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16. 02. 03

さらに読書感想文の書き方について考えてみる

謙介ね、読書感想文を書く、という場合に
不思議な人をたくさん見てきたんです。

普通、何かをしようとして、
そのやり方が分からなかったら
みなさんだったらどうします?

謙介だったら、上手な人にやり方を
教えてもらうとか、
解説をしてもらって、
実際に自分で何度もやってみて
練習して少しずつやり方を学びます。

もしくは、上手な人のやり方の
DVDとか動画を見て
なるほどこうやるのか、と
分析したり確認したりします。 
そういうことが自分の能力として
分析できない場合は
教えてもらえる講習会へ行くとか、
そういうレッスンを
受けさせてもらえるところに行って
実際に学ぶとかします。

みなさんもおそらく何か学ぼうとすると、
そういうふうに「上手な人のフォームを
見るとか、うまい人のやり方を何らかの
方法で見」て、
自分なりに研究したりすると思うんです。

ところが、読書感想文を書く、という場合、
じゃあ、うまい人の読書感想文を読んでみる、
っていう人って、どれくらいいるのか? 
ということなんですよね。

謙介、そういううまい読書感想文を読んでみる、
という人ってあまりいないように思うんです。

いきなり自己流で書きはじめる、
こういう人って多くないですか?

上手な人のやり方を学んだら
いいと思うのに
どうして読書感想文の場合は
そういうことを
しないのでしょうか?

以下は謙介の想像ですが、
読書感想文書くの嫌だから
ずるずると後回しにしていて、
そんな他人の読書感想文を
読むような時間的な余裕がなくなったか、

もしくは、読書感想文くらい
気合で書いてやらぁ、とか思って、
そんな人のものなんて見もしないで書く、
ということではないか、と
想像するんですよね。

後は上手な人のを読んだら、
それに影響を受けてしまう、
と思ってしまう、ということでしょうか。


だけど最初に言ったように、
上手な人の読書感想文を分析して
自分の書くときに、その分析を生かす、
「学習する」ということをしないから、
いつまでも同じようなことばかりで
進歩のないままに終わってしまう、
ということになるんじゃないですか?


分析をして、じゃあ上手な感想文は
どういうふうに書かれているのか、と
いうことを見ることから始めるべきだ、
と思います。

どうして今、読書感想文のことを
言い出したのか、というと、
夏休みの読書感想文コンクールの
入賞者の発表が、ちょうど今、発表になって
いるから、なのです。

先日の新聞に読書感想文の全国コンクールで
総理大臣賞を受賞した作品が出ていました。


黒田さんという小学生の
「さようならだんまり屋の私」という
感想文です。

感想文はこういう書き出しではじまっています。

 私は「だんまり」の私がきらいです。本当の私は
 だんまり屋ではありません。心の中はおしゃべりで
 あふれています。 でも、困ったときや大切なことを
 言わなければならないとき、心の中の私が、「真希
 自分の思いを言いなさい。ほら、大きな声で。がんばれ
 がんばれ。 」と言えば言うほど、のどがからからになって
 声が出なくなってしまいます。

こういう黒田さんでしたが、『ぼくの、ひかり色の絵の具』
という本に出合います。その中でユクという登場人物に
彼女は心ひかれたといいます。彼もだんまり屋で、友達が
いない、私とよく似ている、とありました。そして、物語の
登場人物たちが絵で自分の思いを伝えようとしたところから

 私は「言葉」も同じだと思います。自分の思いをしっかり
 持って、本当に伝えたいことを言えば、相手に伝わるのだと
 思います。 

と本を読んで、自分なりに得たことを書いた後で、

 私もユクに負けてはいられません。一歩をふみ出します。
 ユクが自分の感動を絵に表現する喜びを見つけたように
 私はファンタジーの世界に逃げるのではなく、ファンタジー
 のおもしろさを伝える翻訳家になろうと思います。そして
 大好きな外国のファンタジーを、日本の子どもたちに紹介
 したいと思います。 ちぢこまっていたら何もできません。
 自分の好きなことのためだったら、きっとユクのように
 変わることができるはずです。いつか私のようなだんまり屋
 さんをファンタジーの世界でたっぷり遊ばせてあげた後、
 「さあ、あなたも現実の世界に一歩踏み出しなさい。 」と
 勇気づけたいと思います。私はユクと出会ったことで、
 自分を好きになれそうです。


        
      資料出典:毎日新聞 2016年2月2日付掲載分から

と終わっています。


謙介は前々から読書感想文というのは
この本を読んでどう思ったのか、ということを
書くのではない、ということを
何度も何度も言ってきました。


うちのブログをずっと読んでくださっているかたがたから
すれば、「また言ってら。」と思われるくらい
何度も言ってきたことですよね。

感想文とはその本を読んだことで、自分自身の中で
どんな変化があったのか、その自分自身の変容の
ありさまを書くのであって、読んだ本なんて単なる
「だし」にしか過ぎないのだ、ということを
言ってきました。

上の黒田さんの文章、
主語に注意をしてみてください。
主語はあくまで「私」なのです。 
決して「本」のタイトルが主語ではありません。


だんまり屋で、他の人に対して、自分の言葉で
思いを伝えられずに、
何度も何度もはがゆい思いをしていた「私」が、
この『ぼくの、ひかり色の絵の具』という本の中の
登場人物に出会って、自分の中の気持ちが変化をして
いく、そのありさまが生き生きと書かれています。

そして「このように私は変わったんだ」
ということが最後に書かれています。


本を読んで「ああ思った」とか「こう思った」と
言うことよりも、
そういう自分自身の心の中の「内的変容」を
書くということが「読書感想文」の主眼なのです。 

そうした自分の変容が書けたかどうか、
が読書感想文のポイントなのです。


感想文を書く、ということなら、
自己流で書きはじめるのではなくて、
こういう良いという評価を受けた
感想文を一度読んでみて、
それを分析して、自分の中に生かすということも
必要なことなんじゃないか、と謙介は思うのです。

「感想」という言葉に惑わされず、
自分の心の変化を書いてくださいね。


 


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Comments

読書感想文ではありませんが、娘の入試の小論文を主人が教えたとき、同じ題材を私と二人で書かされました。それから娘に両方読ませて主人が講評するやり方でポイントを教えていましたが、大変わかりやすかったようです。
もちろん内容は大事だけど、かたちも大事とかなり言われてました。
私のは、見てごらんこのママの小ずるい小論文、わからないことは書かずに自分の知ってることに引っ張ってくるんだから。知らない題材が出たときの逃げ方のお手本。と笑われてました。

Posted by: アリクイ | 16. 02. 04 at 오전 8:28

---アリクイさん
小論文とか作文、というのは具体的に、どこの部分で何を書くのか、ということを示したほうがよりはっきりしますよね。 えええ、でも、分からないことは書かずに、テーマを自分のフィールドに持ち込んで、そこで料理したほうが、いいじゃないですか。謙介だってきっとアリクイさんと同じくそういうふうにしますよ。昔大学院を受験した時の小論文も、後で面接の時に、強引だねぇ、と笑われましたけれども、でもそれが一番しっかり書けるし、いいのではないでしょうか。(笑)

Posted by: 謙介 | 16. 02. 04 at 오후 11:17

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