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17. 05. 25

後ろむき人生

最近、謙介の仕事場の街の放送局が
「ゆめモグ」とかいうキャンペーンをやっているのです。

それは何かと言えば、小学生くらいの子に
将来は何になる、とか何になりたい、
という夢を語らせて、その夢を大切に持たせる、
という運動なんだそうで。

これをお読みのみなさんは、
小さいころに、将来はこういう職業に就きたいとか
こういう人になりたい、というようなことがありましたか?

謙介はね、そういうのが全くなかったのです。

全然思いつかなかった。

小学校の時だったか、図画工作の時間に、
自分の将来なりたいものの絵をかきましょう、
というテーマで絵を描かなくちゃならない時があって、、。

周囲の人は、画家になりたい、とか
野球選手になりたい、とか、
何だかもう決まっていたらしくて、
さっさと絵を描き始めていたのです。

しかし謙介なんて、将来のなりたいものが
「さぁ、、?」の段階ですから、
そこからまず考えないといけなかったわけで、、。
本当に困りました。

それでね、「お坊さん」になりたい、ということを
言って、お坊さんがお経をあげているところの
絵を描こうとしたわけです。

そうしたら、担任の先生が
「変わっている」とか言って、、
結局その絵をかきあげて、学期末の保護者懇談会で
返してくれたのですが、「お坊さんになりたい、
ということを彼は言っています。、お家でよく話してください」
というようなことでした。

そのニュアンスが、あからさまに「お坊さんは
感心しない」というような考えに基づいていた、
というのは、子ども心にもわかったのでしょうね。

大体が大きくなったら、こういうものになりたい、
というのもなかったですし、その中から必死に
ひねり出してきた「お坊さん」というのも否定されて
しまって、謙介はますます
大人になったら、こういう職業につきたい、
というようなことは全く考えなくなってしまいました。

それともうひとつ。

多分小さい時から書道なんかやっていたことも
理由のひとつになるのかもしれません。


字のうまい、下手を見てしまったから。

大きくなってこんな職業につきたい、とか言ったって、
「才能があらへんかったら、どないしようもないで」
とか、みもふたもないようなことを
思っていました。

「大人になったら、何になりたいの?」というような
大人はそういうの要求したがるんですけどね。
夢があったらいいじゃないか、
と言っている人がよくいますが、、、、


夢に向かって努力する、と言っても
「どうしようもない」場合だってあるよ、とか。

それで、そういう夢を持つって、
必要なことなんですか? 
と真顔で聞いてみたいのです。

大学に入学する18くらいでさえ、
今思うと自分のことなんて全然わかっていなかったなぁ、と
思います。自分の場合は25を過ぎてからでしたねぇ、

そこで、
自分の場合は、仕事として何ができるのか
何だったら、我慢してでもできそうか、
と考えていって、消去法で自分のできそうな
仕事を出していきました。
いくつか出したうちのひとつが、今の仕事ではあります。

まぁそういうふうに先のことは全然考えようとか
しないくせに、

過去のことは思い出して
しみじみと感慨にふけったりすることは
ものすごく多いのです。

実はこのところ、ずっとその状態が続いておりましてですね。

というのもNH○で毎回楽しみに見ていた
『京都人の密かな愉しみ』が終わってしまったから、
ということが一番大きいわけなのです。


あの番組の中に出てきた京都のそこここを
見るたびに、「ああ、あそこはあの時に○○さんと
歩いたなぁ」とか、ドラマの撮影に使われた
相国寺とか妙心寺の塔頭とかを見るたびに
ドラマの筋とは関係ない個人的な思い出が
後から後から浮かんできて、、ふう、とため息を
つくようなことがこのところ続いているから、なのです。

「未来の夢を語りたい」前向きな人からみれば
やたら「過去の思い出を語りたがる」人間は
後ろ向きで、非生産的で、と言われるんですけどねぇ。

でもね、自分の場合は、
その思い出が自分の生きる糧、になっているのです。

あの時に見た、西山に沈んでゆく夕陽、
春の宵、嵯峨で見た満月、
夕方の渡月橋、
黄昏時の太秦三条の商店街
上賀茂の御薗橋から見た時雨の北山、
叡電で上がった貴船の新緑
いろいろな風景が季節の折々に浮かんできます。

その記憶とともに一緒にその場にいた人のことも
思い出します。
中にはもう会えない人もいて(そんな人のほうが
ずっと多くなってしまいました)

その人の声と、一緒に見た風景を重ねて思い出します。

毎日の生活で荒んでとげとげしくなっていた
気持ちも、そんな回想で、少し穏やかになるのでした。



とおいひはにどーとかえらない
ゆうやーみのかつらがわーっと。


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Comments

そうですね、過去の経験や感動、その時にチョイスした選択、人生いろんな事を思い出しますね。
それを自信と誇り、愛と勇気に変えて人は、生きていくのだと思います。
「お坊さん」になりたいなんて、ずいぶんとませた小学生ですね。笑。
流石です!

僕は、幼い時は、おぼこなので、「世界のダンサーになりたいとかでしたよ。大笑。
今では、ずいぶんと変わった道をたどっています。笑。
謙介さんは、なにか「お坊さんに」とは遠い気がするかもですが、なにか探求という、お坊様に、近い部分のものを適職の職業にして、立派に歩んでいらしゃるように思いますよ…。

伊勢には、「常若(とこわか)」と言う考え方、教義の哲学があります。

常若(とこわか)とは、いまを迎えた瞬間、今は過去になってしまう、今を感じようとすれば、その瞬間過去になってしまう、されど今に存在しながら自由に未来を創造できる、今が大切、今にこめる、そんな常にある若さの不思議なエネルギーが常若。

そんな事を先日自分は、考えました。
過去を振り返って、今を感じるのも人間の娑婆の醍醐味かと思います。
楽しんで、お互いすすみませう。

ためになるお話でした。ありがとうございます。

Posted by: holly | 17. 05. 28 at 오전 10:34

---hollyさん
それこそ後ろ向きな話から、なにがしかの「意味」をくみ取っていただいて、本当にうれしく感謝しています。それなりに大きくなってから、やはりお寺に出入りするような縁ができまして、お坊さん、というのを身近に見るようになりました。(というのか単純にお坊さんの友達ができたんですけど)そうなってくると、自分なりにそこから見聞きしたり、横で眺めていたりして、、、仮に謙介がお坊さんになっていた、としても、それは自分から逃げたいために、お坊さんになろうとしていただけだったのかなぁ、ということに気が付きました。どこにいてても、追いかけてくる自分というものとどう付き合うのか。そんなことを考えたりしました。 まだその自分との付き合い方の答えは出てないんですけどね。 たぶんああだこうだと言いながら一生かかって答えを見つけていく、ということになるのだろうと思います。
 hollyさんこそ、よいお話をありがとうございました。またいろいろなお話を聴かせてくださいね。

Posted by: 謙介 | 17. 05. 30 at 오후 11:09

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