« 長崎へ(その7) | Main | 長崎へ(その9) »

24. 04. 01

長崎へ(その8)

次に行ったのは、出島です。
出島は、ここ最近に修復されてできたものですね。
ウン十年前に長崎に来た時は、出島なんて
全然なくて、土地の人が、掘割みたいなところを指さして
「あそこ、土地がぐーっとカーブしているのわかります?
あれが出島の址です」とか教えてくれた程度で、
出島と言ったって、当時のものは何にもなかったのです。
それがいつか出島修復ということになって、
出島の土地のところに、京都の映画村みたいに
当時の建物が復元されて立ち並ぶ、というような
観光名所になっていました。
ここも行かなくちゃ、ということで、行ってみました。
今は周囲の埋め立てが進んだせいで
出島は海岸からちょっと中に入っています。

江戸時代の地図を見ると、出島は海辺に人工的に埋め立てられた
造成地であったことがわかります。
出島は外海に面していた、ということでした。
さて、出島の正門に来ました。
最初の感想は、ここも外国人観光客がやたら多い!
ということでした。周囲の声に耳を澄ませると
韓国語、北京語、英語、ドイツ語、というようなことでした。
出島の復元された建物は、外側だけ往時の建物のように
して中を展示室として今風な造りにしている建物と、
すべてを当時の資料を基に復元したものの2種類が
ありました。
この出島は江戸時代のものですから、基本的な建築方法は
和風で、それにガラス窓の入った出窓があったり、
という西洋テイストが入ったような外観でした。
外観はこんな感じです。

Img_8063_20240328220201

ただ、室内はやはり西洋人が日常生活を送るわけで、、
濃厚に西洋、ということになっていました。

これはオランダ商館長の住む建物の、大食堂。
しつらえはクリスマスのテーブルセッティングとのことです。

Img_8059

これがオランダ商館長の執務室。

Img_8062

やはり行って実際に歩いてみて出島の狭さというのが
よくわかりました。改めてこの時、感じたことは、
江戸幕府は、江戸から遠く遠く離れた、九州の果ての
さらにはその果てのこの猫の額みたいな狭い土地だけで、
西洋との交易をしようとしたのだということが
改めて実感として分かりました。
外国の、ことに西洋の文物の日本への流入、感化を
極端なまでに恐れていたのだ、ということが、この場所、
この土地の狭さ、によく現れているなぁ、と思った次第でした。

そういう江戸幕府の極端な神経質ぶりを実感できる(苦笑)
観光地でありました。
さて。出島も見学しましたら、お昼近くになりました。
昨日はちゃんぽんでした。今回は皿うどんを食べに、
また新地中華街へと向かいました。
雨は降ったり止んだりを繰り返していました。

きょうはここまでといたします。

 

 

 

|

« 長崎へ(その7) | Main | 長崎へ(その9) »

おでかけ」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 長崎へ(その7) | Main | 長崎へ(その9) »