おでかけ

17. 09. 25

2017 4回目の高野山へ(その9)

部屋に戻ったのが、5時すぎでした。
何せ夕食は5時半ですから、
それまでにお風呂に入っておかなくては、
と思いました。

食後は、7時からお写経の時間なのです。

写経は自分の場合、墨をすって、
ゆっくりと書きますから、
最低2時間はかかります。

(普通の人は1時間で書くそうなのです。
いつだったか写経に2時間かかる、と
いったら、どうして2時間もかかるのか?
と聞かれましたが、こちらにしてみれば、
どうして1時間で書けるのよ? と聞きたいのです。)

まぁいいや。お写経が9時までかかります。

お風呂の開いているのは、午後4時から9時まで
ですから、お写経をしてから、お風呂、と言うのでは
お風呂に入れません。

なので、急いでお風呂に行きました。

部屋にバスタオルとハンドタオルは置いてくれていました。
それを持ってお風呂に行きます。

お風呂は去年改築竣工したばかりのきれいなお風呂でした。
そう大きくはないですが、(8人ぐらいでいっぱいになる)
新しいのが何よりでした。

謙介が行った時、
お風呂にはお二人の外国人がおいででした。

外国人の人は、湯船にずーっとつかっていて
その後、出ていかれました。
こちらは石鹸で体をこすったり、シャンプーで髪を
洗ったりして、お湯につかった後、風呂を出ました。

まだ外国人の人がいたので、
英語で話しかけてみたのでした。
するとオランダから来た、ということでした。
成田に着いて、東京を見てから、奈良に行って
それから紀伊田辺! に行って、紀伊田辺から
高野山まで歩いてきたのだ、という話でした。

熊野古道を歩いた、ということでした。
前にも言いましたが、このお寺がその熊野古道の
起点でもあり、終点でもありますから、、
熊野と言えば、南方熊楠を知っているか?
と聞きましたら、名前は知っている、
ということでした。

そのオランダ人が、あんたはどうしてここに来たのか?
と聞いてきました。 グランマが亡くなって今年で
27年目になるのだ。仏教では、27年目とか
33年目に特別に亡くなった人の冥福を祈る儀式が
あるのだ。今日は、そのためにここに来たのだ、
ということを説明しました。

その儀式には、大勢の人が参加するのか?
と聞かれたので、いや、自分だけなのだ。
両親は非常に歳を取っていて、高野山まで
来ることができないから、と答えました。

それは残念だが、あんたが丁寧に
祈ったら、グランマも喜ぶだろう、
と言ってくれました。

最後にいい旅を、と言って握手して別れました。
何だか宿坊のお風呂でハードボイルド小説っぽい会話を
してしまったのでした。

部屋に戻ったのが5時25分でした。
5時半過ぎになると、きっと食事を運んできたのでしょう。
廊下をワゴンの音が響いてきました。

5時半過ぎに、部屋の外から「お食事をお持ちしました」
との声がしました。「どうぞ、お願いします。」というと
若いお坊さんが、お膳を持ってきてくださいました。
一の膳から三の膳まである超でらつくすな精進料理
でございました。

Oryori_2
写真の手前のお膳の左側の赤いお椀の中には胡麻豆腐が
入っていました。奥のお椀の中はおすましのおつゆでした。

当然精進料理ですが、どのお料理もおいしく、
甘いもの、酸味のきいたもの、と味の変化も色々で
素材の味が生きていたように思いました。
どの料理もおいしくいただきました。

6時半に膳を下げにきてくださって、
同時にお布団が敷かれました。

Ofuton


まだこの時期、というのか今も
謙介夏蒲団か毛布1枚で寝ています。

高野山は夜冷える、ということで、
しっかりとした厚手の布団が敷かれたので
ちょっとびっくりしました。

そしてこの布団でちょうどよかったくらい
夜は寒かった、ということなのでしょう。

この厚い布団を暑くて蹴り飛ばすこともなくて
翌朝は目が覚めたのですから。


謙介は7時から写経がありますから、
この時に布団に入ったりはしませんでしたが。
(しかし、他の人は何時に寝るんでしょう??)

7時に今度は別の若いお坊さんが
お写経の料紙、硯、墨、下敷き、文鎮を持ってきて
くださいました。

「書き方は分かりますか?」
と聞かれたので、「たぶん」と答えました。(笑)

硯の横にあった墨をすっていきます。
墨に練りこまれている香りが部屋に
ひろがって行きます。

20分くらいかけて墨をすりました。
作る墨の量が少ないので、まぁこれくらいでしょうか。
普通だったら30分くらいかかります。
場合によったら1時間くらいかかることもあります。

筆は、人のを使うのが嫌だったので、
家から書き慣れた自分の筆を持ってきていました。

どうせ、いろんな人の使いまわしの筆でしょうから、
よく書ける筆でもないと思っていましたし、、。


お写経はもう何枚も書いてきていましたが、

正直なところ、満足のいけるものが
仕上がったことがありません。

書いているときは、結構うまく書いている、
と思うのですが、書きあがったものを
見てみたら、嫌な癖ばかり出ていて
あーあ、と情けなくなります。

人が書いたのは、本当にうまいなぁ、と
思います。

お写経の本とか見ると、たった262文字で
気が落ち着く、とか書いてありますが、
謙介にとってみれば、262文字も気を集中して書く、
なんて、なかなかできることではない、と思うのです。

たぶん、「たった262文字」と言っている人は、
漢字練習帳か何かに鉛筆で262文字を書く、
という発想で言っている、と思うのです。

謙介は料紙に毛筆で、という意識ですから
やはりそこの部分、大きな開きがあります。
まぁお写経の本を書いた人は、最初から
ハードルを上げて、お写経は集中が大変です、
なんて言ったら、書こうと思った人がしり込み
するでしょうから、かんたんですぅ、ということを
言いたいがために、たった262文字、と
言っているのであるとは、分かりますけれども、、。

それにしても
262文字、一字一字に精神を集中させて書く、
というのは、自分にとってとてもしんどいことです。

しかも満足したふうには決して書けません。

基本点画をはっきりと、と思って書いて
いっていると、
ついつい変な癖が出てしまうんですよね。
で、書きあがってから本当に自己嫌悪になります。

Oshakyo

今回も書いていていろいろと
思うところはあったのですが、、。

とにもかくにも書き上げた、ということで
ばあちゃんには許してもらおうと思いました。

写経は床の間に置いておいてください、
ということなので、書き上げた後、自分の筆だけ
ティッシュペーパーに水をつけて、
それに筆の穂先をそっと当てて
墨を取っておきました。

片づけをしたりした後、テレビをつけると
ちょうど午後9時のニュースの時間でした。
明日の天気を確認しました。
明日の和歌山県地方は朝から雨が降ります、
ということでした。

早朝から歩き回ったりしたので、
疲れが出たのでしょう。
10時にならない間に眠くなって
お布団に入って寝たのでした。

今日はここまでといたします。

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17. 09. 24

2017 4回目の高野山へ(その8)

この金剛三昧院は鎌倉幕府と深い関係があります。

そもそもは1211年に北条政子の発願で、
頼朝さんの菩提のために禅定院として創建されました。

1219年には源実朝菩提のために禅定院を改築して
金剛三昧院と改称し、
以後将軍家の菩提寺として信仰されたとのことです。

1223年には北条政子が禅定如実として入道し、
建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、
源頼朝と源実朝の菩提を弔うための
多宝塔(国宝)を建立することに
なったとのことです。

鎌倉幕府と高野山を結ぶ寺院という性格があったとのこと。

そもそもが鎌倉幕府の関係のお寺であったので、このお寺は
最初は禅宗のお寺だったそうですが、のちに
江戸初期に金剛峯寺の塔頭の一つとなった、ということです。


次の12日は、どうもお天気が悪そうなので、
11日のうちに、お寺のあちこちを見ておくことに
しました。

これは世界遺産の記念碑だそうです。

Kinenhi

国宝の多宝塔です。
石山寺の多宝塔に次いで現存の多宝塔としては
日本で2番目に古いものです、と案内にありました。
Tahoto

かつてこの多宝塔は記念切手にもなったとかで、
宿坊の中に、この切手のシートが飾ってありました。
Tahoto2

こちらは重要文化財の経蔵の解説です。

Kyozo1

校倉造が渋いです。
Kyozo2

境内には杉の巨木(天狗杉、というそうです)がそびえ、
深山の趣がより一層深く感じられます。
Sugi

こちらが本堂。 金剛三昧院の本尊である愛染明王を
安置しています。北条政子が、運慶に依頼して
造ってもらったものだとか。

Img036_l


宿坊に泊まった人には、翌日、おつとめのあと、堂内で
ゆっくりと鑑賞できる時間が設けられていました。
Aizendo


境内も一通りぐるっと見て、得心がいったので
また部屋に戻ることにしました。

今日はここまでといたします。


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17. 09. 23

2017 4回目の高野山へ(その7)

金剛三昧院の門の内側に、じみーに
こんな表示がありました。ここって、標高840メートル
なんだそうです。ですから、東京タワーはおろか、スカイツリーの
展望台よりまだ高いところ、だということですね。


Zannmaiin7


ここが金剛三昧院の玄関です。
Genkan

金剛三昧院はさすがに広いお寺で、
谷を挟んで両側に敷地があります。
お寺の方と宿坊の間に谷があって、
その谷に道路が走っています。
一旦谷を下りて、また谷を上がると
宿坊があります。

Shukubo1

宿坊の中はこんなふうになっています。
謙介の泊まったのは、この写真の右側の柱ににインターフォンが
かかっていますが、そこの部屋でした。
Shukubonaka


廊下には、かつて徳島県立池田高○野球部の
名物監督だった、蔦文○さんの色紙がかけてありました。
Ikeda


お部屋はお任せで、と言っていました。
一人なので、6畳から8畳のお部屋
で構いません、ということを言っておりましたら、
通された部屋は10畳の
広々とした部屋でした。
Shukuboheya

部屋から見た庭です。

Shukuboniwa


お向かいに建物がありますが、
こちらが新館で、宿泊料金もきっと若干お高め、なんだろうと
思われます。


違い棚の上には、松長有慶老師の書がありました。
松長老師が、金剛峯寺第412世座主、高野山真言宗管長で
あった期間は2006年から2014年の間ですから、
その間に書かれたもの、ということですね。
Yukei


床の間に、「のーてぃす」というのか「いんふぉめーしょん」
が置いてありました。
Info1

こっちが日本語の分かる人用。
Info2

お電話は懐かしい機種。久しぶりに受話器を持ったら、
お、重い。
Tel

衣装ロッカーというようなものはなくて、框にハンガーかけが
あって、そこにハンガーが写真のようにかけてありました。
Emonzao1

で、よく見たら「金三」って書いてあって、、。
Emonzao2
まぁねぇ。金剛三昧院だから、金三、なのでしょうけど、、
金剛峯寺の塔頭寺院の中で一番長い寺名ですからねぇ、、
仕方はないし、書くほうとしたら、大量のえもんざおというのか
ハンガーに名前を書いていかないといけないから、
金三になったのだろうとは分かるのですが、、。
いろいろと面白いものを発見しては、一人、部屋の中で
へえええ、とか、ふーんとか言って、いたのでした。

今日はここまでといたします。

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17. 09. 22

2017 4回目の高野山へ(その6)

ご廟におまいりして、ばあちゃんにも挨拶をして
再び橋を渡って戻ってきました。
お茶所の前を通ってみます。
時刻は2時50分で、あと、10分ほどすると
午後3時からここで法話がある、とありました。

前にもここで法話を聞きました。
その時、法話をお話くださったお坊さんが
「人生に迷ったり、困った時は、またいつでも
このお山に来てくださいね」と最後に結ばれました。

不惑の歳をはるか過ぎたのに、未だに日々迷うことが
ありまして、、、。その時にいつも思い出したのは
その時の法話の最後のその言葉でした。

Ochajyo1

お茶所の入口です。
この建物自体は、明治期の建物のようですね。
Ochajyo2

建物の横には、おそらく時期から言って、日清・日露の戦いでしょうね。
武運長久を祈った人の掲額がかかっていました。
Ochajyo3_1

お茶所は前室と後室がありまして、、。
入口に近いところは、大きな広い部屋で、一度に50人から60人は
座れる長椅子がおいてあります。
後ろの部屋はこうした、かまどがあって、湯茶の準備がされています。
はるばる奥の院のお墓の中を歩いて、ご廟に参詣して
ホッとしてここで一休み、という施設として作られたのでしょうね。
Ochajyo3_2
この日の法話は、やはり時期的に「ブラタモ○」の話から
入りました。

高野山のお坊さんの中には
あの番組の高野山のテーマだった
「空海テーマパーク」という
命名がけしからん! と言って怒った人もいたそうで、、。

その法話をお話しくださった方は、
「まぁ番組のキャッチですから
そんなふうな刺激的なネーミングで
銘打った方が人目を惹くでしょう」
という現実的な解釈をしておいででした。

やはりこういうところで
法話をされるお坊さんは
それなりに法話のうまい方を
人選しておいでなのでしょう。

30分ほどのお話、本当にしみじみとしていて、、
ありがたく拝聴できたのでした。

再びご廟を後に戻ることにしました。
Sando4

帰りは道を変えたのですが、、
今度は大名家ではなく
大企業のお墓の前を通りました。
これは、○島珈琲。
Ucc

これは日産自動○。
Nissan

こちらはシャー○。
Sharp

石製の容器の形で、わかりますよね。
Yakuruto

あ、朝鮮式のお墓がある、と思って、正面に行って墓碑銘を
拝見しましたら、在日の方のお墓でした。それにしても台が
異様に高いですね。目立たそう、ということなのでしょうか。
Chosen

さて。奥の院のバス停の近くまで戻ってきました。
3時40分でした。
時間配分がうまく行きました。
やはり、四国巡礼の大看板がありました。
Shikoku1

見慣れたこちらの看板も。(笑) たこやきの屋台がじゃま。
Shikoku2

バスは3時50分に来ました。
金剛峯寺から奥の院まで1時間半くらいかけて歩いたのに
帰りは5分少々で戻ってきました。(笑)
最初に来たときは、高野山には、バスでなくて
馬車が走っていたのですけど、、
(一体いつの話 笑)
馬車に乗って奥の院のほうに行ったことを
今も覚えています。
もうちょっとお土産を買う予定だったので、
一つ手前の小田原通りで
降りました。
Odawara

もうちょっとお香とかを買い足して、
再び金剛三昧院に戻りました。
4時10分でした。
Zannmaiinn6

きょうはここまでといたします。

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17. 09. 21

2017 4回目の高野山へ(その5)

先日、台風18号が謙介の住むあたりを通過して行きました。
で、まぁ避難勧告が出て、それが避難指示に切り替わったの
でしたが、、。

うちは、近くに川もないし、海からは遠いし、
なので、避難はしませんでした。


避難勧告が出たときに
パソコンを開いていたのですが、
そこに避難所のリストが出てきました。

まぁ住んでいる街のことですから、
建物の名称を見れば、ぱっと頭の中に
建物が思い浮かびはしました。

その時の避難指示の
対象地域の人口は46万人だったのです。
正直、46万の人間が全員避難したとしたら
どうなっていたのか。

全員避難できたのか???


それは絶対無理だと思いました。
最初から、全員が避難できない、と分かっていて
避難指示、って、そんなのありなの?
とか、ビュービュー吹く風の中で思ったりしたのですが、、。

みなさんの住んでいる地域の避難所はどうなのでしょう???

さて、話を高野山に戻します。

Kagoshima
奥の院への参道を歩きはじめます。 
島津家は場所を違えて3つもあります。
やはり見ていると、石高の多かった大名は
3つも4つも作っているのです。仙台の伊達とか
加賀・前田とかは複数個所墓所を持っています。

Rannmaru
これは岡山県の津山藩です。森蘭丸のところ。

Matsudaira
一応看板は松平、ということになっているのですが、
墓碑に京極とあるから、讃岐は讃岐でも丸亀の京極では?
と思います。

Sando
前にも言いましたが、この日はこの時期の高野山にしては
気温が高くて、28度くらいありました。
加えて小雨が降ったりしたので
非常に蒸し暑かったです。
次の日、雨が降ります、という予報だったので、
傘は持って行っていたので、早速役に立ちました。

Mitsuhide1
明智光秀のお墓です。

Mitsuhide2
光秀のお墓は何度作っても、墓石に裂け目ができるのだそうです。


ようやっと御供所(ごくしょ)が見えてきました。
写真をあまりつけていませんが、ここまで至るのに
延々と大名・大企業のお墓の前を通ってきていたのですよ。
Gokusho

ここで、水向塔婆に、祖母の戒名を書いていただき、
お地蔵さんに供えました。それで水をかけて、礼拝いたしました。
Mizutoba

御廟前に来ました。
Gobyo

一礼をして橋を渡り、御廟におまいりします。
暗い灯篭堂を抜けて、その後ろに控えている
弘法大師の御廟をおまいりしました。


祖母の遺骨もここにおさめています。
ここまで無事に来ることができて、
ホッと一安心いたしました。


再び元の場所に戻ってきて、、お茶堂の
ほうに寄ってみました。
きょうはここまでといたします。


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17. 09. 20

2017 4回目の高野山へ(その4)

Kongobuji1

金剛峯寺に到着しました。
石柱に「高野山真言宗」「総本山金剛峯寺」と
書いてある字は、空海の字でしょう。

IT化のおかげで、空海の作品から、こういう集字をして、
機械に取り込んで、その形通りに石彫をする、
ということが簡単にできるようになったのでしょう。
(ただし、こういう技法は「双鉤填墨」という方法で
昔からあったんですけどね)


高野山のお寺は、実は金剛峯寺だけしかありません。
後、小さいお寺があるのは、金剛峯寺の塔頭寺院、
なのです。

Konogobuji2
建物の中に入っていって、どんどん奥に行きます。
奥に接待所があります。
ここではお茶と麩菓子がお接待、ということで
出していただけます。

朝から歩き回ったので、ちょっとここで休憩をしました。
Konogobuji3

さっきの遍照尊院にも同じような門がありましたが、
こういう門、いくつかのお寺の門で見ました。
Konogobuji4

街の中心地に行きました。

街にある唯一の本屋、小森南岳○で、密教関係の本を
ちょっと見てみました。
Komoribookstore

数珠屋四郎兵○で、お経の本を買いました。
Jyuzuya

それからちょっと金剛三昧院のほうに戻って、、
胡麻豆腐の老舗の濱田○に行きました。
Hamadaya1

ここでは、店内で作り立ての胡麻豆腐がいただけます。
Hamadaya2

胡麻豆腐は、わさび醤油か和三盆かけかどちらかの
食べ方ができるようになっています。たぶん今晩の夕食にも
わさび醤油の胡麻豆腐は出る、と想像したので、
デザート風の和三盆かけ、のほうでお願いしました。
Hamadaya3

店を出て、再び歩き出します。
これは、街のDIYショップ。
Diy

ヤマザキディ○ーストアもこんな看板。
Yamazaki

高野山は、まだタバコ屋が現役でした。

自販機もありましたが、昔風にお店になっていて
店の人が応対して売ってくれるようにもなっていました。
Tabakoya

平日だったからでしょうか。
中心商店街も閉まっている店が結構多かったです。
Machinami2_1

まだ午後1時すぎだったから、いくら店の閉店が早い高野山でも
閉まるということもないとは思いました。たぶん、この日はお休み
だった、ということなのでしょう。
Machinami2_2

結果的に、奥の院にむかいながら、
あちこちお土産を買いまくったので
ずいぶんな荷物を抱えて
奥の院に来ることになってしまいました。

奥の院に着いたのが、午後2時でした。

Okunoin

今日はここまでといたします。

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17. 09. 19

2017 4回目の高野山へ(その3)

Nakaheji
金剛三昧院は世界遺産の熊野古道の
終点(起点)の場所です。
ここから、中辺路がスタートしているのです。

Iriguchi3

このお寺は、高野山の中心部から
ちょっと離れています。

その位置関係が幸いして、火事などの延焼にも
関係なくて、結果的に古い建物が残る、という
ことになったそうです。

坂道をちょっと歩いて門に着きました。 ふう。

Mon


こちらが金剛三昧院の建物です。
重要文化財です。
Zanmaiin1
玄関で声をかけると、若いお坊さんが出てこられました。
ひょっとしたら高野山大○の学生さんかもしれないなぁ、と
思いました。

玄関のところに応接の椅子がありました。
そこで予約した内容の確認とか
夕方以降のスケジュールの確認をしました。

以下、お坊さんのご説明。
チェックインは午後2時からできます。
お風呂は夕方の4時から晩の9時までの間に
入ってください。 夕食は5時半です。
お部屋にお料理をお持ちします。

7時からお写経の時間です。
翌朝はおつとめが6時半から本堂であります。
その後、朝食をお部屋にお持ちします。
チェックアウトは、9時までにお願いします。
ということでした。
明日の朝の法要について、
金剛三昧院からいただいた
ハガキをお見せし、ご回向料をお支払いし、
お願いしました。
カバンを預かっていただき、身軽になって、
街の中心へ出発です。


お寺から街の中心に行きながら
これから後の日程を考えました。
この時すでに12時半でした。
4時半にお寺に戻るとして、4時間です。

壇上伽藍と、金剛峯寺、奥の院は
行かなくてはならないですし、、、。

奥の院だけでも、入り口のところから、
お参りをして、ねんごろにご法話を
聴いたりしていたら、やはり2時間はかかるでしょう。


5時半から夕食ですと、それまでには当然戻っておかないと
いけません。お土産も買ったりすることも要りますし、、

結果、壇上伽藍と金剛峯寺、併せて40分くらい。そこから
奥の院まで歩いて30分。奥の院をおまいりして、
帰りはバスでここまで帰ると、ぎりぎりかなぁ、
というような計算になりました。

それでねぇ、、壇上伽藍のほうに行っていたら
こんなの見てしまいましたよ。

運転していたのはどこかのお寺の
お坊さんでした。
Ojyussan
お坊さんのレーサーもいるのでねぇ、、、、

それで、ちょっとだけ寄り道をして、
遍照尊院に行ってみました。
実はね、ここ大学生の時に、4回生の冬だったか、
友達と二人で、ここに来て、泊まったことがあったのです。
それで、もうずいぶん経って、あの時泊まったお寺の
名前も忘れかけていて、、確か4文字の名前だった
ということと、金剛峯寺の近くだった、ということは
覚えていたのです。それで当てはまるお寺と言えば
ここしかないなぁ、と思ってきたのでした。
果たしてその時の写真と比べてみました。


Img_2986
こっちが今回です。
Hennjyosonin

やはり遍照尊院だったのですね。
そういえば、この写真を撮ってもらった時に、この位置から
写真が撮りにくいわー、ということを、一緒に行った友達が
言っていたのを思い出しました。

あの時はまだ学生で社会に出ていませんでしたが、
あれから幾星霜。月日の流れは本当に速いなぁ、と
思いました。

今日は時間の関係で、霊宝殿には寄らず、壇上伽藍に
行くことにしました。

道路を渡ります。
Douro

木々の間から、3年前は建設中だった中門の朱色が
見えてきました。
Chuumon
中門をくぐって、伽藍に入りました。
金堂がどっしりと控えています。

Kondo_2


三鈷松(ブラタモ○に出ていましたねー)
の横を通り過ぎます。
Sanko

この辺、境内をうろうろしながら写真を撮りましたから
順番がめちゃくちゃですが。

根本大塔。
Konpon

こうやくんには、ブラタモ○の
ポスターが貼られていて、、。
Koyakun

弘法大師をおまつりした御影堂。
この屋根の緩やかな角度が好きです。

Mieido

西行桜。
Sakura

西塔ですね。こちらは、場所も地味なところにあります、、。
Saito

同じくブラタモ○にも出ていた六角経蔵ですが、、
Rokkaku

驚くようなことが、この解説文に書かれていました。

この中に入っていた、お経は、霊宝殿のほうに
移設保管されていて、この中には入っていない、ということ
なのですよ。
Rokkaku2
お経は入っていなくて、空の経箱、ということですが、
お経が入っていると念じて(笑) 取っ手を握ってぐるっと
一まわりしました。


三昧堂。
Zanmaido

壇上伽藍から、金剛峯寺に向かいます。
蛇腹道には、誰も人がいませんでした。
こんな一瞬もあるんですね。
平日に行って良かったー。
Jyabara1

さすが標高900メートル近い山上の街です。
もう紅葉が始まっていました。
Jyabara2


今日はここまでといたします。

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17. 09. 18

2017 4回目の高野山へ(その2)

極楽橋からはケーブルカーで一気に高野山へ
のぼります。
(とはいえ、この極楽橋ですでに標高は500メートルを
こえてはいますが)


ケーブルカーというと、日常的に通勤で乗るような
乗り物でもないし、形状が勾配の角度に合わさって
できていますから、最初から斜向しているし、、
で、おまけに頭の中で陽気な
フニクリフニクラの歌が流れるので、謙介の場合
テンションが弥増しで上がっていってしまうのです。

このケーブルカーは、
終点に近づくほど、勾配が急になるのだとか。

Cable1

対向の車両が近づいてきました。
写真を撮る日本人・ドイツ人・アメリカ人
Cable2


さてさて高野山駅に到着です。

Koyasansta1

前回、3年前に来た時は、修復工事中で、↑
ネットや足場が組まれていて見えなかったのですが、
今回は駅を見ることができました。
Koyasansta


ここから「なんかい高野りんかんバス」に乗ります。
バスの運賃は難波で買った世界遺産きっぷに含まれているので
支払いはありません。

今回はいつも前を通るだけで降りて寄ったことのなかった
女人堂へ行きたかったのです。

明治以前は高野山は女人禁制でした。
ここまでは女の人も行くことができました。
高野山の中には入れないけれども、
ここで礼拝をする、という施設が女人堂でした。
女人堂はほかの場所にもあったそうですが
今ではこの場所の女人堂だけが残っている、
ということでした。
Nyonindo

この女人堂の左から寺域としての高野山です。

それがねぇ、涼しいと思って、謙介長そでのシャツで
来たのでしたが、、今年はまだ昼間はちょっと暑かったですね。
歩いていたら汗が出てきてしまいました。

前に来た時は、半袖のポロシャツで、
寒かったのです。ジャケットを羽織ったほうが
良かった、と思いました。
今回は暑くて、、
町内を歩く人はTシャツの人が多かったですけど、
Tシャツで良かった、と思いました。
Iriguchi

今回の高野山行ですが、
いつも通り過ぎるだけで行かなかったところを中心に回ろう
と思っていました。 ここも行ったことのなかった
「徳川家霊台」です。
Reitai1

ここは徳川家康と徳川幕府2代目将軍の秀忠の2つの霊屋が
あります。建造だけで10年かかった、ということです。

Tokugawa1

↓これが秀忠の霊屋ですが、家康の霊屋も同じような造りです。
Tokugawa2
細かな木彫が建物全体に施されていて、、
日光の東照宮のような建て方だなぁ、と思いました。


これ、皮肉なコントラストになっていますねぇ。
Tokugawa3
家康の霊屋ですが、手前にあるのが、金剛峯寺の賽銭箱です。
賽銭箱には金剛峯寺の紋章がつけられているのですが、、
左側の五三の桐は、金剛峯寺が、豊臣秀吉から
いただいた紋章です。豊臣家の家紋ですね。

建物は徳川だけど、その前の賽銭箱は豊臣の。
家康さんは、どんなふうに思っていますかねぇ。(笑)
こーんな目障りなものを置かれて、、腹立たしいんじゃ
ないですかねぇ、、。

霊台の見学をして、隣の波切不動尊に
おまいりしました。 近畿三十六不動尊霊場の
ここが結願なのだそうで。
道に面して、門もないので、建物がストレートで
見えます。その分、開放的な境内だと思いました。


しばらく歩きますと、、
パトカーが見えているからお分かりかと思いますが、
高野交番です。
Police_office

建物は登録有形文化財に指定されているとのことです。
Kouban


ようやっと街の中心のほうに入ってきました。
Chonai2
前に高野山に行った時の文章にも書きましたが
この街はあくまで中心はお寺の配置であって、
道はお寺の形に合わせてつけられている、
ということになっています。

中心部に入ってきたのが、11時半でした。
ちょっと早めと思ったのですが、12時を過ぎると
食堂が混むので、先に食事をすることにしました。
前回と同じ、中央食堂さんぼ○に入りました。
ここで盛り豆腐定食をいただきました。

Sanbo

前回は日帰りだったのですが、
今回は法事がありますから
宿坊に泊まることにしていました。

永代供養をお願いしている、金剛三昧○は
もちろん宿坊もあるので、今晩はそこに泊まることを
お願いしていたのでした。
Iriguchi2
今日はここまでといたします。

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17. 09. 16

2017 4回目の高野山へ(その1)

今年は、母方の祖母の27回忌でした。
正直、すっかり忘れていたのですが
(おばあちゃんごめんなさい)
永代供養をお願いしている高野山のお寺から
「今年は27回忌の法事の年ですよ」
というお知らせが来て、はっ、と思ったのでした。

実はそういうことにかかわらず、ちょっと前から
高野山に行きたいなぁ、ということは
思っていたのです。

高野山からのお知らせもありましたし、
もうこれは行かなければならない、という
ことになった、と思いました。


それと、少し前から時間を見ては、
写経をしていたので、今まで書いたものを
持って行って一緒にお供えしてこようとも
考えました。


Oshakyo

両親に一緒に行く? と聞いたのですが
お寺は、階段の上り下りもたくさんあるし
長い距離を歩かなければ
なりません。

そういうことで、今回は一人で行く、ということになりました。
前々日のNHKのブラタモ○が高野山の特集でした。
前回行った時に、建設中だった中門が美しく出来上がっていて、
あ、あさってここに行くんだ、と思いながら見ていました。


今回は、バスで行きます。

朝の5時すぎの始発のバスに乗りました。

Bus

このバスですと、大阪の難波OCATに8時半に着くのです。


ところがこの日は、神戸市内の高速道路が
ものすごく渋滞していました。


途中どれくらい遅れるのか、と
ひやひやしたのですが、最終的には
5分遅れという程度で済んで、
8時35分に難波に着きました。

ですが、そこからがやはり大変でした。
OCATから南海電鉄の難波の駅までは
800メートルくらいありまして、、。

帰ってからうちのオヤジに、OCATから
南海の難波駅まで歩いた、と言ったのですが、
OCATなんてあの人は知りません。

「あのな。国鉄の湊町の駅から
南海の難波まで歩いてん」と言ったら、
即理解してくれて、
「それは20分くらいかかるわ」と
所要時間もさっと答えてくれました。
そうなんですよ。
普通に歩いたら、OCATから南海難波までは
20分くらいかかるのです。


そのうえ、
バスターミナルは地上2階です。

そこから1度地下1階まで降りて、地下通路を東に行って
地下鉄の難波の駅に来たら直角に曲がって
南に行きます。
高島屋を通り過ぎてその奥に南海の難波駅の
入り口があります。駅は3階ですから、また
上がらなければいきません。

両手に荷物を持って、必死で歩きました。

というのが、9時発の快速急行に乗りたかったのです。
それを逃すと、30分後に急行があるのですが、
それだと停車駅とか駅での通過待ちがあって、
高野山に着くのが、小一時間くらい変わってくるのです。
なるべく無駄な時間を作りたくなかったので
どうしても9時発の快速急行に乗ろうと思ったのです。

ひっしのぱっちで歩いたおかげで
何とか8時50分に南海の難波駅に到着できました。
途中トイレにも寄ったので、、OCATから13分で
難波まで歩いた、ということでした。 ふう。

ここで世界遺産きっぷを買いました。

この切符は自販機では買えないのです。

窓口に行かないといけません。
ちょうどホームに行ったら、
乗る予定の快速急行の電車が入ってきた
ところでした。

Namba

この電車は8両つないでいるのですが、
途中の橋本まで、橋本で後ろの4両切り離します。

というのが、橋本以南は、山岳路線で
めったやたらとカーブがありまして、半分の4両だけしか
乗り入れできないのです。
Namechoncha1

急こう配を上るので強力なモーターを備えていて
さらにはカーブが多い路線なので、車両も17メートルと
小型の電車です。
Namechoncha2

9時になって、定刻に電車は出発しました。

難波を出発してすぐのこの辺は、
和歌山へ行く路線と、高野線が
平行して走っています。


以前は難波⇔和歌山の路線のほうが
乗客が多くて、高野線は
どっちかと言えば
お荷物みたいな路線だったのですが、
高野線沿線に住宅団地とか分譲地ができて
開発が進んだのと、和歌山が過疎で人口が減ったために、
今や、乗客数は高野線のほうが多くて
和歌山への路線は、おまけ、というようなことに
なってしまいました。


Senro

大阪と堺の境の大和川を渡ります。
Yamatogawa

電車は難波から47分ほどで橋本に到着しました。
次第に山が迫ってきました。

Fashimoto

ここで車両を半分切り離します。
なので橋本で5分くらい停車します。
橋本を出たらすぐに紀ノ川を渡ります。
Kinokawa

橋本からは単線になるので、
対向電車を待ち合わせる、ということが
よくあります。

向こうから「山乙女」の2300系の電車が来ました。

ボロ電車古い車両の多い南海ですが、
この2300系は比較的新しい(できて10年ちょっと)
車両です。

以前はこの電車が難波まで走ることもあったのですが
今は橋本から極楽橋までの山岳区間だけの運用に
なりました。

Yamaotome

途中高野下まで来ました。
ここが標高108メートルです。
高野下から極楽橋までの10キロくらいの
間に、電車は430メートル上がります。
Koyashita

線路もこんな感じで、やたらめったらカーブです。
もうカーブだらけ。

なので、平地なら時速100キロ出せるこの車両も
時速30キロ程度しか出せません。

Uneune
高野線は昭和のはじめに開通したのですが、
そのころは、大阪の難波から極楽橋まで
急行で2時間半かかっていたようです。
何せ、高野線の電車の最高時速が38キロだったですし。

それでももっと昔は徒歩で高野山まで行くしかなかったのですから、
2時間半なんて、あっという間のことだったとは思いますが。

現在は難波から極楽橋までは特急で1時間20分 
快速急行で1時間36分
ですから、速くなったなぁ、と思います。


終点の極楽橋に近くなったので、車掌さんが乗り換え案内の
アナウンスをはじめたのですが、日本語のあと、
英語で乗り換え案内をしていました。

特急ですと、録音された外国語の案内が流れるのですが
快速急行は、車掌さんが生で言っていました。

車内では結構な数の外国人(主に欧米系)を
見ました。

南海電車の場合は、関空路線もあるし、高野線も
外国人がこんなに多く乗っているので、必要に迫られて
生で外国語アナウンスをしないといけない、のだろうな、
と思いました。

電車は10時36分、極楽橋に着きました。

Gokuraku1

ここでケーブルカーに乗り換えます。
ケーブルカーの車内案内は英語とフランス語でした。
英語はともかく、どうしてもう一つの言語として
フランス語が選ばれたのかは謎です。
(前に来た時も思ったのですけれども)
Gokuraku2

ケーブルは5分ほどで高野山に到着しました。

長くなりました。今日はここまでといたします。

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17. 08. 13

「くま」へ(3)

○治に目下建設中のリカちゃん大学の獣医学部
ですが、今回は大臣への答申を見送って保留にした、
というニュースが先日流れました。

このニュースを見た時、謙介は
ああこれは最終的に通すぞ、ということなのだ、
と思いました。

もし仮に答申はしない、設置認可もしない、
ということであれば、
今回の段階で、文科○はリカちゃん大学に言って、
申請を取り下げなさい、
と言っていたはずなのです。


でも、それをしないで、
「保留」ということにしたのは、次で通すぞ、
ということだと思いました。

今回の申請には、設置自治体の首長の意見が
添付されています。
地元自治体としてもこの大学の設置に賛成していて
協力したい、という一筆です。


単に学校法人だけが申請手続きをするより、そうした
自治体のトップの意見が添えられた場合、
特に申請は通りやすいのですよ。

文科○としても、そういう付帯意見のある申請書を
むざむざと、書類不備、あきまへん、ということは
言いにくいですからね。

ですから、今回の答申見送りのニュースを見て
ああこれで来年の春にはできるな、ということを
思ったのでした。

       ×       ×       ×

それでは、
話をそのリカちゃん大学の場所から、75キロほど
南の場所に戻しましょう。
くまのはなしの続きです。

くまに、地元では有名なお菓子屋さんがあります。

田舎のお菓子やさんなので、
洋菓子だけ、とか、和菓子だけというのでもなくて
まんじゅうも作ります、ケーキも焼きます
バレンタインのころには、チョコレート菓子だって
売ります、というお店で、
洋菓子・和菓子なんでも作る、
というお菓子屋さんなのですが、、

吉野○さんというお菓子屋さんです。

Yoshinoya1
ここの今のご店主のお父さんが、もともと長崎の人で
学校を卒業してすぐに長崎のカステラの老舗、福○屋に入って
カステラづくりの修行をしたそうです。 

その後結婚されて、
奥さんの実家のこの街に来て、古い家を買って
そこを店にした、ということで、ここにカステラのお店が
できた、ということでした。

店内に入ると、カステラを焼く、甘いにおいが
店中にあふれていました。
先日、先代のお父さんがけがをされた、
という話を聞いていたので、今はおそらく
息子さんが焼いているのだろうと思いました。

Yoshinoya21

つまりはこのお店のカステラは福○屋と同じ製法で
作っている、ということなのです。

地元の人も、ここのカステラがおいしい、というのは
多くの人が知っていて、知り合いのおばあさんに
くまに行きます、と言ったら、
ここのカステラ買うてきておくれんかな
と、購入を頼まれたほどでした。

カステラは、10切れにスライスされた簡易包装のものと
金色の箱入りのものがあります。(箱入りのほうが
もちろん値段が高い)
普通に家で食べる、というのであれば、
簡易包装の箱なしでいいのです。

Yoshinoya22_2


カステラを買ったのは言うまでもないのですが、、
もうひとつ、「ロシヤ好み」という銘のお菓子が
ありました。

ちょっと変わった名前なので、
「どうしてロシア好みなんですか? 」と
応対に出てこられた、(たぶん二代目の奥さんと思われる)
女性に謙介聞いてみたのです。
そうしたら「イメージです」ということでした。

家に帰って先にロシヤ好みのほうをいただいてみました。

ロシア好みは、こういう金色の紙に包装されています。
Yoshinoya2

さっそく中を開けてみます。
しっとりとしてはいますが、それでもややかため
クッキーの生地にクリームが挟まれている、という
お菓子です。

ロシアケーキって、
こんなのがそうなのですかね。

京都の村上○新堂のロシアケーキも
こんなふうな、ややかたい、でもしっとりとした
生地のお菓子でしたし。
Yoshinoya3

二つに割ってみます。
黒っぽく見えるのはレーズンです。
クリームはバニラの香りでした。
Yoshinoya4

夏のせいなのか、売れるお菓子に絞っているのか
お店のケースにあったのは
カステラと、 ロールカステラと、
栗まんじゅうとこのロシア好みの4種類しか
ありませんでした。

で、肝心のカステラなのですが、、、うーん。
ちょっと期待が大きすぎたのでしょうかね。

カステラですからねぇ、、

Yoshinoya36

まぁ、無難なカステラの味ですね、というところでした。

予想を裏切らない、といえば予想を裏切りはしませんでしたが
普通、というようなものでありました。

今度は秋になったころに、紅葉を見に出かけたいと
思ったのでした。
これで今回のくまのおでかけの話はおしまいです。
お読みくださいまして
ありがとうございました。


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