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16. 03. 29

春の京都旅(第2部・その1)

えー、京都の旅の2回目です。

先週は先週で一回京都に来て、帰って、
再度、京都に出かけた、ということです。

今回は再度すぐに上洛することになりましたから
実際は一度帰って仕事場で勤務をしているにもかかわらず、
なんだかずーっと京都にいたような気分になってしまいました。

ただ、今回は謙介が最初から最後まで
ずっと一人で運転をしていったので
写真の数が前回より少なめですが、、、。
もしよろしければおつきあいください。


25日の朝、6時に四国の家を出発しました。
今回は両親と謙介の3人の旅行です。
途中淡路島の淡路サービスエリアで
休憩をとりました。

両親と一緒ですと、駐車場に車をとめる位置もやはり
いろいろと考えて車をとめます。
トイレに近いか、トイレまで行く間に
段差はどれくらいあるか、とか。

2、3段の階段なんて、謙介にだって普通に上がれます。
ですが、老齢になるとそれすら上がるのが難しい、ということも
出て来るのです。なのでなるべく入り口に近いところ、を
選びます。この日は、早朝だったためにまだ車も少なくて
好きなところに車をとめることができました。

なるべくスロープのあるところを見つけて、そこに車をとめます。
休憩してコーヒーを飲んだり、トイレに行ってもらったりして、
出発です。

両親との旅行も、ここ数年あちこちと行くようになって
もう10回をこえました。

最初のころは、こちらのペースで動こうとしていて、
両親がなかなかついてきてくれない、ということで
イライラすることもあったのですが、
最近はもう両親のペースに
任せて動くことにしました。
自分のペースでなんでも仕切ろうとすると
やはりイライラすることもあります。
もう最初から、二人のペースと考えるようにしました。


今回の第一目的地は、京都ではありません。
神戸なのです。

実はオヤジを前々から一度連れて
行きたかった場所がありました。

なので、明石海峡大橋を渡ってすぐの垂水ジャンクションで、
いつものように直進せずに今回は第二神明のほうへ
行きました。第二神明から、阪神高速に入って、神戸市内へ
というコースです。

垂水ジャンクションから神戸市内の京橋インターまでは
普通なら15分くらいで到着するのですが、
その日は、途中の若宮の料金所から京橋までが渋滞していたので
(6キロくらいの渋滞)倍の30分ほどかかりました。


神戸のどこに行くのか、と言えば
ここでも何度かお話をしたことのある
「戦没した船と海員の資料館」へオヤジを
連れていって見せたかったのです。


途中で休んだり、渋滞があったりしたにもかかわらず
到着したのは、午前9時30分でした。
資料館は10時からだったのです、、。
建物の中に入って、1階のロビーでしばらく開館まで
坐っていようと思いました。

ただ、謙介、事前に資料館の学芸員の方にメールを送って
開館日程とか駐車場の確認をしていました。
せっかく行ったのに、臨時休館日だったりしたら
目もあてられませんからね。
25日が開いている、アクセス方法はどうしたらよいか
というようなことを確認しておりました。


その時にこちらの名前もきちんと申し上げていたのです。
資料館は2階にあるのですが、1階で、お掃除をしていた
おっちゃんが、我々の顔を見ると「せっかく来はったんやし、
資料館の人に聞いてあげますわ」とおっしゃってくださって
2階に行かれました。

ややあって、掃除のおっちゃんと資料館の方が下りてこられ
「〇〇さんですか? 」と訊かれました。「はいそうです」
「どうぞどうぞ」ということで開館時間でもないのに
見せていただけることになりました。

資料館の部屋をぐるりと取り囲むように
船の模型と写真が掲示されています。

Kobe

上の写真で厳粛な事実なのは、
この模型の船も、壁面の船の写真も、すべて戦乱の中で
攻撃に遭って喪われてしまった船である、ということです。

そしてこれらの船には、当然動かしている人がいたわけです。
その船員の大半が船の沈没とともに亡くなって
いった、ということでもあります。

今日、例の法案が効力を持ちました。
この国がたやすく戦争に巻き込まれるような国に
なろうとしています。

70年前にこれほどの犠牲を払って
平和な生活が奪われ、大切な人々の命が奪われていったことを
この国はまたはじめられるような国になろうとしているのか、
と思うと、本当に何とかしなければ、と思います。

犠牲になるのはいつも弱い立場にいる若い人や
普通の市民なのです。

徴用された船を見ていると戦前の日本を代表するような
浅間丸、秩父丸、鎌倉丸といった大きな貨客船はともかく、
戦争末期には遠洋漁業の漁船まで徴用しているのです。

日本のアホ軍部は
船を外洋に出す、敵に攻撃されて沈没する、の
繰り返しで、最後にはとうとう漁船まで
国家のためにと徴用されて働くようなことになってしまいました。

うちの祖父が機関長をしていた船だって、明治の中ごろの
建造の船で、当時でさえ、建造されて40年も経った古い船でした。

当時すでにディーゼルエンジンの船が主流だったにもかかわらず
その船は燃料効率や速度がのろい石炭ボイラーの船でありました。

そんな古い、効率の悪い船ですら国家のために、戦争遂行のために
運航させなければどうしようもないほどに戦況は悪化していたのでした。

船によると、米軍が攻撃中に写した写真の残っているのもありました。
沈んで海底で錆びついた鉄の塊になってしまっている写真も数多く
ありました。
本当に戦争は嫌です。

ソウルに居たときにも何度も、この国は一体どういう
つもりであの戦争をおっぱじめてしまったのか、という
ことを考える機会があったのですが、この資料館でも
やはりそういうことがあたまに浮かんできました。

資料館の学芸員の方は、たくさんのご遺族から寄贈された
品々を丁寧に説明していってくださいました。
自分が乗船していた船が最期にどのような形で
沈んでいったのか、ということを描いた絵もありました。

いろいろなことを思いながら資料館の見学をすることが
できました。
今回の旅行の帰りも神戸経由で帰ったのですが
その時、阪神高速のところから、この資料館の建物が
見えました。
オヤジが「今回の旅行では資料館が一番印象深かった」と
言ってくれたこと、本当にうれしかったです。

再び京橋インターから、阪神高速に乗ります。
阪神高速で西宮まで行き、そこから名神高速に
入りました。
神戸を出発したのが10時20分で、
京都南インターに着いたのが、11時でした。
神戸からは大体40分くらいで、京都の入り口まで
行ったことになるのですが、、、

実はここから京都市内までが結構時間がかかるんですよね。
長くなりました。今日はここで一旦措きます。

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