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18. 03. 06

日本史の復習シリーズ(その2)

埋蔵文化財センターで
国庁跡一帯の地図をいただきました。

それを見ると、大体小一時間あったら、
国庁に関係していた場所を回れそうな感じ
でした。

この日はお天気も良くて、ちょっと前のような
寒風吹きすさぶ、というような天候では
ありませんでした。
うらうらとした春の日。

気温はそう高くはなかったのでしたが
風はなかったので、歩こう、という気になりました。

埋蔵文化財センターは小高い丘の上にありました。
丘を下っていくと、まずあったのが
開法寺跡、でした。
この開法寺は、道真さんがこちらに居た時に
作った漢詩の中にも出てくるお寺です。

詩の中に、国庁はこの開法寺の西に在り、
という詩句が出てくるので、お寺と国庁の
位置関係がおのずからわかるのです。
Kaihoji1
今は、この塔の礎石しか残っていないのですが、
道真さんの時代には、朝夕に鐘の音がして
読経の声も聞こえていたことでしょう。

お寺の跡からさらに少し北に行こうとすると
左側に小さな段差が見えてきます。
下の写真中央に段差があるのが分かりますか?
Gake
この段差の上がおそらく国庁の跡だろうと
考えられています。
そして段差の手前が綾川という川であった、と
いうことです。

田んぼの端の三叉路を左折してしばらく行くと
国庁跡の石碑が見えてきました。
Kokucho

国庁跡から北西に行った田んぼの中、
この辺が倉庫のあったところだそうです。
Souko

倉庫跡、たって、今では麦畑、なんですけどね。
この麦できっとうどんができるのでしょう。(笑)

建物の跡は今や地面の下で
確認することはできません。
ですが見渡す遠くの山々の稜線は
きっと道真さんが見ていた山々、
ということなのでしょう。

最近、道真研究もずいぶん進展してきました。
それとともに、昔から言われていたことが
最近の研究の結果、「違うよ」ということに
なってきています。

たとえば大宰府に左遷されたのは
時平の讒言による、ということが
今までは言われてきましたが、
最近の研究では、時平と道真は
そうそう悪い関係ではなかった、
という研究結果が出ています。

讒言はしていないだろう、というのです。
つまり時平ではない、他の誰かが
道真を陥れようとした、ということなのだそうです。

ここ讃岐での生活も、以前は不本意で
ろくなことがなかった、というものでしたが、
最近では、讃岐から帰った後の詩作の内容の
深化ということが評価され、彼の国司の4年間の
生活はその人間的な内面の成長をうながした、ということが
言われています。

そんなことを思いながら、はてさてこの地で
道真さんは何を思って暮らしていたのかなぁ、と
謙介は考えていたのでした。
今日はここまでといたします。


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