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16. 10. 27

きつうきつう かんにんどっせ もしくは 末成由美 ツアー(その2)

しばらく湖西道路を走っていきますと、
それまで高架で自動車専用道路、という感じだったのが
道路が平面に降りてきて、交差点だって普通にある
道路、というふうにかわってきました。

湖岸をしばらく走っていると、
広島の厳島神社のように、
水の中に立った鳥居が見えてきました。
Shirahige1


ここが白髭神社です。


湖面にたたずむ鳥居さんは、
湖北のランドマーク(ちょっと大げさですかね)
と言っていいかもしれません。

Shirahige2


長寿の神さまということなので、両親と
よくおまいりをしておきました。

白髭神社を後にして、さらに北に走りますと
再び道路が高架になって、自動車専用道路
という感じになりました。
車が高島市内に入ったあたりで、いったんそれが
終わって、また平面の道路になりました。

ここに道の駅「藤樹の里」というのがありまして、
この中のレストランでお昼ご飯をいただこうと思ったのですが、、。

入ったらまぁ、ものすごい人で、、、レストランは、
あまりの注文の多さに、品物をさばくことが
できなくて、注文停止状態。

オーダーストップです、
今は注文しないでください! と言われてしまいました。

店の人からすれば、大津や長浜といった
滋賀県内からの客だって、
四国からの客だって、客に違いはないのでしょうけど、

こちらとしては、せっかく、滋賀まで旅をしてきて、
さて、土地の名物を食べようと思って、
道の駅なら、この土地で生産される食べ物で作った
料理がいただける、と思って来たんですけどね。

いきなり注文できません、といわれたのは
ちょっとなぁ、と思いました。


仕方がないので、お向かいに地場のスーパーの
平和堂がやっているショッピングモールが
あったので、そちらでお弁当を買って食べました。

スーパーなんて、観光客相手ではないですから、
わざわざ地元の郷土料理を作って販売する、
というようなことはしていません。

巻寿しと稲荷ずしを詰めたものとか
海苔べんとう、と言ったような
日本全国どこのスーパーにでもあるような
ものでした。

ちょっとそれが残念でした。

この「藤樹の里」というのは、江戸時代の
陽明学者の中江藤樹のことで、
ここがその藤樹が生まれ、長じて教えを説いた
場所なので、こういう名前にしたのでしょうね。

で、ここまでは滋賀のお話なのですが、、
以下、少し謙介の日常の場所の話に移ります。

謙介の毎日の通勤コースというのか
仕事場の近所に文房具屋さん兼タバコやさんが
あるのですよ。

Inokeikodo1

こんなふうなお店。
(写真を撮ったのが早朝の出勤時間だったので
店は開いていない)


で、このお店のわき、そこにこんな石碑が立っておりまして、、

Inokeikoudo2
この場所で、藤樹先生はしばらく暮らしたのです。
どうしてそんなことになるのか、と言えば、


藤樹先生、祖父の養子になって武士になるのです。

(藤樹先生のおとっつあんは、仕官して武士になる道を
嫌がって、農家だったのですが、、。)

それで祖父の仕官していた、加藤家の知行地だった
米子に最初行ったわけです。

それが加藤家は米子から四国の大洲に
転封になるのです。 

謙介の仕事場の辺は、昔は大洲藩の
飛び地で、ここに大洲藩の郡の役所がありました。

藤樹先生のおじいさんが、その郡役所の奉行としてこの地に
来たのです。もちろん藤樹先生もご一緒に。

この場所は江戸時代の郡役所の跡で、ここで藤樹先生は
4年ほど過ごしました。

ここで藤樹先生は学問的な基礎づくりをした、
と記録にありました。それでこの石碑があるのですが。

そして、数年後おじいさんが郡の奉行職を解かれることになって
再び大洲へと戻ったのでした。

ただね、この藤樹先生のおじいさんが、
再び大洲にに戻った経緯がいささか問題が
ありましてですね。

昔この地方で飢饉があったのです。
その時に、この辺の百姓がみな、逃げ始めたのです。
これを「逃散(ちょうさん)」と呼びました。

それを見た郡奉行の藤樹先生のおじいさんは、
逃げた百姓を捕まえては、どんどん殺した、と
言います。 その中には女の人や子どももいたのですが、
みんな殺してしまった。

それで地元の人たちから、藤樹先生の
おじいさんへの怨嗟の声が高まり、
大洲藩も放っておけなくなった末に、
奉行の更迭に至った、ということのようです。

でもまぁ、藤樹先生がここで一時期を過ごして
学問に打ち込まれた、というのは間違いのない
ところです。

そういうことで、食事をしてから、この道の駅の近くの
中江藤樹先生の記念館に行きました。

Toshokan20163_024


Toshokan20163_023


館内には藤樹先生の資料も結構あって、
改めて中江藤樹の生涯についてたどることが
できました。

この記念館の学芸員の方に、四国の藤樹先生の
おいでになった場所近くから来たんですよ、と
説明しましたら、それはそれは喜んでくださって
もう最初から最後まで、われわれに付きっ切りで
それはそれは丁寧に展示品の説明をしてくださいました。

生涯をたどっていますから、
四国時代の記録もありました。

上に載せた謙介の仕事場近くの
文房具屋の同じ場所の写真も
当然ありまして、、。
(十分予想していたことではありますが。笑)

何だか遠いところに来て、いきなり自分の生活圏の
場所の写真を見ると、、
あれまぁ、という感じがしたのでした。

そんなこんなで中江藤樹先生の記念館を
十二分に見学して、次に行ったのが、
藤樹先生の墓所でした。

Img_1154


記念館から車で5分ほどのお寺に墓所がありました。
お墓はきれいに整備されていて、
地元の人の崇敬を今も受けている、ということが
よく分かりました。

そうして次の見学地へと向かったのでした。


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