日本史の復習シリーズ(その1)
今回から何回かに分けて
日本史の復習シリーズ、を
やって行きたいと思います。
というのか、地元で日本史の教科書に出てくる
場所をあちこち回ったので、その記録を
書いていく、というだけなんですけど。(笑)
ということで第1回目は
菅原道真さんでございます。
年始の初もうで、道真さんのお力におすがりして、、
という受験生の人たちも多いのではないか、
と思います。 東京の湯島天神とか、
京都の北野天満宮とか、福岡の太宰府天満宮とかは
大変なことになりますですね。
で、道真さんは国司でこちらに来られていました。
国司でも「遙任」国司、と言って、
実際に任地に行かなくてよい、という
国司もあったのです。
ですが、道真さんの場合は
そうした遙任ではなくて、実際にそこに
行かなければならない、国司でした。
歴史書にも、彼が国司に任命されて
こちらに来ていた、という記述もありますし、
また、実際、菅家文草(かんけもんぞう)
という彼が作った漢詩の作品集があるのですが
その中に彼の国司時代の漢詩がたくさんあります。
ということで、道真さんがこちらに来て
4年間をお過ごしになった、というのは
歴史的に明らかなことでありましょう。
まず、道真さんの居た付近の資料が
欲しかったので、「埋文」に行きました。
あ、正式には「埋蔵文化財研究センター」と言います。
ここがその「埋文」です。

埋文では今、こんな展示をしていました。

考古学は謙介の学問分野にも密接な関係が
あります。上代文学なんて、文字の文献が
少ないですから、当時の人の暮らしを
考察しようとすると、どうしても
こうした考古学の研究成果を
使って証明する、ということになります。
それでね。
学部生だった時も、考古の研究室に
よく顔を出していたわけですよ。
なんですが、
文学部の中で、考古の研究室だけ、それはそれは
異質でございました。
国文の研究室っていうのは、本ばっかり、
というのが基本的な構成です。
史学だって、大抵の研究室は本ばかりです。
でも、考古だけ違っていました。
入ったら汗臭いし、
置いてあるのはスコップとか赤白の棒とか
巻尺とか。あ、それに負けずに多かったのが
酒瓶でしたねぇ。
もうねぇ、研究室じゃなくて、飯場でしたよ。飯場。
まぁそんな異質な研究室に行ったのです。
ただね、その時に、史学科の友達で
民俗学を専攻していた奴がついてきてくれて
考古の研究室の人に、「こいつは国文なんやけど
古事記・日本書紀の研究をやっとってな」と
いろいろと仲介をしてくれたので、本当に助かりました。
もし仮に、考古の研究室にいきなり行って
質問をしたら、考古の人たちも
「こいつ、いきなりでなんやねん」ということになって
いたかと思います。
史学科の友達がいろいろと言ってくれたので
その後もあれやこれや質問に行くことができたし、
そう異分子扱いもされることなく
質問をすることができたのでした。
考古学、というと、未だに
その時の飯場のイメージが強烈で
ついついそんなことを思ってしまうのでした。
(もちろん埋蔵文化財研究センターは
そんな飯場のようなところではなくて
きちんとしていましたが。笑)
センターの中の展示室の
展示を拝見したあと、事務室に行って、
国庁跡の資料はないですか?
とお尋ねしましたら、
いろいろな地図をくださいました。
それから、「この辺を回るのでしたら、ここに車を置いておいて
まわったらいいですよ」ともおっしゃってくださいました。
と、親切におっしゃってくださったので、御好意をうけて
車をセンターに置いて回ることにしたのでした。
長くなりました。今日はここまでといたします。
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