おでかけ

18. 07. 06

近畿をめぐる旅(その10)

さて。評議員会が終わりました。
脱兎のごとく帰らななければなりません。
4時半に「そんなら帰らせていただきます!」と言って
会場を後にしました。
地下鉄に乗って京都駅まで15分。
そこから新幹線乗り場に急ぎます。
行ったら、広島行ののぞみ115号が後10分ほどで
来ることになっていました。
115号で岡山へは1時間。岡山駅で20分ほど待って
まりんに乗ります。実家の駅に着くのが、7時38分
そこからバス乗り場までまたダッシュです。
7時42分のバスに乗ると、
何とか実家に午後8時前には
到着です。 20時半に家を出発したとして、、
22時半には
仕事場のアパートには到着しそうです。

のぞみは、京都駅でいつも結構な人が降りるので
一人旅ですし、たいていは座れます。
もし京都がダメでも、新大阪でどっと降りるので
新大阪からは座れる、と思います。

のぞみが入線してきました。
降りる人を待って、乗車します。
一番後ろ、出入り口に近い席の
二人掛けの窓際が空いていたので、
そこに座りました。思わず
前後左右の座っているお客さんをパパっと
見ました。怪しげな人もいなさそうだし、、。

たまにのぞみに乗ると、やはり本当にスピードアップしてるなぁ、
ということを実感します。昔は京都から岡山までが
1時間20分かかっていました。(それでも速い。
それ以前の在来線の特急で3時間20分かかっていましたから)
それが今や京都→岡山が1時間です。
以前はご飯を食べて、ちょっと本を読む余裕もありましたが、
今や電車が走り始めてから、おもむろにお弁当のふたを
あけて、食べ終わってしばらくしたら、もう岡山近くに
なってしまいます。

前に新幹線の運転手さんの
インタビュー記事があって
それによると、
岡山駅の東4キロの地点に
〇手まんぢうの工場があるのですが、
その工場が見えたあたりから
ブレーキをかけ始めて
速度を落とすことになっている、
というお話がありました。

ホンマにそうかいな、と思って
目を皿のようにして
外を見ていたら、やはりまんぢう工場が見えたとたんに
「がくん」となりまして、、あ、ブレーキをかけたなぁ、
ということがわかりました。

岡山駅で新幹線から四国行のホームに移動です。
Okyama

岡山駅のホームには、
謙介の仕事場の街行のドラム缶特急
が入線していました。 
だってドラム缶みたいなんだもん。
思いません?

Shiokaze

でもねこれって、
蒸気機関車がモチーフなんだそうです。

SLになんかみえんぞー。 ドラム缶やぞー、とか
思うんですけど。

岡山駅の四国方面の路線の列車接近音はすべて
ルミ子。

で、この画像に出てくるのが快速のまりん。
(本当はマリンライナーというのですが、
地元の人間は単にまりん、と呼んでいます)
このまりんに乗ったら、1時間ほどで実家の街に
着きます。

岡山駅では帰宅ラッシュの時間で
ものすごい混雑なのですが、それも
瀬戸大橋の付け根の児島までで
橋を渡るころには、電車はすいています。

まりんは定刻に実家の街の駅に着きました。
どどどどどと走って、改札を抜けて駅前の
バス乗り場に向かいます。
まだバスは来ていなくて、、
何とか間に合いました。
2分くらいしたらバスが入ってきました。

予定通り19時55分には実家着。
荷物を今度は車に積み込んで、、
スーツを脱いで、Tシャツとジーンズに着替えて
車に乗り換えです。
途中で、買い物をして、仕事場の街の
アパートに到着したのが、22時30分すぎ。
荷物の片づけは翌日に回して、
風呂に入ってすぐに寝たのでした。

ふう。

ながらくお読みいただいてありがとうございました。
これで今回の記録は終わりです。
どうもありがとうございました。

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18. 07. 05

近畿をめぐる旅(その9)

Sumadera2
龍華橋を渡って、いよいよ須磨寺の境内に入ります。
ちょっとした階段があります。

ですが、この横の休憩所にエレベーターがあって
お年寄りなどはそちらを利用したら、すっと上の境内まで
行けるようになっています。
Sumadera3
前に中山寺をお参りしたときには、
エスカレーターが4基動いていましたし、、。
兵庫県の大きなお寺、そういうバリアフリー化
進んでいるなぁ、と思いました。

やはりそういうことをして少しでも参詣の人を増やしたい
という思惑もあるのでしょう。
さて上の境内に来ました。
Sumadera4
ここに着いた時が、ちょうど9時で、御朱印の受付が
始まったところでした。

早速に御朱印をお願いいたしました。
これで真言宗十八本山のうち、十七本山まで
お参りしたのです。
後は和歌山県の根来寺だけ、ということになりました。
なるべく近いうちに行って満願にしたいと思っています。

境内には、
熊谷直実の像がありましたですね。
左側が平敦盛ですね。
結局、直実が敦盛を討ってしまうのですが、
その敦盛が持っていた青葉の笛が、須磨寺の寺宝として
今に伝えられています。
そのまぁ契機になったモニュメント、というところでしょうか。
Genpei_2
ここはちゃんと大師堂がありはしたのですが、
やはり地味な感じで、(どうしても四国八十八カ所のお寺と
比較してしまって)したねぇ。

無事にお参りを果たして、
再び元来た道を戻って、、山陽電車の須磨寺駅に
戻りました。

一番早い電車を調べたら東須磨行きの普通でした。
東須磨で、阪神の梅田行特急に接続している、
ということでした。

そうしたら、高速神戸で
阪急の特急に乗り換えんとあかんなぁ、3回も乗り換えめんどくさ
とか思いながら電車に乗りました。
Sanden4

東須磨からの阪神電車です。
先日の阪神の株主総会で物議を醸した、
ジャイアンツ色の電車です。(笑)

Hanshin
ジャイアンツ色言うたかて、
阪神の特急は謙介が子供の時から
この色でんがな。昔から阪神の特急はオレンジ系
普通は青系、と決まっているのです。

だもんで普通はこんな色だしねぇ。

016b91c6150374954cba554e13409f86f_2

20090628215343


(一部近鉄乗り入れは別の色の電車ですけど)

高速神戸に電車が着いたら、向かい側のホームに
阪急の梅田行の特急が停車していたので
それに乗り換えました。
それで梅田まで戻りました。

本当は途中の十三で、
京都線の電車に乗り換えられるのですが
十三で乗っていたら、座ることができないので
終着まで乗って、京都線の始発の梅田から
乗ろうと思ったのでした。

梅田に着いて、京都線のホームに移ります。
京都線の特急に乗りかえ。
Umedasuta22_2


やはり空席が多くて、ゆっくりと座れました。

Hankyu

しかし、謙介さん生まれてこの方、阪急電車に何回乗ったのかは
覚えていませんけれども、今回くらい緊張して乗った、
ということはありませんでした。

電車は定刻に梅田を出発しました。
途中やはり吹田辺から、屋根にブルーシートをしている
家々が目立ってきました。
高槻を通過するときにも、シートの家が
あちこちに見えました。

ところが、ちょっと意外だったことがありました。
古い家だからブルーシートをしていて、
新しい家だからしていない、ということではないのです。

新しいそうな家でも、地震の被害を受けている家もあれば
古い(昭和40年から50年代に建てられた家)家でも
全然被害を受けていなさそうな家もあって、、

おそらくは揺れの方向とか、地盤の硬軟とかが
複雑に影響しあったのでしょうね。

見ていて本当に複雑な感じがしました。
もう何がどういうふうに影響するのか分からない。

電車は無事に烏丸駅に到着しました。
今回ほどこの「無事に」ということが
大切か、本当にありがたかったです。

地下から地上に出ましたが、、
暑い! 

この日の京都の最高気温が35度でした。
この日、まだ6月25日だったのですよ。
梅雨だってあけていない、というのに、、
Daimaru

お昼を四条の洋食屋さんでいただき
(あまりに混雑していたので、写真を撮るのが
はばかられた) 四条から地下鉄に乗りました。
Chikatetu

それで学会の評議員会の会場に到着です。
30分くらい早く着きすぎたので
ちょっと休憩をしています。
Kyukei

今日はここまでといたします。

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18. 07. 04

近畿をめぐる旅(その8)

翌朝は6時に目が覚めました。
シャワーを浴びて、1階のレストランで朝食をいただき
(写真を撮るのをわすれてしまいました)
7時20分にはホテルを出発しました。

阪急の梅田から今度は、高速神戸行の通勤特急に
乗ります。
停車駅の「北口」というのは「西宮北口」です。
ここで今津線と接続しています。
Umedasta2_3

電車がびしっとそろっているのがかっこいい。
Umedasta


もちろん行き先は全部違っていて
手前のが神戸線 真ん中が宝塚線、奥が京都線です。


電車が梅田を出たときは、まだ座席も空席がありましたが
十三からどっと人が乗ってきて、満員すし詰め状態に。

途中、西宮北口くらいでお客さんがどっと降りるんじゃないか、
と予想していたのですが、降りる人は大しておらず
それどころかもっと乗ってきたので、電車の混雑は
すごいことになりました。

(田舎者だし、自動車通勤なので、超満員の電車なんて
慣れていないの。)

さすがに三宮では7割くらいの人が降りて、、
ようやっとホッとしました。

そうはいっても、三宮まで来たら、
あとは花隈、高速神戸で終点なんですけどね。

高速神戸というのは、
「神戸高速鉄道 神戸駅」というのを
省略して言った言い方です。 
この神戸高速鉄道という会社、
保有車両は1両もありません。ただ線路があるだけ。

神戸に到着する、各私鉄のターミナルが
(阪神・阪急・山陽・神戸の各私鉄)
分散していたので、その駅間をつないで
各私鉄が相互乗り入れできるようにした
会社、ということなんですけどね。
神戸高速も早いもので、今年で開通50周年になります。

各私鉄の相互乗り入れ、と言っても
各私鉄いろいろ考え方もありまして。
阪急は、あんまり相互乗り入れ好きじゃないんですよね。


昔、山陽電車が、阪急の神戸線の岡本くらいまで
乗り入れしてたのですが、いつだったか山陽電車が
阪急線の中で事故を起こして、それを口実に
ぐん、と乗り入れを縮小してしまいました。

今は、山陽電車は阪急の三宮乗り入れが一番東です。
逆に阪神電車は全線オッケーで、山陽電車、
阪神の梅田終点まで乗り入れしているし、
阪神も山陽電車の姫路終点まで乗り入れしています。

どうして阪神が積極的かというと
阪神は大昔は路線が結構多かったのですが
どんどん廃止していって、一時は大阪→神戸の本線くらいしか
路線がなかったですから、、、これで利益を上げよう、たって
なかなか厳しい、と思ったのでしょう。

乗り入れにものすごく積極的に動いた結果、
今や阪神電車は東は奈良まで、西は姫路まで。
なーんとなーんと
兵庫県から奈良県まで走るようになっています。

高速神戸から、山陽電車の特急に乗り換えます。

Sanden1


阪神・阪急はともかく、山陽電車も、特に神戸電鉄は経営が
相当にしんどい、という話を聞きました。神戸電鉄はほとんど
過疎地を走っているので、、大変だと思います。
山陽電車も昔は沿線人口も多かったですが、
今は神戸以西・明石・姫路は人口が減っていますし、、。

山陽電車はもうからないから、運賃をあげる、
あげるからお客が減る、という感じですね。
明石駅で、一斉にお客さんがJRのほうに
移るんですよ。姫路まで行ったら、JRのほうが安いから。
でも、本当に私鉄も経営が大変ですね。

それはともかく。途中、月見山で降ります。

Tsukimiyama

須磨寺は特急は止まらないので、
後続の普通電車で次の須磨寺まで行きます。


Sumaderasta


Sando1

参道は、庶民的な商店街のたたずまいでした。

Sando2


この日の神戸は暑かった!!
この時に気温が32度でした。
だもんで人があまり歩いていません。


須磨寺駅を降りて、北に300メートルほど歩くと
須磨寺があります。

Sumadera1


大本山須磨寺の文字がすばらしい。
雄大な字だと思います。
「縦書きの文字は、視線が上から下へと移動するので
縦長に書くと、見栄えが良い」と謙介は
いつも言っていますが、もうその説明通りの字です。
「磨」とか「寺」の字が特に縦長でしょ。
すばらしい。

この須磨寺の入り口の横に
「須磨霊泉」があります。
Sumaresui1


Sumareisui2


今日はここまでといたします。

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近畿をめぐる旅(その7)

人出も閑散としてきた生駒さんを後にすることにします。
帰りの参道から見た、風景ですが、、
階段が隠れているので、
いきなり崖か? とか思ってしまいます。

Tenku
もう一枚、下のほうを撮ってみました。
Humoto


参道を歩いていたら、結構占いの
店があるのに気が付きました。
Uranai

でも、もう長いこと営業をしていないような感じでは
あります。

前回、宝塚の清荒神さんに行った時にも
参道に何軒か、占いの店がありました。
やはり、お参りをしたあとのすがすがしい気持ちのところで
自分の将来を診てもらう、ということをしたくなるんでしょうね。
その気持ち、わかるような気がしました。

帰りは急階段を下って行きます。
そうして再び宝山寺の駅に到着です。

ケーブルはすでに麓から到着していました。
お客さん、どうだろうか、と思っていたら
どんどん人が乗ってきて
今度も発車時刻になったら満員になりました。
ちょっとびっくりしました。
行ったのが日曜日だったからかもしれません。


最初から複線のケーブルなのがちょっと変わって
いますよね。

Cable7

ケーブルカーは、ゆっくりと動き出します。
時速10.8キロだそうで。
(口の悪い人は、歩いたほうが速いで、とか言います)
6分かけて下山します。

今日はお祭りでないので、片方の線しか使っていませんが、
お祭りの時は、もう10分おきに上下で走るんだそうです。

Cabl29


赤いすれ違った車両は「すずらん」号です。
謙介の乗っているのは「白樺」号です。
白樺号のほうは、漢字表記です。
ひらがなにしたら「しらかば」でしょ。
反対から読んだら「ばからし」になってしまいます。
子どもが「ばからしばからし」って言うにきまっているので
「漢字表記にしたってん」ということだそうです。

まぁ、大阪では「ばからし」より「あほらし」でしょうけど。
あんまりあほらしい時は「あほらしやの鐘がなる」とか
言ったりします。

Cable10


謙介、上下4両が一斉に動き出して、
この辺で4両全部が行きかう、ということが
あったら楽しいのに、とか
思ってしまったのですが、、

このケーブル、近鉄のもとになった鉄道会社の
大軌(大阪電気軌道)が作ったのですが、、
大阪電気軌道は、大阪から奈良まで
電車を走らせたのですが、途中生駒山の
開通当初の4月は奈良への観光客が多くて
経営も順調だったようですが、そのうち梅雨になって
奈良への観光客が激減してしまい、、日々の運転資金とか
社員への給料も事欠くようになってしまい、、。

「おおさかでんききどう」やのうて「おおさかてんききどう」やで
とか言われたのだとか。

その時に生駒山宝山寺から、お賽銭のお金をまわして
もらって資金の急場をしのいだ、という話があります。


そういう鉄道会社が、生駒山宝山寺への恩返し、ということで
このケーブルを作った、という話をオヤジから聞いています。


踏切だってあるんですが、
それが、小さな踏切ではなくて
自動車も通行する踏切です。
Fumikiri9

↑こんな踏切、ケーブルの踏切でっせ、って
言われないと、ぱっと見にはわかんないのでは
ないでしょうか。


鳥居前駅に到着です。
ここから生駒駅まで歩いて、、

Ikoma1


生駒駅からは、大阪難波行の急行に乗りました。

Ikoma2


駅を出るとすぐに生駒トンネルに入ります。
出ると今度は一気に坂を下っていきます。

Kusaezaka


この坂は、大昔からありまして、、。
なんたって日本書紀の神武天皇条
に出てくる歴史的な由緒のある坂です。

そうして、この坂が大きな坂だったので、
「大坂」となった、ということです。


今回、何度も電車に乗りましたが、
いつグラっとくるかと
思って、本当にドキドキしながら
電車に乗っていました。

おかげさまで無事に難波駅に到着しました。
朝預けていたコインロッカーから荷物を取って、
ホテルに向かうことにしました。

夕食はホテルの近くにあった「船場カ○ー」で。
このお店、謙介の住んでいる街にも
あるんですけどね。

なんだかんだと行く機会がなかったので、
こっちで行ってみました。

イカ墨が入っているカレーなので
ちょっと黒っぽいんだとか。

Senba

牛すじネギカレーというのをいただきました。
この前はココイチで、牛すじ煮込みカレーを
食べたのですが、この船場カ〇ーのほうが
穏やかな味がしました。

ということで、ホテルへ帰りました。
朝から、信貴山・長谷寺・生駒山
と何とか三か寺を回ることができて、ほっとした
ことでした。
これで
前回の西大寺とともに、奈良の本山は
すべてお参りをすることができました。

今日はここまでといたします。

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18. 07. 03

近畿をめぐる旅(その6)

八木から京都行急行に乗りまして、、
西大寺で乗りかえです。
西大寺からは、大阪難波行急行に。
それで生駒まで行きました。
これが今から行く生駒山です。
Ikomayama1


生駒山も信貴山と同じくケーブルカーで上がります。
実はこの生駒ケーブルが日本の中で一番最初に
造られたケーブルだったのです。
それで今年は、開通百周年を迎えます。

Kanban

近鉄の生駒駅とケーブルの鳥居前の駅の間は
お昼に乗った、西田原本と田原本の駅より、もうちょっと
離れています。こっちは300メートルくらい。
生駒駅から、デッキというのか通路がありまして
それでケーブルの駅まで行きます。
こっちがケーブルの駅。

Toriimae


信貴山ケーブルはピタパカードが使えたのですが
生駒ケーブルは、ピタパ非対応なので、往復券を買う必要が
ありました。
 
ダイヤは20分間隔です。全線複線ですが、
通常は片方の線しか使いません。
生駒さんのお祭りの時は、複線2本とも使って
ピストン運行するのだそうで、、。

しばらくすると上から下りてきました。
Cable1

実はここのケーブルも
踏切があるんですよね。
この時、もう3時になっていたので、
下山する人はいても
今から生駒に上がろう、なんていう人
いるのか、と思ったのですが、結構な人が乗ってきて
車両は満員になりました。

ケーブルの斜度は、
途中まではあまり急ではありませんでした。
それが途中から一気にきつくなって行って、、
これだったら、ケーブルでなくちゃね、というような
角度でした。
ここのケーブル、実は2段構えになっています。
山麓の鳥居前から宝山寺までと、宝山寺から
生駒山頂までの2本のケーブルがあります。

で、山頂には生駒山の遊園地があるので
子ども用に、左側のようなファンシーな
ケーブルカーもあるのです。
(この日は動いてはいなかった)
Cable2


それでもって、宝山寺から山頂に登る
ケーブルも一層ファンシーです。
Cable3


謙介はおっさんなので、
別にファンシーなケーブルカーを見ても
別に胸がときめくわけでもなく、、。
普通のケーブルカーの車両でいいやと思いました。


さて。生駒さんも最初は平地なんですが、、
参道は、またまた階段でございます。
Ikomayama2


今日は一日で一体何段の階段をのぼったり下りたり
したことでせう。

いよいよ宝山寺の中に入っていくのですが。
Ikomayama3
ここにも鳥居があります。

さらに階段をのぼって、いよいよ
生駒聖天さんのもとに。

Ikomayama4

ここにも鳥居。後ろが山。
Ikomayama5

ここに来ましたら、もう4時前でした。
生駒さんの境内の茶店ももう営業終了! となっていました。
残念。

Chamise

それでもお参りする方も結構おいででした。
早速に御朱印をいただきました。

ですが、ここもねぇ、、真言宗とかいいながら
ホンマに真言宗かぁ? とか思うような
お寺で。 お寺といいながら信貴山と同じで
あちこちに鳥居が林立しているし、、。


つまりはこういうことなのだと思います。
前にも言いましたが、真言宗は奈良仏教とうまく
お付き合いをしました。それから真言宗は密教ですから
山岳修業が当然のようにあります。
それで、修験道もそこに当然入っています。

例えば西大寺は別に真言宗でなくっても
良かったでしょう。

でもまぁ奈良仏教が後年衰退していきました。
その過程で、一番奈良仏教と
親和性のある宗派と言えば
真言宗だったので、
とりあえず真言セクトの中に入って
いったのでしょう。

西大寺だって、全然真言のお寺
という感じがしませんでした。


長谷寺だってそうです。

信貴山、生駒山はそれぞれ毘沙門天だったり
歓喜天だったり、で山岳信仰のお寺だった
でも、どこかの宗派に入って、ということを
考えた時に、「とりあえず真言宗」という
選択をしたのだと思います。

高野山とか四国の善通寺のように最初から
空海の影響が濃厚で、というお寺であれば
宗祖空海の影響が濃いわけですが、
今日行った奈良のお寺三カ寺はいずれも
後世になってから「とりあえず真言」になったために
空海の影響というものがあまり感じられなかった、
ということなのでしょう。

そういう適当さ、というのか真言宗についての
距離の遠さが奈良のお寺にはあって、
そこがなかなか面白いなぁ、と思いながら
おまいりを終えたのでした。

長谷寺のおまいりができたので、
奈良にある真言宗十八本山はすべて
まわることができました。
予想外のことで、ちょっと嬉しかった。
(前回は西大寺しか行けなかったので)

今日はここまでといたします。

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18. 07. 02

近畿をめぐる旅(その5)

今回の旅、「近畿」とタイトルに入れました。

実はね、謙介、あんまり「関西」という名称が
好きではないのです。

どうしてかといえば、
「関西」ってどこからどこまでなのか
わからないから。

関西の「関」は関所ですよね。
江戸時代は箱根の関所から西が関西、
ということになります。

ということは、静岡も名古屋も関西ですよ。
静岡が関西だと思っていいですか?
違和感はありませんか?
名古屋は関西ですか?

もっとさかのぼったら、古代は
不破関、鈴鹿関、愛発関以東が関東ですよ。
この時代は、愛知も静岡も関東ということになります。

じゃあ、今の人の考える関西、ってどの辺なの?
と聞いたらどうでしょう?

おそらく十人が十人とも全部違う答えになるんじゃ
ないでしょうか。

奈良は入りますか?

じゃあ、ひとつ山を越えた三重県の名張とか青山町は????
行政区画は三重ではありますが、
あそこは文化も言葉も大阪圏です。

そもそもが近鉄が大阪のベッドタウンとして
開発した街でしたし。

福井県だって、敦賀の辺はどうでしょうか?
四国だって徳島県は関西連合に入っていますよ。

NHK大阪の天気予報の画面、
下の画面ですからね。

06eb17b2
ね。四国の香川とか徳島も入ってるんですよ。
三重も福井も入っています。

徳島が関西ってどうですか?
入るものだと思いますか?
三重はどうですか?

こうふうに質問していったら、関西の範囲って
本当に個人差が大きいんです。

だから関西っていうと、その範囲が曖昧なんですよね。
その点、近畿地方と言うのは「2府4県」って言うし、
範囲が明確です。

それで今回のタイトル、近畿という名称を
使うことにした、ということなんです。


     ×       ×        ×

さてさて話を戻します。
近鉄の長谷寺の駅から下りて行きます。

Hasedera2

さすが、歴史のある街道沿いなので
古い家々が街道沿いに並んでいました。
Hase2


Hase3


長谷寺の参道には、三輪そうめんを売っている店と
名物の草もちを売っている店がありました。

ここの草もちは、ヨモギの入ったもちの中に
あんこが入ったものを、鉄板の上で焼いています。
焼けてあるので香ばしさがあります。

でも、この日は最高気温が33度でねぇ、、
謙介、ちょっと焼いた熱々の
お餅をいただく気にはならなかったのです。

ぶらぶらと両側のお店をみているうちに
長谷寺の入り口に到達です。
Hasedera5


回廊が本堂の方向に向かって
上がっていきます。

Hasedera5_2


この回廊のたたずまいが好きです。
長い階段をのぼってようやっと到着です。


長谷寺は何と言っても「観音さま」ですね。
そもそもが、「長谷観音」というのは
枕草子に出てくるほどですし。


ここで、もう一度おさらいです。
謙介がこの長谷寺まで来たのは、
真言宗十八本山の御朱印をいただくためです。


朝に行った、信貴山のところでも
謙介書きました。真言宗と言いながら
信貴山は毘沙門天様ばかり前面に出してくるし
長谷寺は観音様です。

空海さんは???? なのでございます。

四国八十八か所のお寺には、必ず本堂とともに
結構規模の大きな大師堂がありまして、
真言宗の宗祖空海の影響が大きい、と
思わざるを得ないのですが、
信貴山も長谷寺も、ぱっと見には
何宗のお寺なのかわかりません。
(本堂に入って、祭壇の形式を見たら
ああ、密教ね、とはすぐに了解できますが)
はて。

さすが、ここの御朱印をいただくところは
すごかったですね。行列ができていて、、
10分ほど炎天下を並びました。
御朱印をお書きのお寺の方も3人体制でしたよ。

ここは何とて、西国巡礼の札所でもありますからね。
御朱印をお願いする人も、今までのところと違って
段違いに多いです。

長谷寺の舞台から上ってきた麓のほうを
眺めてみました。
Komoriku

いつもここからの風景を見ていると、
枕詞で「籠国の(こもりくの)」は、初瀬にかかる枕詞ですが、
この緑に囲まれた地域、を眺めると、どうして「こもりく」と
古代人が表現したかが、さっと了解できるように思います。

観音様におまいりをして
Hasedera6

下向道をおりていきました。
あじさいがきれいでした。
Hasedera7


長谷街道、道幅が狭いところに、車がわんさと
おしかけていて、いたるところで渋滞を起こしていました。
観光客なんて道に不慣れなところに、道幅が狭くて
運転がこわごわですから、なかなか前に進みません。
地元の建設会社のおっちゃんが、「こっちは急いでんねん!
はよ行かんかい!」と車の窓を開けて叫んでおいででした。

おっちゃん、暑いしなぁ、車もさっさと走らへんしなぁ、、
ストレス溜まるわなぁ、、とか思いながら謙介は
歩いていたのでした。

長谷寺に登って、参詣をして下りて、再び
長谷街道の交差点まで来ました。


Hasekousaten


この「初瀬」と書かれたプレートの背後に
崖に沿って建てられた家々が見えていますが
近鉄の長谷寺の駅は、この家々のもっと上に
あるんですよ。なので、この交差点から急坂を
えっちらおっちら登っていかないといけない、
ということなのでした。

ということで、再び長谷寺の駅まで戻ってきたのでした。
ちょうど2時すぎでした。
今日はここで措くことにいたします。

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18. 06. 30

近畿をめぐる旅(その4)

新王寺駅から、近鉄の田原本線に乗ります。

Shinouji1

この路線で奈良盆地を斜めに
ショートカットすることにしました。

というのが、もともとの予定は、ここから
近鉄の生駒線に乗って、生駒山に行って、
と思っていたのですが、
急きょ長谷寺に行こうと思ったのです。

というのが、前回の西大寺のところでも
お話しましたが、謙介さん、
真言宗十八本山の御朱印を集めています。

実は前回、お天気が良かったら、
生駒山と西大寺に行って、と
思っていたのです。残念ながら
前回はお天気があまりよくなくて
西大寺のみだったので、
今回もあまり欲張らずに行こうとは
思っていたのでしたが、、
この日はお天気も梅雨時期には珍しい
良いお天気だったので、お昼を食べて
出た時に、頭の中で所要時間を計算してみたら
何とか長谷寺も回れるんじゃないか、と
思えたわけです。


それで、予定とは違う路線の田原本線の
電車に乗ることにしました。

Tawaramoto1


田原本線ですが、「たわら ほんせん」では
ありません。
「たわらもと せん」です。
新王寺から西田原本までの路線で、路線は単線です。
単線なのですが、実はこの路線、
近鉄の中では結構古い路線で
今年、開通百周年の路線です。

新王寺駅に行ってみると、
残念なことに、電車が数分前に出た後だったので
次の電車までは25分くらい待たないと
いけませんでした。

とはいえ、五分ほどホームで待っていると
西田原本からの電車が入ってきました。
ですが駅での停車時間がすんごく長くて
結局発車したのは、20分後の12時5分のことでした。

それがねー、この電車、ものすごく揺れるんです。
バウンバウンと縦揺れが激しくて、、
瞬間的に電車の座席から身体がすっと、浮いて
しまったことが何度かありました。
Tawaramoto2

無重力体験が可能な電車。(笑)

電車はいくつかの駅にとまって、
24分ほどで西田原本に到着しました。


Tawaramoto4

西田原本の駅には、田原本線開通百周年記念の
旧塗装の懐かしい近鉄電車がとまっていました。
Tawaramoto3


この一色の塗装で謙介はいいと思うんですけどねぇ。

近鉄電車って、どうしてああもセンスの悪い塗装を
するのかねぇ、といつも思います。

新しい特急の塗装も何だかなぁ、、だし。
まぁいつまでも同じではいけないので
そうやって時々変えていったりするのでしょうけれども。

で、ここから田原本の駅まで100メートルほどを
歩かないといけないのです。


で、こっちが田原本の駅。
Tawaramoto8

実際何度か、西田原本と田原本の駅を
一緒にしよう、という計画はあったのそうなのですが
結局とん挫したのでしょう。いまだに二つの駅は別々です。

田原本から橿原神宮前行の普通電車に乗りました。
電車に乗ったら、すぐに「多」というところを通ります。
今は「多」ですが、もとは「太」でした。
この辺があの「太安万侶」さんの出身地、
ということになっています。

で、その次が「恋飛脚大和往来」で有名な
新口村だった「新ノ口」駅。
奈良らしい由緒のある土地を通りますね。

そうして八木に到着です。
ここで、名古屋方面行の電車に乗りかえです。
たまたま来たのが、青山町行の急行でした。


これに乗って長谷寺に行きます。

電車に乗ると、すぐに大和三山のひとつの
耳成山が見えてきました。
Miminashi


さらに電車は東へ走っていきます。
電車の車窓からは、三輪山が見えてきました。


Miwayama

三輪山、山の形がほかの山とは際立って違っていて
本当によく目立つ山です。

この辺から電車は山間部に入って行きます。
なので、路線もものすごい坂を上っていっているのですが
最近の電車は性能がいいので速度も落とさずに
ずんずん上っていくのでした。

そして電車は長谷寺に着きました。
Hasedera

長谷寺の次は「榛原」ですよ。
「榛原」は「はいばら」と読みます。

「榛原」って、本当に古い地名でしてね、
万葉集とか日本書紀にも出てくるんですが
そのころは読みは「はりはら」でした。
「はりはら」が、読みやすいように音が変化していって
今の「はいばら」ということに変わっていきました。
もうこの辺は万葉集に出てくる地名ばかりなので、、
謙介さん、わくわくしますですね。
今日は、残念ながらいけませんがまたの機会に。

長谷寺に話は戻ります。

まだ謙介が長谷寺に行ったことがなかった頃に、
祖母が、「電車で長谷寺になんか行くもんやないで」
と言っていました。

というのが、近鉄電車は南側の山の中腹を走っています。
長谷寺は北側の山の中腹にあります。

なので、いったん川の流れている平地に下りて、
長谷・伊勢街道を渡った後で、再び長谷寺に登っていかないと
いけないのです。つまり下ってまた上ってお参りし、
今度は下って、また電車の駅まで上らなくてはならないのです。

車だと駐車場に停めて、上って、お参りを済ませて下ってきたら
そこに車がありますからね。

でもまぁこの日は電車だったので、覚悟を決めていくことに
しました。


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18. 06. 29

近畿をめぐる旅(その3)

Sando

参道の両側は、ぜーんぶこんなふうに
毘沙門天のことばかり。おまけに
突き当りには鳥居さんまであって、、


空海さん? はて、という感じがします。


参道を歩いて、ようやっと本堂にたどりつきました。
山のわずかな平地を利用して堂宇が建てられているので、
さまざまな建物があちこちに組み合わされて立っています。

Hondo2_1_2

本堂の前に少し舞台がせり出していて、
そこから写真を撮りました。
Hondo1

おまいりをして、ご朱印をいただき、
辞去することにしました。

再び開運橋に来ました。
この橋は昭和6年に造られた橋だそうで。
今もこうして現役です。
Kaiun1


橋のまんなかで、
「おしっこちびりそう」なことをやっています。
「開運バンジー」だそうです。
Kaiun2_2
おっさんはあんなことをしたら
身体がばらけそうになるので
横で斜め視だけをして先へ急ぎました。

再び、バス停近くに戻ってきました。
さっき平地が少ない、と言いましたが
ここには、結構広大な土地が使われず
残っています。
(信貴山のお祭りの時だけ、臨時駐車場に
なるようですが。平時は、こんな遊休地です。)

ここに戦前は信貴山急行電鉄の駅舎と
プラットフォームがありました。

電車が実際に運行されたのは10年程度と
非常に短くて、、それももう戦前のことなので、
実際を知る人も非常に少なくなっている、
ということでした。

Sta1

鉄道会社は、電車の開通に合わせてこの辺の
土地開発も行っていたようですが、
結局土地の買い手はつかず、、
そのうち戦争がはじまってしまいました。

バス停に行きます。

これがバスの時刻表です。

Bus2
10分ほど待つと、王寺駅行きの
奈良交通のバスが入ってきました。
(帰りのバスを決めていたので、、)

バスは謙介さん一人だけ載せて
信貴山を出発しました。

以前は信貴山の東側にも
ケーブルカーが運行されていたのですが、
1983年に廃止されてしまっています。

バスは20分ちょっとで王寺駅に到着しました。
11時半でちょっと早かったのですが、
王寺駅のショッピングモールの地下に
フードコートがある、ということだったので
ちょっと寄ってみました。

そうしたら「寿がき○」があったので、
ラーメンを注文しました。
四国にはこのお店はないので
ちょっと味を確かめてみよう、
と思ったのでした。

Sugakiya1_2

ラーメンフォークもありましたよ。
Sugakiya2_2

肝心のお味は、、まぁ、、ねぇ、、
とんこつ味ということだったのですが、、


決してまずくはないのだけど、
かといって印象に残るような
味でもなくて、、。

ああ、こういうものだったか、、
と思いながら店を出たのでした。

今日はここまでといたします。

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18. 06. 27

近畿をめぐる旅(その2)

Shigibus

前回お話ししましたように、
山上の電車はもうありません。
(乗りたかったなぁ、、)
今はその線路跡が有料道路になって信貴山のお寺のところまで
いっています。 その道路をバスが走っています。

バスの出発する高安山駅は大阪府なのですが
そこからうねうねと走る道の途中に
大阪と奈良の境があって、
信貴山のお寺のほうは、奈良県にあります。


信貴山門はバス停になっています。
ここは西からくる近鉄バスと
東からくる奈良交通のバスの
それぞれの終点になっています。
このうら寂しい感じのゲート、好きです。
Shigisanmon

しばらく行くと、開運橋という橋を渡ります。
Kaaiunbashi
この橋、新しそうに見えるのですが、
昭和6年にかけられた橋で
国の有形文化財になっています。
この橋の真ん中で、「すんごい」ことが行われて
いるのですが、それはまた後程。

橋を渡るといよいよ信貴山ですが、、
そこにこんな石柱が一対建っていました。

左側の石柱。

「御威霊八紘」と書いてあります。
これは「みいつはっこう」と読みます。
Hakkouichiu
天皇の力のことを「御威霊」と書いて「みいつ」と
読むのですが、「その力があまねく全世界に広がりますように」という
ことですね。おそらくは、、と思って裏側を、見てみましたら、、
やっぱり紀元2600年とありました。

昭和15年に、当時の政府はこの紀元2600年の大祝賀を
しましたが、その時のスローガンが「八紘一宇」でした。
なので、おそらくそのころの建立と思ったのでしたが、、
やはり、でした。
Hakkouichiu2

実は、謙介、この石柱を見た時に
この石柱がこんな場所に建っていることに、
「はぁ?」と思ったのです。

あのね。謙介、どうして、信貴山にお参りに
来たのか、といえば、ここが真言宗十八本山の
中のお寺だったからです。

真言宗のお寺に来たのですよ。
だったら、宗祖の空海をほめたたえた
何かしらの石柱があっていいはずです。

御威霊八紘なんていう石柱、
信貴山じゃなくて、橿原神宮にでも
置いてあったら、納得するんですが、
どうして、真言のお寺にこの石柱があるのか、
ということですね。


実はここに奈良のお寺らしい理由があるのです。

ここのお寺のご本尊は毘沙門天です。
厩戸皇子さんが、仏教の護持で蘇我馬子と
連合軍を組んで、物部さんを撃った時に
毘沙門天を奉じて、守屋さんを撃ったわけですが、
その毘沙門天がこの信貴山のご本尊
なのでございます。

まぁそういうことで、厩戸皇子さんの逸話が
あるので、天皇の力、という石柱が
ここに置かれた、ということなんでしょうかねぇ。


それでここのご本尊は、毘沙門天さんなので、
ここの境内に
あちこちにかかれていたりするのですが、、。


でもね。境内にいくらでも鳥居があったりもします。


Torii

繰り返しますけれども、
さっきも言ったように、
このお寺、真言宗のお寺なんですよ。


だったら、宗祖の空海の名前がもっと
あちこちに出てきたって、いいじゃないか、と
思うのですが、全然出てこないのです。

実に実にこの辺、
奈良のお寺らしい、なぁ、と思いました。
どうして奈良らしいのか、ちょっと置いてひとまず
門をくぐって本坊の中に入っていくことにいたします。

これは絵馬堂ですね。江戸時代以降の大坂の豪商とか
普通の人たちがお金を集めて寄進した額が所せましと
架けられていました。
Emado

信貴山と言えば寅です。
来た時のケーブルカーにも寅のイラストが
描かれていました。
Tora
この巨大な張子の虎は、首の部分が
モーターで、ぎーぎーと動くようになっていました。

なんで信貴山が寅なのか、といえば
厩戸さんが物部を撃つ時に、
戦勝祈願をしたのですが、その時に毘沙門天さまが
出現した、と。その時刻が、寅年の寅の日の寅の刻だった、
ということだそうです。

まさに「トラトラトラ」やねぇ。(笑)

で、謙介さんは、ちょっと皮肉やなぁ、と
思ったりするわけです。
物部さんは日本の神さんを信奉していたわけです。
で、厩戸さんは、結局物部さんを撃破して
しまうわけですが、その物部さんが信奉していた
神さんの鳥居がいっぱいあったりしますから。

まぁ厩戸さんの信奉していたのは
毘沙門天であって、日本の神さんじゃなくて
外国の神さんだから、いいの、、。という
ことなんでしょうかねぇ。


Shigisan5

さっき、信貴山を見ていると、
奈良のお寺やなぁ、ということを
強く感じる、と申しましたが、
その理由については、おいおい書いていくことに
いたします。
今日はこの辺でペンを措くことにいたします。

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18. 06. 26

近畿をめぐる旅(その1)

実は今月は2回京都・大阪に行くことに
なっていました。
5月の終わりから6月はじめと
6月24日~25日です。

今まであれば、あそうですか、で
済んだのでしたが、今回は、
北摂の地震の直後だった、ということで
いろいろと思うところもありました。

地震の直後に、用事とともに
あっちこっち見学しました、というような
記録を出して、不謹慎、と思われる方も
おいでかもしれないなぁ、とも思いました。
現に吹田とか高槻ではまだ避難して
おいでの方もいますし、、。


ただ、このブログはウエブ上にアップする
ということで自分の考えとかその時の
思いを客観視してまとめておきたい
ということがありました。
ということで、記録として残しておくことにしました。


ということで、今回の旅の記録をつづっていきたいと
思います。

前回と同じ、朝の5時半前のバスで出発です。
Busstop

24日は朝から晴れ! という予報だったのですが、
バスに乗るときも霧雨でした。
晴れる、という予想のもとに、
謙介は傘は持たなかったのですけど、、。

淡路島の松帆浦もこんな感じでした。
Matuhonoura

この日は日曜だったので、高速道路もよくすいていて、
いつもは混雑する神戸市内も全く渋滞がありませんでした。


大阪に入りかけたあたりから
薄日が射しはじめました。

Osaka


そういうことで、バスは到着予定時間よりも15分ほど早く
大阪難波のOCATに到着しました。
近鉄の難波まで行って、
駅構内のコインロッカーに荷物を預けて、

Nara

奈良行きの急行に乗りました。

ですが鶴橋でこの電車を降りて、向かい側ホームに
入線してきた大和朝倉行きの準急に乗り換えです。
この電車で、河内山本まで行きました。
Yamamoto


ここで信貴山行きの電車に乗り換えます。
Shigisen

河内山本から信貴山口までは、たった2駅なのですが、
1000分の40という坂を上っていきます。
Shigisen1

信貴山口駅に到着です。
Shigizankuchi

読み方は「しぎさん ぐち」です。決して「しぎ やまぐち」では
ありません。
Shigizanguchi2

ここでケーブルに乗り換えでございます。
Shigisancable


ここのケーブル、路線の途中に踏切があったり
するのです。
ほら。
Humikiri

ケーブルカーで6分ほど上がっていくのですが

この6分という時間、結構長く感じました。
一つにはこの日、もやがかかっていて
終点付近が見えなかった、ということも
あるのかな、と思ったりしました。

ようやくのことで、終点の高安山に到着です。

Takayasuyama

昔は、ここから再び電車が走っていて、それで
お寺の信貴山門まで走っていたのです。
これが高安山駅のプラットホーム跡です。
Takayasuyamasta


信貴山急行電鉄という私鉄でした。
それが太平洋戦争中の資材供出で休止になって
その後、廃止されてしまいました。

戦争中、資材不足で多くの路線が
不要不急路線に指定されて
撤去されて武器に変えられてしまいました。

この信貴山急行電鉄もそうですが、、
果たして戦争がなくて、不要不急路線に
指定されることもなくて、
営業が継続されていたとして、
いつくらいまで営業できていたかな、ということを
いつも考えたりします、、。ちなみに
今では、山上の交通機関はバスに換わってはいますが
バスで大体40分間隔で走っています。
それでもお客さんはあんまり、、
乗っていませんでした。

今日はここまでといたします。


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