おでかけ

19. 01. 08

八幡浜へ(その2)

八幡浜ですが、
今は人口がすっかり減ってしまって、
3万程度の小さい街になってしまったのですが
以前は、今の倍以上の7万人もの人口が
あったときがありました。

というのも、前回も言いましたように
九州への連絡基地だったので、
九州へ行く人、九州からくる人の
それぞれの物資の集散地でもあったのです。
そういうことで、商店が多く集まる街でした。

小さい商店がたくさん集まって
商店街を形成してそこで、買い物が済ませられた
昔はよかったのですが、、、

道路が発達していって、広い土地に
大きなショッピングモールができていくと
そういう町から人がどんどん
そんなふうなショッピングモールのある街へと
移動するようになっていきました。

かつてはこの町の象徴だった
商業もすっかり振るわなくなってしまって、、
加えて人口も半減してしまっていって、、、
今ではすっかり昔の町、という感じに
なってしまいました。


朝の6時半に家を出発しました。
途中、工事中の道路があったりしたので、
遠回りをしたりしていたら、
ちょっと時間がかかってしまい、
高速のインターに入ったのが、
7時くらいでした。

途中、SAで休憩をしたのがこの景色です。
カメラだと光の補正をするので
明るそうに見えるのですが、
実際はまだ、薄暗い感じでした。
Iyosi


さらにもう一つのPAで休憩をしたら、
Oozu20191

芝生が霜で真っ白でした。

遠くを眺めますと大洲盆地が見えました。
下の写真の奥のほうに白い部分があって
その奥に山が島のように見えているところが
あると思うのですが、 その白い部分が実は
霧なのです。大洲は京都の亀岡と同じで
霧がかかります。それが盆地の上に蓋を
したようにかかってしまうので、朝、夜が明けて
しばらくしないとその日の天気がわからない、
ということです。

この写真を撮ったのは、大洲のPAだったの
ですが、高速を降りて、大洲のほうに行ったら、
これだけ夜が明けていてクリアに見えるのに
大洲市内だけは薄らぼんやりして、
暗い感じでした。文字通りフォグライトを
つけないと走れない、のでした。


Oozu20192

その大洲盆地を抜けて、夜昼トンネル、
というちょっと変わった名前のトンネルを越えると
八幡浜に到着するのでした。


前にも言いましたが、
昔は大変にぎわった街で
羽振りもよかったのだと思うのです。
豪壮な古い家があちこちに目につきました。
こんなのとか、、
Yahatahama1


こういう家もそうですね。
Yahatahama2


多分建てた時は、ものすごいお金がかかった
と思うんですよ。そういう家がさまざまな事情で
のちのちのメンテナンスができなくて
朽ち果てて行こうとしている、という
感じの家があちこちにありました。

こういう古い家を見らえるの、って、おそらく今が最後
じゃないか、と思っているのです。多分、あと、数年もしたら
壊してしまっている、もしくは崩壊してしまっている、
と想像します。それで機会があったので、八幡浜まで
行ったということなのでした。


で、


街を歩いていますと、
驚愕する看板があったのですよ。
目が点になった、というのか。

Ecchi1_3


エッチ美容院!

Ecchi2


この近所の人はこの店に行くことを
どのように言っていたのでせうか。
「ちょっとエッチに行ってこー」とかなんでしょうか。
どうしてこの名前をつけたのでしょうか?

印象的な、一度聞いたら絶対に忘れない
個性的かつ衝撃的な命名ではありますが。


ひええええと思いながら
店の前を通ったのでございました。

というところで今日はおしまいにします。
以下次号。


今日聴いた音楽 

駅 お歌は竹の家のまりやさん

まりやさん、もう還暦を越えてしまわれましたねぇ、、。

謙介の住む辺では、この曲が仏壇屋の
BGMに使われているというね。


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19. 01. 07

八幡浜へ(その1)

仕事場の用事がありまして、八幡浜に行きました。


八幡浜というのは、四国の西のほうに佐多岬半島
という九州に向けて伸びた半島があるのですが、
その付け根部分にある街です。


うーん。
これでもわからない人も多いんじゃないかなぁ、
ちょっと前に、テレビを見ていたら
クイズをやってて、東京のほうの
お悧巧な高校の生徒さんが回答者でね、
四国四県のそれぞれの位置を答えなさい、
という問題が出てて、、
愛媛と徳島が真逆に答えていましたからねぇ、、


佐多岬半島たって、わからないかも、、。
まぁその佐多岬半島の近くにある八幡浜という
街に行ったのでした。

で、そこは
当然目の前は海ですから、新鮮な魚介類が
名産ですし、その魚からの練り物(かまぼことか
てんぷら=さつまあげ)なども、名物です。

でもそんな魚介類より、もっと有名なものは
みかん、でしょうか。 みかんたって
そんじょそこいらの、スーパーの売り場で
ビニール袋に入って十把一絡げで
売られているみかんではありません。


八幡浜の辺のことを地元では
「八西地区」(はっせいちく)と言います。
八はもちろん八幡浜の八で、
西は西宇和の頭の文字を
取って、八西地区です。

ここは超特選ブランドの、「日の丸みかん」が
名産です。 
日の丸みかんは、ビニール袋ではなくて
黒いダンボール箱に入って
売られているみかんです。

01181011531m01

値段のことを言ったら下品ですけど、
これで2.5キロ入って、5000円くらいですかね。
味は酸味と甘みのバランスが絶妙で、
本当においしいみかんなのです。
価格はホント、高いのですが、
それだけ高いのが納得できるような味のミカンなのです。

こんなみかんが取れるところです。

八幡浜は、もうひとつ隠れたポイントがあります。
それは、地理上のポイントです。

実は、東京・大阪への高速長距離バスの
終点が、八幡浜なのです。
高速バスは、一度県庁所在地の街に寄ってから
八幡浜まで走ります。

八幡浜から、大分の別府へフェリーの便があります。
実はこれはトラックの運転手さんとか
道を知っている人間は知っていることが多いのですが
山陽道のバイパスの道なのです。

神戸から淡路島にわたって、高松道、松山道と
走って、伊予大洲まで行って、そこから八幡浜まで。
それで九州にわたるフェリーに乗る、というコースです。

山陽道はどうしても交通量が多いですし、
渋滞も発生するのですが、こちらの四国コースは
まずそういうことはありません。
山陽道を走るより中九州に行くには
こちらのほうが便利だったりします。
それが証拠に、先年熊本で大地震のあった際の
後の物資輸送では、このコースが使われて
いました。その結果、フェリー会社が
震災復旧以外の車の乗車を制限したほどでした。

そういう九州へのフェリー客の利用を見越して、
高速バスの終点が県庁所在地の都市になっていなくて、
八幡浜、ということになっているのです。

やれやれ、長くなりました。
今回は八幡浜への前書き、みたいになって
しまいましたが、今日はこの辺でいったん措きたいと
思います。
以下次号にて。

今日聴いた音楽
New York State of Mind  歌 綾戸智恵

その昔、謙介さん、延々と13時間も
日本ヘリコプター航空会社の飛行機に乗って
New York に行ったのです。
エンパイアステートビルには2回あがって、
お昼間と、夜とそれぞれ風景を見ました。 
どっちもよかったのですけど、宝石箱を
ぶちまけたような、 夜景はことのほか
記憶に残っているのです。

通ったベーグル屋、やかましい地下鉄の
駅の通路でサックスを吹いていたおじさん
人、グランドセントラルステーションのカフェ、
夜、ミュージカルの公演がはねて、ブロードウェイを
一人帰ったこと。
この曲とともにそんな忘れかけていた風景が
脳裏にさぁっとよみがえってきたのでした。

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18. 12. 29

歳末の用事(その3)

先生のお家で泊まらせていただいて翌日。
先生に「気になっているいるけど、なんや
いつでも行けるし、行ってへんところがありますね」
という話をしました。
「あ、それあるなぁ」ということで、
ご近所にあるにもかかわらず、
というのか、近所やから行ってない、
というところに行こう、ということになりました。

それで来たのがここでした。


Nagaokakyo1

これだけでは分かんないですよね。
↓ならわかりますよね。

Nagaokakyo2
でも、この立て札を見ていただくと変なことに
気が付きませんか?


長岡京は向日市にあって、長岡京市にはなかったの?
とか。

厳密に言うと、長岡京の中心的建物の大極殿は
向日市にあって、都の建物が建っていたところが
長岡京市にあった、ということですねぇ。
Nagaokakyo3

でもね、今回行って、しかも古代史の先生が横にいて
その案内付きで行って、本当によかったのです。

実際に行って歩いてみてわかったのですが
長岡京は、東側を流れる桂川の横の断崖の上にできた
京だった、ということが理解できました。

ところが、その段丘の部分の面積は
都全体をカバーするほどはなかったのです。
従って、長岡京の左京の大半は桂川の部分に
かかっていて、存在しなかった、
ということでした。

というのか長岡京があった時期なんて
ほんの少しだったですから、
建物を建てて、そこに居つく、ということすら
あまりなかったのでは、とさえ、思いました。


今、長岡京のこの大極殿跡は小さい公園になっています。
Nagaokakyo4

だけど、だーれもいない。(笑)
Nagaokakyo5

先生に西山天王山駅まで送って
いただきました。

Nishiyamatenouzan6


先生のお宅から西山天王山駅までは
歩いて5分ほどなのですが、、
先生が家を建てた時には、阪急の新駅がまさかできるなんて
全然思ってもいなかった、ということです。

そりゃそうです。先生が長岡京に土地を買った、
という話を聞いたのが、もう30年くらい前のことでした。

それが、今では大山崎から高速道路が延びるわ、
阪急の駅はできるわ、で、ここが京都の南西部の
交通の結節点になろうとしています。

もう変貌ぶりに「びつくり」です。

Nishiyamatennouzan5

ここから阪急の準急で梅田に出ました。

準急で高槻市まで行って、そこで特急に乗りかえようか
とも思ったのですが、特急だと、高槻からだったら
立ったまま行かないといけない、と思って、座ったまま
準急で梅田まで出ました。

準急だから停車駅が多いかな、と思っていたのですが、
多少多いくらいで、40分ほどで梅田に出ました。

Umeda5

今度は夕方だったので、阪急百貨店のイルミネーションもピカピカに
輝いていました。

Hankyu6


(ついていないときはこんな感じ)
Hankyu10

阪急から大阪駅に出ました。
この辺もすっかり変わったなぁ、と思います。
Oosakaeki8

同じアングルの前の大阪駅がこれですもんね。(笑)

Oosakaeki9

時間があったので、曾根崎のお初天神におまいりに行きました。
この日は、まだクリスマス前だったのですが、
当然天神さんですから、クリスマスは全く関係なくて
すでに初詣への準備をしているところでした。
Ohatsu
境内のあちこちに鳶の職人さんが来て提灯をつったりして
にぎやかな感じがしました。
またここにきておまいりができたことを感謝しました。

それから阪急の梅田に戻って、阪急の紀伊国○で本を見て
阪神の地下でサンドイッチを買って
再びJR大阪駅に。

さすが日暮れが早いですね。


実は今回の旅行、ずーっと頭の痛い状態が
続いていたので、もう用事だけ済んだらすぐに
帰る、ということにしました。


Umeda7_2

夕暮れのイルミネーションを眺めつつ、
高速バスターミナルから、バスに乗って
実家に帰ったのでした。


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18. 12. 28

歳末の用事(その2)

それからいつもこの辺に来るのに、
ついぞ行ったことのなかった、
長岡天神に行ってみることにしました。

みなさん、そんな場所ってありません?

いつでも行けると思っていて、ついつい通過して
してしまっていて、結局行ったことがない、とか
いけずじまいに終わった、っていうような場所。

最近、そういう場所は、多分思い立った時にしか
行かない、と思うので、思い立ったら、
すぐ行くようにしています。

今まで「いつかそのうち」で、
結局行かなかった場所がどれだけあるか。

過去のそういうことで何度も学習しました。

なので、今回は行ってみよう、という
ことにしたのでした。


桂から特急に乗ると
次が長岡天神です。

振り返って考えてみたら、長岡天神の駅で降りたのは
謙介、運転免許センターに行った時以来です。
実地を教習所でとって、学科を羽束師(はずかし、と読みます)の
京都府運転免許センターに行って取るために
この長岡天神まで行ったのでした。

ここからのバス、ものすごく混んでました。
そのうえ、長岡京の町って道が狭いんですよね。
それで渋滞しまくりで、、そうそう遠い距離でもないのに
長岡天神の駅から運転免許センターまで
結構な時間がかかったことを今も覚えています。

今日は運転免許センターとは逆の
西方向に歩いていきます。

しばらく歩くと、鳥居が見えてきました。

Nagaokatenjin5

横断歩道を渡って、池の堤に出てみました。

春のたけのこ料理で有名な
錦水亭も、シーズンオフなので、
休業状態です。
Kinsuitei

池を渡ってご本宮のほうに行きます。
ここに天神さんがあるのは、
この場所に道真さんがよく遊びに来ていて、
大宰府に行く途中、最後にこの場所で
別れを惜しんだから、という由緒があるからだそうです。

おまいりも済ませました。

Nagaokatenjin6


長岡天神駅から、天満宮に来るまでは雨がやんでいたのですが
再び細かい雨が降り出しました。

とはいってもささなくても何とかなりそうな程度の雨でした。

Nagaokatennjin3


再び参道を戻って、阪急の駅に急ぎました。

長岡天神からは、西山天王山にある恩師の家に行くのでした。

と、言っても、西山天王山駅って、長岡天神の次
なんですけどねー。


ということで、やってきた梅田行の準急に乗りました。
先生の家へは、11時20分に到着したのでした。


今日はここまでといたします。


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18. 12. 27

歳末の用事(その1)

目の腫れはひいたのですが、神経はまだピリピリ
します。 頭もガンガン痛い状態で
ロキソニ○頼み、という部分があります。

でも、どうしても片づけないといけない用事が
2つありまして、よっこらしょ、と出ることにしました。

いつものように始発のバスで出ます。
外はまっくらでした。

いつもなら起きて本を読んだりするのですが、
ほとんどずーっと寝ていました。
途中淡路島のサービスエリアで休憩停車
する時だけ起き上がってちょっと外に出てみました。
明石海峡は曇って、本州側は見えませんでした。

Akashi12

再びバスに戻ったのですが
また寝てしまい、起きたら神戸でした。

高速道路のコースのうち、
神戸の工場街を貫くように走っているあたりで
目が覚めました。

Kobe1


また寝てしまい、次に目覚めたのは
大阪の阿波座付近でした。

Awaza

いつもならこの辺で渋滞しまくりなのに
今日はスムーズに走って、
定刻になんばのOCATに着き、
梅田までもスムーズに走ってくれて
終着の阪急三番街へも定刻に到着してくれたのでした。

阪急百貨店の前を通りました。
まだ早朝だったので
ディスプレイの点灯も
これくらいで、、、ちょっと寂しい。
Hankyudept

大阪駅前です。
正面は半身百貨店でーす。

Hanshin1

え? 阪神と違うのか?
今、改築工事中で、東半分しかできていなくて、
Hanshin2

西半分が建設工事中なんですよ。
それで「半身」百貨店でえす。

梅田の銀行のATMで、
手続きやら振り込みをしました。
用事その1が終了です。

阪急百貨店のディスプレイも
まだここだけしか点灯していませんでした。


太融寺のココイチで食事をしました。
ここのココイチは24時間営業なのです。


ちょっと量的に多いかなぁとも
思ったのですが、ココイチでも
近畿地区限定メヌーの
牛すじ煮込みカレーをいただきました。

Kokoichi1


このカレー、七味唐辛子がついて
くるんですよね。(笑)

外は細かい雨がずーっと降っています。
雨が降る、という予報だったので、折り畳み傘を持って行って
いたのですが、傘をささなくても我慢できそうな
細かい雨で、、まぁさせば濡れないのですが、
ささなくてもオッケーのような気がして、
(どうせちょっと歩いたら、すぐ地下街に入るのでしたし)
そのままずんずん歩きました。
それで、阪急の梅田駅に行って、京都線の
特急に乗ります。

Hankyu12


運よくホームに行ったら
特急電車が入線してくるところでした。
あまり人が並んでいなさそうな場所を選んで
乗りました。

途中、茨木や高槻を通ったので
外を目を凝らして見ていたのですが、、
まだブルーシートをかけた家々が
何軒も見つけられて、、、
夏の地震の復興が進んでいない
ところがあるなぁ、とわかりました。

桂で電車を降りまして、、

Katsura


行政書士さんの事務所に行きます。
1時間ほど打ち合わせとかお願いをして、
事務所を後にしました。
普段はメールでやり取りしているのですが、
やはり話を聞いて、
書類に署名だの捺印だのと
いうことになったら、出かけていかないと
いけないこともありますね。

これで用件その2が終了です。
それから桂の駅前の銀行でまた
手続きをしました。
これで用件その3が終了です。

ながくなりました。今日は
この辺で一度措きたいと思います。

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18. 11. 28

無常迅速ツアー(その5)

御所を出て今出川通りを渡ると、この日一緒に行った
Mくんの母校の大学があります。
Mくん、久しぶりの母校訪問だそうで、、
ちょっと興奮ぎみでした。
キャンパスを歩いている、後輩に頼んで
カメラのシャッターを押してもらったりしています。
おなかがすいたので、
ラーニングコモンズのある建物の地下にある食堂に
入りました。

謙介は、肉野菜炒め、ほうれん草と温泉卵の和え物
お味噌汁、ごはん、というメニューでした。
Doudai

そこを出て、左折して東に向かいます。
せっかくここまで来たのです。
やはり出町のデルタに行こうということに
なりました。 ここで、北東から流れてきた
高野川(たかのがわ)と、北西から流れてきた
賀茂川が合流して、鴨川になるのでした。

正面の高い山が比叡山です。
Demachi1

ここに来たからには、ぽん、ぽん、と石を踏んで
真ん中に行かなければなりません。
おっさん二人が川の中で、ワーワーいいながら
石を飛んでいきました。
一緒に遊んでいたのは、もう30年以上前の
ことですが、その頃のように二人で出町の
飛び石を渡っていると、時間が経ったのが
信じられない、という気がしました。

Demachi2

大騒ぎしながら飛び石を渡って、
その間に、あの頃のあれやこれやの
思い出を思い出していると、それらが鮮明に
思い出されてきました。今まで埋もれていた
記憶たちが不意に
昨日のことのように脳裏に立ち上ってきたのです。
Demachi3

彼は、この日の宿泊所は宇多野ということでした。
謙介は、実家のほうに帰らないといけませんでした。
烏丸今出川で、彼が山越行のバスに乗るのを見送って
謙介は地下鉄に乗りました。

京都駅には、午後4時半に着きました。
4時50分発のバスがあるので、
2便早めて、それに乗って帰ろうかと思ったのですが
調べたら満席とのことで、1便早い17時50分のに
しました。
Kyotosta1116

ポルタ(京都駅前地下街)の中にある〇津屋で
サンドイッチを買って、コンビニでコーヒーを買って
バスに乗りました。
日帰りではありましたが、二人で懐かしい場所を
歩きながら、いろいろと話ができたこと、
本当に良かったです。
今回も長々とお読みいただいてありがとうございました。

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18. 11. 27

無常迅速ツアー(その4)

紫宸殿の裏側です。
こちらは清涼殿。
平安時代はこちらが御常御殿で、
天皇の日常生活の御殿でしたが、
安土室町時代になって
御常御殿がさらに北にできたので、
こちらは、紫宸殿で行うほどではないけれども
やや重要な儀式をこちらで行うようになりました。


Ura1

こちらには竹が二種類植えられています。
こちらは漢竹(かわたけ)
Gotake

こちらは呉竹(くれたけ)です。
呉竹のほうがやさしい感じがいたします。
源氏物語の中にもこの二種類の竹の描写が
ありましたね。
Kuretake

それでもって、御常御殿であった清涼殿の入り口でしたから
当然ここに門番が要ったわけですね。
ここがその滝口でございます。

西行さんは、元はここの警備担当要員だったわけですね。
Takiguchi
こうやって御所の実際の場所に足を運んでみると
位置関係とか、場所の状況とかも分かってきます。
やはりフィールドワークは大切です。

で、こちらが内側の庭。
Uchiniwa

清涼殿の北側に、小御所の建物があります。
(後から建て増しした)
この小御所で、五か条のご誓文が公布されたのだそうで。
蛤御門といい、小御所といい、幕末の歴史の舞台になった
場所がこういうふうに普通にあったりするのが、京都ですね。
Kogosho

御所の見学をして、外に出ました。
9月には、文字通り大内山は荒れ果てていて、
見学どころのことではありませんでしたが、
さすがに急ピッチで、各所を直していったのでしょう。
それでもまだ、こんなふうに倒木があったりして、、
Oouchiyama6


改めて台風のひどさ、
被害の大きさを感じたのでした。
今日はここまでといたします。

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18. 11. 23

無常迅速ツアー(その3)

再び京都旅行の話に戻ります。
御所からいったん外に出て烏丸通を北に上って行きました。
こうやって実際に自分で歩いてみると
京都の街が北に行くにつれて高度を上げているのが
よくわかります。
(自転車で走ったらもっと如実にわかりますが)
北に行くと、自転車をこがないといけないのですが
南に行くときは、最初、ちょっとこいで
加速度をつけたら、後は勝手に走ってくれます。

しばらく歩くと、右側にご門が見えてきました。

Hamagurigomon1

ここが蛤御門でございます。
Hamagurigomon2

会津藩と長州藩でドンパチあったのですが
その痕がこうして残っています。
Hamagurigomon3

ちょうど今の時期、京都御所が公開されているというので
寄りましょう、ということで来たのでした。

Oouchiyama1

入り口で空港のように持ち物検査がありまして、
このIDカードを渡されました。311番の人でございます。
Oouchiyama2


ここが御所の玄関、御車寄(おくるまよせ)
です。牛車から降りて、ここから御所に入る
ということですね。

Kurumayose

回廊ですが、この回廊、太平洋戦争中に建物疎開で、
壊してしまっていたのです。
回廊に焼夷弾が落ちて
延焼してはいけない、ということで
壊したまんまになっていたのですが
この時期になって、ようやっと復元をはじめた、
ということです。
Kairou

御所の正殿紫宸殿です。
この写真はよく見ると思いますが、、
左近の桜は、写真のように放っておかれているのですが、、。
Shishinden1

右近の橘は、秋から冬になると写真のようにこーんな立派な
建物が付いて、中で養生中になるのだそうで。
(近くにいたガイドさんに聞きました)
もうこうなると単なる橘ではなくて、「お橘さま」という
感じですね。

Shishinden2

ということで、今日はここまでといたします。

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18. 11. 20

無常迅速ツアー(その2)

嵐電の常盤の駅周辺を歩きながら、
住んでいたころを振り返りました。
ここ、パン屋さんあったなぁ、とか
豆腐屋さんがのうなってしもうたなぁ、とか。
近くに神戸資本のちょっと高級な
〇かりスーパーができてしまって、、
小売りの店は軒並みなくなってしまいました。

彼に最後に会ったのが、彼の結婚式でした。
二人でこうして話しながら歩いていると
まるで昨日、会っていて、また今日も会った、
という錯覚に陥るのですが、町の変化を見てみると
やはりこれが歳月というものなのだ、
ということを嫌でも実感させられるのでした。

常盤から双ヶ岡へ向かいました。
この辺はあまり変わっていません。
ただ、まぁ法金剛院前にあった
陸橋が撤去されたことくらいでしょうか。
法金剛院のわきから、細道を通って妙心寺に
抜けました。 
妙心寺の境内を通って北門に抜け、
妙心寺北門前から市バスに乗りました。
それで、烏丸丸太町まで行きました。

彼が京都御所に行きたい、と言ったのです。
烏丸丸太町で市バスを降りて、
御所に入りました。
さすがに9月に来た時は
台風直後だったので、荒れ果てた感じでしたが
約2か月の間に、急ピッチで整備していったのでしょう。
御所の入り口にある、拾翠亭に行きました。

実はここは穴場なんですよ。
観光客なんてほとんど来ません。
御所の中にあるんですけどねぇ。

Jyussui1

紅葉は↓こんな感じで、緑のところ、紅葉したところが
それぞれあって、これもまた風情のある感じでした。

Jyussui2

しばらく二人で言葉もなく静かに
庭を眺めていました。
久しぶりにこんなゆったりとした気分になったので
本当に出かけてきてよかったなぁ、と思いました。
Jyussui3

こちらが建物です。この建物と庭がそれぞれ公開されています。
Jyussui4


あんまり入場料のことは言いたくありませんが
ここは入場料は100円なんですよ。

別料金を払えば、半日もしくは全日貸して
いただくことも可能です。
ここの建物にはお茶室として使えるお部屋
(炉がきってあった)が2間ありましたので
お茶会をここで行う、というのも
できるなぁ、と思いました。
静かな庭からは鳥のさえずりが聞こえてきます。
本当に贅沢な時間を過ごすことができました。


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18. 11. 18

無常迅速ツアー(その1)

大学時代の友達で、今横浜に住んでいるやつが
京都に行くので会わないか、という話が
去年の今頃ありました。
それでその時はお互いの予定の調整が
うまくできなくて、今年になりました。
今年は、5月と11月に京都に行くんだけど、
という話があって、その時に11月に会おうと
いうことになっていたのです。
今年の初めの段階で、11月なんてまだ先の先
とか思っていたのですが、あれよあれよと
時間は過ぎて、なんとその日が来てしまったのでした。

改めて本当に月日の流れは早いなぁ、と
思ったことでした。

16日の金曜日、この日は仕事のある日でしたが
先日休日出勤した日があったので、代休にしました。
土日だと、京都行のバスも朝の5時台のがあるのですが
平日の一番早いバスは6時42分のバスでした。
これだと、10時15分に京都に着きます。
最近は夏と違って、日の出の時刻もずいぶん
遅くなってきましたが、さすがに6時半はもう
明るかったです。
Bus

バスは予定の時間で明石海峡を渡りました。
明石の町が見えました。
Akashi

前回京都に行った時には、大山崎から京都南インターまで
ずーっと渋滞していたのですが、今回は全然渋滞なく
京都南まで走りました。
桂川を渡ったころには愛宕山がくっきりと
見えました。
Atago
と、ここまでは順調に来たのでしたが、
京都南インターが混んでいて、、しかも
京都南から十条までもずーっと混んでいました。
そういうことで、京都駅には13分遅れで到着でした。
待ち合わせ場所に友人は来ていて、、
久しぶりの再会(ざっと30年ぶり)
でした。
このところ、いろいろあって年賀状も途絶えがちだったのですが、
知り合いの知り合いが彼といまだに連絡を取り合っていて
それで、彼に連絡をすることができたのでした。
まず、京都駅から山陰線に乗って太秦まで行きました。

昔住んでいた家のあたり(右京区の常盤)へ行きました。
昔銭湯だったところがカフェになっていたり、、
洋食屋さんが廃業してカラオケの店になっていたり、、

嵐電の常盤駅周辺にあったお店も半分くらいが
もう無くなっていて、、二人でここには豆腐屋があったよね。
ここには本屋があったよね、と言い合いながら
歩いていきました。

その間に音信の絶えていた20年ほどのことを
聞きました。 実は彼の結婚式に呼ばれて
行ったのでしたが、奥さんは20年前に
乳がんで亡くなっていた、ということでした。
その後2人の子どもをシングルファーザーで
それぞれ大学までやった、ということでした。

謙介は彼のお母さんも知っていました。
今も耳の底に彼のお母さんの元気な声が
残っています。 ところが、お母さん、
彼の息子・娘の世話をしているときに転んで
大たい骨を折ってしまって、寝たきりに
なってしまったそうです。加えてほとんど
しゃべらなくなってしまったために認知症が
進んでしまって、息子の彼のことが今では
全く分からなくなってしまった、という話でした。

加えて彼自身も53歳の時に脳溢血で
倒れてしまったのだそうです。
彼の会社はいまどき珍しい55歳が定年だそうで、
そのもうすぐ定年になる53歳の時に
倒れてしまったのだとか。
とりあえず、年休を消化して、
残りは休職扱いにしてもらって
55歳の定年になった、ということでした。


定年後は自宅でできるデスクワークの仕事を
しているのだとか。


彼はそんなここ20年ほどの間に
彼自身の身の上について話をしてくれた後に
「無常迅速ですよ」という言葉を
付け加えました。

時間の流れは本当に速いものです。
振り返ったら確かに何十年と経っているのですが
その間、人生いろいろなことがあって、
こうして再び彼と話をする機会がやってきました。

本当にアッという間のことです。
このまま、いやもっと速い流れでこれからの人生は
過ぎていくような気がします。

早い話が明日、どうなっているかだって
分かりはしません。

彼から禅語を聞くとは思いませんでしたが、、
本当に人生は無常迅速であるなぁ、と
思いました。


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