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24. 03. 19

源氏についての

今年の大河ドラマ、平安時代になりましたね。 従来は、安土桃山時代の最後のころ(信長・秀吉・家康の時代)か、 幕末の辺(坂本龍馬の活動した時期)を なんとかのひとつ覚えみたい(でも、そうでしょう? ほとんどその時代ばっかり じゃないですか)みたいにドラマ作ってましたが、、 さすがにネタ切れでしょう。

『源氏物語』は、最初に習ったのは高校の国文の授業でした。 1年、2年の古文は、教科書に載った様々な時代の 作品を読んでいきましたが、3年の古文は ずーっと『源氏物語』をひたすら読んでいく、という 授業でした。謙介の最初の出会いは、ですから高校の古文でした。 で、高校を卒業して某大学 文学部国文学科というところに 進学いたします。謙介の行った国文学科の基本ポリシーは 最終的に専攻は決めて、その作品研究をするのだけど、 それまでの時期は、上代(古代)から近現代文学まで 一通りの作品を購読して、各時代の文学の作品研究は 最低限やんなさい、というものでした。 それで、当然、授業の中には、中古文学(平安時代の文学)も あったのです。ですが、、謙介、その中古の先生となんだか しっくりいかないところがありました。ありていに言ってしまえば 嫌いな先生でした。でも、その先生の科目で、国文法通説 というのがありまして。それは必修(浮世の義理)だったので、 いやいや取ったのでした。(助詞、助動詞論でした) 最終講義のあと試験がもちろんありまして、、、次の学年最初に 教務課からいただいた成績をみたら93点も取れていて、、 よかった、この嫌な先生の授業を落第して2年間もとるような ことだけは避けられた、とホッとしたことを覚えています。 ですが、やはり国文科に来たのですから、源氏くらいは 通読しておかないとけないだろう、ということで、 1年生の終わった春休みに、1週間くらいかけて『源氏』を 読み通した、ということがありました。 若いって、すごい集中力ですよね。今だったら『源氏物語』 1週間で通読は無理でしょう。 くわえて、その時の読書記録を見たら、文学史の授業で 習った、田山花袋とかの作品も読んでいるんですよね。 我ながらすごいなぁ、と感心したりいたします。 さて。話を『源氏物語』の成立事情に戻します。

平安時代、紙は大変な貴重品でした。
例えば、清少納言が枕草子を書くに至ったのは、
内大臣の藤原伊周(ふじわらのこれちか)が
中宮定子と一条天皇に紙を献上するわけです。
清少納言さんは中宮定子にお仕えする女官だったわけですね。
その献上された紙を見て、中宮定子さんが清少納言に
「帝は『史記』を筆写されたけれど、これに何を書いたら
いいかしらねぇ」とご下問されたわけです。
すると清少納言は「そりゃあ、枕(枕詞などが書かれた書物)
でございましょう」と答えます。そうすると中宮定子さんは
「なら、お前(清少納言)にあげるわ」と申されて、清少納言さんに
その紙を下賜されます。 まぁそれで枕草子ができたと、
いうことです。

平安時代、紙の製法はすでに中国から入ってきていて
紙漉きはされていたようです。しかし、そうそう大量に
紙は生産されなかった。だから紙は大変な貴重品だったわけです。
ここでも内大臣が、天皇に献上するような貴重な品物で
あった、ということが分かります。

まぁ今でも書道用の手すきの最上等の紙は、結構なお値段が
するのですけれども。全紙大で1枚2000円とかね。

で、紫式部さんに話が行くのですが、、
源氏物語はご存じのように大長編小説なわけです。
ということは、結構大量の紙を使って書かれている、
ということです。さっき清少納言の話をしたように
紫式部さんは、源氏物語を書くにあたって、
大変高価な紙を、大量に使える立場にあった、
ということです。 そういう経済的に強力な力を持っていた人、つまりは 紙のような貴重な品を、しかも大量にかつ継続的に入手し、 購買できる経済的裏付けの力を持ったブレーンというのか スポンサー的な存在の人がいないと、源氏物語は存在し 得なかったわけです。 紫式部という優れた書き手がいたこと、 そして、紫式部の書く文章を、おもしろいおもしろい と、特に目をかけていた宮中の女性読者がいたこと。 そして、大量の紙を継続的に供給できる財力を持った ブレーンの存在。こうした稀有な環境がそろって あのすぐれた恋愛小説は成立したということなのでしょう。 和紙の文化史から見ても、『源氏物語』は特筆される ものであった、ということが分かるような気がいたします。

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Comments

 大河絡みで最近ネット上で発表された漫画をチラッと見たんですが。紫式部を平安時代の同人作家として捉えてコミカルに描いていて,言われてみたらそんな感じだよなあ,と膝を打った次第です(笑)

 その中に,娘を抱えて同人誌=源氏物語(笑)執筆に勤しむ中,評判を聞きつけた道長から彰子付き女房へリクルートされる場面があったんですが・・・人付き合いが苦手だしぃと渋る彼女を,娘ちゃん(大弐三位)が「そこなら紙が手に入り放題で,好きなだけ書けるんだよ〜」と強力にプッシュしてたりして,ああ,この作者さん,コミックにはしてるけど,時代のことがよくわかってらっしゃるんだなぁと,更に感心しました。

 それはともかくとして,紙が大事だったからこそ,役目が終わっても裏紙として再利用してくれて,思わぬ貴重な史料が残ってたりするんですよね。たかが紙,されど紙。

Posted by: Ikuno Hiroshi | 24. 03. 19 PM 10:00

---Ikuno Hiroshiさん
 和紙について、一時結構いろいろと調べた時期があったのですが、、やはり日本は紙の原料となる木材も比較的少なかったし、製紙を営む家も少なかった、ということがあったようです。そういう貴重品の紙がたくさん手に入る、というのはやはり相当に魅力的なことであったでしょうね。今風に言ったら、無限の書くフィールドが拡がっていた、というようなことでしょうかね。

Posted by: 謙介 | 24. 03. 20 AM 12:08

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