お葬式(4)
翌日は葬儀・告別式は11時からなのですが、
葬儀社の人が、9時半に来てくださいというので
9時半に行きました。
お式の流れについての確認と、葬儀費用についての最終
確認のようなことでした。謙介、戒名では驚かなかったのですが
やっぱり葬儀料金は結構驚きました。
祭壇の生花代、お葬式が3日間になったので、
その間のドライアイス代はわかりますが、告別式の司会者の料金
3万5千円とか、ろうそく代1万2千円とか。
朝の連ドラではありませんが「はて?」というような
ものが多々ありました。昨日データを渡した
遺影作成費も3万3千円というのにはびっくり。
今時デジタルだから、画像だってシャープな写真ができるはずなのに
できあがってきた遺影は、なんだか画像全体がぼやけていて、
小さい写真を無理やり引き伸ばしたような感じの遺影写真に
なっていました。それでいて、3万3千円。
これには姉も謙介も驚愕、というようなことでした。
10時50分でしたがお寺さんも来られ、みんな揃ったので、若干
早めに告別式は始まりました。
お坊さんはお二人来られて、読経していただきました。
お二人とも50歳代のお坊さんでしたので、声の調子もよく
しかも非常に精力的な読経で(精力的なって、、)
何かにつけ大声で話すことの多かった父には
似合っている読経のように思いました。
真言宗の葬儀は、単に読経だけでなく、
シンバルの原型の「鈸」という祭器で
ばっしゃんばっしゃん音を鳴らしていきますから
結構派手な葬儀です。
葬儀は最初、30分ほど読経があって、遺族親族の
焼香があり(その間はお坊さんは読経はしない)
再び10分ほど読経があって終了、というものでした。
お寺さんは退席なされました。
その後、喪主(一応喪主でございました)からご挨拶をして、
お棺に祭壇のお花を入れて、最期のお別れをして棺のふたを
閉じて、出棺ということになりました。
謙介は霊柩車の助手席に位牌を持って座り
斎場まで行きました。
途中車の中で、いろいろと運転手さんに聞きたいことも
あったのですが、多い日は一日に何回くらい
葬儀会場と斎場の間を移動するのですか、とか
このお仕事をされて何年くらいになるのですか?
とか。つい、いろいろなことが思い浮かんだのですが
一応喪主なので黙って座っておりました。
霊柩車は15分ほどで斎場に到着しました。
前回来たのは、もう30年くらい前、祖母が亡くなったときに
来たのでしたが、その時はがらんとした畳敷きの待合室に
座布団を敷いて、座って待っていたような記憶でした。
今回来た斎場はすっかり変わっていて近代的な建物に
なっていました。
棺は手押し車に移されて、いったん、小さい部屋へと
入りました。お寺さんが来てくださっていて、
ここで父に文字通りの「引導を渡して」くださいました。
その式が終わり、お寺さんが退出されると、手押し車で
炉の前に移動しました。
炉の扉が開いて、棺が中に入り、再び炉の扉が
閉められました。
係の方に「炉の点火スイッチ押されますか? 」と聞かれたので
「押します」と言って、緑のボタンを押しました。
それから、1時間半ほど、斎場内のカフェ(!)で
お昼をいただきました。
2時過ぎに館内放送があって、「〇〇家のお骨あげの準備が
整いましたので、お越しください」ということになりました。
集合場所に行きまして、間違わないようにいただいていた
番号の鍵をお渡しします。再び炉の前に行き、その鍵で
炉を開け、遺骨を骨揚げの場所まで移動させました。
係の方が、これはかかとの骨、これは、、どこそこの骨
というふうに説明をしていっていただきながら、遺族が拾った
遺骨を骨壺にきれいに詰めていってくださいました。足から
最後、頭蓋骨の一部を詰めてふたをし、骨揚げは
終わりました。
その時に、疑問に思っていたことがあって、、、
「父は大腿骨を骨折して、ボルトで止めていたのですが、、」
と謙介がいいましたら、「あ、それはここですね」と
示してくれました。そこには、骨の間から焼け焦げて
茶色くなったボルトが見えていて、、、「ああなるほど」
と思いました。
思い返してみると、こうしたお骨あげをしたのは、今回で
3回目でした。
最初は母方の祖母の時、2回目は本当に親しかった友人の時、
(この時は、特に彼の妹さんから懇請されました)
それで、今回です。
遺骸を焼く時間も随分早くなったなぁ、というのが
今回の感想でした。祖母の時は、3時間半とか4時間近く
かかっていた記憶があって、友人の時は大阪でしたが
3時間くらいかかっていました。
それが今回は、1時間半ということになっていました。
やはり、高出力で焼くのでしょう。
炉から出てきた父の遺骨は、骨格のよほどしっかりした
部分はともかくとして、後は細かくばらばらに
なっていました。
食べ物をお箸からお箸へ受け渡すのを、縁起が悪い、
タブーと言われますが、収骨室で炉の骨をお箸から
お箸へ受け渡して骨壺に収めるから、縁起を担いで
ダメ、ということになっているんですよね。
でも、実際にやってみると、高火力で焼かれて出てきた
しかも老人の骨は結構もろくて、箸渡しだって、結構
むづかしかったです。
収骨室でのお骨あげが終わると、再び葬祭場に戻ります。
以前は葬儀から一週間後に初七日法要をしていたのですが
今は、参列者の都合もあって、葬儀の直後に引き続いて
行うところが多いですね。
今日はここまでといたします。
ダメ、ということになって
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Comments
謙介さんお久しぶりです。
お父様ご愁傷様です。
喪主は本当に大変と思います。
我が家は臨済宗なのですが、どう頑張っても三男の嫁、覚悟はしております。
ご無理をなさいませんように。
Posted by: ラジオガール | 24. 07. 06 PM 3:57
---ラジオガールさん
お言葉ありがとうございます。お葬式関係も結構あれやこれやあったのですが、今日も実家の市役所から、父の住民税を払えという用紙が来ました。亡くなったら払わなくていいんじゃないの、と思ったら、今年の1月2日現在で生きていた人はみな払えと、用紙に書いてあって、あしたまた郵便局に行かねばなりません。こうした死後も手続きがあって、もういちいちそんなんしらんがな、の世界です。
Posted by: 謙介 | 24. 07. 08 AM 12:01