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24. 11. 01

山鹿へ(5)

温泉も入ったし、熊本名物の馬肉もいただきましたし、
友達のSくんにも会えたし、なんですが、
あと、2つ山鹿で体験したいことがありました。
1つは、八千代座に行くことです。
八千代座は、山鹿にある芝居小屋。
前に見た金毘羅大芝居が江戸時代、
内子座が大正時代なのに比べて、この八千代座は
明治時代の建築なんですよ。
どこがどういうふうに違うのか、ということを
見に行こうと思っていました。

 

前にも書きましたが、山鹿の街って、真っ平ではありません。
というのか、結構な起伏がありまして(と、言っても長崎
とか神戸ほどではありませんけれども)坂道を登ったり
下ったりしないといけません。それが結構な体の負担になるのです。
八千代座はだらだらとした傾斜を登り切った街の一角に
ありました。堂々たる外観です。

Img_0730

ここも金毘羅大芝居と同様に、一時映画館になったりしていたのですが
その後、映画の衰退とともに、この建物も打ち捨てられたように
なっていたそうです。それを各地の芝居小屋再興のニュースがあって、
山鹿でもこの建物を観光資源に再構築するというプランができて
内子座とか金毘羅大芝居に人を派遣して街づくりを見学して
今のように補修をして再開場することになったのだとか。

Img_0715

場内に入ってみました。天井にこの芝居小屋を作るにあたって
資金を拠出した山鹿町内のお店の広告がびっしりと出ていました。
山鹿は明治期は付近の物資の一大集散地で、街も繁栄をしていたそうです。
電話の開設も熊本市の明治34年に次いで41年に山鹿では開始されたとのこと。
大分市が42年でしたから、それよりこの山鹿の方が早かった、という
ことも当時、街が繫栄していた、ということの現れなのだろうと思います。
館内はこんな感じです。

Img_0727
基本的に金毘羅大芝居とかとあまり変わらないなぁ、という気がしました。
ただ、客席内に柱がない、ということは思いました。
本花道があって、脇花道は客席と一体化したような造りでした。
江戸時代の芝居小屋になくて、さすがに明治の芝居小屋にあったものは
警察の臨検席でした。警察官公演を監視に来ていて、
警官が公序良俗に反するような芝居、興行があれば、
政府の意思に反するような興業があれば

ただちに公演中止を命令するための監視の席でした。

Img_0712
あと、やはりさすがに明治の芝居小屋だと思ったのが
回り舞台の構造でした。
金毘羅大芝居では、回り舞台は、舞台下に4本の柱があって
それに各4人が取りついて、合計16人が「せーの」で舞台を
回すのですが、八千代座では、回り舞台に金属の車輪とレール
(レールはドイツ製)が付いていました。さすがに文明開化の
世の中の制作です。
ですから金毘羅大芝居で回り舞台を回すのに必要だった
16人もの人数が、レールが付いて動きが軽くスムーズに
行くようになったために
八千代座では4人で舞台を回すことが可能になりました。

こういうところが地味に違っていましたねぇ、、
後の構造は、金毘羅大芝居とよく似ていたなぁ、と思いました。

小一時間かけて隅から隅まで見学しました。
帰りのバスの時間も近づいてきたので、八千代座を後にしました。
最後にもう一軒だけ行きたいところによることにしました。
山鹿には山鹿羊羹と言うお菓子があります。

Img_0737
なんだ羊羹だろ、ということなのですが、、、
この羊羹、普通の羊羹とはずいぶん違った形状をしているのです。
ほら、こんなの。 外側の白いのは、求肥。真ん中はこしあんです。

Img_0738

こんな形状の羊羹って初めてです。

おいしくいただきました。

無事に山鹿羊羹も買うことができて、バスセンターに
再び戻ってきたのはバス発車の5分前でした。
すでに乗り場にバスは来ていました。
帰りの乗客は謙介を入れて3人でした。
バスは再び1時間かけて玉名へ。

来た時と、違うコースをバスが走ったのですが、、
その途中の経由地で、ああ、これはもう一度ここに来ないと
いけない! と強く思うようなところをバスが通りました。
また近いうちに来ないと、と思いながら、
玉名から門司港行きの区間快速に乗って
帰って来たのでした。

これで山鹿のお話はおしまいです。
今回もお読みくださってどうもありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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Comments

山鹿という地域、地図を見ますとお住まいの地域からだいぶ近い印象でした。
標高図や航空写真に直してみますと、それなりに山越えの過酷な直線ルートでしたね(笑)。

馬肉のお重が美味しそうでした。
がしかし、わたくし、馬肉アレルギーでして食べられないのです。
原因が分からなかったときには、何かを食べたせいで激しい小腸炎になり数日のたうち回って苦しむということを繰り返していましたが、ある日、馬肉のせいだと分かりました。
それ以降は食べていないのですが、馬肉の美味しさを知ってしまったあとなので食べたい衝動に駆られてしまいます。
それにしても美味しそう🤤

八千代座や金毘羅大芝居などは、時代背景や文化的功績などの知識があるとより興味深く見学できますね。
そういった解説をいただきながらの見学ももちろん良いと思います。
私の場合、たいていは知識不足で行って現地で得ることが少なく、帰ってから調べて「あぁ~、あれをもっと見ておけば良かった」という反省が多いです。

羊羹も美味しそうで・・・・・

Posted by: 正憲 | 24. 11. 04 AM 1:25

---正憲さん
 山鹿は2回目でした。今回も会った宮司の友達が伊勢神宮でのご奉仕を(修業期間)を終えて山鹿に帰ってすぐに会いに行ったので、もう考えたら30年くらい前のことでした。
 山鹿は熊本平野の北東隅という位置でしょうか。そういう地の利があるから、おそらくは周辺部の物資の参集する地域だったようです。それが、鉄道が玉名経由になってしまったのと、明治のころに集まっていた物資(木蝋とか木材とか)が次第に振るわなくなっていって、やはり鉄道の通る街のほうに繁栄を奪われて、次第に小さくまとまった街になっていったように思います。そうですか、馬肉にアレルギーがおありなのですね。一応行く前に、ここにはどういうものがあるのだろう、ということを調べて行きます。行く前にある程度分かっていることっもありますから、結局実際に行ってみると、単にその確認のようなことになるので、若干感動が薄いようにも思います。

Posted by: 謙介 | 24. 11. 04 PM 7:17

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