おでかけ

17. 04. 08

2017年春 近江・京都の旅(その8)

旅行も3日目になりました。
いよいよ今日は帰ります。
朝、旅館の窓から外を見たところです。
旅館は左京区の高野(たかの)なので
窓を開けると比叡山の山容が美しく見えるのでした。

Hiezan

朝食と会計を済ませて8時に出発です。
今回はオヤジの希望で、神戸からフェリーで
帰ることにしていました。
船に乗るので、どうしても10時45分までには
神戸港に到着しなければならないのです。
(船の出航は11時15分なのですが、
その30分までには到着して、乗船手続きを
しなければなりません)

道路状況を見てみました。
この日から甲子園で春の高校野球がはじまることになっていたので
名神で西宮に出て、神戸まで走る、というのは
無理だろうと思っていたのでしたが、、
名神・阪神高速の神戸辺を見たら、渋滞の印のまっかっか。
じゃあ、と思って中国道を見たら、これまた吹田~豊中~宝塚20きろで
渋滞中。 うーん、どっちがいいかなぁ、と思ったのですが、、。

ひとまず中国道で行くことにしました。
早朝なので
京都市内の交通量はまだ少なかったのです。
北山通りを西に走り、ノートルダム女子○のところで左折し、
河原町通りをひたすら南に走ります。
河原町十条まで走って右折して、1号線のところで
左折してまっすぐ行くと名神の京都南インターです。

名神から中国道に入って、しばらく走りました。
いつもより早く、千里中央の辺で早くも渋滞がはじまりました。
道路標識で渋滞を通過するまで45分とありました。
その時、8時40分でしたから、、まぁ10時前には
神戸に入れるかなぁ、と想定しました。

いつもこの宝塚辺で15キロくらいの渋滞が
起こります。と、いうのが、この宝塚の2か所で、
阪神高速2つが中国道と一緒になるのです。
そのためにいつもこの辺で渋滞が起こるのですが、、
いい加減う回路作って欲しいと思います。

中国道から阪神高速に入り、箕谷から
六甲トンネルに入って、一気に神戸に入りました。
中国道は渋滞していたのですが、
そのあとは混む場所もなく順調に神戸に入りました。
結局神戸に入ったのは10時15分くらいでした。

新神戸駅でトンネルを抜けて、市内に入って
加納町の交差点から北に行き、
いつものフロインドリー○で、パンを買って、
神戸港のフェリーターミナルに着いたのが
10時40分でした。
フェリーの乗船予約はしていたのと、
乗船名簿もパソコンからダウンロードして
先に作ってあったので、名簿を出して運賃を払うだけで
手続きは終了でした。

車を積むスペースは1階と2階にあるのですが
両親の足のこともあるので、2階にしてもらいました。
車両甲板から客室には、エレベータで上がります。

Fune11


座席も予約していました。
三連休の初日だったので、この日結構船は混んでいました。
椅子席はほとんどが埋まっていました。

船は定刻の11時15分に出帆しました。
四国着は15時50分です。

船が走り始めて30分ほどで
明石海峡に来ました。
いつもは上を走る橋を今日は下から見上げます。

Akashi1

だんだん近づいていきます。
Akashi2

橋上を走る車も見える距離になりました。
Akashi3

もっと近づいて、、
Akashi4

とうとう通過します。
Akashi5

そしてあっと言う間に遠ざかっていきました。
Akashi6

ちょうど明石の沖で、、
日本標準子午線の明石の天文台も見えました。
135

これが2階のほうの車両甲板です。
あと、この下に1階の車両甲板があって
そちらのほうに大半の車が搭載されていました。
なので2階のほうの車はあまりいない、ということでした。
謙介の車も2階に載っていたのですが
この位置からは見えなかったのです。

Fune2

これが同型船です。乗っているのと同じ形の船です。
Fune3

船は途中小豆島に寄港しました。
乗ってくるのも数台くらいかなぁ、と思ったら
何の何の。30台くらい車が載ってきて、
びっくりしました。

屋島が見えてきました。
もう到着です。

Yanyanyashima


ということで無事に帰ってくることができたのでした。
何とか事故もなくて帰れることができて、ホッとしました。

これで今回の旅行のご報告、ひとまず終わりです。
今回は仕事がバタバタしていて書く時間が取れずに
長い時間がかかってしまって、、、すみませんでした。
最後までお読みくださってありがとうございました。

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17. 04. 06

2017年春 近江・京都の旅(その8)

山科、といえば、前回も書いたようにひなびた場所だったのです。
この山科、という場所は、京都の旧市内に住んでいる人から
すれば、やはり「?????」というような場所でありました。
というのが、山科は、京都の旧市内の東側にある東山よりも
さらに東にあるわけです。東山を越えたところにあります。

ということは、京都旧市内に住む市民にとっては
東山の方角から日がのぼり、西の嵯峨野の向こう、
小倉山とか乙訓の方向に日が沈んでいく、というのが
固定概念というのか、「それが普通」ということに
なっているのですが、、、。

山科では、その朝日ののぼるはずの東山方向に
日が沈んでいくわけです。それは地理的位置関係からして
ごく当たり前のことではあるのですが、京都市民としては、
東山に日が沈む、ということがなかなか受け入れられない、
ということがありました。

そういう部分もあって、なかなか山科に
人が住むようなことにならなかった、という事情があったようです。

でも今は、たくさんの人が住んで、ここで暮らしています。

そういうことでかつての山科は、ひなびた隠棲の場所で
ありました。 
山科・隠棲、というと、やはり忠臣蔵、ということになりますかねぇ。
ここが、その大石神社です。内蔵助が隠棲していたあたりに
後に神社が建てられたのが、このお社のはじまり、
と言われています
Ooishi1

ここは桜の名所でもあるのですが、
行った時は、桜はまだまだ、という感じでした。
今は美しい花の季節になっていることでしょう。

Ooishi2

大石神社の一隅に宝物館がありました。
内蔵助の行動に対して、賞賛をした
明治時代の政治家とか文化人の書が
飾ってありました。どうしてだか、ドラマで
忠臣蔵1/47 に出演した、
木村某さんの大きなサイン入りのポスターも
飾ってありました。

Ooishi3

大石神社を出て南に細い道をうねうねと走っていくと
名神高速道路の下に出ます。ここを名神沿いに東に行って、
大きな道に出たところで右折してしばらく行くと
真言宗の本山のひとつ勧修寺に到着です。

このお寺の読み方ですが、「かんしゅうじ」かと思っていたのです。
お寺の人は短く「かんしゅじ」と言っていました。

梅の花の最後の方に間に合うことができました。
Kannshuji2

庭の一隅に観音堂があります。
狭い庭もいいのですが、こういうふうな開放的な広々とした
庭もまた風情があって、いいなぁ、と思いました。
(でも手入れが本当に大変とは思いましたが、、)
Kanshuji1

勧修寺から少し東に行くと、地下鉄の走っている南北の道路が
あります。これを渡って東に行くと、醍醐寺への道に出ます。
その道をどんどん南に行きます。
醍醐寺の前を通過してさらにどんどんと行くと左法界寺、と書いた
道標がありますから、そこを左折してどんどん行くと
築地塀が見えてきます。
ここが日野法界寺です。
ここも行きたかったお寺だったのです。

この日野、という場所は、あの『方丈記』の著者の
鴨長明さんが住んだ場所でありますし、この法界寺の裏側には
親鸞の生誕地とされる日野誕生院があります。

Houkaiji1

この↓の写真の左側に見えているのが
国宝の阿弥陀堂です。もちろん中には
阿弥陀さまがおまつりしてあります。
説明をしてくださったご住職の話を
まつまでもなく、お像を拝見した感じは宇治の
平等院の鳳凰堂の定朝さんが作った阿弥陀さまに
よく似ているなぁ、ということでした。
それでも、細部には、やはり違いがあって
こちらの阿弥陀さまは定朝の工房でつくられたものには
違いないけれども、定朝の手以外にも定朝の弟子なども
この制作にかかわったのだろう、と考えられているとのことです。

国宝の指定、ということはご住職の説明をお伺いするまで
知らなかったのですが、そういう指定云々、ということを
除いて考えても、本当に美しく格調のあるたたずまいのお堂だなぁ、と
思いました。
Houkaiji2

決して大きな建物ではないのですが、、
それでも威風堂々とした風格があって、、
Houkaiji3

それで説明を聞いて「国宝」ということが分かって
そらまぁそうだろう、、と思ったのでした。

山科のあちこちを巡っている間に夕方になりました。
さてぼちぼち旅館に戻ろうか、
ということになりました。
今日はここまでといたします。


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17. 04. 04

2017年春 近江・京都の旅(その7)

花園会館でお昼をいただいて、出発です。
Img_1972

妙心寺道を東に行って、西大路まで出て右折します。
次の円町の交差点で左折して東に走ります。
千本丸太町を右折して、千本通りを二条駅まで。
ここで左折して御池通りに入ります。御池通りを
そのまま東に走って、富小路を右折しまして
ずっと下がりますと錦市場振興組合の駐車場が
あります。いつもここに車をとめています。

と、いうのが、この駐車場が、錦市場のいつも
行くお店に近いので、何かと便利なのです。
加えてこの駐車場の前にアイスクリーム屋があって
そこのアイスがおいしいので、いつも寄っては
いただくのが習慣になっているのです。

錦市場のお店も、3分の2は変わったなぁ、という
印象です。以前は、同じお店で、午前中と午後で
客が違う、という感じでした。
午前中は旅館とか仕出し屋さんといった商売を
している人の仕入れの人が多くて、午後は観光客
相手、という感じだったのですが、
今やもう四六時中観光客の相手、という感じに
なりました。プロの人はどこで仕入れているのかなぁ、と
思ったりします。

それと不思議なことなのですが、
錦の通路の南側のほうは比較的
観光客相手のお店が多くて
北側は従来のプロの人相手のお店が多い、
という感じがするのです。
これは謙介の印象でしかないのかもしれませんんけど、、。

錦でオフクロはニシンの甘露煮を買います。
それから山椒とか湯葉、といったようなものも
買って、再び駐車場のほうに戻ります。

さっきも言ったように駐車場の前のホブソン○のアイスクリーム屋
さんで、ちょっと休憩をしました。

それから再び車に乗り、今度は四条通りを東に走ります。
南座のところを右折して川端通りに入ってしばらく
南下です。 オヤジにここが京阪電車の跡、と言ったら
感慨深げでした。(正確には電車は地下に潜ったのでしたが)

川端通りを五条まで下がって、今度は左折して、
まっすぐ東を目指します。
東山の坂を一気に越えて、降りると山科です。

山科も今ではすっかり住宅が密集する地域になって
しまいました。
40年くらい前までは、京阪とJR(当時は国鉄でしたが)
の山科駅周辺は家がありましたが、
そこから南に下がっていくと、まだ方々に田んぼや畑があったりして
牧歌的な場所だったのです。

名神も新幹線も田んぼや畑のあたりを突っ走っていたのでしたが、、

それが次第に団地ができたり、マンションができたりして
今では住宅地、となってしまいました。
地下鉄も走っていて、ここから洛西の太秦天神川まで
直通の電車で行けるようになりました。

午後は、この山科のいくつかの社寺を回ろう、
という計画だったのです。
今日はここまでといたします。

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17. 04. 02

2017年春 近江・京都の旅(その6)

すみません。このところ、ものすごく忙しくて
更新がままならない、状態なんですよね。

というのも、勤務先のほうで、分室、というのが
できたのですが、そっちの準備とか、そこで
働く人への指示をあれこれとしないと
いけない、という仕事ができたのです。

本来であれば、それは、謙介の仕事では
ないのですけどねぇ、、。

人に教える、ということはその前に、謙介自身が
十分理解して分かっておかないといけないので、
そっちの施設の機械や、器具の取り扱い方、
さしあたっての準備、というようなものをしていたら
文章を書く時間というようなものがなくなってですね。
それで更新が、ちょっとお留守になっていた、
ということなのです。 しばらくちょっと忙しい
状態が続くように思いますが、、申し訳ありません。


と、言い訳を山のようにしておいて、(笑)

取り急ぎ話をすすめていきたいと思います。


話は京都に戻ります。
前回は朝、嵐山に行って、梅宮大社に行ったところまで
お話しました。

丸太町通りを東に走って、常盤から花園へ抜けました。
途中、丸太町と馬代通りの交差点を左折して北に行きます。
山城高○の前を通ってさらに北に行き、
嵐電の踏切を渡ってすぐに右折して、
今出川通りに入ります。
嵐電の北野白梅町の駅を右に見て、
北大路通りを突っ切りました。

北野天満宮の前を通ると、次の交差点が上七軒。
ここを左折して少し上に上がると、千本釈迦堂があります。
たぶんまだ桜は無理だろう、と思って来たのでしたが、、
やはりつぼみは固い、という感じでした。


ここは街中のお寺で、駐車場と本堂が隣接していて
お参りがしやすいのです。年寄りと一緒に旅をすると
こういう歩きやすいか、とか、駐車場に近いか、
ということが気になります。

自分だけだったら、そんなもの、駐車場が少し遠かろうが、
階段があろうが全然気にはならないのですが、、

釈迦堂にお参りして、再び車に乗って
今出川通りを東に行きます。

出町の交差点(河原町今出川)を右折して河原町通りを
今度は南に走ります。

ちょっと前、暴力団の組長が収監されないように
診断書を書いた書かなかった、ともめていた学長がいた、
某府立医大(笑)の前を通ります。 
某も何もないですけどねー。

府立医大と言えばいろいろな思い出があります。

大学2回生の春に、背中にできものができて、
しばらくここ府立医大の皮膚科に通ったことが
ありました。

背中のできものは日々大きくなって行って、、
これは困ったなぁ、と思って、ある日大学の恩師に
相談したら、皮膚科やったら府立医大がええよ、
というアドバイスをいただいたのでした。

早速、93番のバスで常盤から京都を横断して
河原町丸太町まで行ったのです。
河原町丸太町のバス停から北に歩いて
府立医大まで行く道のりの長かったこと。
特異な病気だったらどうしよう、とか思いながら
歩いたのです。
そのころは高野悦子さんの手記『二十歳の原点』
という本によく出てきた「しあんくれーる」という喫茶店が
まだありました。 

Img_2083
(物持ちがいいので、このしあんくれーるのマッチを
まだ持っていました)

謙介もその時は文字通り「しあんくれーる」状態
で、その道を通っていったのです。

ドキドキしながら
診察室に入りましたら、先生の後ろに
ずらっと医学生が立っていて、、
まぁ院内のあちこちに、府立医科大学ですので、
学生の実習のご理解を、というような貼り紙が
あったのでしたが、まさか自分がそうなるとは、
と思ったのでした。

背中のできものを見ながら先生が学生に
質問します。「これは何? 」と。
そうしたら、学生が緊張した早口で
何やらドイツ語の単語を言ったかと思います。
そうだね、じゃあ、そのなんたらかんたらには
何種類あるかな。

というふうに謙介は背中をめくった状態で
授業が進行したのでしたが、、。

ドイツ語の単語のやり取りが終わった
ようだったので、謙介はおずおずと
先生に尋ねました。
「先生、これは何か変わった病気ですか?」
「うーん。雑菌が入ってできものができたようやねぇ」
「この薬を処方しておきますから、朝、晩、うすーく塗って
ください。1週間くらいでおさまりますよ。せやけど、おさまった
あともしばらく塗ってください。薬がなくなるまでずーっと
塗ってください。そうしたら治るでしょう。心配するような
大変な病気やないから、安心しなさい」
そうおっしゃってくださった先生の言葉、今も覚えています。

そして先生のおっしゃったように薬を塗っていった結果、
そのできものは、え? できもんなんかあった?
というようなふうで、1週間後に姿を消し、3週間後に
その塗薬もなくなって、すっかり元通りになったのでした。

大森一〇監督の「ヒポクラテスたち」は、
この府立医大が舞台です。
そういえば、映画の中で、その皮膚科に
「いんきんたむし」の薬をもらいに来た患者さんが
医学生の(伊藤〇)問診を受けなければいけなくなって
こっそり逃げ帰ってしまう、という小さい描写が出てきましたっけ。

かつてそんなドキドキしながら北へ歩いた道を
今日は逆に車で南に走って行きます。
かつてあった「しあんくれーる」ももう今はなく、
コイン駐車場になってしまいました。

河原町丸太町の交差点に来ました。
もう少し下がって、河原町二条の交差点を
右折して、二条通りを少し西に進み
寺町に入る一つ手前の交差点でまた右折して
お茶の一保堂の駐車場に車を入れたのでした。

一保堂でお茶を買って、今度は寺町通りを上がり、再び
今出川まで出ました。出町の商店街を見ながら、鴨川に出て
堤の道を川沿いに上がって行きます。
紫明通り、北大路、北山、と上がっていって、
御薗橋まで来ました。
右折をすれば、上賀茂神社なのですが、
今日は左折して西に行きます。
ずっと行くとナベ○ン家具の店があるのですが
ここを右折して北に行くと、神光院というお寺が
あります。ここにお参りします。

京都で、真言宗のお寺と言うと
東寺、御室の仁和寺、 嵯峨野の大覚寺あたりが
観光客には良く知られたお寺なのですが、
この神光院は、京都市民に知られた
真言宗のお寺です。 目に霊験があるということで
目のお大師さん、と呼ばれています。

ここも花の名所なのですが、、洛北ですから
やや気温が低いので、桜のつぼみはまだまだ
かたい、という感じでした。

この神光院でオフクロがご朱印をいただきたい、
というので、書いていただいたのですが、、、
ここのおばちゃん、結構話好きの人で
世間話で盛り上がってしまいました。

北大路駅にある、京都市の交通局に
バスの路線案内のマップをいただきに行ったら、
すごく嫌そうな顔をされて、5枚しかくれへんかった
しぶちんやわ、というような話です。
「神光院から来たんですけど、と言わはっても?」
「はぁ、言うたんえ。言うたけど、なんや嫌そうな顔しはってねぇ」
「そうしたら、北大路駅より、京都市観光協会にでも
訊かはったらどないですか? 」
「そこどこにありますのん」とか言われて調べて、、
15分くらいそんな話をしていました。

お昼はどないしょ? と言う話になったのですが、
「花館」で食べたい、と両親が言うので
今度は北区の上賀茂から、右京区の花園へ移動です。

千本北大路の佛大の横を通ったら、
ちょうど卒業式の日のようでした。

北大路に出て、そのまま北大路から西大路へと
走ります。妙心寺道を右折して、細い道を西に行くと
花園会館の前に出ました。 やはりお彼岸だったので、
妙心寺も凄い人でした。 

少し待ちましたが、松花堂弁当をいただいたのでした。
今日はここまでにします。

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17. 03. 29

2017年春 近江・京都の旅(その5)

翌朝は旅館の中のレストランで朝食をいただきました。
バイキングスタイルなので、好きなものを好きなだけ取る、
というスタイルのものでした。

朝食を摂って、8時過ぎに出発しました。
午前中、人の少ない時間に嵐山に行って、
西から東に行こう、という計画だったのですが、、

オヤジと話をしていたのですが、なんだかオヤジの
話し方が変だったのです。

昨日まではクリアなはきはきとしたしゃべり方だったのに、
今日は朝から、どうも話し方が明瞭ではありませんでした。
運転しながら、オヤジの話を聞いていたのですが、、
どうも発話が変な感じなのです。

まさか、脳梗塞になったのか、と思いました。
これは旅行をここで終えて早くに帰ったほうがいいのでは、
と思い始めました。
それくらい会話がはきはきしていなかったのです。

車を走らせながら、ずーっとどうしようか、と思っていました。
京都で入院、ということになったら、、、

幸い、今回の旅行にも保険証は持ってきていていたので、
いつでも病院に行くことはできます。
ですが、入院となったら、、と本当に考え始めると
もういてもたってもいられなくなって、、
とうとうオヤジに言ったのです。
「なんだか口調が変なんやけど、旅行をこれで止めて
帰るか、脳外科に今からすぐに行ったほうがええんと違う?」
「どこも悪いことあらへん」とオヤジはいいます。
でも、その言い方が、
昨日までと違ってはきはき言ってないのです。

運転しながら、えーっと西京区やったら
○菱j自動車の病院があったなぁ、とか、
右京区やったら○房病院やろか、
あそこ、休日も診てくれたかなぁ、
とか考えていました。

その時、オヤジが口の中に指を差し込んで、
カパッと何かを動かしたのです。
車は太秦から帷子の辻に差し掛かるところでした。
その時、オヤジが「帷子の辻やな」と言ったのですが
その口調は、昨日のようにまたはきはきとした
言葉遣いになっていました。

京都中央信○の口座に記帳しないといけなかったので
信金の帷子の辻支店に寄るから、と言ったら
「ふん」と言いました。
口調がもとに戻ったらしいので、、
「入れ歯の調子が悪かったん?」と聞いたら、
「そやで。もう直った」とはきはきとした口調で言うのです。
思わず体中の力が抜けて行くような気がしました。

脳梗塞かしらんと思ったら、入れ歯の調子が悪かっただけ、
ということで、今回は笑い話で済んで、本当によかったです。


謙介、よくまぁ両親なんかと一緒に旅行するよねぇ、と言われます。

このことについてはまた別の日に書こうと思うのですが、、
正直なところ、毎回毎回、これが最後かなぁ、という気持ちで
旅行に出かけているんですよね。

うちの親子関係ですが、20代のころまで、
あまりいい関係ではありませんでした。

しかし、こういう関係って歳とともに変化をします。
そこが若いときは分かりませんでしたね。

謙介より若い人で、親子関係が断絶している、とか
仲が良くない、というような人の話もよく聴きます。

まぁ親子と言っても別の人格の人間なので
うまくいくとは限りませんけどね。

でも、仮にぎくしゃくしていたとしても
そんな親子の関係が永遠に固定化されて
その状態が永遠に続くとは限らないのです。

若いときは、その状態が永遠に続く、と思いがちですが、
人間の関係なんて、ふとしたことで、
ガラッと劇的に変わることだって
あり得ます。

自分の感情の変化だってあるし、
親の状態の変化だってあります。
もちろん、自分の状態の変化、ということも
大きいのですが。
それから地震とか火事というような大きな災害で
人間関係が一変する、というようなことだって
あり得ます。


20代の人で親とうまくいかなくて、家を出たとか、
縁を切った、というような話を聞いたことがありますが、

果たしてそれで固定的にずっと行くのか、と言えば
謙介は自分の経験から考えても、
それは誰にも分からないことだと思うんですけどねぇ。


それに歳とってごらんなさい。
少々のことなんて、もうそんなもの気になんか
してられない、と思うようになります。

おばさん、おじさんの行動を若い人が見て、
堕落しているとか、好き勝手している、という場合が
あるのをよく聴いたり見たりしますけど、
おじさん、おばさんが、好き勝手をしているのは、
そういう「こだわり」とか「抵抗」がどんどん無くなっていった
結果なのでしょう。(笑)

さて。

帷子の辻の信金で記帳もできたので、
再び嵐山に向けて出発です。
嵐山は、日中に行くと、もう観光客が押し寄せていて、
静かに見られないので、早朝か、夕方の5時以降に行かないと
落ち着いた風情で眺めることができません。

さすがに朝の8時半ごろの嵐山は
まだ人も少なくて、静かな感じでした。

Arashiyama
渡月橋を渡って対岸に行きます。
ここに、謙介がその昔十三参りのお参りに行った
法輪寺があります。

十三歳になった坊ちゃん嬢ちゃんは、嵐山の法輪寺に
お参りをして、お知恵を授けていただくのです。
そうして授けていただいた後は、渡月橋を渡りきるまで
振り返ってはいけない、のです。
振り返ると折角授かったお知恵が逃げてしまうから、
ということです。


謙介は、ただひたすら
前だけ見て嵐電の嵐山駅に行ったのでしたが、、、

うーん。知恵はついたのか。(笑)

渡月橋を渡り、あの法輪寺の下を通り、
しばらく大堰川沿いに走って、四条通りのところで、
右折します。右側には松尾大社があったのですが、
また今度行くことにして、今日は橋を渡ってしばらく行きますと
梅宮大社に到着です。

時期的に梅の花の終わりの時期で、
桜にはまだ早かったのですが、、
それでも遅咲きの梅がきれいに咲いていました。

Umemiya

それから、嵐山在住の友達から
車折神社に行ったら、早咲きの桜が咲いている、
という話を聞いていたので、行ってみました。
Kurumazaki

車折神社から三条通りを通って太秦の広隆寺の東から
上がって、太秦映画村の前を通り、丸太町に出て
右折して東に走りました。
丸太町通りの両側も、家電の量販店ができたり
ファミレスができたり、郊外型の本屋ができたり、
と店がいろいろとできました。

謙介が住んでいたころなんて、鶏小屋があったり畑が
あったりして、まだまだのどかな右京区、という感じ
だったのですが、、すっかり変わってしまって、、
オフクロは、「京都と言う感じがせえへんなぁ」と
言うのですが、全くその通りです。

この日は、京都を西から東に向かって、
いろいろと見よう、と計画を立てていました。

これで西京区と右京区は終わって、次は
上京区のほうに移動するのでした。

今日はここまでとします。

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17. 03. 27

2017年春 近江・京都の旅(その4)

一旦旅館に着いて、荷物を置いたりしました。
夕食は、旅館のレストランではなくて
外に食べに行くことにしています。

今回は、衣笠の黒猫○という
中華料理屋さんに行きました。
(この店は、立地とかお店のたたずまいからして
地元の人しか行かない場所の店ですが、
人気がある店なので、予約が必要です)

旅館は北山だったのですが、衣笠までは車で10分少々、
というところでしょうか。

北山通りを西に走り、
京都ノートルダム女子大○のところで左折して、
北大路に出たところで右折します。そのまま北大路を
走って、西大路に入って、平野神社のところを
右折して100メートルほど行くと店に到着です。

お店の外観はこんな感じです。

Kuroneko1

地味な、いかにも京都のお店、
という感じの
中華のお店です。
京都のお店というのは、「目立つ店舗デザインとか
派手な宣伝など全くせずに、地元の人だけが相手で
そのお店のことをわかって来てくれはるお客さんだけ
来てくれたらええ」というスタンスのお店ということです。

どうも新京極とか河原町通りにあるような、観光客相手の
京都どすえ、というのを濃厚に主張したり宣伝しまくり、
という店はついていけないのです。

予約をした段階で、
お店のおばちゃんが「4人掛けの席が一席だけ
あいてますさかい」と言っていたのですが、
果たして店に入ってみると
全部予約で満席でした。 

フリーで来たお客さんは断られていたくらいで、、
衣笠、という場所柄、お客さんの話を話を聞いていたら
(聞きたくないけど、やたら声がでかいので聞こえてくる)
Rのマークのだいがくのせんせいのようでした。ひょっとしてBの
つくだいがくかもしれません。
何やら学会の話をしていましたから。

料理はコースをお願いしていました。
オーソドックスなクラゲの酢の物、棒棒鶏、焼き豚、きゅうりの酢の物
というような前菜からはじまって、湯葉ときのこのスープなど全部で8品
のコースでした。
Kuroneko2

料理がおいしくて、写真を撮るのを忘れてしまったものもあります。
これは、とびきり刺激的だった、麻婆豆腐。
Kuroneko3

締めは鮭の炒飯でした。
Kuroneko4

最後にデザートの杏仁豆腐が出ておしまい、
ということになりました。
Kuroneko5

いろいろ出た中では、オヤジは、牡蠣をフライにして
甘酢あんをかけたのがおいしかった、
ということでした。(写真がなくてすいません。
これは謙介もおいしい、と思いました)

ここのご店主さんは元、京都市内のホテルの
中華レストランの総料理長だったそうです。
それで独立してお店をつくられたのが、この
お店ということだ、と聞いています。

奥さんと、もう一人、若かった頃の西島秀○に
似たイケメンのウエイターさんで接客をして
いました。
この辺も変わったなぁ、という話をしながら
食事をしました。

平野神社の北側に、出町の古書店の
善書堂の支店があったりしたのですが、、
善書堂のご店主が若くして亡くなられてしまい、
衣笠の支店どころか、出町の本店も無くなって
しまいました。

ここからちょっと下がったところに
ラーメン藤、というお店もあって
一時はよく流行っていたのですが
そのお店も無くなってしまったねぇ、
というような話をしていました。


春の宵、両親とこの界隈の昔の話をしながら
食事をしたのでした。


(今日聴いた音楽 ラスト・ワルツ 岸洋子
 今日は岸さんのお誕生日だったので
 早世が惜しまれます。)

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17. 03. 26

2017年春 近江・京都の旅(その3)

しかしまぁ、彦根に来て何がびつくりしたのか、といえば
宮○書店があったことです。

本店は謙介の実家のある街の本屋なのですが。

今やこの本屋、日本各地の処々方々にあるので、
よその土地に行ってうわっ、こんなところにもある、
とか思ってびつくりすることも再三です。


この本屋さん、ちょっと前まで年齢不詳の女性社長が
トップにいたのですが、その後その女性社長が亡くなって
今はその息子が社長になっています。


今回の彦根行では、前回のように竹生島に渡る、
ということもありませんでしたし、お城も行かなかったですし、、、。

せめて「なおりん」がしばらくいた(こらこら)
「埋木舎」(うもれぎのや)くらいは行ったらいいか、とも
思ったのですが、あそこも駐車場から建物までが距離も
あるようでしたので、止めにしました。

オヤジは前に二度転倒したことがあるので、
今回の旅行でも、その点にやはり、
ものすごく気を遣いましたです。

車に乗る時も、ドアの開閉は本人にして
もらいました。前に、気を利かせたつもりで、車のドアを
開けたら、そのドアのノブをつかみ損ねて転倒した、
ということがあったからです。

その代りオヤジが開けたドアは、こちらが必ず横にいて
ドアが動かないように、じっと持っていました。

それとドアを閉めるときには、大きな声で、「ドアを閉めるよ、
いい?」と声をかけるようにしていました。

それからちょっとした段差でも、必ずここは段差だよ、
というようにしました。
何度も声掛けをしてうるさい、と言われつつ事故の
ないようにしたほうが、声掛けをしないで転倒して
大変なことになる、というようなことよりよほどましだと
思うからです。
まぁ、そういうことはありますが、
両親との旅行も、正直なところ、毎回これが最後かなぁ、と
思いながら行っています。

子どもとしては、自信、とまでは言いませんが
親自身に、まだ自分は京都に旅行に行くことができる、
という気持ちを持っていてもらいたいと思うんです。
それが生きる上での気持ちの柱にもなるように
思うんです。

さて。

彦根から長浜に出ました。空は鈍い灰色です。
彼方の山を見たら、吹雪の空模様でした。
「あれは雪やな」とか言いながら、車を走らせました。
滋賀県も湖北地方の長浜まで来ると、
道路の標識に「福井県」の地名が
入ってくるんですよね。「敦賀」「小浜」「福井」とか
いうふうに。


長浜でも散策したかったのですが、もう午後3時に
なっていたので、長浜は通過するだけ、になって
しまいました。(今度また来たいです)

8号線から、琵琶湖の周遊道路のほうに入って、
途中、木之本の平和堂に寄ってトイレ休憩をして、
マキノから近江今津まで来ました。


Imadu


今津から北を見ると、、若狭と近江の国境の山は
雪がたくさん積もっていて、、やはり寒そうです。


Imadu2
同じ場所からですが、
今度は目を琵琶湖のほうに向けてみました。
前に行った竹生島が見えています。その後ろは
伊吹山です。 

あの山の頂上まで登ったのを懐かしく思い出しました。
登ったのは10月でしたが、もうすでに頂上は落葉も終わっていて
厳冬期、という感じでした。

今回行った近江今津も前回の旅の時に来ていたのです。
(この前はマキノのメタセコイアの木の並木を見に来ていた)
マキノに行くときに、ちょっと道が分からなくなって、
近江今津の駅の案内所で道を聞いたのでした。

その時、行く機会を逸していた、
「琵琶湖周航の歌記念館」に行きたかったのです。

この「琵琶湖周航の歌」ができたのが、1917年だそうで、
今年がこの歌ができて100周年になるのです。

Imadu3

琵琶湖周航の歌記念館ですから、当然のこと
その歌の疑問点に対して答えてくれる専門の人が
いるだろう、と思って行った、ということもありました。

やはりこの歌の最大のなぞは、この歌の6番でしょう。
歌詞は
 西国十番 長命寺 となっているのですが、
実際の長命寺は、西国三十三箇所札所の三十一番札所なんですよ。

どうしてこんなことになったのでしょう?

館内には、作詞者の小口太郎さんの資料をはじめ、さまざまな
資料が置いてありました。

歌詞の説明もあったので、館内にいらっしゃったここの
担当者に、長命寺の歌詞のところについて聞いてみたのですが、、

史実に合わせようとすると、「さいごく さんじゅういちばん ちょうめいじ」
と歌わなければならず、そうなると、あのメロディに歌詞が収まらなくなるために
歌詞を改変してしまったのです、ということでした。

それと、この歌がもともと旧制高校のボート部の学生同士の
思いつきで作られたような歌で、ここまで有名になって、
後々までいろいろな人に愛唱されるとは思ってもいなかった。
なので、まぁ適当に作っていた部分もあるのでしょう、
ということでした。

今では、長命寺さんにも「お許し」をいただいていて
間違いが「公許」になっているのだとか。

ウィキペディアを見たら「ご当地ソング」という言い方をしていましたが、
国文学で言うのであれば、「道行歌」という言い方がちゃんとあるのです。
歌舞伎とか浄瑠璃で、「~を過ぎて、~を通って」という語りがよく
出てきます。(特に心中もので) 

通った場所、とか、その地の有名どころを
読みこんで文章やら歌にする、というの
は非常に伝統的な歌の作り方であって
記紀歌謡にもその用例があります。
有名な影媛の歌もそうです。

石上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 
物多に 大宅過ぎ 春日 春日を過ぎ 
嬬籠 小佐保を過ぎ 玉笥には 
飯さへ盛り 玉椀に 水さへ盛り 
泣き沽そぼち行くも 影媛かげひめあはれ

そういう歌の形式があるのにご当地ソングなんていう
当世流の言い方でなど言って欲しくありません。
たぶん、道行歌、という形式があるのを知らない人間が
解説文を書いたからそうなったのでしょうけれども。

まぁいいや。
ということで謙介も、長年の疑問が解けて、すっきりした気持ちになって
資料館を後にできたのでした。

さて、資料館を出たのが4時過ぎだったのですが、、。
晩はもちろん京都泊まりです。
京都までどの道を行くのか、で、実はこのブログに
よくコメントを下さる、mishimaさんにお伺いをしてみたのです。

というのが、琵琶湖沿いの堅田、雄琴、と言ったところを通って
大津から比叡山を抜けて、北白川から京都市内へと
入ったほうが交通渋滞なく京都市内に行けるのか、
もしくは近江今津から、旧朽木村のほうを通っている鯖街道を通って
朽木から京都の大原に抜けて、京都市内に入ったほうがスムーズなのか
ということを聞いてみたのでしたが、、、
mishimaさんのアドバイスは朽木経由のほうが、スムーズでしょう、
ということでした。

そのアドバイスに従って、近江今津から
自衛隊の演習地の横を通って鯖街道に出て
朽木の集落を通って行きました。
なるほど、車が全然通っていません。
たまに対向車があるくらいでした。
道は盆地になったり山の谷を走ったり
していきましたが、、まだまだ両側には雪が
たーくさん残っていて、、それにびつくりしました。
やがて、途中トンネルを越えると京都です。
途中トンネルを出てしばらく行くともう
京都の大原に降りてきました。

例の京都大原三千院の歌に出てくる
大原です。

大原から15分ほどで高野(たかの)まで来ました。
何とまぁ近江今津から1時間で京都市内に入れました。

もしも湖岸の道路を走っていたら、こう早くは
着けなかったでしょう。


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17. 03. 23

2017年春 近江・京都の旅(その2)

再び名神の豊中インターに戻って、走ろうとしたのです、が、、
名神の本線、むちゃくちゃ渋滞していました。

平日の昼間なんて、こんなとこ、混むのか? と
思いながら10メートル行っては止まり、
また、4,5メートル行っては止まり、していたのです。
しばらく走って、理由が分かりました。
端の車線、工事作業をしていて、1車線だけしか
走れないようになっていたのでした。 
それで詰まっていたのでした。
その部分を通り過ぎると、渋滞? 何のこと?
というふうにスムーズに走り始めました。

次の目的地は信楽でした。
信楽へは行く方法が二つあります。
名神の大山崎ジャンクションから、京滋バイパスを使って
滋賀まで行き、そこでもう一度名神に入って、草津から
新名神に入って信楽に行く方法。

そのまま名神を走って草津まで行って、草津から
新名神に乗る方法です。

草津ジャンクションまで京滋バイパス経由と
名神そのままに走るのとどちらが速いか、と
思って、道路の表示板を見たら、、
同じでした。 それだったら、もうこのまま
名神で行こう、と思って、そのまま走ります。

京都南を過ぎて、山科に入って京都東インターも
過ぎて、県境のトンネルを経て、大津に入りました。

いつも大津周辺で、名神、渋滞することが多いのですが、
この日は渋滞もなく、順調に走りました。

草津ジャンクションから新名神に入ります。

道路の名称は「新名神」となっていますが、
こちらのルートのほうが、鈴鹿峠を越える旧東海道
のコースなので、ルートとしては、古いのですが、
交通量は、従来の名神のほうがやはり多くて、
新名神に入った途端、交通量は半分以下、
という感じになりました。

新名神を20分ほど走って、信楽インターで降りました。

途中、右側に緩やかな丘陵というのか
竹林に覆われた岡が見えるのですが
ここが紫香楽宮跡です。

本当は久しぶりに宮跡を見に行きたかったのですが
何せ遺跡ですから、行くまでの足場も悪いし、
両親が転んだりしても大変なので、今回は見送ることにしました。
お昼近くになったので、食事を先にと思いました。


お昼はこの銀俵で、いただきます。
Shigaraki1

幾つか定食があったのですが、鶏のから揚げにしました。
やはりご飯がおいしい!
Shigaraki7


そのあと、信楽の陶器のお店を何軒か見学しました。
信楽と言えばやはりタヌキの置物ですよね。
もういろーんなバリエーションのタヌキが
そこここにありました。あと、植木鉢もいろいろなものが
あって、、、ああいうところに行ったら、時間を忘れて
あれやこれや見てしまうので、あまり行かないようにして
いるのですが。(笑) 

Shigaraki5

いろいろと見た後で、ようやっと出発です。
再び信楽インターに戻って、
今度は彦根を目指しました。
彦根は、最近では3年前に竹生島に渡る時に、
一度来ていました。
それ以前には彦根城を
見に何度か来たことがありました。

でも、今回は、お城もひこにゃんも関係がなくてですね。(笑)
京橋の三中井(みなかい)に行くのが目的だったのです。
古い伝統的な屋並みの続く京橋の通りにこの店があります。

Minakai1

風格のある看板です。
Minakai2
でもね、ここは何のお店なのか、と言えば、
今は洋菓子屋さんなのです。(洋菓子屋っぽく全然見えませんけど)

↑謙介「今は洋菓子屋」と書いたのには理由があります。

この三中井ですが、もとは同じ滋賀の五個荘に本店があって
戦前、朝鮮半島の主要都市、満州で、デパートを経営
していました。

ソウル市内(その頃は京城でしたが)には
デパートが4つありました。

三越と、丁字屋と、この三中井が日本人資本の店で、
あと、韓国人資本の和信百貨店が
鍾路に(チョンノ)にありました。

三越京城支店は今は新世界(シンセゲ)の本店になって
丁字屋は、戦後美都波(ミドパ)百貨店を経て
今はロッテ百貨店になりました。
(謙介がソウルにいたころは、
まだ美都波はありました。おされに、「ミドパメトロ」とか
言っていましたけど。)

京城の三中井は退渓路(テゲロ)にあったのですが、
戦後建物は取り壊されてしまいました。(今はありません)
でも、三中井のあったあたりは、ソウルの繁華街の
明洞にも近かったので、よくうろうろしていました。

その三中井の血をひとが、今は彦根でその名前で
洋菓子店をしている、ということだそうです。


ここの名物は「オリンピア」というロールケーキです。
カットしたフルーツを混ぜた甘さを抑えたクリームを
シュークリームのシューに似た感じの皮を土台にして、
巻いたロールケーキです。

東京オリンピックのころに、日本を代表するような
お菓子を作りたい、という思いで、このケーキを
作ったのだとか。


Minakai4


さっきも言いましたように、クリームの甘さが抑えられていて
フルーツの甘さが中心になるように作られているので
そうくどい甘さではないのと、シューとクリームの調和が良いので
おいしいケーキです。

一度食べてみたかったんですよね。(笑)
これは謙介のほうの希望で、
わざわざお駕籠を曲げて、彦根の三中井に寄った、
ということでした。

今日はここまでといたします。


(今日聴いた音楽 スペインの雨 小柳ルミ子
 なんだかこの人、一時、京のにわか雨とか
中島さんの雨とか この歌とか、雨の歌ばっかり
歌ってた、という印象があるのですが、、)

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17. 03. 21

2017年春 近江・京都の旅(その1)

今年もまた春がやってきました。

両親と春に旅行に行けるかなぁ、と思案しながら
去年の暮にホテルの予約をしていたのでしたが、、

両親の健康状態も安定しているようで、
これだと何とか行ける、と判断しました。

でもねぇ、オフクロも今年の6月で90歳なのです。
オヤジは83歳です。
正直なところ、あと何回、旅行ができるだろうか、
ということもあります。

ただ、高齢になったから、と言って、安全に
家にばかり居ては、今度は刺激がなくなって、(特に頭のほう)
しまいます。

機会をとらえては、外に連れ出す、
ということがやはり大切と思い、今回も旅行に行くことに
したのでした。

そういうことで
しばらくまた旅の話をいたします。
よろしければお付き合いください。

3月17日の金曜日。朝の6時過ぎに実家を出発しました。
高速道路で、大鳴門橋を渡って淡路島です。
いつものように淡路サービスエリアで休憩しました。
お天気が良くて景色も美しかったです。

Awaji

今回の旅行では、大阪の親戚の家に寄る、
という用事もありました。

さっきも書きましたが、両親も高齢なので、
ちゃんと歩けて、記憶もしっかりしている今のうちに
親戚に会ったり、話をしたりしておいて欲しい、
ということがあります。


そういうことでこういう機会をとらえて
なるべく会ってもらうようにしているのです

幸いというのか、自家用車での移動ですから、
出発も経由地も自由にアレンジできます。

公共交通機関だと、待ち時間とか、最寄りの駅から
またタクシーに乗る、ということをしないといけませんし、、。

行程ですが、
いつもは淡路鳴門自動車道から、中国道に入って
吹田から名神で京都南IC、というコースなのですが、
今日は大阪に寄るので、垂水ジャンクションから
阪神高速で東に走ります。

神戸市内の阪神高速って、正直走りたくないのです。
交通量がやたら多いし、、用地の関係で道路幅が狭いので
ものすごく圧迫感があるのです。

でもまぁ大阪の塚本に行くには、こちらの道でないと
行けないので、我慢して走りました。
西宮から名神に入って、豊中ICで降ります。

豊中で降りたのが9時半でした。
実家から休憩せずに走ったら、大阪までは2時間半くらいの
行程なのですが、途中休憩を入れたので、3時間での
到着になりました。

JR塚本駅で記念写真を撮りました。


Tsukamoto

というのがオヤジの姉が、結婚して川崎に住んでいるのですが、
彼女ももう85歳で大阪に帰省する、ということができなくなって
います。そういうことで、彼女にとってなじみのある風景を
できるだけ写真に撮って送ろう、ということになったのでした。

親戚の家に着いて、さらに写真を撮りまくりです。

そのあと、家の周囲をいろいろと撮りました。

あちこち写真に撮ったのですが、
なんといってもやはり今、世間の注目を浴びているのは、
ここでしょうかね。
Moritomo1


Moritomo2
「肇國」と書いてあるのですが、
謙介は「はつくに」と古事記・日本書紀での
読み方をどうしてもしてしまいます。

たぶん肇國の後ろに「舎」という字がありますから、
「ちょうこくしゃ」という音読みを
させるのだろうと思うのですが、、、

日本古来の読み方であれば、「はつくにのや」という読み方になりますね。

ここの理事長が常々言っているような、
日本の国の精神を生かしたい、と言うのであれば、
設置した園の名前も
中国風の音読みなんかにしないで、
ちゃんと大和言葉の読み方で読ませるようにしないと
いけないんじゃないかなぁ、と思いますけど。

なんだか矛盾していますよね。 

まぁその辺の言葉の読ませ方からして、謙介は
胡散臭い、という気がしてしまうんですけどね。
まぁいいや。

親戚の家で休憩をしたりお話をして、再び出発です。
元来た道を戻って、名神の豊中ICに行って
名神で滋賀県の草津まで行って、そこから新名神高速道路に
入りました。 新名神で信楽まで行って、信楽ICで降りました。
今日はここまでといたします。

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17. 02. 06

ひとはなぜこんぴらさんをめざすのか(その4)

さてさてこのこんぴらさん参詣の動機になった
ブラタモ〇ですが、こんぴらさん、水戸、
と来て、別府だったですね。

別府と言えば、もう「油屋熊八」さんのことが
絶対出て来る、と思ったのですが、
4日の番組は、自然環境方面からの考察でした。

おそらく11日の放送では、「熊八」さんが
必ず出て来る、と謙介は予想します。 

あの人抜きにしては、別府の観光振興は語れません。
別府観光の基礎を作った方ですから。

     ×       ×        ×


さて、話をこんぴらさんに戻します。

無事に奥社におまいりすることもできました。
これからはひたすら山をおりていきます。

ふもとからご本宮まで約30分でのぼっていました。
ご本宮から奥社まで、やはり30分少々でしたから、
結局合計すると、奥社までのぼってくるのには、
やはり1時間かかった、ということでした。

下の写真を見ていただければ分かるように
薄日がさしていたりして、のぼりはじめた時は
雨が降っていて傘をさしたりしていましたから、
お天気も回復したように思いました。

Gekoumichi

おぢさん、ちょっと疲れたので、
休憩を取ることにしました。

境内のカフェ、神椿(かみつばき)に
寄ることに。

ここは、銀座の資生堂パーラーがやっています。
Shiseido1

建物は山の斜面に沿うように建てられています。
入り口が1階にあって、
以下、地下1階にカフェがあって
地下2階にレストランがあります。

レストランでは、もちろん資生堂パーラーの
フレンチのメニューが
いただけます。

こんぴらさんで神前結婚式をした後、
この神椿のレストランで披露宴をした、
という人も知っています。

ただ、今日は食事の利用ではないので、カフェに行きます。

カフェのほうはこんな感じで、、。 
田窪恭治さんの描いた椿の絵のタイルが
壁面を飾っています。
Shiseido2

ここのカフェは、セルフサービスです。
注文口で、いただくものを注文して、代金を支払った後、
番号札をくれるので、それを持って席で待ちます。

暫くして、番号を呼ばれるので、再び注文口に行って
注文したものを受け取る、というシステムです。
この日は、神椿パフェをお願いしました。


外は雪が降ろうか、という気温だったのですが、
何せ、1300数段をのぼって降りてきていたので、
うっすら汗さえかいていたありさまで、、
アイスなんて、寒いというようなものでは全然ありませんでした。
まぁそれと、資生堂パーラーのアイスクリームが
最高においしい!  からなんですけどね。

もうねぇ、ハーゲンダッ○のよりこっちのアイスの方が
個人的にはずっと好きです。 

こういうのは好みがあるので仕方
ないんですけど、 
同じバニラアイスでも、ハーゲンダッ○のほうは甘さが
際立っているというのか、ちょっと謙介には
くどい甘さなんですよ。
おいしいのですけど。

それに比べたら、こっちのアイスはちょっと
甘さは抑え目です。そこが好きです。

Shiseido3

このパフェ、地元の名産が使われています。
お餅にまぶしてあるのは、香川県特産の
高級砂糖の和三盆。それと「おいり」!

パフェのクリームのところに、
ピンクや水色のまん丸い物体がくっついているのが
お分かりになりますか?

これは、「おいり」というお祝い菓子なのです。

このおいりは、香川の西部で、(高松以東では
おいりは全く知られていない)お嫁入りした女の人が
嫁ぎ先の近所の子どもに配ったお菓子です。

食べたらほんのりとシナモン(肉桂)の香りがして、
ほんのりと甘いのですが、口の中に入れたとたん、
しゅわわわと口の中で、消えてなくなる、というものです。

Oiri

西のほうの結婚式だと、たいてい引き出物の中に
このおいりが入っています。

このお菓子、最近知ったのですが、
作るのに時間のかかるお菓子だったのです。

作り方というのが、以下の工程です。

もち米を一晩水に浸し、
蒸し上がったら砂糖を混ぜて石臼に入れ杵でつく。

餅に米ぬかをふり、熱いうちに麺棒で平に伸ばし
約3メートルの生地にする。平べったい紙のような
生地を作る。

屋外の網箱に広げて天日にさらして乾燥させる。

乾いたら、5ミリ四方のさいの目切りにして
再び乾燥させて釜で煎る。
(だから「お煎り」なわけです)


煎る作業の中で、
四角い生地が丸く真珠のように膨らみ、
味・色付けされて乾いたら出来上がり。

ということで、できるまでに、ふつう1週間はかかる
というお菓子です。

ここいらあたりの小学生は、
おいりをテーブルの上にばらばらとまいて、
口で息を吸い込みながら、おいりを吸引しながら食べる
という遊びをたいていしています。

色が薄紅とか淡い黄色、水色、という感じで
きれいなんですよね。
で、口に入れたらしゅわしゅわーっと溶けていって
しまうはかなげなお菓子なので、全然満腹感は
ありません。

ほかの店ではソフトクリームにこのおいりを
盛大にトッピングして「おいりソフト」
っていうのを売り出しています。

Oirisoft

色も見た目もキュートなので
女の子にすごく人気がある、という話を聞きました。

さて、神椿でちょっと休憩をして、
さて、店を出てきましたら、、
今度は雪が降りだしていました。
ひええええええ。
時間は夕方の4時過ぎでした。
Gekoumichi2
もうこれから、新たにこんぴらさんを目指して
参詣する人も少ない、と思ったのでしょう。
参道階段両側のお土産物屋さんも、バタバタと
店を閉めはじめていて、、
なんたって雪が降るくらいですから、寒い!

万葉集の最後の歌をとなえながら
「新たしき 年のはじめのはつはるの 
 けふ 降る雪の 弥や重け(敷け) 吉事
山を下りました。

誰でしょうね、さっき暑いわ、と言ってアイスを
食べたのは。

ということで一気に駆け下り、駐車場に走って
車で仕事場の街に走らせたのでした。


これでこんぴらさん初詣の話を終わります。
今回も最後までお読みくださってありがとうございました。

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