登録証の返却をします。
市からの両親関連の書類は、すべて九州に送れと
いう変更通知。これだけが市役所関連です。

 

それから旧知の税理士さんに電話をして、
うちの父の残したお金が、相続税対象の金額がどうかを
聞きました。

 

その次は郵便局に行って父の通帳の手続きです。
とりあえず、本人が亡くなったので、使えない状態となったのですが、、
その貯金の残額をどうするか、ということなのですが、、
郵便局の係のいうには、無茶苦茶なことを言っていました。
母の印鑑証明を持ってこいとか、
それが無理なら本人を連れて来いとか
いうようなことでした。
車いすの97歳のばあさんを連れて来い、
というのは、一体どういう了見なんでしょうかね。

 

窓口の人に、「そういう規則だと盾にするのであれば、
連れてきますがこんな暑い時期に、97歳の高齢老人を
外に連れ出して万が一、それがもとで健康状態が悪化したら、
それはゆうちょの責任ですが、そういう保障はして
いただけるのですね? 」と申し上げましたら、
そういう場合は東京に聞いてください
と逃げるんです。
こういうのを「姑息」と言うんじゃないか、とか
思いましたが。

 

しかし、この高齢化社会です。
遺族だって高齢者で認知症で、通常の書類提出が無理
なんていう事例、そこここであると思うんですがねぇ。
それが証拠に、昨日、同じく高齢の両親を介護している
同級生に聞いたら、うちだって、両親が90を越えていて
印鑑登録なんて作ったりしていないわ、とか言っていました。
しかも施設に入ってるし、そんなもの無理、と
言っていました。そういう事例ってよくあることなんですから
何らかの方法があるはずだと思うんですけど、、。

 

まだまだ手続きは続きます。
次は法務局です。
法務手続きも予約制です。
実家の管轄の法務局に聞いたら、1か月先まで予約で埋まっている
というご返事でした。そんなの息子は九州に住んでいて、、、
ということを言ったら、九州でご相談をしていただいて、
書類が出来たら、四国に送ってくださいということでした。
ということで、謙介の住む街の法務局に電話をして予約を
入れたら、それが7月の31日というようなことでした。

 

そして次は年金です。
これもまた予約制です。実家の管轄の年金事務所に聞きました。
年金事務所に電話をして、、
ナビダイヤルで番号を打ったり、長時間待たされた挙句に
もしもし、と言ったら、バシャッと電話切られるという
おふるまいでございます。
カスハラはいけません。しかし、ようやっとつながった
電話をいきなり切る、というのは、一体どういうことなんでしょう。
しかも、もう一度掛け直して「どうしていきなり切るんですか?」
と訊いても、「すみません」の一言もありません。
「一体これはどういうことなんですか?」と
強めに言いました。

 

やれやれ。あんまりひどい応対なので、グーグルマッ〇の
口コミに事の詳細を書こうかと思っています。

 

結果から言うと、これも九州でご相談をしてください、ということで
こちらも九州の管轄の年金事務所に再度電話をして、
ご相談予約をしました。これが8月のことです。

 

まぁ一事が万事こんな具合で、、
手続きだって即できるわけではありません。
全部管轄が違うの、お役所だから書類がいるだの
と言って、面倒な事この上ありません。

 

もういい加減うんざりした、と
すでに両親を見送った友達にこぼしたら
ホンマ、めんどくさいやろ、俺んところも
全部手続きが終わるまで、半年くらいかかったわ、
というようなことでした。

 

そういうことで、まだしばらくめんどくさー
という日々が続きそうです。
やれやれ。

 

 

 

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24. 06. 15

お葬式後の感想

父の状態が少しずつ落ち始めた去年の春に謙介は
実家の街の葬儀社、3軒くらい回って話を聞きました。
葬儀の方法、そこから想定するプラン、本当にいろいろでした。

こんな言い方をすると、お前は親の死ぬのを待っていたのか、
とか言われるかもしれませんけれども、謙介はだからこそ
早くから見て、比較検討しておいたほうが良いと思います。


近親者が亡くなりました、葬儀社に依頼、となると
時間的な余裕が全くありません。冷静になって
考えられもしません。とりあえず検索して出てきた
葬儀社に頼む、ということになってしまいます。

むしろ謙介はこういうものこそ冷静に比較検討しないと
いけないのですから、少々前で見ておくことが
絶対に要るぞ、と思いました。

というのが、葬儀会社のそれぞれのサービスは、結構な高額
を要求してきます。例えば、湯灌(遺骸を洗ってきれいに
するもの)だけで、9万8千円しますし、遺影作成で
3万3千円です。値段明細を見て、冷静に、このサービスは
要る、このサービスは要らない、ということを明確にしていかなければ
なりません。人が亡くなって、たいていのご家族はもうそれだけで
思考停止状態になっているのではないでしょうか。
どさくさに紛れて加算されていたっていちいち確認できません。

よく、家族葬ならお安い、というCMが流れていますが、、
今回は家族葬にしましたが、結構な金額になりました。

感想としては正直ちっとも安くないぞ、というのが感想です。
大雑把に、きわめて大雑把に言うと、普通のお葬式費用は100万近く
かかります。家族葬なら、その半分くらいです。
親戚なんて2組だけ、全部の参列者10人以下の葬儀だって
何十万もかかるということです。

地元の葬祭会社を比較しましたが、最初の料金こそ安そうに
言っていますが、実際はあれもこれも要ると言っていたら、
全然お安くない、ということもわかりました。
結局比較してみると、どこの葬祭社も価格的に
あまり差がないということが分かりました。

こういう個別検討なんて、冷静な時でなければできません。

それから、親には最期をどうするのか、ということは
聞いておいてよかったなぁ、と思いました。
本人の意識はなくなってしまっていても、
延命治療をしてでも、一日でも長く生きるという選択にするのか
看取りにして、自然に任せていくのか、
ということは聞いておいてよかったなぁ、と
思いました。
まぁ、人の考えだって、状況の変化とともに変わることだって
あると思います。在宅でしっかり自活ができていた時と
介護が必要になって、自力での生活が困難になった時では
考えに差が出て来くることも当然あるでしょう。

ですから、何年か周期で親にそういうことを聞いておくことが
要るように思います。
うちはずーっと遠距離でしたが、親の介護をしていましたし
市から数年に1度、介護認定の方が来て、両親の状況を見に来たり
家族の意見を言う時もありましたから、そうした時に
「最期はどうするの?」ということを聞いていました。

というのか、施設に入るようになったら、
その段階で、施設の方から、「最期はどうなさいますか?」という
ことを聞かれます。
どうしたって親に聞かないといけないのですが。

事前にいろいろと聞いたり準備をしたりして
おかないと、大体が人の死なんて突然やってきます。
そんなときに慌てないで済むようなことは
必要だと思います。


まぁそういうことが、
今回の感想って、こういうことでしたね。

 

 

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24. 06. 14

お葬式(5)

葬儀はまだ続きます。

その後、斎場から再び葬祭会場に戻り、初七日の法要を
いたしました。再びお寺さんに来ていただき、お経を
上げていただきます。(30分くらい)
お坊さんが退出し、親戚も帰って、これで本当にお葬式が
終わりました。

と、ここまで書いてきましたが、、こうやって書かれたのを
お読みくださると、謙介は親の死について悲しくないのか?
と思われた方もおいでかもしれません。

いつもと変わらない文章で書いていますもんね。

親の介護について、あ、こりゃ始めないとまずいなあ、と
思ったのは、もう15年位前に父から母に認知症の兆候が
出たときからでしたね。嫌がる両親を物忘れ外来に
連れて行って、認知症のテストをしてもらった
ところからでした。


父も高血圧だったですし、体調管理を
そのクリニックで診てもらうようなところから始めました。
以来毎月一度の定期検診に一緒に行くことからはじまって、
介護保険の適用で市役所に行き、介護認定の調査立ち合い
ケアマネさんの選定、介護計画の依頼。
介護サービスは受けるようになっても安心などできません。
四六時中文句を言ってくる母親のディサービス拒否の説得、
母親の話を聞いて一方的に怒る父親への説明、説得。

銀行を回って口座をひとまとめにしたこと。
そのあと父が大腿骨骨折で入院、手術、認知症の発症からのリハビリ病院への
病院選定、転院依頼、入院手続き、
リハビリ病院は3か月しか居られませんから、
リハビリ期間完了後の施設選定、入所手続き、
施設に入所してからは、面会にも行きました。
施設に入ったって、それで終わりでは
ありません。

毎月面会に行きましたが、はやくこんな施設を
出て家で暮らすんだからさっさと手続きをしろ、と
怒鳴られ続けました。
施設からはやれ入浴を拒否するから
何とかしてくれと言われて、無理やり浴室までひきずって
行ったり検診を受診しない、家に帰らせろ、と自分の状態も
認識せずに怒鳴りまくるので、一度横っ面をひっぱたいた
こともありました。
(それはさすがに施設の人から老人虐待だと
注意をされましたが)

認知症は自分の状況の把握ができないので困りました。
そもそも一人で立って何かしら動作をするようなことも
できないのに、家に帰って自活すると言い張るのです。

自分の思ったことができないので、施設の職員の方々に対して、
たたいたりすることもありました。
そのことについても
その都度謝罪に行きましたり、頭を下げることも、
もう10回や20回では足りないくらいありました。

まぁそんなことが15年間の介護生活でありましたし、
これだけのことを一人でやってきました。

なので、
ああ、終わったなぁ、というのが正直な感想です。

もう夜中に、「お父様の具合がよくありません」とかいうような
電話もこれからはかかってこないので、それだけでも
安心しています。
夜中の変な時間に父の施設から電話があったりしたときの
あの嫌な不安感。もう経験したくないです。

(これから親の介護に入る人、なかなか大変ですよー)

ドラマだと、斎場の炉の前で点火ボタンが押せないで、
喪主である主人公が泣き崩れるというようなことに
なるのでしょうけれども、
(実際、斎場の係の方が、なんだったらこちらで
炉のボタンお押ししましょうか、とか言ってくれました。
きっと万感胸に迫って押せない人も多いのでしょうね)

謙介の場合は、全然そんなこともなくて、
あ、はいはい、という感じで斎場の炉のスイッチを
パッと押した、ようなことでした。

とはいえ、まだ母は存命で、6月2日が誕生日で
97歳になりました。今のところ食事も自分で行えています。
まだ介護は続くということなのです。

母の脳の中では

もうしばらく前から母の連れ合いは死んだことに
なっていましたし、(「あの人は死んでしまった
長いこと会ってない」と、父の目の前で言って
いました。)息子も死んだことになっています。
面会に行ったって、「誰か知らん人が来た」という
反応です。

本人の頭の中は、どうも小学校の2年生になっている
ようで、面会に行くと、家に帰りたい、と言います。
どこの家? と聞くと、小2の時の下関の家だそうで。
そういうときに姉は面白がって、どんどん話を
させて行くんですが、息子は、ああそう、で
終わってしまいます。

こういう現実だって受けいれていかなくちゃなんない。

お葬式編はこれで終わりですが、今度は手続き編が
まだまだ続きます。人が死んだときの
後の手続きというのもなかなかに大変なことです。

ということで、今日はここまでといたします。

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24. 06. 13

お葬式(4)

翌日は葬儀・告別式は11時からなのですが、
葬儀社の人が、9時半に来てくださいというので
9時半に行きました。
お式の流れについての確認と、葬儀費用についての最終
確認のようなことでした。謙介、戒名では驚かなかったのですが
やっぱり葬儀料金は結構驚きました。
祭壇の生花代、お葬式が3日間になったので、
その間のドライアイス代はわかりますが、告別式の司会者の料金
3万5千円とか、ろうそく代1万2千円とか。
朝の連ドラではありませんが「はて?」というような
ものが多々ありました。昨日データを渡した
遺影作成費も3万3千円というのにはびっくり。


 


今時デジタルだから、画像だってシャープな写真ができるはずなのに
できあがってきた遺影は、なんだか画像全体がぼやけていて、
小さい写真を無理やり引き伸ばしたような感じの遺影写真に
なっていました。それでいて、3万3千円。
これには姉も謙介も驚愕、というようなことでした。
10時50分でしたがお寺さんも来られ、みんな揃ったので、若干
早めに告別式は始まりました。
お坊さんはお二人来られて、読経していただきました。
お二人とも50歳代のお坊さんでしたので、声の調子もよく
しかも非常に精力的な読経で(精力的なって、、)
何かにつけ大声で話すことの多かった父には
似合っている読経のように思いました。


 


真言宗の葬儀は、単に読経だけでなく、
シンバルの原型の「鈸」という祭器で
ばっしゃんばっしゃん音を鳴らしていきますから
結構派手な葬儀です。
葬儀は最初、30分ほど読経があって、遺族親族の
焼香があり(その間はお坊さんは読経はしない)
再び10分ほど読経があって終了、というものでした。
お寺さんは退席なされました。


 


その後、喪主(一応喪主でございました)からご挨拶をして、
お棺に祭壇のお花を入れて、最期のお別れをして棺のふたを
閉じて、出棺ということになりました。
謙介は霊柩車の助手席に位牌を持って座り
斎場まで行きました。
途中車の中で、いろいろと運転手さんに聞きたいことも
あったのですが、多い日は一日に何回くらい
葬儀会場と斎場の間を移動するのですか、とか
このお仕事をされて何年くらいになるのですか?
とか。つい、いろいろなことが思い浮かんだのですが
一応喪主なので黙って座っておりました。


霊柩車は15分ほどで斎場に到着しました。
前回来たのは、もう30年くらい前、祖母が亡くなったときに
来たのでしたが、その時はがらんとした畳敷きの待合室に
座布団を敷いて、座って待っていたような記憶でした。
今回来た斎場はすっかり変わっていて近代的な建物に
なっていました。


棺は手押し車に移されて、いったん、小さい部屋へと
入りました。お寺さんが来てくださっていて、
ここで父に文字通りの「引導を渡して」くださいました。
その式が終わり、お寺さんが退出されると、手押し車で
炉の前に移動しました。
炉の扉が開いて、棺が中に入り、再び炉の扉が
閉められました。
係の方に「炉の点火スイッチ押されますか? 」と聞かれたので
「押します」と言って、緑のボタンを押しました。
それから、1時間半ほど、斎場内のカフェ(!)で
お昼をいただきました。
2時過ぎに館内放送があって、「〇〇家のお骨あげの準備が
整いましたので、お越しください」ということになりました。
集合場所に行きまして、間違わないようにいただいていた
番号の鍵をお渡しします。再び炉の前に行き、その鍵で
炉を開け、遺骨を骨揚げの場所まで移動させました。


係の方が、これはかかとの骨、これは、、どこそこの骨
というふうに説明をしていっていただきながら、遺族が拾った
遺骨を骨壺にきれいに詰めていってくださいました。足から
最後、頭蓋骨の一部を詰めてふたをし、骨揚げは
終わりました。
その時に、疑問に思っていたことがあって、、、
「父は大腿骨を骨折して、ボルトで止めていたのですが、、」
と謙介がいいましたら、「あ、それはここですね」と
示してくれました。そこには、骨の間から焼け焦げて
茶色くなったボルトが見えていて、、、「ああなるほど」
と思いました。


 


思い返してみると、こうしたお骨あげをしたのは、今回で
3回目でした。
最初は母方の祖母の時、2回目は本当に親しかった友人の時、
(この時は、特に彼の妹さんから懇請されました)
それで、今回です。
遺骸を焼く時間も随分早くなったなぁ、というのが
今回の感想でした。祖母の時は、3時間半とか4時間近く
かかっていた記憶があって、友人の時は大阪でしたが
3時間くらいかかっていました。
それが今回は、1時間半ということになっていました。
やはり、高出力で焼くのでしょう。
炉から出てきた父の遺骨は、骨格のよほどしっかりした
部分はともかくとして、後は細かくばらばらに
なっていました。

食べ物をお箸からお箸へ受け渡すのを、縁起が悪い、
タブーと言われますが、収骨室で炉の骨をお箸から
お箸へ受け渡して骨壺に収めるから、縁起を担いで
ダメ、ということになっているんですよね。
でも、実際にやってみると、高火力で焼かれて出てきた
しかも老人の骨は結構もろくて、箸渡しだって、結構
むづかしかったです。

収骨室でのお骨あげが終わると、再び葬祭場に戻ります。
以前は葬儀から一週間後に初七日法要をしていたのですが
今は、参列者の都合もあって、葬儀の直後に引き続いて
行うところが多いですね。

今日はここまでといたします。
ダメ、ということになって

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24. 06. 12

お葬式(3)

初日の打ち合わせが終わって、取り急ぎ家に帰りました。
姉には呼吸停止した、というときに知らせていましたが
少しだけいる親戚にも知らせないとと思って電話をしました。
参列してくださるということになりました。

それから大急ぎで、墨をすってお布施とかお膳料といった
のし袋の作成もしました。
翌日は、9時から湯灌があって、それから納棺をします、
ということでしたので、8時半に行っておきました。
8時40分から簡単に葬儀の打ち合わせがあって
9時過ぎから湯灌が始まりました。
謙介、湯灌なんて儀礼的に亡骸の一部分をアルコールで拭く
程度かと思っていましたら、浴槽を持ってきて、本当に体全体を
洗ったり髪をとかしたりしてくれた上に顔にアロマオイルまで
塗ってくださって、えらくぴかぴかになったので
あれまぁと、驚いたようなことでした。
ぴかぴかになったところで、お棺が運ばれ、移されました。
大きなお葬式であれば、親戚も何人もきて
それから接待に大わらわ、ということになるのだろうと
思いますが、親戚の来るのは夕方の(午後5時からの)
お通夜だけなので、そこでいったんまた家に帰りました。
帰ってからPCを開けてみると、(父の葬儀なんて
必要最小限にしか知らせていませんでしたから)仕事の
メールがじゃんじゃん来ているわけです。
その片づけをしたりしないといけませんでした。


最初遺影の写真、なかったので遺影なし、と
言っておいたのですが、探したら姉の孫と一緒に撮った
ニコニコと笑っている写真があったので、
それを遺影にしてもらいました。USBメモリに入れて
データを持っていきました。

それを終えて、もう一度夕方4時過ぎに葬祭場に行きました。

写真データを葬祭場の人に渡して遺影を作ってもらいました。


親戚が一組来てくださり、お寺さんも来てくださったので
お通夜が始まりました。お通夜のお経は30分くらいで終了して
お通夜の儀式は終わりました。
本当ならお通夜、というくらいですから、終夜そこにいて
ろうそくと線香を絶やさず、ともしていないといけないのですが
親戚の方も帰られたので、少しいて、自分も家に帰ることに
しました。
お線香は、LEDのお線香がありまして、それを点けておく
ということになりました。

今日はここまでといたします。

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24. 06. 11

お葬式(2)

お葬式というのか冠婚葬祭は諸式
あれやこれやと経費がかかります。
そんな中でよく話になるのが戒名でしょうかね。

謙介、父の戒名については、院号も大居士も要らない
と思っていました。
普通でいいや、って。
よく戒名は高い、ということを報道記事で接しますが、そういう方の故人の
戒名を見たら、「院号」は付いているし、下は「大居士」とか
付いているし、こんな戒名だったら軽く100万円は超える
戒名になると思います。こういう戒名になさるから高くなるのは
ある意味当然ということでしょう。
院号も大居士もつけなきゃそう高くはならないと思いますけど。

そもそも戒名で「院号」とか「大居士」の付く方は、
そのお寺に本堂の修理費ウン千万円を寄付したとか、
五重塔の建設について総額〇億円を寄進した人に
お寺が故人にそうした感謝をこめてお贈りする戒名だったわけです。


ですから基本線を言えば、千万単位、億単位のご寄進のお金の代わりの
戒名だったのです。

それが太平洋戦争の時に、当時の仏教会が、戦死した人に対して
国の犠牲となられて亡くなったのであるから、戦死した人に
「院号」を付けるということになりました。
やがて太平洋戦争は終わりました。
当然のことながら戦争が終わっても死ぬ人は毎日出るわけです。

家族の中で、戦死した兄には院号がついていて
戦後自然死・病死だった他の家族には院号がつかない、ということに
なりました。
家族の気持ちとしてはみな同じようにしたい。(院号をつけて)
ということだって思ったわけです。

ですが、戦後のお寺としては、建物を修繕してくれたり、
堂塔を建立してくれたりしていない人においそれと
院号を付けるのはできない、という元の方針に
戻っていました。

じゃあ、ということで、お寺の言い分としては
億千万円分のご寄進とは言わないけれども、
百万円のご寄進で院号、大居士の戒名を
つけて差し上げましょう、ということになりました。

それで院号、大居士の戒名は百万円以上ということに
なったわけです。
よく戒名代が高い高いと言っている人は、こうした経緯を
全く知らないで、高い、と言っているのではないか、と
思います。謙介なんか院号なんかつけるから高いんじゃないか、
とか思うのですけれども。

うーん。だからよほどの有名人ならいざ知らず、
うちなんか一般庶民ですから、
そんなのつけないごく普通の戒名でいいんじゃない?
と思っていました。

まぁ冠婚葬祭諸式はそのおうち、そのおうちで考え方が
いろいろですから、一概には言えませんけれどもね。

少なくともうちは戒名は別に一般ランクで
良い、と思っていたので、お寺さんに希望も出さず
付けていただくままで、という判断にいたしました。

戒名ひとつでもいろいろな考えがありますもんね。

今日はここまでとします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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24. 06. 10

お葬式(1)

看取りが終わったら、葬儀です。
以前から契約をしていた葬儀会社の人に連絡をして
葬祭場に移送してもらわなければいけません。
電話をして、1時間後に来てもらうという手配にしました。
それが終わると今度はお寺さんに連絡をして父が亡くなったこと
葬祭場は〇〇であることを知らせました。
午後5時過ぎに来ていただけることになりました。

それから施設のケアマネさんと会って、
父の移送時間を知らせるとともに、父の保険証とか
死亡証明書を受け取りました。
死亡証明書はA3の大きなサイズの紙で
半分が医師の死亡証明書、半分が市役所に提出する死亡届
になっていました。
葬儀社の人が来るまで時間があったので、その間に死亡届も
書いておきました。
葬儀社の人が来て遺体を運ぶ段になりました。
施設の一階まで降りてくると、施設のその日ご出勤されていた
職員の方、全員がお見送りしてくださいました。
父は本当に手のかかる入所者で、(食べ物の好き嫌いは多いし、
認知症もあって、感情のコントロールができなくなっていて
すぐに癇癪を起していましたし)施設に行ってほかの穏やかそうに
されている入所者の方を見て、どうしてうちの父はああなんだろう
と思うところも多々ありました。
やれやれ、、とか。
でも、そういう親も結構いるみたいで、知り合いも
施設に面会に行くと、いつも親とけんかになるだの、
施設に面会に行って帰ってくるだけで、ものすごく疲れる
(行った次の日は仕事にならないくらい消耗する)
という話も聞きますから、うちのような場合もよく
あるといえばあることなんだろうなぁ、ということは
想像がつくのでした。

施設から葬祭場までは車で10分ほどでした。
行くとすでに準備万端というのか、うちの名前の控室ができていて
その部屋に通されました。父の遺体はそこに敷かれた布団の上に
北枕にして寝かされました。
それから葬儀社の人との打ち合わせが(という名前の値段交渉)
ありました。去年契約をした時より「諸物価高騰」ということを
言ってくるだろうなぁ、ということは想像はしていたのですが
やっぱり、という感じで、、結局去年出していた
見積もりよりも10万以上高くなっていました。

それから葬儀の流れについて説明を聞きます。
お通夜は翌6日、葬儀は7日と決まりました。
ただ、お寺さんの都合も聞かないといけないので
それを待って最終的な時間確定ということになりました。

それからまた1時間ほどしてお寺さんが来てくださいました。
枕経をあげていただいた後で、葬儀社の人にも来ていただいて
告別式、出棺の日程を決めました。(霊柩車の手配があるため)
7日の葬儀は11時開始、12時出棺ということになりました。
12時半に斎場に着くようです。
葬儀社の人に「遺体を焼くのは何時間くらいかかるのですか?」
と聞くと、「1時間半から2時間ですね」ということでした
2時半くらいに骨揚げを行って再び葬祭場に戻り
初七日法要をしておしまい、ということになりました。

宗教民俗学を習っていたり、大学院の修論も「葬送儀礼」
なんかしていたせいでしょうかね。
葬儀の流れについての説明も、
葬儀社の人から、早口で説明されても
葬儀の流れはすぐにつかめました。
お寺さんには、枕経のあとで、ストレートに
お布施の話をしました。
うちのお寺の場合、戒名料は不要で、お布施とお膳料だけでよい
ということでした。ただ葬儀当日はお坊さんもうおひとり来られるので
その方にお布施をお願いします、ということを伺いました。

ということで、初日はあわただしく終わったのでした。

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24. 06. 09

看取り

6月5日の朝7時過ぎ、父の施設から
電話がありました。「お父様が危篤状態になりました」
とのことでした。

その時間、いつものように仕事場に着いて仕事を
していたのですが,
急遽すべて「来週火曜日までお休み」の連絡をして、
仕事場の片づけをしました。
施設からは、その2日前から、
「このところ意識の
低下が激しいのです。
ただバイタルは通常です」という連絡が
入っていました。

その日から慌てて服屋に走って、夏礼服を買ったり、
帰省用の切符を手配をするとか、
すぐに帰れるように荷物をまとめておくとか
仕事関係も突然に予定変更があるので
その時はごめんなさい、という連絡をしておりました。
それで6月の8日くらいに帰る予定にはしていたので、
そうそう慌てることもありませんでした。

5日は急いで仕事場を出てアパートに戻って、
帰る荷物をまとめました。
午前9時過ぎでしたが、再び施設から連絡があって
「呼吸が停止しました。施設付きの
医師が向かっていますが、どなたか来ることができますか?」
という連絡が来ました。
とうとうその時が来た、ということでした。
間に合わないのでよろしく、とお願いして、
急ぎ荷物を持ってタクシーで新幹線の最寄り駅まで
行きました。

みどりの窓口で金曜の新幹線の切符を急遽水曜にしてもらい、
新幹線の特急券を、と思って時刻表を見たら、
なんと7分後にみずほが来ることになっていました。

よかった、と思いました。みずほはさくらと違って
停車駅が少ない最速達の列車だったからです。
博多・小倉・広島・岡山しか停車しないのです。
加えて岡山から10分で快速に乗り換えることが
できました。そのようなことで、12時半には
四国に着くことができました。
いったん実家に帰り、途中食事をしてから施設に行きました。
霊安室なのかなぁ、と思って行きましたが、
自室で居させてくれていました。

最期については、両親が元気な時に、話し合っていました。
母は「もう十分生きたからもうあれこれしないでよい」という
すこぶるあっさりしたものでした。
ただ父は最初は胃ろうをしてでも生きたい、と
申しておりましたが、処々方々にチューブをつながれて、
植物人間状態でもいい? 
という話をしたら、そこまでは嫌だ、ということでした。

それまでに息子の方もいろいろと文献を読んで
延命治療なんかやっても、それは本人のためではない、
単に家族の気が済むか済まないかの話であって、
延命治療など本人にとっては虐待以外の何物でもない、
ということを確認しておきました。
その際に参考にしたのが、講談社現代新〇の
「人はどう死ぬのか」という本でした。
看取り医として、多くの人の最期に接してきた
著者のお話が平明かつ詳細に書かれていて
参考にすること大の資料でした。

そこで延命治療は何もしない、ということにして
施設にも最期の最期になって入院させるとかは
しないで施設で看取り、ということをお願いしたい、
ということを伝えておきました。

今年の初めまでは、口から食べ物を何とか
入れていましたが3月くらいから食事を要らない、
と言い始めました。
それで、食べても吐くようになったりしました。

5月9日に、施設から連絡があって、
看取り状態に移行します、という報告がありました。
必要な水分については、点滴もしくはポカリスエ〇トを
凍らせたものを口に入れる程度と
いうことになりました。
それでもバイタルはあまり変動しなかったのです。
亡くなる4日前まで意思もはっきりしていました。
それが亡くなる2日前に急激に状態が低下して
最期は眠るように亡くなった、ということでした。

実際、部屋に行って顔を見てみますと、
穏やかで、まるで生きているような表情でした。
親子ってやっぱりなぁと思ったのは、
最期の顔を見ていたら、
父方の祖母(父の母)そっくりな顔になって
いたことでした。

苦しまずに、痛がらずに、最期を迎えられたので
あれば、良かったかなあ、と思いました。

 

 

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24. 05. 11

1日3か所行ったら、、

今日金曜だったのですが、病院の診察日だったので、
休みを取って行ってきました。
病院その1,腎臓のことを診ておいてもらいたかったので
(前回、診察してもらったのが5年も前なので)
泌尿器科に行きました。
何度か行っているところだったのですが、、
今、病院の待合室、診察室を改修していて、
臨時の施設で診察をしています。
一応予約をしていて、予約時間が10時ということだったのですが
名前を呼ばれて診察をしてもらったのが
10時50分でした。前にがんセンターで診察を受けていた時も
こんな感じだったなぁ、と思い出したりしました。
診察室でうつ伏せになって、超音波診断で腎臓を見て
もらいます。その後仰向けになって、パンツをおろして(!)
前立腺の状態を見てもらいました。
その後先生から診断結果のお話がありました。
腎臓は異常ありません。
思わずそこで、「先生、区別の助詞の(は)を使うのは
どういう意図があるんですか?」腎臓はまぁいいけど、他の
臓器に問題があるとか?」と思ったのですが
(変なところでこだわる国文科卒業生)

今回、診てもらったのは腎臓しかないですし、、
まぁそれが問題ない、ということですから良いのでせう、
ということで診察を終えたのでしたが、、
そこからお支払いまでにまた小一時間かかりました。
会計を終えて肝臓内科に行くのですが、
肝臓内科、午前中の診察は12時半までです。
今、12時。ゆっくり自転車を走らせたら、その病院まで
30分かかるので、おぢさん頑張って自転車をこぎました。
結果、12時15分に病院に入って、、
ぎりぎりで診ていただけました。(他に患者さんはいなかったので
こちらはすぐに診察になりました)
こちらも今のところ異状はない、ということで、、
それでも、会計が終わったのが、13時前となりました。

それから、その病院の近くの郵便局に
車の税金を払いに行きました。
郵便局、行ったら5人待ち、ということで、、、
ようやっと謙介の番が回ってきたのが、14時前。
車の税金の支払いなんて、、すぐだろ、と思っていたら
意外に時間がかかりました。


というのが、九州のこの辺の自動車の納税票と
四国の謙介の街の納税票が異なっているため、
どういう事務処理をしたらよいか不明な部分があって
どうも四国のほうに問い合わせをしていたようで、、
これまた結構な時間がかかって、、、
すべて終わって郵便局を出たら、15時を過ぎていました。

時計を見て、ああ、もう3時過ぎだ、とか、、、。

そんな大したことはしていないのです。
病院2軒回って、帰りに郵便局に行って帰って来た、
とまぁ、3か所行って帰って来ただけ
なんですけど、、

 

帰りに近所の岡田屋で買い物をして帰ったら、15時半ということに
なっていました。ベランダには西日が射していました。(もう夕方)
まぁ時間がかかるんだろうなぁ、ということで
休暇を取って一日お休みにしていたのですが、、
半日だけの休暇にしないでおいてよかったなぁと思いました。

 

病院って治療のために行ってるはずなんですけど
病院2軒回って帰ってきたら、微妙に疲れている自分がおりまして、、
病院に行くというのも結構なエネルギーがいるのだ、
というようなことを感じたりしたのでした。
でもまぁ、ひとまず異常は認められない、という
診察結果をもらえたことで、ホッとしているようなことでした。

 

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