「らしさ」(その1)
先日、「がくじゅつけんきゅうかい」があるので
来ませんか、と、別のところからお誘いが
来たのです。
いつですか?
と聞いたら、1月の12日なんだけどさぁ、
ということでした。
世間では3連休の初日です。
そこに行くということは、
業務で行くということになります。
3連休の初日によりによって仕事かよ、とか思いつつ
で、誰が来るのぉ?
とめんどくささ100パーセントで
聞いたわけですよ。
そうしたら、松竹の歌舞伎担当の
脚本書く人なんだけどさ、
というお話です。「ふふふ。こない?」
「行きますよ。行きますとも、
ええもちろんですともさ」ということで
でかけたのでした。
会の開始は午後2時だったのですが、
ちょっとその前に、構内の売店に行ったりする
用事があったので1時20分くらいに会場に着いたのでした。
これが構内なんですけど、本当に寒そうです。
会に先立って講師の先生が
持参してきた資料を見せてくださいました。
講師の先生は松竹のIさんで芸文室の
の方です。
テーマは「規矩を守る」。
去年、歌舞伎ではアニメのワンピー○、とか
ナル○を原案にした、歌舞伎の上演がありました。
今度はジブリの「風の谷のナウシカ」を
歌舞伎公演でする、というし、、。
まぁねぇ、歌舞伎の演目のテーマって
何でもあり、ですから
そういうのもあり、だろうな、とは思います。
心中ものなんて、そもそもが
今でいえば、週刊誌ネタの記事を
芝居に仕立てたものですしね。
で、次です。
じゃあ、なぜ歌舞伎の敷居が高いのか? ということです。
若い人に、歌舞伎を見たことありますか?
と聞くと、ほとんどの人がない、と言います。
じゃあ、落語はどうか? と聞いたら
落語になると10人中、5、6人は見たことがある、
と言います。
で、歌舞伎の敷居が高い理由としては
まず、観覧料が高い。
それから、
落語と違って、東京、京都、と言った
大都市では常設の小屋もあって、
歌舞伎の公演も頻繁ですが、
地方都市に至っては
公演回数が限られています。
だから見る機会が非常に少ない。
それともうひとつ、ということで
先生、これを出してこられました。
押隈です。(まぁ見りゃわかるけど)

歌舞伎役者が隈取をするわけですが
公演が終わった後で、その隈取の顔のまま
羽二重の生地を顔に強く押し当てて、
生地に隈取を遷したものです。
でね、問題なんですが、、
この隈取、大成駒と言われた
6代目中村歌右衛門丈の
「関八州繋馬」という演目の「胡蝶」
という役の隈なんですけれども、、。
(胡蝶と言いながら鬼ですからね)
でもってこっちの隈

これは「暫」と書いていますからわかりますよね。
こっちは17代目市村羽左衛門丈のものです。
お二方とも、人間国宝でいらっしゃって、
同じ平成13年にお亡くなりになっています。
暫の隈のほうは「赤い隈」です。
胡蝶のほうは「茶色い隈」です。
これはどういうことかというと、
歌舞伎の約束事で、赤い隈の登場人物は
「正義の味方」ということになっています。
鬼というのはたいてい「茶色」とか「青い」隈です。
実は歌舞伎にはそういう「決まり事」というのか
「約束事」が結構あります。
講師の先生は、それを知って観る、
観ない、で楽しみの度合いが違ってくる部分が
ある、と。そういう歌舞伎の世界の決まり事
が、若い人の歌舞伎はわからない、
ということにつながっているのでしょうね、
というお話でした。
ただね、たとえ「ナルト」とか「麦わらの一味」を
歌舞伎でやったとしても、
歌舞伎の「決まり事」に則って作られていれば
それはきちんと歌舞伎である、
ということが言えるのだと思います。
形式を知っていて、それをどういうふうに
裏切るのか、どういうふうに破るのか、
ということを考えて行ったものであれば
「型破り」ということになりますが、
形式も知らず、単に無茶苦茶やった、だけ
というのであればそれは「形無し」にしか過ぎない、
ということです。
謙介が↓字を感心しないのは

きちんと楷書の字の勉強をした、という
ことが、この人の書いた字からは
まったくもって読み取れないからです。
「楷書」の「形」も知らずに
いきなり無茶をやってもなぁ、、
ということがあるんです。
歌舞伎とか書道とか、日本の芸事というのは
ああ、やっぱりそうだよなぁ、、と
思いながら先生の話を聴いていたのでした。
長くなりました。
いったんここで措きます。
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