なーみちゃんたらぎっちょんちょんでぱいのぱいのぱいのルーツへ行く(5)
記念館のある場所から橋を渡って、対岸に行きます。
以前、水俣の中心地は、川の三角州の場所でした。
その川がしょっちゅう氾濫して街に被害を出すため、
川の付け替え工事を行ったとのことでした。
ははあ、水俣という地名はそういう川の三角州に街があったからかあ、と
思いました。 やはりその場所に行って、はじめて分かって来る、
ということもありますね。
その水俣の中心部に源光寺という古いお寺があって、その
お寺に向かう街道沿いが江戸時代から商家の並ぶ一帯で
あったということです。その商家の一軒にかの兄弟は
生まれたということでした。
中に入るとガイドの方がおられ、その方が広い家の中を
すべて案内してくださいました。
建物は母屋と離れになっていて、その離れの2階には
なんと、最後は外務大臣になった陸奥宗光が
若いころ、しばらく寄寓していた部屋もあって、、
幕末から明治初期のさまざまな人間関係を
改めて知るようなこともできました。
建物もすばらしかったのですが、ガイドの方の
懇切丁寧な案内で、本当にいろいろなことがよくわかりました。
つまーり、ここで生まれた蘇峰さんはジャーナリストに
蘆花さんは長じて小説を書いて、やがてぎっちょんちょんの
俗謡が流行るほどの当時の大ベストセラー小説を書くに
至ったその兄弟の揺籃の家がここであった、
ということですね。
「なーみちゃんったらぎっちょんちょん」のルーツはこの家であった、
ということなのでした。
小一時間ほどていねいに案内をしていただき、
よくわかりました、ということで生家を後にしました。
もうお昼です。
さて。水俣の中心部って、平日勤務している人を
ターゲットにしている飲食店ばかりなのですよ。
おまけに行ったのが、11月24日で、、
行く飲食店行く飲食店、祝日のため休みますだの、
23・24日連休しますだのという掲示ばかりで、、
旅人にちっとも親切ではない対応でした。
多分ここならということで行ったのが、
くまもと生協2階のファミリーレストランでした。
このくまもと生協というのが、、水俣では
ちょっとしたデパートのような位置づけのものです。
(去年まで、熊本鶴屋百貨〇の水俣店があったのだけど
なくなっていますし)
これがファミリーレストラン。
水俣名物は水俣ちゃんぽんということで、ちゃんぽんを
いただきました。
ちゃんぽんはいいですね。野菜がたっぷり入っているし、
豚肉やかまぼこも入っていて栄養のバランスが
いいように思います。
ここのファミリーレストランもタッチパネルによる
注文方式でした。
食堂は時分時でしたから、そろそろ混みはじめる
時間でした。謙介がレストランに入った時は
まだ空席もあって、だから待ち時間がなかったのですが
謙介が出る時には、名前を書くボードが出ていて、、
何組かの人たちが席の空くのを待っていました。
タッチパネルで注文を入れて10分ほどしたころでしたか、、
ちゃんぽんが来ました。
早速いただいてみます。
塩気がきついなぁ、というのがまず食べて感じたことでした。
そんなことで、スープはちょいと残しました。
でもまぁ野菜もいただけたし、、
これだけの量で580円というのは破格に安い
値段だと思うし、さすが生協、良心的な価格だと
思います。
ということで今日はここまで。
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