いなかのせいかつ

17. 09. 17

嵐くる

今朝、起きた時、空は晴れていました。
え? 台風は? とか思いました。
外に出てみても、空は晴れていたので、
洗濯をして、干したりしたのです。

そのうちスーパーの開店時刻になったので
委佐子の店に買い物に行きました。
そうしたら、同じように台風の来る前に買い出しに、
という人が多くて、店はとんでもなく混んでいました。

そのまま、お昼まで晴れていて、洗濯はすっかり乾いて
しまい、ラッキーとか思いました。

それが午後3時過ぎになりますと、
雨がぽつぽつ降ってきて、4時には本降りになりました。
そのうち、午後5時頃になると真っ白になって
遠くが見通せないくらいの雨になって、、
土砂降りです。
土砂降りは5時過ぎから7時くらいまで2時間ほど
続きました。
午後7時ごろ、全国ニュースで、四国が台風で、、
と言っているころ、実は雨が一時止んでいました。
今から思うに、台風の目に入っていたのでしょう。
再び大河ドラマのはじまるころになると、土砂降り再開に
なりました。

そういうことでしたが、10時過ぎになると雨も小降りに
なって、おそらく、嵐が過ぎ去りつつある、ということ
なのでしょう。
こちらでは雨が相当降りました。

ダムの貯水率が、35パーセントくらいまでに
低下していたので、これで回復してくれたら、
なぁ、と思うんですけどね。

みなさまのところではどうだったでしょうか?
大きな被害が出ないことを祈るばかりです。

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17. 09. 13

地元をあちこち見てまわる(その3)

りかちゃん大学のところから、
海辺を通って、正憲さんのホテルのある街のほうへ
戻りました。

車を駐車場に置いて、
夕食の場所に行きました。
最初がイタリアンでお昼が創作野菜料理の店だったので
夜は郷土料理のお店にしました。

ホテルからほど近いビルの地階に最近できた
かどや、というお店に行きました。

さすが金曜の晩ですね。行ったら
入り口で数名待っている人がいました。
でもまぁ、そんなに待ち時間はかからない、と
踏んで、名前を用紙に書いて待ちました。
ものの5分ほどで、名前を呼ばれて
カウンター席に案内してもらいました。

この店は、もともとが県の南のほうの街にあって
その地では有名な店でした。それが今回、
県庁所在地に出店してきたのでした。

なので、郷土料理と言っても、県の南部地方の
お料理でした。

折角なので、その辺の郷土料理が
全部味わえる、という定食にすることに
しました。

Kadoya


右上の鯛の皿に鯛の細切りの切り身が入っています。
(本当は薄づくりでもいいんですけど、たぶん
量を減らすためにそうしたんだと思う)
それを右下に卵の入った甘辛いたれがありますが
それをまずかき回します。卵をほぐすわけです。

そうやってできたたれに鯛の切り身を浸して
おいて、お茶碗にご飯をよそいます。

よそったご飯の上にそのたれごと
鯛の切り身を載せていただく、
といものです。 別名がひゅうがめし、
というので、宮崎の辺から伝わったものでは?
とも思います。

左下の小皿にもお料理がありますね。
左から「ふくめん」です。
これはでんぷの下に糸こんにゃく(しらたき)
が入っていて、うえのでんぷをこんにゃくに
まぶしながら食べます。

まんなかが「ふかのゆざらし」です。
鮫の切り身を湯がいて冷やしたものを
からし味噌をつけていただく料理です。

鮫は淡泊な味でした。

右はしは「じゃこてん」
はらんぼ、という魚をすべて(骨も全部)
すり身にして揚げたものです。
食べるとちょうど「はも」みたいで小骨が
しゃりしゃりといいます。

カルシウムは取れそうですが、謙介は
歯にしゃりしゃりと骨が当たるのがあんまり
好きでなくて、、出されたら食べはしますが、
自分から積極的にスーパーに売っている
じゃこてんを買い求めて、ということは、、
ちょっとしません。


あ、でもおいしかったです。


ごはんもいただきました。
和食のお店を出て、ホテルまでお送りして
正憲さんとお別れをしました。

もうちょっと時間があったら、と惜しみながら、
お別れをしたのでした。

正憲さん、いろいろとありがとうございました。
またお会いできるのを楽しみにしつつ。

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地元をあちこち見てまわる(その2)

二日目は、お昼にホテルで待ち合わせです。

昨日と打って変わって快晴で、
しかも暑かったです。
車の温度計を見たら、車外の気温は32度でした。

まぁ8月に比べたら、多少は涼しくはなっていたのですが。
ちょっと前まで、連日35度とかでしたし。


車は近くの駐車場に置いて、
昼食に行きました。

お昼は、ホテルからほど近い
お野菜料理主体のお店「草草」
(そうそう)というお店に行きました。

Sohsoh

ここは野菜料理主体のランチが食べられるお店です。
謙介さん、ここでも料理の写真を撮るのを失念いたしました。

ご飯を食べたら、歩いてすぐのお城山に登ります。
登るたって、ロープーウエイで途中まで上がって、
そこから徒歩で登ったのでしたが、、

ロープーウエイの横には、リフトも併設されていて
どっちで上がっても同じだったのです。

Ropeway


この日はとっても暑かったので、
むき出しのリフトは止めて
ロープーウエイにしましょう、ということに
なりました。


お城山にあがる途中でも、
ずーっと民俗学の話とか沖縄の方言の話で、、
本当に話題には事欠きませんでした。

本丸に着いて、天守閣に登りました。

天守閣はさすがに眺望が良くて
市内が見渡せます。

四方の方角にある建物のそれぞれの
説明をして下りました。

行ったのは金曜の午後だったのですが
結構観光客が訪れていて、、
意外な人の多さにちょっとびっくりしたりしました。

駐車場に戻って、古い民家の街並みのある
ところにご案内しました。

高速道路を使ったら、そこまで30分くらいで
行けるのですが、高速道路のインターチェンジまで
行くのに、高速道路の所要時間と同じくらいの時間が
かかって、着いたら、やはり1時間くらい経過していました。


落ち着いた街並みの中を歩きます。
Img_2735
写真で見ていただいているように、
平日だったので、観光客の姿もあまりなくて、、

観光客が少ないので、大半のお店も開店していなくて
まぁその分街並みをゆっくりと見ることはできました。

Img_2736

古い街並みの地区の見学が終わったのが、
午後4時前でした。
最初時間が足らなさそうだったので、
行くの、どうしようか、と思っていたところが
あったのですが、、これなら行けそう、ということで、
そこに行ってみることにしました。

古い街並みの地区から、再び高速道路に乗って、1時間ほど
反対方向に走ります。

この街の中心部まで高速道路はまだ通じていなくて
南の郊外までしかありません。
そこから街の中心部まで、結構な距離を走りました。

JRの駅から、しばらくJRの線路沿いに走ります。
(5分くらい)そうしたら交差点がありまして、
そこを左に走らせます。
道は次第に上り坂に差し掛かります。
丘陵のまんなかにできた道をのぼりつめると、、
ありましたよーん。

りかちゃん大学獣医学部の建設現場で
ございます。
Img_2738
謙介の仕事場の隣の市にあるんですよ。
でもね、帰る方向とは真逆の方向なので
行く機会がなかなかなくて。

お客さんが来た時でもなければ
こんなところにわざわざ行くこともありませんし、、。

古い町並みとかお城や温泉なんかより、2017年現在、
国内的には、一番有名なところかもしれませんね。

謙介なんか今年の春には、両親と大阪の塚本に行った時に
↓に行きましたし。

Moritomo1


Moritomo2


それから再び謙介の仕事場のある街へと戻ったのでした。

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17. 09. 10

地元をあちこち見てまわる(その1)

うちのブログとリンクしてくださっている
清ら言葉 清ら心』の正憲さんが
謙介の仕事場のある街に来る、という用事があったので
会いましょう、ということになりました。

地元なんて、お客さまが来るようなついでが
なかったらあちこちなんてしません。

加えて謙介はお酒が飲めないので、
仕事帰りに盛り場に飲みに行ったり、
ということもありません。

市内の中心部なんて、年間に2回
(歓迎会と送別会)の時くらいしか
出かけないのです。なので、たまに
そういう盛り場に行ったら、行くたびに
新しい店ができていて、ここは前になんだったかなぁ、とか
思いながらあっちこっちいろいろと見てしまいます。

木曜日の晩に、正憲さんが宿泊していた
街の中心にあるホテルにお迎えに行きました。

この日は珍しく雨が一日中降っていました。
市内の中心部からちょっと離れたところにある
イタリアンのお店に行きました。

それがねぇ、このお店、大体が倉庫を改造したお店で、、
倉庫みたいな建物なので、最初気が付かずに
店の前を通り過ぎてしまっていました。

前に一度、仕事場の宴会で使ったことがあって
知っていた店だったんですけどね。
(だからここに来た、ということだったんですけど)

交差点まで出てしまって
(もちろんその手前にあったのですが)
あれぇ、ないぞ、と思って後ろを振り返ったら
ちゃんと目指すその店はありました。

何とか到着することができました。
Marubun

ここでトマトのサラダをいただいたり
地元野菜を使ったパスタ、瀬戸内の鯛を使った
ソテーをいただきました。
(話に夢中で、写真を撮る暇がなかったの)

食事の後、まだ晩の8時前だったので、
ちょっとドライブということで、謙介の仕事場を
案内したりしました。


謙介、正憲さんが来られたら沖縄の問題とか
民間信仰とか、それはそれは質問したい
訊きたい、と思っていたことが山ほどありました。

例えば辺野古の基地のことについても
マスコミで聞こえてくる報道でなくて
沖縄の地元の人は、どういう意識なのか?

たぶんマスコミの伝えない、実際の考え方、
というのがあるんじゃないか、とか思っていたわけです。

知事さんの言っている主張が、果たしてどれくらい
沖縄県民の意見を集約したものなのか?

知事さんはオール沖縄って言うんだけど、、
本当にそうなっているのか。
そういうことについて、ひとつひとつ
質問をしていきました。

やはり地元の人の意識と、マスコミの伝える
沖縄の間には相当の乖離があることを知ったのでした。

なぜか、辺野古にハングルで書かれた反対のポスターが
やたら貼られている、ということだったのですが、、
沖縄の人でなくて、外から来た人が反対運動をしている、
とか、反対運動をしている人が、勝手に道路で検問を
したりしている、という話を聞きました。

どういう権利とか理由があって、その人たちは
道路の検問なんかしているのか??
正憲さんも言っておいででしたけれども、、

そういうことも初めて知ったようなことでした。

そんなことで、話はあっちこっち飛びまくりでしたが
経過する時間が惜しいような夜でした。


それから、温泉のほうに下りて行って
その辺をぐるっと回って、ホテルまで
お送りしたのでした。

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17. 09. 06

歯医者さんその後

9月の4日の月曜日、
年休を取って、両親の歯医者さんの検診に
一緒に行ってきました。

予約の時間は12時でした。
オヤジはこの歯医者さんにずっと通っていたのですが、
オフクロは以前から通っている歯医者さんのほうが
なじみがある、とか言って、違う歯医者に行っていたのです。

ところがオフクロの通っていた歯医者さんが、
お医者さんが高齢になったとかで、
閉院してしまったのです。


そういうことでオヤジの行っていた歯医者さんに
行って診てもらう、ということにしました。

オフクロのいままで行っていた歯医者さんは、
自宅から距離も遠く、その歯医者さんが
閉院しなくても、近い将来には
オヤジの行っている歯医者さんのほうに
移ってもらおう、とは思っていたので
いい機会でもありました。

歯医者さんに行って、受付の方に
口の中全部診てみてください、
とお願いしました。


もちろん入れ歯の調子を診てもらう、
ということもありましたし、
謙介が一番心配していたのは、誤嚥の問題でした。
どの程度、飲み込む力があるのか、ということでした。


新聞の訃報欄なんか見ていたら、高齢者の場合
死因のところ、肺炎、というのが多くみられます。


高齢者の場合、飲み込む力が弱ってくるので、
誤嚥から肺炎になって亡くなる、
という人が非常に多いのです。


誤嚥を防ぐには、やはり定期的な口腔ケアが大切だと
栄養士の友達から聞いていました。
それが健康寿命を少しでも延ばすことにもなるでしょうし、、。


それで、一度歯医者さんに診てもらって、
のみこみの状態がどんなものか、ということが
知りたかった、ということがありました。


オヤジのほうの検診は、月に一度、
定期的に診てもらっているので
10分ほどで終わりました。


オフクロの場合はやはり初診でレントゲンを撮ったり
口の中のさまざまな検査をしたので、全部終わるまで
小一時間かかりました。

一番心配していた飲み込む力。飲み込む能力は
普通、ということで安心しました。
ただ、やはり入れ歯がずいぶん長らくメンテナンスを
していなかったので、もうダメになりかかっています、
ということでした。

そこで今使っている入れ歯に応急処置をしてもらって
その間に新しい入れ歯を作る、ということに
なりました。

とりあえず、今の口の中の状態が分かって
ホッとしました。

飲み込む力を復活させる口中体操を
習ったのですが、オフクロが
面倒くさがらずにしてくれるか、と言えば
非常に怪しいのですが、、、

うーん。

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17. 09. 04

変体仮名とかジアゾ複写機とか

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買い物をしたら、タオルをいただきました。
よく見たら、変体仮名が書かれていましたよ。

御 これはわかりますよね。

多 次の字は「多」の草書体で、読みは「た」

越 その次の字は「越」の草書体で、読みは「お」

留 でこれは「留」の草書体で「る」

で、まぁ「おたおる」と書いてあるわけです。


謙介は中学の時に母方の祖母から変体仮名の指導を
受けたことがありました。学校で習う「あいうえお」
以外の書き方のカナがあるのだ、ということを
それで知ったわけでした。

明治生まれの人は、変体仮名なんて、
常識、だったと思うのですが、
昭和の人間は、高校で書道を選択した人以外は
変体仮名なんて、、普通習いません。

でも変体仮名のよみを知っていたおかげで、
大学に入ってからかな書道を書くにあたって作品の
文字を解読するする時とか、
平安時代の影印本を解読するときにどんなに役に立ったか。

変体仮名の読み方を知っていたおかげで、
影印本に書かれた文章や和歌をすらすらと
読んでいくことができました。


影印本というのは、↓こんなやつです。

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国文科って、3回生になって、専攻を決めて
卒業論文を書く、という方向に持っていくわけですが、

その一方で、各時代の文学研究も
一通り修めないといけないシステムになっていました。

そういうことで
謙介の場合は
上代は古事記・日本書紀・万葉集・日本霊異記

中古は古今和歌集・伊勢物語

中世は徒然草・新古今和歌集・連歌

近世は上田秋成の作品(雨月物語ほか)

近代は夏目漱石

の授業をそれぞれ取りました。


そういうことで上代文学から近現代文学まで
すべて講読だの研究だのという授業を通して
学ぶ、ということはしました。

ただ近現代文学、と言っても、
今、生きている小説家というのは
研究対象に成り得ませんから
現代文学の研究の実際、というのは、
三島由紀夫とか川端康成くらいまででしたね。

国文科を持ってる大学なんか、卒論のテーマ一覧
とかいうのが研究紀要とかに載ってて、
それを見たら、今、生きている小説家で
卒論を書いている学生がいるの。


前にもここで驚いた、って書いたんだけど、
最近の学生の中に、「ムラカミハルキ」で卒論を書いた、
って言ってる学生がいるんですよね。


研究論文を書く時には、
その小説家のすべての作品を対象に
研究をしないといけないんですよ。

だからその作家が亡くなって、
すべての作品が揃ってはじめて研究というのは
スタートできるわけなんです。


ムラカミさん最近だって作品を出しているし、
これからもきっと書いていくわけでしょう?


指導教官は、どうして生きている小説家は研究対象に
してはいけない、とはっきり教えてやんないんですかね。


文芸評論と卒業論文とは違うよ、って
ちゃんと教えているんですかね??

謙介が学生のころは、そういう
現代文学で卒論を書こうとする学生がいたら、
「バカ」って言われて止められていましたけどね。

バカって言われて、恥ずかしい、という気持ちになるの。
そういう恥ずかしい気持ちだって経験しておかないと
学問の厳しさなんて、分かりませんよ。


で、謙介の大学の国語国文の授業は
先生の講義を一方的に聞く、というスタイルの講義は
非常に少なかったように思います。


最初、研究方法について先生から指導があります。
基本的な専門分野の文献はこれ、
この本とこの本はきちんと読みなさい。

「きちんと読む」というのは、ななめ読みでは
いけない。書かれた一つ一つの言葉の意味を
検討しながら読む、ということです。

それから、その本をもとに、担当個所の
言葉の意味を調べなさい。

出ている注釈書を全部当たって、その意味について
他の専門の人はどのように解釈しているのか
それを抜き出しなさい。

それから、あなたは、どう解釈するのか、
ということを考えて書いていきなさい。

というようなご指導がありました。

この方法を学ぶ授業が4月から6月くらいまであって、
研究方法を教わったら、後は、
それぞれが作品の分担個所を
決めて、その個所について、研究をしてくる、
というシステムでした。


指導教官は、学生が研究方法で行き詰った時に
話を聞いて、そのアドバイスをする
くらいでした。 いちいち細かいご指導はなかったですね。

学生は、1週間前までに各自の分担研究発表の資料を作って、
人数分印刷して、参加学生に資料を配っておかなければ
なりませんでした。

前の週に配って、授業を受けている学生にも、
そのレジュメを見てしっかり予習をしてきなさい、
ということでした。

もうどの授業もそういうスタイルだったので
勉強も発表づくりの資料を作るのも大変でした。

当時は、ワードプロセッサというものはすでに発売されては
いましたが、何せワードプロセッサのお値段がとてつもなく高くて、、。

当時のお金で1台300万円もしていましたし、
やたらでかいものでしたから(軽自動車1台分くらいの
でかさだった)
そんなものは誰も持っていなくて、みんな手書きでした。

その手書きの資料を複写して資料を作っていたわけでした。


で、あの頃も今のようなコピー機はあったのですが、
大学の演習室のコピー機は、ジアゾ式の複写機でした。

うーん。今の若い人なんて、ジアゾ式複写機なんて
知らないんじゃないかなぁ。

通称、青焼きとか湿式コピー、と言っていました。
どうしてかというと、複写した資料が青くなるからです。

こんな機械で、、。
Jiazo

まず、茶色の薬液を機械の中に入れるのです。

で、薄紙に書いた資料の下に、感光紙と呼ばれた
コピー用紙を重ねて、機械に通します。

すると機械の内部で光が出て、字の部分だけ影ができます。
そらにその影ができたものを薬液につけることで
化学変化が起こって、字の部分だけが
濃い色、字の書かれていない部分が薄い色
ということで出てくるのでした。

コピーされた用紙が、薬液に漬かって、半乾きの状態、
ちょっと湿った感じで出てくるので
「湿式コピー」とも言っていました。

だからコピーをした後、乾かす、という作業も必要でした。


出てきたものはこんなふうな複写になりました。
Aoyaki1


ちょっと紫がかった青い色のコピーだったのです。
だから青焼き、と言っていたのでしたが。


この湿式のコピー機があって、今のようなコピー機のほうは
紙が乾いたまま出てくるので「乾式コピー」とか言われていました。

どうして湿式のコピー機を使っていたか、といえば
1枚当たりの複写の価格が湿式のほうが安かったのでしょうね。
大学の発表の資料は、もっぱら湿式のジアゾ式でした。

発表資料の原稿は、
薄いトレース紙のようなものの上に2Bとか3Bの鉛筆で発表資料を
書きました。 ペンで書いてはいけません。

書き間違った時に字を直せないからです。
修正液で塗ったりしたら、修正液を塗った部分だけ
陰になってしまいますから。

それに、感光紙に反応させるには、
濃い鉛筆で書かないといけませんでした。
筆圧の弱い女子が、しかもシャーペンなんかを使って書くと
薄くて何を書いているのだかわからない、
ということになることが多かったです。

筆圧の弱い女子が、シャーペンで書いた資料を
複写して、字が読み取れないような資料になりました。

「こんなレジュメ、何を書いているのやら、
ぜんぜんわからへんやないか!
あなた、自分でこのレジュメが読める? 
自分かて読めへんのに、他人がわかるわけないやないか!」
と修士の院生から散々文句を言われて、、
泣いていた子もいました。

ジアゾ式のコピーって、大きいものを複写することが
できましたから、よく設計図なんかをコピーすることが
ありました。
Aoyaki2

感光紙って、使う前に光を感じてしまったらもう使えませんから、
普通の紙袋の内側に黒いビニールを張った
二重構造の紙袋の入って売られていました。

内側にビニール袋を張っていましたから、
紙袋が雨に濡れたって、袋の中身は全然濡れませんから
結構使い勝手がよくて、感熱紙の紙袋、結構みんなで
奪い合いをしていた、ということもありました。

いまどき、青焼き複写ってあるんですかね。
そんなことをちょっと懐かしく思い出したりしたのでした。


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17. 09. 02

通院予約

9月になりましたが、謙介の住む周辺は、
相も変わらずの暑さです。
せみも鳴いていて、、。

東日本はともかく、こちら方面は
連日35度とか、37度という日もあって、
夜は当然で熱帯夜ですし、、
例年通り、というのか、夏らしい夏でした。
中・長期の予報を見ると、9月も連日暑いという
話です。

さっき委佐子の店に行ったら、
ビール売り場、一斉に秋の新商品になっていました。
ビールの消費量ですが、最近はビールの消費量が
ものすごく落ちているんだとか。(気候に関係なく
好みの問題で)

知り合いに「吾妻橋のうん○館」のビール会社に
つとめているのがいるのですが、「売れへんねん」
と言って相当に愚痴っておりました。
今年の夏なんかこちら方面は暑かったので
「売れたんやないの? 」と聞いてみたら、
「全然あかんねん」ということだそうでした。
「全然あかん」の程度がどれくらい、なのかは
知りませんが、、やはり人口減少社会ですし、
好みの多様化、ということもありますし、
先々難しいのでしょうかねぇ。

           ×       ×

先週の土曜日は、両親の2か月に1度の通院日でした。

オフクロのほうはこの日、MRIと諸検査があったのでした。
待合室で待ちながら話をしているうちに
歯医者の話になりました。

オヤジが来週行く、と言っていたので、
オフクロも一緒に診てもらったら、と言いました。

新聞の訃報欄とかをよく見るのですが、
やはりお年寄りは「肺炎」で亡くなる人が多いですね。
おそらく誤嚥から、肺に変なものが入って、
それで肺炎になって亡くなる、ということじゃないか、
と思うのです。
日ごろの口腔ケアは非常に大切だと思っています。

やはり口から食べ物を食べる、ということが
ものすごく大切ですよね。

生物学的にただ単に
口から栄養を入れる、というだけでなくて、その
「食べる」という行為が、生きている、という
実感につながると思うのです。

そうした時に口の中を診てみらっていて
こまめにケアしておくことが、やはり必要なんじゃ
ないか、と思っているのです。

それで歯医者に連れていこうと思ったのでしたが、、
オヤジのいつも行っている歯医者に連絡したら
とんでもないことがわかりました。

「5月に行くことになっていたのを、忘れたかして
行っていなかった」ということでした。
まぁ、これはたまにあることなので驚きませんでしたが、、。

本人は来月行くと言っているのですが、、
ということで予約の確認をしてもらったところ、、
予約は入れていない、ということでした。
オヤジに聞きました。
「予約入れてない、って病院の人が言うてはるえ」
そうしたら、
「予約なんかして行ったことがない」というのです。
「どうやって行ってんの?」と聞いたら
「行きたいときに行っている」
「お医者さん何も言われへん?」
「ちょっと待ってね、と言って診てくれてる」

その歯医者さん、オヤジと古い付き合いなのだそうで。
歯医者さんが、大学を卒業して、公立病院の歯科医
だった時から診てもらっていて、もうかれこれ25年の
かかっているのだとか。

うーん。
おそらくは、この歯医者さんに顔パス予約なしの通院、
という方法で日常的に行っていたのだと思います。
お医者さんも、「もうあの人はそういう患者さん」という
ことで対応してくださっていたのでしょう。
「付き合いも長いし、あの患者さんは仕方ないか」
というところだったのでしょう。
最近の言葉で言えば「忖度してくださっていた」のでしょうね。

改めて予約を取り付けて、あさって月曜日、
2人を診てもらうようにしたのでした。


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17. 08. 18

毎日暑いです

謙介の住んでいる地方では、
今年は梅雨が短くて、その結果として
暑くなるのがえらく早かったです。

例年だったら、7月の末くらいからエアコンを稼働させるのです。
冷夏の年なんて、8月に入って、ようやっとエアコンの稼働開始
という年もありましたが、今年は7月に入ったらすぐに
エアコンを動かしました。

こちらは毎日太陽の光がさんさんと降り注ぎ、
気温だって、連日35度前後にまで上がっています。
風もそよとも吹いてくれないし。

全国の天気予報を聞いていると
「今年は太平洋高気圧の張り出しが弱くて
西日本の一部だけに張り出しています」
とか言っているのですが。

こちらはその「西日本の一部だけ」地方なので
例年通り昼間は35度以上になったりするし、
夜は当然のように熱帯夜の、ごく例年通りの暑い夏なのでございます。

寒い寒いとお嘆きの向きは、
こちらにいらしたらどうでしょう。

とはいいながら
なんだかんだ言ってるうちに16日が過ぎてしまいました。
16日は、やはり京都の五山送り火を思い浮かべます。

たまに大文字焼とか言っている人がいますが
あれは大文字の送り火であって、
大文字焼とかいうような行事ではありません。
(特に京都の人間は、その言い方にうるさい)

大文字、 妙法、 舟形、 左大文字、 鳥居

と五つの送り火が午後8時から、
それぞれ時間差をつけて、薪や願いを書いた
お札が焚かれます。

そして送り火ですから、どんなどしゃ降りの雨になろうが
送り火の行事はいたします。


あの送り火とともにお盆の間にこちらに来ていた
亡くなった人の霊が、あの世に帰って行く、と
されます。 
そういう意味の行事ですから、雨が降ったって
絶対にやります。


お盆の時期、この
送り火を目当てに京都を訪れる人も
多くて、そのために京都のホテルは
特別料金になるんですよね。

あの大文字の字を作った人、正確には誰なのか、
は分かっていませんけれども、
いつもあの「大」の字を見るたびに
字の形にほれぼれとします。

Parkway554


一画目の横画と、次の左払い、右払い、
それぞれの微妙な長さの違いが出ていて
そのために字がどっしりとしていて、
字の形もとても美しい上に、安定感があります。

ちょっと前から奈良でもやっていますが、
奈良の「大」の字、誰が各画を布置したのでしょうかねぇ。

Hq720

左払いと右払いがだらだらと長すぎるのです。

その結果、なんだかしまりのない字になってしまっていて、、
残念です。

大文字の送り火が終わって、地蔵盆が終わると、
もう夏休みも終わりです。
お子たちは夏休みの宿題制作のラストスパートでしょうか。

謙介の仕事場は、8月は忙しくて、、、
夏休みは例年9月に入ってから、取る、というようなことですね。

去年は忙しくて、夏休みを取れませんでした、、。
今年は、、同僚と、仕事ばかり忙しいので、、
少しは休みましょうね、とか言っているのですが、、
果たしてどうなりますことやら。
みなさんの夏休みはいかがでしたか?


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17. 08. 14

アカウント変更

きょうは最初に「はんとうもんだい」の
やれやれな話2つです。

謙介の住んでいる辺を金テジがミサイル飛ばして
グアムに落とすぞ、とかいう予告をしたので
急きょ、PACKⅢが配備されました。

そのPACKⅢの置かれた場所の隣に
謙介の通っている病院があるわけですよ。


最近では、ここいら辺の自治体でも
ミサイルが飛んできた場合に備えて
避難訓練をしたりしています。

日本人が平和ボケなんだ、と言われたら
それまでなんですが、こうやって、事態がどんどん
変な方向に流れていったりしないんでしょうかね。
これがひとつ。


それから、奈良の東大寺法華堂に
ハングルで名前と何か目玉模様を彫った
パボの事件。
 
イムジェヒョンだって。
イムは漢字で書いたら「林」ですね。


何せ名前を彫っているわけですし、
入国管理記録を見たら、簡単にこの林某氏の
身元は割れるでしょう。

この林某、この建物が、国宝だとか、
大切な建物なのだ、という意識なんてまったくなくて、
イルボンにわしはやってきた来たのだ、
その記録を残してきたのだ、どうだ偉大なことだろう
という意識だけでやった、ということなんでしょうねぇ。

やがて捕まったら、
最初は居直って抗弁するかもしれませんが、
そのうち、
「そんな立派な建物とは知らなかった」
「軽い気持ちでやった」とか言うんでしょう。
涙ながらに許してくれ、とかいう展開ですよ。

そんな立派な建物とは知らなかった、と言っても、
東大寺の法華堂なんて、世界遺産ですし
ハングル版のガイドブックにも
出てくる建物ようなですよ。

「ちょんひょ もるらった」(全然しらんかった)
って言って済みますかね。

「あんた、大韓民国国宝第一号の
ソウルの南大門に同じことすんのか?
慶州の仏国寺にもそういうことすんの?」
って聞いてみたいですね。

やれやれ。


今日のお話はもう一つやれやれ、というお話です。


先日、お昼休みに私用のメールをチェックしていたら
「熱帯雨林」からのメールが来ていて、あけたら
アカウントを変更しました、ということでありました。

アカウントなんて変更する手続きなどは
していません。
ということは、誰かが勝手に謙介のアカウントを乗っ取った
ということなのだと思いました。
メールが来たのが、11時50分で、
謙介がメールを見たのが12時3分でした。

熱帯雨林にメールを送ってちんたらちんたらやっていたのでは
その勝手に変えたヤツが買い物をしまくって
困ったことになってはいけませんので、
即電話いたしました。

アカウントを勝手に変えられた、
ということを言うと、本人確認に入りました。

電話番号の確認から入ったのですが、、
はて、どの電話かと思いました。
仕事場の街のアパートの電話を言いました。
違う、ということでした。
次に実家の電話番号を言ったら、
やはり違う、とのこと。
最後に仕事場の電話番号を言ったら
どうもこれだったようです。

次に、最初の登録アドレスと書き替えられたアドレスを
言いました。アルファベットを言葉だけで言うのって
本当に骨が折れました。
でも何とかクリアです。


次に使っているクレジットカードの
最後の4ケタの数字を言いました。
すると、熱帯雨林のおねいさん、
「違う」というのです。
どうも人のアカウントを乗っ取ったやつは
クレジットカードの番号を自分のものにしていたようです。

どうしてアカウントを乗っ取った上に
カードの番号まで変えてしまったのでしょう?
そんなことなら、乗っ取りなどせずに
自分のアカウントを作ればいいのでは?
と思ったのですが、、。

それは勝手に変えられたのです。
自分の使っていたカードの番号は
これこれで、こういう番号でした、と言いました。

そこまで確認ができると、
おねいさんの手におえないと思ったのでしょう。
詳しい人に代わる、ということで数分待たされて
今度は男の人になりました。

待たされていた間に、おねいさんからの申し送りが
あったのかと思ったのですが、
そのおにいさんあんまり状況を理解していないようで、
最初から、もう一度説明しなおしました。
それでアカウントの閉鎖をお願いしたい、と言いました。

でも、そのおにいさん、まだ理解していなかったみたいで
こんなことを言うのです。
「そうしましたら、ご登録のアドレスのほうにアカウントの
閉鎖の手続きのメールをお送りします、と。

それはいけません、と謙介は言いました。

そんなことしたら、乗っ取ったやつのところにメールが
届くではありませんか。それが困るからアカウントの閉鎖を
頼んでいるわけですよ、と言ったのです。

ここに至って、ようやっとおにいさん、全貌を把握したようで。
「そうしましたら、PC画面で手続きをいたします」ということになりました。

「ゆんで」にでんわ、「めて」にきーぼーどですよ。
それでアカウント廃止のところ、オッケーをクリックして
手続きを終了しました。

熱帯雨林って
たまに本を買うくらいしか使っていませんでした。

依存度もそう高くなかったので、面倒なことが
起こる前にさっさと閉鎖してしまったのでした。

すべて終わったのが12時50分。
5分でお弁当を食べて、仕事に戻りました。
おらの昼休みを返してくれ。

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17. 08. 04

世間のもんだい

毎年、夏と冬に友達の妹さんあてに
うどんを送っています。

その友達はもう24年ほど前に
難病で亡くなったことに、なってはいるのですが、、、、。

謙介ね、人の死って、誰かがその人のことを覚えていて
その人のことについて、話をしたり、気にしたりしている間は
決してその人は死んではいない、と思っているのです。

彼は今も謙介の中に居て、時々やってきては、
にやにや笑いながら、きっつい皮肉を言って
またどこかに消えていくのです。

時々、あいつが生きていたら、どんな対応をしただろうか、
とか思うこともあります。

それで、8月にはお盆のお供え、12月は9日が命日なので
そのお供え、ということで送っているのです。

毎年、送り状に住所やら宛名を書きながら
「意地でも忘れへんぞ」と思うのです。
そうしたら、奴が脳裏に出てきて
「よう覚えてたなぁ」というのです。
「あたりまえじゃ」と言ったら、
「ふふふふ」と言いながら消えていくのですが、、、、


そしてその返礼で、妹さんからは
神戸のハムが届くことになっています。

届いたころに、電話があってひとしきり
話をするのです。

最近夢に兄が出てきーへんので、
こりゃ快調、と思って安心していたら、、

「つい、先日出てきやって、
ぶーぶーひとしきり文句を言わはって
帰っていきましたわ」

「怒ってはったんですか?」

「まぁ生きてた時から、兄はなんや訳のわからへんことで
怒りやったりすることがあって、、、。」
「まぁ相変わらずにいちゃん快調、ということなんやろねぇ」
というような話をしています。

それで、その妹さんは、幼稚園の先生をしています。
お住まいが大阪の淀川区の西三国なんですけども、
勤務先の幼稚園は塚本のほうです。


ということは、昨今話題の○友の幼稚園の
近く、ということでもあります。


でまぁここで世間の問題、ということなんですが。

それで○友の幼稚園は閉園になりましたね。
ということは、たちまちその園に通っていた園児たちは
幼稚園が無くなってしまった、ということになりました。

なんでも大阪市が、○友の幼稚園の近隣の
幼稚園・こども園・保育園に、○友の園児を
受け入れてくれへんやろか?
と聞いてまわっているのだそう。

だけど、どこの保育所&幼稚園&こども園も
定員一杯で、そのうえさらに、受け入れる余裕なんて
ありませんわ、というお返事だったとか。

そうしたら大阪市、「もうなんでもやりまっさ。
人が足りへん? そうしたら、先生を加配します。
こちらで加配要員も手配しますさかい。」
とのお言葉で、、、

もうなりふり構わず、という感じなのだとか。
そうでなくても、昨今幼稚園・保育所に入れなくて
待機児童の数が問題になっていますから、
余計に神経を使う、ということなのでしょう。

あ、それと、それに関連してもうひとつ。

りかちゃんだいがくじゅういがくぶのできるとか
できないとかで揉めている、今○市。

友達の家の近くに市長の実家があるのだとか。

というのも、市長さん、この市の属している島の出身で、
平生は市の中心部の家に住んでいて、
時間があるときに島の家に帰る、
ということをされているようです。

この人、もともとのおしごとは薬剤師なんですけどねー。

先日、その島の家に帰っている市長を見たら、
もうとてつもないやつれ果てた姿で、、
ぱっと見、市長とは気づかなかった、
そこいらにいるおじいさん、という感じだった、
とのことでした。

この市長さん、今年の1月に選挙があって
3選目の任期に入ったばかりなのですが、、
任期最後までできるんやろか? というのが
友達の感想だったそうです。

何度かここで書いていますが。
今、その○治市は、借金が900億円あります。
で、今回、このりかちゃん大学の誘致については、
いろいろとりかちゃん大学にお金を融通することに
なっているそうです。

もちろんそれは税金です。
加えて、まだ決まってはいませんが、
議会で承認されたら、
県のほうからも数億円規模のお金が
りかちゃん大学のためだけに支出されるんだとか。

すったもんだあって、結局、議会で通って
お金はりかちゃん大学の補助に使われるんだろうなぁ、、。
若者の定住化に伴う、街の活性化とかで。
この問題はこれからもずーっと見ていきたいと思います。


地元でもこのりかちゃん大学、学生が集まるか?
と危惧していますし、りかちゃん大学の教職員も
無理でしょう、と言っています。

もし、こけたら、後に残るのは○治市の借金です。

今の900億の借金がさらに雪だるま式に
増えるのは間違いない、ところです。

どうなるんですかねぇ。

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