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18. 09. 21

言い伝えは、非科学的・非論理的なものなのか

今年の夏も暑かったですねぇ、。

ちょっと前までは体温みたいな気温、
って言っていたのが、いつの間にか
38度とかいうようになって、
それが39度になって、
とうとう今年は40度だそうです。

加えて、大雨に台風に地震。
天災が相次ぎました。

来年、年号が変わるいわゆる
改元になりますが、
平安時代の人の感覚からいっても今は
改元のタイミングだったかもしれないなー
とか謙介は思っています。

(こんなこと思ってる人間なんて、
ほかにあまりいないと
おもいますけれども)


天災が相い次ぐというのは、昔の人に
とっては改元しよう、ということの
大きな動機ですもんね。


改元なんて、今はそうしょっちゅうあることでも
ありませんが、昔は結構頻繁に改元が
ありました。

4、5年に一度くらい
やってた時期もありますし、、。

今年の夏は、歴史を勉強してきた人間にとって
無力感に襲われた夏でもありました。


今は何でも科学的な知見が大切、
と言われます。

そういう時に、「昔からの言い伝え」というものは
あんな非科学的なもの、と言われて
一顧だにさえされないことが多々ありました。

ですが、大水の出た倉敷の真備町を見ても
愛媛の大洲を見ても、昔の人は大水の出る区域、
というのは経験で知っていて、
そういう大水の出る場所には水田を作って
家を建てる、ということは一切しませんでした。

9月11日に大洲に行ってきました。
四国巡礼の中で必ずお遍路さんが行く、
とされる大洲の十夜が橋の横のお堂
には、ここまで水が来た、という表示が
ありました。
Img_5214_2

大洲で大水の出たのは、旧市街の西の大洲ではなくて
大洲の東のほうでした。
この大洲の東のほうは、
昔から田んぼしかありませんでした。
なぜなら、ここに6つの河川が合流する
場所があったからです。
それで大水が出やすい場所だった、
ということです。
だから土地の人は、
田んぼしか作らなかったのです。

そんな場所に、最近、高速道路の
インターチェンジができました。
それを契機に、いろいろなお店がワーッとできました。
だって、田んぼで、何もない場所だったですから
その田んぼを買収してケーズ電〇やら
ユニ〇ロやら、マクドナル〇やら、
シネマコンプレックスやら、いろいろなものが
一気にできたわけです。

ところがねー、この場所はさっきも言ったように
6つの川が合流しますから、しょっちゅう
川が氾濫していたわけですよ。

本州資本の人は、人の流れは調査しても
そんなことまでは
調査しなかったのでしょうねぇ。

インターができた、人が来る、
土地は空いてる、それっ! 店を作れ!
ということだったのでしょう。

ですが人も来る、場所ではありましたが
大水も来る場所なんですよねー。
ここって。

10年ごとくらいに大水が出ては
今回のようになりますねぇ。

地元の人はみんな知ってる。
だから、古くから治水のしっかりした
西大洲の街には家を建てていたけれど、

東大洲には建てなかった、
ということだったんですけれども。


ただね、
あまり語られないことですが、
大水が出て、良いこともあるのです。

大水が出ると、家には被害が出て大変
困ったことになりますが、

一方で田んぼには上流の肥えた土が流れてきて
自然の力で、一気に田んぼの
土地改良ができたのです。

肥料をやらずとも、何年かに一度、
大水が出て土の移動がある、
というのは田んぼにとっては
大変良い事でした。

大水の出る場所には昔の人は家を作ることは
決してしなかったのですが、、
稲作をする農家が減って、そういう場所が
宅地に転用されていったたために、
昔の言い伝えで、大水が出る、
という場所にどんどん家が建てられるように
なりました。


倉敷の真備町でもそうです。
平安時代の延喜式で、真備あたりの
神社の所在を見たら、今回みたいに
あれほどの大水が出ても、決して大水の被害が
ない場所に神社がありました。

加えて、昔の人が神社を置いた場所、
というのは、水についての何かしらの
問題がある場所でした。

だから神様の力で水の害を少しでも
減らしていただきたい、と祈ったわけで。


昔の人は、確かに科学的な原因の追究、
ということでは今の人には全然及びません。

ですが、昔の人は
予測できないような自然の猛威に
直面することがしばしばありました。

そんな災害に遭った経験が、
昔の人に実践的な
対処法についての
学習をさせることにつながっていた、
ということはあると思います。

だから「あの地は家を作らずに田んぼにしていた」とか
いうことですよね。


経験から導き出された方法、
というのは、確かに非論理的な部分もありはしますが
そのベースは現実からの学びですから、
十分に実践的なものでは
なかったか、と思うんです。

なんでもかんでも昔のことはダメ、
非科学的だ、とか言って
排斥しなくってもいいのに、
とか思いますけどねぇ、、。

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