おでかけ

17. 06. 24

やれやれ。どこまでも迫ってくる「地元」・ツアー(4)

時計を見ましたら、3時半でした。
お約束の時間は4時だったのですが、、
電話をしてみたら、構いません、どうぞお越しください、
ということなので、行くことにしました。
佐伯のアトリエから歩いて5分で到着しました。


Maria_2

ここの施設を見学させていただくことにしていたのです。
見学をしながら、あれやこれと質問をして、いろいろなことを
知ることができました。またとても参考になりました。

1時間ほどお邪魔して、いろいろと聞いたり写真を撮ったりしたあと
辞去をしました。今度は寄り道をせずに目白駅まで
さっさと歩きます。

目白から山手線で、今度は日暮里に出ました。

お昼に川崎大師で久寿餅を食べた、というのに、、

今度は、羽二重団子を買いに寄った、ということです。

本店は今、オリンピックに備えて改装中で、
日暮里の駅の前におしゃれな現代風の支店が
できていて、そちらの方は営業をしている、
ということでしたので、寄ったわけです。

Habutaemise2_2

おしゃれな店構えですね。
団子屋なんて思えません。

で、まぁお団子を買いに店の中に入った謙介さん、
店内を見て、驚愕をしてしまったのです。

だって、謙介的には非常に見慣れた
こーんなものが店内にあったのですよ。
    ↓     ↓
Haikuposuto

ここは東京
ここは荒川区
ここは日暮里

と謙介さんは呪文のように繰り返したわけです。


決して住んでいる近所ではない、はずなのに。

嗚呼。しかししかし。
どうして、はるか東京くんだりまできて、
しかもたまたま入った店で、
こんなものに対面しなければならないのか?

きっと俳句の呪いに違いない。


お店の人に羽二重団子を注文して包んでいただきました。
ほどなくしてそれができてきたので、お金を払うときに、、

謙介、「わたくし、道後温泉の近くから来たんですけどね。
なんだって、こーんなものがこちらにおありなんでしょうか?」
と思わず聞いてしまいました。

すると今度は、お店の人が、「まぁ」と驚いておいででしたが、、。

まさおかの、のぼーるさんの俳句の中に、このお団子屋さんが
出てきたからだとか。

やれやれ。

今年、このポストが設置されたとのことです。

今回の東京行、なのですが、知り合いに会ったら
合ったで、ずーっとりかちゃんだいがくの話だし、
お店に入ったら、こんなものがあるし、、で
今回の旅行は、
東京へ行ったのに、ずーっと「地元」が離れずに
絶えず迫ってきていた、
というわけだったのでございます。

日暮里から再び山手線に乗って、浜松町まで行き、
ここから例の深い深いところを走る大江戸線に乗り換え
麻布十番に一度戻ったのでした。

旅館に着くと、荷物はお部屋に入れてあります、
ということでした。そのお部屋は9階です。
麻布十番ですが、ここは庭も広くて、緑が非常に濃いのです。
Sanuki2
上の屋敷、今は旅館の別館、ということになっていて
ここで宴会ができるのですが、その昔は
真珠養殖で有名な御木本幸吉の東京別邸だったそうです。

窓から見た景色は、、さすがにやはり少し変わっていたものの、
記憶の中の風景とそう大きくは変わっていませんでした。
Sanuki4

以前、この旅館の近所はごちゃごちゃとした
街並みで、旅館の周囲には、野菜をかごに載せて
売っているような八百屋とか、個人営業の中華のお店とか
いろいろとあったのですが、、。今回行ったらそういうお店は
街の東側は全部なくなってマンションと病院になっていました。
西側は全然変わっていなくて、お豆腐屋さんとか、
小さいお店や住宅が立ち並んでいて、以前の麻布十番って
そうそうこんな感じだった、と思い出せてくれるような
ホッとする街並みだったのです。
でも、いたるところに「再開発反対」ののぼりが建てられて
いましたから、ひょっとしたら地上げ屋が暗躍するような
ことになっているのかも、と思いました。

旅館の裏にはオーストラリア大使館と、
イタリア大使館がありまして、その奥が
三田綱町の三井倶楽部。
そしてその奥が慶應義塾の三田キャンパスです。

この辺はもうめったやたらに外国の大使館が
あります。

さて、ちょっと休憩をしたので、
また外に出ることにしました。
今日はここまでといたします。


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17. 06. 23

やれやれ。どこまでも迫ってくる「地元」・ツアー(3)

川崎大師におまいりした後は、やはり
あれですよ。

川崎大師と言えば、
もうこれはセットみたいなものですね。

名物の久寿餅をいただかなくては
なりません。

この久寿餅のお店は、参道のあちこちに
ありました。日持ちのしないお菓子なので
ここで食べることにいたしました。

正直なところ、久寿餅屋は何軒もあって、

おまけにどのお店も
「総本家」とか「元祖」とか
「老舗」とか名乗っていて、
どこがいいのかわかりませんでした。
大して違いはないと思いましたけど。

Sumiyoshiya


ここにはいることにしました。
しかし、それにしてもなんとでかい建物でしょう。

中に入ってみると、久寿餅だけでなくて、
うどんとかおそばも食べられるメニュー構成でした。

くずもち、と言いながら、
実際は葛で作っているのではなくて
小麦粉で、ということらしいですね。 
だから葛餅とは書かないで
(縁起かつぎもあるのでしょうね)久寿餅というような字を
充てているのかなぁ、と思いました。
さて。久寿餅が来ましたよ。

Kuzumochi


うわー量が結構多い。
半分でも良かった(笑)

それでもまぁ、ぱくぱくといただきました。
味は、、久寿餅本来の、というより、黒蜜ときなこの味ですし、、、。
まぁ想定内、というのか、大体想像していたような味では
ありました。


久寿餅をいただくと、出発です。
というのか、4時前に目白に行く約束をしていたので、
のんびりもしていられなかったのです。

川崎大師駅から再び京急に乗って、川崎乗り換えで
大門まで行きました。

大門で地下鉄の大江戸線に乗り換えです。

大江戸線はものすごく深いところを走っているので、
何回もエスカレーターに乗ることになりました。

しかも、今回は泊まる旅館の場所の関係で
大江戸線を利用することが多かったのです。

今回の旅行で、エスカレーターに
乗った距離を総合計すると
1キロ、いやそれ以上になっているのではないか、
と思いました。

今までの人生でエスカレーターにこんなに何度もそれも長距離
乗ったことはなかったなぁ、と思います。

今回の旅行で何が印象に残っているか、と言えば
エスカレーターに何度も乗った、それも長い距離のものに
ということで、一番印象が強いものになりました。
東京の印象→エスカレーター、っていうのも、、(笑)

地下鉄の大江戸線に乗って、麻布十番で降りました。

今回の旅館が麻布十番にあったから、なのです。

今回泊まるところは前に何度か泊まったことがあったのですが
最近は東京に行くような用事もなかったし、、
仮に東京で宿泊するようなことがあってもいつもはほかの
ホテルを利用していて、
ずいぶん長いこと泊まったことがなかったのでした。


今回は、出張で行かなければならない会議の場所が、
旅館のある麻布十番から、地下鉄で乗り換えなしに
すぐ行ける場所だったのです。
それでアクセスのことを考えて、今回はここにしたのでした。

この旅館に
以前泊まった時は、麻布十番って、
まだバスしか交通の便が
なくて、交通機関が不便でしたが、、
今では地下鉄の路線が2つも
できていて、すっかり便利になっていて、驚きました。

でも、その分、以前はちょっと田舎臭いというのか、
え? ここも東京なの? というくらい
身近であまり垢抜けた感じのしない(笑)商店街だったのですが
今や、とてもおしゃれな商店街に変貌していました。
(まぁ東京の港区ですもんね)


地下鉄を降りたのは麻布十番でしたが、
旅館の住所、ということでいえば、
三田でした。

このお家は以前と変わっていませんでした。
Sanuki1

旅館に到着です。東京讃岐会館です。
Img_2233

ちょっと木が茂っていて、建物の全貌がちょっと見えませんね。
ちょっと離れて撮りました。
Img_2236

まだ2時過ぎだったので、とりあえず荷物だけ預けて、
出発です。
周囲を歩いてみると、やはり年月の経過を感じました。
旅館の周囲には以前は小さい食堂とか、個人営業の
中華料理のお店がごちゃごちゃとあって、
港区なのに、下町っぽい家並みだったのですが
そうした家々がすべてなくなっていて、
ピカピカのマンションになっていました。

変わったなぁ、と思いながら町を歩きました。


再び地下鉄の麻布十番から地下鉄で代々木に出て、
ここから山手線で目白まで出ました。


さて。目白に着いたのですが、時刻は2時半でした。


やっぱり都会は交通機関の便数が多いので
助かりますねぇ。 田舎は電車が行ってしまったら
次の電車まで15分や30分はざらに来ませんが、、
うちの仕事場なんか、朝のバスが行ったら昼まで来ない。
都会は2,3分待ったら、すぐ来ますもんね。

約束の場所へ行く前に、ちょっと寄りたかったところが
2カ所ほどあったので、そこに行くことにしました。
2つとも、画家のアトリエなんですよ。

目白駅から15分ほど、住宅街の中を歩いていきますと
画家の中村 彝のアトリエを保存した記念館があります。
Tsune1


中は二つの建物になっていて、
中村 彝の年譜や資料を展示した記念館と、
中村のアトリエから成り立っています。
こちらが、そのアトリエ。

Tsune2


自然光があまねく採られるようになっていて、、
よく工夫された建物だ、と思いました。

だけど、、。

画家はお金がないお金がない、
ということを言っていたらしいのですが、、。

しかし、これだけのアトリエを建てるお金は、、
まぁ、何とか工面したから、
このようにできたわけでしょ。

本当にお金がないのか???


やはりあの時代、画家とか文学者、
にでもなる、というのは
実家がそこそこ、資産家だった、と
いうことなのでしょうねぇ。

ツシマシュージさんとこも、相当の資産家
だったわけですし、、放蕩をするのも
なまなかのことではできません。

で、中村さんのアトリエからさらに西へ歩いていきますと
今度は佐伯祐三アトリエ記念館があります。

これは通りからちょっと入り組んだところにあったので
分かりにくかったのですが、地図を頼りに何とか
行くことができました。

Yuzo

アトリエ、とアトリエの周囲が公園になっていて、
ここだけ、緑も多くて、ちょっとホッとするような
場所でした。

こちらがアトリエの外観です。
佐伯は、大阪の人で、行った学校もうちの
オヤジの先輩になのです。

Yuzo1

中はこんなふうになっていました。


Yuzo2

彼がもう少し長生きをしていたら、どんな作品を残していた
でしょうかね。 あまりに生き急いで、亡くなってしまった、
という気がするのです。
彼が亡くなったあと、すぐに娘も亡くなって、
彼の奥さんは、パリで片づけを終えて日本に帰国し、
一時実家に身を寄せますが、その後はここで彼女自身が
絵を描きながら暮らして、最期に至った、ということでした。

木々の下のベンチに腰かけて、彼の生涯を思いました。


きょうはここまでといたします。

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17. 06. 22

やれやれ。どこまでも迫ってくる「地元」・ツアー(2)

川崎大師というと、毎年お正月の初もうでの人の多い
寺社、ということで、謙介はその名をよく聞きます。

でも今まで行ったことがなかったので、
今回、行ってみたい、という気持ちがすごくあって、、
それでまずは、ということで行くことにしたのでした。

京急の支線に乗り換えて、
Keikyu2

川崎大師駅で降りました。
Keikyu1


東に向かって
門前町を歩きます、、。

Daishi1

お正月は人が多い、というのを聞いていたのでしたが、、
あまりご参詣の人はいなくて、、上の写真を見てもらったら、
と思うのですが、シャッターをおろしている店さえあって
四国の商店街と同じ、というのか
閑散とした、という感じでした。


京急の駅から10分ほどで、山門の前に到着しました。
Daishi1_2


一礼をして境内に入ります。


参道を歩いていて、、
ちょっと不思議な感じがしたのです。
四国からきたせいかもしれませんけれども、、。


「川崎大師」ということは書かれているのですが、
川崎は地名であって、本来は「弘法大師」を
信奉している、はずですよね。


実際参道の途中に一本の幟があって、
「南無大師遍照金剛」と書かれていたので
真言宗であって、弘法大師のお寺には
間違いない、ということなんでしょうけれども、、。

四国の真言宗のお寺であれば、
やはり「弘法大師のお寺」ということを
はっきりと出してくるのです。

それが、この川崎大師では、弘法大師の
お寺、という印象が非常に希薄な感じがしました。

それと参道を見ていて、、
あ、西のほうと全然違うなぁ、とおもったのは、
仏具屋さんとか、真言宗の礼拝用の品を売っている
お店が皆無だった、ということです。

あったのは「飴」のお店に「久寿餅」のお店に
という具合で、徹頭徹尾「食べ物屋」ばかりでした。

ただ京都の東本願寺と西本願寺の周囲に仏具屋が
あるのは、当然なのです。

どうしてかと言えば、浄土真宗の仏壇は
本山の須弥壇と同じように作らなければならない、
と決まっているからです。

本山の御用達のお店、
というような決まったお店でなければ、そういう
細かなことは分かりませんので、本願寺の周囲は
そういう仏具屋が多く、信徒の人もそこの仏具屋で
必要な仏具を買います。

なので東西の本願寺の周囲に
仏具屋があるのは必然的なことで
ありました。

そういう事情は措くにしても、京都とか高野山、
四国の真言宗のお寺の近くには、仏具屋が
あるのですが、、。川崎大師の参道には
そういうお店がほとんどありませんでした。
これがびつくりのその1。

びつくりのその2は、さっきも言ったように
「弘法大師」のお寺、真言宗のお寺
という感じが非常に希薄だった、ということです。

それから、本堂の中に提灯が吊られていて、、
これがびつくりのその3でした。
Daishi3


うちの家も真言宗なので、その関係もあって
善通寺とか東寺、仁和寺、金剛峯寺と
真言宗の本山をいろいろとまわりましたけれども、、、
↓これは京都の東寺。
Kyougokoji

こっちは和歌山の高野山。
Kouya

提灯なんてどこにもありません。

こんなふうにでかい提灯があちこちにぶら下がって
いたのは、珍しかったです。

さっき弘法大師のお寺、真言宗を表に出していない、
ということを言いましたが、そうやって、真言宗に
属している、ということを薄めて、いろいろな人に
門戸を開いている、ということなのだろうなぁ、と
思いました。

たぶんそれだけ川崎大師が庶民の信仰に支えられてきた
お寺だったから、ということなんだろうな、と思いました。
というか、そうする方法でしか、これからの寺院の経営は
成り立っていかないのかなぁ、とも思いました。

ただ、善通寺とか兵庫の清荒神といった他の真言宗のお寺が
庶民の信仰に支えられてきていない、ということはありません。

、、
川崎大師の周囲がほとんど食べ物屋ばかり、
というのも、そうした庶民の娯楽の延長としての
おまいり、というものがあって、そういう庶民の切実かつ
現実的な願いに、この川崎大師が応えてきた、向き合ってきた、
という結果なのだろう、ということを考えたのでした。

長くなりましたので、ここでいったん措きます。


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17. 06. 20

やれやれ。どこまでも迫ってくる「地元」・ツアー(1)

6月の15日から18日まで、東京に行っていました。
15日と16日は出張で、あと、2日間帰りを延ばして
私費旅行をしました。

ちょっとそのご報告をこれから書いてまいりたいと
思います。

と言いながら、今月はもう1回旅行がありまして、、。
京都に行くんですけど。(謙介の京都行は
旅行なのか、という疑問も若干、、笑)

りかちゃんだいがくもんだい、
こっちの地元だけわーわーと言っているのかしらん、と
思っていたのですが、
東京に行ったら、地元よりすごい関心の持たれ方で、、
ちょっとびつくりしてしまいました。


ここをお読みのみなさんには、この件については
何度も適宜書いてきましたから、今更、とも思いますが、、

あ、また例によって前置きが長くなってしまいました。
(いつものことですけど、、)


今回の旅行は、最後の日だけ、どしゃ降りの雨に遭って
ちょっと難渋しましたが、おおむね天候もよくて、
あちこちうろうろすることができました。
今からそのご報告をまたしていきたいと思います。
よろしかったらお付き合いください。


15日の朝、7時半過ぎに家を出ました。
飛行機は、9時10分発だったのです。

途中、空港行のバスの出るバスセンターで
乗り換えて、空港へ向かいました。
住んでいるアパートは市の南東部。
空港は市の西部なので、市内を横断しないといけません。
それで結構時間がかかるのでした。


空港方向なんて、めったに行かないので
時間がどれくらいかかるのか、が
分からないのです。

ラッシュの時間帯かなぁ、と心配していたのですが、
そう大きな渋滞に遭うこともなく、
8時20分に空港に着きました。
チェックインの手続きをして
荷物検査を終えて、出発ロビーに向かいます。

Myj


飛行機は定刻に動きはじめ、
えいやぁ、と離陸しました。

飛行コースは、四国山地の上を飛んで
徳島に出て、淡路島をかすめて和歌山に入り
紀ノ川沿いに東に飛んで、三重の津の上空から
静岡、神奈川と飛んで、東京湾の入り口で向きを
北にかえて、羽田、というコースでした。
予定より少し早い時間に羽田に着きましたよ。
Hnd1

ちょうど皇太子殿下がデンマークにおいでの日
だったので、政府専用機が待機していました。
Hnd2


いつも四国便は、空港の端のほうのゲートに
到着するので、京急の乗り換え口のあるゲートまで
延々と歩かなければならず、それだけでしんどいなぁ、
という気がしていたのですが、
この日の着陸ゲートは比較的中央だったので、
次の乗り換えも、そう時間がかからなくて
ラッキーでした。

羽田から京急の逗子行に乗りました。
川崎で乗り換えて、、、
川崎大師に向かったのでした。

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17. 04. 08

2017年春 近江・京都の旅(その8)

旅行も3日目になりました。
いよいよ今日は帰ります。
朝、旅館の窓から外を見たところです。
旅館は左京区の高野(たかの)なので
窓を開けると比叡山の山容が美しく見えるのでした。

Hiezan

朝食と会計を済ませて8時に出発です。
今回はオヤジの希望で、神戸からフェリーで
帰ることにしていました。
船に乗るので、どうしても10時45分までには
神戸港に到着しなければならないのです。
(船の出航は11時15分なのですが、
その30分までには到着して、乗船手続きを
しなければなりません)

道路状況を見てみました。
この日から甲子園で春の高校野球がはじまることになっていたので
名神で西宮に出て、神戸まで走る、というのは
無理だろうと思っていたのでしたが、、
名神・阪神高速の神戸辺を見たら、渋滞の印のまっかっか。
じゃあ、と思って中国道を見たら、これまた吹田~豊中~宝塚20きろで
渋滞中。 うーん、どっちがいいかなぁ、と思ったのですが、、。

ひとまず中国道で行くことにしました。
早朝なので
京都市内の交通量はまだ少なかったのです。
北山通りを西に走り、ノートルダム女子○のところで左折し、
河原町通りをひたすら南に走ります。
河原町十条まで走って右折して、1号線のところで
左折してまっすぐ行くと名神の京都南インターです。

名神から中国道に入って、しばらく走りました。
いつもより早く、千里中央の辺で早くも渋滞がはじまりました。
道路標識で渋滞を通過するまで45分とありました。
その時、8時40分でしたから、、まぁ10時前には
神戸に入れるかなぁ、と想定しました。

いつもこの宝塚辺で15キロくらいの渋滞が
起こります。と、いうのが、この宝塚の2か所で、
阪神高速2つが中国道と一緒になるのです。
そのためにいつもこの辺で渋滞が起こるのですが、、
いい加減う回路作って欲しいと思います。

中国道から阪神高速に入り、箕谷から
六甲トンネルに入って、一気に神戸に入りました。
中国道は渋滞していたのですが、
そのあとは混む場所もなく順調に神戸に入りました。
結局神戸に入ったのは10時15分くらいでした。

新神戸駅でトンネルを抜けて、市内に入って
加納町の交差点から北に行き、
いつものフロインドリー○で、パンを買って、
神戸港のフェリーターミナルに着いたのが
10時40分でした。
フェリーの乗船予約はしていたのと、
乗船名簿もパソコンからダウンロードして
先に作ってあったので、名簿を出して運賃を払うだけで
手続きは終了でした。

車を積むスペースは1階と2階にあるのですが
両親の足のこともあるので、2階にしてもらいました。
車両甲板から客室には、エレベータで上がります。

Fune11


座席も予約していました。
三連休の初日だったので、この日結構船は混んでいました。
椅子席はほとんどが埋まっていました。

船は定刻の11時15分に出帆しました。
四国着は15時50分です。

船が走り始めて30分ほどで
明石海峡に来ました。
いつもは上を走る橋を今日は下から見上げます。

Akashi1

だんだん近づいていきます。
Akashi2

橋上を走る車も見える距離になりました。
Akashi3

もっと近づいて、、
Akashi4

とうとう通過します。
Akashi5

そしてあっと言う間に遠ざかっていきました。
Akashi6

ちょうど明石の沖で、、
日本標準子午線の明石の天文台も見えました。
135

これが2階のほうの車両甲板です。
あと、この下に1階の車両甲板があって
そちらのほうに大半の車が搭載されていました。
なので2階のほうの車はあまりいない、ということでした。
謙介の車も2階に載っていたのですが
この位置からは見えなかったのです。

Fune2

これが同型船です。乗っているのと同じ形の船です。
Fune3

船は途中小豆島に寄港しました。
乗ってくるのも数台くらいかなぁ、と思ったら
何の何の。30台くらい車が載ってきて、
びっくりしました。

屋島が見えてきました。
もう到着です。

Yanyanyashima


ということで無事に帰ってくることができたのでした。
何とか事故もなくて帰れることができて、ホッとしました。

これで今回の旅行のご報告、ひとまず終わりです。
今回は仕事がバタバタしていて書く時間が取れずに
長い時間がかかってしまって、、、すみませんでした。
最後までお読みくださってありがとうございました。

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17. 04. 06

2017年春 近江・京都の旅(その8)

山科、といえば、前回も書いたようにひなびた場所だったのです。
この山科、という場所は、京都の旧市内に住んでいる人から
すれば、やはり「?????」というような場所でありました。
というのが、山科は、京都の旧市内の東側にある東山よりも
さらに東にあるわけです。東山を越えたところにあります。

ということは、京都旧市内に住む市民にとっては
東山の方角から日がのぼり、西の嵯峨野の向こう、
小倉山とか乙訓の方向に日が沈んでいく、というのが
固定概念というのか、「それが普通」ということに
なっているのですが、、、。

山科では、その朝日ののぼるはずの東山方向に
日が沈んでいくわけです。それは地理的位置関係からして
ごく当たり前のことではあるのですが、京都市民としては、
東山に日が沈む、ということがなかなか受け入れられない、
ということがありました。

そういう部分もあって、なかなか山科に
人が住むようなことにならなかった、という事情があったようです。

でも今は、たくさんの人が住んで、ここで暮らしています。

そういうことでかつての山科は、ひなびた隠棲の場所で
ありました。 
山科・隠棲、というと、やはり忠臣蔵、ということになりますかねぇ。
ここが、その大石神社です。内蔵助が隠棲していたあたりに
後に神社が建てられたのが、このお社のはじまり、
と言われています
Ooishi1

ここは桜の名所でもあるのですが、
行った時は、桜はまだまだ、という感じでした。
今は美しい花の季節になっていることでしょう。

Ooishi2

大石神社の一隅に宝物館がありました。
内蔵助の行動に対して、賞賛をした
明治時代の政治家とか文化人の書が
飾ってありました。どうしてだか、ドラマで
忠臣蔵1/47 に出演した、
木村某さんの大きなサイン入りのポスターも
飾ってありました。

Ooishi3

大石神社を出て南に細い道をうねうねと走っていくと
名神高速道路の下に出ます。ここを名神沿いに東に行って、
大きな道に出たところで右折してしばらく行くと
真言宗の本山のひとつ勧修寺に到着です。

このお寺の読み方ですが、「かんしゅうじ」かと思っていたのです。
お寺の人は短く「かんしゅじ」と言っていました。

梅の花の最後の方に間に合うことができました。
Kannshuji2

庭の一隅に観音堂があります。
狭い庭もいいのですが、こういうふうな開放的な広々とした
庭もまた風情があって、いいなぁ、と思いました。
(でも手入れが本当に大変とは思いましたが、、)
Kanshuji1

勧修寺から少し東に行くと、地下鉄の走っている南北の道路が
あります。これを渡って東に行くと、醍醐寺への道に出ます。
その道をどんどん南に行きます。
醍醐寺の前を通過してさらにどんどんと行くと左法界寺、と書いた
道標がありますから、そこを左折してどんどん行くと
築地塀が見えてきます。
ここが日野法界寺です。
ここも行きたかったお寺だったのです。

この日野、という場所は、あの『方丈記』の著者の
鴨長明さんが住んだ場所でありますし、この法界寺の裏側には
親鸞の生誕地とされる日野誕生院があります。

Houkaiji1

この↓の写真の左側に見えているのが
国宝の阿弥陀堂です。もちろん中には
阿弥陀さまがおまつりしてあります。
説明をしてくださったご住職の話を
まつまでもなく、お像を拝見した感じは宇治の
平等院の鳳凰堂の定朝さんが作った阿弥陀さまに
よく似ているなぁ、ということでした。
それでも、細部には、やはり違いがあって
こちらの阿弥陀さまは定朝の工房でつくられたものには
違いないけれども、定朝の手以外にも定朝の弟子なども
この制作にかかわったのだろう、と考えられているとのことです。

国宝の指定、ということはご住職の説明をお伺いするまで
知らなかったのですが、そういう指定云々、ということを
除いて考えても、本当に美しく格調のあるたたずまいのお堂だなぁ、と
思いました。
Houkaiji2

決して大きな建物ではないのですが、、
それでも威風堂々とした風格があって、、
Houkaiji3

それで説明を聞いて「国宝」ということが分かって
そらまぁそうだろう、、と思ったのでした。

山科のあちこちを巡っている間に夕方になりました。
さてぼちぼち旅館に戻ろうか、
ということになりました。
今日はここまでといたします。


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17. 04. 04

2017年春 近江・京都の旅(その7)

花園会館でお昼をいただいて、出発です。
Img_1972

妙心寺道を東に行って、西大路まで出て右折します。
次の円町の交差点で左折して東に走ります。
千本丸太町を右折して、千本通りを二条駅まで。
ここで左折して御池通りに入ります。御池通りを
そのまま東に走って、富小路を右折しまして
ずっと下がりますと錦市場振興組合の駐車場が
あります。いつもここに車をとめています。

と、いうのが、この駐車場が、錦市場のいつも
行くお店に近いので、何かと便利なのです。
加えてこの駐車場の前にアイスクリーム屋があって
そこのアイスがおいしいので、いつも寄っては
いただくのが習慣になっているのです。

錦市場のお店も、3分の2は変わったなぁ、という
印象です。以前は、同じお店で、午前中と午後で
客が違う、という感じでした。
午前中は旅館とか仕出し屋さんといった商売を
している人の仕入れの人が多くて、午後は観光客
相手、という感じだったのですが、
今やもう四六時中観光客の相手、という感じに
なりました。プロの人はどこで仕入れているのかなぁ、と
思ったりします。

それと不思議なことなのですが、
錦の通路の南側のほうは比較的
観光客相手のお店が多くて
北側は従来のプロの人相手のお店が多い、
という感じがするのです。
これは謙介の印象でしかないのかもしれませんんけど、、。

錦でオフクロはニシンの甘露煮を買います。
それから山椒とか湯葉、といったようなものも
買って、再び駐車場のほうに戻ります。

さっきも言ったように駐車場の前のホブソン○のアイスクリーム屋
さんで、ちょっと休憩をしました。

それから再び車に乗り、今度は四条通りを東に走ります。
南座のところを右折して川端通りに入ってしばらく
南下です。 オヤジにここが京阪電車の跡、と言ったら
感慨深げでした。(正確には電車は地下に潜ったのでしたが)

川端通りを五条まで下がって、今度は左折して、
まっすぐ東を目指します。
東山の坂を一気に越えて、降りると山科です。

山科も今ではすっかり住宅が密集する地域になって
しまいました。
40年くらい前までは、京阪とJR(当時は国鉄でしたが)
の山科駅周辺は家がありましたが、
そこから南に下がっていくと、まだ方々に田んぼや畑があったりして
牧歌的な場所だったのです。

名神も新幹線も田んぼや畑のあたりを突っ走っていたのでしたが、、

それが次第に団地ができたり、マンションができたりして
今では住宅地、となってしまいました。
地下鉄も走っていて、ここから洛西の太秦天神川まで
直通の電車で行けるようになりました。

午後は、この山科のいくつかの社寺を回ろう、
という計画だったのです。
今日はここまでといたします。

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17. 04. 02

2017年春 近江・京都の旅(その6)

すみません。このところ、ものすごく忙しくて
更新がままならない、状態なんですよね。

というのも、勤務先のほうで、分室、というのが
できたのですが、そっちの準備とか、そこで
働く人への指示をあれこれとしないと
いけない、という仕事ができたのです。

本来であれば、それは、謙介の仕事では
ないのですけどねぇ、、。

人に教える、ということはその前に、謙介自身が
十分理解して分かっておかないといけないので、
そっちの施設の機械や、器具の取り扱い方、
さしあたっての準備、というようなものをしていたら
文章を書く時間というようなものがなくなってですね。
それで更新が、ちょっとお留守になっていた、
ということなのです。 しばらくちょっと忙しい
状態が続くように思いますが、、申し訳ありません。


と、言い訳を山のようにしておいて、(笑)

取り急ぎ話をすすめていきたいと思います。


話は京都に戻ります。
前回は朝、嵐山に行って、梅宮大社に行ったところまで
お話しました。

丸太町通りを東に走って、常盤から花園へ抜けました。
途中、丸太町と馬代通りの交差点を左折して北に行きます。
山城高○の前を通ってさらに北に行き、
嵐電の踏切を渡ってすぐに右折して、
今出川通りに入ります。
嵐電の北野白梅町の駅を右に見て、
北大路通りを突っ切りました。

北野天満宮の前を通ると、次の交差点が上七軒。
ここを左折して少し上に上がると、千本釈迦堂があります。
たぶんまだ桜は無理だろう、と思って来たのでしたが、、
やはりつぼみは固い、という感じでした。


ここは街中のお寺で、駐車場と本堂が隣接していて
お参りがしやすいのです。年寄りと一緒に旅をすると
こういう歩きやすいか、とか、駐車場に近いか、
ということが気になります。

自分だけだったら、そんなもの、駐車場が少し遠かろうが、
階段があろうが全然気にはならないのですが、、

釈迦堂にお参りして、再び車に乗って
今出川通りを東に行きます。

出町の交差点(河原町今出川)を右折して河原町通りを
今度は南に走ります。

ちょっと前、暴力団の組長が収監されないように
診断書を書いた書かなかった、ともめていた学長がいた、
某府立医大(笑)の前を通ります。 
某も何もないですけどねー。

府立医大と言えばいろいろな思い出があります。

大学2回生の春に、背中にできものができて、
しばらくここ府立医大の皮膚科に通ったことが
ありました。

背中のできものは日々大きくなって行って、、
これは困ったなぁ、と思って、ある日大学の恩師に
相談したら、皮膚科やったら府立医大がええよ、
というアドバイスをいただいたのでした。

早速、93番のバスで常盤から京都を横断して
河原町丸太町まで行ったのです。
河原町丸太町のバス停から北に歩いて
府立医大まで行く道のりの長かったこと。
特異な病気だったらどうしよう、とか思いながら
歩いたのです。
そのころは高野悦子さんの手記『二十歳の原点』
という本によく出てきた「しあんくれーる」という喫茶店が
まだありました。 

Img_2083
(物持ちがいいので、このしあんくれーるのマッチを
まだ持っていました)

謙介もその時は文字通り「しあんくれーる」状態
で、その道を通っていったのです。

ドキドキしながら
診察室に入りましたら、先生の後ろに
ずらっと医学生が立っていて、、
まぁ院内のあちこちに、府立医科大学ですので、
学生の実習のご理解を、というような貼り紙が
あったのでしたが、まさか自分がそうなるとは、
と思ったのでした。

背中のできものを見ながら先生が学生に
質問します。「これは何? 」と。
そうしたら、学生が緊張した早口で
何やらドイツ語の単語を言ったかと思います。
そうだね、じゃあ、そのなんたらかんたらには
何種類あるかな。

というふうに謙介は背中をめくった状態で
授業が進行したのでしたが、、。

ドイツ語の単語のやり取りが終わった
ようだったので、謙介はおずおずと
先生に尋ねました。
「先生、これは何か変わった病気ですか?」
「うーん。雑菌が入ってできものができたようやねぇ」
「この薬を処方しておきますから、朝、晩、うすーく塗って
ください。1週間くらいでおさまりますよ。せやけど、おさまった
あともしばらく塗ってください。薬がなくなるまでずーっと
塗ってください。そうしたら治るでしょう。心配するような
大変な病気やないから、安心しなさい」
そうおっしゃってくださった先生の言葉、今も覚えています。

そして先生のおっしゃったように薬を塗っていった結果、
そのできものは、え? できもんなんかあった?
というようなふうで、1週間後に姿を消し、3週間後に
その塗薬もなくなって、すっかり元通りになったのでした。

大森一〇監督の「ヒポクラテスたち」は、
この府立医大が舞台です。
そういえば、映画の中で、その皮膚科に
「いんきんたむし」の薬をもらいに来た患者さんが
医学生の(伊藤〇)問診を受けなければいけなくなって
こっそり逃げ帰ってしまう、という小さい描写が出てきましたっけ。

かつてそんなドキドキしながら北へ歩いた道を
今日は逆に車で南に走って行きます。
かつてあった「しあんくれーる」ももう今はなく、
コイン駐車場になってしまいました。

河原町丸太町の交差点に来ました。
もう少し下がって、河原町二条の交差点を
右折して、二条通りを少し西に進み
寺町に入る一つ手前の交差点でまた右折して
お茶の一保堂の駐車場に車を入れたのでした。

一保堂でお茶を買って、今度は寺町通りを上がり、再び
今出川まで出ました。出町の商店街を見ながら、鴨川に出て
堤の道を川沿いに上がって行きます。
紫明通り、北大路、北山、と上がっていって、
御薗橋まで来ました。
右折をすれば、上賀茂神社なのですが、
今日は左折して西に行きます。
ずっと行くとナベ○ン家具の店があるのですが
ここを右折して北に行くと、神光院というお寺が
あります。ここにお参りします。

京都で、真言宗のお寺と言うと
東寺、御室の仁和寺、 嵯峨野の大覚寺あたりが
観光客には良く知られたお寺なのですが、
この神光院は、京都市民に知られた
真言宗のお寺です。 目に霊験があるということで
目のお大師さん、と呼ばれています。

ここも花の名所なのですが、、洛北ですから
やや気温が低いので、桜のつぼみはまだまだ
かたい、という感じでした。

この神光院でオフクロがご朱印をいただきたい、
というので、書いていただいたのですが、、、
ここのおばちゃん、結構話好きの人で
世間話で盛り上がってしまいました。

北大路駅にある、京都市の交通局に
バスの路線案内のマップをいただきに行ったら、
すごく嫌そうな顔をされて、5枚しかくれへんかった
しぶちんやわ、というような話です。
「神光院から来たんですけど、と言わはっても?」
「はぁ、言うたんえ。言うたけど、なんや嫌そうな顔しはってねぇ」
「そうしたら、北大路駅より、京都市観光協会にでも
訊かはったらどないですか? 」
「そこどこにありますのん」とか言われて調べて、、
15分くらいそんな話をしていました。

お昼はどないしょ? と言う話になったのですが、
「花館」で食べたい、と両親が言うので
今度は北区の上賀茂から、右京区の花園へ移動です。

千本北大路の佛大の横を通ったら、
ちょうど卒業式の日のようでした。

北大路に出て、そのまま北大路から西大路へと
走ります。妙心寺道を右折して、細い道を西に行くと
花園会館の前に出ました。 やはりお彼岸だったので、
妙心寺も凄い人でした。 

少し待ちましたが、松花堂弁当をいただいたのでした。
今日はここまでにします。

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17. 03. 29

2017年春 近江・京都の旅(その5)

翌朝は旅館の中のレストランで朝食をいただきました。
バイキングスタイルなので、好きなものを好きなだけ取る、
というスタイルのものでした。

朝食を摂って、8時過ぎに出発しました。
午前中、人の少ない時間に嵐山に行って、
西から東に行こう、という計画だったのですが、、

オヤジと話をしていたのですが、なんだかオヤジの
話し方が変だったのです。

昨日まではクリアなはきはきとしたしゃべり方だったのに、
今日は朝から、どうも話し方が明瞭ではありませんでした。
運転しながら、オヤジの話を聞いていたのですが、、
どうも発話が変な感じなのです。

まさか、脳梗塞になったのか、と思いました。
これは旅行をここで終えて早くに帰ったほうがいいのでは、
と思い始めました。
それくらい会話がはきはきしていなかったのです。

車を走らせながら、ずーっとどうしようか、と思っていました。
京都で入院、ということになったら、、、

幸い、今回の旅行にも保険証は持ってきていていたので、
いつでも病院に行くことはできます。
ですが、入院となったら、、と本当に考え始めると
もういてもたってもいられなくなって、、
とうとうオヤジに言ったのです。
「なんだか口調が変なんやけど、旅行をこれで止めて
帰るか、脳外科に今からすぐに行ったほうがええんと違う?」
「どこも悪いことあらへん」とオヤジはいいます。
でも、その言い方が、
昨日までと違ってはきはき言ってないのです。

運転しながら、えーっと西京区やったら
○菱j自動車の病院があったなぁ、とか、
右京区やったら○房病院やろか、
あそこ、休日も診てくれたかなぁ、
とか考えていました。

その時、オヤジが口の中に指を差し込んで、
カパッと何かを動かしたのです。
車は太秦から帷子の辻に差し掛かるところでした。
その時、オヤジが「帷子の辻やな」と言ったのですが
その口調は、昨日のようにまたはきはきとした
言葉遣いになっていました。

京都中央信○の口座に記帳しないといけなかったので
信金の帷子の辻支店に寄るから、と言ったら
「ふん」と言いました。
口調がもとに戻ったらしいので、、
「入れ歯の調子が悪かったん?」と聞いたら、
「そやで。もう直った」とはきはきとした口調で言うのです。
思わず体中の力が抜けて行くような気がしました。

脳梗塞かしらんと思ったら、入れ歯の調子が悪かっただけ、
ということで、今回は笑い話で済んで、本当によかったです。


謙介、よくまぁ両親なんかと一緒に旅行するよねぇ、と言われます。

このことについてはまた別の日に書こうと思うのですが、、
正直なところ、毎回毎回、これが最後かなぁ、という気持ちで
旅行に出かけているんですよね。

うちの親子関係ですが、20代のころまで、
あまりいい関係ではありませんでした。

しかし、こういう関係って歳とともに変化をします。
そこが若いときは分かりませんでしたね。

謙介より若い人で、親子関係が断絶している、とか
仲が良くない、というような人の話もよく聴きます。

まぁ親子と言っても別の人格の人間なので
うまくいくとは限りませんけどね。

でも、仮にぎくしゃくしていたとしても
そんな親子の関係が永遠に固定化されて
その状態が永遠に続くとは限らないのです。

若いときは、その状態が永遠に続く、と思いがちですが、
人間の関係なんて、ふとしたことで、
ガラッと劇的に変わることだって
あり得ます。

自分の感情の変化だってあるし、
親の状態の変化だってあります。
もちろん、自分の状態の変化、ということも
大きいのですが。
それから地震とか火事というような大きな災害で
人間関係が一変する、というようなことだって
あり得ます。


20代の人で親とうまくいかなくて、家を出たとか、
縁を切った、というような話を聞いたことがありますが、

果たしてそれで固定的にずっと行くのか、と言えば
謙介は自分の経験から考えても、
それは誰にも分からないことだと思うんですけどねぇ。


それに歳とってごらんなさい。
少々のことなんて、もうそんなもの気になんか
してられない、と思うようになります。

おばさん、おじさんの行動を若い人が見て、
堕落しているとか、好き勝手している、という場合が
あるのをよく聴いたり見たりしますけど、
おじさん、おばさんが、好き勝手をしているのは、
そういう「こだわり」とか「抵抗」がどんどん無くなっていった
結果なのでしょう。(笑)

さて。

帷子の辻の信金で記帳もできたので、
再び嵐山に向けて出発です。
嵐山は、日中に行くと、もう観光客が押し寄せていて、
静かに見られないので、早朝か、夕方の5時以降に行かないと
落ち着いた風情で眺めることができません。

さすがに朝の8時半ごろの嵐山は
まだ人も少なくて、静かな感じでした。

Arashiyama
渡月橋を渡って対岸に行きます。
ここに、謙介がその昔十三参りのお参りに行った
法輪寺があります。

十三歳になった坊ちゃん嬢ちゃんは、嵐山の法輪寺に
お参りをして、お知恵を授けていただくのです。
そうして授けていただいた後は、渡月橋を渡りきるまで
振り返ってはいけない、のです。
振り返ると折角授かったお知恵が逃げてしまうから、
ということです。


謙介は、ただひたすら
前だけ見て嵐電の嵐山駅に行ったのでしたが、、、

うーん。知恵はついたのか。(笑)

渡月橋を渡り、あの法輪寺の下を通り、
しばらく大堰川沿いに走って、四条通りのところで、
右折します。右側には松尾大社があったのですが、
また今度行くことにして、今日は橋を渡ってしばらく行きますと
梅宮大社に到着です。

時期的に梅の花の終わりの時期で、
桜にはまだ早かったのですが、、
それでも遅咲きの梅がきれいに咲いていました。

Umemiya

それから、嵐山在住の友達から
車折神社に行ったら、早咲きの桜が咲いている、
という話を聞いていたので、行ってみました。
Kurumazaki

車折神社から三条通りを通って太秦の広隆寺の東から
上がって、太秦映画村の前を通り、丸太町に出て
右折して東に走りました。
丸太町通りの両側も、家電の量販店ができたり
ファミレスができたり、郊外型の本屋ができたり、
と店がいろいろとできました。

謙介が住んでいたころなんて、鶏小屋があったり畑が
あったりして、まだまだのどかな右京区、という感じ
だったのですが、、すっかり変わってしまって、、
オフクロは、「京都と言う感じがせえへんなぁ」と
言うのですが、全くその通りです。

この日は、京都を西から東に向かって、
いろいろと見よう、と計画を立てていました。

これで西京区と右京区は終わって、次は
上京区のほうに移動するのでした。

今日はここまでとします。

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17. 03. 27

2017年春 近江・京都の旅(その4)

一旦旅館に着いて、荷物を置いたりしました。
夕食は、旅館のレストランではなくて
外に食べに行くことにしています。

今回は、衣笠の黒猫○という
中華料理屋さんに行きました。
(この店は、立地とかお店のたたずまいからして
地元の人しか行かない場所の店ですが、
人気がある店なので、予約が必要です)

旅館は北山だったのですが、衣笠までは車で10分少々、
というところでしょうか。

北山通りを西に走り、
京都ノートルダム女子大○のところで左折して、
北大路に出たところで右折します。そのまま北大路を
走って、西大路に入って、平野神社のところを
右折して100メートルほど行くと店に到着です。

お店の外観はこんな感じです。

Kuroneko1

地味な、いかにも京都のお店、
という感じの
中華のお店です。
京都のお店というのは、「目立つ店舗デザインとか
派手な宣伝など全くせずに、地元の人だけが相手で
そのお店のことをわかって来てくれはるお客さんだけ
来てくれたらええ」というスタンスのお店ということです。

どうも新京極とか河原町通りにあるような、観光客相手の
京都どすえ、というのを濃厚に主張したり宣伝しまくり、
という店はついていけないのです。

予約をした段階で、
お店のおばちゃんが「4人掛けの席が一席だけ
あいてますさかい」と言っていたのですが、
果たして店に入ってみると
全部予約で満席でした。 

フリーで来たお客さんは断られていたくらいで、、
衣笠、という場所柄、お客さんの話を話を聞いていたら
(聞きたくないけど、やたら声がでかいので聞こえてくる)
Rのマークのだいがくのせんせいのようでした。ひょっとしてBの
つくだいがくかもしれません。
何やら学会の話をしていましたから。

料理はコースをお願いしていました。
オーソドックスなクラゲの酢の物、棒棒鶏、焼き豚、きゅうりの酢の物
というような前菜からはじまって、湯葉ときのこのスープなど全部で8品
のコースでした。
Kuroneko2

料理がおいしくて、写真を撮るのを忘れてしまったものもあります。
これは、とびきり刺激的だった、麻婆豆腐。
Kuroneko3

締めは鮭の炒飯でした。
Kuroneko4

最後にデザートの杏仁豆腐が出ておしまい、
ということになりました。
Kuroneko5

いろいろ出た中では、オヤジは、牡蠣をフライにして
甘酢あんをかけたのがおいしかった、
ということでした。(写真がなくてすいません。
これは謙介もおいしい、と思いました)

ここのご店主さんは元、京都市内のホテルの
中華レストランの総料理長だったそうです。
それで独立してお店をつくられたのが、この
お店ということだ、と聞いています。

奥さんと、もう一人、若かった頃の西島秀○に
似たイケメンのウエイターさんで接客をして
いました。
この辺も変わったなぁ、という話をしながら
食事をしました。

平野神社の北側に、出町の古書店の
善書堂の支店があったりしたのですが、、
善書堂のご店主が若くして亡くなられてしまい、
衣笠の支店どころか、出町の本店も無くなって
しまいました。

ここからちょっと下がったところに
ラーメン藤、というお店もあって
一時はよく流行っていたのですが
そのお店も無くなってしまったねぇ、
というような話をしていました。


春の宵、両親とこの界隈の昔の話をしながら
食事をしたのでした。


(今日聴いた音楽 ラスト・ワルツ 岸洋子
 今日は岸さんのお誕生日だったので
 早世が惜しまれます。)

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