長崎へ(その11)
鳴滝から電車に乗って、(電停は新中川町でしたけど)
次は大学病院前で電車を降りました。
電車を降りた時は雨は降っていませんでした。
少し南に戻って、2つ目の角を左折します。
そのまま東の山の裾まで歩いていきますと、、
神社の石段が見えてきます。
石段自体はどこにでもある神社の階段です。
その階段を登り切ったところに鳥居があるのですが、
その鳥居は、半分しかない姿で立っている鳥居です。
長崎の原爆の爆風で鳥居の片方が吹き飛ばされ、
片方で何とか立っている、片足鳥居です。
最初にこの片足鳥居を見たのは、幼稚園の頃だったかと
思います。家族旅行で長崎に来て、遠くからこの鳥居を
見たのでした。
大人になって、出張で長崎に来た時も、
やはりこの鳥居はバスの車窓から見るだけで、、、
近くまで寄って、見たことがなかったのです。
今回の長崎旅行のテーマは、そういう今まで
行けなかった場所を全部行ってみる、という
旅だったので、今回は是非、ということで
ここに来ました。原爆公園とか、原爆資料館は
前回(2022年)に来た時に来ていました。
(その前の1987年に来た時も寄った)
鳥居を近くで見ますと、柱の部分にぐるりと
この鳥居を建てるにあたって資金を寄進した人の
名前が彫られていましたが、、。
南側の彫られた名前は判読できたのですが、
北側の彫られた名前は判読できませんでした。
場所から行って、北から原爆の熱線が
鳥居に当たり、石の表面が溶けたのだと思います。
その鳥居の近くには、吹き飛んだ北側の石が
まとめて横に並べてありました。どの石も少し
黒ずんでいましたが、これも原爆の熱線によるものだ
という説明がありました。
原爆投下数か月後の写真で、見渡す限り廃墟の続く
浦上の町に、この片足鳥居だけがぽつん、と
モニュメントのように立っている写真を見たことが
ありました。
2,024年の長崎は建物がびっしりと立て込んでしまった
どこにでもある街の風景になってしまいました。
暫くその鳥居を見上げて、さまざまなことを憶ったりしました。
謙介が鳥居を見ていた間にも外国人の観光客の
方がこの鳥居で写真を撮って、また奥の神社のほうへと
歩いていきました。
あ、そうだ、ここまで来たのだからおまいりに行かなくては
と思って、山王神社のほうへと行きました。
お参りを済ませ、もう一度鳥居を見て、帰ることにしました。
今日はここまでといたします。
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