あかがねミュージアムへ(その1)
日曜日、前々から行こう行こうと思っていた展覧会が
いよいよその日で終わる! ということになって、
こりゃいかん、と思って美術館に行ってきました。
新居浜の美術館です。
正確には、美術館も入っている建物、
というところですかね。
美術館と、市民スペースと、小ホールが
入った複合型の文化施設、ということなのだそうです。
愛称は市民の募集から決まった
「あかがねミュージアム」

「あかがね」とはやまとことばで、「銅」のこと。
いうまでもなく、この新居浜にはかつて別子銅山があって、
銅の産出、加工で、住友財閥の基礎を作った街でした。
土地のお年寄りは、住友、と呼ばずに
住友の屋号であった「泉屋(いずみや)」で、呼ぶことも
あります。
今ではもう銅の産出はできなくなってしまいました。
いえ。まだ銅の資源はあるのです。
ですが、地中の熱が50度とか60度あって、もう人力での
銅の採掘は不可能になってしまったのです。
それで閉山せざるを得なくなった、ということだそうです。
しかしやはり新居浜、と言えば別子の銅、
ということでこの愛称になった、ということだそうです。
この美術館で、かつて小磯良平と、地元の新居浜の画家たちの
間に結びつきがあったとかで、その関連を中心とした美術展が
開催された、ということなのでした。

具体的には、
新居浜に画家の研さん組織があって、その講師として
小磯が招聘されて、何度か来て、講師をした、という
ことがあったそうです。
そのために今回の展覧会は小磯の有名な作品、
小磯に指導を受けた地元の作家たちの作品
というのが併せて展示された、というものでした。
もともと新居浜には、旧市庁舎を流用した
市立美術館があったのですが、
もともと市庁舎でしたし、建物も老朽化していたので
美術館をつくる、というのが構想としてありました。
JR新居浜駅前に、最初はホテルと
同居するような建物、ということで設計されていたかと
思います。しかし、ホテルと同居するような美術館なんて、
ということで美術館は美術館で、という単独で
造られることになった、ようです。
それでいざ建設になったら、今度は建設費用で
すったもんだがあったようです。
というのが、ほら、今、東日本大震災とか
日本の建設工事の職人さん自体の減少で
建設関係の人手がすごく足りない、という状況です。
で、市が競争入札にかけたのですが、
それが全然不調に終わってしまって、、
確か3度か4度競争入札を行ってようやっと
建設業者が決まった、というような新聞記事を
読んだことがありました。
今、どこも大変ですね。
それでようやっと、待望の美術館が出来上がった
ということになりました。
前の美術館は市役所の横で、市の中心部だったのですが
今度の美術館は、街中からちょっと離れたJR新居浜駅前に
あります。
大体、鉄道の駅なんて、昔は迷惑施設だったので
(列車の音がうるさい、蒸気機関車の火の粉が飛んでくる
同じく蒸気機関車の煤煙が飛んでくる、臭い。)
街の中心部から離れていて、土地の値段も安い
場所につくられる、というのが普通でした。
なので新居浜の駅も街の中心からはちょっと離れた
場所にあります。
その駅前に美術館ができました。
↓これが美術館の外観です。外回りは文字通り銅板葺で
造られています。

銅板部分を接写してみました。こんなふうな銅板です。

こちらが竣工時。 銅板の色がまだピカピカでした。

やがてこの銅版が、さらに色を変化させていくのでしょう。
そうしたら、また美術館の雰囲気が変わってくるように
思います。
変化する美術館、ですね。
長くなりそう(笑)なので、今日はいったんここで
措いておきたいと思います。
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