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17. 02. 04

ひとはなぜこんぴらさんをめざすのか(その3)

以下次号、と言ってから間がすっかりあいてしまい
申し訳ありません。

事故の後、整形外科に行って、頚椎を中心に
精密検査をしてもらいましたが、異常はない、
ということでした。
事故の後遺症って、しばらく間をおいて
出てくる場合もあるので、もうちょっと慣らし運転
という感じで生活していきたいと思います。


謙介の知り合いのおばちゃんで、
「あっ、こわ!」というのが口癖の人がいます。

何を言っても、とりあえず、「あっ、こわ!」と言うのです。
「××さん」と名前を呼んだだけで、もう怖いことが
起こったような顔をしているのです。

誰かが何か言ったら、「あっ、こわ!」

事故のことを言ったら、当然のように
「あっ、こわ! 」と言っていました。
その後、謙介、怖い人に会って話を聞く機会が
ありました。

別にそのおばさんでなくても、たいていの人に
今回、謙介が会った人の名前を言ったら、
「あっ、こわ! 」というような人ですけど。(笑)

その話はまた後日に。

ということで、こんぴらさんの話の続きです。
本宮の横にこういう石碑が立っています。

Okushamichi
「右 於(お)くのやしろ道」と書いてあります。
右に行ったら奥社ですよー、ということですが。

奥社までの階段は
さらに何段あるのか、ということですが、
さらに583段あります。
本宮までの階段、785段に比べたら、やや少なめでは
ありますが、本宮までは、周囲にお土産物屋があったり、
景色もあれこれと変わっていって、結構変化に富んでいたの
ですが、、、奥社までは神域ですから、参道の両側は
自然の木々だけです。

ここも本宮までと同じ感じで、最初は数段上がっては
また数段、という感じなんです。
これで奥社まで行くのであれば、楽勝と、思ったり
するのですが、、。

途中北原白秋の歌を、書家の安東聖空さんが書いた
石碑がありました。 安東先生の字は読みやすいですから
みなさんも↓読めますよね。
Hakushu

下のお守りは、奥社限定のお守りなのだそうです。
奥社は「天狗さんの修業の場」という言い伝えがあるので、
お守りも天狗さん、ということです。
Ofuda

途中「白峰神社」があります。
Sutokuin

さらに行きますと、今度は「菅原神社」があります。
御祭神は道真さん。
お社の前に、白梅と紅梅が植えてあって、
花が咲いていて、よい香りがしていました。
Michizanesan
崇徳院も道真さんも、香川県関係者ですね。

崇徳上皇は、こんぴらさんの正式な御祭神です。
(後からくわえられたのですが)
ご本宮でお祭りしてありながら、さらにここでまた、というのは
やはりそれだけ丁重にお祀りしている、ということなのでしょうか。

Keshiki2
本宮目指してのぼりはじめたときは、雨が降っていたのですが、
ここに来ると、薄日が射してきていました。

ここを過ぎてからが階段、本当に大変でした。

Img_0195

こういう階段が2セット連続♪であります。
つまり、写真のように階段をのぼって行って、
端までぜーぜー言いながらのぼり終えると、
今度は方向が逆になって、また上の写真のような
階段が続いている、ということなのです。


なんだか人生に似ているような、、。

ともかくも
いろいろな難行苦行を乗り越えて、
ようやっと奥社の鳥居が見えてきました。
Okusha1

奥社まで上がってきて、お参りをする人は
以前より増えた、ということです。

割合で見ていたら、ご本宮までが10としたら
奥社まで来られる人は、
1.5から2割というところでしょうか。
それでも以前より増えた気がします。
前は奥社までのおまいりは、0.5割くらいでは
なかったか、と思います。 本当に少なかったです。

あまりに少ないので、時々、参詣の人を襲う、
という事件があったくらいで、、、。

今は参詣の人も増えたので、最近では人間が起こす
事件は聞いたことがないようになりました。

ですが、どことも同じですが、ここもサルとか
イノシシが出るようになっているそうで、、、。
今では、人の注意よりけものの注意を
しないといけないようになりました。

(実際、そうした動物が出没しますから
注意をしてください、という注意喚起のポスター
がそこここにありました)
まぁ何はともあれ、ここまであがってくることが
できましたし、無事におまいりをすることも
できました。

Okusha2

それでは今度は下りていくことにします。

きょうはここで措きたいと思います。

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Comments

 異常はないということで,とりあえず安堵しています。ただ,脳脊髄液減少症というのもありますので,お気をつけて・・・

 ところで,奥社ですが・・・登りは「大人が階段のーぼるー 膝はもう死んでるのさー♪」とH2Oのパロディ歌いながらなんとかなっても,帰りの方が大変そうな気がします・・・膝がガクガク;;;

Posted by: Ikuno Hiroshi | 17. 02. 05 at 오전 12:08

---Ikuno Hiroshiさん
 歌詞を聞いて「想い出がいっぱい」とすぐにタイトルが思い出されたので、大丈夫ではないか(笑)と。
 そうなんです。正直のぼりながら、後、何回こうしておまいりができるかなぁ、と思いながらのぼりました。でもね、奥社の参道のあちこちに、奥社参詣1000回記念、と彫られた石碑があるんですよ。本宮まで上がるだけでも大変なのに、奥社まで1000回だって! (まぁだから石碑を立てるようなことなんでしょうけど)と思いました。いやはや世の中にはすごい人がおいでになるものですね。

Posted by: 謙介 | 17. 02. 05 at 오전 10:45

どうぞ、お大事になさってください。
僕もその回のブ○○モリを見たのですが、ことでん、国鉄以外の電車があったというのは、すごく驚きました。
(だからことさん、なんていうバス会社があるのですね... 知らなかったです)

Posted by: かわちゃん | 17. 02. 07 at 오후 10:35

---かわちゃんさん
 実はですね、その琴平へ通っていた電車の廃線跡を歩いたこともあったし、その記録をいろいろと調べたこともあったのです。それをそのままここで書くと、鉄ちゃん志向が強すぎて、こんなの、面白がってくれるかなぁ、と思って、書くのを止めたことがあったのです。(やっぱり書こうかなぁ。笑)
 戦前の琴平へは、4本の鉄道(国鉄・高松琴平電鉄・琴平参宮電鉄・琴平急行電鉄)が通じていて、本当に参詣客が多かったと思います。琴平参宮電鉄の車両は、廃線後、仙台とか高知、金沢に行きました。 琴平急行電鉄の車両は、名古屋の名鉄に行って、西国三十三カ所の最後の札所の谷汲山に通う電車になりました。琴平急行電鉄は、坂出から斜めに琴平まで走っていたので、廃線後は、もとの田んぼに戻ってしまい、現在ではほとんどその痕跡がありません。琴平参宮電鉄のほうも、廃止から50年以上が経って、、、。一昨年まで、善通寺赤門前の駅舎が残っていたのですが、老朽化で壊されてしまって、今は更地になってしまいました。戦前の一時期、鉄道ブームというくらいあちこちに鉄道が作られた時期がありましたが、あれは、いったいなんだったのか、と、廃線跡を通っていて思うことがあります。

Posted by: 謙介 | 17. 02. 08 at 오후 12:10

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