もの憶う夏の終わりに
今年の2月と、3月、明石と淡路島に行ったことは
ここにも書きました。
前々から、父方の祖父母、さらにはさらにその前、と
遡れるところまで、遡って調べておこう、
という気持ちはありました。
ですがなかなか行く予定が立たなかったのです。
しかし、去年、オヤジもオフクロも施設に入る、
ということがありました。
なるべく早いうちにいろいろなことを知っておきたい。
分からない部分については、訊いて確認をしておかないと、
ということを強く思うようになりました。
ちょうど2月、3月で、時間が取れる日ができたので
ええい、ということで、それぞれ明石と淡路に行って
祖父母の除籍謄本を取りに行くことができました。
さすがは淡路の方は戦災に遭わなかったですし、
市の方針もあって、結構古い戸籍まで遡ることが
できました。
その戸籍に連なる人がいたおかげで今の自分も
あるわけですが、、、、
昔は家を維持しようとして、兄弟姉妹同士とか
いとこはとこ間で自分の息子や娘を養子・養女に渡す、
いうこともあったりして、、
そうしたいろいろな人の営みがあったために
今の自分もそこに連なることになったのだ、
と思うと、ちょっとした感慨があったりしました。
去年の秋、父方のいとこの連れ合いが亡くなりました。
その人は肺がんで、3年前に淡路島で会った時に
もう治す薬があらへんねん。あとは自然に任せることにした、
と、きっぱりと答えたのでした。
昨年の11月に容体が悪くなり、
島の国立病院に入院して、最期の看取りを行った、
といとこから後で聞きました。
先日は、同じく淡路のまたいとこが亡くなりました。
前々から「オヤジが、あの家はどういうもんか知らんけど、
男は長生きせえへんねん」と言っていたとおり、
2人とも70代で亡くなりました。
しかし二人とも死に対して、最期まできっぱりとした姿勢を貫いた
と、聴いています。
どれだけ生かされた、ではなくて、
どれだけ生きた、ということが大切なのだ、
と改めて二人の最期を思いながら考えたことでした。
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