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16. 08. 22

今日は宮中儀礼について考えていたことを
書きたいと思います。

国民が接する天皇陛下の報道については、
国会の開会式にお出になったとか、
外国の賓客にお会いになった、とか、
災害の被災地に赴かれ、
避難所で避難されている方々を励まされた、
というようなニュースがその大半だろうと思います。

ですが、実際はこうしたこと以外に、宮中祭祀も
行っておいでなのですが、
宮中祭祀については、ほとんど報道がありません。

謙介は卒業研究の中で天皇の即位儀礼の
「大嘗祭」をいろいろと調べました。
また、それに関連して
宮中の祭祀についてもいろいろと調べました。

引き続いて大学院で研究したのが、六国史の中の
「死」の表記だったために、天皇の崩御記事も
ずーっと研究対象で調べ続ける、ということになりました。

宮中祭祀の中には、
夜中とか早朝に祭祀が行われることが
あります。

加えてそうした祭祀の行われる時期も
春秋といった気候の良い時期だけではなくて、
冬のさなかの時期の新年とか、暑い時期
の行事もあります。


例えば、元旦には四方拝という行事があります。

1月1日の朝の午前5時30分に、天皇陛下が
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう、と読みます)
と呼ばれる束帯をお召しになって、
神嘉殿の南側の庭に設けられた建物の中に入り、
伊勢の皇大神宮・豊受大神宮の両宮に向かって拝礼した後、
続いて四方の諸神を拝する、という儀式です。

朝の5時30分に儀式が開始される、ということは
逆算したら、4時とか4時半には、準備を開始
しなければならない、ということですね。

そしてそうした宮中行事の中には、
非常に寒かったり暑かったりするようなところで
しかも長時間行われるものもあります。


どうしてそんな早朝からの儀式になるかといえば、
天皇は「太陽信仰」に基づいて儀式を行うからです。
それは「アマテラスオオミカミ」を見れば、
分かることですね。


話をもとに戻します。
天皇陛下のお歳、ということを考えたなら、
こうした宮中行事を含むご公務は、御体に相当のご負担を
生じさせているように思います。

本当にこの辺でご譲位があって
しかるべきではないかと、謙介は何年も前から
思っていました。


先日放送のあった天皇陛下のお気持ち、の中に
以下のくだりがありました。

 天皇の終焉に当たっては、
 重い殯の行事が 連日ほ
 ぼ2ヶ月にわたって続き、
 その後喪儀に関連する行
 事が、1年間続きます。
 その様々な行事と、新時代
 に関わる諸行事が
 同時に進行すること
 から、行事に関わる人々、
 とりわけ残される家族は、
 非常に厳しい状況下に
 置かれざるを得ません。


「殯」は、「もがり」と読みます。


このお言葉にあった、「殯」の行事、ですが
以下のようなものなのです。

古代の人の考えた「死」という概念は、
タマシイが弱ってきて、
身体からタマシイが離れることだ、
と考えました。

またタマシイはひとつ、というわけではなくて
分割・増加が可能と考えられました。

万葉集の中に「竹玉をしじに貫き垂らし」という
言葉が出てきます。 細い竹を小さい輪切りにして
それをネックレスとして首にかけたものでした。

どうしてそんなことをするのか、といえば、
古代において霊的な植物と考えられた
竹を短く切ってつないだ、その一つ一つの
パーツの中に「タマシイ」が宿る、と考えたわけです。
しかも「しじに」というのは、「たくさん」ということです。

このタマシイを増加させることを
タマフユ、と呼びました。
フユは「殖ゆ」の字を充てます。


タマシイがたくさん宿った竹の玉、というのは
生命力が盛んである、ということの象徴でした。

首にじゃらじゃらとした玉のネックレスをかけるのは
装飾、という意味だけでは決してありません。


「生命力を盛んにさせて、死を遠ざける」
という呪術的な意味がそこにありました。


生命力が弱くなった時は、
タマシイを活発化させ、身体から
タマシイが遊離しないようにする、
ということが、「死なないようにする」という儀式で
あったわけです。

実は「ふんどし」もそうしたタマシイの遊離を
防ぐ、という意味があって着用された
ものと考えられています。

このタマシイを活発化させる動作のことを
「タマフリ」と呼びました。

弱くなってしまった消えかかった「タマシイ」を
天皇の身体を揺することで、
そのタマシイを再び活性化させようとした、のです。


「殯」は具体的には、天皇のお体の入った棺を
毎日定期的に揺らす、ということを行いました。
そうすることで、天皇の「タマシイ」を
復活させようとしたのです。

この何とか生きかえって欲しい、という気持ちをこめて
天皇の棺を毎日揺らす儀式が「殯」という行事でした。

そうして2か月間天皇の棺を揺すって、「タマフリ」の
行事を行い、再生の儀礼を試みたのだけど、その
甲斐なく天皇のご意識が復活されることはなかった、
蘇生されることはなかった、ということになります。

その段階を以って天皇の「崩御」が
最終的に決定されるわけです。


そして、その「殯」の儀式の終了をまって、
今度は正式な葬送儀礼がはじまる、
ということになるのです。


この天皇の「代替わりの儀式」、というのは
天皇陛下のお言葉にあったように、
長く続きますし、、本当に大変なことだ、と思います。


昭和天皇の時は、
昭和64年の1月7日に皇居吹上御所で崩御された、
と報道があったのですが、それは近代医学上、加えて
法制上の解釈であって、宮中儀礼の上では、
まだ「崩御はされていない」という状態でした。

上にも書いたように
天皇の崩御は、「殯」という再生儀礼が終了したのちが
本当の崩御、ということになりますからね。

大体、「殯」なんて、
史学科の古代史専攻の人間か、
謙介みたいに国文学の上代文学専攻の人間でもなければ
ほかの人は知らないでしょうし、おそらく聞いたこともない、
というような行事ではないか、と思います。

上に書いたように、医学的、法制度的に、
天皇の崩御を意味する日付と、宮中祭祀として
天皇の崩御を意味する日付には差がありますが、
でもまぁその「殯」の期間の間に、
今度はそれに続く葬送儀礼の準備をしないと
いけませんからね。そういう次の準備、ということに
ついても必要な期間であると思います。

昔は「殯」を延々と2年くらい続けて、その間に
御陵を造営していた、ということも
ありましたからね。


ただし、現在の宮中の葬送儀礼というものは、
古代のまま、ということではなくて
明治期、大日本帝国になってから、特に
天皇の威厳を示さなければならない、ということで
付加されたものも結構あったりします。


上代から近世までの、さまざまな歴史の記述を見ていけば、
結構その時代の考え方によって、
天皇の葬送儀礼も簡素化した時期もありましたし、
逆に重大化した時期もありました。

ですから、一口に伝統にのっとった形式、と言っても
どの時代に合わせるのか、ということで
儀式の進め方にしても、違ってきたりするのです。


古代なのか、中古(平安時代)なのか
中世なのか、近世なのか。
いつの時代に合わせるのでしょう?

それぞれの時代によって、
宮中儀礼の形式もずいぶん違ってきていますからね。

そういうことなので、現代は現代で、
今の時代の状況にあったものに、
変えていってもいいのではないか、
という気も謙介はするんですけどね。

そんなことをお言葉に接して思ったりしたのでした。

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Comments

謙介さん
こんばんは。
お元気そうでなによりです。

天皇制については絶対反対の方もいますが、
わたしはそのお役目はだれも替わることができないと思います。

Posted by: ラジオガール | 16. 09. 04 at 오후 9:27

---ラジオガールさん
そうですね。いろいろな価値観の人がいますね。今回の天皇陛下の「お気持ち」のことがあったので、それで自分の周囲の人に聞いてみても、本当に人、それぞれいろいろな意見があるのだなぁ、と改めて思いました。そうですね。お役目を替わる、ということは、やはり謙介もむずかしいのでは、と思います。

Posted by: 謙介 | 16. 09. 05 at 오후 7:52

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