『万葉集』巻5
新元号でございます。
この「令和」という字は「隷書映え」する字だと
思って、隷書体で書いてみました。
やっぱり、ぴったりですね。
楷書より、字の落ち着きがいいように
思いました。
赤地に金粉を散らした紙に書いてみました。
おめでたそうでしょ。(笑)
こっちは白い紙に書いてみました。
字の出来はこっちのほうがいい感じです。(笑)
今回の改元で、急に「万葉集」にスポットライトが
あった、とやらで、
あちこちで万葉集の本が品切れになっているのだとか。
もう「びつくり」なことでございます。
でねぇ、いろいろな人な人のコメントを
読んでいたら、ピントの外れたような
ことを書いている人がいてねぇ、、
やれやれ、という気がしたり。
どう書いてあったか、と言えば
「令和」の「令」の字が「命令」である、と。
確かに「令」には「使役」の意味だってあります。
ですが、言葉の意味は多面的です。
いろいろな意味を包含しています。
ただ令は「命令」の「令」だけの意味では
ありません。
英訳をする時、 dog イコール 犬
と訳したら事足りる、ということでもないでしょうに。
一つの言葉に意味は一つだけですか?
それと、言葉の意味は、時代によって変化を
します。
それとちょっと聞いてみたいのですが、
令和の令を「命令」の「令」だとか
言っている人は、時代別国語辞典の上代編の
辞書をちゃんとひいているんですか?
万葉集をはじめとして、記紀とか
日本霊異記の用例をきちんと調べてきて
それで「令」には命令の意味がある、
ということを主張しているのですかね?
少なくともこの詞書を書いた
人がこの「令」の字を
どのような意味で使ったか、
という用例を全部調べたのですかね?
それからこの詞書に中国文学の影響を見る人も
います。確かにそうですが、この詞書を書いた
人の意識にどの程度、その意識があったのか、
ということも考えなければなりますまい。
「一般的」ではダメなのです。この詞書を
書いた人の表記意識を見なければ。
中国文学との交渉を言うのであれば、
その前にこの詞書を書いた人が
どういう意識でこの文選を考えて
いたのか、ということを分析しないと
いけません。
文字の用法、表記というのは
個性が出るものですから、
一個人を対象として考えなければ
なりません。
最近の万葉学会の発表を見ればよくわかりますが
例えば人麻呂の表記意識、とか、
憶良の表記について、というような研究発表が
多いのです。あくまでもその人の表記意識は
どうであったか、ということを
見ないといけない。
その分析はきちんとしているのですかね?
ということを謙介はまずもって
聞きたいと思いますけどね。
中国文学の影響があったとか、一般的には
そうだった、というのではなくて、
この詞書を書いた人の表記意識、
言語感覚はどうだったのか?
最低その程度はして明らかにしていただきたい。
同時代の文献の用例を全部調べてきて
それでもって「令和」の「令」は命令の令の字だの
とご主張になるのであれば、謙介も
はいそうですか、と、納得しますけれども、
現在の言葉の意味で、1200年以上前の
文献の用例の意味を比較したって、そんなもの
物差しが全然違っているのですから、
全くお話になりません。
あまりに批判が雑。
そんなもの
単に「令和」について、もしくは「元号」そのものについて
いちゃもんをつけたいから、
そう言っているだけのような気がしてなりません。
それと、どうも万葉集から引っ張って
来たのが気に入らない、ということ
なのでしょう。
あ、それとね、万葉集の編纂についても
結構誤解している人がいます。
あのね、ここで、きちんと言っておかないと
いけないのですが、「万葉集」は、
天皇が作れ、と命令した
勅撰の歌集ではありません。
誰が作ったのか、というのは明確では
ありませんが、最終的には大伴さんのところで
まとめられた、ということになっています。
あくまでも大伴家のプライベートな歌集です。
日本中の古い和歌の索引である「国歌大観」
だって、万葉集は「私家集編」に収録
されています。決して「勅撰集」ではありません。
そういう位置づけの歌集だ、ということも
万葉集を見る時に考えないといけません。
ちなみに最初の勅撰の和歌集は
古今和歌集です。 その古今集から
21の勅撰集が作られました。
それらは二十一代集と呼ばれます。
今回の元号選定ですが、
「国書から」という意見が出された段階で
ある程度「万葉集」あたりから、か、
ということは予想できたことでした。
その理由は以下のようなことです。
国書、となったら、おそらく国文学者、
もしくは日本での漢文学(凌雲集とか文華秀麗集、
経国集、懐風藻あたり)の研究者からの意見具申、
だろうと思っていました。
で、謙介は、その国文学者で、元号の選定の
具申をできるような長老格の学者を見渡した時に、
中古文学(平安時代)もいない
中世文学にもいない、
近世文学にもいない。
近現代文学にもいない。
結局は上代文学(記紀歌謡・万葉集)
の専門の方しか、思い浮かばなかったのです。
その方は、文化勲章もいただいていますし。
(今の首相が 最初に首相だった時ね)
そういう意味では首相の意向が濃厚だったかもしれませんねぇ。
だから今回の出典が万葉集、と言われた時に
あ、そういうことか、と一連の流れ、
というようなことが分かった、ということでした。
それはまぁともかく。
万葉集はいいですよー
冒頭の歌なんてあーた、(どこのあーたさんなんですかね。笑)
ナンパの歌ですよ。
丘で山菜摘みをしているおねいさんに
名前はなんていうの? おうちはどこ?
ぼくと付き合わへん? って歌いかける歌ですですもん。
いきなりナンパの歌から始まる万葉集って
そのおおらかさが好きだなぁ。(笑)
みなさまもぜひ一度この機会に万葉集を
手に取って読んでみてくださいねー。
日本人って、もとはこんなふうに
おおらかで心情豊かな人間だったのね、
ということがわかりますし。
(と言ってもこんな薦め方して
誰が読むのよ、という気もするけど)
文字通り、和やかで良い時代になってほしい、
と思うこと切でございます。
« 野村へ(その1) | Main | 休みには関係なく »
「おべんきゃう」カテゴリの記事
- 源氏についての(2024.03.19)
- 十何年も前から言ってるんですけどね。(2022.08.10)
- 「う〇こ」じゃないやつ(その3)(2021.08.30)
- 「う〇こ」じゃないやつ(その2)(2021.08.30)
- 「う〇こ」じゃないやつ(その1)(2021.08.30)



Comments
万葉集,いろんな意味で「素直」なお歌が多いですね〜♪ ナンパの歌とか不倫の歌とか(笑)
京極派などのお歌に疲れた時に,ふと読むと,目の前がパッと明るくなるような気がします。
・・・編纂者である家持さんの歌あたりになると,ちょっとヒネられてるところがあるみたいですが。
令和に関してイチャモンが付きやすいのは,やっぱりあの人が首相だからじゃないですかね〜。
Posted by: Ikuno Hiroshi | 19. 05. 01 AM 12:09
---Ikuno Hiroshiさん
万葉集、素直な歌が多いですし、防人は有名ですが、遊行浮女(うかれめ)の歌とかもありますし、「ぶっ即席か」(さすがです。ぶっそくせきか と入力したら「ぶっ即席か」と変換になりました)というような歌もありますしね。謙介的には、平成ってあまり良いことがありませんでした。新しい時代は年号のように和やかで良い時代にしたいなぁ、と思います。
Posted by: 謙介 | 19. 05. 01 AM 8:28