おでかけ

17. 08. 13

「くま」へ(3)

○治に目下建設中のリカちゃん大学の獣医学部
ですが、今回は大臣への答申を見送って保留にした、
というニュースが先日流れました。

このニュースを見た時、謙介は
ああこれは最終的に通すぞ、ということなのだ、
と思いました。

もし仮に答申はしない、設置認可もしない、
ということであれば、
今回の段階で、文科○はリカちゃん大学に言って、
申請を取り下げなさい、
と言っていたはずなのです。


でも、それをしないで、
「保留」ということにしたのは、次で通すぞ、
ということだと思いました。

今回の申請には、設置自治体の首長の意見が
添付されています。
地元自治体としてもこの大学の設置に賛成していて
協力したい、という一筆です。


単に学校法人だけが申請手続きをするより、そうした
自治体のトップの意見が添えられた場合、
特に申請は通りやすいのですよ。

文科○としても、そういう付帯意見のある申請書を
むざむざと、書類不備、あきまへん、ということは
言いにくいですからね。

ですから、今回の答申見送りのニュースを見て
ああこれで来年の春にはできるな、ということを
思ったのでした。

       ×       ×       ×

それでは、
話をそのリカちゃん大学の場所から、75キロほど
南の場所に戻しましょう。
くまのはなしの続きです。

くまに、地元では有名なお菓子屋さんがあります。

田舎のお菓子やさんなので、
洋菓子だけ、とか、和菓子だけというのでもなくて
まんじゅうも作ります、ケーキも焼きます
バレンタインのころには、チョコレート菓子だって
売ります、というお店で、
洋菓子・和菓子なんでも作る、
というお菓子屋さんなのですが、、

吉野○さんというお菓子屋さんです。

Yoshinoya1
ここの今のご店主のお父さんが、もともと長崎の人で
学校を卒業してすぐに長崎のカステラの老舗、福○屋に入って
カステラづくりの修行をしたそうです。 

その後結婚されて、
奥さんの実家のこの街に来て、古い家を買って
そこを店にした、ということで、ここにカステラのお店が
できた、ということでした。

店内に入ると、カステラを焼く、甘いにおいが
店中にあふれていました。
先日、先代のお父さんがけがをされた、
という話を聞いていたので、今はおそらく
息子さんが焼いているのだろうと思いました。

Yoshinoya21

つまりはこのお店のカステラは福○屋と同じ製法で
作っている、ということなのです。

地元の人も、ここのカステラがおいしい、というのは
多くの人が知っていて、知り合いのおばあさんに
くまに行きます、と言ったら、
ここのカステラ買うてきておくれんかな
と、購入を頼まれたほどでした。

カステラは、10切れにスライスされた簡易包装のものと
金色の箱入りのものがあります。(箱入りのほうが
もちろん値段が高い)
普通に家で食べる、というのであれば、
簡易包装の箱なしでいいのです。

Yoshinoya22_2


カステラを買ったのは言うまでもないのですが、、
もうひとつ、「ロシヤ好み」という銘のお菓子が
ありました。

ちょっと変わった名前なので、
「どうしてロシア好みなんですか? 」と
応対に出てこられた、(たぶん二代目の奥さんと思われる)
女性に謙介聞いてみたのです。
そうしたら「イメージです」ということでした。

家に帰って先にロシヤ好みのほうをいただいてみました。

ロシア好みは、こういう金色の紙に包装されています。
Yoshinoya2

さっそく中を開けてみます。
しっとりとしてはいますが、それでもややかため
クッキーの生地にクリームが挟まれている、という
お菓子です。

ロシアケーキって、
こんなのがそうなのですかね。

京都の村上○新堂のロシアケーキも
こんなふうな、ややかたい、でもしっとりとした
生地のお菓子でしたし。
Yoshinoya3

二つに割ってみます。
黒っぽく見えるのはレーズンです。
クリームはバニラの香りでした。
Yoshinoya4

夏のせいなのか、売れるお菓子に絞っているのか
お店のケースにあったのは
カステラと、 ロールカステラと、
栗まんじゅうとこのロシア好みの4種類しか
ありませんでした。

で、肝心のカステラなのですが、、、うーん。
ちょっと期待が大きすぎたのでしょうかね。

カステラですからねぇ、、

Yoshinoya36

まぁ、無難なカステラの味ですね、というところでした。

予想を裏切らない、といえば予想を裏切りはしませんでしたが
普通、というようなものでありました。

今度は秋になったころに、紅葉を見に出かけたいと
思ったのでした。
これで今回のくまのおでかけの話はおしまいです。
お読みくださいまして
ありがとうございました。


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17. 08. 10

「くま」へ(2)

Taihoji21
大宝寺から、降りる道です。
道に小石がいっぱい転がっています。
おそらく前日の台風で雨が降った時、道路の道幅一杯が
川になっていたものと思われます。
写真では緑いっぱいの木陰の道、という感じだと思うのですが
前日の雨で相当に湿気が高くて、、実際はあんまり
さわやか、という感じではありませんでした。
Taihoji22

それでも脇を流れる清流を見ていると、本当に涼しく感じられ
くままで来てよかった、と思いました。
Taihoji23

道の傍にこんな百合の花が咲いていました。
Yuri
駐車場に戻り、車に乗って、町の中心部へと向かいます。
このくまの町は、上浮穴郡(かみうけなぐん)という郡の
中心地でしたし、古くから林業で栄えた町だったので、
商店街も旧街道に沿って、結構長く続いていました。
町の人口規模もあって、大手のスーパーマーケットも
進出してきていないのですが、何せくまのじんこうそのものが
過疎で減っているのです。人口の分母が減りましたし、
前回も言ったように、道路状況が飛躍的によくなったために
今まではくまの町内で買い物をしていた人が、
隣町の大きなショッピングセンターに行くようになったりして
商店街も寂れ気味になっています。
ちょうど旧暦の七夕祭りの飾りがされていました。
Kumamachi1
仙台の立派な七夕の飾りもいいですが、
謙介、こういう田舎のひなびた、(さみしげな)七夕飾りも
結構好きです。
この商店街の一角に古い商家を改装して作った
「くままち交流館」という建物があります。
Kumamachi2

ここに『東京ラブストーリー』のコーナーがあるわけです。
というのも、主人公のカンチがこの町の出身、
という設定でしたから。

ということで、ここでも撮影をしたのですよ。
で、前回、聴いた音楽が、まぁ、あのドラマのテーマソングだった、
ということになったのでした。
Kumamachi3

ドラマの撮影の時の記録がこうやって今も保存されています。
Kumamachi4
あのドラマ、それこそ一世を風靡しましたもんね。
江湖の婦女子の紅涙を絞ったのか、(笑)どうかは知りませんけど、
今もこのコーナー、結構見学者がいるそうです。

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17. 08. 09

「くま」へ(1)

Kuma2

台風が通過していって、再び酷暑の日が戻ってきました。
気温が36度とか、37度なのでございます。

あと、3週間くらい、のこととはいえ、この辺、
今年は梅雨が大してなかったですから、
もう6月の末以降、ずーっと暑い毎日で、、
いい加減暑さは
もう辟易としています。

ということで思い立って避暑に行くことにしました。

くま、というところに行くのでございます。

くまは、謙介の住んでいる場所から、車で1時間ほど
行ったところにある山の中の町です。

ここは冬にスキー場が開設される場所なのです。
ですから夏も下界よりは、5、6度涼しいのです。
アパートを出発した時の気温が33度でした。

くま、という地名ですが、今は「久万」という表記です。

謙介の思うに、このくまの表記、
元は「隈」(くま)だったと思います。

くま、というのは道がくねくねとなった、そのカーブの場所とか
境界のことを古い日本語でくま、と言ったのでした。
万葉集にも「道のくま」という用法が出てきます。
そこから来ているのだろう、と、思います。

この町に行くには、文字通りくねくねと曲がりくねった
峠道を上がって行きます。

その峠が「三坂峠」(みさかとうげ)という峠道でした。
この「みさか」も由緒のある地名です。

単なる「さか」なのですから、「さか」だけでいいのです。
日本書紀に出てくる「孔舎衛坂」のように、
地名に坂をつけるとか。

にもかかわらず、
わざわざ「み」という接頭語をつけて「みさか」と
呼んだのです。

「み」という接頭語は「美称」であるとともに
「尊敬の対象」としての「敬意」を表します。
単なる坂、ではなくて「み」をつけた意味は
おそらくこの峠に「神さま」がおいでになる、
と、いう信仰を昔の人がしていた、
ということだろうと思います。


少し前に突然噴火をして大勢の人が
犠牲になった「御岳山」もそうですね。
山ですから単に「岳」だけでもいいのですが
昔の人は、そうはせずに
そこに「御」という敬称を付けたのです。
古くからこの山が信仰の対象であった、
ということが山の名からも分かります。

話を三坂峠に戻しましょう。

この峠は、土佐から伊予に入る重要な地点の
峠でした。そして非常な難所でもありました。

2012年に、別ルートのバイパスができるまで
冬になったら、道路の凍結、降雪のために
しょっちゅう道路が不通になっていたのです。
2012年なんて、今から5年前でしかありません。

つまりつい最近まで、この峠は
大変な難所だった、ということなのです。

下の写真が、その峠の方向を写した
行った日のお昼前の様子です。
Misaka

地形的に難所でもあったでしょうし、
気候もこの山の向こうとこちら側では
大きく変わっていたのでは、と
思います。

そうした地形・気候という
大きな境目だからこそ、昔の人は
この峠に神さまの存在を思い、
みさか、という名をつけたのだと
思います。


このくまは、ちょっと前は単独で「くまちょう」だったのですが
例の平成の大合併で近隣の町村と合併して、「くまこうげんちょう」
という名前になりました。
Kuma1

気温はくまに近づくにつれてどんどん下がって行って
くまに着いた時、車の温度表示を見たら、25度になっていました。

アパートを出たときが33度でしたから、8度下がった、
ということです。出たら確かに涼しいのですが、
今日は前日の台風の影響で、ものすごく湿度が高くて、、
まぁ気温が低かったので、それほどむしむしする感じは
なかったのですが、、でもものすごく湿気を感じました。

この町には四国霊場の札所が2か寺あります。
そのうちのひとつ、大宝寺へ行くことにしました。
お寺は山の中腹にあって、近くまで行こうと思えば
車で行けないこともないのですが、途中の道幅が狭くて
離合ができません。なので、手前で車を置いて
歩いて寺まで行くことにしました。
これがお寺への道です。
もうすでに深山幽谷、という感じです。
Taihoji1

道の右側には、清冽な水の流れがありました。
Taihouji2

次第に道は上り坂になっていきます。そして勾配もきつく
なっていきました。それにしても大変な湿度です。
もうじめじめむしむしです。 
そうしてようやっと山門に到着です。
Taihoji4
上の写真、山門がすべて入っていませんが、
山門は限られた平地に建っていて、山門の前には、下がって山門を
写す、なんていうような余分な場所がなかったのです。
もうこれでぎりぎり。

山門を入るとまたさらに坂道があります。(石段でなくて坂道)
それを上ると、ようやっと本堂が見えてきました。
Taihouji4

お寺が山の中腹の限られたような場所に
しがみつくように建てられていて、
ゆったりとした場所、というのはなかったのです。
Taihouji5

こちらは弘法大師をおまつりした、大師堂なのですが、、
なんだか建て方は「観音堂」というイメージの建物でした。
前に西国三十三カ所の観音霊場巡りをしましたが
その時の本堂が、すべてこんな感じだったのです。
Taishidou
このお寺は何度も火災に遭っていて、この大師堂も
1980年代に再建された、と聞いています。

Taishidou2

↓参詣を終えてお寺を出たところですが、、
Taihouji6
もう深山幽谷、という感じでしょ。
ここで火事になったら、そりゃ、大変なことだと
思います。道が狭いので消防車なんて入れませんし、、
お寺、って、お灯明とか、護摩供養で火を使いますし、、
この辺は冬寒いですから、暖房で炭や木を焚いたり
することもあるでしょう。

やはり火災、というのは、本当に怖いなぁ、という
ようなことを思いながら下山したのでした。
きょうはここまでといたします。

きょう聴いた音楽
くま、と言えば、誰がなんと言おうと
もうこの曲しかございませんですね。


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17. 07. 14

初夏、京都へ(6)

Eizan

会場の建物からは比叡山が一望できます。
この眺めは、ここの会場の楽しみでも
ありました。あ、また比叡山が見られる、
という。

会は予定より早く、午後4時に終わりました。
実は、そのあとも、施設の案内とか、懇親会があったのです。
その会にも出たかったのですが、
そんなものに出ていたら、今日中に松山まで帰る、
ということは無理なので、それこそ「断腸の思い」で
(おおげさおおげさ) そこで退席して帰途についたのでした。

会場のすぐ近くに地下鉄の北大路駅も
ありますし、北大路ビブ○もあるので
そこで、とりあえず夕食を買っておきました。

おいしいパンで有名なビゴの○が
ビブ○の中に入っていたので、そこで
パンを買って、地下鉄に乗りました。

帰りは時間を節約するために新幹線で
帰ることにしていて、すでに切符も買っていました。
だって京都駅で切符を買おうと思ったら、行列に並ばないと
いけません。この時間も結構かかるのです。時間の無駄です。

地下鉄で京都まで行って、新幹線に乗り換えです。
10分ほどで博多行きののぞみがありました。

ひかりが先にあったのですが、その列車は
京都から岡山まで各駅にとまるものでした。

何だか昔のこだまがいまのひかりで、
昔のひかりが今ののぞみ、という感じですね。

ぞれでもまぁのぞみになって、速度が飛躍的に
速くなりましたね。 以前は京都から新大阪まで
20分くらいかかっていたのが、今は10分ですもんね。
以前は京都から岡山までが1時間20分ちょっと
かかっていたのが、今では京都から岡山までが
58分です。
そういうことで、京都から岡山までは、あっという間
でした。

岡山駅で新幹線から快速電車に乗り換えです。
岡山から高松まではやはり58分です。

ですから電車の乗り換え、待ち時間を入れても
四国から京都までですと、2時間ちょっと、で
行ける、ということですね。

昔連絡船で行っていたころは、連絡船で
本州に渡るのに1時間。そこから宇野線の快速で
45分。そこから新幹線で、、ということで
大阪に出るのにも3時間くらいかかっていたのが
今では2時間ちょっとになりました。

電車は瀬戸内海の上を走って、四国側に入りました。
右側に沙弥島が見えました。

この島で、柿本人麻呂さんが長歌と短歌をうたっています。

人麻呂さんが、このマリンライナーという快速電車を見たら
何と言ったでしょうかね。(笑)


Shami


そこから20分ほどで、電車は実家の街の駅に到着したのでした。
まだ明るい時間に帰ってきました。
Honeki

バスに乗り換えて実家に帰り、さらに仕事場の街へと
高速道路で移動しました。
実家の街から、仕事場の街まで、
いつもなら、ちんたら走って、4時間くらいかけて
走るのですが、この日は目に血を入れて走ったので、
1時間半で到着することができました。

おかげさまで、夜の10時過ぎには、仕事場の街に
着くことができました。

と、いうことで今回の上洛の話はこれでおしまいです。
旅の話、2編連続にお付き合いくださいまして
ありがとうございました。


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17. 07. 13

初夏、京都へ(5)

さて。
等持院に着きました。


Tojiin
今、等持院は工事中です。
東半分は入れないことになっています。
門のところに看板が出ているのは、そのためのお断り書きでした。

ここも静かなたたずまいで、、
謙介が行った時に、来られていたお客さんはおひとりでした。
Tojiin2
すぐ近くの龍安寺とか鹿苑寺はわんさかわんさか人が
来ているのに、ここは対照的に静かなたたずまいでした。

静かに庭と向かい合います。
Tojiin6

境内の侘助の椿です。 さだまさしの『春告鳥』の歌で出てきます。
Wabisuke

季節にはこんな花が咲きます。
Wabisuke2

書院の長押には、関精拙老師の墨跡がかかっていました。

天龍寺の管長をされた高僧で、関牧翁、大森曹玄両老師の
お師匠さんだった方ですね。 精拙老師のご遷化は1945年
ですから、この書、新しそうに見えますが、戦前に書かれた
ものだ、ということですね。


Seisetsu


等持院を出たのが12時50分でした。
13時30分には、評議員会の席に座って
いなければならないのですが、、

再び嵐電の等持院の駅に走り込み、
白梅町行きの電車に乗りました。
普段なら一駅くらい歩くんですけど、
きょうは時間がなかったので、電車に乗りました。

白梅町の駅に着いて、西大路を見ると
204系統の北大路バスターミナル行のバスが
右から左に走って行ったではありませんか。

謙介さん、また走ります。
幸い、白梅町のバス停では乗る人が多くて
バスはまだとまったままお客さんを乗せています。
ふう、何とかバスに乗ることができました。
時計は13時です。

平野神社前では、○命館の学生がごそっと
降りました。 でもまぁ次のその次の金閣寺前で
またたくさんの人が乗ってきたのですけど、、。

金閣寺のところ、いつも道路渋滞しているので
どうなるのか、と思いましたが、
道は全然混んでいませんでした。
千本北大路の佛大のところは、と思ったのですが
ここも渋滞なく通過することができました。

北大路駅の一つ手前の
北大路新町で降りました。新町のお菓子屋さんで
「水無月」を買うためでした。


Shirominaduki

会場に着いたのが、13時20分でした。
Kaijyo


会場の中の食堂で、すだちうどんをサッといただき、
急いで、会場に。

評議員会の謙介の席に座ったのが13時25分です。
一時は遅刻かなぁ、とも思ったのですが、何とか
時間内に到着することができたのでした。
ちゃんちゃん。

きょうはここまでといたします。

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17. 07. 12

初夏、京都へ(4)

実は今回の旅行は前回の旅行を継いでいる部分も
あるのです。 その話は、またおいおいと。

先生のお家を名残惜しい気持ちで11時に
出発です。
西山天王山から、阪急電車で、桂に。

評議員会の開始は1時半なのです。
会場は北大路駅の近くなのです。
桂で降りることなく、烏丸まで行って、
そこから地下鉄に乗ったら、さっと行けます。

まっすぐ会場に行ったって、1時間半くらい
時間があります。 
せっかく京都に来ているのですから、
ちょっと寄って行くことにしようと思いました。

Katsura1

桂は阪急京都線の整備工場があります。
桂で嵐山線に乗り換えです。
Katsura2

電車の乗り換えの待ち時間が14分で、
電車に乗った時間が5分少々。
途中駅が2つしかありませんからね。
で、嵐山に着きました。
阪急嵐山駅から、嵐電の嵐山駅まで
歩きます。
渡月橋が見えてきました。

Arashiyama06

この日の渡月橋は比較的人が少なかったです。
渡月橋から西を見ると、山の中腹に法輪寺があります。
京都のお子たちは、13歳になると、このお寺におまいりして
知恵を授かります。お知恵を授かった子は、
渡月橋を渡り終えるまでは、振り返ってお寺のほうを
見てはいけないのです。
つまりこの写真のようなことは
絶対にしてはいけません。(笑)


Jyusan

橋を渡り終えて、桜餅屋の前を通って、京福(嵐電)の嵐山駅に
行きます。
久しぶりにこの辺を歩いたのですが、
新しい店もたくさんできていましたが
その中に、何軒かは昔と同じようにある店もあって、、

ふーんと思いながら、店の前を歩きました。
折から、修学旅行の生徒が多かったです。
Arashiyama07

さて、嵐電に乗ります。
Randen1
電車はすぐに発車しました。
電車は嵯峨駅前、車折神社、鹿王院、有栖川、と走って行きました。
有栖川宮の名前の由来になった「有栖川」も渡りましたよ。
5メートルくらいの小川ですが。

電車は帷子ノ辻に着きました。
ここで北野線に乗り換えです。
Katabira1

ああ、駅名表示のフォントが変わった、
と思いました。
前のはこれです。
Katabiraold_2


外人さんが多いのを意識して変えたのでしょうか。
ひらがな表記よりローマ字表記のほうが大きいですね。

漢字も各画の線が細くなった分、明快な印象に
なった、という気がします。


しかし、この駅のたたずまいは昔のままです。
以前はこの上にジャスコがあって、
常盤の辺の八百屋、おかずや、豆腐屋で
買えないような食料品や日用品をよく買いに来ていた
ものでした。


Katabira2


Katabira3
北野線に乗ります。

前の東京・鎌倉旅行で乗った、江ノ電と
嵐電は相互協力をしています。

それを知ったのが前に鎌倉に行った時に
江ノ電なのに「嵐電号」という電車に乗りました。

嵐電の塗装色に塗られた電車が江の島を
走っていて、嵐電になじみのある謙介さんと
しては、何やら懐かしいような、え? 鎌倉まで来て
嵐電なの? という変な気持ちもしたりしたのでした。


以前は帷子ノ辻を出たら、次の駅は
常盤だったのですが、今はその間に
「撮影所前」駅ができました。

懐かしい常盤、鳴滝、と電車は
停車を繰り返し、終点の白梅町を向かって
走って行きました。
等持院に着きました。
Toujiinsta1

嵐電の北野線は、基本的に単線です。唯一、鳴滝から常盤の
間だけ、複線になっています。江ノ電も嵐電も
古都を走る小規模の電車、民家すれすれのところを
走る、というようなところ、共通点がありますね。
Tojiinsta2

今では更地になっていますが、
昔ここには友人の家がありました。
彼は離れのお蔵に住んでいました。
そして、彼の家の南側は、
鎌倉のところでもお話した、
高橋たか子さんの家の実家でした。
Usuisan
高橋和巳と結婚したたか子さんは、一時期、
この等持院の家にも住んでいた、とのことです。
高橋和巳もこの辺を歩いたりしたのかなぁ、と
思ったりしました。

そんなことを思いながら、等持院に向かって歩いておりました。
今日はここまでといたします。

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17. 07. 11

初夏、京都へ(3)

最近は外国人観光客が多い、というニュースを
よく聞きます。 
先日も、京都は外国人であふれている、
というようなニュースを見ました。
場所は清水寺。

あれ、清水寺とか鹿苑寺が、外人向けのガイドブックの
表紙になるから、なんでしょうかね。

日本人の観光客だってそうですね。
どうしてああも決まりきったところしかいかないのかなぁ、
と思います。

京都だって清水寺、鹿苑寺、以外にもっと
訪れたらよいような場所は山ほどあるのに、、
あと、嵐山とか。

余計なお世話だろうから言いませんけど、
京都の人間は、
「カップルで嵐山に行くと、ご破算になるえ」
と言って行きません。(笑)

Ikunoさんもおっしゃっていたように、
そういう人は、ありきたりの観光コースしか行かない、
ということなんでしょうね。

だから逆に言えば、そういう観光コースの場所さえ外して
おけば、観光客は来なくて、
静かな探訪ができる、ということですね。


さて。今日は中国人民との
大世間話大会の日でもありました。


長岡京の先生のお宅には、元同僚が待っていました。
中国の某大学の何(か)先生です。

先生は、今、交換教授で、日本に2年ほど滞在していて
今年の9月に中国にお帰りになるのです。

先生は謙介が中国に行って日本語を教えていた時の
同僚のです。お歳は40ちょっと。
あのころは、東京学芸大○の院を終えられて
大学に来て、すぐだったころでした。


奥さんは、日本の長ったらしい名前の銀行の
上海支店に勤務しています。

先生の職位は講師で、謙介が一緒に仕事をしていた時と
お変わりありません。

お子は2人いて、上の男の子は今、シンガポールの
全寮制中高一貫校に入れているのだとか。
なので、ご自宅は、銀行員の奥さんと、女の子が
2人でいるそうです。

中国の学校の先生は副業をしても、全然問題がないので
先生も副業やりまくりです。 加えて奥さんの月収も
外資系銀行で、そこそこの地位ですし、
銀行員なので、どうすればお金が殖えるか、
ということは専門です。

なので、何先生は金満家なのです。

先生、こないだ、京都の龍安寺の近くに
お家を買った、とおっしゃっていました。


何先生に会うのは、本当に楽しみにしていました。

日ごろ、中国からのニュースと言うと
なんだかなぁ、というニュースばっかりなのですが
この際に、本当のところはどうなの? というような
話を聞こうと思っていたのでした。

何先生、ずーっと講師のまんまなのです。
教授になれるお歳なのに、ずーっと講師でいて、
どうして助教授→教授になろうとしないの?
と聞いてみました。

そうしたら、助教授になろうとしたら、
まず自分が国家プロジェクトにどれくらい
応募して、研究したのか、という実績が要るのだ、
と言いました。
そこは日本も似たようなものです。
科研費に応募して、それが採択されて、研究実績を
積む、ということが日本でも重要視されます。
それから、と、何先生は言いました。

あと、党中央にどのように貢献したか、とか
大学当局に対してどのように貢献したのか、
という業績調書を書き上げなければならない、と聞きました。
その調書は、厚さが5センチくらいになるのだとか。

「そんなん博士論文を書くのと
おんなじやんか」と謙介思わず
言いました。「そうなんですよ。それでね、
よしんば教授になったから
と言って、何が変わると思います? 」
「お給料とか上がるでしょう?」
「日本円で、1万くらいですよ」
「ええええ、それだけの労力で、1万円なの? 」

「労力と、収入に見合わない」と先生がおっしゃいます。
さっきも言ったように、何先生、奥様の収入も相当のものです。
講師の身分で、最低限地位と、お給料は確保しておいて
後は、こっそりとお稼ぎです。

名を捨てて実を取る、というのでしょうかね。 
さすがのしたたかな生き方だなぁ、と思いました。
大学では、最近、何先生の
学科の学科長が変わったそうです。

「その人ね、日本語なんて
ほとんど話せないんですよ」
「でも学科長だから、
それなりの資格は持っているんでしょう?」
「博士号は持っています。 その人、日本語学でね」
日本語文法の研究だから、話せなくっても大丈夫、
という論法のようです。 

「ははぁ、わかった。 
党中央と太いパイプがあるんでしょ」
「ぴんぽーん」
「学科の思想監視、ということですか?」
と、聞いたら、「そう」ということでした。

ちょっと前から、特に思想に対する
監視がずいぶん厳しく
なったのだそうで、、。思ったことが言えない、
口を閉ざさなければ
ならない、ということが増えたそうです。
まぁ、そうだろうなぁ、ということは日本にいても、
感じますねぇ、というような話をしました。

そういうふうに「自分の思いを表現できない」状況になった
時に、かの国の人は、どうするのか、と聞くと、
「そんなもの、自身で行動するのですよ」
というお答えでした。
つまり、国内から出て、外国に逃げるのだそうです。
「だったら話せるでしょ」 ということでした。

かの国の人が外国に出る、というのは
「そういう理由もたくさんある」ということを
改めて知ったような次第でした。

いろいろな話をしたのですが、、
奥さんの仕事についても尋ねました。

「奥さん、日本の銀行にどうして就職したんですか?
中国人なんか、おそらく日本の銀行なんて、合わない、
って思うんですけど。 嫌とか、言ってないですか?」
「いつも言っています。 でもどうしてわかるの?」
「日本の銀行って、本部からの方針がすべてで、
現場の状況に合わせて、適宜変えて、
なんて許さないでしょう?」
「あーそれそれ」
「だから、支店の社員なんて、
本当に将棋の駒みたいなもので
意思を持って、いろいろと動く、ということはできないでしょ」
「そうなんです。外資系でも、他の国の銀行だったら
現場の状況・現場の判断、ということを大胆に生かして
させてもらえるんですが、、」
「日本の銀行はそういうの、許さないからねぇ」という話をしました。

実は謙介、ずいぶん前に一人の中国人の身元保証人になったことが
ありました。彼女は、上海の学校を出て、東京大学の大学院に
入りました。修了後、当時の富士銀○に入行したのでしたが、
その時に、日本の銀行がどうなっているのか、という話を
よく聞かされていたのです。

何先生との話の中で、
やっぱり今も日本の銀行って、
そういう組織風土なんだなぁ、
ということもわかりました。

現場が実態を良く知っているのだから
フリーハンドで任せられるような組織にしなければ。

こんなふうだから世界から取り残されるのだ、と
謙介は思います。


それから今、日本企業が
中国から離れて出て行っている、
ということについても話しました。
「あのね。 プリンターの会社で
エ、、という会社があるでしょ」と
何先生が言いました。あの会社、
上海と蘇州の間の地区に
工場を建てたのだそうです。
そこが操業を始めてから、
川の汚水が一気に増えたのだそうで
。しかも、検査の結果
有毒物質の含まれた汚水をろ過もせずに
川に流していたとか。

それがわかって、汚水を何とかしろ、と
中国人が会社にデモをした、と。
そうすると、そのデモを人民政府が圧力をかけて
つぶしてしまったのだそうです。

しばらくそのエ、、、なんとかの
会社は操業していたのですが、
そこの工場は閉鎖して、
今はその工場はベトナムに
移ったのだそうです。 ベトナムでも有害汚水を
巻き散らかして環境破壊を起こしているのでは?
と思います。

ユなんとかというファストファッションの
チェーン店もそうですよね。冬になった
らカシミヤの入ったセーターを
安く売りますが、その原料のカシミヤ羊を
飼育するために中国奥地の草原は
羊を飼うことになって、一気に砂漠化が
進んでいます。

あの会社、瀬戸内海の島の緑とか、環境を守る、という
ようなオリーブ運動をしていますが、
よその国に行って、環境を
壊しているわけで、、ねぇ。

まぁこれは何先生と会話した中の一部なんですけど、、
もう日本のマスコミに出ないような話の連続で、、
いろいろと話を聞くことができました。
何先生のお土産は、中国のお茶でした。
Chainatea1

しゅーきんぺーもこのお茶を飲んでる、という
お話でしたよ。

Chinatea2

何先生は夜、遅く、阪急に乗って龍安寺のお家に
お帰りになったのでした。


(今日は全然京都の話ではなかったですね。笑)

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17. 07. 10

初夏、京都へ(2)

Myoshinji7
妙心寺を後にして、市バスの乗り場に急ぎます。
バス停の妙心寺前から、93系統のバスに
乗るためです。このバス、1時間に3本くらいしか
ないので、バスを逃すと、結構待たないといけません。

でも、これでも93系統は飛躍的に本数が増えたほうなのです。
以前は、2時間に1本くらいしかありませんでしたから。

以前は91系統の四条烏丸市バスセンターから
大覚寺行のバスは便数が多かったのですが、
この系統、便数がものすごく減ってしまって、
ひどい時間帯になると1時間に1本だけ
という時さえあります。
そんなくらいに減ってしまいました。


とりあえず、妙心寺前の
バス停に行ってみると、幸い、バスはまだずいぶん西の嵐電の
常磐駅あたりを走っているようすでした。

結局バスは5分ほど遅れて、バス停にやってきました。
ここから京都を横断します。

西大路、千本、堀川、烏丸、と京都の主要な
南北の通りを越えて、御所を越えて、
バスを河原町丸太町で降りました。
ここから北にしばらく歩きますと、
荒神口の交差点があります。

なぜこの交差点が荒神口というかと言えば
この交差点を西に行ったところに
清荒神さんがあるから、なのです。
Kiyoshi1

清荒神というと、
宝塚の清荒神清澄寺が有名ですが、、。
荒神、と「神」が付いていながら、お寺だったりするんですよね。
神仏混淆のところですね。


京都はここです。 荒神さんは厨をつかさどります。

Kiyoshi2

荒神さんの境内に名水の井戸がありました。
この荒神さんの横は御所ですから、
御所と同じ水系、ということになりますね。
Kiyoshi3

さて、荒神口の交差点に戻って
今度は東に行きますと、
荒神橋があります。


Kojinbashi1

ここに来たかったんですよ。
Kojinbashi2
荒神橋の橋の上から、上流をぼんやりと眺める
ということをしたかったのです。
しばらく橋の欄干にもたれて、北の方を眺めていました。


この時期の京都らしい、どんよりとして、
山には靄がかかった風景です。
Sanshisuminei
こうした気候は確かにじめじめしてはいるんですけど、
この気候が、極度の乾燥を嫌う、竹細工や染色、と
いった工芸とか、お菓子作りはこの湿気を生かしてきた
という歴史もあることを忘れてはいけない、と思います。
このじめじめと京都の人間は付き合ってきた、
ということですね。

Kojinbashi3
荒神橋のところにも飛び石があって、川を渡れるようになっています。
これも楽しみにしていました。

Tobiishi

さて。12時近くになりました。
本当はかもがわカフェに行きたかったのですが
まだ開いていなかったので、こっちにしました。
京都のラーメン屋さんと言えば、ここも有名なところです。
新福飯〇の府立医大前店です。
Shinpuku1

新福飯〇は最近では全国あちらこちらにできましたが、
(今度獣医学部ができるできない、と言って大騒ぎしている
某市にもあります)、ほとんどはフランチャイズのお店です。

でも、この府立医大前店は、直営店なのだそうです。
京都風の味の濃いラーメンです。
Shinpuku2

時々、京都の料理の味が薄味、
とか言っている人がいますが、
あれはあくまで料理屋の料理の味付けであって、
一般家庭の京都の料理の味というのは、
濃くてこってりしているのが好まれます。

天下一品のこってりラーメンは
京都の北白川でできましたもん。

ああいうこってりとした濃厚なお味が
実は京都人は大好きなのです。


コーヒーにしても、濃く、しっかりした淹れ方のものが
好まれます。

謙介のコーヒーの基準もイノダのそれ、なのです。
なので、たまに他所で、「うっすいうっすい」コーヒー
をいただくと、どうも頼りなくていけません。


さて食事も済ませたので、河原町通りを南に下がって
河原町丸太町の交差点を右折して寺町のほうに行きました。


Gosho
大内山が見えたところで左折して南に行きます。
途中、下の御霊さんの前を通ったら
夏越のしつらえがありましたので、
おまいりしてきました。
Shimogoryo
寺町を下がって京都市役所まで。
いつもだったら、四条烏丸まで歩いたのですが、

今日はむしむししていて、ちょっとしんどかったこともあって、
市役所前から地下鉄に乗って、御池で乗り換えて
四条烏丸まで行きました。
四条烏丸で阪急に乗り換えます。
先生の家が、長岡京に移ったので、
そちらに行きます。

新しい家は、長岡京と言っても、
長岡京の一番南の端なのです。
先生の家があったところに、
阪急電車の西山天王山駅ができて
ものすごく便利になりました。

行くのは、最初、特急に乗って長岡天神まで行って、
そこから普通に乗り換えて、一駅、西山天王山へ、と
思ったのですが、

特急はものすごく混んでいたので、
ガラガラな準急で
行くことにしました。
準急なんて、京都市内・郊外の辺の駅は
全部停車するので、
普通の電車と同じなんですけど。
でも座っていけます。


Nishiyamatenozan

阪急電車のホームのたたずまいって、
どこも同じような建て方、なので
新しい駅、と言いながら、
降りた感じは、前からここにあった駅のような
気がしました。 (ただトイレの設備とか、
バリアフリーの設備は
当然最新のものではありますが。)
子の駅は、準急・普通の停車駅です。
Nishiyamatenozan2
先生の家は、ここから歩いて5分。
予定の午後1時過ぎに、到着できたのでした。

今日の音楽はもちろんこれでございます。

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17. 07. 08

初夏、京都へ(1)

6月25日・26日の両日、京都に行っておりました。


実は、とある団体の評議員になっておりまして、
その評議員会があるというので、
出かけていった、ということです。


なんだかこの月は毎週どこかに行っていた
と言う感じでしたが、、。

前回までの東京・鎌倉に続きまして、
旅の話が続きますがよろしかったら
お付き合いください。

25日の朝、5時28分発の高速バスで出発しました。
天気は、、微妙です。 到着地の京都市の天候は
曇り、ところによって小雨、とのことで、
傘は持っていきます。

Shuppatu

日曜だったせいで、いつもは混んでいる阪神高速の
阿波座の辺もスムーズに走れました。
難波着も予定より若干早い到着でした。
いつも中之島のビル街が見えたら、そろそろ梅田だなぁ、という
気がします。
Nakanoshima

今日は、難波で降りずに、終点の阪急3番街まで
行きました。
このバスの終着は、阪急梅田駅の真下なので
乗り換えが楽でした。
バス降り場の上のホームに向かいます。
Umezu
阪急の快速急行に乗って、四条大宮で降りました。
四条大宮から、91系統の市バスに乗ります。
木辻南町で降りて、ちょっと友達のところに寄って
お土産を渡し、そこから歩いて、妙心寺に。
本当に緑が美しい。
Hsanazono1

妙心寺の開山堂のあたりから、
玉鳳院の方向を見たところです。
Myoushinji1

こちらもあじさいの花が美しく咲いていました。
Myoshinji2

毎年のことですが、6月15日から30日まで、妙心寺の
塔頭寺院のひとつ、東林院で「沙羅の花をめでる会」を
やっていまして、ちょうど時期も合ったので、久しぶりに
行ってみることにした、というわけでした。
Torinsan1
東林院には、以前友達が住んでいて、よく会いに行っていました。
その友達もずいぶん前に引っ越して、それ以来、
もうここに行くこともなくなっていたのです。

今回、東林院にこうして来て、建物を見て、本当に久しぶりだなぁ、
と思いました。そうして、よく友達に会っていたころは
もう、ウン十年前で、、玄関のたたずまいも新しい感じがしていたのですが、、

今回実際に行ってみると、ずいぶん古びた、という感じになっていて、
やはり時間が経過したんだなぁ、ということをしみじみと思ったのでした。
入り口でお茶券を買います。その時に、名前を告げて
受付の人が、お茶券に名前を書き込みます。

玄関で靴を脱いで、書院のほうに入ります。
そこにお茶席担当の僧侶の方がおいででしたので、
その方に券をお渡ししました。

暫くすると、名前を呼ばれ、お茶席に案内を
受けました。床を中心に左右に緋毛氈が敷かれて
そこにお茶席がしつらえられていました。
Torin5

そのうち、僧侶の方が、お茶とお菓子を持ってきて
くださいました。 お菓子は、沙羅の花を
イメージした白いお菓子でした。
Torin6
お菓子は、○月のお菓子でしたね。

○月は、以前からお菓子のパッケージの文字を
妙心寺の管長さんに書いてもらう、とかして
妙心寺御用達のお菓子屋さん、というところなので
必然的に○月になった、ということなのでしょう。

京都の老舗のお菓子屋さんも、今では二重構造に
なっています。

お茶の席のお菓子でも、茶道のお家元直々の
お茶会、もしくは、お家元に近い先生が
催すお茶会であれば、本店の腕のいい職人が
お菓子を担当します。 ですが、そうでない一般の
方のお茶会の場合は、郊外の工場の普通の
お菓子作成係りが作ります。

たとえば虎○なんかでも、本店は御所の横ですけど
南丹市の園部に、工場があります。
ですからお家元のお菓子は、一条の本店で作って
そうでない人のお菓子は、園部で作ってもってくる、
というようなものなのでしょう。

○月はどうでしょうかねぇ。

お茶をいただいた後で、お庭を拝見いたします。
庭の南西隅に、沙羅の木が植わっていて、、
その花の季節には、こうして、沙羅の花を
拝見できます。
Sara1

インドの沙羅の木とは違って、
これは夏椿、なんですけどね。

まぁ、細かい詮索は措くとして、
この季節に涼やかな夏椿の花を
めでるというのも、一興かと思います。

Sara2

沙羅の花は1日しか持ちません。咲き終わると、落花して
しまいます。 みかんの花も1日くらいしか持ちませんが
それと似たようなものですね。
Sara4

この東林院に久しぶりに来て、本当に久しぶりにこの沙羅の花を眺める
ことができました。沙羅の木は昔と変わらずに同じ場所にあって
花をつけては、また落とし、を繰り返してきました。

まさに、

古人また、洛城の東に無く
今人また対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言を寄す全盛の紅顔の子
応に憐あわれむべし 
半死の白頭翁

というところでしょうか。
しばらく庭を眺めながら、そんな以前のことを
想ったりしておりました。


きょうはここまでといたします。


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17. 07. 05

やれやれ。どこまでも迫ってくる「地元」・ツアー(14)

鎌倉駅から、鎌倉宮行のバスに乗ります。
こちらも距離的にはそう遠くないのですが、
時間短縮で。

Bus
と、思って乗ったのですが、、
若宮大路、観光客で道路が渋滞しています。
やっぱり歩いたほうが、良かったかなぁ、と
思ったりしましたが、、。鶴岡八幡宮の前を通り越した
あたりから、どんどん走り出して、、
やはりバスの速さはありがたかったです。
終点の鎌倉宮で降ります。

鎌倉宮に到着です。
Kamakuramiya1

本殿の前に神楽殿があったのですが
そこで、新人巫女さんが舞の練習を
していました。
Kamakuramiya2
それはいいんですけど、ここにお酒が奉納されていたのに
謙介、目が行ってしまいました。「千福」って、広島の
お酒なんですけど、、 どうして、千福なんだろう???


時々こんなことがあります。
前に東京の市ヶ谷の神社にお参りしたのですが、
そこに琴平町のお酒「金陵」がお供えされていて、、
どうして東京の真ん中の神社に、香川のお酒なの?
と思ったことがありましたが、、。

鎌倉宮をおまいりしたのち、神社の前の道を奥のほうに
歩いて行きました。
すると、永福寺の跡がありました。
このお寺、鎌倉幕府の時に建立された、大きなお寺だったのです。
復元想像図を見たら、宇治の平等院鳳凰堂くらいの
規模のような寺院でした。
このお寺のあるあたりの地名は「二階堂」というのですが、
特に真ん中のお堂は二階建てだったらしく、
その二階建てのお堂が地名の由来になった、と
言われています。

Eifukuji1

今はこんな感じで、基壇と礎石だけになっています。
石を傘の先で、つついてみたのですが
平城宮跡の礎石みたいに、強化プラスチックで
つついたらぼこぼこ、というようなちゃちなものではなくて
ちゃんとした石でした。
Eifukuji2

この永福寺跡の正面の山が、後醍醐天皇の皇子だった
護良親王の墓所です。
Morinaga1

通りから入って、墓所のほうに行ってみました。
こちらのほうも全く観光客はいませんでした。
静かな落ち着いた場所です。
謙介、写真に見えた階段ぐらいかなぁ、と
思って、のぼりはじめたのでしたが、、
Morinaga2

最初の階段をのぼって上にいったら
あらわれたのが↓でした。
Morinaga3

階段は一気に上まであって、
途中に踊り場があるとか、平坦な場所が
ある、というようなことはありません。
一気にあがりました。 ふうふう。

この一気の階段をあがったあと、もう少し階段が
ありまして、、でも、この向こうは垣根があって
行くわけにいきません。ここでおまいりいたしました。

Motinaga4

実はこの護良親王の墓所の横に、
謙介の好きな小説家だった高橋和巳とたか子さんの
家がありました。 今は最初の家は壊されて、
この墓所の向かい側に家があります。
その家もちょっと見たかった、ということが
ありました。たか子さんも先年お亡くなりになって
今は遺言で相続人に決まっていた方がお住まいです。

そこから今度は、報国寺のほうへまわりました。
ここをおまいりし終えて、バスで再び市内に戻りました。
Hokokuji1
鶴岡八幡宮のひとつ手前で降りて、、
お蕎麦屋さんに入りました。
Saori

茶織庵で、天せいろをいただきました。
待つこともなく、すんなりと座れました。

うどん文化圏の人間なので、東国に来ている間は
なるべく蕎麦を食べておこうと思っていたので、、。
Saorisoba

お蕎麦屋さんを出たあたりから、観光客の数がどんどん
増えてきました。若宮大路に出たら、もうすごい人で、、
大路を突っ切るときに、遠くからですが、八幡さんに
おまいりしました。
Wakamiya

若宮大路をつっきると、さらにさらに観光客が増えて、、人出で道路を
さっさと歩くこともできないような人出になっていました。
鎌倉に来た人は、ここにいたのですねぇ。
小町通は本当に人出がすごかったです。
小町通をさらに通過して西のほうに行って
鎌倉市立川喜多映画記念館に寄りました。
ここは、昭和時代の映画の輸入業者・プロデューサーだった
川喜多長政、かしこご夫妻の邸宅を
鎌倉市が購入して、記念館に改装したものです。
Kawakita1

館内には川喜多夫妻が輸入・制作にかかわった映画、
鎌倉を舞台とした映画のポスターがいろいろと飾って
ありました。
もちろん最新作は吉田秋生原作の「海街diary」でした。
Kawakita2

ここで展示を見ていましたら、係りの人が
「雨が降ってきたので、入り口の展示を動かさないと」という
声が聞こえてきました。「あらあら大変な雨」という声も。

天気予報は正確でした。
昼頃から雨です、と言ったら
その通りに、、。

謙介、後は、鎌倉駅方面に戻って
ちょっと休憩したら、電車で羽田へ行くだけ
だったので、そう困るようなことはなかったのですが、、
外に出てみたら、なるほど結構な雨です。
傘はもちろん持ってきていたのですが、
濡れた傘を持ってうろうろするのが、
ちょっと嫌だなぁ、と思っていたのです。
人で多そうな小町通を通らずに、
若宮大路を南に歩きます。

鎌倉に来たらお約束の「鳩サブレー」を買いまして(笑)
Toshima
またいつか鎌倉に来たいなぁ、と思いつつ、、。
Ninotori


駅前まで、戻ってきました。
駅前のエクセルシオー○カフェでちょっと休憩しました。

Kamakuraeki8

東急で夜に食べるパンや食料品を買って、
預けていた荷物を取って、鎌倉駅を出発です。

Ozashiki
鎌倉駅にはJR東日本のお座敷列車の「宴」がとまっていました。


鎌倉から横浜までJRで、横浜駅で京急に乗り換えて羽田へ。
京急の横浜からはうまく羽田行の電車に乗ることができました。
終点まで行って、エスカレーターをあがれば、オッケーです。
羽田も盛大に雨が降っていました。
Haneda20

四国便なんて何せ辺地行なので、
いつも出発ゲートは端のはしのはし、で
ものすごおおおおおおおおおく歩かないといけないので
やれやれだ、と思っていたのでしたが、、
今日の出発ゲートはどういうわけか、63番でした。
63番って、荷物検査場のすぐ前なんですよ。
長々と歩かなくてよかった、と思いました。

16時20分に荷物検査も済ませて、、、待合のベンチに座りました。
17時10分の出発で、搭乗開始は16時55分とのことでした。
と言ったって、最初はご老人とか妊産婦の方の搭乗があって、
星組ゴールドメンバーの方とか、エグゼクティブクラスの方が
ご搭乗になるので、我々貧乏人・下々の者の搭乗はいよいよ
最後のほうです。
17時台の羽田は、出発便で混む時間帯なんでしょうね。
飛行機が滑走路の端まで行くまでにずいぶん待ちました。
羽田から四国までの所要時間は1時間半、ということに
なってはいますが、実質飛行時間は1時間で
30分は、滑走路での待ち時間、という感じですね。


帰りの飛行機は、ずーっと雲海の上を飛んでいきました。


Ana30

ようやっと雲が切れて視界が広がった、と思ったら、
岡山県上空のあたりでした。飛行機は瀬戸内海上空を飛んで
尾道の辺で左に旋回し、しまなみ海道沿いに四国に入りました。

尾道のあたりから「着陸態勢に入ります」というアナウンスが
ありました。


で、飛行機は当然今治の上を。
つまりは、今、話題の獣医学部建設現場をかすめて
飛びました。
さすがに「ただいま、下に今話題の獣医学部の建設現場が
ご覧になれます」というようなアナウンスはありませんでしたが。(笑)

海側から東に向かって着陸していきました。
見慣れた街並みが目に入ってきて、、
旅は終わったのでした。

空港からはリムジンバスでバスターミナルまで行って、
そこから郊外バスで帰りました。

ということで長々とつづってきた今回のお話、
これでひとまずおしまいです。
最後までお付き合いくださいまして
ありがとうございました。

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