がんセンター内科外来で
今日は病院に行きました。
がんセンターは中核病院なので
最初からがんセンターに診療に、
という人はほとんどいなくて
街場のクリニックとか医院からの紹介で
来院する人がほとんどです。
しかもそういう人はたいてい午前中に来て
午後はもう定期的に来院していて、予約を
取っている人だけの診療、
謙介のようにずーっと通ってきている
患者に限られる時間帯ということになります。
なので、謙介の行く時間の内科外来
というのはたいてい見知った顔の人ばかり、
ということになります。
謙介、ひとまず肝臓からウイルスが除去されは
しましたが、それまでに肝臓が痛めつけられて
いたので、肝がんのリスクは、相当に高いのです。
なので、相変わらず1か月に一度の通院は
ずっと続いていますし、半年に1度は必ず
超音波による診断を受けることになっています。
まぁ前みたいに1週間に2回も3回も通院、ということは
さすがに無くなりましたけれども。
やはり今日、待合室の話題になっていたのは
星野監督のことでした。
実は謙介、今にして思えば、星野監督のことで
あれ? と思うことはあったのです。
というのが、去年の11月3日のことでした。
11月3日は謙介、実家に戻って
夕方のローカルニュースを見ていました。
実家の方のテレビの民放局はすべて、
謙介のいる四国側と、お向かいの岡山県側と
両方がネットされます。
従ってニュースの時間には、
当たり前のように四国側のニュースと
岡山県のニュースが
混在して放送されるわけです。
それで、その日のニュースに
倉敷市文化章(賞ではなくて、文化章だそうです)
を星野監督が受賞した、というニュースが
ありました。(11月3日でしたからね)
授賞式のあと、星野監督のインタビューが
映ったのですが、その時にあれ?
と思ったのです。その話し方があまりに
ちょっと弱弱しい感じがしました。
阪神とか楽天の監督だったころと比べると
元気がなかったですし、
その後のテレビ番組なんかに出てきて
しゃべっている時の話し方とは
ずいぶん違うなぁ、という印象でした。
で、今回の訃報です。
今になって、
ああそういうことだったのだ、という
ことで合点がいった、ということでした。
いまにして思えば、去年の11月3日の
段階も相当に辛かったのではないか、
と思いました。
人体のなかで膵臓のあるあたりは、
臓器が重なっているので、
超音波診断でも膵臓がんは見つけにくい、
と言われます。
うちの主治医だって
「機械に映る部分については、
異常はなかったですねぇ」
という言い方ですし、、、。
それともうひとつ。
非常に不思議なことがあります。
謙介ががんセンターで、知り合った
膵臓がんの人は、みんな69歳とか、
70歳前後だったんですよ。
いろいろな歳の人がいるのが
普通だと思うんですが、
膵臓がんの患者さんに限れば
みんな70歳前後でした。
それで、今回の星野監督も70歳でしたし、、
膵臓がんは70が壁なのか?
とさえ、ちょっと思ったりしたのでした。
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