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17. 03. 26

2017年春 近江・京都の旅(その3)

しかしまぁ、彦根に来て何がびつくりしたのか、といえば
宮○書店があったことです。

本店は謙介の実家のある街の本屋なのですが。

今やこの本屋、日本各地の処々方々にあるので、
よその土地に行ってうわっ、こんなところにもある、
とか思ってびつくりすることも再三です。


この本屋さん、ちょっと前まで年齢不詳の女性社長が
トップにいたのですが、その後その女性社長が亡くなって
今はその息子が社長になっています。


今回の彦根行では、前回のように竹生島に渡る、
ということもありませんでしたし、お城も行かなかったですし、、、。

せめて「なおりん」がしばらくいた(こらこら)
「埋木舎」(うもれぎのや)くらいは行ったらいいか、とも
思ったのですが、あそこも駐車場から建物までが距離も
あるようでしたので、止めにしました。

オヤジは前に二度転倒したことがあるので、
今回の旅行でも、その点にやはり、
ものすごく気を遣いましたです。

車に乗る時も、ドアの開閉は本人にして
もらいました。前に、気を利かせたつもりで、車のドアを
開けたら、そのドアのノブをつかみ損ねて転倒した、
ということがあったからです。

その代りオヤジが開けたドアは、こちらが必ず横にいて
ドアが動かないように、じっと持っていました。

それとドアを閉めるときには、大きな声で、「ドアを閉めるよ、
いい?」と声をかけるようにしていました。

それからちょっとした段差でも、必ずここは段差だよ、
というようにしました。
何度も声掛けをしてうるさい、と言われつつ事故の
ないようにしたほうが、声掛けをしないで転倒して
大変なことになる、というようなことよりよほどましだと
思うからです。
まぁ、そういうことはありますが、
両親との旅行も、正直なところ、毎回これが最後かなぁ、と
思いながら行っています。

子どもとしては、自信、とまでは言いませんが
親自身に、まだ自分は京都に旅行に行くことができる、
という気持ちを持っていてもらいたいと思うんです。
それが生きる上での気持ちの柱にもなるように
思うんです。

さて。

彦根から長浜に出ました。空は鈍い灰色です。
彼方の山を見たら、吹雪の空模様でした。
「あれは雪やな」とか言いながら、車を走らせました。
滋賀県も湖北地方の長浜まで来ると、
道路の標識に「福井県」の地名が
入ってくるんですよね。「敦賀」「小浜」「福井」とか
いうふうに。


長浜でも散策したかったのですが、もう午後3時に
なっていたので、長浜は通過するだけ、になって
しまいました。(今度また来たいです)

8号線から、琵琶湖の周遊道路のほうに入って、
途中、木之本の平和堂に寄ってトイレ休憩をして、
マキノから近江今津まで来ました。


Imadu


今津から北を見ると、、若狭と近江の国境の山は
雪がたくさん積もっていて、、やはり寒そうです。


Imadu2
同じ場所からですが、
今度は目を琵琶湖のほうに向けてみました。
前に行った竹生島が見えています。その後ろは
伊吹山です。 

あの山の頂上まで登ったのを懐かしく思い出しました。
登ったのは10月でしたが、もうすでに頂上は落葉も終わっていて
厳冬期、という感じでした。

今回行った近江今津も前回の旅の時に来ていたのです。
(この前はマキノのメタセコイアの木の並木を見に来ていた)
マキノに行くときに、ちょっと道が分からなくなって、
近江今津の駅の案内所で道を聞いたのでした。

その時、行く機会を逸していた、
「琵琶湖周航の歌記念館」に行きたかったのです。

この「琵琶湖周航の歌」ができたのが、1917年だそうで、
今年がこの歌ができて100周年になるのです。

Imadu3

琵琶湖周航の歌記念館ですから、当然のこと
その歌の疑問点に対して答えてくれる専門の人が
いるだろう、と思って行った、ということもありました。

やはりこの歌の最大のなぞは、この歌の6番でしょう。
歌詞は
 西国十番 長命寺 となっているのですが、
実際の長命寺は、西国三十三箇所札所の三十一番札所なんですよ。

どうしてこんなことになったのでしょう?

館内には、作詞者の小口太郎さんの資料をはじめ、さまざまな
資料が置いてありました。

歌詞の説明もあったので、館内にいらっしゃったここの
担当者に、長命寺の歌詞のところについて聞いてみたのですが、、

史実に合わせようとすると、「さいごく さんじゅういちばん ちょうめいじ」
と歌わなければならず、そうなると、あのメロディに歌詞が収まらなくなるために
歌詞を改変してしまったのです、ということでした。

それと、この歌がもともと旧制高校のボート部の学生同士の
思いつきで作られたような歌で、ここまで有名になって、
後々までいろいろな人に愛唱されるとは思ってもいなかった。
なので、まぁ適当に作っていた部分もあるのでしょう、
ということでした。

今では、長命寺さんにも「お許し」をいただいていて
間違いが「公許」になっているのだとか。

ウィキペディアを見たら「ご当地ソング」という言い方をしていましたが、
国文学で言うのであれば、「道行歌」という言い方がちゃんとあるのです。
歌舞伎とか浄瑠璃で、「~を過ぎて、~を通って」という語りがよく
出てきます。(特に心中もので) 

通った場所、とか、その地の有名どころを
読みこんで文章やら歌にする、というの
は非常に伝統的な歌の作り方であって
記紀歌謡にもその用例があります。
有名な影媛の歌もそうです。

石上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 
物多に 大宅過ぎ 春日 春日を過ぎ 
嬬籠 小佐保を過ぎ 玉笥には 
飯さへ盛り 玉椀に 水さへ盛り 
泣き沽そぼち行くも 影媛かげひめあはれ

そういう歌の形式があるのにご当地ソングなんていう
当世流の言い方でなど言って欲しくありません。
たぶん、道行歌、という形式があるのを知らない人間が
解説文を書いたからそうなったのでしょうけれども。

まぁいいや。
ということで謙介も、長年の疑問が解けて、すっきりした気持ちになって
資料館を後にできたのでした。

さて、資料館を出たのが4時過ぎだったのですが、、。
晩はもちろん京都泊まりです。
京都までどの道を行くのか、で、実はこのブログに
よくコメントを下さる、mishimaさんにお伺いをしてみたのです。

というのが、琵琶湖沿いの堅田、雄琴、と言ったところを通って
大津から比叡山を抜けて、北白川から京都市内へと
入ったほうが交通渋滞なく京都市内に行けるのか、
もしくは近江今津から、旧朽木村のほうを通っている鯖街道を通って
朽木から京都の大原に抜けて、京都市内に入ったほうがスムーズなのか
ということを聞いてみたのでしたが、、、
mishimaさんのアドバイスは朽木経由のほうが、スムーズでしょう、
ということでした。

そのアドバイスに従って、近江今津から
自衛隊の演習地の横を通って鯖街道に出て
朽木の集落を通って行きました。
なるほど、車が全然通っていません。
たまに対向車があるくらいでした。
道は盆地になったり山の谷を走ったり
していきましたが、、まだまだ両側には雪が
たーくさん残っていて、、それにびつくりしました。
やがて、途中トンネルを越えると京都です。
途中トンネルを出てしばらく行くともう
京都の大原に降りてきました。

例の京都大原三千院の歌に出てくる
大原です。

大原から15分ほどで高野(たかの)まで来ました。
何とまぁ近江今津から1時間で京都市内に入れました。

もしも湖岸の道路を走っていたら、こう早くは
着けなかったでしょう。


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