« 初夏、京都へ(2) | Main | 初夏、京都へ(4) »

17. 07. 11

初夏、京都へ(3)

最近は外国人観光客が多い、というニュースを
よく聞きます。 
先日も、京都は外国人であふれている、
というようなニュースを見ました。
場所は清水寺。

あれ、清水寺とか鹿苑寺が、外人向けのガイドブックの
表紙になるから、なんでしょうかね。

日本人の観光客だってそうですね。
どうしてああも決まりきったところしかいかないのかなぁ、
と思います。

京都だって清水寺、鹿苑寺、以外にもっと
訪れたらよいような場所は山ほどあるのに、、
あと、嵐山とか。

余計なお世話だろうから言いませんけど、
京都の人間は、
「カップルで嵐山に行くと、ご破算になるえ」
と言って行きません。(笑)

Ikunoさんもおっしゃっていたように、
そういう人は、ありきたりの観光コースしか行かない、
ということなんでしょうね。

だから逆に言えば、そういう観光コースの場所さえ外して
おけば、観光客は来なくて、
静かな探訪ができる、ということですね。


さて。今日は中国人民との
大世間話大会の日でもありました。


長岡京の先生のお宅には、元同僚が待っていました。
中国の某大学の何(か)先生です。

先生は、今、交換教授で、日本に2年ほど滞在していて
今年の9月に中国にお帰りになるのです。

先生は謙介が中国に行って日本語を教えていた時の
同僚のです。お歳は40ちょっと。
あのころは、東京学芸大○の院を終えられて
大学に来て、すぐだったころでした。


奥さんは、日本の長ったらしい名前の銀行の
上海支店に勤務しています。

先生の職位は講師で、謙介が一緒に仕事をしていた時と
お変わりありません。

お子は2人いて、上の男の子は今、シンガポールの
全寮制中高一貫校に入れているのだとか。
なので、ご自宅は、銀行員の奥さんと、女の子が
2人でいるそうです。

中国の学校の先生は副業をしても、全然問題がないので
先生も副業やりまくりです。 加えて奥さんの月収も
外資系銀行で、そこそこの地位ですし、
銀行員なので、どうすればお金が殖えるか、
ということは専門です。

なので、何先生は金満家なのです。

先生、こないだ、京都の龍安寺の近くに
お家を買った、とおっしゃっていました。


何先生に会うのは、本当に楽しみにしていました。

日ごろ、中国からのニュースと言うと
なんだかなぁ、というニュースばっかりなのですが
この際に、本当のところはどうなの? というような
話を聞こうと思っていたのでした。

何先生、ずーっと講師のまんまなのです。
教授になれるお歳なのに、ずーっと講師でいて、
どうして助教授→教授になろうとしないの?
と聞いてみました。

そうしたら、助教授になろうとしたら、
まず自分が国家プロジェクトにどれくらい
応募して、研究したのか、という実績が要るのだ、
と言いました。
そこは日本も似たようなものです。
科研費に応募して、それが採択されて、研究実績を
積む、ということが日本でも重要視されます。
それから、と、何先生は言いました。

あと、党中央にどのように貢献したか、とか
大学当局に対してどのように貢献したのか、
という業績調書を書き上げなければならない、と聞きました。
その調書は、厚さが5センチくらいになるのだとか。

「そんなん博士論文を書くのと
おんなじやんか」と謙介思わず
言いました。「そうなんですよ。それでね、
よしんば教授になったから
と言って、何が変わると思います? 」
「お給料とか上がるでしょう?」
「日本円で、1万くらいですよ」
「ええええ、それだけの労力で、1万円なの? 」

「労力と、収入に見合わない」と先生がおっしゃいます。
さっきも言ったように、何先生、奥様の収入も相当のものです。
講師の身分で、最低限地位と、お給料は確保しておいて
後は、こっそりとお稼ぎです。

名を捨てて実を取る、というのでしょうかね。 
さすがのしたたかな生き方だなぁ、と思いました。
大学では、最近、何先生の
学科の学科長が変わったそうです。

「その人ね、日本語なんて
ほとんど話せないんですよ」
「でも学科長だから、
それなりの資格は持っているんでしょう?」
「博士号は持っています。 その人、日本語学でね」
日本語文法の研究だから、話せなくっても大丈夫、
という論法のようです。 

「ははぁ、わかった。 
党中央と太いパイプがあるんでしょ」
「ぴんぽーん」
「学科の思想監視、ということですか?」
と、聞いたら、「そう」ということでした。

ちょっと前から、特に思想に対する
監視がずいぶん厳しく
なったのだそうで、、。思ったことが言えない、
口を閉ざさなければ
ならない、ということが増えたそうです。
まぁ、そうだろうなぁ、ということは日本にいても、
感じますねぇ、というような話をしました。

そういうふうに「自分の思いを表現できない」状況になった
時に、かの国の人は、どうするのか、と聞くと、
「そんなもの、自身で行動するのですよ」
というお答えでした。
つまり、国内から出て、外国に逃げるのだそうです。
「だったら話せるでしょ」 ということでした。

かの国の人が外国に出る、というのは
「そういう理由もたくさんある」ということを
改めて知ったような次第でした。

いろいろな話をしたのですが、、
奥さんの仕事についても尋ねました。

「奥さん、日本の銀行にどうして就職したんですか?
中国人なんか、おそらく日本の銀行なんて、合わない、
って思うんですけど。 嫌とか、言ってないですか?」
「いつも言っています。 でもどうしてわかるの?」
「日本の銀行って、本部からの方針がすべてで、
現場の状況に合わせて、適宜変えて、
なんて許さないでしょう?」
「あーそれそれ」
「だから、支店の社員なんて、
本当に将棋の駒みたいなもので
意思を持って、いろいろと動く、ということはできないでしょ」
「そうなんです。外資系でも、他の国の銀行だったら
現場の状況・現場の判断、ということを大胆に生かして
させてもらえるんですが、、」
「日本の銀行はそういうの、許さないからねぇ」という話をしました。

実は謙介、ずいぶん前に一人の中国人の身元保証人になったことが
ありました。彼女は、上海の学校を出て、東京大学の大学院に
入りました。修了後、当時の富士銀○に入行したのでしたが、
その時に、日本の銀行がどうなっているのか、という話を
よく聞かされていたのです。

何先生との話の中で、
やっぱり今も日本の銀行って、
そういう組織風土なんだなぁ、
ということもわかりました。

現場が実態を良く知っているのだから
フリーハンドで任せられるような組織にしなければ。

こんなふうだから世界から取り残されるのだ、と
謙介は思います。


それから今、日本企業が
中国から離れて出て行っている、
ということについても話しました。
「あのね。 プリンターの会社で
エ、、という会社があるでしょ」と
何先生が言いました。あの会社、
上海と蘇州の間の地区に
工場を建てたのだそうです。
そこが操業を始めてから、
川の汚水が一気に増えたのだそうで
。しかも、検査の結果
有毒物質の含まれた汚水をろ過もせずに
川に流していたとか。

それがわかって、汚水を何とかしろ、と
中国人が会社にデモをした、と。
そうすると、そのデモを人民政府が圧力をかけて
つぶしてしまったのだそうです。

しばらくそのエ、、、なんとかの
会社は操業していたのですが、
そこの工場は閉鎖して、
今はその工場はベトナムに
移ったのだそうです。 ベトナムでも有害汚水を
巻き散らかして環境破壊を起こしているのでは?
と思います。

ユなんとかというファストファッションの
チェーン店もそうですよね。冬になった
らカシミヤの入ったセーターを
安く売りますが、その原料のカシミヤ羊を
飼育するために中国奥地の草原は
羊を飼うことになって、一気に砂漠化が
進んでいます。

あの会社、瀬戸内海の島の緑とか、環境を守る、という
ようなオリーブ運動をしていますが、
よその国に行って、環境を
壊しているわけで、、ねぇ。

まぁこれは何先生と会話した中の一部なんですけど、、
もう日本のマスコミに出ないような話の連続で、、
いろいろと話を聞くことができました。
何先生のお土産は、中国のお茶でした。
Chainatea1

しゅーきんぺーもこのお茶を飲んでる、という
お話でしたよ。

Chinatea2

何先生は夜、遅く、阪急に乗って龍安寺のお家に
お帰りになったのでした。


(今日は全然京都の話ではなかったですね。笑)

|

« 初夏、京都へ(2) | Main | 初夏、京都へ(4) »

おでかけ」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91870/65507994

Listed below are links to weblogs that reference 初夏、京都へ(3):

« 初夏、京都へ(2) | Main | 初夏、京都へ(4) »