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21. 02. 13

至急必要だったんだってば(その1)

4月からの仕事に必要な資料とその写真が欲しかったのです。
確かにグーグルの画像とかで検索したら
その画像っていくつかヒットはするのですが、、
他人様の写真を勝手に使うのは著作権法違反ですし、、
そういうことはやりたくないですし、、、
でもこの時期なぁ、、うろうろするのはなぁ、、
とぐるぐると思考停止になること、何十回と繰り返した結果、
ええい! ということで、行ってきました。
何処へ。見たらわかります。
高速バスでOCATへ行きました。

Img_0625

難波から近鉄の奈良線の快速急行で新大宮へ

Img_0627

新大宮で降りて、北に行きます。

国道24号線と平城京の一条通の交差点に出ます。

Img_0630

ここに奈良市立の高校があるのですが、
この高校の傍らに芸亭の推定地という碑が建っています。
ここかつて石上宅嗣(いそのかみ やかつぐ)の邸があって
宅嗣さんの蔵書だった本を、一般に公開して見せた、
ということが行われました。その建物の名前が「芸亭」
というものでした。

Img_0635

このことは続日本紀(しょくにほんぎ)
に出てくる記録なんですけどね。

この「芸亭」というのを「うんてい」と読む読み方なんですが。
「芸」を「うん」と読みます。
実は、この「うん」と読む読み方がこの「芸」という字の
正式の読み方なんです。
と、言うと、「芸」は「げい」だろ? と言う人が
ほとんどなんですが、実は正式にはこの字は「うん」の
読みが正しいのです。
理由はこうです。
第二次世界大戦後、筆順の多かった感じの新字体の漢字を
造りました。例えば「醫」を「医」とか、「樂」を「楽」とか。
その中で「藝」の字の字体を「芸」にしちゃったんですね。
ところが、実はすでに「うん」と読む「芸」の字があったわけです。
新字体を作った人がこの「芸」のあることを知らなかったんです。
そのために「芸」が「げい」になっちゃったんです。
後から書道界の字に詳しい人たちが、「芸」は「うん」という
読みの字がありまっせ、と言ったんですけど、
もうねぇ、「芸」げいで登録して、公布した後だったので、
失敗作は今もずーっと続いている、という状態なんですわ。

で、「芸亭」の取材をして、今度は一条通を東に行きます。

ずいぶんと歩きますと道の左側、(北側)に御陵が見えてきます。

Img_0651

これがまぁ、聖武天皇と皇后の御陵なわけです。

Img_0652
皇后ということですから、光明皇后ですね。

こっちが聖武さんの御陵

Img_0655

でもってこっちが光明子の御陵

Img_0656

更に東に行きます。道がだんだん狭くなっては来ますが
古い家々が並んでいて、いかにも古い街のたたずまいが
あって、趣がある感じがします。

Img_0650

謙介ね、10代の頃なんて、こういう古い家って
全然興味がなかったんですけどねぇ、、。
どうしたもんでしょうね。今はこういう町家とか
古民家に惹かれてしまいます。

で、普通の家々が並んでいるのですが、突き当りに
突然古代が顔を出します。

Img_0663

さっきの聖武天皇陵だってそうですよね。
ごく普通の民家の中にそういうものがあって、、
そういうところが今の奈良らしいです。

Img_0668

長くなりました。佐保路の一番東まで来た
ところで、いったん区切りとします。
以下次回。

 

 

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