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24. 10. 31

山鹿へ(4)

食事も済ませました。友達に会うのは13時ということなので
彼の家のほうに歩いていくことにしました。
と言ったって、食事をした場所からはそう遠くないのです。
日本全国となると山鹿の知名度は落ちますが、
九州一円の人だと、山鹿と言うとたいていの人は
灯籠まつり、と反射的に答えると思います。
毎年、夏にこの灯籠まつりが行われるのですが、
今年(2024)の観客数は13万人だったそうです。
山鹿市の2024年1月の人口が約49000人です。
そこに13万人もの人が来る、というのは、やはり一大行事という
ことになるのではないか、と思うのです。

この灯籠まつりの由来について、山鹿市観光協会のサイトを見ましたら
以下のようにありました。(以下引用)

「山鹿灯籠まつり」の起源は『菊池川一帯に立ちこめた
深い霧に進路を阻まれた景行天皇のご巡幸を、山鹿の里人が
松明を掲げてお迎えしたという言い伝えに由来します。
景行天皇を祀る大宮神社に山鹿の里人が献上し続けた松明が、
室町時代に山鹿灯籠へと変化し、
現在のような「山鹿灯籠まつり」となりました。
(引用終わり)

とのことです。その景行天皇の行在所があったのが
山鹿の大宮神〇であって、古くからこの大宮神〇の
お祭りとして、この灯籠まつりが行われてきた、という
ことなのだそう。

もうねぇ、山鹿を歩いていたら、灯籠まつりの他にはなんぞ
ないんかい、と言いたくなるくらいあっちもこっちも灯籠まつり
ばっかりで、、改めて山鹿にとって灯籠まつりがいかに
大きなものか、ということを知った次第なのです。

この踊り、頭に紙製の灯籠をつけて踊る、という考えようによっては

すごい、(こんなのここだけでしょう)踊りなんですが、、

Img_0732 

ポストの上にも灯籠。

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お寺の看板にも灯籠

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もちろんくまもんにも灯籠

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それで謙介の友達というのが、この大宮神〇の宮司さま
ということなのです。(ああやっと接点がきた。笑)
いやまぁ、彼は今は神職なんですけど、謙介にとっては
バンドでベースを弾いていたロック少年(今はロックおっさん)
でしかないんですが。(笑)

さて、神社に到着です。

Img_0687

社務所に行って、宮司さまはおいででしょうか、ということを
お聞きします。奥から出てきた宮司さま(いやSくん)
ひさしぶりやねー、ということで、話をします。
「お互い年取ったねぇ」って、そりゃそうですよ。一緒に遊んでたのは
10代後半から20代だもん。あれから幾星霜、お互いいろいろなことが
あってここまで何とかきたわけですし、、経年劣化だってありますし。


せっかく九州に住むようになったにも拘わらず、月日はあっという間に経過して
このまま山鹿にお伺いしないと、とうとう会わないうちに九州を
また去ってしまう、というようなことになりかねないので
来たよ、というような話をしました。
こういう時間って、あっという間に経ってしまいますね。
彼は宮司という仕事の傍ら、街のさまざまな要職もしている
大変お忙しい身なので、1時間ほど話をして、辞去することに
しました。最後に神社に参詣しました。
お社の修復を去年やったとのこと。特に屋根の痛みが
激しかったので、何とかしないといけなかったんだけどね、、
ということで聞くと、屋根を前のように銅板葺きにすると
50年くらいしかもたないんで、、ということで、聞くと
屋根をチタン葺きにしたのだそう。チタン屋根の神社かぁ、と
思いました。

 

チタンは軽さと耐久性がある金属です。
先年の熊本地震もあるように、大きな地震があった時に
こういうお社は屋根が重いということで崩落します。
屋根が軽いということは地震対策にもなりますし、、。

 

チタンなんて、すごく高かったんじゃない? と聞くと
うん、ひっくりかえりそうに高かった、だけど、
金属の会社がチタン屋根の神社、ということで
初の使用例だった、ということで、広報になるということで
その宣伝効果を狙って大分まけてもらった、という
ことでした。まぁそれにしても安くはなかったけれども、、。
ということでした。
これがチタン屋根の神社ですが、、でもチタンです、
といわれないと分からないようなもので。
これはこれでいいんじゃないんでしょうか。

このお社の屋根がチタン。

Img_0693

ということでSくんにも久しぶりに会うことができて
本当によかった、と思いながら神社を後にしたのでした。
今日はここまでといたします。

 

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Comments

チタン瓦は浅草寺の本堂で15年くらい前に採用されて有名になりましたね、たしか増上寺もそうだったと思います。
伝統を重んじる世界で、素材は変えても見た目は変えないということだと思いますが、これだけ宗教離れが進むといつまで守れるのか心配になりますね。

Posted by: mishima | 24. 11. 01 AM 11:57

---mishimaさん
 友達のご実家のお社のチタン葺きについては、製造元の金属会社が九州初ということで宣伝効果を狙って、ずいぶんと割引価格で葺いてくれたとのことでした。やはり本瓦にしろ檜皮葺にしろ結構な重量が建物にかかりますし、恒久的なメンテナンスということではいいのだと思います。
 宗教離れ、すべての宗教にわたってそういう感じですね。いろいろな宗教の方とお話しますが、カトリックも信者さんが減っているし、そのために神学生になろうという人も減っているとのこと。仏教もお坊さんが減っていて、お寺の維持ができないという話を聞きますし、、本当にmishimaさんのおっしゃる通りだと思います。

Posted by: 謙介 | 24. 11. 01 PM 1:24

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