おでかけ

17. 12. 25

師走・京都にて(その5)

清荒神のとなりのとなりの駅が中山寺。
ここにある中山寺も真言宗の十八本山のひとつです。

Nakayama

さっきの清荒神と違って、中山寺は駅のすぐ近くに
あります。駅から300メートルくらい。近い近い。

Nakayamadera1

ということで、駅からほんのひと歩きで、
中山寺に到着です。
Nakayamadera2

中山寺は安産、名づけ、子どもの育ちに霊験がある、
ということで、妊婦さんとか、小さい子ども連れの人の
おまいりをよく見ました。
妊婦さんのおまいりが結構あるので、エスカレーターが
2基あって、稼働していました。
Nakayamadera3
さすが都会にあって、参詣の人のニーズに敏感な
お寺経営ですよね。
おまいりをして、ご朱印をいただいて、阪急の駅に戻りました。
この後、京都に戻ることにしていました。

中山寺駅に行ったら、ちょうど梅田行の急行が来たところでした。
電車に乗ったら、結構空いていて、席に座ることができました。
途中、十三まで来たのですが、十三で河原町行の特急に乗ったとして
絶対に座れない、と思ったので、終点の梅田まで行くことにしました。

梅田で、宝塚線から京都線特急の乗り場へ移動して、
特急に乗り換えました。
さすがに、始発ですからねー。
ちゃんと座れました。
電車は5分ほどして出発しました。
烏丸で電車を降りました。
1216shijyo

四条通を東に歩いて、大○の地下で、
両親へのお土産を買いました。
それから御幸町の通りを北に上がって、錦に出て
錦から寺町に出ました。
寺町の鳩居○で、仏壇用のお線香を見て、
それから市役所の前に出ました。
市役所から二条通りを東に行くと、
仏教書の貝葉(ばいよう)書院があります。
ばいよう、とは、ばいたらよう、のことで
仏典をこの「ばいたらよう」に書いて、仏教の教えを
広めた、ということで、
その故事から付けられた名前なんでしょうね。
Baiyo
謙介の大学は、国文科の卒論は和綴じにして
提出しなければならないことになっていました。

和綴じをするのが面倒だという人は
この貝葉書院に頼んだら
和綴じに仕立ててくれるよ、
ということで、ここに頼んだ人も結構いました。

ここに頼むとさすがプロの技で、本当に
きれいで見栄えのよい和綴じの装丁が
出来上がっていました。

謙介はそれに比べたら、不細工ではありましたが、
自分で和綴じ製本をして提出しました。

和綴じの仕方は、幸いなことに
アルバイト先で教えていただいて、
知っていたので、それで作りました。

貝葉書院の前を通ると、以前はホテルフジタ、
だったのが、今はリッツカールト○京都に
なっています。まぁホテルフジタだろうが
リッツカールト○だろうが関係のない世界ですけど(笑)

で、りっつのお隣は鴨川でございます。
要するにりっつは、リバービユウ、というホテル
なんですね。
鴨川の河川敷に下りて、北に向かって歩いて行きます。

Kamogawa
この鴨川の河川敷、って、
謙介の思う京都らしい風景だと思うんですけどね。
北東には比叡山が見えますし、北山の雪景色も
見えますし、、。お散歩する人、ジョギングする人、
高校の野球部のランニング。 地元の人は
結構走っていますが、、観光客は皆無。
荒神口まで上がってきて、荒神口通に上がって
かもがわカフ○に行きました。
Cafe1

カフェは2階です。 この日のお昼ご飯は
ロールキャベツ、ジャガイモのグラタンにごはん、
中国茶か、カレーでした。
Cafe2

外から見ているとこじんまりとしているように
見えますが、中は結構広いのです。
Cafe7

カフェの書架には美術書、歴史書、文学書が配架
されているので、ごはんのできるまで、そこの本を取って
読んでいます。
Cafe8
お客さんがあとからあとから入ってきて
お店の人は対応にてんてこまい、という感じです。
ちょっと時間はかかりましたが
本を読んでいると、そう時間がかかった、
という感じもせず、、。

ごはんがまいりました。
Cafe3

さっきお客さんがあとからあとから、と言いましたが、
ごはんが充実していますし、雰囲気もいいので
そりゃお客さんが来るよなぁ、と思いました。
ごはんをいただいて、お茶をいただき、お店を辞去しました。
もう一度鴨川の河原に出てみました。


Kamogawa3

荒神橋は欄干を工事中でした。
Kamogawa4

荒神口通を西に行き、
河原町通りに出て、
丸太町河原町の交差点を右折して、寺町に出て
寺町を南下しました。
途中三月書房で本を眺めて、、
市役所前に出ました。
この段階で午後2時でした。
帰りのバスが、午後2時50分です。
あ、ちょっと急いだほうがいいかなぁ、と
思ったのですが、、。


寺町を三条まで下りて、
三条通りを西に行きました。
その間、三条の郵便局に寄ったりしながら
烏丸三条に出て、南下して四条烏丸まで。
地下鉄の四条の駅の中にある
志津○でパンを買って、地下鉄に乗りました。
2時40分に京都駅に着きました。

京都駅の中のコンビニでコーヒーを買って
バスターミナルに着いたのが、2時45分。
バスに乗って5分ほどでバスは出発しました。

ということで、今回の京都行のお話はおしまいです。

すいません。

京都らしい観光地があまり出てこない話で。(笑)
まぁいつものことですが。

長々とお付き合いくださいまして
ありがとうございました。

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17. 12. 24

師走・京都にて(その4)

翌日は、6時に起きまして、、、
朝食をさっといただいて、忘れ物は? と
確認をして、7時40分に出発しました。
本当は8時半に出たかったのですが、
テレビでパイプオルガンの演奏会の番組を
していたもので、、
ついついそれを見てしまって、、。

ホテルから15分ほど歩くと阪急の中津駅に到着です。


どういう駅かは、当然知ってはいるんですけど、、
いつ見ても、ぼろい、なぁ、、。(笑)
どこから入るかと言えば、写真の右のほうに人が
写っているでしょ。その後ろの通路を奥に入っていくと
右側に駅にのぼる階段があります。そこからです。
Nakatsu1
中津の次は梅田なんですよ。片方は阪急随一のターミナルで
ピカピカの駅なんですけど、、その次の駅がこんなです。


最近、駅にホームドアが順次つけられていますが、、
この駅にはドアの設置は無理ですねぇ。

ホームの幅が↓これだけしかありません。
Nakatsu2

電車が来ました。お下がりください、って言われて
下がったら、ホームの反対側に落ちやしないか、と
心配です。  両方から電車が来たらどうすんの?とか。
でも、これでホームドアをつけたら、
どこを歩いたらいいのでしょうか。(笑)
Nakatsu3

中津駅は宝塚線と神戸線の電車がとまるのですが
京都線は中津は止まりません。

京都線は梅田を出たら十三です。
この日、謙介は宝塚線に乗るので、
ここから乗りました。

運よく5分ほど待ったら、雲雀丘花屋敷行の
各停が来ました。 十三で急行に乗り換えようかとも
思ったのですが、雲雀丘花屋敷まではこの電車が
先着ということだったので、そのままこの電車に乗って
行くことにしました。
中津ではまだ乗客が少なかったのですが、
十三からどっとお客さんが乗ってきて、、
結構混んでいました。
ですが、途中、豊中とか、岡町でずいぶん下りて
雲雀丘花屋敷駅に着くころには元の閑散とした
車内に戻っていました。
Hanayashiki

ここから後続の宝塚行の急行に乗り換えて、、
清荒神駅に到着です。
Kiyoshi1
清荒神まで何をしに行ったのか、と言えば
謙介、2014年に高野山に行って以来
真言宗十八本山の御朱印を集めることにしたわけです。
この清荒神清澄寺も、その本山の一つで
ご朱印をいただきにきた、ということでした。
阪急電車の清荒神駅を出て、参道にむかって
歩き始めます。
Kiyoshi2

ひなびたアーケードがところどころにあります。
Shouenngai

清荒神ということですので、鳥居があります。
Torii

阪急の清荒神駅から約1キロ、時間にして15分くらい
緩やかな坂道を上っていくと、
清荒神清澄寺に到着します。
Koujin11


清荒神は、日本の宗教形態を如実にあらわした、
というのか、神仏混淆が何の違和感もなく
自然に両立しています。
それを変とも思わない。(笑)

それに真言宗は、空海の言葉もあって、
神道と共存することで
発展してきましたからね。

その点、同じ仏教でも浄土真宗は
神社というものを否定します。
浄土真宗は神社に参詣してはいけないのです。

で、こっちは荒神さんの境内。
Kojin12

どう見たって神社ですよね。

これは厄除けの火箸の納所です。
Koujin2


で、納められた火箸がこんなふうに
積み上げられています。
Koujin3
前厄の年にいただいて、3年間おまつりして
厄があけたら、ここに納めるのだそうで。


おしゃれなお札授与所。
Koujin4


その向かいに昔の授与所だった建物が
ありました。おそらく以前はこっちだったのでしょうが、、。
そこに放送室、という看板がかかっていました。
何の放送をしているのでしょう???
Koujin41


で、さっきは左側が神社部門だったのですが、
正面はお寺部門。

Koujin1


ご本尊は大日如来でした。
おまいりをして、ご朱印をいただき、
もと来た道を戻ることになりました。

ここの参道を歩いていて、
他所とちょっと違うなぁ、と思ったのが
やたらめったら「占い」のお店があったことです。
それもお寺に近づくにつれてあ、またあった、
あ、ここにもあった、という感じであちこちにありました。

ちょうど通りがかったのが朝の9時半くらいでした。
やっぱり10時くらいにならないと開かないのでしょうかね。

実は30年くらい前に一度、この清荒神に来たことが
あったのです。その時は、車で来ましたし、
自動車の駐車場から清荒神清澄寺までは
そう距離を歩かなくてもよかったので、、、
すっかり忘れてしまっていました。
鉄斎美術館に行ったのは覚えていたのですが、、。
(今回は年末休館とかで見学できませんでした)

すっかり忘れてしまっていて、、
清荒神に行った、という事実は覚えていたのですが、、
境内の様子は忘却の彼方で。(笑)

まるで初めて来たようだ、と思いながら
阪急の駅に戻ったのでした。
今日はここまでといたします。

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17. 12. 22

師走・京都にて(その3)

大悲閣を辞去して、再び山を下り、
阪急嵐山駅に向かいました。
渡月橋のたもとまで来ると、再びたくさんの人の流れが
あって、、さっきまでの静寂とは全然違った嵐山の貌が
そこにありました。

もうずいぶーんと以前、
運転免許の学科試験を受けに行くとき、
嵐電で嵐山に来て、渡月橋を渡って
阪急の嵐山から長岡京まで行ったのでした。
11月の早朝のことで、もう結構寒かったようなことを
このホームに来て思い出したりしました。
Hankyuarashiyama1

しかし、それにしても外国人が増えましたねー。
謙介の横に居たのは、韓国人の学生風の5人組でしたし、
その向こうに居たのは、広東語を話す中国人グループでした。

まぁ、天下の京都の嵐山ですから、外国人観光客も
多くて当然といえばそれまですが、
以前はこれほどまでに外国人がいた、
ということはなかったように思います。
いたとしても欧米系の白人で、
横で、桂から河原町までの乗り換えを調べているような
韓国人の男の子なんていなかったように思います。

よっぽど「アジョシが教えてあげようか?」とも
思ったのですが、いきなり韓国語で話しかけて
警戒されてもなぁ、と思って(前に韓国人のグループに
話しかけて、えらく敬遠された経験があったので)
黙って様子を見ていました。

そのうち桂行の電車が入ってきました。

桂で、その大学生たちは河原町行きに乗ったようでした。
謙介は逆方向の大阪梅田行特急に乗りました。
平日の夕方でしたから、結構電車は学校帰りの人たちで
混んでいました。

電車は長岡天神、高槻市、茨木市ととまって、
淡路に来ました。ここで特急を降りて、
後から来た準急に乗り換えです。

淡路の駅は、謙介が大学生だったウン十年前から
もう高架化工事をするするするすると言っていて
オオカミ少年みたいなことで、ずーっと掛け声ばっかりで
していなかったのですが、ようやっとちゃんと工事が始まりました。
なにせ、ここは、京都方面、北千里方面、堺筋方面、梅田方面
と4方向の電車が頻繁に発着するので、その電車の信号の
やり取りがものすごく大変だ、と新聞記事で読んだことが
ありました。
それがもう謙介が大学生のころの朝日新聞でしたからねぇ、、
今やもっと大変でしょう。

そうして21世紀になって、ようやっとその工事が始まって
目下やっているところです。
今は平面の淡路駅ですが、完成の暁には、高架の
立体構造の駅になるのだとか。
ですから、逆に言えば、平面の淡路駅は
今のうちに見ておかなければ、ということになるのです。

Awaji

ほどなくしてやってきた梅田行の準急に乗って、次の南方で降りました。

ここから5分ほど歩いて大阪地下鉄の西中島南方駅に移動します。

Minamikata


ホームに出ると、北大阪急行の新型電車が入ってきました。
Kitakyu

そして次の中津で降りました。
ここのホテルを取っていたのです。
というのが、この中津の対岸の三国に友達の家がありまして、
そこに行くことになっていたのです。

一度ホテルに行って、チェックインを済ませて、
彼の家に行きました。
妹さんが迎えてくれました。
実は彼はもうこの世のにはいません。
今年が25回忌になったのでした。

このブログでも何度か書いたことですが
彼は現代の医学では治療法がまだ見つかっていない
難病で、、血液中の血小板が非常に減少してしまう、
という病でした。
その病気になったのが、18歳で、ずっとそのために
入退院を繰り返し、最期は森之宮の国立循環器センター
で亡くなりました。
最後のお見舞いに行った時はすでに硝子戸の
向こう側とこちら側に隔たって話をする、という
ことになっていました。

彼が亡くなった、という電話をもらって、
あの寒い12月の9日に大阪まで出かけたことを
昨日のように思い出します。
そして、謙介と恩師の二人だけ、大阪北の斎場まで
来てほしい、ということで、一緒に行って、
最期の最後のお別れをしました。

誰か一人でも、その人のことを覚えている限り、
その人は死んだことにはならない、という言葉が
以前に新聞に載っていました。

自分が生きている限り、
決して彼のことは忘れないつもりです。

妹さんが、「時々夢の中に出てきて、やっぱり
文句ばっかりいいやるんです」
「あははは。 大体が文句の多い奴だったしねぇ。」
というような思い出話をして、ホテルに帰ってきたのでした。

折角大阪に来たので、ミナミにでも出てみようか、
と思いました。

幸いに御堂筋線の駅の近くでもありますし、、。

ということで、中津から、心斎橋まで地下鉄に乗って
出ました。

Shinsaibashi2

地上に上がって改装中の大丸の南端を左折して
東に少し歩きますと、明治軒という洋食屋さんがあります。

Meiji2

大阪では有名な洋食のお店です。
戦前からのお店ですが、老舗、
という感じはなくて、至って気軽なお店です。

いまどきの大阪はどこもかしこもやはり外国人が多いのですが
ここはさすがに、そういう人はいませんでした。

心斎橋でもナイ○とか、アディダ○とか
ドラッグストアとかの
お店に行くと外国人がわんさかいますが
こういう地元の人御用達のお店に行くと
外国人は少ないように思います。

ここで謙介が食べるのはいつもこれです。
オムライスと牛串のセット!
Meijiken01
この牛串が本当においしい!
謙介の大阪、というのはまさにこれで、、
この牛串をいただくと、ああ、大阪だぁ、と
思えるのです。

1階は喫煙もできる場所。 2階は禁煙席、と
なっているのですが、
1階はカウンター越しにオープンキッチンが
見えて、コックさんの様子が分かるので、いつも
1階に座ることにしています。

明治軒から再び心斎橋に戻り、南に行きました。
まぁ、そのまま行きましたから
自動的に戎橋に行ったのでしたが、、。

予想通りのすごい人出でした。

Ebisubashi1

わー、と思いましたが、さっさと橋を渡って
商店街の入り口を左折して、
食いだおれを通り過ぎて右折して南に行きました。
で、着いたのが「法善寺横丁」。

Hozenji1

水かけ不動さんにおまいりをした後は、、
Hozenji2

横の、夫婦善哉で、ぜんざいをいただきました。
Hozenji3
やはりいまの時期、寒いですし、
こういうぜんざいのようなあたたかいものは
嬉しいですね。
ふたつのお椀に入ったぜんざいが一人前です。
(と言っても、そんなにたくさん入っているわけでも
ありません)


ということで、お店も満席でしたが
たまたま、出る人が居たので、待たずに座れました。

ここは織田作之助の小説の中に出てくるお店です、
といっても、今の人は、織田作之助、って、誰? というような
ことになっているのでしょうかね。

謙介の学部時代の同級生で、
織田作之助の作品研究で卒論を書いたヤツが
いました。 でも今頃はどうなんでしょうか?

そんなことを考えながら、ぜんざいをいただいて
おりました。

ここのおぜんざいは、丹波産の小豆を使っているとかで
くせもなく、しかも粒の大きな小豆で、
とてもおいしかったです。


法善寺横丁を出て、再び戎橋に戻ってきました。
北方向を見たところです。
Shinsaibashi

以前は、この心斎橋筋の南端に
花のれん、という吉○がやっていた
おしるこの店があったのです。
Ph_1964_3


大きな看板が出ていて、花のれんのロゴを見ると
ああ、大阪に来たなぁ、という気がしたものでしたが、、
花のれんのお店もいつの間にか無くなってしまいました。

そうして、再び地下鉄に乗って、
中津のホテルに戻ったのでした。

今日はここまでといたします。

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17. 12. 20

師走・京都にて(その2)

嵐山は西が切り立った山なので、京都の街中より、
日没が数時間早い、ということになります。

ただでさえ、冬の今時分は日没が早い上に
地形的なこともあって、午後3時過ぎには
陽が射さなくなってしまいます。
(大堰川の東側は、まだ若干遅いのですが)

阪急電車の嵐山駅からちょっと西に行き、
物集女街道を渡月橋のほうに歩いて行きます。

謙介の小さいころは、物集女街道の沿道なんて
さみしいところで、雨の降った日に
お化けが出る、という話をクラスの友達から
聞いたこともありました。
以前は、ほとんど道の両側が田んぼで
いくつかの集落がぽつんぽつんと
有るような道だったのに、、。

それがいまや物集女街道は、ずーっと住宅や
商店が立て込んでいて、
お化けなんてどこのこと?
というような場所になってしまいました。

かつて、ウン十年前に十三詣りに行った
法輪寺の横を通って、
13mairi


渡月小橋の西側に
出ました。
渡月橋の西側の一の井川にかかっている橋です。

行政区画で言うと、嵐電の駅とか
天龍寺のある川の東側は、右京区で
川の西側は西京区です。

今回は、ずーっと西側の岸沿いを
歩くので、西京区ばかりを歩く、ということに
なりまづ。

渡月小橋のたもとに今から行くお寺の
石碑がありました。

Kanban
この辺で芭蕉さんが一句詠んだのでしょう。
花の山二丁登れば大悲閣

西側の川岸を歩いていきます。
川はようやっと台風前の落ち着きを取り戻した、
と言う感じでした。
Ohune

渡月橋が遠ざかって行きます。
渡月橋の辺は、ものすごく混雑して、
人ばかりなのに、ちょっと離れると、
静かです。そこがまた落ち着いた風情で良いですね。
Togetukyo

しばらく歩くと、看板が崖に打ち捨てられていました。
なんたって「ぐれいとびゅう!」ですよ。
誰が書いた字なのかは、謙介さんは分かります。
Kanban2

どんどん奥の方に進んでいきます。
川沿いを走る、山陰線の電車の汽笛が
山峡にこだましていました。
Okuarashiyama

振り返ってみると、渡月橋があんなに遠くになっていました。
さすがに夏はともかく、厳冬の今の時期、
こんなところまで来る人は、そう多くありません。
Okuarashiyama1
川岸の道は平たんではなく、結構アップダウンが
あって、変化に富んでいます。
その道を歩いて、ようやっと大悲閣の入り口まで到達しました。
大悲閣は芭蕉さんの句にもあるように
山の中腹にあるので、岸辺から登っていかないと
いけません。
今まで来ていた道から、さらに山に登って行きます。
上の方から、聞き覚えのある声が聞こえてきました。
住職のOくんの声です。
門のところでおばちゃんと話をしているようだったので、
「やぁ」と声をかけて本堂のほうにのぼって行きました。
Daihikaku1

山の斜面にへばりつくようにこの建物が
建っています。でも、そのおかげでこの建物から見る
展望はまさに「ぐれいとびゅう」です。
Img_3457

この景色はやはりここに来なければ
見ることのできない風景です。
比叡山から東山の稜線が冬の空に美しく映えていました。
正面の小さな丘は、双ヶ岡です。
この双ヶ岡から手前一帯が言わゆる
「嵯峨野」という場所になります。
Daihikaku3
すでに手前のほうは日没状態ですね。(笑)

久しぶりのOくんは、訪れるお客さんの
応接で暇がない状態でした。
大体こちらもふらっと来ましたし、、。

それでも
お寺のあちこちを回って、景色を見たり、
深呼吸をしたり、とゆっくりしました。

彼は外国人のお客さんが来たら
英語で、説明をし、日本人のお客さんが
来たら、また説明をし、「あ、ご朱印をお願いします」
と言われたら、今度はご朱印帳をいただいて
さらさらと書いて、と、本当に忙しいことでした。

その間、謙介との話もしてもらって、、
本当に忙しそうでした。
「また来るよ」と言って、辞することにしました。

まぁねぇ。大学時代から、仙人みたいな人でしたからねぇ、、
いまだって、なんだか蘇軾さんの漢詩に出てきそうな
風情ですけど。(笑)

Oくんが山の清水で作ったお茶を出してくれました。

やはりお水が全然違うんですよね。
思わずおいしいお茶! と
叫ぶほどの違いのあるお茶でした。

少しだけ共通の知人の話をして、、
とりあえず、彼らも「元気で生きている」
という確認ができたので、
お寺を辞することにしました。

またねー、と言って山を下りたのでした。


きょうはここまでといたします。

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17. 12. 18

師走・京都にて(その1)

京都に行ってきました(今年一体何回目なんだよ)

今回は銀行に用事がありまして、
なのでどうしても平日に行かないといけないので
代休をとって行きました。

休日出勤の代休、相当に残っているんですけどね。
たぶん年内に消化できないまま、で終わって
しまうんですよね。
休めないし、休んだりしてその次の日に職場に行ってみたら
机の上に書類がどさーっとあって、、その処理だけで
ずいぶんかかるんです。

うちの仕事場は人数が少なくて、みんなそれぞれ
専門の仕事をしているので、
謙介の代わりを同僚が、ということができないのです。

書類の受付くらいはできますが、
その後の処理はちょっと、、
ということで、休むと大変なので
結局休めない、ということになってしまうのです。

でもまぁ今回はどうしても、ということがありましたので、
お休みを取りました。

今回も一人で行くことになっていましたし、
実家の街から、だったので、高速バスで
行くことにしました。
バスだと車中からあれこれ撮影ができるのが
いいですね。

写真は淡路島の北端。

Matuho

定来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
    焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ

藤原定家さんのお歌。
 『新勅撰集』の巻13所収の歌で百人一首に入っているので
ご存知の方も多い歌でですね。
この歌で歌われた松帆の浦が上の写真のあたりになります。

そして、この辺が、阪神淡路大震災の震源でもありました。

バスは名神京都南インターから京都駅までの間の
道路が混んでいて、結局20分遅れの10時半に
七条の京都駅に着いたのでした。

京都駅から地下鉄に乗って、四条烏丸に出ました。

Karasuman

四条の京都中央信○の本店で、通帳の手続きをして
出てきたら、11時半でした。
ここいらへ来た時にいつも寄る洋食の亜紀に
行ったのですが、12時からで、まだ開いていませんでした。
次のところに行かないといけないので
12時まで待てなかったのです。

四条大宮に出て、餃子の王○に行きました。
前にも言いましたが、この四条大宮の王○が
王○の1号店だったわけです。
前にも写したので、今回は写真は割愛いたします。

大宮から阪急で桂に出ました。

Katura2
桂で降りて、駅西の滋賀銀○に行きました。
ここでまた手続きをする用事がありました。
実はこの滋賀銀○の手続きが結構時間がかかりそうで、、
1時間半くらいかかるかなぁ、と予想していたので
昼食を急いで食べる必要があったのでした。

やはり銀行での手続きは結構な時間がかかりました。
12時過ぎに銀行に行って、終わったのが1時半でした。
2時か2時半くらいまでかかるか、と予想していたのでしたが
それよりは若干早く終わったので、ホッとしました。

用事が終わったので書類をとことこと歩いて
西京区役所まで持って行って、今回の用事は
終了しました。 
今からどうしようかなぁ、と思ったのですが、
あ、折角ここまできたのだから、、と
思って嵐山の友達のお寺に行くことにしたのでした。

まぁ居るか居ないかは分からなかったですが
居れば重畳、というようなもので、、。


上桂から阪急に乗って、
Ranzan1
嵐山に出たのでした。

Ranzan2

今日はここまでといたします。

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17. 12. 06

山里の寺ふたたび

先日行った山里のお寺、2週間ぶりにもう一度行ってきました。
本当は、1週間くらいの間で行ったら良かったのですが、
11月の26日に日曜は、勤務先で用事があって
どうしても行けなかったのです。

2週間開いてどうかなぁ、と思いながら行ったのでしたが、、。

夕陽に照らされて金色に輝く紅葉がむかえてくれました。
Img_3380

この紅葉も夕陽に照らされて、本当に美しく照り輝いて
いました。
Img_3382

前回行った時に紅葉の盛りだった
しだれ紅葉はさすがに全部葉が落ちてしまっていました。
Img_3391


裏庭に回ってみました。
こちらも大半の木の紅葉が終わってしまった感じで、、、、
Img_3384
ちょっとさびしい感じでした。

散った紅葉の葉は、地面に散っていました。
でも、これも美しいですね。 吹き寄せです。
Img_3386

もう一度正面の階段のほうに回ってみました。
こちらもちょうど夕陽に照らされた紅葉が
本当に美しかったです。
Img_3387

階段を下りて、里の入口のほうに行ってみました。
奥の山々がさまざまな色合いになっていて
いかにも錦秋、という感じがいたしました。
Img_3388

このお寺からほど近い、JRの駅に行ってみました。
駅名表示が、駅の横にあるタブの木に隠れてしまっています。

この駅は昭和の初めに土讃線の開通に伴って
できたのですが、駅ができる以前からこの木は
ありました。

Img_3393

駅は讃岐財田、という駅です。
多度津から高知方面に行く土讃線の駅です。
1日の乗降客数は、30人程度です。
1度の列車の乗降客数ではなくて、1日の
乗降客数が、です。
Img_3397


琴平方面を撮ってみました。目下線路の枕木を
木製からコンクリート製のものに交換している
最中でした。

Img_3394

こちらは高知方面です。
この駅を出ると、阿讃山脈の峠(猪鼻峠)を上って
阿波池田に下りて行きます。
昔は蒸気機関車にひかれた列車が
えっちらおっちら峠をのぼっていったのですが
今は振り子式の車両が、あっという間に
駆け上がって走って行きます。
Img_3395

これが時刻表です。
一日にとまる列車は、上り8本、下り8本です。
昭和29年の土讃線の時刻表を見たら、
この駅にとまる列車は、上り9本、下り9本でしたから、
昔よりこの駅にとまる列車が減った、
ということですね。


Img_3398

1日の乗降客が30数名である、ということ、
この駅のある市も危機感を持っていて、
駅舎の中には、この駅が地元の熱意の誘致の末に
できた新聞記事が拡大コピーして掲示されていました。
駅舎まわりの掃除も地区の方が交替で行っている、
ということを聞きました。

この辺はみんな家に車がありますし、、
公共交通機関を利用しようとしても
このダイヤでは、、でしょうし、、
利用者がいないから便数が減る、
減るからますます利用できないダイヤになる、
という悪循環で、、、、。

本当に田舎の公共交通機関は
難しい局面に来ているなぁ、ということを
思いながら、山里の駅を後にしたのでした。


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17. 11. 04

あんさん 3日前にもお越しやしたんと違いますのんか(その5)

ということで無事に旅館に着いたのでしたが、、。
この旅館は高野(たかの)にあるのですが、
窓を開けると叡山が正面に見えます。
京都と言えば、比叡山とか東山、
北山、西の愛宕山と山の名前が出てきます。
比叡山、って右京区の常盤とか嵯峨野の辺からは
見えないんですよ。

右京区でも、
比較的南の梅津とか西京極の辺まで
おりてくると、比叡山だって見えるんですが、
北のほうの右京区では、衣笠山とか
双ヶ岡があるために遮られて見えません。

そういうことで、右京区民が親しみのある山、
というと、やはり愛宕山だとか小倉山、
ということになりますかね。


Takanoeizan

6時過ぎに宿を出て、また北山通を西に走り、
河原町通に出たら左折して、出町の交差点まで走ります。
出町で左折して鴨川を渡り、銀閣寺前でもう一度左折して
しばらく走るとてんぷらの魚兼(うおかね)があります。
京都に来ると、いつもここに寄っています。
もちろんてんぷらがおいしい、ということがあるのですが
横がコインパーキングなので、車を降りてさほど歩かなくて済む、
という移動の点でもここは良いのです。


Uokane1

てんぷらご膳をいただきました。
Uokane2

食後、再び車に戻りました。
白川通を北上して、北山通の交差点まで行きます。
左折するとすぐに叡山電車の踏切。
これを越えて高野川の橋を渡って程なく行くと
旅館に到着です。

後は、ゆっくりとお風呂に入って
寝たのでした。
今日は若干短めでしたが、ここまでといたします。

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17. 11. 03

あんさん 3日前にもお越しやしたんと違いますのんか(その4)

今治のりかちゃん大学、ここのブログでも
言っていましたが、謙介の予想通り
認可されるということになった、という
ニュースが出ていました。

前回で認可見送り、という話になった段階で
ああ、こうなるだろうな、という想定でした。
だって、認可しない、ということであれば、

りかちゃん大学の学校法人に対して
認可申請を取り下げろ、といっていたはずなのです。
それをしなかった、ということがそう思った理由の1。

もう一つの理由は、愛媛県知●と今治市●の
添え書きがあったからです。
「地元でもおうえんしますけれ、大学を設置するに
ついて、格別のご配慮をお願いしますぞ」という
地元自治体の長の添え書きがあったからです。
この地元自治体の長の添え書きがあると
審査自体が大甘になる傾向があります。
これが理由その2。

とまぁこういう理由でおそらく通るだろう、
と思っていたのでしたが、、。
校舎だって、すいぶんな勢いでできていますしねぇ。

でもまぁ、大学ができたって、若者は定着なんかしない、
と思いますし、街に活気が出る、とも思えないんですけどねぇ。
その前に、港からドンドビ交差点までのあの商店街の
寂れ方を何とかしろよ、という問題だと思うんですけど、、。

謙介が支払っている県民税から、決して少なくない額の
お金がリカちゃん大学の建設にあたっては
使われるようなことになっているので、
他所の人でかけ疑惑がどうのこうの、と言ってる連中よりか
ずっとこちらのほうが切迫感があるのですが。

まぁ大学は作られて、学生が来て、ということに
なりはするのでしょう。やれやれ。

    ×      ×      ×

上御霊神社を北に上って行くと紫明通に出ます。
紫明通というと年末の駅伝のコースになっていますよね。
今年ももうじき、その季節が来るようですが。

西大路から北大路と走ってきて、
堀川北大路の交差点を南に折れて、次の交差点の
堀川鞍馬口から紫明通をしばらく走る、というのが
駅伝のコースですね。

紫明通をちょっと走って、烏丸紫明で右折して
北大路駅に出ました。
ここを西に行ったところに友達がいるので
うどんをお届けです。
家に行ったのですが、彼は外出していたとかで
息子さんにうどんを渡しました。

後から追っかけるように彼からメールが来て
「息子の言うには、謙介さんがぱっとやってきて
うどんをさっと渡して、すっと帰って行った、
って言ってたんやけど」とありました。(笑)
まぁそんな感じでした。

千本北大路の交差点を左折して
南に行きます。
千本今出川の交差点です。
Senbonimadegawa
ここを右折して上七軒の交差点を右折して
しばらく行きますと、千本釈迦堂があります。
このお寺は境内に車をとめられますし、
そういうことで駐車場から本堂のまでの距離が
短いので、よく訪れるところです。

Senbonshakado1

境内は桜の葉の色づきがはじまったところでした。
春には、八重の花をつける桜が紅葉をしはじめていました。
Shakado2

本堂におまいりして、またこうしてここにこれたことを
感謝しました。
Shakado3

千本釈迦堂を後に、再び今出川通に出て西に走りました。
北野白梅町で左折して、円町の交差点を右折して丸太町を西に
走りました。常盤で左折して三条通に出て、ずーっと西に行きますと、
突当りが嵐山です。
Arashiyama7
嵐山は、西側の山のせいで夕陽が遮られますから日没が
早いのです。午後4時すぎでしたが、すでに日没、という感じでした。
この5日前の台風で、まだ濁った丹波からの水が大量に流れていました。
嵐山を北上して丸太町通に出て、今度は東に行きます。
JRの花園駅前です。
正面やや右側の「本」の看板のあるのが花園商事、という
名前の本屋さんです。嵐電の常盤駅の南にあった
中島書○嵯峨野支店は無くなってしまいましたが
ここは健在です。でもたまに行ってみると取り扱う本の質が
ものすごく変わってしまった、という感じがしました。
以前はいろいろなジャンルの本を取り揃えていたのですが
今は、高校生用の参考書とか、それ以下の中学生、
小学生、幼児向けの本が中心になっていました。

Hanazono

丸太町を馬代通まで走って、馬代通を北にのぼります。
山城高校の横を通って、嵐電の線路を越えたところで右折して
東に行きます。 今出川を東に走って、堀川今出川で左折して
堀川通を北に。堀川鞍馬口で紫明通に出ました。
紫明通の街路樹が西日に照らされて美しかったので1枚。
Shimei
紫明通の街路樹なんて、全然観光地でも名所でもありませんが
この時期ならでは木々の風情は、やはりいいなぁ、と
思いました。
紫明通から烏丸通を北上して北大路駅のところで右折して北大路を
東に走りました。
洛北高校の交差点で左折して上がっていくと
つい3日前(24日)にも来た場所に行き当たりました。(笑)
あんさん3日前にもお越しやしたんとちがいますのんか、
という感じですね。

Nd7

この建物ところを右折して、
午後5時過ぎに無事に旅館に到着したのでした。
今日はここまでといたします。

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17. 11. 01

あんさん 3日前にもお越しやしたんと違いますのんか(その3)

出町から下鴨神社の方には行かずに
賀茂川の川沿いに上がっていきました。
この日はお天気も良かったので、
正面に比叡山の山容が美しく見えていました。
Eizan

ちょっと目を北の方に移します。
山々の重なりが美しく見えていました。

せっかく京都に来たのですから
清水寺とか、金閣寺とか、確かに有名どころの
寺社に行くのもいいでしょう。美術館めぐりも悪いとは
言いませんが、


こういう風景をのんびりと眺めて
紫式部はあの山を見て、何をどう思ったのか。
とか、ぼーっと考えるのも
京の旅の楽しみだと思うのです。

観光はなんたって「風光を観る」ことですもんね。
Kitayama

賀茂川の堤の道と上御霊の通りの交わったところを
左折しますと、上御霊神社に行きます。
Kamigoryo1

この神社の西側の門の傍らに
「応仁の乱の勃発した場所」の石碑があります。

Ounin1
こういうものが、地味にそっと建っているところが
京都らしい、という気がします。 

田舎だったら、そういう歴史的な場所には
大々的な看板とか石碑があったり
町おこしの材料にされていたりしますもんね。

今年は応仁の乱勃発550周年(変な言い方ですけど)
の年です。つまりは550年前にここで、戦乱の端緒と
なることが起きたわけですね。


御所に、「蛤御門」がありますが
そこが「蛤御門の変」があったところですが、
烏丸通に面して、じみーに建っているだけです。
応仁の乱については、あちこちのサイトに
その端緒となったことが縷々書かれているので
そちらを見てくださいねー。

謙介の仕事場には、以前足利家のご当主さんが
同僚として勤務していました。

なので、足利さんと言ってもそう遠い存在でも
ありません。

確かに「義」の字が名前に入っていて、
なーるほどー、と思いました。

ある時、仕事場の食堂に行く時間がすっかり
晩くなってしまって、午後3時前、というときが
ありました。当然のように食堂に残っている
食べ物はなくて、、

「どないしたん?」
「食堂になんにもあらへんのですわ」(2人とも京都弁です)
「そうか、、」
と言ってその時は終わったのでしたが
それから15分ほどした時、
彼がふらっと謙介のセクションにやってきて
「これ、食べたらええわ」と言って牛丼の差し入れを
してくれたのでした。
ええ。もちろんごちになりましたですよ。

謙介はそれ以来、足利家、といわれると
あの時の「牛丼」を思い出すのです。

本当にうれしかったです。
あ、応仁の乱と何の関係もなかったですね。


Ounin2

この上御霊神社の西側、道を隔てて
「からいた」というお菓子を製造販売している
水田玉雲堂がありますんですが、、
Mizuta1
「しばらくお休みします」という張り紙がありました。
Mizuta
からいた、というのはお菓子の名前です。
このブログでも一度紹介したことがあったのですが。
Karaita
上の写真にもありますように、
見た目は小麦粉をのして長方形に
かたぬきして焼いた、というものですが、、

上白糖に水を加え、鍋で炊いて飴状にします。
これに小麦粉と少量の卵を混ぜ、餅をこねるみたいに
練ります。お餅くらいに練り上がったら、
今度は手打ちそばの要領で1.5ミリくらいの
薄さにまでのばし、短冊形に切りそろえます。
鉄板にごま油をひいて、両面 を手早く焼き、
やわらかいうちに形を整えます。
とまぁ、結構な手間をかけて作られているお菓子です。


表面 に鉄板の焼き目がつき、1枚1枚違った模様が
あらわれるのがこのお菓子の特徴です。


この水田玉雲堂は
このお菓子だけ売ってきた、というお店です。

からいたが買えなかったのを残念に思いつつ
「しばらく」が、文字通り「ちょっとの間」で
また再開してもらえる日が来ますように、と
祈りながら神社の境内に入って行きました。

Kamigoryo2

おまいりの人はだーれもいません。
静かな境内です。
Kamigoryo3

両親とこうしてまた京都に来れたことを
感謝しつつおまいりをすることができたのでした。
きょうはここまでといたします。

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17. 10. 31

あんさん 3日前にもお越しやしたんと違いますのんか(その2)

名神京都南インターで降りて、
国道1号線をまっすぐ北上しました。
十条の交差点で右折して十条通りを東に行って
河原町十条で左折しました。
ひたすら河原町通りを北上します。

最初は低い町屋が続いていた風景も、JR線路を越える
あたりからおいおいと高いビルが出てきて、、
五条通を越えたらすっかり都心のビル群です。
オフクロが「何や京都に来た感じがせえへん」と
言うのですが、、まぁ高いビルを見て、、そういう感慨にも
なるというものでしょう。

四条河原町の高島屋の前を通ってさらに北上します。
四条から北、道が混んでんのと違うやろか、
と思っていたのですが、幸いなことに
あまり車はいなくて、スムーズに河原町御池まで
走ってしまったのでした。

河原町御池を通過して、市役所を越えて
河原町二条で左折です。
二条通りは工事をしていて片側相互通行になっていました。
寺町の一本東の通りが見えたところで右折して
一保堂の駐車場に車をとめました。

Ippodo
お土産のお茶を品々と買って、
再び車に乗ります。
ちょっと上がって夷川の通りを西へ。
富小路を左折して南に。
もう一度御池通りを越えてさらに南下します。

京都の通りの歌の通りに
御池から、姉(姉小路) 三(三条) 六角 蛸(蛸薬師) 錦 と
下りて行って、、、錦市場の組合の駐車場に車をとめました。
この駐車場、『京都人の密かな愉しみ』の中にも出てきていましたね。

この駐車場の地下には錦市場で使われる清冽な水の湧き出る
井戸があります。 京都盆地の地下には7000万㎥という
水の層があります。それが染色につかわれたり、お酒や
お酢、と言った醸造、豆腐、野菜作り、と言った文字通りの
衣食住にこの水が用いられたのでした。

右京区なんて、その水のおかげで
泥湿地だったのですけどねぇ(笑)

Nishiki

錦でオフクロの好きなニシンの甘露煮を買ったり
オヤジの好きな松前づけを送ってもらうように頼んだりしました。
歩き疲れたので、例によってホブソンズのアイスクリーム屋で一服。
Ice1

ほうじ茶のフレーバーのアイスにしました。
Ice2

駐車場から一旦南に。四条通りに出て、左折して、
もう一度四条河原町に出ました。
四条通りは、嫌がらせ、というのか
車線を一本減らしてわざと走りにくくしたのです。
どうしても四条通りは京都の繁華の中心ですし、、
車が集中します。なのでわざと走りにくくすることで
四条を避けるように、というふうにしたのでしょうねぇ。

謙介的には、以前市電が走っていた時のようなことで
先祖がえりかいな、という感想なのですが。
麩屋町通りのところで左折して、北上します。
御池通りに出て右折して寺町通りを北上します。
丸太町通りに出ました。
角は大内山です。

Ouchiyama
京都御所の横を北上して今出川まで出ました。
今出川で右折して出町の交差点を左折です。
下の写真は、1973年の出町交差点です。
1973

で、こっちが2017年の10月。
ちょっとアングルが違っていて、ごめんなさい。
でも富士銀行のビルは同じでしょ。
京都中央信用金庫のビルの色が茶色から白に変わって
しまいましたね。
Demachi2017
きょうはここまでといたします。

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