お出かけ

12. 03. 26

バリアフル(2)

ホテルに着きました。
ここのホテル、って、京都にいた人間にとっては
言うときの区切りをどこでするかが問題なんです。

今では京都ホテルオーク○なので、たぶん
京都、ホテルオークラ、ということなのでしょうが
昔から京都にいる人間にとってみればここは
京都ホテル、という名前のホテルでした。

なので長年の習慣でつい京都ホテル、と一気に
言ってしまった後で、オーク○をつけてしまうんです。
言い方の習慣、ってあるために
京都ホテル、 おまけで、オーク○ と何度もやってしまって、
結果どうしても語感がしっくりこないんですよ。

さて。
チェックインをして荷物を部屋に運んで
(ベルボーイさんが運んでくれたので
ホッとしました。)

こんなお部屋でした。


Oheya

お部屋はきれいな西向きのお部屋で
京都の市内が一望できます。
このホテル、京都でも17階建と高層建築です。
古いホテルの建物から、新しい現在の建物に
改築するとき、ビルの高さもすごく高くしたので
大問題になりました。 というのも
京都市内からは比叡山~東山、という山の稜線が
きれいに見える、という眺望のすばらしさが
あったわけです。ところがこのホテルが高層建築
となってしまうと、その山の稜線が断ち切られた形に
なります。加えて、そんな高層建築を建てて、京都の
景観が損なわれるではないか、ということでものすごい
問題になりました。 結局すったもんだの末に建設
されることになって今に至っています。

それはともかく、、。
ちらっと見た窓外の景色は京都の夜景がきれい
だったのですが、、。
こちらとしてはもうそんなのんびりと
夜景が、、なんて言っているどころの話ではありません。


一段落したらお食事です。
ホテルの食事は諸式お高いので(笑)
なるべく近場で外に行こうと思いました。

観光客の行かない、京都の地元の人しか
知らないようなお店、何軒か電話をして
聞いてみたのですが、3月の休み前の日なんて
どこも送別会とか慰労会で一杯です。
何とか300メートルほど歩いた木屋町沿いに
ある豆腐料理の店の席が取れました。

またそろそろ歩いてお店に移動です。
10分少々で到着しました。
19日の京都、むちゃくちゃ寒かったです。
お店、階段はありませんか? と聞いて
おいたのです。確かに階段はありませんでしたが、
1・2段の段差がいたるところに。嗚呼。

もうその都度、そろそろと足を上げて、階段のぼって、、
と大声で叫んでは
移動の繰り返しです。
コースの豆腐料理を頼んだのですが
何せお年寄りのお世話で
正直言って、何を食べたのか、写真も撮れなかったし
覚えていません。
2人とも、一応自分で食べられはするのですが
気をつけていないと袖口におしょうゆをつけたり、
食器をひっくりかえしそうになったりしますし、
視野だって狭くなっていますから、
料理のはいったお皿を
ちゃんと眼の前に持っていかないと
見えていなかったりします。
食事も途中でうつらうつらして寝てしまいそうになるので、
「おいしい? 」とか「これはいかがですか?」とか
勧めてみたり。

ようやっと最後、お豆腐のプリンまで来たときは、
ちょっとため息が出ました。
今回の結婚式は8ヶ月くらい前に決まったのでしたが
決まったときに、出席について聞くと「行きます。」とのお返事
だったので、謙介も覚悟を決めたのでした。

でもまぁしんどいのはしんどかったのですが
家にこもっていないで外に出る、ということは
やはりお年寄りにとっても大切なことだと
思うのです。
生活上のはりになったのでは、と思いました。

でも、本当に都会っていう場所は健常な人には
便利なのかもしれませんが、
お年寄りとか障害のある人には不便なところだな、と
改めて思いました。


阪急電鉄全体でいくつ駅があるかは知りませんが
その中で一番大きくて施設もちゃんと整って
いそうな梅田の駅でさえ、ろくに設備が整っていません。
トイレは不便な場所、エスカレータ、も少ない。
やたら段差が多いし、、
改札口や切符売り場は遠すぎ。
会社の戦略(ピタパを使わせるようにしている)
なのだろうとは思いますが、交通弱者にとっては
不便の極致です。

日本は高齢化社会になっています。
繰り返しになりますが
俺が中学校だったころには、
日本の人口は1億を超えたら
大変な食糧危機が来るから
人口は少ないほうがいい、と言っていました。
マスコミなんて今では毎日
少子化少子化、って騒いでいますが、ウン十年前までは
増えたら危険、って言っていたのですから
謙介はどうして減ったらだめなの?
って思います。そういうふうにしたかったんでしょうに?
理想通りのどこが悪いのさ、とか。
人口政策なんてその時々の都合でどうとでも
変わるんですから、本当に人間って勝手なものだと
思います。

お年寄りに車の運転は止めて公共交通機関を利用せぇ、
というのであれば、そういうお年寄りが
使いやすい交通機関の設備なりダイヤなりに
なっていないといけないはずですが
全然だめです。
パソコンだってお年よりには非常に使いにくい代物です。
よく小さな□とか○にチェックを入れろ、という指示が
ありますが、あんなもの、手の細かな働きの鈍っている
自分で服のボタンでさえ止めにくい、と言っている
お年寄りに、場所を合わせてクリックなんて無理です。

施設も非常に使い勝手が悪くて問題だらけで
バリアフリーではなくてこれではバリアフルじゃないか、と
思いました。

今、若くて元気な人だっていつかは
歳をとります。なかなかそんな年とった自分なんて
想像しにくいのですが、謙介も今回の旅行ではこうした
周囲の状況もあって、そういうふうに歳をとって
いく自分というものを考える機会になりました。


それからホテルに戻って今度は入浴です。
いつもは介助なしで入っている、ということだったので
お風呂にお湯を入れて、入ってくださいね、
と言って外に出ました。
それが1時間経っても出てこないので
これはと思ってバスルームに行ったら
浴槽の中で寝ていました。
起こして、身体を拭いて、お風呂から出てもらって
着替えをします。
またこの着替えが、、、
で、寝るときになって、はたと思い出しました。
おしっこ大丈夫日やろか、と。
ベッドサイドの椅子に座ってもらって、「ちょっと出てくるから。」
と大声で言ったら「分かりました。」と言ってくれたので
(本当に分かったのかどうかは不明。)
急いで1階フロント脇の、コンシェルジュのディスクに行って
「尿漏れ防止のパンツはありませんか? 」
と聞きました。
ない、ということでしたが、相談して、客室係の方に
防水シートを持ってきてもらうことにしました。それを
ベッドに敷いて、ということにしたのです。

お風呂から上がって、下着も着替えて、
おじいちゃんうつらうつらしていたので、
もう寝てもらいました。

なんだか明日が思いやられるなぁ、とも
思ったのですが、俺もお風呂に入って、
明日の日程のチェックをもう一度したら
疲れがどっと出て寝ました。


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12. 03. 23

バリアフル(1)

今回、孫の結婚式に参列するお年寄りの迎えに
阪急の梅田に行きました。
高速バスでとにかく梅田まで来てもらって
ここで何とかしようと、ということにしました。
本当なら京都直行のバスがあればよかったのですが
京都行きって、朝と夕方しかありません。

大阪行きのバスもJR大阪駅に着くバスが
あるのですが、それはダメ、と思いました。
なぜならバスターミナルから大阪駅に入って
さらに切符を買って、東海道線の上りのホームまで
行かなければなりません。これを読んでくださって
いる方であれば、そんなもの10分以内に
行けるでしょう。ですがお年寄りですと、その移動だけで30分は
かかります。
その点、阪急の梅田のバスターミナルですと階上は
阪急の梅田駅です。確かにどうしても歩かないと
いけないのですが、距離ははるかに少なくて済みます。

到着したバスのところに行って、おじいちゃんを呼びます。
耳が聞こえないので、大声で「着きましたよ。」と叫びました。
おじいちゃんがまだ謙介の顔をちゃんと分かってくれて
いたので助かりました。 ニコッと笑って、「はい、
わかりました。」と言ってくれます。

バスから降ろして、そろそろと歩きます。10メートル先の
横断歩道まで行くのさえ、結構かかります。それに梅田です。
みんな好き勝手な方向に歩いています。それをかいくぐって
ぶつかるのを防ぎつつ、歩いていかないといけません。
歩道と車道だって段差が大きくあります。
普通の人なら、ぽんと上下できる段差も下を見る、なんて
しませんから、一々、おじいちゃん階段、と叫んで
降りてもらいます。

あ、 と思いました。

梅田駅に行くの、一番近い通路、階段だったのです。
エスカレーターではなかったのでした。
仕方がないので、おじいちゃんに階段です、と言って
手すりを持ってもらって、一段一段上がってもらいました。
でも人通りが少なくてかえってよかったかも、、とも
思いました。エスカレーターの大変な人ごみの中、
うまく乗ってもらって、片方に立ってもらって、
というのも考えたら結構難しいものでしたし、、。


梅田駅に到着です。

切符を買いますが、この切符売り場が駅の中央しかないんです。
京都線のホームは東端のほうなんですが、一々中央のほうへ
行かないといけません。改札口は東・中央・西と
3ヶ所あるのですが、端のほうの改札はICカード
専用です。謙介はエメラルドピタパ(阪急・阪神のICカード)
持っていますからその改札口を使えますが、紙の切符の改札は
真ん中しかありません。 でも京都線のホームは東の端のほうです。
東の端から真ん中に行って、また東のほうへと
結構な距離を歩かないといけません。

都会というのは、身体の自由の利かない人にとって
何と不自由な場所なんだろうと思いました。
バリアフリーではなくてバリアフルです。


京都線のホームと、先発電車の確認をします。
通常阪急の梅田駅では、1号線が
京都行きの特急のホームなのですが
時間帯によっては、2号線に移動している時間が
あって、1号線は北千里行きの電車の発着ホームに
なっていたりします。ああめんどくさ。

やはり確認して正解でした。この時間では
2号線から河原町行き通勤特急が出ると表示にありました。
でも、次のにしようと思いました。
後3分の発車では階段を上がるのは無理ですし、
乗ってもすでに混雑していて立っていないといけないでしょうから、、。

ホームに着くと電車が十三目指して走り去ったところでした。
次は、快速急行でしたが、これに乗ろうと思いました。
入ってきた電車がクロスシートの特急車輌だったのでホッとしました。

45分で京都河原町です。

乗ってから、おじいちゃん、便所行っておいたほうがよかったかなぁ、と
思いましたが、なんたってトイレはまたホームの一番南端です。
もういいや、と思いました。

今まで謙介の人生でおそらく1000回以上、阪急電車に乗った
と思いますが、これほど河原町に早く着いてくれ、と思ったことは
ありませんでした。長岡天神、桂、西院、大宮、烏丸、と
停まるたびに、えっと、後、いくつ停まるんだっけ、、とイライラしました。

何とか河原町に到着です。
河原町駅ではエスカレーターに近い場所の車輌に乗っていたので
さっと上がることができました。
高島屋の横を通って、河原町側にある、タクシー乗り場に行きました。
「ホテルオークラまで。」と言ったら、運転手さんさすがに
ちょっとムッとした表情でした。そらそうやろ、でしょう。

俺だって、一人だったらそんなもん歩いて行きまっせ、です。
でもじいちゃんを混んだ市バスに乗せて、河原町御池まで
というのは時間もかかりますし、降りてまた歩かないといけません。

そんなこと全部承知していましたけれど、タクシーにお願いしたのです。
河原町通りがさすがに混んでいたので10分ほどかかりましたが
こうして何とかホテルオークラに到着することができたのでした。

お迎えその1はこういうことでした。
後、おばちゃんが東京から新幹線で来るので
じいちゃんはいとこに見ておいてみらって
またお迎えに。
おばちゃんは、元気な人なんですが、新幹線ホームから
後の京都駅の構内が分からない、ということなので
行ってお迎えをしました。
おばちゃんしゃべるしゃべる。
もう、ずーっとしゃべりっぱなしです。
おばちゃんは元気なので市バスでもいいか、とも
思ったのですが、荷物が多そうでしたし、
京都駅から河原町御池までだと、タクシーの運転手さんにも
嫌な顔はされまい、と思って、この時もタクシーにしました。

Hotel

左が京都市役所、その奥が泊まったホテルです。
披露宴はこの建物の17階でありました。
大きな窓の部屋がそうです。

1日目、半日お世話をしただけだったのですが
ここまでやってため息が出ました。
ああしんど。


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11. 09. 30

飛ぶ飛ぶとき飛べ、、

ということでバ行五段活用です。(笑)
実はここで「飛ぶ」を出してきたのは
意図があって、でした。


「飛ぶ」はバ行五段活用の動詞ですが、
最近の若い人と話をしていたら、
「え? 下一段活用ではないのですか? 」という
リアクションが返ってきて、謙介
ああ、やっぱりなぁ、と思ったのでした。

五段動詞を下一段というふうに
間違えさせた犯人は「ら抜き言葉」だと思います。
「食べられる」を「食べれる」とやってしまうあれです。

だもんでそういう人は、「飛ぶ」を「飛べる」と思ってしまうわけです。
そういう人は活用を「飛べない、飛べます、飛べる、、、」だと。
そうしたら活用語尾は、べ、べ、べ、、、となりますから
バ行下一段の活用でないの? 
という解釈が自然に出てくるというのが謙介の想像です。

飛べる、でおさまっているうちはいいですが
そのうち「飛べれる」なんて言い出したら
どうしよう、と思っています。

ただまぁさすがに「飛べれる」まではおそらく行かない、とは
思います。だって「飛べれる」は発音しにくいですから
どうしても発音しやすい「飛べる」へ行く、と思うので。
それにしても、、やれやれ、、。

で、今日もそのやれやれ、、のお話から
スタートです。
すいません。意気の上がらない話で。

やっと地の果ての羽田の第2ターミナル
68番搭乗口に着きました。
と、言っても搭乗まではまだです。


Haneda


しかし窓の外、パッと見には見えませんけれども
細かい雨が降っています。
まぁ雨が降っていても飛んでしまえば
雨雲の上ですから関係ない、って言って
しまえば関係ないんですけどね。

やがて、出発10分前になりました。
今回の機材はB6だそうで。やはり行きのトリプルセブンに
比べたら小型です。
搭乗前手続きで嫌になるほど「もし天候不良で
着陸できない場合は羽田に引き返します。」と
言っていましたが、もう一度その旨のアナウンスが
ありました。
飛行機は平日で、しかも「条件付」のせいか
えらく空いていました。

俺の列、俺以外にだーれもいません。
やがてドアが閉まり、ゴトゴトと機体が
動きはじめました。
搭乗口も端なら、今日この飛行機の飛ぶ、
滑走路も新しい沖合いにさらに埋め立てた
滑走路のようで、橋を渡ってえらい遠国まで
ひきずられていくようで、延々とゴトゴトと走っていきます。

今日の飛行機はスクリーンが故障していなかったよう(笑)で
スクリーンで非常用設備・脱出方法のご案内を
していました。

気がついたら非常用設備の説明も終わっているのに
まだ滑走路の端まで行こうとして延々と走っています。
ようやっと端まで来たようで飛行機は停止しました。
「それでは離陸いたします。」のアナウンスがあって
滑走路を走りはじめました。

外の景色が見えていたのなんて飛び上がって1分
だけです。後は雲の中です。五里霧中。
やがて雲の上に出ました。
さすがに雨雲の上はきれいな夕焼けの空が拡がっています。
水平飛行に移ってすぐに機長からの
搭乗御礼と今後の飛行の説明がありました。

今のところ目的地空港の上空は雨雲があるが
着陸に支障となるような状況ではない。
(なーんだ大丈夫ぢゃないか。)

しかし、山間部の空港なので天候の急変が
あり得るので、当機が到着する時刻に
そういう視界を遮るような状況になって
いるかもしれない。(またそんな。)

その場合は何度か着陸を試みる。(れっつとらい。)

そのとき着陸して急に上昇する場合もあるが
問題はないので(ホンマか。)安心をされたい。
(えーー急上昇して本当に大丈夫??)
というアナウンスがありました。

飛ばない、飛びます、と羽田で五段活用のような
ことを言った飛行機でしたが、全く揺れもなく
順調に飛行をしてくれています。
やがてCAのおねいさんが飲み物、ということで
ワゴンにお茶とリンゴジュースを持ってこられました。

それ以外の飲み物は有料になったのでした。
そのことは年に何度かくる『あなびじょん』の
お知らせで知っていました。


Ana11

今年は全日○が国際線に進出して25周年だそうです。
俺が初めてニューヨークに行った時も実は
全日○でした。 
でも、あの時は成田⇔ニューヨークという路線は
全日○にはなくて、成田⇔ワシントンだったと思います。
ダレス空港まで全日○で行って、ダレス空港から
ニューヨークのラガーディア空港までユナイテッドに乗った
記憶があります。

その頃、全日○はまだ国際線に参入したものの
いろいろなところに不慣れで、預けた荷物が
とんでもないところに行った、という話をよく聞きました。
ニューヨークでドキドキしながらトランクの出てくるのを
待っていた記憶があります。(結局ちゃんと出てきました。)

そんなことを思っていたら
ポーンとチャイムが鳴って、着陸態勢に入ります、
とアナウンスがありました。
とうとうきたか、です。(笑)
もう外は暗くなっていました。再び雲の中へ入っていきます。
またしばらく五里霧中状態です。緊張しながら何も見えない窓の外を
ジーっと見ていました。
その間も飛行機は降下していきます。
まだいっこうに何も見えません、
と思ったら、前方のスクリーンに突然光の帯が見えました。
滑走路が見えています。
ここまできたら着陸できるやろ、と
思いました。
やがて自分の横の窓にも暗い中にもぼんやりと
外の風景が見えはじめました。
みるみる飛行機と滑走路の間の距離が縮まっていきます。
ドン・ドーンと2回ショックがあって、飛行機は無事に
着陸しました。
何とか羽田⇔四国遊覧飛行にならなくて済みました。

滑走路を走りながらかける逆噴射のエンジン音を聞きながら、
フーッとため息が出ました。
誰も拍手なんてしなかったですが
個人的には拍手をしたいくらいの気持ちでした。
そうして飛行機はゆっくりと空港のターミナルビルの前まで行き、
静かに止まったのでした。

駐車場にとめてあった車に戻り
一度実家に戻って、それから仕事場の街に
車で向かいました。
実は実家から仕事場の街に行くほうが
土砂降りの雨で大変だったのですが、、。
まぁそういうことで、台風の中、何とか
無事に戻ってくることができました。

東京でお会いしたみなみなさまには本当に
お世話になりました。実際にお会いして
話ができたこと、本当に楽しくうれしかったです。
ドキドキするような一時でした。
これで東京出張のお話はおしまいです。
長々とした(いつものことですけど)文章に
おつきあいくださってありがとうございました。


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11. 09. 29

飛ばない飛びます

今週号の朝日のアエ○に羽田空港の提灯持ち記事
があって、その見出しが
「便利に快適で楽しく、進化する東京の玄関口」
とありました。ふふん。

Haneda10


その羽田に向かいます。
新橋から浜松町は一駅なので、京浜東北線でも山手線でも
どっちでもよかったのですが、京浜東北線は事故で
停まっていたため山手線で、ということになりました。
ホームでみつけたんですけど、
この標識って何の標識なのでしょう。


O


確か、神田の駅にありました。
ハングルの「オ」みたいな記号。ハングルだったら意味は
数字の5です。 イル・イー・サム・サー・オですが。
5番ホームではなかったですから、ハングルの5でも
ないですよね。これは何のしるしなんでせう。

浜松町で降りて、モノレール乗り場に行く途中
本屋に寄って、帰りの機内で読む本を探します。

場所柄ですかね。ビジネス関係の本がすごく多くて
平台でどんな本が置いてあるのか見てみました。
一番多かったのがリーダーは何をなすべきか、という
テーマの本のようでした。
実は昨年と今年と継続して受けている研修の
テーマの一つにそのリーダーとかリーダーシップに
ついて、ということがあります。謙介は自分では
リーダーの器では全くありません。
(横で茶々入れる係ですね。)

ただ、今までにいろいろな人を見てきて、ああ、こういう
人なら自分がリーダーとして尊敬できるなぁ、とか
これは全然ダメ、といろいろな人は見てきました。

政治の世界では本当にこの国、まともなリーダーが
情けなくなるくらい払底してしまいました。
たぶんそういう危機感の表れなんでしょう。
こういう本の出るのって、、。

ということで謙介さんはリーダーとは全然関係ない本を
買いました。(笑)

Map1

東京今昔散歩という本です。
明治期に印刷発行された写真彩色絵葉書と
今のその場所の写真を対比しつつ、
その場所は江戸時代はこうでそれが
明治になってこういうふうに変化して
戦災で焼けて今はこうなりました、という
本です。すごく面白かった。
リーダー論の本なんかよりずっと。

Map2

実はこの文庫を買ったときに、このブックカバーをつけて
くれました。思わず謙介さん、「あ! 」と声をあげそうに
なりました。

Dan

京都に住んでいた人間でマンガの好きな人なら
おそらく同じ反応をしたのではないかと思います。

京都の四条通にマンガの本の品ぞろえのよい
ブックス談という本屋があります。
近くに淳久○ができて苦戦しているんですけど、
謙介はマンガの品ぞろえのいい談を応援しています。

この浜松町の本屋さん
そこの系列店だったので同じブックカバーだった、
ということです。
談はその昔は、京都にはもう一店舗、嵐電の
北野白梅町の駅の北側のビルの2階にも
ありました。

白梅町なら常盤からだと嵐電でもいいし
自転車でも行ける距離だったので、よく白梅町の
談には行きました。でもいつのまにか白梅町の談も
なくなって、、今は京都の談は四条通りの店舗だけに
なってしまいました。

懐かしいブックカバーに思わず声をあげそうになった、
ということだったのです。

本を買って階上のモノレールのホームに行きますと、
快速便が発車しそうだったので、それに乗りました。
これだと停車駅が少ないのでやはり所要時間が早いです。

謙介、いつもモノレールの車内から
浜松町の近くのオフィスビルとか
マンションとか天王洲アイルのあたりの
倉庫のビルとか眺めるのが好きです。
何せ田舎には絶対に無い風景なのでついつい
眺めいってしまうのです。

この日も窓際に立ってそんな風景を眺めていました。
やがてモノレールは地下にもぐり、第1ターミナルを経て
終点の第2ターミナル駅に停まりました。
ホームにある画面で確認すると、謙介の乗る飛行機
68番からの搭乗、とありました。

お、これは飛ぶのか? と、ちょっと期待しました。
でも、そんなもの、行って実際に見ないと
わかんないじゃないか、と思いなおして
全日○のカウンターへと急ぎました。

2階に上がって電光掲示板に目をやると、
俺の乗る便と八丈島行きだけ
「現在天候調査中」と
なっているではありませんか。
ほらみろ、やっぱりわかんないんだ。

飛行機の出発は16時55分で
その時、15時40分でした。
そのとき電光掲示板の文字が変わり
16時10分に決定します。しばらくお待ちください。 
となりました。

後30分ですが、羽田は人が多いので何せ
ちょっとした手続きにも万事時間がかかりますよね。
荷物検査だって時間がものすごくかかります。
飛ぶか飛ばないかは分かりませんが、
とにかく手続きだけは先にしておくことにしました。

搭乗手続きのところでもやはり長蛇の列で、
早く来てよかったと思いました。そうこうしていると、
関空行きの人で手続きが済んでない
人がいて、関空行きを優先します、ということになって、
俺より後ろにいた6人くらいが先に手続きになったために
俺はさらにその人たちの後になって、先延ばしになってしまいました。

それでも少しずつ前に進んではいたので、
カウンターの様子もわかってきました。すると
一つの窓口だけずーっとおじさんがいて
その人が延々とクレームをつけ続けていました。
すんごい長い間。

だって、俺が行く前からそこにいて、ようやくその人の話が
終わって、その空いたところに俺が行ったんですから。
はぁ、地上職員さんも大変だなぁ、と思いました。

でも長らく時間がかかったおかげで新展開がありました。
16時10分にはなっていませんでしたが、
謙介の乗る便は「運行が決定しました。」となったのです。
ほっとしました。が、その後がありました。

「なお、この便は目的地空港で着陸できなかった場合は
羽田に引き返します。その件をご了承の上、ご搭乗を
お願いします。」と後段が加わったのでした。

要するに最悪の場合は、羽田⇔四国遊覧飛行で、
また羽田に戻ってきておしまい、ということです。

(おまけに途中で急降下の曲芸飛行までされた日には、、。)

でもいいや、と思いました。とりあえず乗らないことには
何もはじまりません。乗って着いたら御の字ですし
乗らなければ帰ることさえできないのですから。

そう思って手続きをしました。それからマイレージも
つけてもらって後は荷物検査です。

荷物検査ですが行ってびっくりしました。
だーれも検査のところにいなくて、行ったらすぐに
簡単にできてしまったのです。 
謙介の予想ではおそらく荷物検査のところで
20分くらい並ぶんじゃないか、と思っていたらなんと即座に
できてしまいました。

しかし、実はそれからが
本当に大変なんでございますよ。
ぎっちょんちょん。

最初にも言いましたけれども、
大体が第2ターミナルビルの
68番の搭乗口というのは
羽田空港ターミナルビルの地の果てです。

延々と歩く、動く歩道に乗る、歩く、動く歩道に乗る、と
繰り返していい加減疲れたなぁと思っても、
まだ65番搭乗口だったりします。
行くのは68番です。
まだもっと先です。


別に空港は大きくしたいのであれば
大きくしてもいいから、
遠い搭乗口まで行かされる
お年寄りとか障害のある人が困らないような
構造にして欲しいと思います。

羽田空港は元気なビジネスマンだけが
利用するのでもないでしょう。

外国の上海とかソウルとかニューヨークとか
ワシントンの空港も使ったことありますが
羽田みたいに延々と歩かされた記憶はありません。

羽田って全くもってバリアフルの空港施設だと思います。


こんな施設なのに、冒頭で書いたように
「便利に快適」だそうで。
どこが便利なの? どこが快適なの? 
不便で疲れるだけの空港じゃないか、って思います。

さて、延々と歩かされた地の果てにようやく68番の
表示が見えてきました。

搭乗手続きのカウンターに並んで、手続きをして、
荷物検査場に行って、チェックを済ませて
遠い遠いこのゲートに来るまでに45分もかかっています。

45分という時間に後3分足せば、新幹線の最速達の
のぞみであれば、岡山から新大阪まで
行くことができてしまう時間です。


こんな無駄な時間ががますます大きくなれば、目先の利く
ビジネスマンなら中距離程度の移動であれば
鉄道にシフトさせていくようになるんじゃないか、と思います。


都心から羽田までの移動
羽田での搭乗手続きと荷物検査
搭乗口までの移動
(搭乗・飛行)
目的地空港での荷物受け取り
目的地空港から市内への移動
飛行機での移動はただでさえロスタイムが多いのですから、
バリアフリー対策というだけでなくて
鉄道との競合としても、端のほうの搭乗口までの移動をもっと
便利に早くしないと、ますます鉄道へ客がシフトしていくでしょう。


実は、帰りの飛行機、最終便にはしませんでした。
最終便のひとつ前のにしたら、もし何かあっても
JRに振り替えて帰れるだろう、と思ったからです。
それに到着が6時5分です。
東京ではもうほとんど暗くなっていますが、西の四国は
まだ6時5分は明るかったりします。まだ明るい時間に
帰れる、ということもあって、その便にした、ということ
でした。しかし、その日は台風接近でどんより
曇っていて、明るいの暗いの、という場合では
なかったのですが。(笑)

68番に着いたのが6時20分でした。まだ30分も
ありますが、しばらく待合の椅子に座って本を
読むことにしました。大きなガラス窓に雨が吹き付けてきて
います。テレビの大画面では、気象予報士の人が
台風の進路について深刻な顔をして解説しています。
うーん。一応飛びます、にはなったけど、、
果たしてどうなるのでしょうか、、。
ということで長くなったので今日はこれにて。

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11. 09. 28

中央快速

朝6時に起きてまず外を見ました。
外は昨晩と同じで細かい雨が降っているようでした。
早速テレビをつけて天気予報を見てみました。
予報としては昨日の予報と同じで、台風の進路も
場所も大体予報どおりの進行のようです。
それ以上は分からないので
シャワーを浴び、それから食事に行きます。
1階の軽食堂でバイキング形式の朝食を摂りました。
食堂の帰りにPCコーナーでパソコンを開けてみます。
気になるのは台風の行方と、今日果たして飛行機は
飛ぶのか、でした。

台風はまだちんたらちんたらと時速15キロという
速度で鹿児島の手前の辺にいました。
午後3時でも九州にかかったかかからないか
の辺です。
飛行機は、と思いANAのサイトを見てみます。
飛行はできそうであるが、天候調査を行い
条件付飛行になる路線、やはり昨日より
対象空港の数が格段に増えていました。
もちろんその中に謙介の帰る空港もあります。
でも台風の進路がどうなるか分からない。
飛行機も分からない、そう自分で結論付けました。


7時半、チェックアウトを済ませて
オヤジに浅草寺のお守りを頼まれていたので
浅草に向かいます。
と言っても、その前に荷物を預けておきたかったので
新宿から中央線の快速で神田まで行って、そこから乗り換えて
山手線で新橋に行きました。ここでロッカーに荷物を預けて
今度は地下鉄で浅草に行きました。

Matsushitagate
この門、松下幸之助が寄贈した門なので、今も提灯が
↓こうですね。
Matsushitagate2

浅草の地下鉄の駅から地上に出ると細かな雨が
降っていました。まだ早朝でお天気もいまひとつなので
参詣客は少なめです。 あちこちから聞こえてくるのは
北京語。


うーん。ここで謙介さんちょっと唸ってしまいます。


Sensoji2


このちょうちん、「魚可し」と書いてあります。
変体仮名で「可能」の「可」は「か」と読みます。
だから読みは「うおがし」です。
このちょうちん、わざわざ魚可しの可に濁点を
つけているんですけど、濁点なんてつけても
つけなくてもいいものです。
大体が濁点なんてつける習慣はなかったのです。
かなで書かれた古い和歌の写本に濁点なんて
ついてなんていません。でも、ちゃんと濁点に
なるところではそのように読んでいました。

なんでわざわざ濁点をつけているのでしょう?
こんなふうに変体仮名に変に濁点なんか付けると
「みせけち」と言って字を書き間違えた符号に
なってしまいます。
「魚  し」ということです。
こっちのほうが余計カッコ悪くないですか?
濁点を打つなんて野暮じゃないか、って俺は思うんですけどね。
野暮は鯔背(いなせ)な魚河岸には似合わねぇぜ、
って思います。 

と考えているうちに本堂です。

Sensoji3


まぁいいや。
(最近謙介、おっさん化が進んで大抵のものは
まぁいいや、で済ますようになりました。
俺、魚河岸の関係者じゃないし、
もっと言ってしまえば、この「魚可し」と書かれた
ちょうちんの文字をちゃんと読める人が
どれくらい居るか、っていう
実際問題だってありますし。)


お参りを済ませます。

東に出て東武電車のガード下をくぐり、、
この東武電車の鉄橋、それから
浅草の松屋の建物、
戦前の頑丈な構造物、という感じで
味があっていいなぁ、と思います。

Tobu


それから前に実家の近所に住んでいて本社に転勤した
I本さんの会社が近くにあるので、寄ってうどんを渡して
おきました。 本人はこの日は出張だったので
守衛さんに託ておきました。

Iwamoto

I本さんの会社、この辺のランドマークです。

あ、そうだ、銀行でお金を下ろしておかないと、、。
もし、最悪飛行機が羽田を飛び立って、向こうまで行って
着陸できずにまた羽田に戻ったら、、東京もう1泊です。
おまけに帰り、飛行機になるやら、JRになるやら
分かりません。となったら、やはりとにかくお金が要る
と思ったのです。

Bank

で、銀行によってから中央線で四ッ谷の会議の会場へ。
会議はお昼に終わりました。四ツ谷からまた快速電車で御茶ノ水へ。
近くで勤務をしている友人とお昼をいただきました。

ここで質問です。御茶ノ水とか四ツ谷とか
文京区の音羽とか
このあたりには出版社がたくさんあります。
なぜだかご存知ですか?

Taishukan

(たとえばこれは湯島にある諸橋の大漢和で有名な大修館書○)


それは印刷会社がたくさんあるからです。
ではなぜこの辺に印刷会社が多いのでしょう?

Hijiribshi


それはここに川があるからです。(笑)
確かに一枚の紙は大したことのない重さです。
でもその紙が1000枚1万枚と重なったら
ものすごい重さになります。
そんな重い紙をどうして運んでいたか、といえば
トラック以前は神田川を船で運んでいました。
つまり水運輸送で紙を運んでいたのです。

トラックが頻繁に走るようになっても
しばらくは紙の輸送は水運によって
いたそうです。
そのためこの神田川沿いに印刷会社が多くできて
それで出版社ができた、ということです。

聖橋のたもとで交差する電車を眺めているうちに
友人がやってきました。
以前は別にいつでも会えるじゃないか、という
気がしていましたが、病気を持っている身ですし、
地震をはじめ天災がこうも多いと、いつ、どうなるやら
本当に先のことは分からない、ということが
にわかに現実味を帯びてきました。

それにがんセンターに通うようになってから実際に
あの時、ちょっと会うのをためらったばかりに
ということが実際今までに何度もあったのです。
会えるときにはできるだけ友達にあって
よい思い出をたくさん作りたい、というふうに
思うようになりました。

謙介にはろくな財産はありませんが、
こうしていろいろなお話のできる友人がいてくれるのが
何よりの財産のように思います。

友人とは毎日のようにメールのやり取りでいろいろと
話はしているのですが
やはり実際に会って話を聞くと会話がどんどん進みます。
最初、会議の終了時間がよく分からなくて
友人にも会えるかどうか、分からなかったのですが
会議の幹事に終了時間を尋ねて時間の調整を
した結果、何とか会えることになりました。
近くにいて、時間ができたら会える、という距離では
ないので、やはりこういう機会は大切にしてよかった
と思いました。

2時前に友人は仕事で忙しい中にもかかわらず、
わざわざ地下鉄の淡路町の駅まで送ってくれて
そこでわかれました。
銀座で地下鉄を乗り換え、再び新橋に
やってきました。

新橋から羽田だと、京急で行くこともできますし
次の浜松町からモノレールでもいいですね。

今回の旅のテーマは「いろいろな乗り物に乗る」だったですし
この日はモノレールに乗りたい気分だった(どんな気分や。笑)ので
JRで浜松町まで行って、モノレールに乗ることに
しました。 しかし、朝、航空会社のサイトで
見たように果たして謙介の乗る便が飛ぶか
欠航になってしまうのか、分かりませんでした。

もし、、飛ばないとしたら、仕事場に電話をして
明日以降のスケジュールの変更とか頼んでおかないと
いけない、とか、どことどことどこへ変更の電話をしないと
いけないか、とか、あれこれと考えながら新橋の
山手線のホームで電車の来るのを待っていたのでした。


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11. 09. 27

小田急線

まさぞうさんと新百合ヶ丘の駅でお別れをして
小田急線で新宿に向かいます。
向ヶ丘遊園の手前で電車は急に停まりました。
なんでも近くの踏み切りの中で自動車が立ち往生
してしまい、動けなくなった、とのことです。
田舎でもたまにこういうことがありますが
田舎の列車ダイヤなんて15分から30分に一本
走ればいいような間隔なので、新聞記事には
大抵「後続の列車に影響はなかった」となるのですが(笑)
都会の電車はそうはいかなくて、5分止ってしまっても
おそらく相当数の人の乗換えとか乗り継ぎに大きな
影響が出るんじゃないか、と思います。
俺の乗った電車も結局5分くらい停車したままでした。
車内では30秒おきくらいに車掌さんから
踏切内で車が立ち往生していること、
目下その車を移動させていること
処理が終わったこと
安全確認中なこと、と
適宜放送がありました。
もうそろそろかなぁ、と思いはじめたころ
車掌さんのアナウンスがあって、
「処理が終わったので出発します。」とのこと。
そうして電車は動き始めたのでした。

電車は新宿に到着。
本屋さんに寄って頼んでいた国文の研究書を受け取って
ホテルに行きます。 この日は新宿が歩行者天国のようで
いつも車がすごい勢いで行き交っている道路、のんびりと
人が歩いています。
でも、やっぱりウインドーショッピング、したいですよね、
っていうことで、やはりみなさん道路を歩くよりは
両側の歩道の部分を歩いている人のほうが
圧倒的に多かったです。

くだものやの高野のショーウインドーでは
こんなディスプレイがありましたよ。


Takano

さらに歩いて東へ。伊勢丹前に来ました。

Isetanmae2

伊勢丹前の交差点に南東角(○井の前)
新宿が宿場町だった時代の表示があります。
謙介はやはり市町村史にも興味がありますから
どうしても内藤新宿とか、そういう昔の新宿を
見ています。
と言っても若い人が行き交うこんな場所でのこの表示、
ほとんどの人は見向きもしないでしょうが。


Naito


ホテルに一旦荷物を置いて、
1階のPCコーナーからパソコンで気象庁の
予報のサイトを見ます。
やはり台風の進路が心配で、、
なんだかこちらに来そうです。
でも、20日の夕方はまだ鹿児島あたりなので
かろうじて家に帰れるかなぁ、と踏みました。
問題は飛行機です。
航空会社のサイトを見ると台風のお知らせがありました。
「20日も台風の影響は少なく、
飛行には差し支えないと考えられます。」と
あったので安心したのですが、
その下に目を移すと、、、。

ただし、以下の空港は天候の状況により着陸できない場合は
始発空港に引き返すか別の空港に着陸する恐れがあります。

その中に謙介が帰る空港の名前がありました。 がーん。
でも台風の予想なんて一夜にして大きく変わる場合だって
あります。とりあえず今のところは、ということで
PCを閉じました。夕方の5時です。

実はこの日の夜は「闇に響くノクターン」の闇太郎さんの
お家にお邪魔することになっていました。
お約束の時間は午後6時。
そろそろ出なければなりません。
ホテルを出て、再び小田急の新宿駅に向かいます。

Hokoten

ちょうど闇太郎さんのお住まいの最寄り駅に最速達
で到着する電車がホームに停まっていましたが、
もうぎゅうぎゅうの満員でした。
うーん。時間も余裕がありそうだし、
ここは都会だから行ってもどうせすぐに
次の電車が来るだろう、ということで
1本次のにしました。
途中で電話をして、時間通り駅に着くことが
できます、と連絡します。
駅までお迎えに来てくださるとのことです。

駅に着いてしばらくすると闇太郎さんが
おいでになりました。
ご挨拶をして商店街の中で氷を買ってお家に参ります。
閑静な住宅街の中に闇太郎さんのお家はありました。

お客さんをもてなすためにその「料理の材料」
をあちこち駈けずりまわって集め、そうして料理を作って
もてなす、という「ご馳走」の言葉の意味そのままの
ご馳走で、その上、闇太郎さんのお友達もご一緒くださって
話があれこれと進み、本当に楽しい時間を過ごすことが
できました。
話は、中世和歌、特に藤原定家の作歌事情の話、
そこから来年の大河ドラマの清盛の話になったり、
その清盛のドラマの中で語られることになっている
崇徳院、西行、というあたりの話で盛り上がりました。

謙介も学部の4回生の時のゼミが新古今和歌集でした。
そのゼミの先生は角川の国歌大観の編集者
でもありましたので
そういう中世歌集、勅撰集とか歌人のこともいろいろと
興味を持っています。

それからお互いブログをしているわけですが、
もうこれからは自分が何をなすべきか、ということを
考えて、いかないといけない、という話になりました。
今まではあれもしたい、これもしよう、こっちもおもしろそう、
とどんどん間口を拡げてきたのですが、これからは
「集中と選択」でいかないと、本当に満足した
自分の結果を残せないのではないか、ということです。
一体自分が目指しているものは何か、
そのためには何を削って、何に集中しないといけないのか
ということを明確にしなければならない、という
ことです。

闇太郎さんの場合ですと、目下取り組んでおいでの
翻訳にまず集中し、それ以外のものは、、
という軽重をつけないと、ということでした。
俺もそうですね、ブログにかかわっていると
本当にしなくてはいけないことが、ちょっとできない
場合があります。これからは、更新の頻度が
落ちますが、ちょっとそういうことを考えないと
いけない時期にさしかかっているなぁ、という
話をしました。

話は尽きなかったのですが
そんなお話を伺っているうちにお食事も終わり、
ご友人も失礼されました。
後片付けしたら闇太郎さん、新宿にご案内くださる
とおっしゃってくださいました。
そしてまた再び小田急に乗って新宿へ。
外は予報通りに細かい雨が降っていました。

それで新宿3丁目のタックスノットにお連れいただいて
たまたま来られた闇太郎さんのご友人が
加わってまたまた話が続いたのでした。
やはりお話は3月の地震のことになりました。
東京は表面上はあの地震の被害は
修理されて、もうほとんど痕跡もありませんが
やはり、直接お話いただく3月11日のことは
西のほうのテレビの画面でしか見ていなかった
人間には本当に驚くような話ばかりでした。

そうこうしているうちに楽しい時間はあっという間に
過ぎ去って、11時も過ぎてきたのでこの辺で
ということになりました。闇太郎さんと新宿の
駅近くまで行ってお別れしました。
その後、細い雨の降る中をホテルに戻りました。


明日は、、うーん。飛行機飛ぶのか。

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11. 09. 26

のりもの

このブログをお読みのみなさんのところ
先日の15号台風は被害はどうでしたか。
本当にちんたらちんたら行って
おまけに1回転までして、、
この時期日本では台風、ってやはり毎年の
ように来るものではありますが、
3月の大震災、こないだの12号台風で
大きい被害が出ている上に、、と思ったら
やはりどうかこれ以上もう被害が出てくれるなと思いました。
それでもまた今回も大きな被害があちこちで
出たようで、、。
テレビニュースの画面を見ながらため息が出て
しまいました。

さて。
先日の東京行きのお話をこれから少しします。

旅に出る、となるとやはりいろいろな乗り物に乗ることが
できるのが楽しみです。
(ただし、船旅だけは絶対に嫌です。離島で暮らしたときに、
謙介は自分の人生の一生分は船に乗ったと思うので、
もう船での移動はごめんです。)

今回もいろいろなものに乗る、ということだったので
いろいろなものに乗れるのを楽しみにしていました。

まずは乗り物に乗るためには、その乗る場所に出かけ
なければなりません。
ということで、ここからスタートです。

Kuko


この写真だけ見ても「へ? 」というものですね。
この場所は映画のセカチューの中で森山未○くんが
「助けてください! 」って叫んだ場所なのでした。

セカチュー、っていうと、
これをごらんのおそらくほとんどの方は
あああれね、でおそらく済んでしまう、と思います。
安っぽいお涙頂戴の映画じゃないか、とか。
中には「病人を勝手に連れ出しておいてアホか。」とさえ
書いてあったブログも見ました。

でもね、謙介、毎週がんセンターに行って、
「○○へ一度行ってみたいんよ。」と何度も言いながらとうとう
最期までどこへも出かけることができずに
そのまま亡くなってしまった人を何人も見てきました。

実際にそういう人が何人も周囲にいた身としては、
あれを映画のお話と、一方的に片付けてしまうことが
できないのです。
 
やはりどうしても現実の問題として
考えてしまう映画です。

もし、自分の家族とか身近に死期は近づいているけれど
「どうしても○○へ行きたい。」という願いを
持った人がいたら、あなただったらどうしますか?
病人のくせにわがまま言うな、って
言ってしまいますか?

あの映画を見ると、やはりがんセンターで出会った、
そうした人たちのことを思い出して、ふと
考えてしまうんですよ。

自分だってとりあえず今は、こうやって日常の
仕事をしていられますが、将来はどうなるのか
分かりません。 主治医は99.9パーセント悪化する
と言います。死ぬ前に一度○○に行きたい、
という場所があって、そこに向かおうとしていた、
そこへのあこがれの気持ちとか、
やはりダメだったときのものすごく深い失望感とか、、
やはりどうしてもそういうことが
リアルにこちらのほうに響いてきて考えざるを
得ないのです。

あ、話が重くなってしまいました。すみません。
最初はこれに乗ります。

777

カウンターに行って、手続きをします。
誰かさんときたらマイレージを別の”星組”加盟の航空会社で
貯めているので、カウンターのおねいさんにやってもらいます。


この日の初発便の機材は777。
ちょうどこの時刻、JLとNHが同時に羽田に向けて出発します。

搭乗時間になって飛行機に乗り込みます。
同じ時刻出発で、しかもJLより謙介の乗る
飛行機のほうが大きいのに搭乗時間は
JLより後でした。

この日はスクリーンが故障していたために
非常用設備のご案内は画面ではなくて
CAさんのデモンストレーション実演つきでした。
久しぶりに実演の非常用設備のご案内は
とても新鮮な感じでしたね。
そうこうしているうちに先に離陸するJLの羽田行きが
滑走路から離陸していきました。
謙介の乗った飛行機も続いて滑走路の端に止まりました。

エンジン音がひときわ高くなったと思うと
ゆっくりと走り出した機体はどんどん加速していって
あっという間に地面からふわりと浮いて地上を離れます。

田園の中の空港がどんどん小さくなっていきます。
この空港、3月の地震以来、見方が変わってきました。
というのが、四国のほかの3県の空港はすべて
海辺にあります。
ですが、ここだけ山の中の空港です。
今までは山間部で視界が悪くなって欠航が
多い、という批判が多かったのですが
東南海地震が起こった場合
津波の害を受けない唯一の空港、ということで
緊急時の輸送計画という側面から
にわかにクローズアップされてきている
と聞きました。


雲の間を抜けて飛行機はさらにさらに上昇を続けていきます。
 
やがて水平飛行になりました。

何を聞こうかな、と思って機内誌を開けたら
Tsubasanookoku_1
先週行った倉敷の特集でした。あはははは。


音楽で聴きたいのはなかったのですが
落語が米團治さんと米朝さんの上方落語親子競演。

米團治さんが「はてなの茶碗」、米朝さんが「鹿政談」。

ちょうどヘッドフォンを耳にかけてチャンネルを合わせると
米朝さんの声が聞こえてきました。
うーん。いつごろの録音だろう? この声だとたぶん50代のころかな、
と思います。
とすると30年くらい前かなぁ。

窓の下を見ます。

Sora2

奈良の上空とCAの方のアナウンスがありました。
ヘッドフォンから聞こえてくるのは米朝さんの「鹿政談」
これも奈良の鹿のお噺。

米朝さんの一席が終わって米團治さんの「はてなの茶碗」も終わったころ
飛行機の翼が補助翼を出しはじめました。ウイーン、ガチャンと
車輪も出たようです。
飛行機は東京湾を東から西に横断していきます。


アナウンスがあってまもなく着陸とのお知らせが入ります。
飛行機は定刻に羽田に着きました。
しかしまぁ四国便なんて、ローカル線の極致ですから
到着エプロンはいつも端の端のはるかかなたの遠国です。
そこからターミナルビル中央のバス乗り場まで
本当に根性を入れて歩いていかないといけません。
ここを歩くだけで15分くらいかかります。

ようやっと真ん中まで来ました。今度はバスに乗ります。
途中、バスは横浜の市内を抜けていきました。
(動いているバスの中から撮るのって難しいですね。)

Yokohama1

その日、お約束をしていたのは、うちのブログに
お話をくださるまさぞうさんです。 
待ち合わせの時間は11時、という
ことだったのですが、バスは道路の混み具合によって
到着時刻が大きく変わるので、時間通りに待ち合わせ場所の駅に
着くかしらん、というのがちょっと心配でした。

渋滞に巻き込まれず、羽田から1時間ちょっとで
まさぞうさんとの待ち合わせ場所に到着して
ホッとしました。
バスを降りると、まさぞうさんはすでにお迎えに
来てくださっていて、さっそくご挨拶をしました。

まさぞうさんがわざわざ自動車を出してくださって
向かったのが旧白洲邸の武相荘でした。
まぁ無愛想と場所が武蔵と相模の間なので
武相、とかけたんでしょう。

ここは1940年に白洲さんが戦争がはげしくなって
都心に住むことが危険になってきたので
パッと見に惹かれたこの鶴川の農家を買って
自邸にした、ということだそうです。
お引越しは戦争さなかの1943年だった、と
ありました。

最近白洲さんは静かなブームのようで
あれこれと本が出たり、ドラマにもなっています。
でも、謙介自身とすれば、どうしてあの人が
ブームになっているのかちょっとよくわかりません。
旦那の次郎さんは、終戦時の対米交渉をしたとか、
吉田首相のブレーンであったとか、あるのでしょうが
正子さんが何かしらの技量があったのか、
と言えば、本当によく分かりません。

字のセンスを見ましたが
うーん。正直言って趣味で昼間カルチャーセンターに通う、
っていうレベルですし、、。

各地の古寺とか工芸家を発掘した
プロデューサ的な手腕からでしょうかね。
出自が樺山家で、名家の出だったから、それがミーハーな
人の中にあるセレブ人間願望をくすぐるからでしょうか。

まさぞうさんのお姉さまもここに来られたそうでしたが
あまりいい印象ではなかったとか。
おふたりが使っていた家具什器類が、並べられています。
(展示、という感じではなくて、並べてある、という感じです。)
確かにもとのそれぞれのお品は良いものなのでしょう。
しかし展示のセンスがあまりにも、、ひどすぎました。
十把ひとからげです。

さっきから謙介、なんだか文句ばっかり言っていて
折角お連れいただいたまさぞうさんに失礼じゃ
ないか、とお叱りを受けそうですが、、
まさぞうさんのご厚意は本当に感謝しているのです。
それに一度来てみたかった場所でした。
(あんなふうに言っていてよく言うよ、と
言われそうですが、笑)

謙介がどうしてここに来たかったのか、と言えば
家はなかなかおもしろそうな家だと思っていたからです。

Shirasu1

建物は母屋と作業用の二階建ての家からなっています。
Shirasu2

内部は撮影禁止なので写真はありません。
さまざまな展示の中でことに興味深かったのは
やはり彼女の部屋の書架でした。やはりどういう本を
読んでいたのか、使っていたのか、ということは興味が
ありましたから。その並んだ本の中には俺が以前
町史編纂室で古文書の解読のバイトをしていたときに
書架にあった奈良市史だとか明日香村の発掘報告書
とか近畿圏の市町村の70年代から80年代に発刊された懐かしい
本がそこにありました。
俺もよく資料として使っていた『奈良市史』がありました。

ちなみに『奈良市史』の題字は聖武天皇の字です。
もちろん聖武さんの生きていた時代に奈良市はありません(笑)から
聖武天皇の書いた書物の中から集字をしたものです。


その本のコレクションを見ていると人となりが
見えてきますね。書架を拝見しながら
こういう本を見ていたのだなぁ、ということが
よく分かりました。

Shirasu3

もちろんこうして白洲邸のあちこちを見ている
間もまさぞうさんといろいろな話をしました。
Shirasu4

白洲邸を見てから、お昼、ということで
まさぞうさんが選んでくださっていたお店に行ったのですが
あいにく駐車場が満杯で入れませんでした。

まさぞうさんのお家に行って車を置きました。
どうぞ、ということでお家にご案内いただいてしまいました。
それからお昼をということで
お家の近くのお店に行ってお昼をいただき
解散、しました。

あっちこっち車を出してご案内いただき、
本当にお疲れになったのでは、と心配しています。
でも、日ごろメールのやり取りだけだったので、
実際にお会いして直接お話できたのが
本当によかったです。
さて。ここから小田急に乗って一路、新宿に向かいます。
今日はここまでにします。

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11. 09. 21

出張帰着

19日20日と東京に行っておりました。

Isetanmae1

出張で会議があったのですが、
そのついでに今までメールのやり取りだけで
お会いしていなかった方々にもお会いしたい!
という目的もありました。

昨日の帰りの飛行機は台風接近で
羽田のターミナルに着いて電光掲示板を見ましたら
「天候調査中」とありました。

飛ぶか飛ばんかはわかりまへんねん、
というのです。 それから20分ほどして
飛びまっせ、という案内がありました。
でも飛びまっせの後で追加がありました。
「一応目的地までは飛びますけど、悪天候で着陸できんへんかったら
羽田まで戻りますさかい、堪忍しておくれやっしゃ。」という追加です。

えええええ。最悪の場合は羽田から四国まで遊覧飛行かよ、、と思いました。
しゃれにならんやんけ、とか。
そのうち搭乗に時間になって飛行機はなんとか離陸しました。

1時間後、ただいまから着陸します、とCAから
アナウンスがありました。
飛行機が雨雲を突っ切った時、滑走路の連なるライトが見えました。
これだったら、できるんじゃないかなぁ、とも思いましたが
後は機長の技量まかせです。

しばらくするとドーンという衝撃があってエンジンの逆噴射音が大きく響きました。
ということで台風接近下ではありましたが、無事に
帰ってきたということです。
ちなみに今日のその便は欠航になっています。
1日違っていたら、帰れなかったところです。

それはともかく
田舎でひとりで毎日生活している身としては、
人に会ってお話をする、というのは本当に
久しぶりで、またいろいろな分野のお話も聞けて
とても新鮮で楽しい夢のような時間でした。

早くも闇太郎さんのブログではそのときの
ことをお書きいただいています。
またその時のことをあれこれとご報告したいと思います。

台風は東日本のほうを進んでいます。
これをお読みの台風の進路の方向のみなさん
どうぞお気をつけください。

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11. 02. 28

そや京都、いってきたろ。(その5)

御倉○さんでのお菓子の受け取りが若干早くに終わったので、
今度は歩いて北大路通りまで出ました。
千本北大路まで出て、右折し、北大路通りを歩きます。
(といってもこの辺は北大路の西の端なので、すぐに北大路は
おしまいになってしまいます。右奥に白っぽい建物が見えて
いると思うのですが、カトリックの教会です。ここの建物から
左方向 つまり南が西大路通りになりますから。)
その北大路のおしまいに近い角のはなふ○コーヒー店ノースで
ちょっと休憩しました。
Yamamoton

以前は京都に落ち着ける喫茶店があちこちにありました。
あ、落ち着ける、というのは、俺の場合、時間を気にせずに
お店で本が読めるというお店です。
河原町三条→藤井大丸となりに移ったちきりやもなくなって
妙心寺から東へ、下立売通りの伯楽町にあったみつばちもなくなって
やれやれ。今はこのはなふ○ノースが自分の中では
かろうじて、自分の中では落ち着ける店かなぁ、というところです。
ここは朝の7時半から夜中までやっていることも良いし、
本が読めるのがいいし、もちろんコーヒーがおいしいし。
小さいお店ですが、いまや貴重な喫茶店になってしまいました。
ここで、持ってきた本の3章を全部読みました。

Yamamotoya


今度は西大路通りを南に下ります。
時間がありますし、金閣寺前からはバスに乗る人が多いので
混雑する、というのもあって歩いて南に南に下がります。
広い駐車場になってしまった昔の農林年金会館跡の
前を通り、わら天神、バイカルのお菓子屋さんの
前を通って南に歩いて行きます。
平野神社はまだ花の季節ではないので、門前で軽くお辞儀を
して通ります。
さて。京福電車の北野白梅町駅に着きました。
Hakubaicho


ここから電車に乗ります。

Randen

京福電車、というより、嵐山に行くので京都の人は
大抵嵐電(らんでん)と呼んでいます。
ちょっと前の壽屋のCMにも、西院(さい)のところが
出てましたよね。


今年はその嵐電が開通100周年です。
電車の色、上の壽屋のお酒のCMでも
緑にクリーム色だったのに、、、謙介の中でも緑にクリーム色
だったのに、、最近では紫のようです。まぁここの電車
最近はしょっちゅう車両の色を変えているようなので
紫の電車でもあんまり驚きはしないのですが。
やっぱり源氏物語で紫にしてるのかしらん。


常盤で降ります。
Tokiwa


Randen2


写真奥に見えているのが府立の嵯峨野高○です。


以前お隣だったおばちゃんの家に行き、少し話をしました。
時はめぐり、世はうつり、おばちゃんの上にも俺の上にも
いろいろなことがありました。ほんの少しの間でしたけれども
わざわざここまで来てよかった、と心から思えました。
「また来ますし、、。」とおばちゃんに言いました。
「おおきに。」おばちゃんの声は暖かでなつかしくて、
俺はもう少しで泣きそうになりました。
「そうしたらまた。」
「元気で。」

おばちゃんの家を出て、すっかり変わってしまった
丸太町沿いに歩きます。
立体交差の横にあるこの木のたたずまいだけが、
以前と変わっていませんでした。

Sato


ここからは丸太町を通らずに、以前よく使っていた細い道や
ろーじをあっちこっちうろうろしながら、太子道まで歩きました。
すっかり変わってしまった家、変わらずに以前のまま
ある家、歩きながら、えーっとえーっと、と
以前の建物を思い出しながら歩きました。
太子道の総合結婚式場玉姫○、今、壊して
新築工事の真っ最中でした。
円町北西角の銀行、以前は三井銀行だったのが
太陽神戸三井になって、さくらになって、
三井住○になって、と、建物は全然変わってないのですが
ここ20年くらいの間に名前だけめまぐるしく変わっています。

Enmachi


円町のバス停で見たら、91系統のバスがもうじき来るようでした。
91系統は四条烏丸市バスセンターから大覚寺までの路線です。
市バスの路線の中で謙介が一番数多く乗った路線だと思います。
久しぶりにバスの時刻表を見ると、以前に比べて
便数がものすごく減った印象を受けました。
以前は、1時間に4本くらいありましたし、朝夕は8本くらいあったのに
今は昼間は2、3本になり、朝夕も、5本くらいになってしまっていました。

91番のバスで四条烏丸に出ました。時間はもう4時半です。
Daimaru
やはり大○といえば孔雀ですね。

談と淳久○と本屋をはしごして帰りのバスの中で読む本を買い、
大○前の志津○でパンを買って、四条から地下鉄に乗りました。
地下鉄の烏丸四条の駅にいろいろお店ができていて、ちょっと
びっくりしました。
京都駅に着いたら5時半でした。
Kyotosta

京都タワーも輝いています。

Ekimae1

しかし、考えてみたら、
駅前周辺もすっかり建物が変わってしまいました。
京都タワー、かつて市電が走っていたのを見ていた
数少ない建物になってしまったなぁ、と
建物を見上げながらそう思いました。


空を見上げるとジェット機が。

Ekimae2

さて5時45分です。
帰りのバスが入ってきました。
この分だと
9時過ぎには家に帰りつけそうです。
東山区からはじまって、下京、中京、北、
右京、と忙しく歩いた旅もおしまいです。
夕焼けをしみじみと眺めながら
バスへと乗り込んだのでした。


これで今回の京都のお話は
おしまいです。

ながながと(恒例ですが。笑)お付き合いくださいまして
ありがとうございました。

(今日聴いた音楽 京都慕情 渚ゆう子歌
 2000年盤 音源はCD 
 ♪遠い日は二度と帰らない
 夕やみの東山ぁぁぁっと。)

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11. 02. 25

そや京都、いってきたろ。(その4)

おなかがいっぱいになって再び出発です。
北大路バスターミナルから市バスで西に向かいます。
さて着きました。
Funaoka1

今から登山です。(おおげさおおげさ)
船岡山にのぼります。
船岡山、山とありますが岡です。

清少納言さんだって、岡は船岡、って
枕草子に書いてありますからね。やっぱり岡ですよ。
でも、岡はねぇ、って彼女が思ったとき、この船岡が
いの一番だったのは、やはり彼女にとって、ここは
格別な何かがあった岡なのかもしれませんね。
船岡山には織田信長さんをおまつりした
建勲神社があるのですが、それは今日は
割愛いたしました。


ここは今でこそ公園になっていたり
ワタナベジュンイチの小説の舞台になっていたり

(高校の時にワタナベジュンイチの小説で「野わけ」というのを
はじめて読みました。このお話のヒロインが確かこの船岡山の
近くに住んでた、と記憶しているのですが。しかし、何だって
高校の図書室にワタナベジュンイチがあったのか、、。まぁいいや。)

しますが、元々この船岡山は神さまへの祈りの場所であった
時代もありましたし、人が死ぬとその遺体を埋葬したり
時期によっては、そのまま死体をここに置いて帰ってくる場所
であったりしました。吉田兼好さんも徒然草の中で
「鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも送る日多かる日はあれど
送らぬ日はなし」とありますし、、。

応仁の乱の時は、山名氏や一色氏がこの岡に陣を構えました。
Funaoka2

応仁の乱の時に、この岡を含めてこの岡の南一帯に陣を作ったのが
西軍だったために西陣、になった、わけですし、、。

標高は大して高いものではないのですが、のぼってみると
やはり陣地を築いた理由が分かります。
京都盆地が南に向かって次第に低くなっているせいもあって
広く見通すことができます。そして雄大な眺めです。
謙介もすごく好きな場所です。なので、わざわざ時間を
とってここにのぼってきた、という訳なのでした。

東の比叡山から東山方向、(大文字山もみえています。)です。
Higashi

南の京都市中心部方向です。
Minami

南西の右京区方面です。真ん中に小さく双が岡が見えています。

Nansei


それから北西の左大文字方向です。
Hokusei

北方向を撮るのを忘れていましたが、
ここは8月16日の五山送り火の日は
大文字、妙法、舟形、左大文字と4つ見えますから、
この岡の上はそれはそれはとてつもないことになるんです。

この岡の上にわらわらと1万人くらいの人がやってきて、
大文字を見る、ということになるんですよ。

もうね、炎天下をものともせず、16日の昼過ぎから
場所取りで大混雑して、、それはそれはすごいことに
なるんです。まぁそれ以外の季節は
静かなものですが。(笑)

(もうちょっと下がった大将軍の府立医大花園校舎
の屋上だと嵯峨の鳥居も含めて5つ全部見えますが、
でもここは一般の人は入れませんし、、。)

Kozobutsu

岡の頂上にこんな建物がありました。
今は何にも使われていないようですが、、
トイレか、何かの通信施設だったのかなぁ、と
思われます。おそらく戦前の意匠ですね。
こういう塔に丸みのあるデザイン、って。


さて、登山の一大事業も無事終えることができたので(笑)
ここから北のほうに歩きます。
今宮神社の門前でお参りをしてさらに北へ。
今日はあぶり餅もパスです。

Kotsukoen


さて。大宮交通公園です。
小さいときに家族でここにゴーカートを乗りに来たことがありましたが
あれからもう、、考えたらすごい年月が経ってしまいました。
この日も父親と一緒に二人乗りのゴーカートに乗っている親子連れ
がたくさんいました。

しかし、最近のとうちゃんはいけません。
大体がここは交通公園で、いろいろな道路標識とか
正しい交通法規とか正しい交通ルールを子どもに
教える公園なのにですよ。
交差点の信号の停止線ぎりぎりで急ブレーキをわざとかけさせて、
車を急停止させる方法をガキにお子達に教えたり
していて、、。こらこら、です。まったくぅ、、。

謙介は何をしにきたか、といいますと
ここには昔の市電の車両が置いてあります。
Shiden1


中は図書室になっています。
Shiden2


ただ屋根はついているのですが、
あまり保存状態はいいとは言えません。
いやぁ、久しぶりに近所まで来たので
つい、ちょっと、、寄り道をしてみた、というわけだったのです。

電車の入り口のところに大人90円と書いてあって
本当に懐かしかったです。市電の廃止になった年、
昭和53年(1978)の市バス、市電の運賃、そうそう
90円やったわ、と思い出しました。


ここには北野線の電車も置いてあります。
Shiden3

やっぱり北野線は狭軌だったから、車両も小さいです。
こうやって実際に乗ってみたら、非常に違いがはっきりしました。
Shiden4


さて。
ちょっと早いのですがお菓子屋さんに行きます。

交通公園から程近い場所に
御倉○さんというお菓子屋さんがあります。

Mikuraya11

最初にここのお菓子を知ったのは
姉がお茶の先生のところからもらってきてくれたお菓子、から
でした。
はじめて食べたとき、 
それはそれは夢のようにおいしいお菓子でした。
「どこのお店の? 」
「御倉○さん。」
「どこにあんの? 」
「紫竹のほう。交通公園の近所やて。」
「ふーん。」
Mikuraya1


ここのお店、本当に京都らしいお店です。
宣伝は一切しません。それから地元のデパートの
地下にも出店していませんし他の地方のデパートで
よくやる催事の京都展にも一切出していません。
そして支店もありません。
地方発送もしません。
駐車場もありません。
さらに店に入っても、こんな感じです。
お店という感じは、します?
Mikuraya3
ちなみに正面の御倉○の字は画家の堂本印象の字です。
右にも額がかかっていましたが、これは吉井勇の字だ、と
すぐに分かりました。(写真がないのですみません。)

ただあるのはガラスケースの中に
今、作ってる見本のお菓子が
置いてあるだけです。

Mikuraya2


注文は、事前に店に行って見本の生菓子を見せてもらって
何日の何時に取りに来ますから、と言うか
電話で、○○を何個、何日の何時に取りに行きますから、
と伝えるだけです。
原則的に予約注文分しか作りません。
(多少は余裕分も作りはするとか伺いましたが、、。)


季節季節でお菓子がうつりかわるので、今の時期
どんなお菓子を作っているのか、見本を
直接見ないとわかりませんから、
必然的に買いに来るのは、何度も足を運べる
地元の人か、もしくは
前に買ってどれが好きなのか分かっている人
ということになります。
加えてすごく交通の便が悪い場所にあります。

管理人がイケメンでもない。
カップルの日常を書いたのでもない。
エロな写真もない。愛想もない。
ないない尽くしで、
まるっきり謙介のブログみたいな(笑)店です。


それでもここのお菓子を、欲しいという人が
大勢います。どうしてか、と言えば、
おいしいから。

ひとつひとつのお菓子を
ここのご主人が早朝から起きて、すべて手作りで
作っているそうです。
ここの夕ばえなんて、お菓子のにおいからして
ああ、おいしそう! というに匂いがします。

Mikuraya8

そして口に入れたらほろほろとまるで淡雪のように
中のあんが溶けていってしまいます。
こんなお菓子、はじめてでした。
本当においしかった。

これがもうひとつのこの店の有名なお菓子、
旅奴です。
Mikuraya6

和紙の趣のある袋に入っています。
カステラの生地に沖縄の波照間島で
できた黒砂糖をかけてあります。ただ沖縄でできた
黒砂糖そのままではなくて、この店のご主人が
その黒砂糖をさらに精製して味わいのあるものに仕上げた上で
使ってあるものです。

Mikuraya7


今日は後で常盤のおばちゃんのところに行くので
ここのお菓子を渡そうと思い
(もちろん半分は実家におみやげですが)
買いにきた、ということです。
この店に入るときは、
玄関をあけて中に入り、ここで気合を一発
入れないといけません。
普通の声で「すんません。」と言ったのでは、店の奥まで
聞こえないのです。

おなかに力を入れて、足を踏ん張って、大きく息を吸い込んで
一声「すんませーん。」と呼ぶと
奥からおねいさんが{はーい。」出てこられます。
「2時にお願いしてありました、○○です。」と言うと
「はいはい。」と再び中に入り、袋に入れられた
お菓子を持ってきてくれます。後は御代を支払って
「おおきに。」
「おおきに。」
でおしまいです。
これだけです。

よその人が見たら、なんとまぁ、ドライな
接客だろうか、と思われるかもしれません。

でも変に客に媚びたりしようとせず、店の品物
ひとつでもって誠実な商売しようとする
店の人の品物にかける厳しさ、というようなものがあるから
こういうふうになっているのだ、ということは
この店に来る客の側も重々承知しています。

「お上手はよう言いません。けど、その分言葉やのうて
きばってお菓子作らさせてもらいます。」
という姿勢が客にも理解され、
受け入れられているからこそ、だと思っています。

それはそれでこういう店もこの街では
あり、なんですよね。

パッと短時間に接しただけなら
なんとまぁ愛想のない、ということになりはするのですが
永く、10年20年とその店と付き合っていると、言葉ではない
その店の品物に対する思い、というのを感じます。

それで商売が成り立っている、というお店、京都では結構
あります。

それから謙介の今住んでいる街でも
口は下手だけど、がんばって本当においしい
うどんを出している。
そういう姿勢のうどん屋さんが結構あります。

でも、最近では1度や2度ちょこちょこっと来て、
○○は愛想がない、とか、サービスが悪いって、ウエブ上の口コミ
で書かれているのをよく見ます。
あんた、それは違うで、と言いたくなります。
ウエブ上の口コミも良し悪しの面があるなぁ、と
書かれている文章を見て思うことがあるんですよね。

さて、常盤のおばちゃんに渡すお土産も買いました。
実家のお土産も買いました。
今度は再び北大路通り目指して、
南に下がって行くことにします。
本当は今日で終わりにしようと思ったのですが
次、もう1回だけ続けます。
ほな。


(今日聴いた音楽 ベートーヴェン作曲
 交響曲第6番 ヘ長調 作品68田園
 第一楽章なんて、「田園に到着したときの
 朗らかな感情のめざめ」だそうですが
 それは都会の人がたまに田舎にやってきた
 から朗らかになるんであって、ですね。
  毎日田園に住んでいる謙介は、日々
 決して朗らかでいられないようなこともまま
 あってですね、、。まぁいいや。(笑) 人生
 いろいろあらあな、ですわ。
  あ、指揮は カール・ベームさんで
 演奏はウィーン・フィルです。録音は日本では
 千里山で万博をやってた1970年4月とあります。)
 

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