こんなこと調べる人間なんてほかにあまりいないとおもうけど
今回の大雨による被害、
いくつか大きな被害があった個所がありましたが、、
地元の人に良く聞いてみると、
お天気だけでなくて
人災じゃなかったの? ということも
出てきました。
その一つがダムの放流です。
野村というところがあって、ここも
今回の豪雨で被害が
大きかったところなんですが、、。
謙介の住む町にもダムがあるんですが、こちらのダムは
ずいぶん早い段階から
ダムの放流をしはじめていたのです。
水曜日とか木曜日あたりから。
つまり貯水率が80パーセントくらいのあたりで
すでに流し始めていた、ということなのです。
他方、野村町のダムは、金曜日に貯水率が
100パーセントになって、
それから一気に流し始めたわけです。
今回被害に遭った人のコメントを聞くと
「水が急に来た」ということがあるんですが、
それとこのダムの放流が関係していないのか。
これからの検証が必要な気がします。
これがひとつ。
それとこれは我々がマスコミと付き合う時の
ポイントにもなると思うのですが、、
今回、被害状況の写真というと倉敷の北側の地区の
写真ばかりが出てきます。
水没した街を撮ると、確かにそれだけで被害の大きい
災害であった、ということはわかるかもしれません。
ですが、被害のあったのは、中国四国九州地区の各県に
及んでいます。どの県も被害の多少はあるのですが
そんなこと、あの被害の写真ばかり見せられたら
他の地域にまで想像が
行かないような気がするんですよね。
コメント欄にも書きましたが、高知への高速道路は
山が地滑りを起こして橋梁・橋脚もろともに流れ落ちてしまい
影も形もありません。
高知への運輸手段は
今や国道33号線しかないのが現状です。
それからJR四国は、財田川橋梁の橋台が傾いてしまった
ことをはじめとして、山崩れ、その他、復旧工事が必要な個所が
30個所ある、とのことです。
広島で言えば、呉・尾道方面へのアクセス道路はすべて
土砂崩れで今なお不通です。
JRも同様に不通です。
それから、離島とか山間部に行くと、水道の浄水施設
そのものが大きな損傷を受けたり、
浄水場から各戸へ供給される途中で
壊れてしまっていて、供給がストップしている
個所もたくさんあります。
ですから、避難所で水洗トイレが使えない。
手洗いがおざなりになる。
飲み物としての水が不足している。
何せ道が通れないので輸送手段が限られていて
水が運ばれない、運ぶことができない、という状態です。
避難所にいるのも田舎の事ですから
お年寄りが多い。
お年寄りにこの暑い毎日。しかも体育館の板の間ですから
寝ることもできにくいでしょう。
ニュースは東京からなので、見たり聞いたりしていても、
現実の報道になっていなくて、どこか他人ごと、という
感じがするんですよ。
ああ、こんな話をしたかったのではないのです。
歴史をやってきた人間として、の話です。
謙介さん、思うところがあって
延喜式内社を調べてみたわけです。
延喜式というのは、
延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十が
延喜式 神名帳という別名のついた書物なんですが
これに何が書いてあるかと言いますと、、
当時「官社」に指定されていた全国の神社の
リストが書かれてあるわけなのです。
どういうことか、と言えば、平安時代に
既に信仰されていた、古い神社の
リスト、ということです。
古くから信仰されていた神社のリスト、
ということです。
これはどういうことかと言えば、
「神社の置かれるところはどういう場所か?」
ということになるのです。
謙介の睨んでいるのは、
神社の置かれる場所というのは
川の合流地点だったり、川筋の場所だ、
ということです。
つまり大水が出たりすると困りますし、逆に
水がなくては、当時の経済の基盤であった
お米ができません。水利というのは
古代の人の一大関心事、だったわけです。
ですから、大水が出て被害があるような場所
水の流れの分かれ目の場所には神社を
作って、川の流れが平穏でありますようにと
祈ったのだと思います。
そういうことで、今回の倉敷の大水の出水地点と
延喜式内社の配置を見てみましたら、
合流地点から800メートル東のところに
菅生神社という神社がありました。
それから菅生天津神社が1キロ東に
ありました。
百射山神社が3キロのところにありました。
何と都窪郡の神社3座すべてが
この川の合流地点の近くにあった、
ということです。
多分ね、ここの合流地点の
洪水は昔から頻繁にあった、ということ
なんでしょうね。だからこそ、
それを鎮めていただくために古代の人は
ここにお社を作って信仰の対象としたのでしょう。
延喜式の神社の配置を見ますと、
そういう土地の事情が
垣間見えてくるように思います。
でも、たいていの人は、「そんなこと」と言って
バカにして顧みもしないの。
科学・コンピュータの時代にばかばかしい
とか言って。
だけど、歴史に学ぶとか、人の生活の中からの
経験に基づくこと、ってそうした実際に被害を
受けたことからの信仰ですからね、
それなりに意味の
ある言葉と思うんですよ。
ということでここに書いておきたいと思います。
「おべんきゃう」カテゴリの記事
- 源氏についての(2024.03.19)
- 十何年も前から言ってるんですけどね。(2022.08.10)
- 「う〇こ」じゃないやつ(その3)(2021.08.30)
- 「う〇こ」じゃないやつ(その2)(2021.08.30)
- 「う〇こ」じゃないやつ(その1)(2021.08.30)


Comments
報道は被害が酷い所ばかり…支援物資が偏etc色々な問題が。被害にあった人によっては報道こそが問題という意見も。陸の孤島なので橋は1つ。インフラの全国的に老朽化が問題、メンテナンスも必要。○輪やるんですか、久米氏は東北もあるし不要だと、九州や今回の事もあるので辞退という訳にはいかのでしょうけど例外的にとか。首相も飲んでる場合ではないでしょ!!避難所も衛生状態や盗難様々な問題がありかなり殺伐としていたり。真っ先に駆け付けるのは窃盗団+詐欺。4大文明も川、京都も水の都?とか。水が無いと生活不可能。
浄水場も駄目なら復旧には1年以上掛かる可能性も。東北も場所によっては停電は1日輸送etc1週間位で、電機は4日程度上下水道駄目でトイレやガスの復旧に3週間という所も。車もガソリンは緊急車両優先、地方では車なしで生活出来るのは大きな駅近く在住の方でないと難しいのでは?自転車盗難なんかもあったようですよ。謙介さんやご両親もこれからかなり大変ではないですか。あまり無理しないで下さい。高齢世帯や小さいお子さんがいたりするとより負担が増すでしょう。東北や九州では老いも若きも女性やお子さんは1人で行動しないで下さいと警察。家族がいない人はどうするんですかねぇ。食べ物etcで連込んで乱暴。復旧や自衛隊を装った泥棒とか。陸の孤島で江戸時代から有名な川とその支流近くなのでダムもあって両親も幸い健在ではありますが人ごととは思えません。謙介さんご両親も心配だとは思いますがあまり無理して体調を崩すことが無いよう気を付けてくださいね、ここの所の暑さはちょっと異常です。
Posted by: ゆき | 18. 07. 14 AM 11:04
---ゆきさん
先週なんかはやはり困りましたし、判断に困りました。雨がひどかったわけで、実家の両親も気になるし、片方で仕事場の仕事もありましたし、建物の状況も気になりました。(近くに大きくはありませんが川がありますので)昨日はこちらに首相が来たようですが、、今は流れ出た泥が今度は乾いてきて、空気中に飛ぶんです。なので、ボランティアの人は防塵マスクが必須、ということです。昨日の首相との話で宇和島、大洲、西予の市長がとにもかくにも浄水場と水道の整備が、ということを言っていました。それから、みかん畑が壊滅的にやられています。みかん畑は急傾斜地にみかんが植えられているのですが、それが山崩れを起こしていて、これも大変な被害です。そこへもってきて、この土地の国会議員山○、という人ですが、ご老体で、平生から杖をついて、歩くのがやっとの人です。こういう人で、地元を見て回って、迅速な対応を、ということができるのか?? とか思います。もうそういうネームで候補を選ぶというのはやめにしないと。今回のこの災害で、いろいろな意識が変わって新しい方向へ行くことを願います。
Posted by: 謙介 | 18. 07. 14 PM 5:52
謙介さん
ご無事で何よりです。
天候と人災による被害のお見舞い申し上げます。
今回もいろいろと教えていただきありがとうございます。
人々の「何もありませんように!」という
祈りは長い時代を経て今にあります。
わが家は産土神の神社のラインにあります。
特に考えたわけではないのですが、何か不思議な力ってあるのでしょう。
避難するかどうか本当に判断に困りますよね。
避難してと言われても長靴がなかったり、体力がなかったり、、、。
わが家の場合はモフモフの猫を連れていけるかどうか。
まあ徒歩で三分くらいなのですが。
被害の大きかったところは親戚のある県です。
TVのニュースを見るたびに心が痛みます。
知人がこういう時にお金使わない人がいるが、お金使って景気上向きにしないと!とブログに書いたことがあります。
その通りですが、なんかお買いものしてもいけない雰囲気の時ってありますよね。
Posted by: ラジオガール | 18. 07. 15 PM 1:59
---ラジオガールさん
信仰と災害ということはやはり密接な関係があるはずですよね。「そういうことが起こる場所」故に、人は神仏に頼ろうとしたわけですからね。そういう関連は十分にあると思うのです。で、そんなことを言いますと、
「だから文系は感情論に走る」というのですが、歴史を調べたら、そんなもの人の好き嫌いで歴史は結構変わってきているわけで。(本能寺の変だってそうでしょうに)歴史なんてそういう人の営みの動きの結果だ、ということを理解しないから、いつまでも歴史を暗記教科だとか認識できないのだと思います。(あ、すいません。ついつい平生の批判がでてきてしまいましたが) おそらくは、今回の場所が。そういう水害のある場所と古代の人も認識していたのでしょう。それがいつからか、そういう伝承が受け継がれなくなった。最近いろいろと災害が起こるので、歴史災害学という分野もできてきたようですが。それを言い続けるのは人文学徒の務めだと思っているのです。
Posted by: 謙介 | 18. 07. 15 PM 4:39