日本史の復習シリーズ(その4)
今日のお話、実は前回の翌日のことになるのです。
加えて今回は場所的には、日本史に出てくるのでは
ありますが、、、きょうの場所はあまり日本史には
関係がありません。
次回に期待をしていたただきたい、と思うのですが。
最初に行ったのは、高松琴平電鉄、地元では
「ことでん」と言っていますが、
ことでんのやんやんやしまえきでございます。
ことでんの駅には創業当初から改築していない駅舎が
いくつかあるのですが、ここもそのひとつです。
(ただし駅舎、昔はピンクなんかに塗られていなかった、
とは思いますが)

やんやんやしまえきから、緩やかな坂を上って行きますと突き当りに
新馬場公会堂という建物があります。

今はこんな公民館が建てられているのですが、
数年前まではここにこういうものがありました。

ここから屋島山上までのケーブルカーが走っていました。
戦前はずいぶんと利用客も多かったのです。
太平洋戦争の間は不要不急路線に指定されて
一時撤去されていましたが戦後、復活しました。
しかし戦後、ドライブウエイができて山上まで車で
行けるようになりました。加えてケーブルカーの駅は
電車の駅からも離れていましたし、山上でも
屋島寺とか展望台から離れていて使うのが不便でした。
そういうことで利用客がどんどん減って行って、
とうとう運転休止になってしまいました。
あくまで、休止であって、廃止ではありません。
公民館の裏に行くと、このように
ケーブルカーが置かれています。

でも、窓ガラスは割られているし、、、。
数年前まで片方の車両は山上駅にあったのですが
ワイヤーが切れたら大変、ということで
二両とも山麓の駅に下しています。

このようにレールも残っています。

ケーブルカーは定位置に停車しているのですね。
車両と乗車位置の矢印の表示がピタッと合っている
ところがまたまた哀しみを誘ってしまいます。

このケーブルカー、運休する予定日に故障があって
最終営業日を待たずして、そのまま休止に
なってしまいました。
しばらくは営業譲渡先を探していたのですが、、、
屋島に上る人も昔のようには多くありませんし、
上るとしたら車で行きますし、、、
そういうことでこのケーブルカーの再開は
難しいだろうなぁ、と思います。
ケーブルカーというと、反射的にフニクリフニクラを
思い出す謙介なのでした。
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Comments
イタリアの歌曲、僕も思い出しました。笑。
ケーブルカーの客集めに宣伝に確か使った曲ですよね、詳しいことは忘れてしまったけど。
Posted by: holly | 18. 03. 10 PM 3:46
---hollyさん
やっぱりケーブルカー、というとそうですよね。(笑) 結局今回のお出かけではケーブルカーに乗ったのですが。そのうち出てきます。
Posted by: 謙介 | 18. 03. 10 PM 11:59