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24. 11. 07

水俣へ(4)

水俣病資料館の見学も終えたので、またバスで市内に戻ることに
しました。
途中、ローズフェスタをしている公園の横を通りました。
この公園、エコパーク水俣、というそうです。
この公園は資料館の展示で知ったのですが、
水銀で汚染された水銀がたまっていたヘドロを埋め立てて
作った公園なのだそう。
通りがった感じでは、駐車場には車があふれていて
お天気も良かったですし、気候も外出にうってつけの
気候でした。多くの人が訪れていて、
花壇にきれいなバラが咲いているのが見えました。

肥薩おれんじ鉄道の水俣駅までは10分ほどで到着です。
ここから、繁華街のほうへ歩いていきました。
(駅から繁華街までは800メートルほど離れています)
連休とあって、飲食のお店、開いてなかったんですよ。
たまたま開いているちゃんぽん屋さんとか飲食の
お店に入っても満席だったりして、、、

まぁ待ったらよかったのですが、次に行く列車の時間も
あったので、ずーっと待つわけにもいかず、、。
(といっても、謙介が食事をしようと思ったのは
午後2時過ぎで、、昼食の時間というのは
ちょっと過ぎた時間だったのですが、それでも
食堂は満席でした。)

飲食店が極端に少ない、という印象を受けました。
仕方がないので、歩いていて、たまたまあった生協
でお弁当とお茶を買って駅に戻りました。

駅の待合室でお弁当をいただきました。
肥薩おれんじ鉄道の列車は、大体1時間に1本程度です。

まぁ、それでも便数はあるほうかもしれません。

乗車には位置にフリー乗車券を買いました。

Img_0781

15時前水俣駅発の列車に乗って、湯浦で降りました。

列車はなんだかファンシーな感じで、、、

Img_0783

水俣から15分ほどでした。駅もこんな簡易な感じです。

Img_0785
湯浦は水俣の北のはずれの集落です。
町はちょっとした盆地のようなところでした。
駅から歩いて15分ほど行くと、川にぶつかりました。
川の流れも清らかでした。背後の山もきれいなところでした。
西に傾きかけた陽に照らされた山々は木々の葉が輝いていて
それは美しい光景でした。

Img_0786
本当にでかけてきてよかったなぁ、と思いながら
歩いて、、、
亀井荘に到着です。
ここは本来は温泉旅館なのですが、立ち寄り湯だけのお客さんも
受け入れてくれる旅館です。

Img_0788

受付で入浴料金(350円)を払ってお風呂に行きます。
お風呂はそう広いものではありませんでしたが、
(5人くらい入ったらいっぱい)お湯は格別で
ちょっととろっとした感じのお湯で、湯温もちょうど良い加減のお湯でした。

 

30分くらいの間に出たり入ったりを繰り返しておりました。
名残は惜しかったのですが、再び服を着て旅館を出ました。
駅に戻り、今度は16時11分発の列車で新八代まで行きます。

Img_0805

新八代での乗り換え時間が7分くらいしかなくて、、
列車が新八代につくと、階段を駆け上がり、改札を出て、
連絡通路を走って、また階段を駆け下りると、ようやっとJRの新八代の駅の
入口に到達です。
ここで新幹線の切符を改札口に通して、、
また階段を駆け上がらなくてはいけません。(ぜーぜーはーはー)
ということで、列車到着の2分前に新幹線のホームに
着くことができました。
新八代に停まる新幹線は1時間に1本くらいしかないので
逃すと1時間くらいまた待たないといけないのです。

Img_0815

ということで、無事に新幹線に乗ることもできて、
福岡へと帰ってきたのでした。
この日の記録はこれでおしまい。

え? じゃあ次の日? ということで(笑)
長くなったので今日はここまでとします。

 

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Comments

水俣は2度訪問したことがありますが、駅周囲だけでしたので殺風景でした。
街中までは行きませんでした。
公害真っ只中という時期でしたので、観光とかという雰囲気ではなかったように思います。

583系の特急有明号に乗って、西鹿児島-熊本間を移動しました。
当時は3時間半ほどかかりましたので、西鹿児島駅で駅弁を買い、途中停車駅でザボンや漬物を買い、車内販売のカートが何往復もしていましたのでお茶やジュースを買ったりしてのんびり旅をしていました。
熊本駅といえば当時は朝鮮飴でしたので、帰りはそれを摘まみながら移動でした。
新幹線しか知らない若い世代には想像できないでしょうね😅

Posted by: 正憲 | 24. 11. 09 PM 10:04

---正憲さん

 水俣は何も知らないで訪れたならば、どこにでもあるような地方の人口減に悩む小都市、というイメージになるのかなぁ、と今回実際に訪れて思いました。しかし、最近でさえまだ水俣病関連のいろいろな報道があって、いまだに多くの人々がこの工場排水による公害で苦しんでおられる方がおらえるのだな、ということはきちんと知っておかないといけないと思います。資料館での数時間、長いとは言えない時間でしたが、本当にいろいろなことが分かって勉強になりました。

Posted by: 謙介 | 24. 11. 10 AM 7:17

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