おでかけ

24. 11. 12

雲仙へ(3)

バスは40分ほどで島原港へ戻ってきました。
久しぶりの雲仙、温泉も入ったし、地獄めぐりもしたし、
ということでした。
2時5分発の高速艇で再び福岡に戻ります。
乗船手続きをして、船の乗り場に行ったら
お客さんがすごくいて、、(15人くらい)
ちょっとびっくりしました。
今まで4回乗りましたが、いずれも乗船客は
5人から7人くらいだったので、
15人もいたので、びっくり。

この船、船内は、4人掛けと2人掛けの席が
あるのですが、謙介が乗った時は2人掛けの
席は全部埋まっていて4人掛けのほうしか
空いていませんでした。そして
出発間際にまた何人か乗ってきて、、
4人掛けの端の席にいた謙介の横にまたお客さんが
座るということになりました。
びっくり。

船は例によって定刻には出航するのですが
到着は10分くらい遅れる、といういつものパターンでした。
まぁ別に急ぎはしないんですけど、、
三池港に着いて、連絡バスに乗り換え、大牟田駅まで
行きました。帰りの〇鉄の出発時間まで
30分ほどあったので、市役所を見に行きました。
大牟田の市役所、一見の価値のある建物なのです。

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あ、これがJRの大牟田駅です。

駅前には名物の草木饅頭のお店が2軒となりあって
ならんでいます。帰りに買わなくては。

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このお饅頭の話は後程。
市役所、駅のすぐ近くです。
これが大牟田市役所です。

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国の登録有形文化財に指定されています。
この市庁舎の建てられたのは、1936年のこと。
きっとこのころは大牟田は三池鉱山もあったし
街に勢いがあったのでしょう。
行った日は休日だったので、閑散としていました。
この建物、うちの職場にいる大牟田の人に聞きますと
壊すのか保存するのかでずいぶんと長い間もめているそうです。

Img_0861

帰りの電車の時間が迫ってきたので、
見学を終えて、お饅頭を買いに行くことにしました。
草木饅頭のお店は、このお饅頭しか売っていません。
それからこのお饅頭は賞味期限が3日間ということです。
今時だったら、買いに行けば、すでにお饅頭は箱に入っていて
注文によって、その箱を包装紙で包んで、
というようなことですが、、
こちらの店では、個数を言ったら、そのつどそこで
お饅頭を詰めてくれます。
お店の人にとってみれば、手間のかかることですが
買う側からすれば、作り立てを入れてもらえて
うれしい、ということでもあります。

 

電車に乗って家に帰ります。

ホームに行ったら〇鉄の特別列車、
ザ レイル キッチン チクゴが停まっていました。

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これは始発の福岡天神から大牟田の間を
ゆっくりと走って、その間に、電車の中で
ランチをいただくという列車です。
前までは、この天神⇔大牟田の間のランチコースが
6000円くらいだったのですが、、、
(それでも十分高いと思うぞ)

2024年の春から価格改定がありまして、、
11800円という超強気な価格設定になりました。
これは天神から大牟田までの運賃+お料理料金
ということです。天神から大牟田までの運賃は1050円です。
となると10000万円がお料理・お食事代ということなのでしょう。

こちとら、いつも予算1000円くらいの材料で1週間分の
作り置きおかずを作って食べている身です。

こないだの日曜日夕方には、手作りでちゃんぽん
(制作経費300円弱)を作って食べている横を
2泊3日170万円という運賃のJR九州のななつぼしが
通っていきますが、、、(苦笑)

話には聞いていた列車でしたが見たことなかったので、
ちょっと中をのぞいてみました。

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天神からお食事したお客さんを乗せて大牟田に
到着したところだったのでしょう。

まぁそれはともかく。
無事に帰ってきましたよ。

さっそく
お饅頭の箱を開けます。

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中には直径3センチくらいの一口サイズの
お饅頭が10個入っていました。

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一個いただいてみました。
びっくり、おいしいのです。
お饅頭の皮がムチムチとしていて、、おいしいのです。
この饅頭1品で、2軒のお店があって、しかも
2軒とも成り立って今に至っているわけですから
このお饅頭に何かしらの魅力があったから、
ということは想像できたのですが、、
そりゃこの饅頭だったら、どんどん売れるだろうと
思いました。それくらいおいしいお饅頭でした。

 

ということで今回の雲仙編はこれでおしまいです。
最後までお読みくださってどうもありがとう
ございました。

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24. 11. 11

雲仙へ(2)

島原港へはやはり10分遅れで到着でした。
まぁ今回はバスの待ち時間が30分ありましたから、
島原港でのバスの待ち時間が減った、ということではありますが。
最初、バス停横のベンチに座ってバスを待っていたのですが、
あまりに退屈なので、ちょっと周辺をうろうろしてきました。
で、10分少々して、戻ってみたら、、
外国人の方40代のカップル(おそらくはドイツ人 
ルフトハンザのカードをリュックにつっていたし、
ドイツ語を話していましたので)と日本人のお客さんが4人もいて
一気に6人も人が待っていたので、ちょっとびっくりしました。

やがて定刻よりも5分くらい遅れてバスが来ました。
外国人の方々も乗るんですね。行き先表示、バスの正面の行先表示には
漢字で雲仙行きとあったのですが、窓ガラスのところに、
プレートで、For Unzen Spa. とありました。
バスに乗りまして、、最初は浜辺を走っていくのですが
途中から登山道路を走っていくことになりました。
登山道路に入るとともに道路はカーブの連続となりました。
そんなカーブだらけの道路を20分くらい走りましたかねぇ、、
急に土地が開けて盆地みたいな場所が出現しました。
そこが雲仙温泉でした。
窓を細く開けていましたから、そこから温泉の硫黄の匂いが
バスの中に入ってきました。
雲仙は道路沿いに、お湯やら蒸気の噴出しているところがあって、、
いかにも温泉地、というようなところでした。

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前回雲仙に来たのは、もう30年以上前の話で、、、
そのころの雲仙がどうだったのか、ということは
すっかり忘れていましたが、この蒸気とか温泉の噴出する
一角は以前と変わっていない感じでした。
(そういえば、こんな場所あったよな、と思い出しましたから)

まぁせっかく雲仙に来たのですから、まずはお風呂へ
雲仙の中心部からちょっと離れたところに小地獄(こじごく)温泉が
あります。ここに行きました。

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山小屋風の建物で、内部も木組みがじかに見えている建物で
風格のある建物でした。
ここは人気のお風呂のようで、駐車場にも地元の
長崎ナンバーの車だけでなく、佐賀とか福岡、
久留米といったナンバーの車が来ていました。
さて、お風呂に入ります。
お風呂は、「あつゆ」と「ぬるゆ」の2つが
ありました。やはりぬるゆのほうに入ります。
ぬるゆのほうは自分の入るには適温で、ちょうどいい感じの
泉温でした。浴室は昨日前日行った亀井荘とは
ちがって結構広く、20人くらい浴客が入ってきても
大丈夫、という感じの広さでした。
熱くなかったので、出たり入ったりを繰り返し、
お風呂におりました。
さすがに暑くなってきたので、上がることにしました。
お風呂から出て、ちょっと涼んで服を着て、、
町の中心部に出て、お昼をいただくことにします。

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雲仙の中心部は山の上に開けた町なので、
地形に高低差があります。そういうことで道も起伏にとんだ地形
です。
小地獄からは、ずーっと上り道です。
上って行って上って行って、雲仙の町の中心部に入る直前に今度は少し
下りになります。
途中、温泉が湧出しているところを見ることができました。
普賢岳があることでもわかりますが、やはり温泉が
あるわけです。

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あたりは硫黄のにおいがしていかにも温泉地、
という感じです。やはり別府もここもそうですが
こういう温泉の蒸気がふわーっといたるところから湧いていると
ああ、温泉だよなぁ、という気が非常にします。

 

そう思いながら歩いているうちに、町の中心部に来ました。
いろいろなお店がありましたが、、
まあ、ちゃんぽんだったら間違いないんじゃないか、
と思ってちゃんぽんのお店に入りました。
特製ちゃんぽんだそうです。
特製と並製の違いは判らなかったのですが(100円違い)
まぁ特製というからにはスペシャルなちゃんぽんなのだろう、
と思いながらいただきました。
うーん、特製というので味を期待したのですが、、
あまり特製感のないような(麺がおいしくなかった)
ちゃんぽんでした。まぁ観光地だから仕方がないのかなぁ、、、

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行った日は11月4日ということで連休だったせいか、観光客で
ごった返していました。
帰りのバスの時間が近づいていたので、バス停へと行きました。
バスに乗って再び山を下りて島原港へと移動です。

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おもいほか長くなりました。

今日はここまでといたします。

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24. 11. 08

雲仙へ(1)

元気というのか何というのか、次の日は7時25分に家を出ました。
自宅近くからバスに乗って、とりあえず〇鉄の駅まで行きました。
8時過ぎの電車に乗って、大牟田に行きます。
〇鉄の路線、整理統廃合でずいぶんと減ったのですが、
その中でもメインの路線は福岡天神大牟田線です。
〇鉄の路線、大手私鉄の中で唯一だろうと思いますが、、。
鉄道路線は、福岡県内しか路線が走っていません。
他県まで伸ばす、という計画はあった(熊本)のですが、、
その計画は中止になってしまい、、
〇鉄は福岡県内だけ走っています。

それからさっきお話した福岡天神大牟田線ですが、、
メインの路線にもかかわらず、久留米以南は
単線区間が結構あります。
大手私鉄のメイン路線で単線、というのって
他にあるんでしょうか。

確かに大手私鉄、阪急とか阪神とかでも単線の路線はあります、が
それは主要路線ではなくて、どちらかと言えば、末端のローカル線
だと思うんですよね。まぁ〇鉄の場合、久留米を挟んで、
以南のほうは乗降客数も減りますし、、
だから単線でもいいや、
という経営判断なのでしょうか。

さて、電車は大牟田に着きました。
電車の車止めの上の黒いのは、石炭です。

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大牟田は以前は三井三池鉱山があって、炭鉱の街だった
わけですが、、政府のエネルギー転換で
石炭は使われなくなり、それに伴って炭鉱も
閉鎖され、かつての街のにぎわいはなくなって
しまいました。大牟田が一番人口が多かったのは
1980年で、この時は16万3000人の人口を擁して
いたそうですが、、今は10万6000人とのことです。

〇鉄の大牟田駅から連絡バスに乗って三池港まで行きます。
この間大体10分弱くらいでしょうか。
やがてバスはこの世の果てみたいな三池港に
到着します。 バスを降りたところで乗り換えの高速艇の
船員さんが人数チェックに来られています。

バスの乗客は100%高速艇への乗り換え客なので
バスの運転手さんが大牟田駅からの乗客が
全員降りたのを確認して、これで全員です、と
船員さんに伝えていました。
船員さんは高速艇の乗り場に案内してくれます。
謙介は、福岡から島原までの連絡切符を買って
いて、高速艇も事前予約をしていたので、
切符売り場の女性の方に、名前を言って
名簿の確認だけしてもらって乗船ということに
なりました。

Img_0830

前回原城へ行った時にも乗ったのと同じ船でした。
船の所に行ったら、もうすでに船に乗っている人が
10人くらいいて、ちょっと面喰いました。
ツーリングの人たちでした。だからバスに乗って
いなくて、自転車でそのまま港まで来た人たちだったのです。

 

大牟田からバスで来たのが、謙介を入れて4人、
ツーリングの人が10人。全部で14人ほどの
乗船客でした。前回の原城の時が乗船客5人でしたから
今日はちょっと多かったです。
ツーリングの人たちの自転車は船員さんが後部デッキに
ひもでくくって固定していました。
その固定作業のために出航が10分ほど遅れて、、
高速艇は三池港を出たのでした。
今日はここまでといたします。

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24. 11. 07

水俣へ(4)

水俣病資料館の見学も終えたので、またバスで市内に戻ることに
しました。
途中、ローズフェスタをしている公園の横を通りました。
この公園、エコパーク水俣、というそうです。
この公園は資料館の展示で知ったのですが、
水銀で汚染された水銀がたまっていたヘドロを埋め立てて
作った公園なのだそう。
通りがった感じでは、駐車場には車があふれていて
お天気も良かったですし、気候も外出にうってつけの
気候でした。多くの人が訪れていて、
花壇にきれいなバラが咲いているのが見えました。

肥薩おれんじ鉄道の水俣駅までは10分ほどで到着です。
ここから、繁華街のほうへ歩いていきました。
(駅から繁華街までは800メートルほど離れています)
連休とあって、飲食のお店、開いてなかったんですよ。
たまたま開いているちゃんぽん屋さんとか飲食の
お店に入っても満席だったりして、、、

まぁ待ったらよかったのですが、次に行く列車の時間も
あったので、ずーっと待つわけにもいかず、、。
(といっても、謙介が食事をしようと思ったのは
午後2時過ぎで、、昼食の時間というのは
ちょっと過ぎた時間だったのですが、それでも
食堂は満席でした。)

飲食店が極端に少ない、という印象を受けました。
仕方がないので、歩いていて、たまたまあった生協
でお弁当とお茶を買って駅に戻りました。

駅の待合室でお弁当をいただきました。
肥薩おれんじ鉄道の列車は、大体1時間に1本程度です。

まぁ、それでも便数はあるほうかもしれません。

乗車には位置にフリー乗車券を買いました。

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15時前水俣駅発の列車に乗って、湯浦で降りました。

列車はなんだかファンシーな感じで、、、

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水俣から15分ほどでした。駅もこんな簡易な感じです。

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湯浦は水俣の北のはずれの集落です。
町はちょっとした盆地のようなところでした。
駅から歩いて15分ほど行くと、川にぶつかりました。
川の流れも清らかでした。背後の山もきれいなところでした。
西に傾きかけた陽に照らされた山々は木々の葉が輝いていて
それは美しい光景でした。

Img_0786
本当にでかけてきてよかったなぁ、と思いながら
歩いて、、、
亀井荘に到着です。
ここは本来は温泉旅館なのですが、立ち寄り湯だけのお客さんも
受け入れてくれる旅館です。

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受付で入浴料金(350円)を払ってお風呂に行きます。
お風呂はそう広いものではありませんでしたが、
(5人くらい入ったらいっぱい)お湯は格別で
ちょっととろっとした感じのお湯で、湯温もちょうど良い加減のお湯でした。

 

30分くらいの間に出たり入ったりを繰り返しておりました。
名残は惜しかったのですが、再び服を着て旅館を出ました。
駅に戻り、今度は16時11分発の列車で新八代まで行きます。

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新八代での乗り換え時間が7分くらいしかなくて、、
列車が新八代につくと、階段を駆け上がり、改札を出て、
連絡通路を走って、また階段を駆け下りると、ようやっとJRの新八代の駅の
入口に到達です。
ここで新幹線の切符を改札口に通して、、
また階段を駆け上がらなくてはいけません。(ぜーぜーはーはー)
ということで、列車到着の2分前に新幹線のホームに
着くことができました。
新八代に停まる新幹線は1時間に1本くらいしかないので
逃すと1時間くらいまた待たないといけないのです。

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ということで、無事に新幹線に乗ることもできて、
福岡へと帰ってきたのでした。
この日の記録はこれでおしまい。

え? じゃあ次の日? ということで(笑)
長くなったので今日はここまでとします。

 

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24. 11. 06

水俣へ(3)

水俣駅にレンタサイクルもあったのですが、1日で1500円でした。
謙介、水俣で行くのは水俣病資料館とあと街歩きだけだったので、
今回はレンタサイクルは借りませんでした。
(でも後から借りたほうがよかったと後悔はしましたが、、)

バスはほぼ定刻に水俣駅前にやってきました。
超小型のバスです。とはいえ九州はワンボックスカーが
バスです、と言っている区間も多いので、立派なバスといえば
バスです。
駅から7~8分するとエコパーク水俣という大きな公園の横を通ります。
この日は水俣ローズフェスティバル、というイベントをしていました。
この公園にはローズガーデンがあるとかで、そこのイベントとのことでした。
きれいなバラもよかったのですが、とりあえずこの日は水俣病資料館へ
行くのがメインだったので、途中下車はせずに資料館まで
バスで行きました。

資料館下のバス停で降りて見上げると、建物が見えていました。

Img_0777
水俣を一望できる市の南方の小高い丘に資料館はありました。
正確には国が運営している水俣病資料センターと、水俣市が運営している
水俣病資料館と熊本県が運営している環境センターの3つの
複合施設になっているのでした。

Img_0770

最初に国の施設を見学しました。ここでは、どのようなことになって
水俣湾が汚染されて行って、水俣病を発症するに至ったか、
という海洋のほうからの展示でした。
次に水俣市の資料館です。
あたらめて水俣病の起こりから、今までを学習することができました。
最初、水俣湾でとれるエビとか魚が減っていった、そうです。
最初に兆候が現れたのはそういうことで、それから
猫がまともに歩けない、猫てんかんという症状が見えはじめたり
猫がどんどん死んでいく現象が起こった結果、ネズミが大量発生することになって
地域住民が市や県にネズミ駆除をいうようになったり、、
やがて猫だけでなく飛べないカラスが出現したりして
1例とか2例というのではなく、猫がどんどん死んでいく、というような
小動物に大きな変化が出たころから、人間にも
さまざまな特異な症状の出る人が出始めました。
しかしそれがどうして起こったのかわからず、、でも特異な症状の
ある人はどんどん増えていき、、ということになり、
これはどうしても変だということになってきた、ということです。
その間もさまざまな医療関係者の努力もあって原因究明がなされて
いったわけですが、、
最初にこの奇病の原因を特定したのが不幸なことに、汚染企業の附属病院の
医師だったのでした。原因を特定した段階で医師は会社側に
説明をしたそうですが、それ以上の研究をすることは禁止、
ということになって、原因の特定がそこで止められるということに
なってしまったのです。その間もこの奇病の患者はますます
増加していき、、漁民の方たちは、まさか汚染された海の魚に
原因があるとも思わず、相変わらず汚染された海の魚をとって
自分たちの食料や売り物として魚を売ったりしていたわけです。

いつまでも隠せるはずもなかったのですがやがて原因が特定
され始めても会社側は、違う情報を流して、その責任を
認めようとはしなかったのでした。
その一方で、この水俣という街は、この汚染水を放出して
いた会社によって成り立っていたということもありました。
ですから、当然、この会社に勤務していた人も多くいて、、
そういう人からもこの奇病が自社の排出物が原因ということは
認めたくないわけで、、被害を受けた側、会社側という市を二分しての大問題
にもなったとかで、、、そういう経緯が写真パネルをもとに
詳細に展示されていて、、改めて水俣病のことを
学べた機会になりました。

水俣病は決して終わった問題ではありません。
2023年9月27日の大阪地裁判決は、
原告128名全員を水俣病と認め、
国、熊本県及び原因企業の連帯責任を認め
損害賠償を命じることとなった、というニュースがあるように
まだまだ裁判は続いている、今、ここにある大きな課題です。

今年の5月8日にも患者団体と環境大臣の対話の折にマイクを切った
役人がいて、そのことで結構大きな問題になっていましたよね。

丁寧な展示をすべて見終わって、改めて水俣病のことを
知ることができましたし、いまだ終わっていない大きな問題であることも
わかりました。
多分まだまだ知らないこともたくさんあることとは思いますが、それでも
ある程度の情報を得ることができて、やはりここに来て
よかった、と思いながら資料館を後にしたのでした。

きょうはここまでとします。

 

 

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24. 11. 05

水俣へ(2)

今回は前にお話ししたように、新幹線を使います。
そうなると、片道4時間かかるところが、1時間少々で
行けることになります。 ということは出発時間も
遅くても大丈夫ということです。
出発は10時過ぎでした。
最寄り駅ですが、、ぱっと見にまだ夏のような
木の茂り方だと思いません?

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暫くすると列車が来ますという注意喚起放送が
ありました。何が来るんやろ、と思ったら
ゆふ森(ゆふいんの森)でした。

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謙介、この列車、一度も乗ったことがありません。
それから在来線で新幹線の駅まで行きまして、、
10時過ぎの九州新幹線のさくら号で福岡を出ると

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1時間ちょっとで
新水俣に着きます。新水俣にはだいたい1時間に1本の割で
さくら号かつばめ号が停まります。
今回はさくら号でした。行ったのが、11月3日だったので
連休で混んでいるだろうなぁ、とは思っていたのです。
今回は自由席にしました。やはーり電車は混んでいましたが、
まぁ一人だったので、何とか座ることができました。
(仮に混んでいて座れなかったとしても、
途中、どうせ熊本でどっと降りるんじゃ
ないか、とは思っていましたが、、)
新水俣駅から、肥薩おれんじ鉄〇に乗り換えです。

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それが不思議なことがありまして、、、
肥薩おれんじ鉄〇は、九州新幹線の全線開通に伴って
鹿児島本線の一部を第三セクター化したものです。
それで鉄道の車両は全部ディーゼルカーなんですが、、
でも、架線は従前どおり(旧鹿児島本線の時と変わらず)です。
どうしてなの? と思ったら、JR貨物の貨物列車が走るから
とのことです。新水俣駅のホーム。せまっ! 

Img_0753

阪急の中津駅と良い勝負です。
なんたって土地のないところに無理矢理ホームを
設置した、という感じでしょうかね。
新幹線と乗り換え時間7分でしたが、うまく乗り換えもできました。
八代方面からの下り列車は定刻に新水俣駅に着きました。
これで次の水俣まで。
でもさすがに運賃高いんですよ。水俣まで1区間、290円って
高くないですか? (ぶつぶつ)

列車は、5分ほどで水俣に着きました。

Img_0758
JRの頃は、たぶん特急も停まっていた駅だと思うんですよ。
だからホームがやたら長いの。

Img_0762
でも今は肥薩おれんじ鉄〇の列車が普通は1両、
長くて2両連結ですから、ホームの長さ持て余し気味です。

駅舎の外側は以前の昭和の駅舎のままなんですが

Img_0763
内部は、きれいにリノベーションがなされていますが、、
さて、このリノベーション、誰がデザインしたのでしょうか。

Img_0766

何となく想像がつくんじゃないでしょうか? (笑)

ここで30分ほどバスを待ちます。
駅周辺を撮りました。
駅からまっすぐ西には、かつての窒素の会社の正門が、、
いかに窒素の企業城下町だったか、というのがよくわかります。

Img_0769

街の中心部、賑やかかな所は、ちょっと離れているので
駅周辺は特に何もありません。
正面にパン屋さんがあるのですが、今日はお休み。

 

バスが来るまでの時間、駅の待合室に
座りやすそうなソファーが置いてあったので
それに座って待つことにしました。
今日はここまでといたします。

 

 

 

 

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24. 11. 04

水俣へ(1)

折角九州に住むようになった時に、是非、1度行ってみたい
というところがいくつかありました。
その一つが今回行くことにした、水俣でした。
水俣、というと、水俣病、ということで
学校の社会科の授業で多分習ったのが最初だったかと
思います。
いきなり授業で水俣病で大変苦しんでおられるかたの
写真を見せられて、これが水俣病という病気で
地域の企業が海に排出した排水に有機水銀が
多量に含まれていて、それを魚が取り込んで
その魚を食べた猫やカラスに異常が出てくるように
なって、それから人に特異な症状が出るようになって、、
ということを学んだということがありました。

それから高校の時に、『苦界浄土』を読んで、、
というようなことでさらに衝撃を受けた、ということが
あったかと思います。
その水俣が今はどうなっているのだろう、ということは
九州に住むようになって知りたくて、一度行かなくては
と思っていたのです、が、同じ九州と言っても、
水俣は鹿児島に近い熊本で、熊本県南部になって
謙介の住むところからは、結構遠いんですよね。
各停だと、八代行の電車に乗って3時間くらいかかって八代まで
行って、それから肥薩おれんじ鉄道に乗りかえて1時間少々。
合計4時間くらいかかります。これは乗り換えがうまくいって、
です。さっと行こうと思ったら新幹線で新水俣まで行って
ここから肥薩おれんじ鉄道で1駅で水俣です。
これだと小一時間で水俣まで行けますが、特急券とか買っていると
片道で7000円くらいかかるわけです。往復で交通費だけで
1万4000円くらいかかります。だもんでなかなか
水俣に行きたいけどなぁ、、、という段階でとどまって
いたわけですが、もう来年は九州にいない、と思ったら
やはーり、こりゃ九州にいる間に一度行かなくては、
ということになって、
今回ようやっと重い腰を上げるようなことになったのでした。

ということで、今回は福岡から、新水俣まで新幹線、
新水俣から水俣まで肥薩おれんじ鉄道。帰りは
水俣から肥薩おれんじ鉄道で湯浦へ行って、温泉に入って
湯浦から新八代までおれんじ鉄道、新八代から福岡まで
新幹線、という行程になりました。

水俣の名誉のためにお話ししますが、今では関係者の
本当に長年の多くの方のあまりの犠牲やその後の関係の方々の
いろいろな施策があって、本当に美しい海や自然が
あふれる街になっていました。

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いくつかまた今の水俣の風景の写真もお見せできるかと
思います。よろしかったらお付き合いください。

 

 

 

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24. 11. 01

山鹿へ(5)

温泉も入ったし、熊本名物の馬肉もいただきましたし、
友達のSくんにも会えたし、なんですが、
あと、2つ山鹿で体験したいことがありました。
1つは、八千代座に行くことです。
八千代座は、山鹿にある芝居小屋。
前に見た金毘羅大芝居が江戸時代、
内子座が大正時代なのに比べて、この八千代座は
明治時代の建築なんですよ。
どこがどういうふうに違うのか、ということを
見に行こうと思っていました。

 

前にも書きましたが、山鹿の街って、真っ平ではありません。
というのか、結構な起伏がありまして(と、言っても長崎
とか神戸ほどではありませんけれども)坂道を登ったり
下ったりしないといけません。それが結構な体の負担になるのです。
八千代座はだらだらとした傾斜を登り切った街の一角に
ありました。堂々たる外観です。

Img_0730

ここも金毘羅大芝居と同様に、一時映画館になったりしていたのですが
その後、映画の衰退とともに、この建物も打ち捨てられたように
なっていたそうです。それを各地の芝居小屋再興のニュースがあって、
山鹿でもこの建物を観光資源に再構築するというプランができて
内子座とか金毘羅大芝居に人を派遣して街づくりを見学して
今のように補修をして再開場することになったのだとか。

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場内に入ってみました。天井にこの芝居小屋を作るにあたって
資金を拠出した山鹿町内のお店の広告がびっしりと出ていました。
山鹿は明治期は付近の物資の一大集散地で、街も繁栄をしていたそうです。
電話の開設も熊本市の明治34年に次いで41年に山鹿では開始されたとのこと。
大分市が42年でしたから、それよりこの山鹿の方が早かった、という
ことも当時、街が繫栄していた、ということの現れなのだろうと思います。
館内はこんな感じです。

Img_0727
基本的に金毘羅大芝居とかとあまり変わらないなぁ、という気がしました。
ただ、客席内に柱がない、ということは思いました。
本花道があって、脇花道は客席と一体化したような造りでした。
江戸時代の芝居小屋になくて、さすがに明治の芝居小屋にあったものは
警察の臨検席でした。警察官公演を監視に来ていて、
警官が公序良俗に反するような芝居、興行があれば、
政府の意思に反するような興業があれば

ただちに公演中止を命令するための監視の席でした。

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あと、やはりさすがに明治の芝居小屋だと思ったのが
回り舞台の構造でした。
金毘羅大芝居では、回り舞台は、舞台下に4本の柱があって
それに各4人が取りついて、合計16人が「せーの」で舞台を
回すのですが、八千代座では、回り舞台に金属の車輪とレール
(レールはドイツ製)が付いていました。さすがに文明開化の
世の中の制作です。
ですから金毘羅大芝居で回り舞台を回すのに必要だった
16人もの人数が、レールが付いて動きが軽くスムーズに
行くようになったために
八千代座では4人で舞台を回すことが可能になりました。

こういうところが地味に違っていましたねぇ、、
後の構造は、金毘羅大芝居とよく似ていたなぁ、と思いました。

小一時間かけて隅から隅まで見学しました。
帰りのバスの時間も近づいてきたので、八千代座を後にしました。
最後にもう一軒だけ行きたいところによることにしました。
山鹿には山鹿羊羹と言うお菓子があります。

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なんだ羊羹だろ、ということなのですが、、、
この羊羹、普通の羊羹とはずいぶん違った形状をしているのです。
ほら、こんなの。 外側の白いのは、求肥。真ん中はこしあんです。

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こんな形状の羊羹って初めてです。

おいしくいただきました。

無事に山鹿羊羹も買うことができて、バスセンターに
再び戻ってきたのはバス発車の5分前でした。
すでに乗り場にバスは来ていました。
帰りの乗客は謙介を入れて3人でした。
バスは再び1時間かけて玉名へ。

来た時と、違うコースをバスが走ったのですが、、
その途中の経由地で、ああ、これはもう一度ここに来ないと
いけない! と強く思うようなところをバスが通りました。
また近いうちに来ないと、と思いながら、
玉名から門司港行きの区間快速に乗って
帰って来たのでした。

これで山鹿のお話はおしまいです。
今回もお読みくださってどうもありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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24. 10. 31

山鹿へ(4)

食事も済ませました。友達に会うのは13時ということなので
彼の家のほうに歩いていくことにしました。
と言ったって、食事をした場所からはそう遠くないのです。
日本全国となると山鹿の知名度は落ちますが、
九州一円の人だと、山鹿と言うとたいていの人は
灯籠まつり、と反射的に答えると思います。
毎年、夏にこの灯籠まつりが行われるのですが、
今年(2024)の観客数は13万人だったそうです。
山鹿市の2024年1月の人口が約49000人です。
そこに13万人もの人が来る、というのは、やはり一大行事という
ことになるのではないか、と思うのです。

この灯籠まつりの由来について、山鹿市観光協会のサイトを見ましたら
以下のようにありました。(以下引用)

「山鹿灯籠まつり」の起源は『菊池川一帯に立ちこめた
深い霧に進路を阻まれた景行天皇のご巡幸を、山鹿の里人が
松明を掲げてお迎えしたという言い伝えに由来します。
景行天皇を祀る大宮神社に山鹿の里人が献上し続けた松明が、
室町時代に山鹿灯籠へと変化し、
現在のような「山鹿灯籠まつり」となりました。
(引用終わり)

とのことです。その景行天皇の行在所があったのが
山鹿の大宮神〇であって、古くからこの大宮神〇の
お祭りとして、この灯籠まつりが行われてきた、という
ことなのだそう。

もうねぇ、山鹿を歩いていたら、灯籠まつりの他にはなんぞ
ないんかい、と言いたくなるくらいあっちもこっちも灯籠まつり
ばっかりで、、改めて山鹿にとって灯籠まつりがいかに
大きなものか、ということを知った次第なのです。

この踊り、頭に紙製の灯籠をつけて踊る、という考えようによっては

すごい、(こんなのここだけでしょう)踊りなんですが、、

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ポストの上にも灯籠。

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お寺の看板にも灯籠

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もちろんくまもんにも灯籠

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それで謙介の友達というのが、この大宮神〇の宮司さま
ということなのです。(ああやっと接点がきた。笑)
いやまぁ、彼は今は神職なんですけど、謙介にとっては
バンドでベースを弾いていたロック少年(今はロックおっさん)
でしかないんですが。(笑)

さて、神社に到着です。

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社務所に行って、宮司さまはおいででしょうか、ということを
お聞きします。奥から出てきた宮司さま(いやSくん)
ひさしぶりやねー、ということで、話をします。
「お互い年取ったねぇ」って、そりゃそうですよ。一緒に遊んでたのは
10代後半から20代だもん。あれから幾星霜、お互いいろいろなことが
あってここまで何とかきたわけですし、、経年劣化だってありますし。


せっかく九州に住むようになったにも拘わらず、月日はあっという間に経過して
このまま山鹿にお伺いしないと、とうとう会わないうちに九州を
また去ってしまう、というようなことになりかねないので
来たよ、というような話をしました。
こういう時間って、あっという間に経ってしまいますね。
彼は宮司という仕事の傍ら、街のさまざまな要職もしている
大変お忙しい身なので、1時間ほど話をして、辞去することに
しました。最後に神社に参詣しました。
お社の修復を去年やったとのこと。特に屋根の痛みが
激しかったので、何とかしないといけなかったんだけどね、、
ということで聞くと、屋根を前のように銅板葺きにすると
50年くらいしかもたないんで、、ということで、聞くと
屋根をチタン葺きにしたのだそう。チタン屋根の神社かぁ、と
思いました。

 

チタンは軽さと耐久性がある金属です。
先年の熊本地震もあるように、大きな地震があった時に
こういうお社は屋根が重いということで崩落します。
屋根が軽いということは地震対策にもなりますし、、。

 

チタンなんて、すごく高かったんじゃない? と聞くと
うん、ひっくりかえりそうに高かった、だけど、
金属の会社がチタン屋根の神社、ということで
初の使用例だった、ということで、広報になるということで
その宣伝効果を狙って大分まけてもらった、という
ことでした。まぁそれにしても安くはなかったけれども、、。
ということでした。
これがチタン屋根の神社ですが、、でもチタンです、
といわれないと分からないようなもので。
これはこれでいいんじゃないんでしょうか。

このお社の屋根がチタン。

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ということでSくんにも久しぶりに会うことができて
本当によかった、と思いながら神社を後にしたのでした。
今日はここまでといたします。

 

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24. 10. 29

山鹿へ(3)

山鹿バスセンターに到着しました。ここまでで
2時間もかかってしまいました。
行きたいところから行くことにしたために、、
まず行ったのが温泉です。
熊本はもともと肥後の国です。
肥後の肥は、もともとは火の国だったわけですね。
字が火では火事になってあまりよろしくないということで
土地の肥えている「肥」とした、というくらいですから
火山=阿蘇があります。
火山があるということは当然、温泉があるわけで、、
阿蘇山の周辺には有名な温泉がそこここにあります。
そんな温泉の中でも、山鹿の温泉も有名です。
また山鹿は温泉を核とした観光地づくりをしています。

実は謙介の友人もこの街づくりの委員でした。
それで、前に住んでいた愛媛に温泉を核とした街づくり
ということで見学に来られたことがありました。
なので山鹿の街づくりを見ていたら、結構
道後温泉とか、内子座を見て参考にしたんだなぁ、と
いうことがいくつもありました。

まずは温泉の建物です。
平成に入って、温泉の建物を新設したのですが
その際に、温泉の建物を近代的な建物にせずに
わざと古い建て方で建てました。
これがそう。

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多分道後温泉本館を見て、いろいろと考えたんだろうなぁ、
というのが分かりました。
温泉の入浴料は何と350円でした。安い!
道後温泉本館なんか、謙介がいた4年前までは一番安い
のが400円だったのに、今や700円超えているんですよ。
さらに2階に上がって休憩所を使ったりしたら
1300円ですよ。こんな値段毎日おいそれと銭湯みたいに
行くようなことはとてもじゃないけどできません。

観光客のための料金ですよね。
それに比べて山鹿は立派な温泉で入浴価格は350円ですよ。
なんと良心的な価格でしょうか。建物の中は明治・大正時代の
レトロな温泉風の造りで、そこが大変情緒があってよいなぁ、と
思いました。温泉のお湯も、とろとろとした感じで
本当に効果がありそうなお湯でした。

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すっかり堪能して、お風呂を出ました。
温泉を出たら、ちょうど正午でした。

 

折角熊本に来たのです。
やはーり熊本に来たら、「けとばし」ですよ。
これを食べなければなりません。
え? けとばしって何? 馬の肉です。
お馬さん。
馬の肉、実は謙介の今住んでいる街でもたまに売っています。
お刺身の馬肉とか、煮込み用の馬肉とか。
でもやはり牛さんとか鶏さんとか豚さんに較べて
お馬さんのお肉は高いんです。それをわざわざ、という気にも
なれなくて、お馬さんは滅多に買わないのですが。

 

まぁ、折角熊本に来たんだし、ということで
お昼はお馬さんにしました。
温泉からほど近いお食事処に行って、そこのお店の
名物料理、「馬重」をいただきました。
御飯の上に炒めたもやしを敷き詰め、その上に軽くあぶった
馬肉を敷き詰め、卵とショウガを大葉の上に載せてある
というものでした。

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いただく時に特製のたれをかけていただくというものでした。
お店の方が料理を運んできてくださったときに、
お好みでブラックペッパーをかけていただいてもいいですよ、
と説明してくださったので、かけてみたんですが、、
謙介的にはちょっと合わない感じで、、
その横にあった一味唐辛子の粉を少し振ったら
謙介的にいい感じの味になりました。

結構量があったのですが、牛さんと違って、肉の味が
そうくどくなかったので、ぺろっと食べることができて
しまいました。

というようなことで、お馬さん重、おいしくいただくことが
できました。

きょうはここまでといたします。

 

 

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