おでかけ

24. 04. 13

鄙の温泉に行く(3)

なんとか奥耶馬渓から、また豊後森に戻ってきました。
ですが、バスと列車の時刻接続が本当によくありません。
バスが1日5本。久大線の列車が1時間に1本。
この両方を接続させて移動をしようとすると
待ち時間が30分とか40分はいいほうで、
場合によっては1時間以上の待ち時間ということもあります。
そして、これは平日ダイヤなのです。
謙介の乗った、柿坂行のバスは平日のみの運行です。
つまり土日は運航休止です。

今度の日田行きは40分後ですから、待合室に座って
待ちました。しかしそれにしても寒い。改札口から
風が容赦なくびゅうびゅうと吹き込んできます。
文庫本を持ってきてはいたのですが、吹き付ける風の中で
本を読む気にもなれず、、さむーと思いながら駅の
椅子に座っておりました。
35分ほどそこに座って列車を待っていました。
JR九〇の田舎の駅での自動放送は放送時間がたいてい決まっています。
列車が到着する7分か7分前に1度放送があって、3分前に
もう一度放送がある、というようなことです。

Img_8203
2度目の3分前放送があったので、ホームに出ました。
暮れかかった雨の黄昏時、東の方向から、黄色い単行の
ディーゼルカーが見えました。

Img_8204
これでとりあえず日田まで行きます。
列車は、先日乗った島原鉄〇の列車と同じような
バスのような車両でした。
時間がもう午後5時台だったからでしょうか。来た時に同乗していたような
観光客はおらず、たいていは春休みだから学校の部活帰りでしょうか
そういう高校生と、買い出しに行ったのか、大きく膨らんだ
エコバッグを提げたおばちゃんたちが乗っている、
というものでした。
列車は山間の渓谷を縫いながら、日田へと走っていきます。
日田は、山間の街ですが、開けた盆地にあるので、日田に列車が
近づくと、突然平野に入った、という感じのところを列車が
進んでいきます。
そうして日田に到着しました。
日田で、夕方の6時になりましたので、途中下車して
夕食をいただきました。
日田の名物は、日田焼きそば。
この日田焼きそばは他の焼きそばと大きく違っていて、、
最初鉄板で、中華麺をこれでもか、というくらいに
こてで押し付けて麺を焼きます。
なので、麺が強く焼かれすぎて硬めになっている焼きそばです。
日田焼きそばと言えば、有名なお店があるのですが
その店はお休みだったので、検索をしてそこそこ評価の高い
別の店に行くことにしました。

Img_8208

有名なお店は店員さんも10人近くいて、専属の職人さんが
焼きあげているのですが、行った店はおじちゃんと
おばちゃんの老夫婦が二人で地元になじんだ店をしている、
という感じのところでした。

10分くらいしておばちゃんが運んできてくれた焼きそばは
麺がしっかり焼かれていて、麺がパリパリのところも
たくさんありました。おもしろい食感の焼きそばです。

Img_8206

多いなぁと最初は思ったのですが、おなかがすいていたことも
あって10分ほどで全部いただきました。
お店は地元の人に好かれているお店なんでしょう。
謙介が食べている間にも3人くらいの地元の人が
店にやってきて、お持ち帰りの焼きそばを注文していました。
焼きそばをいただいて、また駅に戻りました。
帰りの上り列車の発車時刻まであと15分ほどありましたが
列車はすでにホームに入線していました。
それに乗って帰りました。
奥耶馬渓温泉のお話はここまでです。

 

次回はうきはの温泉のお話です。

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24. 04. 12

鄙の温泉に行く(2)

久大線の大分行き各停列車を、豊後森駅で降りました。

この駅で降りた人は、謙介を含めて5人でした。
久大線の駅のいくつかは、外国人観光客を意識して
おしゃれな構造の駅舎に改築しています。
例えば、日田とか、この豊後森もそうです。
駅舎は真っ黒け。(どうして真っ黒にしたのか
知りませんが)

この豊後森駅、今では、久大線の単なる駅でしかないのですが、
昔はここに蒸気機関車の整備を行う、豊後森機関区があって、
相当ににぎわいました。ですが今は、蒸気機関車もいなくなり
豊後森駅はいくつもある久大本線の駅の一つになってしまいました。

そうした鉄道の重要地点だった名残で、かつての森機関区の
蒸気機関車の扇型機関庫が残っています。
扇型の機関庫、今はもうほとんど残っていなくて、、
一般の人が見学できると言えば、京都の梅小路の
博物館の一角にある(以前の梅小路蒸気機関車館の建物)
のが見られるくらいですかねぇ。 ここの機関庫も
中の立ち入りは許されていません。機関庫の手前に柵があって
そこまでしか行けないようになっています。
この機関庫、残してはいますが、もう野ざらし状態で
荒れるがまま、という感じです。

Img_8182
観光施設にするには、金がかかるし、、かといって
資本投下したところで、その資本投下分に見合う
観光客が来るとも言えない、ということでおそらく放置状態
にしているのでしょう。それに壊すとなったら
それはそれでまた少なからざる費用が発生しますし、、
壊すに壊せない、ならば、まぁ放置かな、というJR九州の
意図が見えたような気がしました。

しかし、よく手入れされた場所に、荒廃した機関庫の遺物が
過去の栄光のようにおいておかれているのは、、
廃墟感がさらに増すような気がします。

この機関庫に付設して小さい資料館がありました。
中へ入ってこの森機関庫の沿革などを知ることができたのは
良かったです。

そんな見学をしているうちに、温泉行のバスの時間が
近くなってきました。
温泉方面のバスは、1日5便程度です。
豊後森から柿坂行のバスに乗ります。
バスは最初は町内の少し家々のある集落の中を走っていきますが
10分もすれば、山また山のような場所を通っていきます。
そのうえ、道路は急カーブの連続です。
そしていきなりカーブ前方から対向車が出てきたりします。
ドキッとする場面が2度ならず3度4度とありました。
非常に心臓によろしくない道路です。
あ、当然のことですが、乗客は謙介だけです。
バスに乗ること、40分で、目的地に着きました。
なるほど、集落が少しあります。
この集落の中に岩戸湯という小さい温泉があります。
温泉と言ったって、本当に小規模のものです。
入口だって、こんなの。
温泉というより普通の民家の玄関
みたいな感じです。

Img_8190

受け付けは2階で、お風呂は階下のほうにあります。
道路が高いところを通っているので、
お風呂は1階へ階段を降りて、という構造です。
洗い場は2つ。浴槽も人が3人入ったら、ちょっと窮屈
という(無理に入れば3人入れないことはないけど、、)
ような小さい浴槽なんですが、、
お風呂の片隅にお湯が出てくる管があって、そこから
お湯がゴボッゴボッというすごい音を立てて
出てくるのです。温泉です。
少し硫黄のにおいもします。お湯は透明ですが、、
お風呂には貸し切り湯もあるとはありましたが、、
雨天で、だーれも来る人もいなくて、、、

他の人が来ないのをいいことに、お風呂のガラス戸を
少し開けて外の風景を見てみたりしました。
目の前には、中国の山水画に出てきそうな
ちょっと変わった形の山が見えています。
遠くの山はもやがかかっています、、。
山はさまざまな木でおおわれていましたが、、
時節柄、山桜も咲いていて、、
桃源郷っていうのはこういうものかなぁ、とか
思いました。結局出たり入ったりを繰り返し、
40分ほど入っていましたが、、誰も来る人もなくて、、、
貸し切り湯のまま、入浴を終えました。

帰りのバスの時間までまだ30分ほどあったので、
ちょっと休憩をして、バス時間5分前くらいに
温泉を出ました。桜がきれいに咲いていました。

Img_8192
さて、バス停です。
バスの時間が来ましたが、、、
バスが来ません。
前の道は交通量はあまり多くはありません。1分間に自動車が1台くらい
通る程度です。
帰れなかったらタクシーでも呼ばないといけないのだろうか、、。
と思っているうちに10分が経過し、、
結局バスが来たのは15分くらい遅れてでした。

 

帰りのバスもやはり謙介だけでした。
(その割にバスが遅れたのはどうしてか???)
長くなりましたので今日はここで措きます。

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24. 04. 10

鄙の温泉に行く(1)

このところ、もう完全におでかけ、と言うテーマでしか
このブログを書いていないような気もします。


前にも少し書きましたが、九州にいる間にできるだけ
あちこち行って、実際に見てみる、体感する
というのが今年のテーマです。なので、このブログの
カテゴリー別文章も、最近はほとんど
おでかけになってしまっています

今回は「鄙」の温泉に行く、ということにしました。
「ひなびた」温泉ではありません。「ひなびた」は
田舎っぽい、とか田舎みたいな、という意味です。
はっきりと田舎の温泉に行くわけなので、
鄙の温泉、という
直截的なタイトルにいたしました。

世間では、大分県が温泉県ということで、温泉が県内あちこちに
ある、ということで大分県は地面を掘ったら、どこでも温泉が湧く、
というイメージがあります。(というか九州全部どこを掘っても温泉かも?)

ですが実際に大分に行ってわかったことは、
大分だって温泉の出るのは、限られた場所で、それ相応の場所を掘らないと
温泉は出ない、ということでした。


例えば別府市内なんてどこを掘っても温泉が出そうな気がしていたのですが、
別府だって温泉が出るのは市内のいくつかの決まった場所なのであって
そういう地域めざして掘らないと温泉は出ない、ということを知りました。

ところがその逆もありまして、、
福岡県なんて、桜島の鹿児島や阿蘇の熊本、由布岳の大分と違って、火山もないし
温泉なんて全然ありそうにない、温泉もないというイメージでしたが、
調べてみたら、結構な数の温泉があります。(有名でないだけ)
そうした温泉は今から50年くらい前までは
遠くに遊びに行く手段がなかったので、近所の観光地でにぎわったの
ですが、今や、忘れ去られてしまっていて、、
福岡には人が行かない温泉地というのが結構あります。
そういうところは、たいてい田舎にあるのです。
ということで、3月に数か所、田舎の温泉に行ったので
そのご報告をしたいと思います。

一つ目は、あ、これは福岡じゃなくて、大分でした。(笑)
奥耶馬渓温泉です。
で、謙介さん、九州には車を持ってきていないので
遠距離の外出はすべて公共交通機関任せ、という行き方です。
最近は公共交通機関の便数が減っていて、旅程の組み立てに難渋するのですが
何とか地域のコミュニティバスとかを使って
行っています。

今回はJRと路線バスでした。
謙介の住んでいるところから、大分方面に行く列車に乗りました。
平日の午後だったのですが、、列車に乗って驚きました。2両の
列車、座席が満員なのです。
で、謙介の予想ですと、そんなこと言ったって、どうせ途中で
降りるでしょう、やがてガラガラになるんじゃないの、
と思ったのです。だから謙介さん座れずに立っていたのですが、、
ところが、列車は全然人が減らないのです。混んだまんま。
ええええええええとか思っている間に、とうとう終点の日田
(大分県日田市)まで来ました。みんな日田で降りるの?
と思ったのですが、今度は日田から大分方面に行く接続の列車に
ぞろぞろと乗り込んでくるではありませんか。


日田までの列車で謙介は立っていたので、さっと列車から
降りられて、日田から大分へ行く列車もさっと乗ることができました。
そのおかげで、今回は座れましたが、、
今度は逆に福岡から乗った人が座れずに立つ、
ということになりました。そういう人は大きなトランクや
スーツケースを持っているのですが、、話を聞いてみたら
日本語じゃない言語(漢語とか韓国語)が聞こえてきました。
どうも湯布院に行くらしいのです。


湯布院に行くんだったら、赤い特急とか

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緑の特急で行ったら

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さっと行ってくれるし、特別車両だし、、
何も好き好んで各停に乗らなくったっていいんじゃない?
と思いました。


またローカル列車に乗って、ローカル列車でなければ
味わえないような土地の人との会話とか、外の風景とか、
いろいろな人の観察でもする目的で乗っているのか、とも
思ったのですが、ずーっとひたすらスマホの画面を
見ているだけです。どうして各停になんか乗ったのかなぁ、と
思いました。

謙介は湯布院まで行かず、その手前の豊後森で
降りてしまったから後のことはわからないんですけどね。

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ということで、謙介は豊後森駅で下車しました。
今日はここまでといたします。

 

 

 

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24. 04. 08

長崎へ(その16)

長崎から福岡へ移動する時は、たいていの人はJRで
(新幹線&在来線 もしくは、在来線のまま)
武雄温泉 鳥栖経由で福岡県に入る、というコース
を取るのでしたが、今回、謙介さんは全然異なる
コースを試してみたのでした。


それでともかく、諫早まで行ったわけです。
長崎を出発したのが、5分遅れでした。
それはそのままずーっと続いて、諫早着が5分遅れのままでした。
この列車、諫早で8分停車するので、5分遅れなんて
諫早の停車時間を短くしたら、全然問題ないわけでしたが
謙介さんは困ったことになりました。
諫早で乗り換え時間4分で島原鉄道に乗り換える
ようにしていたのです。
諫早に着いて、謙介さん島鉄のホームまで走ったのでしたが、、
ホームに車両は居らず、、駅員さんに訊くと、
はい出発しましたぁ。と元気のよいお返事。(やれやれ)


都会の交通機関と違って田舎の交通機関は1本乗り遅れたら
悲惨なことになるのです。

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島鉄の駅員さんに次の島原港行の列車は何時ですか
と尋ねたら、42分後というご回答でした。
小一時間、がらんとした島鉄の諫早駅の椅子に座っていました。
7時35分にになって、駅員さんが「もうすぐ列車が
入ってきます」ということを告げてくださいました。
ホームに行くと、、土砂降りの雨の中をライトを照らして
入って来る車両が目に入りました。

Img_8135_20240405200901
7時32分の島原港行です。
終点の島原港着は、8時55分(まぁ9時です)
ですから1時間半かけて列車は走る、ということでした。
車両は、田舎の電化されていない小規模私鉄が
良く走らせているレールバスです。
島原港からはそれでも謙介以外に5人ほどのお客さんが
乗りました。
窓の外の風景を見ようと思ったのですが、ガラス窓の
外側が汚れていたのと、雨の視界の悪さが重なって
大して外の風景も見られずにいました。
それでも列車は少し走っては駅に停車し、また少し走っては
停車を繰り返し、、、約1時間半かけて、終着の
島原港へと到着しました。

Img_8138
(島原鉄道完乗だったんですが、全然そんな感じでは
なかったです)

島原港駅から、島原港の桟橋までは歩いて10分ほど
かかります。雨が降っていなければ大した距離では
ないんですが、ざーざーと雨が降っていて、もちろん傘をさしては
いたのですが、結構濡れてしまいました。
何とか島原港へ到着したのが9時10分でしたか。
雨が降っていなかったら、この桟橋から300m南にある温泉に
でも行こうかと思っていたのですが、この雨でしたので
待合室でじっとしていることにしました。
今から謙介さんはどうするかと言えば、この島原港から高速艇で
福岡の大牟田、三池港へ渡るのでした。この高速艇が50分。
そして、三池港からは連絡バスが出ていて、8分ほどで
西〇の大牟田駅へ行きます。
西〇大牟田から特急電車に30分ほど乗れば、帰着、
という経路でした。

この経路あんまり知られていないのか、お客さんは
全然多くないんです。


9時40分から乗船券のチケット販売開始でした。
三池港からの船は、9時55分に着きました(10分遅れ)

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謙介の乗る船は、10時5分の出航でしたが、
お客さんは8人でしたから、5分で乗船完了でした。

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高速艇は予定通り、10時5分に出航しましたが、、
やはりガラス窓が曇っていて何も見えないのです。
仕方がないから、謙介さんずっと本を読んでいました。
船は、定刻より5分遅れで大牟田三池港に到着しました。

連絡バスがまだ来ていなかったので、少し待ちました。
やがてバスが来て、、バスに乗りまして。

Img_8148
〇鉄大牟田に到着です。
駅前には、かつて大牟田市内を走っていた路面電車が
展示されていました。

Img_8149

連絡バスから特急電車は3分の連絡です。

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ホームに走って座席に座るとすぐにドアが閉まって
電車は走り出しました、、、
〇鉄の路線ですが、謙介の住んでいる街から南は
殆ど乗ったことがありませんでした。
今回のこの乗車で、〇鉄天神大牟田線も完乗することに
なりました。


こういう経路で長崎から帰ってきたのでした。
長らく続いた長崎旅行のご報告もこれでおしまいです。
ずーっと読んでくださいましてありがとうございました。

 

 

 

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長崎へ(その15)

翌日は旅行の最終日でした。
窓のカーテンを開けますと、
気象予報で24日は大変な雨が降るということでしたが、、
予報通りというのか、歌のタイトル通りというのか、
長崎はざあざあと土砂降りの雨でした。


♬ あああああ、ながさきぃわぁ 

きょうも、あめぇぇぇだったー


朝からひどい声で歌ってしまいました。
昨日、翌朝は雨がひどい、という予報だったので
JR長崎駅の中のスーパーで、パンを買っておきました。
それと、フロント横に置いてあった、宿泊客が
自由に持っていける、1人用のドリップコーヒーを
もらっていたので、それで簡単な朝の食事をしました。
6時にホテルを出ました。もうちょっと遅かったら
駅中のショッピングモールを経由して長崎駅まで
行けたのですが、、まだ早朝のことで、駅の建物の
庇沿いに、長崎駅まで行きました。
庇と言ったって、すごい雨でしたから、傘をさして
雨をよけつつ、という感じでした。
長崎駅に、6時5分に着きました。
今日はここから、ちょっと変わった経路で福岡の
家まで帰ることにしていました。
まず、切符売り場で、諫早までの切符を買いました。
それから、ホームに上がったのでしたが、、、、
長崎駅、西九州新幹線の開業に合わせて
新しく駅設備を一新したのです。ですから新しい駅なんですよ。
要するに昨日今日できたような駅な訳です。
で、ホームに上がって謙介さんが見たのは、
あたり一面のびしょびしょのホームでした。

Img_8127_20240404234001
長崎駅、ホームに屋根があるんですが、
屋根の間から雨水がどんどん落ちてきていて
それでホームがびしょびしょだった、と。上の写真でわかると思います。


新しい駅のホームの屋根から
勢いよく雨つぶが落ちて来る。

そんな屋根って、何のための屋根なんでしょうか? 
ホームの屋根の下で、傘をさしながら、
謙介さん、屋上屋を重ねざるを得ない状況下で、
雨を凌いでいるって一体何なのよ、とかぶつぶつ思いながら
列車を待っておりました。

Img_8124_20240404234001
それが、、どうしたことでしょう。発車時刻がどんどん近づいて
くるというのに、列車の入線案内が全くないのです。
ようやっと、発車予定時刻1分前になって列車が入ってきました。

Img_8128
蓄電池の列車です。YC1型 YCは「やさしくて力持ち」なんだそうで。
だって列車にそう書いてあるんです。

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こんな大雨の降る日の早朝に汽車に乗る人もそういるものでは
ありません。各車両に1人か2人ということでした。
車内はこんな感じです。

Img_8134

何せ出発予定時刻1分前に入ってきましたから、
出発も遅れて、5分くらい遅くに長崎駅を出発したような
ことでした。
ところがねぇ、この5分の出発遅れがあとあと困ったことに
なったのです。
今日はここまでといたします。

 

 

 

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24. 04. 07

長崎へ(その14)

いったんホテルに帰って、小休止をして
夕食を食べに行くことにしました。
さすがに今回はもう中華料理はパスにします。
もう一つの長崎名物を、、と思っていました。

お店に行く前にJR長崎駅周辺で、お店を探してみました。
雰囲気とかお料理とかいろいろ見て、、
駅から南東方向にちょっと行った(700メートルほど)
ところに〇八銭というお店があって、そこで食べられる
ということで行ってみました。
店内はアンティークの小箱やランプがさりげなく置かれて
いて、雰囲気のよさそうなお店でした。
店内をみたところ、お客さんは1人だけだったし、
お店の人がどうぞ、と言ってくれたので、入って、、
注文をしました。入ってから分かったのですが、
奥に部屋があってそこで宴会が行われているようでした。

注文したのはトルコライスです。
お店の人は二人で、もう大回転でお皿を並べたり盛り付けしたり
と大変そうでした。そういうこともあって
注文してから、お料理が運ばれてくるまで
ちょっと時間がかかったのですが、、

Img_8117

これがトルコライスです。別にトルコとついて
いますが、直接的にトルコ料理などではなくて
スパゲティとか、エビフライとかとんかつとかハンバーグ、
ピラフといったような洋食が一皿に盛られている、
まぁお子様ランチの大人版というような感じのものでしょうか。
このトルコライスって、あんまり他の土地では聞いたことが
ありません。
最後にこれを食べよう、と思っていたのです。
何せ今回の旅行は今まで7,8回は来た
長崎旅行で経験できなかったものを見て、
食べられなかたものを食べる、という旅にしよう、
ということでしたから、本当によかったです。

このお店は最後にコーヒーを出してくれたのですが、
その時に、ご店主さんの女性の方が、謙介のテーブルまで
来られました。「今日は宴会がありまして、お料理を
お出しするまでに大変な時間がかかってしまいました。
申し訳ありませんでした」とお詫びに来られました。
「いえいえ、もう本当においしいお料理で、県外から
来たんですけど、念願のトルコライスをいただくことが
できて満足しました。ありがとうございました」ということを
申し上げました。

というようなことで、満足をしてお店を出ました。
そしてすっかり暗くなった街を歩いて、JR長崎駅まで
戻ったのでした。雨は降っていませんでした。
今日はここまでといたします。

 

 

 

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24. 04. 06

長崎へ(その13)

西坂を降りて再び長崎駅前に出ました。
ここからまた路面電車に乗って浜町まで行きました。
長崎の名物でもあったら買おうかなぁと思ったのです。
長崎には以前はデパートが2つあったのですが、
ひとつはなくなって、今は浜〇というデパートだけです。

Img_8109
デパ地下でいろいろと見たのですが、、
結局カステラくらいしかめぼしいものはなくて、、
カステラだったら謙介の住んでいる街のデパートの
地下に福砂〇があるので、別にそこで買えばいいしなぁ、、、
と思いました。


以前、長崎の人に聞いたことがあったのですが、、
長崎の人が何か人に用事を頼む場合、
軽い用事であれば、文明〇のカステラを持って行くんだと。
重要な用事の場合は、福砂〇のカステラを持って行く、
ということを聞いたことがあります。(真偽のほどは、、
知りませんけれども、、、)
で、めぼしい買い物もないなぁ、、と思って1階に
上がってきましたら、、1階に浜乃〇という
大判焼の店がありまして、、
ついつい大判焼となると買ってしまいます、、。

Img_8107
お店の人に「つぶあんありますか?」と訊いたら
もうこしあんしかありません、ということだったので
こしあんのものを1個買って、すぐ横のベンチに腰掛けて
いただきました、、、。どうしても関西出身の人間は
姫路の御座〇と比べてしまうんですよね。
御座候に較べたら、生地がちょっと硬めでした。
何か粉の配合に企業秘密があるのだろうとは
思うのですが、、、、

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ここのお店では大判焼ではなくて回転焼きという
看板が出ていました。
いずれにしろ、甘いものをいただいて一息つけたので
浜町からJR長崎駅までは歩くことにしました。
幸いに雨も降っていませんでしたし、、、
駅は何となく北西方向だ、ということで
道は全然わからなかったのですが、なんとなく
北西方向へ歩いていましたら、、、
突然視界が開け、大きな建物が目に入ってきました。
なんだろうか、と思ったら長崎市立図書館と
あるではありませんか。
あらま、と思って早速入館しました。
新しい図書館でした。

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本の並びについておもしろい配置をしていました。
1階と2階が閲覧フロアだったのですが
1階には、地理歴史・文学(小説)・家事
という図書と新聞、雑誌が置いてあって
2階はそれ以外の資料が置いてありました。
図書館で一番利用の多いジャンルは地理、(旅行ガイド)
家事(お料理のレシピ)文学(小説)なのです。
利用の多いのを一番見やすいところに置くという
配置でした。

図書館の展示で知ったのが、今年が遠藤周〇さんの
生誕100周年になるのだとか。
帰ったら、また『沈黙』とか読んでみようかな、
と思ったことでした。
図書館を出て、駅の方向に行こうとして
路ばたにあった石碑に眼を取られてしまいました。
向井去来の生誕の地とあります。

Img_8114

あれまぁ。向井去来さん長崎の方だったのかぁ
とその時知ったのです。
どうして謙介が、ことさらに驚いたのかと言えば
向井去来は後に京都の嵯峨野に落柿舎という草庵に
住み、そこで一生を終えるのです。
元右京区民にとって嵯峨野の落柿舎は懐かしい場所ですし
容易に頭の中に落柿舎周辺の風景が浮かびます。
いきなり目の前で、京都の嵯峨野を思い出すような
ことになったので、驚いたというようなことでした。

石碑を後に長崎の町を歩きますが、、
それがいきなり目の前に急な上り坂が現れたかと
思ったら、今度は崖のような階段があったり、、で
直線距離としてはそう長い距離を歩いたのでは
なかったのでしょうが、、何せアップダウンが
激しくて、、、改めて平面がない、ということを
体感させられたようなことでした。

しばらく歩くと川に出ました。
で、前の方を見たら、、こんなお店がありました。
下は川なので、、橋の上に家が建っているという
ことなんでせうね。

Img_8115

このお店の前を通ると、長崎駅前から大浦へ行く
覚えていた道に出ました。あ、ここを右折したら
いいんだ、ということでずんずん歩いていくと、
果たして長崎駅前に出たのでした。
ホテルに、午後6時過ぎに戻ってきました。
今日はここまでといたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

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24. 04. 05

長崎へ(その12)

来た時と同じ、大学病院の電停から長崎駅方向へ
行く電車に乗ります。前にもお話しましたが、
路面電車は、この辺りは7分に1本来るようになっていますから、
乗り遅れても、少し待ったらまた次が来る、という感じで
便利です。

今度はJR長崎駅まで戻ってきたのでした。
JR長崎駅は、駅舎というのか、JR〇州のホテルとか
ショッピングモールは完成しているのですが
駅前の道路の整備を今やっているところ、という
感じでした。 前に来た時も道路を掘り返していたので、
謙介的にはずーっと工事中?
という感じでした。

Img_8099

今度は長崎駅前からほど近いところにある西坂に行きます。

駅前に、県営バスのバスターミナルがあるんですが、そこからちょっと
北に行くと、NH〇長崎放送局があります。
その放送局のわきからまた山の方にのぼる道がありまして、、
その坂をあがると、西坂公園があります。
西坂公園というより、長崎二十六聖人記念館のある場所といったほうが
通りが良いかもしれません。
この二十六聖人記念館へは、前にもお話したようにウン十年も前の
幼稚園の時に一度来ているのではありましたが、
幼稚園の子に、この二十六聖人のお話はまだ全然分からず、、
来ていないのと同じ、ようなことでした。

Img_8102

今回はまぁ、キリスト教迫害の歴史も一応学習していますし、、
ある程度の理解はできるのでは、と思ってやってきたのでした。
結論からいいますと、非常によい資料館でした。
資料も、どこかの県立博物館のように片っ端から
複製品ばっかり置いてあるのではなくて、貴重な資料のほとんどは
現物でしたし、それを謙介のようなキリスト教信者でもない
人間が展示を見て行ってもよくわかるように展示がなされて
いました。
そういうことになって、改めて思ったのは、信仰というのは
一体なんだろうか、ということでした。
秀吉の時代になって、最初はキリスト教容認だったのですが
キリスト教のイエスキリストへの信仰が、秀吉を頂点とする
統治方法と相いれないと感知すると、一点キリスト教禁止へと
180度転換をします。そして、キリスト教徒は見つかると
さまざまな拷問を受けたり、死罪ということになるのですが、、
それでもキリスト教を棄てなかったのは、そこに一体
どのような精神の働きがあったから、なのだろうか、
ということを改めて思ったのでした。それは遠藤周作の
文学思想とも重なってくるのですが、、、
そもそもが日本人の宗教観というのが良く言えば
融通無碍 ですし、、まぁなんでもあり、です。

毎度言いますが、お釈迦様のインド仏教にはお盆も
お彼岸もないのです。亡くなった人が、定期的に
この世に帰ってくるだとかいうこともない、
それは仏教が日本に入ってきた時に、日本の土着信仰を
取り入れてしまった結果です。仏教なんて何でもありですし
日本の土着宗教だって仏教のことを「とつくに(遠い国)の神さん」
と八百万おいでの神さんのうちに入れていた。
現代の日本人だって、クリスマスと言えばケーキを食べる
パーティをするというし、約一週間後のお正月にはお寺
氏神様への初詣。それが全然平気です。なんでもありです。
そんな宗教観の日本人のいる一方で、何故この地の人は迫害されたとしても
信仰を手放さなかったのか。勿論キリスト教をやめた、という
人も多かったと思います。いやむしろたいていの日本人なんて
信仰をあまり突き詰めて考えるようなこともなくて
服を着替えるみたいに宗教と付き合っている。

謙介、ちょっと前まで、こういう宗教の「ちゃらんぽらんさ」
って、日本人だけだろうと思ってたんですが、、、
近年の京都、奈良の神社仏閣に参詣する
外国人観光客を見ていると、外国人の宗教観だって結構
何でも有りじゃないか、とか思ったりしています。
まぁたいていの人は宗教施設ではなくて観光地だから、ということで
来ているんでしょうけれども、、、。

拷問を受けてまで、キリスト教を棄てなかった
その精神の強靭さは、何によるものであったのか、
そんなことを改めて考えたりしながら展示を見ておりました。

資料館の観覧の所要時間は30分くらいかなぁ、
と思っておりましたら、2時間くらいかけてゆっくりと
見ることになりました。
でも見終わってさすがにちょっと疲れました。
そうして、資料館を出発したのでした。

 

 

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24. 04. 04

長崎へ(その11)

鳴滝から電車に乗って、(電停は新中川町でしたけど)
次は大学病院前で電車を降りました。

Img_8090
電車を降りた時は雨は降っていませんでした。
少し南に戻って、2つ目の角を左折します。
そのまま東の山の裾まで歩いていきますと、、
神社の石段が見えてきます。
石段自体はどこにでもある神社の階段です。
その階段を登り切ったところに鳥居があるのですが、
その鳥居は、半分しかない姿で立っている鳥居です。
長崎の原爆の爆風で鳥居の片方が吹き飛ばされ、
片方で何とか立っている、片足鳥居です。

Img_8092_20240330202301
最初にこの片足鳥居を見たのは、幼稚園の頃だったかと
思います。家族旅行で長崎に来て、遠くからこの鳥居を
見たのでした。
大人になって、出張で長崎に来た時も、
やはりこの鳥居はバスの車窓から見るだけで、、、
近くまで寄って、見たことがなかったのです。
今回の長崎旅行のテーマは、そういう今まで
行けなかった場所を全部行ってみる、という
旅だったので、今回は是非、ということで
ここに来ました。原爆公園とか、原爆資料館は
前回(2022年)に来た時に来ていました。
(その前の1987年に来た時も寄った)

鳥居を近くで見ますと、柱の部分にぐるりと
この鳥居を建てるにあたって資金を寄進した人の
名前が彫られていましたが、、。
南側の彫られた名前は判読できたのですが、
北側の彫られた名前は判読できませんでした。
場所から行って、北から原爆の熱線が
鳥居に当たり、石の表面が溶けたのだと思います。

Img_8093_20240330202301

その鳥居の近くには、吹き飛んだ北側の石が
まとめて横に並べてありました。どの石も少し
黒ずんでいましたが、これも原爆の熱線によるものだ
という説明がありました。

Img_8096
原爆投下数か月後の写真で、見渡す限り廃墟の続く
浦上の町に、この片足鳥居だけがぽつん、と
モニュメントのように立っている写真を見たことが
ありました。
2,024年の長崎は建物がびっしりと立て込んでしまった
どこにでもある街の風景になってしまいました。

暫くその鳥居を見上げて、さまざまなことを憶ったりしました。
謙介が鳥居を見ていた間にも外国人の観光客の
方がこの鳥居で写真を撮って、また奥の神社のほうへと
歩いていきました。
あ、そうだ、ここまで来たのだからおまいりに行かなくては
と思って、山王神社のほうへと行きました。
お参りを済ませ、もう一度鳥居を見て、帰ることにしました。

 

今日はここまでといたします。

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24. 04. 03

長崎へ(その10)

浜町まで来たのでしたが、、
そういえば昨日、この近くに眼鏡橋があったよな、と思い出して、、
昨日の記憶を頼りに、眼鏡橋まで行ってみました。
昨日の夜の風景とはまた違った眼鏡橋がそこにありました。

Img_8071_20240330065501

眼鏡橋を見て、今度こそ電車に乗りました。

乗ったころから雨脚が結構強くなって
いました。電車は大変な降りの中、走っていました。
前回乗った路線とは違って、今回は電車はガラガラでした。
お客さんは殆ど乗っていなかったので、こんなふうに車内の
写真も撮ったり、、(笑)

Img_8040_20240330065501
電車を降りて、山のほうに向かって歩きます。
実際に歩いてみるとよくわかるのですが、
長崎というところは、平地がほとんどありません。
戸建ての家もマンションもみんな山の斜面に
へばりつくように建てられていて、、、、

Img_8086
ですから謙介が日常的に見ている自転車、というものを
長崎では一切見かけませんでした。自転車なんて
全く役に立たないのです。
そうなってくると困るのが、週に数回のゴミ出しです。
迷路のように家々が並んでいるところまで
ゴミ収集車は入って行けません。ですから
ゴミ出しの度に、下の道路まで下りてゴミ収集ステーションに
ゴミを持っていかないといけない、のです。
ということは、郵便とか宅配も同じということです。
配達のトラックが家の近くまで行けない、
これまた大変です。山の斜面にびっしりと建った家々を
見て、そんなことを思いました。
(思いながら、謙介さんも坂をえっちらおっちら上って行って
いたのですが)


ここの地名は鳴滝というところです。
長崎で鳴滝、というともうお分かりかもしれません。
シーボルトの家のあった場所に向かっているのでした。
案内板に導かれるように行くと、
やや広い平面の敷地に着きました。

Img_8083_20240330065501
この場所にシーボルト先生のお家があったとの
ことです。
シーボルト先生、ここで現地妻の日本人女性と暮らしながら
(結構よろしくやってたんじゃねーか)
日本の若い人に西洋医学を伝授していたとのことです。
敷地の上には、レンガ造りのシー〇ルト記念館が
あったので、そこに行きました。

Img_8084
この記念館で、シーボル〇先生の長崎での活動が詳細に
分かりました。
で、驚いたことには、すでに先客の見学者が6人ほどいたのですが
全員西欧系外国人だった、ということでした。(全部ご夫婦)
聞こえてきた言葉からドイツの方かなぁ、と思ったことでした。


1時間ほどていねいに展示を見学して、資料館を後にしました。
資料館を出ると幸い、こちらに来た時には雨脚が強かったのが
雨はやんでおりました。
市電の電停から、幸いにすぐに来た電車に乗りました。
今までは長崎市の南から次第に中央部に向かっていたのですが、、
ここから一気に北へと行くのでした。
(今日はここまでといたします)

 

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