源氏についての
平安時代、紙は大変な貴重品でした。
例えば、清少納言が枕草子を書くに至ったのは、
内大臣の藤原伊周(ふじわらのこれちか)が
中宮定子と一条天皇に紙を献上するわけです。
清少納言さんは中宮定子にお仕えする女官だったわけですね。
その献上された紙を見て、中宮定子さんが清少納言に
「帝は『史記』を筆写されたけれど、これに何を書いたら
いいかしらねぇ」とご下問されたわけです。
すると清少納言は「そりゃあ、枕(枕詞などが書かれた書物)
でございましょう」と答えます。そうすると中宮定子さんは
「なら、お前(清少納言)にあげるわ」と申されて、清少納言さんに
その紙を下賜されます。 まぁそれで枕草子ができたと、
いうことです。
平安時代、紙の製法はすでに中国から入ってきていて
紙漉きはされていたようです。しかし、そうそう大量に
紙は生産されなかった。だから紙は大変な貴重品だったわけです。
ここでも内大臣が、天皇に献上するような貴重な品物で
あった、ということが分かります。
まぁ今でも書道用の手すきの最上等の紙は、結構なお値段が
するのですけれども。全紙大で1枚2000円とかね。
で、紫式部さんに話が行くのですが、、
源氏物語はご存じのように大長編小説なわけです。
ということは、結構大量の紙を使って書かれている、
ということです。さっき清少納言の話をしたように
紫式部さんは、源氏物語を書くにあたって、
大変高価な紙を、大量に使える立場にあった、
ということです。
そういう経済的に強力な力を持っていた人、つまりは
紙のような貴重な品を、しかも大量にかつ継続的に入手し、
購買できる経済的裏付けの力を持ったブレーンというのか
スポンサー的な存在の人がいないと、源氏物語は存在し
得なかったわけです。
紫式部という優れた書き手がいたこと、
そして、紫式部の書く文章を、おもしろいおもしろい
と、特に目をかけていた宮中の女性読者がいたこと。
そして、大量の紙を継続的に供給できる財力を持った
ブレーンの存在。こうした稀有な環境がそろって
あのすぐれた恋愛小説は成立したということなのでしょう。
和紙の文化史から見ても、『源氏物語』は特筆される
ものであった、ということが分かるような気がいたします。
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Comments
大河絡みで最近ネット上で発表された漫画をチラッと見たんですが。紫式部を平安時代の同人作家として捉えてコミカルに描いていて,言われてみたらそんな感じだよなあ,と膝を打った次第です(笑)
その中に,娘を抱えて同人誌=源氏物語(笑)執筆に勤しむ中,評判を聞きつけた道長から彰子付き女房へリクルートされる場面があったんですが・・・人付き合いが苦手だしぃと渋る彼女を,娘ちゃん(大弐三位)が「そこなら紙が手に入り放題で,好きなだけ書けるんだよ〜」と強力にプッシュしてたりして,ああ,この作者さん,コミックにはしてるけど,時代のことがよくわかってらっしゃるんだなぁと,更に感心しました。
それはともかくとして,紙が大事だったからこそ,役目が終わっても裏紙として再利用してくれて,思わぬ貴重な史料が残ってたりするんですよね。たかが紙,されど紙。
Posted by: Ikuno Hiroshi | 24. 03. 19 PM 10:00
---Ikuno Hiroshiさん
和紙について、一時結構いろいろと調べた時期があったのですが、、やはり日本は紙の原料となる木材も比較的少なかったし、製紙を営む家も少なかった、ということがあったようです。そういう貴重品の紙がたくさん手に入る、というのはやはり相当に魅力的なことであったでしょうね。今風に言ったら、無限の書くフィールドが拡がっていた、というようなことでしょうかね。
Posted by: 謙介 | 24. 03. 20 AM 12:08