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24. 09. 09

瀬戸内側へ(3)

バスを降りたところから、田舎の道を歩いていきます。
そのうち、向こうにすごい大邸宅が見えてきました。
到着しました。旧蔵内〇というお屋敷です。

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これが玄関。見るからに贅を尽くした、という感じで
石が貼られています。

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入り口で大声をかけて「すみませーん。見学にきました。」
というと、奥からこのお屋敷の管理人の方が来られました。
「どうぞどうぞ」とおしゃってくださいました。
「どちらから」と訊かれて、住まいの都市の名前を言うと
「まぁ、ご遠方からいらしてくださったのですね。
乗り換えも何度もあったでしょう? 本当に遠いところを」
とおっしゃってくださいました。
「前に新聞記事に出ていたのを見ていて、それで一度
来たかったのです」というと、すごく喜んでくださいました。
屋敷の中はもちろん一間廊下ですよ。
お茶室、小座敷、大座敷、大広間、
本当に広大なことで、、、。

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この家は明治から大正にかけて炭鉱・鉱山を持っていて
その財で建てた家なのだそうです。
九州には、この手の炭鉱主の大邸宅というのが
今もそこここに残っています。
そういう家はたいてい、明治から大正、昭和前期に
財を成して、大正時代とか昭和戦前に
大邸宅を建設しています。
前に飯塚の伊藤伝右衛門さんの屋敷を見学に行きましたが
ここも大正時代の建築でした。

 

不思議と昭和戦後になってからの大邸宅、というのが
ないんですよねー。このお屋敷の主の栄華は
比較的短くて、明治からはじまった炭鉱は
昭和14年に古河合名会社に営業譲渡して
解散ということになっています。
そして炭鉱経営をしていた人も昭和42年に亡くなり
家も人手に渡ることになったとのことでした。

Img_0190

そういうことで人手に渡って居住主が変わり
何年も過ぎたのでしたが、やはりこのご時世で
こーんな大邸宅を維持できなくなりました。

 

その後、町が買い取り金の補助をとある方から
いただいたお金で、このお屋敷を買い取り、
町の観光施設として整備し、オープンさせた
というのが、この建物の経緯のようでした。

 

前に見た飯塚の伊藤邸とこの旧蔵内邸の
違いは、用途にあるようでした。
飯塚の伊藤邸は、日常生活を送るための
屋敷として建てられたものだったそうですが、
今回の旧蔵内邸は、お客さんをおもてなしする迎賓館
の建物だった、ということでした。

 

まぁ飯塚の伊藤邸にしても、今回の旧蔵内邸にしても
すごい建物に変わりはありませんけれども、、。

 

ということで、すごいお屋敷を見て、
はぁ、すごいなぁ、と思いながら帰途についたのでした。

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