「不要不急」
「不要不急」
最近、この言葉よく聞きますね。
謙介、正直に言いますが、毎週県をまたいでの移動をしています。
このブログを長年お読みの方は
みなさん、お分かりいただいていると思うのですが
施設に入っている親の状態を見に、どうしても
帰って、という移動をしています。
最初、まだこれほど事態が切迫していなかったころから
(今年の2月くらい)すでに両親の施設は
面会禁止、ということになっていました。
そういうこともあって、何週か面会に
行かなかったのです。 いや、正確に言うと
施設には行っていたのです。
おやつの時間に渡す茶菓子を持って。
それで会わずに帰っていたら
ある日、オフクロが、施設の人に
「最近、息子が全く会いに来ない」と言って、
息子に会わすまで、エレベータのところで待っている
というような実力行使に及んだのだとか。
それを施設の人から聞いて、
そこまで言うのかなぁ、とただ単に不思議に思ったのでしたが、、
それで、1か月に1度、15分程度、ということで
実際に会う、ということになりました。
それとか1週間帰っていませんから、郵便物とか
宅配便とか、留守の間のチェックということも
あります。 用事がありますからねぇ、
ということで毎週、ドキドキしながら移動を
しているのです。
不要不急、というと、この写真のようなものが
その語源、ということになりますか。
太平洋戦争直前に、戦争に必要な物資、
(中でも特に鉄だの銅だのという金属関係ですが)
そうしたものが日本と諸外国の緊張関係を背景に
日本に入ってこなくなりました。
入ってこなくなったら、今度は自国内でかき集めなければ
なりません。そこでまず手を付けたのが
鉄道でした。日本全土の鉄道のうち「不要不急路線」
をピックアップして、その路線を強制的に休業
(という名の実質廃止)にして線路を取り外して
それを軍事の資源に投入する、ということを
したのでした。
ここで「不要不急」という言葉が出てきました。
写真は阪急の桂から嵐山に向かう路線ですが
右側の線路が外されているのが、お分かりかと
思います。戦前に嵐山線ができた時は
全線複線だったのですが、不要不急路線の
指定を受けて、片方が外されてしまい、
単線になったのでした。
それでもこの嵐山線なんかは、かろうじて単線で
残ったからまだいい方です。
物見遊山のケーブルカ―なんか、高野山のように
生活路線は外されませんでしたが、京都の愛宕山に
のぼるケーブルとか、四国の屋島にのぼるケーブルカーは
線路を外されてしまいました。
屋島は戦後復活しましたが(今はまた一応休止)
愛宕山は復活することはありませんでした。
軍事用語が、長い時を経て
また復活したなんて、皮肉なものですね。
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Comments
「海外からの観光客が減って、京都の観光地はどこもすいている」と聞いて、2月の連休に嵐山に行きました。嵐山線に乗りましたが、たしかに単線でした。
わずか2ヶ月前のことですが、あの頃はマスクをする程度でのんびりしてましたね。
高齢者施設の面会制限、何ヶ月も続くと大変ですよね。
小学校休校で「子どもの世話のために勤務できない親」が問題になりましたが、高齢者の通所施設休業で「親の世話のために勤務できない子ども」が出てきているそうです。
一日も早く病気の流行が収束して欲しいと願っています。
Posted by: mishima | 20. 04. 22 PM 12:44
---mishimaさん
この時期ですから、遠距離介護をやっている人間は、結構多いと思うんです。 そのうえ、今はデイサービスも休止になっているところも多いと聞きます。ディサービスに行ってもらっている間、家族は自分のことをしたり家のことをしたり、できるのですが、その休みがないので、24時間ずーっと介護をしなくてはいけない、ということになります。お風呂に入れるとか、食事の世話、本当に大変だと思います。そういう家も少なくないと思うんです。本当にmishimaさんのおっしゃる通りです。一日も早いコロナの収束を願います。
Posted by: 謙介 | 20. 04. 22 PM 9:28