瀬戸内側へ(3)
バスを降りたところから、田舎の道を歩いていきます。
そのうち、向こうにすごい大邸宅が見えてきました。
到着しました。旧蔵内〇というお屋敷です。
これが玄関。見るからに贅を尽くした、という感じで
石が貼られています。
入り口で大声をかけて「すみませーん。見学にきました。」
というと、奥からこのお屋敷の管理人の方が来られました。
「どうぞどうぞ」とおしゃってくださいました。
「どちらから」と訊かれて、住まいの都市の名前を言うと
「まぁ、ご遠方からいらしてくださったのですね。
乗り換えも何度もあったでしょう? 本当に遠いところを」
とおっしゃってくださいました。
「前に新聞記事に出ていたのを見ていて、それで一度
来たかったのです」というと、すごく喜んでくださいました。
屋敷の中はもちろん一間廊下ですよ。
お茶室、小座敷、大座敷、大広間、
本当に広大なことで、、、。
この家は明治から大正にかけて炭鉱・鉱山を持っていて
その財で建てた家なのだそうです。
九州には、この手の炭鉱主の大邸宅というのが
今もそこここに残っています。
そういう家はたいてい、明治から大正、昭和前期に
財を成して、大正時代とか昭和戦前に
大邸宅を建設しています。
前に飯塚の伊藤伝右衛門さんの屋敷を見学に行きましたが
ここも大正時代の建築でした。
不思議と昭和戦後になってからの大邸宅、というのが
ないんですよねー。このお屋敷の主の栄華は
比較的短くて、明治からはじまった炭鉱は
昭和14年に古河合名会社に営業譲渡して
解散ということになっています。
そして炭鉱経営をしていた人も昭和42年に亡くなり
家も人手に渡ることになったとのことでした。
そういうことで人手に渡って居住主が変わり
何年も過ぎたのでしたが、やはりこのご時世で
こーんな大邸宅を維持できなくなりました。
その後、町が買い取り金の補助をとある方から
いただいたお金で、このお屋敷を買い取り、
町の観光施設として整備し、オープンさせた
というのが、この建物の経緯のようでした。
前に見た飯塚の伊藤邸とこの旧蔵内邸の
違いは、用途にあるようでした。
飯塚の伊藤邸は、日常生活を送るための
屋敷として建てられたものだったそうですが、
今回の旧蔵内邸は、お客さんをおもてなしする迎賓館
の建物だった、ということでした。
まぁ飯塚の伊藤邸にしても、今回の旧蔵内邸にしても
すごい建物に変わりはありませんけれども、、。
ということで、すごいお屋敷を見て、
はぁ、すごいなぁ、と思いながら帰途についたのでした。
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