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16. 07. 20

引退したけどやる気まんまん(その3)

いよいよ1時半です。
司会者の方から、会のはじまりが告げられました。
最初に主催者の方のあいさつがあって、
その後嶋大夫さんが、椅子席の中央の通路から
登場です。

大きな拍手の中、嶋大夫さん、
席にお座りになります。
会の前半は女性司会者が質問をして
嶋大夫さんがそれに答える、という形式で
進んでいきました。

どうして、この浄瑠璃の道に進まれたのですか?
という質問がやはり最初の問いでした。

嶋大夫さんのお家は料理屋さんでした。

ご両親が浄瑠璃がお好きで
「郡中まで習いに行っていた」ということでした。

嶋大夫さんのお家のある北条から郡中までは、
片道40キロくらいあります。
ましてやそれは戦前の昭和初期のこと。
国鉄の蒸気機関車で稽古に通っていた、
ということなんでしょうね。

ですから、物心ついた時から、ご両親が
浄瑠璃を語るのを当たり前のように聞いていた、
ということだそう。 
「それでやっぱり好きだったんでしょうな」
という話でした。

で、村上五郎少年(嶋大夫さんの本名)が
15歳になった時のことです。

当時は太平洋戦争中から終戦直後にかけてですから
男手が払底していて、彼は郵便局の配達係を
していたのだそうです。

ある時に、親交のあった「武田のかまぼこやの
おっちゃん」が、竹本春子大夫(3代目)を
知っていて、大阪から竹本春子太夫と竹本越路太夫
のお二人の大夫を呼んで、浄瑠璃の会を
することになったのだとか。

こんなふうに地元の店の名前が出たりするところが
いかにも故郷でのお話の会だと思います。

ちなみにこれが現在武田のかまぼこやでございます。
(今朝写した写真)
Takeda

この店の前は通勤コースなので
いつも通っていますが、
嶋大夫さんの大夫誕生にここのかまぼこやの
おっちゃんが一枚かんでいたとは。(笑)
ローカルな話で会場も大盛り上がりでした。


その大阪から来たプロの大夫さんの語りを聞いた
五郎少年は、
なんとこれがほんまもんの浄瑠璃語りであったか、
とものすごい衝撃を受けたのだそうです。

今までやっていた「あれ」は一体なんだったのか。
これはぐずぐずしてはいられない。
大阪に行って浄瑠璃語りになるんや! 
と心に決めたのだということでした。

それで家族に相談したら、、、
母親以外はみんな反対。
五郎さんですから、後4人兄弟姉妹がいるのですが
父親兄弟姉妹はみんな反対したとのこと。

それでもどうしても浄瑠璃語りになりたい
浄瑠璃語りをしたい、と言いまわった末に
母親がついていって、大阪の豊竹呂大夫さんの
ところに内弟子として入門した、ということでした。

切望して切望して入った浄瑠璃語りの世界でしたが
やはり師匠の教えは厳しかったそうです。
加えて終戦後の食糧事情の悪い時期で
呂太夫さんの一家の食事もおかゆだったそうです。
そのおかゆも、弟子の嶋大夫さんの食べるころには
ご飯粒はなくて、米の汁だけになっていた、そうです。

五郎少年のところには、田舎の実家から、
毎月3000円の仕送りが
あるはずだったのですが、
この仕送りも遅れがちで、本当にこのころは
しんどい毎日だった、ということでした。

浄瑠璃の大夫というのは、
単に床本に書かれたものを、
一字一句間違えずに読むだけでは、
全然ダメなのです。そんなものは必要最低限の
ことでしかありません。


本を読むのではありません。
そこに「語り」が必要なのです。

語りというのは、
その演目の登場人物について、
この人はどういう職業の人なのか、
何歳の人なのか、に始まって、
どんな生き方をしてきた人なのか、
どんな性格なのか、
そういうことを床本を何度も何度も読み込んでいって、
登場人物の心理分析とか性格分析をして、
そこから導き出した登場人物像をかたちづくり、
語っていく浄瑠璃の中に、その登場人物を
描写していかなければならないのです。

特にこの嶋大夫さんは
武家の社会を描いた「時代物」ではなく
「世話物」と呼ばれる社会のありさまや
男女の感情・機微を表現する浄瑠璃語りが得意な方です。

司会者の質問は、嶋大夫さんの人生の中での
転回点になったことについて、それぞれ
質問していってくださいました。


中には答えにくいだろうなぁ、と思う
引退のことについての質問もいくつかありましたが、 
田舎に帰っていて同級生もいることの
気安さもあって、とてもフランクに
お答えいただきました。

去年人間国宝の指定を受けて
数か月後に引退発表、というのはとても驚きましたし
奇異にも感じました。

この日だって、お話の後で
浄瑠璃を語っていただいたのです。
語る気はまんまんなのです。

でも引退された。


どうもしっくりこない引退劇だったので
誰もが不思議に思ったと思います。

現にネット上でも嶋大夫引退理由、
というキーワードで検索してみたら
出るわ出るわ。

やはりみなさん関心が高い、ということなのだろうと思います。


この日本人がお話くださったのは、噂されていたような
三味線弾きの方としっくりいっていなかった、ということでは
ありませんでした。


分かりやすく言いますと、紅白歌合戦で言えば、トリで
歌うような位置の人だと本人は思っていた。
にもかかわらず、中堅の歌手のような位置づけを
されるようになった、ということでした。

軽く見られた、ということでお怒りになった、
ということでした。

芸というのは一生かけて磨いていかなかれば
ならないので、定年というのはないのでしょうけれども、
そういう扱いをされたのは「あんたもう辞めなはれ」
という意思表示なのだろう、と思った。だから辞めた
とはっきりおっしゃいました。

伝聞とか噂話などではなくて、本人のお口から出た
発言はそういうことでした。

お話の途中には、後ろのスクリーンに
嶋大夫さんの写真がいろいろと
投影されました。 

最初は2歳の時に
お父さんと一緒に写した写真、というものから
はじまって、
大阪に出て修行をはじめたころの写真、
はじめて舞台に上がった時の写真。 


写真とお話ともに嶋大夫さんの人生を振り返る、という
もので、ああ、この方にはこういう人生があったのだ、
こうして今に至っているのだ、というふうなことが
本人のお話とともに、こちらにもよく分かりました。

というようなことで、1部のお話の会は
終了したのでした。 


あまり長々と書いていると、
また能書きばっかりの長文じゃねえか、とお叱りを
受けるので、これくらいにします。

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