おでかけ

18. 10. 04

コンビニの角を曲がったら院政!(その4)

帰りのバスは、5時50分だったのですが、
バスの切符売り場に行って、1時間早い
午後4時50分のに変えてもらいました。
早割でなくて、やや高い正規運賃で
買った切符だったので、この変更ができるんです。
早割だと、便を指定してしまったら、変更が
できません。謙介、結構予定を変えて動くことが
多いので、早割を買わないこともあります。
今回も予定を変えそうだったので、通常の運賃で
切符を買いました。

無事に時間変更もできました。
帰りのバスの時間まで1時間ほどあったので、
東本願寺に行くことにしました。
いつもながら豪壮な唐門でございます。
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入ったらすぐ、右側に「お買い物広場」が
ありました。やはり英語だと、shopping plazaでよいの
ですよね。
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お買い物広場の中には、大谷派のお数珠、
お経の本、DVD お菓子から果てはネクタイまで
いろいろな御参詣グッズが売っていました。

東本願寺と西本願寺の周辺には
仏具屋さんが非常に多いのです。


同じお寺でも、真言宗の南の東寺の周辺には
そうたくさんの仏具屋はありません。
臨済宗の妙心寺の近所にも仏具屋は
ありません。

どうして本願寺の周辺には仏具屋が
多いのか。

浄土真宗では、お仏壇の飾り方が
すべて本山と同じでなければいけない
決まりがあります。

絶対にここにはこのお道具を置く、
ここにはこれ、ということが厳密に
決まっているのです。
本山でやっている通りに
しなければなりません。

その点、真言宗も確かに、ここにはこれを
置くと、ということは決まってはいますが、
お寺の飾り方と、普通の家の仏壇の飾り方は
違っていて、そういう面ではアバウトな部分も
あります。

浄土真宗の場合は、本山指定、
というようなこと教義にあるので、
必然的に、本山の周囲に仏具屋が
集まってきた、ということなのでしょう。

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それにしても豪壮な建物でございます。

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こちらは逆に門のほうを撮ってみました。
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庇も大きいですね。
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門はつい2、3年前に修理を終えたばかりなので
非常に美しいです。
Img_5286

やはり京都駅に近いので、京都タワーが大きく見えます。
謙介が住んでいた右京区の常盤からは、ぎりぎりこのタワー
見えていましたけど、、今は、マンションとか建ったし、、
見えないですねぇ。
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唐門を内側から撮ってみました。
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前回でもお話したのですが、
この日、京都は結構暑かったのです。
でも空はもう秋の空でした。
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京都の景観条例に従った非常に地味な餃子の王将です。
ちょっと前までは、普通に看板を掲げていたのですが。
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で、こっちはバーガーショップ。(笑)
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ということで、京都駅に戻ってきました。
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地下街で、志津屋のサンドイッチと缶コーヒーを買って
バスに乗りました。

前回の友達と行ったのとは違って、日帰りのばたばたとした
用件だけの京都行でしたが、それでもおせきもちも食べられたし
それはそれで楽しめました。
今回のご報告はこれでおしまいです。

いつもながら、お読みくださって
ありがとうございました。

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18. 10. 03

コンビニの角を曲がったら院政!(その3)

天皇陵の裏側には、こういう表示がありました。


Img_5259

こういう表示がある、ということは
捨てる人がいるから、ということなんでしょうね。

前回とは別のせぶんですけど、
その横にも、宮内庁の敷地です。
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天皇陵にしては狭いんじゃないのか、
と思ったら、陵墓参考地ということでした。
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もう9月だったんですけどね。
この日、京都は意外に暑くて、、
へろへろになりつつ、炎天下を
歩きました。(8月猛暑の頃よりはさすがに
ましでしたけど)
西に、西に歩いて、ようやっと城南宮に到着です。
Img_5263

この城南宮のあるところが「鳥羽」です。
「鳥羽伏見の戦い」の「鳥羽」というのが
ここですね。鳥羽伏見の戦いの説明がありました。
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お参りをします。暑い土曜の午後でしたから
お参りの人はちらほら、という感じでした。
Img_5264

城南宮のお参りを済ませて、
国道1号線を渡って、さらに西に行きますと、、
鳥羽離宮跡の公園があります。
Img_5265


ですが、公園は先日の台風で
施設の安全点検が終わっていないので
なんと立ち入り禁止でした。

まぁねぇ、鳥羽離宮跡の公園っていったって
パッと見たところ、滑り台とか砂場とか
コンクリートの構造物とかがあるような

どこにでもある町中の小公園、っていう
感じの公園でしたが、、。
52652

前にも言ったように、名神京都インターのすぐ横
(300メートルくらい南)なので、自動車関係の
工場が結構あります。
ここも昔の鳥羽離宮の跡です。
言われないとそんなもの、分かりません、よね。
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こっちが鳥羽離宮公園の南側にある
グラウンドです。ここも鳥羽離宮だった場所なんですけど、、

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ちょっとおやつ、ということで、おせきもちの
お店に行きます。ここは国道1号に面した
ところに、店があります。

城南宮の楽しみは、何と言っても
おせきもちですね。
神社仏閣の門前には
昔からの名物のお菓子屋さんが
あります。下鴨神社だったら
みたらしだんご、とか
平野神社だったら あぶり餅とか。
そういうことで城南宮は
おせきもちです。

昔、この街道沿いに、おせきさんという
女性が作るお餅がおいしくて評判になって
それが名物になったんだとか。

今おせきもちの店は外側の工事中でした。
Img_5270

一応のれんが出ていたので、入ってみました。

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これがおせきもちです。
おもちの上に、あんこをむぞうさに載せたものです。
このあんこの味がさすがに老舗で、
絶妙な味かげんなのでした。
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このおせきもち、日持ちは全くしません。
賞味期限は製造当日のみ。潔いです。
デパートの京都展なんかの催事でも
このおもちは出さない、と思います。
ですからここにこないと味わえません。

おせきもちの店は、ここと、
もうちょっと西側に支店がもう一軒あるだけです。
京都市内のデパートにも出していません。

だから知らない人も結構多いです。

でも現地に行かないと食べられない名物、
そういうのがある、っていうのが本当は
いいんじゃないでしょうか。


お近くに寄られた際はぜひ。

といって謙介はおせきもちから
何にももらっていませんけどねー。

ということで、お店でちょっと涼んで
汗を入れて、再び竹田の駅まで戻ったのでした。


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今日はここまでといたします。


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18. 10. 02

コンビニの角を曲がったら院政!(その2)

寺町で買い物をした後、 また地下鉄に乗りました。
烏丸御池で乗り換えて、終点の竹田まで。

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竹田は、城南宮の最寄り駅です。

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バスの便もあるんですけどね、
便数が少ないのです。 で、バスの時刻表を見たら
案の定、行ったばかりで、、ええい面倒だ、ということで
歩いていくことにしました。

駅のすぐ南側には、名神高速道路が走っています。

写真左側の茶色い庇というのか建物は
竹田駅ですから。
いかに距離が近いか、ということが
お分かりいただけると思います。
Img_5250

名神のガードをくぐって、線路に沿って
そうですね。700メートルくらいでしたか、
南に行くと、コンビニがありました。
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ここを右折して西に行きますと、
近衛天皇の安楽寿院南陵が
あります。
Img_5252

この天皇陵には、多宝塔がありました。
今までいくつもの天皇陵を拝見してきましたが、
お墓に多宝塔があったのは初めてでした。
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で、この辺が鳥羽離宮の跡、ということなのです。
Img_5254

この鳥羽離宮で、院政が行われていたわけです。
Img_5255

日本歴史で、「院政」については必ず
習うと思うのですが、
案外、院政が京都のどこで行われていたか、
ということについては、習わないまま、なのでは
ないでしょうか。

院政はこの鳥羽離宮で行われていたのです。

「コンビニを曲がったら、院政の地。

鳥羽離宮とコンビニ、って、なんだか
頭がぐらぐらしそうな取り合わせですけれども。


今回の文章のタイトル、
まぁこういうことがあったので
こんなタイトルにしたのでしたが、、。

で、さらに行きますと、
鳥羽天皇の安楽寿院陵が
ありました。

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こちらは多宝塔はなくて、小さなお堂が建てられて
いました。
Img_5258


この辺、今では名神高速道路の
京都南インターチェンジができたこともあって
京都のトラック輸送のターミナルになって
います。

そこそこの面積が必要なトラックターミナルは
京都の旧市内には作れませんもんね。

トラックが集まる、ということで
自動車関係の整備工場も多いです。
パッと見には工場地帯、という感じです。
うちのオフクロと前にここを通ったら
「何や京都らしい気がせえへんな」という
ことでしたが、その場所だけ見たら
そんな感じです。

昔はここに鳥羽離宮があって、
文字通り風光明媚な場所だったのでしょうけど。

そういう風光明媚な場所で、院政は
行われていたのですね。
まぁ別荘で政治やってた、というような
ものなんでしょうねぇ。


今、近鉄の京都線が走っている小倉の
あたりは、向島ニュータウンとか言って
マンションとか住宅があったり、水田になって
いますが、以前は巨椋池という大きな池が
ありました。

この池、奈良への物資の輸送の中継地でも
ありましたが、大水が出たときの
洪水調節の池でもありました。

それが、お米が要る、食糧増産、ということで
池をどんどん埋め立てていってしまって、、。
池はなくなってしまいました。
上流にダムを作ったから大丈夫とか言って。

でも、ダムだって、あまりに大雨が降ったら
放水しますからねぇ。

最近、よく洪水の話が出ますが、、
ひとつに、かつてあった、こういう遊水地を
埋めてしまった、ということも原因じゃ
ないかと思うんです。

水の流れにゆとりがなくなって
しまった、ということを思います。

ゆとりもなくて、10だけしか流れないところに
大雨が降って、放水量が20になったら
そりゃたちまちあふれるんじゃないですかねぇ、。

今日はここまでといたします。


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18. 09. 30

コンビニの角を曲がったら院政!(その1)

先週と今週の笑点、
謙介がいつも第九のお歌を歌う

↓ここで、したのですけれど、、

Stage11

見た目には全然違っていて、
同じ場所とは全然思えませんでした。

あ、でも客席が映ると、
オリーブ色の椅子が映ったので
あ、やっぱりそうだよね、と
思ったのでしたが。


さて、で、ございます。


9月の22日に、会議に出る用事があって
京都に行ってきました。

(またかよ)

あ、ちゃんと今度は用事だったんですってばぁ。

で、その時のご報告を書いていきたいと
思います。


(ここのところ、おでかけの文章ばっかりで
すいません)

今回は、ひとりで行ったので
高速バスで出かけました。

Img_5230

いつも乗る、始発のバスを予約しようと思ったら
なんと満席で、(やっぱり京都便は大人気です)
その次の、6時半過ぎの便にしました。


バスは定刻に来て、出発したのでした。
徳島から淡路島、神戸と順調に来たのですが、
道路情報の電光掲示板を見たら、
「名神・ 大山崎→大津 渋滞15キロ」と
ありました。 がびん

ところがです。

電光掲示板には大山崎から、とあったのに、
もっと手前の大阪と京都の府境あたりから、
すでに渋滞がはじまっていました。


前回京都に来た時も気が付いていて
写真に撮れなかったのですが、
高速道路の両側にある防音壁も
台風の大風で、破壊されているものが
目立ちました。

Img_5237

それから沿線のグランドのフェンスも。

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ということで、結局京都には
20分遅れで到着したのでした。

Img_5240

京都駅から地下鉄に乗って会場に向かいました。
当然、会議は始まっていて、こそっと後ろのほうから
入りました。

遅く行ったので、謙介が会場に座って
10分ほどで全体会が終わりました。

遅刻していていうのもなんですが、
全体会なんて、大して聞いていないし、、。
却ってよかったかも、とか、思ったり。


分科会の会場のほうに行きました。
こちらは、5、6人で話し合いをするので
お互いの顔も見えるし、話もちゃんとするし、
で重要な会議でした。

分科会は1時すぎに終わりました。
謙介の任期は、来年の6月末まで
なんですが、実質上は、来年の3月で
終わりです。

6年間やってきたので、ようやっと
終わりが来たか、とやれやれ、
という気持ちもあってしみじみしました。

構内の食堂でお昼をいただきました。
まぁ無難なところでカレー。

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カレーを食べていたら、知り合いにばったり
会ったので、そのまま一緒にいただいて、
その後、カフェに移動して、コーヒーを飲みながら
話をしたあと、お別れしました。

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北大路駅から地下鉄で、市役所前に行きました。
寺町の書道用品店で、紙を何枚か買って、、

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いつもの本屋さんに行って、
何冊か本を買いまして、、
Img_5247

再び地下鉄に乗りました。

今日はここまでといたします。

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18. 09. 29

大洲へ(その4)

次は肱川を渡って対岸に行き、
山を少し上りました。
そうすると、如法禅寺があります。


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これがお寺の山門です。(みたらわかる)
Img_5205

こちらが仏殿。重要文化財指定です。
禅宗の仏殿というのは、普通、仏様だけ安置している
ものなのですが、ここの仏殿は、
仏殿内部の周囲が、僧侶の起居する
禅堂にもなっている、という建物で
構造が非常にユニーク、ということで
指定されたのだとか。
Img_5206

とはいえ、内部は何か行事のある時だけしか
公開していないので、この日は見られなかったのですが。

このお寺、臨済宗のお寺なんですが、
今は、市内の別のお寺のお坊さんが
兼務でこのお寺の管理もしています。

田舎に行くと、一人のお坊さんが
ひどいときには、7つとか8つの
お寺の管理をするようなことに
なっています。

このお寺、10月には、二胡の
音色を楽しむ会、とか、座禅会
がそれぞれあるんだとか。

もうちょっと近かったら
行きたいんですけどね、、。

こちらは地蔵堂だそうです。

Img_5208

仏殿の掲額ですね。 単に墨書したのではなくて
書いた文字を木で彫刻してありますね。
こういう掲額もあるんですよね。珍しい。
Img_5209

こちらはお寺の座敷です。
昭和になって作ったものらしいです。
Img_5211

で、こっちは庫裏。
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如法寺を見学して、山を下りました。
西大洲から東のほうに行きました。

この辺が東大洲です。
今は、普通に車とか人が行きかっていますが、
こないだの大水で、1メートル50センチくらい
浸水したのだそうです。
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そんなところに、四国巡礼で、お寺以外で
絶対に立ち寄らないといけない、十夜が橋があります。
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昔、弘法大師が四国行脚されて、
この辺にさしかかった時、日が暮れてしまったのだそうです。
前々から言っているように、この辺は、田んぼばかりで
家がなかったので、泊まるところもなく
空腹のまま小川に架けた土橋の下で野宿をされました。

その折に、一夜限りとはいえ、夜明けまでの時間が
十夜の長さに感じられ「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 
一夜も十夜の橋と思ほゆ」

と詠ったことが十夜ヶ橋の由来と言われています。

その十夜が橋の横のお堂です。
ガラス窓のところに、こないだの
大水でここまで、水位があった、と
いう掲示がありました。

Img_5214

横の川を見てみたら、コンクリートの構造物が
流れ着いているのが見えました。
こんな重たいものが流れてきたのですね。
Img_5215

ここがその弘法大師が一夜野宿された
ところだそうです。橋はコンクリートになって
しまっているので、まぁ、その場所、という
ところですね。
Img_5217

東大洲を出て、内子町というところに行きました。
ここの町はずれに、内子フレッシュパークからり
という施設があります。 産直市と、地場の農産品の
レストラン、カフェなどがある施設です。
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今では、こんな施設、日本中あちこちにあるのですが
そういう施設をはじめてつくったのがここでした。

こんな感じで、緑の中に休憩する
椅子があちこちに置かれています。
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おなかはすいていなかったので、ジェラードを
いただきました。
ポポーのジェラードだそうです。

Img_5222

ということで、仕事場の街に帰ったのが、
お昼前でした。
今回の大洲のご報告はこれでおしまいです。
お読みくださってありがとうございました。

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18. 09. 27

大洲へ(その3)

今回のこの文章に添えた写真、
注目してもらいたいことがあります。
それは空のようすです。

今日載せている写真は、
9月19日の朝の8時から
9時までの間の空です。
1時間の間のことです。

市内に戻って道の駅に車をとめました。

道の駅の近くには、おはなはん通りという
通りがあります。
今やっている「半分、青〇」ももうすぐ
終わりますけれども、ずーいぶん昔に
朝ドラで、「おはなはん」という作品が
ありました。
平均視聴率が45.8パーセントっていう
もうねぇ驚異的な視聴率だった
とかで、、。その時に、この辺でロケを
したんだとか。


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というのでおはなはん通り、っていうんですけど、
今の若い人は、おはなはんなんて、
知らないでしょう? 樫山文枝さんとか出ていたの。
ちょっと前のゲゲゲの女〇とか、マッサ〇だって、
もう記憶は怪しいかもしれない。

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ここ、リカとカンチのお話でも使っています。
カンチの設定が、こちらの辺の某町の
出身、ということになっていた、ので。

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こういう洋館建ての事務所も残っています。
できた時は相当にハイカラだったんじゃ
ないか、と思います。
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一方でこういう伝統的な建て方の商家も
あったりして、日本の西洋文化の受容が
いろいろな段階を経て入ってきたのが
なんとなくわかるように思います。

きっと戦前の東京も大阪もこういう
伝統的な家々と、近代的なビルディングが
混在していたのでしょうね。


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ヤング軒という名前の散髪屋さんが
ありました。
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以前はたばこやだったのですが、今はカフェに
なっているそうです。
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このカフェを右折すると突き当たりが
肱川でした。
この辺には、肱川の洪水から街を守るために
こんな城塞のような堤防があるのです。
高さは4メートル以上ありました。
西大洲には、このような堤防が延々と
築かれています。
だから大水が出ても、何とか街が守られたのです。
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河原に出てみました。
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河原にモニュメントとして日時計があった、ようでした。
日時計も濁流の中で、こうなっちゃったんですね。
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時刻表示の、コンクリートの塊でさえ
留め具が破壊されて、3メートルくらい
遠くに
流されていました。
ちょっと持ち上げてみようとしたのですが
重くて全然動きませんでした。
こんなものが、破壊されて、外れて、よそに流れたのですから
自然の力のすごさを改めて感じざるを
得ませんでした。
Img_5188

日頃の肱川なんて、こんなものなのです。
写真の一番奥のほうの数メートルだけの
川幅で水が流れているだけ、です。

それが大水になると川幅いっぱいになるわ
加えて水があふれかける、というのですから
とんでもないことだと改めて思いました。
Img_5190

河原から街のほうに戻りました。

10月に松本零〇さんとのお食事会が
こちらであるそうです。

松本さん、戦中戦後、疎開で、おかあさんの
出身のこちらにしばらくいたんだそうで。

その時に、毎晩空を見ていて、満天の星を
毎日見ていた、と。

その時の記憶が、のちに銀河鉄道999の作品として
結実して行った、ということを、以前こちらに
来た時に、述べられておいででした。

だからポスターも銀河鉄道999、なんです。
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で、またまたしつこく、ユージとホナミ。
Img_5192

しばらく歩くと、新聞屋さんがありました。
日〇と朝〇、って、なんか
対照的な会社ですけど、、(笑)

最近では、
田舎なんて、特に全国紙の
販売店がどんどんなくなっています。

とうとう、うちの仕事場の街の
販売店なんて、
朝〇と日〇と毎〇と読〇と。
要するに全国紙のほとんどを
一軒の新聞屋さんで配達しています。

そんなところで、新しく新聞を取ってくれ、
なんて、言えません。
どの新聞を言うのか。(笑)

今日は毎〇、あしたは朝〇、
あさっては〇経、とか。
Img_5194

七福〇でおまんじゅうを買いたかったのに
お休みでした。 9月の定休日を、見たら
19日だけお休み。まぁ よりによって、
です。
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こちらは焼きアユとかの川魚を
扱うお店です。 ここもまだこれから
店を開ける、という感じでした。
Img_5199

こっちは薬局。やっぱりハイカラな建物ですね。
Img_5201


と、ここまで来て、、
空の色の変化、お分かりだったでしょうか。

最初は真っ白だったのですが
と、この時間になると、青空が広がって
いるのでした。

大洲は、盆地なので、
この時期、朝は、盆地の上を
白い雲がふたをした状態になっています。

それがやがて、日の出から次第に
時間が経過するにしたがって、
気温も上がってきて、盆地を覆っていた
雲も晴れ渡るようになって、
青空が見えてくるのでした。

ちょうど京都の亀岡もこんな感じです。
大洲も盆地なので
なので、9時をすぎないと、今日の天候が
はっきりしてこないのです。

さて。次の見たかった場所に行くことにします。
今日はここまでといたします。


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18. 09. 25

大洲へ(その2)

謙介の車、マーチニスモ、という車なんですが、
何せ、マーチですからねぇ、、。

道路を走っていて、小ばかにされることが
多いです。
例えば、こちらが直進しているのに
人の車の鼻先をかすめるように
急に曲がってくる車に遭遇します。

あ、どうせマーチだし、、
というところなんでしょう。

同じ日〇の車でも、
リーフとかセレナだったら、
きっとあんなことはしないでしょうに。


でもね、このマーチニスモ、
よーく走ってくれます。

何せ作っている会社が
「ダットサン」ですもんね。

ダットサンのダットは「脱兎」からだとか。

これを聞いた時、思わず脱力してしまいました(笑)

ええそりゃもう、名実ともに
「脱兎のごとく」走ってくれます。

大洲からの帰り、脱兎走りをしたら
1時間かからなかった

おほんえほん、
まじめに安全運転しないといけません。

お話をもとにもどしませう。


      ×      ×      ×

参集殿、を正面から見たら、こんな感じなのですが、、
Img_5160


この建物、昭和のはじめに造られたのですが
その後、全然補修をしないまま、
放っておいたために、一時崩壊の危機に
ありました。

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それをアメリカのワールド・モニュメント財団が
2014年版「危機に瀕している世界のモニュメントリスト」
にこの建物をリストアップしたのです。

下から見ると、こういう構造になっています。

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以来、地元で、改修資金を集め、(アメリカの財団からも
資金が提供され)この建物の補修がちょっと前に
無事に終了したのでした。

Img_5154
建物の中に入ってみます。
この建物、さっきの写真にあるように、ほとんど中空に
浮かんだ構造です。


Img_5144

この建物を造った時に、建築資金を提供した方の
寄進者のお名前がこうして残っています。
Img_5145

こっちが最近の寄進者名の掲額です。
ドル建て、というのがちょっとおもしろいですね。
Img_5146

そしてこの建物の修復活動が

2016年9月にユネスコアジア太平洋文化遺産保全賞の
2016年最優秀賞を受賞したのでした。


Img_5143

建物の前には、トイレも新しく設けられました。
Img_5162_2

参集殿に向かい合うように、この建物の
修復の総責任者だった中野棟梁の小さな記念碑が
ありました。棟梁は修復中に足場から足を滑らせて
落ちて亡くなってしまいました。 工事ももちろん
その時に一時中止になったのですが
工事を完成させて修復を終了させるのが
棟梁の意志だ、ということで、工事は再開されて
完成をみたのでした。
Img_5161


そこから石段を上って、本殿におまいりしました。
Img_5158

本殿の脇に事務所で使うようなOAディスクが
4つほど積み重ねてありまして、、、
(それも新しそうなやつ) 神社で使うのか?
と言っても、この神社社務所はないのですが、、。 謎
Img_5159

と、いうことで、無事にお参りを済ませて、
元のところに帰ってきたのです。
鳥居さんのところで、もう一度礼をして
帰ろうとしたとき、ぎょぎょぎょ。

鳥居さんのところに↓なものがぶら下がって
いたのですよ。

Img_5166

きた時は全然知らずに通りました。
よくもまぁ、襲われずに済んだなぁ、
と思いました。

神社の前はこんな道です。
こんな交通量(量ほどいうようなものもないけど)
なので、他の車の通行の邪魔にならないような
場所なら車をとめてもいいように思ったのでした。
Img_5167

今日はここまでといたします。

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18. 09. 23

大洲へ(その1)

なんだか最近、うちのブログ、
おでかけ記事ばかりになっているような、、。(笑)

実は昨日、京都に用事がありまして、、。
行っていました。またそのご報告もおいおいと。

今年の夏は、あついわーあついわーと
言っていた割には、結構いろいろと
あちこちでかけたなぁ、と思います。


8月の頭には高知の梼原に行ったし
8月の末には、高野山、
9月は2回京都に行って、
その間に、大洲まで行ってきたりしました。


なので、ちょっと疲れたーと言ったら
友達にそれは遊びすぎやろ、
と言われてしまいました。

仕事だってまじめにしているんですけどねー。
と言ったら、
うそつけ、と言われてしまいました。


おほんえへん。

7月の豪雨災害から2か月が経過しました。
近くまで行く別の用事がありましたので、
大洲へ行ってみることにしました。

ガイドブックを見ると、謙介の住んでいる
あたりからは、大洲まで約1時間の行程、と
書いてありました。

ほんまかいな、と謙介さんは
はなはだ懐疑的ではあったのです。

途中、全行程の3分の1のところまでしか
来ていないのに、謙介の家からは
すでに30分以上経過していたのです。

ここでこれだったら大洲までは
1時間半くらいかかるよなぁ、
と思いました。

ところがです。

その全体の3分の1のところを
通過した後は、急に車が少なりました。

加えて信号もなくなってしまって、、
すいすい走ってしまいまして、、、

大洲までかかった時間は1時間と7分でした。
大洲市のアクセスガイド、正確だと思いました。
ごめんなさい。

ということで、大洲の中心街に来ました。

Img_5168


大洲という町は、おおざっぱに言うと
西大洲と、東大洲に
分かれます。
西大洲のほうが、中世以降、お城が築かれ
城下町として発展してきた場所です。

それに対して東大洲のほうは、ごく最近
(ここ10年くらい)まで、何の開発もされず
ただ田んぼが広がるだけの場所でした。

ところがちょっと前に高速道路のインターチェンジが
できて、それ以来本土資本の店が
できるわ、シネコンはできるわ、で、
一気に開発が進みました。

だけど、大洲の土地に昔から暮らしている人は
東大洲のほうへ家を建てる、ということは
絶対にしませんでした。
なぜならそこは6つの河川が合流する場所でしたから。


大洲の市役所近くのコンビニです。
ちなみにこっちのコンビニは西大洲にあります。
Img_5137

で、こっちがどこにでもあるほう。
Pemima

街並みの色彩統一ということで
京都と同じく、抑えた色合いの
コンビニですね。


で、大洲のどこに行きたかったのかといえば、
少彦名神社に行きたかったのです。

Img_5138


西大洲の街中を抜けて、肱川沿いをしばらく
川に沿って走っていきますと、
神社の御鎮座されている場所に
自然に到達します。

駐車場なんてありません。
田舎の感覚、で言えば、
車なんてその辺に停めておいたらええのよ、
ということなんですよね。

だもんで、駐車場の料金を払わないといけない、
というのに、ものすごく抵抗があるわけです。
前に新宿の伊勢丹の駐車場で、
20分、600円、という表示を見た時は
驚愕いたしました。

いやまぁ、東京ですからお高いだろうとは
思っていたのですが、、、
600円ってまぁ、、、と思ったのでした。

それはともかく。
車を邪魔にならなさそうな、ちょっと広い場所の
片隅に停めて

お宮さんのほうに歩いていきます。

Img_5165


きちんとした石を敷いた参道というのが
なくて、なんとなくこれが参道、という感じの
道を歩いていきます。


この辺も先日の大雨で
浸水した場所だったのでしょう。
オオバコに泥がついていました。
Img_5164

まだ謙介の住む街では、その時はヒガンバナなんて
咲いていなかったのでしたが、
ここはもうちゃんと咲いていました。


Img_5140

途中から参道が坂道になって
はあはあ、と言いながら上がっていきました。
しばらく歩くと、参集殿がありました。
Img_5142

この建物を見に来たかったのです。
Img_5141

ということで長くなりましたので、
今日はここまでといたします。

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18. 09. 21

秋はすさまじ(その8)

さて、食事を済ませて、、
もうひとつ、友達が行きたいところがある、
と言います。

どこなん?
と聞いたら、「ほら、新幹線といつもセットで
写ってる五重塔があるやろ、あそこ」

というお答えです。

Toujinozomi

これですね。(笑)
ということで、午後、最後に東寺に行きましょう、
ということになりました。
北白川から、北大路通りに出て、
千本北大路まで走りました。
千本北大路で左折して、千本通を南に降りていきます。
そうしますと、この道は、四条大宮で大宮通に合体
します。そうして大宮通をどんどん下がっていけば、
東寺の駐車場に着きます。

車の中で、友達は、かつて
東寺は東寺でも、
でらっくすなほうの東寺に
行った時のことを
ずーっと話しています。

でらっくすな東寺で、
天にも昇る心地の
経験をしたのだそうで、、

けんすけは、そういうところに
行ったことがないので
よくわかんなーいのですが、、

しかし、にもかかわらずなんで
知っているかというと、

謙介が中学とか高校の時には
そのでらっくすな東寺の宣伝カー
が、京都の町を時々走っていたのです。

京都には、そのでらっくすな東寺と
千中ミュージック、という劇場の
ふたーつがありまして、
それぞれ宣伝カーを走らせて
広報をしていました。

宣伝カーだけでなくて、京都の町の
辻に、千中とか、デラックス東寺の
ポスターが貼ってあったり
しました。そんなもの、嫌でも視界に
入ってきますし、、
車に、「本番なんたらショー」とか
ピンクの地に青いポスターカラーで
書いた文字のポスターが貼って
ありました。


「だけど、あれって、みんなの前で
するんやろ」と、あまりに即物的な
質問になってしまいましたが。

そう聞くと、友人は「うふふふふ」とだけ
答えたのでした。

今回はそんなでらっくすなところにはいきません。


まじめに教王護国寺だけまいりますよー。

あ、教王護国寺というのが東寺の正式名称です。

友達が五重塔五重塔、というので
いの一番にそこにお連れしました。

Img_5096


彼は興奮して、そうだこの五重塔だ!
と言って興奮していました。


この五重塔が、五重塔の中でも日本で
一番高い五重塔、というのは
結構知られたことですね。

でもって、この五重塔のてっぺんと
昨日泊まった旅館の高さがだいたい同じ
というと、友達は、こんな高いところ泊まって
たんか、とちょっと驚いていました。

これがまぁ京都の南北の標高差
ということでもありますね。
丸太町沿いにあった家から、
北大路方面に行くときは
丸太町をしばらく走っては、
馬代通りに出てちょっと北に走り、
一条通まで出ては、またちょっと西大路を走って
北に走り、という具合で少しずつ北上していくのが
常でした。だって一気に北へ走ると
ものすごい坂道でしんどかっただもん。

反対に、千本北大路の辺から、千本丸太町に
南に行くときはすんごい楽でした。
自転車なんかほとんど漕がなくても
どんどん走れたし、、。

東寺の諸堂をめぐりました。
ここは空海の開基ですから、
当然真言宗ですね。
しかも最初の形態は
国が作った寺院でした。

仏教が国教としているときは、
大きなお寺は、国の予算で運営しますから
資金繰りは何とでもなります。

しかし、やがてそういう時期は終わり
東寺は民間のお寺として運営をしていかなければ
ならない時期が来ます。

空海が作った時、東寺は真言宗の
教理を学ぶお寺でした。

ですが、そういう運営方針ですと、
お寺にお金が入ってきません。
そこでやはり東寺のお坊さんは
何とかお寺に人を来させて、にぎやかにして
お寺の勧進をしてもらう方法を考えなくては
と思ったのでしょう。

そこで「東寺の市」というのを始めたのだろうと
思います。東寺は決して教学ばかりのお寺では
ないんですよ。みなさんの信仰だって大切です。
なんたってお大師さんのお寺ですからねー
ということを京都の庶民に訴えたかったのだと
思います。

東寺のお寺のたたずまいを見ると
やはり真言教学のためのお寺だなぁ、
と思うところが大きいです。
下の写真、雨が降り出したところだったので
なんだかぼやーっとした写りになっています。
Img_5104


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ということで東寺を参拝・見学した後は、
名神高速から新名神に入って、山陽道、と
走り(要するに行きと同じコース)
Img_5105

淡路島経由で四国に帰ってきたのでした。

今回も長々となりましたが
最後までお読みくださってありがとうございました。

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18. 09. 20

秋はすさまじ(その7)

ガソリンを入れて、今度は詩仙堂に行きました。
ここもお庭がきれいで、あまり観光客のこない
お寺です。
小ぶりの、さりげない門が好ましいです。

Img_5077

門をくぐると、石段があって、
自然に本堂へといざなわれていきます。
Img_5078

ちょうど行ったのが、お昼前ごろでした。

まぁ確かに人はいましたが、
ごったがえす、というほどでも
ありませんでしたし、しばらくすると
潮のひくように人はいなくなって
静寂が訪れました。
Img_5081


木々の紅葉は
ほんのり、と気配としての赤がちらっと
見え始めていて、、これはこれで風情があるなぁ、
と思いました。秋のきざし、とでもいうのでしょうか。

右京区在住だった
吉田兼好さんなんか好きな感じじゃない?
とか思ったりしました。

Img_5083
建物から、今度は庭に出て、庭から、撮ってみました。
ここは山の間でうまく風が来なかったのでしょうか。
庭もそう荒れた、という印象でもありませんでした。

Img_5087


ここのお庭もそうですが、、、

前はそんなことを思ったりしなかった
ことなんですけど、、

かつて来たことのある庭に来ると、

庭を見ながら、自分の来し方のことを
あれやこれやと思うようになりました。

前に一緒にここに来たのは、、とか、

人や一緒に来た時のことを思い出して
感慨にふける、というようなこともあって、、
そういうふうに最近なってきました。

Img_5088

北白川に来て、お昼はどうしよう、なんて
いうような野暮なことは言いません。

というのか、↓ここに来たいがために、
詩仙堂に行ったのよ、というようなもので。(笑)

Img_5090
天一の総本店でございます。
この店、マンションの一階にあるので
場所とか建物は全く変わりません。
その代わり内装がすっかり変わっていました。

秘伝のスープ、産業スパイに見られるといけない
ということなんでしょうかね。

前はオープンキッチンで、
キッチンの中でどうやっているのか
というのが全部見えていたのですが、今は
キッチンとカウンターの間に半透明のパネルがあって
キッチン内部の様子はうかがい知ることは
できなくなりました。(天一のどの店もそうですね)

ネギだって、以前はざるに入っていて
取り放題だったのですが、
やはりそれは止めて、適量(と思われる量)
がどんぶりに載って供せられるように変わりました。

メニューを見て、、なるほどなぁと思いました。
普通の店舗にあるような、ベーシックな
こってりの並み、というような品が書かれて
ないのです。

チャーシュー麺とか、具だくさんのつけ麺とか
いうふうに、具材を付加して、
その分客単価を上げた
品しかメニューに載っていないのです。

まぁねぇ、総本店、さっきも言いましたが
マンションの一階の店で、、、謙介の仕事場の
街にある天一より狭いですからねぇ。

だから客単価を上げないとなかなか利益が
出ない、ということがあるのだろうなぁ、と
思いました。

ちょうど、それって
南座と東京の歌舞伎座の違いですね。
京都の南座は、劇場のキャパシティが
決して大きくないので「一幕見」という
システムがありません。

東京の歌舞伎座は大きいので、
一幕見、というシステムがありますよね。

天一の本店でそんなことを
考えている人間も人間ですけど、、(笑)

とか言っているうちに頼んだ
チャーシュー麺が来ました。

Img_5092
(写真をアップしてから気づきました。
ちり蓮華が邪魔ですねぇ)


天一のラーメン、最初にここで食べたのが
1980年のことだったか、と思います。
だから考えたら、もう38年も折にふれては
このラーメンを食べてきた、というわけですね。

やがて京都を離れて生活するようになってしまいました。

最初のころは、京都に行ったときに
わざわざ北白川まで食べに行く、ということでしたが、
そのうち天一が全国展開をするようになって、
なんとまぁうちの近所でも食べることが
できるようになってしまいました。

(とはいえ天一も店によって
味が微妙に違いますが)

実は、この総本店に行った前々日にも
実家の近くの天一に行っていたのですよ。

その時は、普通のこってりの並でしたけど。

今日もおいしくいただきました。


ということで今日はここまでといたします。

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