なーみちゃんたらぎっちょんちょんでぱいのぱいのぱいのルーツへ行く(6)
さて。ご飯もいただきました。
帰りの列車まで1時間少々あったので、少し市内を歩くことにしてみました。
前回は駅周辺しか歩いていなかったので。
まずは前回水俣を訪ねたときに、お休みだったお菓子屋さんに行って
みました。入口に白い暖簾がかかっていて、、
今回は営業をしているようでした。
2回の水俣行きで分かったのは、水俣の多くのお店は
平日営業が主で、土日には休業するお店が多いということでした。
飲食店が軒並みそうでした。
休みしか行けない観光客にはつらいところです。
ということは、水俣は観光客は少なくて、
飲食業のお店も平日の会社勤務の人のランチ利用しか
営業を行っていない、というお店が多い、ということなんでしょうかねぇ。
まぁ実際、水俣の市内をうろうろと歩いてみましたが、
観光地図片手に歩いているのは謙介だけでして、、
そういう人は非常に少ない、という事実があるということなんでしょうかね。
さて、前回お休みだった三太郎餅のお店に行きました。
お店に入って、ガラスケースに置かれたお菓子を一当たり見てみます。
お餅屋さんですから、おはぎなどがおいてありましたが、、
やはり目当ては三太郎餅でした。
あと、ひとつだけ、ありました。なんとか買うことができました。
このお餅、値段のことを言っては下品なのですが、
これで400円しないのです。税込み価格で380円。
本当に良心的な価格です。
これが買って帰って開けてみたところです。
小ぶりの大福餅という感じのお餅です。
一口でパクっといただけるお餅なので、
大福餅に比べて、気軽な感じでいただけます。
もちろんおいしかったです。
話をもとに戻します。
少し市内をぶらぶらと歩いていました。
市内の中でランドマーク的に大きなビルがひとつ。
エムズシティ、というビルでした。
建物から見て、たぶん90年代に
水俣市街地中心部のおしゃれなショッピングビル、という
感じで建てられたのかなぁ、と思います。
やはりその後人口は減ってくるし、世の中不景気にはなってくるし、、
で店舗もどんどん閉店があったりしていったのでしょう。
中に入ってみたのですが、100円ショップとか
西松〇が一部フロアで営業しているだけで、、
多くのフロアに空きスペースがありました。
このエムズの建物の裏側にひとつの記念碑があります。
村下孝〇の「初恋」の記念碑です。
村下さんは、この水俣のご出身ということで、彼の代表曲
「初恋」の歌詞が書かれた碑です。
この曲、できたのが1983年でしたから、もう40年以上前の
曲になるんですね。歌い手の村下さんも亡くなってしまいましたが、、
この曲は高校生の揺れる微妙な気持ちがその美しいメロディに
表現されていて、世代を越えてずっと歌い継がれていく
曲ではないでしょうか。
さて。おれんじ鉄道の発車の時間が近づいてきました。
水俣の街歩きもそろそろおしまいにして駅に戻ることにしました。
さすがに水俣から福岡まで、肥薩おれんじ鉄道と
在来線だけで帰るのはしんどいので、帰りも新幹線で帰ることにしました。
来た時と同じように、新水俣までおれんじ鉄道に乗って、、
新水俣駅からさくら号に乗り換えました。
鹿児島中央の始発駅から、川内しか停車していなくて
新水俣に着いたので、自由席も空きがあるだろう、とのんきな
ことを思っていて、車内に入ったら、なんとまぁ
たまたま新水俣で降りた人の1席だけ空いているだけで、
あとは全席が埋まっているというようなことでした。
何とか、その席に座れて、、ということでした。
その後、熊本に着いた段階で、3分の1くらいの人が降りて、
同じくらいの人がまた乗ってきました。
ということで、自由席もほとんどすべてが埋まっている、
という状態でした。
新型コロナの収束で、やはり新幹線を使う人が格段に増えていますね。
11月30日、12月1日と四国に帰っていて、その往復に新幹線を使ったのですが
謙介は岡山から乗ったわけですが、岡山から博多までは指定席も
満席でした。加えて自由席は、立っているお客さん多数で、
さらには車両のデッキで立っている人も多かったです。
新幹線を使うと、新水俣から福岡まで1時間で
帰ってこれるんですね。
というようなことで、今回のぎっちょんちょんの旅のご報告はこれで
おしまいです。
いつもお読みくださってありがとうございます。
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