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24. 06. 09

看取り

6月5日の朝7時過ぎ、父の施設から
電話がありました。「お父様が危篤状態になりました」
とのことでした。

その時間、いつものように仕事場に着いて仕事を
していたのですが,
急遽すべて「来週火曜日までお休み」の連絡をして、
仕事場の片づけをしました。
施設からは、その2日前から、
「このところ意識の
低下が激しいのです。
ただバイタルは通常です」という連絡が
入っていました。

その日から慌てて服屋に走って、夏礼服を買ったり、
帰省用の切符を手配をするとか、
すぐに帰れるように荷物をまとめておくとか
仕事関係も突然に予定変更があるので
その時はごめんなさい、という連絡をしておりました。
それで6月の8日くらいに帰る予定にはしていたので、
そうそう慌てることもありませんでした。

5日は急いで仕事場を出てアパートに戻って、
帰る荷物をまとめました。
午前9時過ぎでしたが、再び施設から連絡があって
「呼吸が停止しました。施設付きの
医師が向かっていますが、どなたか来ることができますか?」
という連絡が来ました。
とうとうその時が来た、ということでした。
間に合わないのでよろしく、とお願いして、
急ぎ荷物を持ってタクシーで新幹線の最寄り駅まで
行きました。

みどりの窓口で金曜の新幹線の切符を急遽水曜にしてもらい、
新幹線の特急券を、と思って時刻表を見たら、
なんと7分後にみずほが来ることになっていました。

よかった、と思いました。みずほはさくらと違って
停車駅が少ない最速達の列車だったからです。
博多・小倉・広島・岡山しか停車しないのです。
加えて岡山から10分で快速に乗り換えることが
できました。そのようなことで、12時半には
四国に着くことができました。
いったん実家に帰り、途中食事をしてから施設に行きました。
霊安室なのかなぁ、と思って行きましたが、
自室で居させてくれていました。

最期については、両親が元気な時に、話し合っていました。
母は「もう十分生きたからもうあれこれしないでよい」という
すこぶるあっさりしたものでした。
ただ父は最初は胃ろうをしてでも生きたい、と
申しておりましたが、処々方々にチューブをつながれて、
植物人間状態でもいい? 
という話をしたら、そこまでは嫌だ、ということでした。

それまでに息子の方もいろいろと文献を読んで
延命治療なんかやっても、それは本人のためではない、
単に家族の気が済むか済まないかの話であって、
延命治療など本人にとっては虐待以外の何物でもない、
ということを確認しておきました。
その際に参考にしたのが、講談社現代新〇の
「人はどう死ぬのか」という本でした。
看取り医として、多くの人の最期に接してきた
著者のお話が平明かつ詳細に書かれていて
参考にすること大の資料でした。

そこで延命治療は何もしない、ということにして
施設にも最期の最期になって入院させるとかは
しないで施設で看取り、ということをお願いしたい、
ということを伝えておきました。

今年の初めまでは、口から食べ物を何とか
入れていましたが3月くらいから食事を要らない、
と言い始めました。
それで、食べても吐くようになったりしました。

5月9日に、施設から連絡があって、
看取り状態に移行します、という報告がありました。
必要な水分については、点滴もしくはポカリスエ〇トを
凍らせたものを口に入れる程度と
いうことになりました。
それでもバイタルはあまり変動しなかったのです。
亡くなる4日前まで意思もはっきりしていました。
それが亡くなる2日前に急激に状態が低下して
最期は眠るように亡くなった、ということでした。

実際、部屋に行って顔を見てみますと、
穏やかで、まるで生きているような表情でした。
親子ってやっぱりなぁと思ったのは、
最期の顔を見ていたら、
父方の祖母(父の母)そっくりな顔になって
いたことでした。

苦しまずに、痛がらずに、最期を迎えられたので
あれば、良かったかなあ、と思いました。

 

 

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いなかのせいかつ」カテゴリの記事

Comments

 お父様のご逝去,お悔やみ申し上げます。
 穏やかに亡くなられたということで,理想的なご最期だったのではないでしょうか。

 後の事を一気に処理しなければいけないので,大変だと思いますが,謙介さん,無理しないようにお体には気をつけて下さいね。

Posted by: Ikuno Hiroshi | 24. 06. 08 PM 7:28

---Ikuno Hiroshiさん

 お悔やみの言葉ありがとうございます。
いろいろと資料を読んで、なるべく本人の負担に
ならないように、と思っていました。
 まだあと、役所の手続きとかいろいろありますが、がんばります。

Posted by: 謙介 | 24. 06. 08 PM 8:39

久しぶりにアクセスしましたら、突然のことで・・・・・

まずはお悔やみを申し上げますとともに、お父様のご冥福をお祈り申し上げます。
終末期の医療措置にについて事前に話をできていたのが幸いでしたね。
穏やかに旅立たれて、お父様も良かったと思います。

しばらく大変だと思います。
謙介さんもお体に気を付けてお過ごし下さい。

Posted by: 正憲 | 24. 06. 09 PM 3:36

---正憲さん

 今までにも親戚や祖母、友人の最期についていろいろと拝見してきて、終末期のことについては、話し合っておかないといけない、と感じておりました。両親と終末期の話をしたのが、6年ほど前のことでした。その時は、まだ足も立って家での自立生活がかろうじてできていたのですが、その後大腿骨骨折となって、母の介護もできなくなり、本人にとっては不本意な施設入所となってしまいました。不如意なことばかりの施設生活だったと思います。そういうことで、本人の100%望んでいたような最期とはならなかった、ところはあるかと思います。でも穏やかな顔をしていたので、そう苦しまずに最期を迎えられたのではないか、と思っています。

Posted by: 謙介 | 24. 06. 09 PM 4:50

お父様のご逝去、謹んでお悔やみ申し上げます。
看取りについて、御本人の希望も含めて事前によく考えておられたのですね。ある程度の年齢になったら、元気であってもそういった話し合いは必要だと思います。
どうぞお疲れの出ませんように。

Posted by: mishima | 24. 06. 10 PM 2:58

---mishimaさん

 お悔やみのお言葉ありがとうございます。両親に聞いたのは、まだ施設にも入らなくて、家で何とか自活生活を送ることができた時期だったのですが、聞いておいてよかったなぁと思いました。(施設に入ってからも、入所時、それから施設の担当医との面談の際にまた聞かれることがありました。延命治療をしたところで、本人にとって苦しむような治療であるなら、そうしたことは一切しないほうが、穏やかに最期を過ごせるのではないか、と思いました。しかし、看取りは看取りの判断をしたほうもなかなかしんどい決断をすることになりました。でもまぁ、穏やかな顔をしておりましたので、良しとしたいと思います。

Posted by: 謙介 | 24. 06. 10 PM 3:25

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