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16. 02. 17

じいさんとばあさんの抗争

正憲さんのところに俳句の話が出ていましたので、
そうだそうだ、と思い出したことを書きます。

謙介、仕事場の街で、
職場の専門の会合に出たりするわけです。

自己紹介の後で、たまーに学校で何を学ばれたのですか?
と聞かれることがあります。 

国文科だったのですよ、と言いますと、ここいら辺の人は、
パッと表情が変わって、すぐに、「俳句」方面に
話を振ろうとしてくるのです。

でもねぇ、謙介、学校で俳句は習っていません。

というのか、かつて学校にいた先生の中に
「あんなもの(俳句)なんぞ、爺や婆の手慰みであって、
芸術ではない。強いて言うなら第二芸術だ」と
言った先生がおりまして。

その先生は、謙介が学校に上がったころは、とっくに
退官していらっしゃらなかったのですが、その先生の
影響がまだありまして、、。 芭蕉の俳諧は認めるけれども
近代の俳句なんて、あんなものはダメ、という意識がまだ
結構あちこちにあったように思います。

謙介、俳句はまったくしませんでしたが、
和歌については、何せ専門が万葉集でしたし、
ゼミも新古今和歌集のゼミで、いろいろと歌を
分析したり解釈をしたりしました。
まぁこう考えてみると学校では歌の方面ばっかりやっていた、
ということになりますかねぇ。

あ、そうそう、加えて連歌も勉強しました。

それがあなた、
人生というのは分からないものでございます。

自分の勤務先が
俳句俳句俳句俳句俳句と連呼しているような
場所になるとは、、、。

買い物に商店街に行ったら俳句。
Haiku
歩いていたら句碑だらけ。

見晴らしのいい場所とか、風雅な散歩道、
公共施設にはたいてい句碑が建っています。

お菓子も俳句の菓子

俳句道路というのさえありまして。
Haiku3

そこには10メートルごとに俳句の句碑が
建っているのですよ。
Haiku2

それも子規とか虚子とか漱石とかの有名どころ
だけでなくて、個人の句碑まで処々方々にあるのです。

もちろんラジオでも俳句。
NHKでは「俳句ネットワーク」という番組さえあります。
なんたって俳句の都なのだそうです。


で、まぁこんなふうな「俳句の都」ですから、
当然のように俳句の会は盛んなわけです。

それで、俳句の先生という方も大勢います。
先生がいるからには当然その弟子、というのも存在するわけですね。

それで、その先生と弟子が集まってできるのが
俳句結社、という団体です。

この俳句結社という団体が県内にはたーくさんあるのですが、、。

うちの仕事場で俳句を作っている人に聞くと
俳句結社同士ってすごく仲が悪いのだそうです。

あそこの俳句はあかんとか、
あんな駄句ばっかりの結社なんて最低、、とか。

他結社の作品を分析して批判、というのではなくて
なんだか感情的にあの結社はいかん、とか言うような
こともあるとかで、、、。

で、そういう俳句結社に所属している人というのは
やはりご老人が多いのです。
40代とか50代なんて「若手」です。

で、その結社の
じいさんばあさん同士が
他結社への悪口をそれこそ情熱をこめて語るのです。

人のいるところでは、皮肉っぽく、
あそこは、、ちょっと派手がましい句ばっかり作って
内省というものがない、主宰が派手やから、とか
皮肉っぽく言う程度ですが、結社の人だけになると
それはそれはもう、、すごいのだそうで、、、


まぁねぇ、、冷静に分析して、クリティーク(論評)として
批評しあいいいものにしていこうというのであれば、
切磋琢磨して技量も向上するとは思いますが、
単なる悪口の言い合いではねぇ、、

もっと同じ俳句を作る人同士なんだから
仲良くしたら? とか思うんですが、、
そうはいかないみたいですよ。

自分の感情とか、内省と言ったようなものを言葉を
ひたすら昇華させて、
ぎりぎりの十七音という音で表現をする、
というのは、それは素晴らしいことだと思います。
その自己表現の一つの方法なのだと思います。


それを単に言葉をもてあそぶだけの方向に
持っていってしまうと、たちまち言葉の密度も
墜ちてしまうし、、、桑原先生が、「俳句なんて
第二芸術やおまへんか」と言ったのは、
確かに先生の鑑賞力が浅かった、という
批判が俳句界から出ました。確かに
そういうところもありますねぇ、、、。でもね、芭蕉の句のように
ぎりぎりの言葉で、自己の内面を表現する、
だから言葉の密度が濃くて、鑑賞する人の
胸を打つのだと思うのです。

そんな句に比べて、単に言葉遊びに堕落していて
句の密度云々というようなところにまで至りもしていない、
というような句も結構あって、、第二芸術の論考の
ある部分については正鵠を射た部分もあるように思えるのです。


いやね、俳句をたしなむのは、悪いとは言いませんけどね。
それを無理強いしなくてもいいじゃないか、と
思うし、俳句が作れなかったら最低、みたいに
言うのは、、ちょっとなぁ、、と思うんですよ。

謙介は前にうちの仕事場の大学生が
俳句、って作るの? って聞かれて
何も答えず、ただものすごく嫌な顔つきをした、
あの表情が忘れられません。
もうほとほと嫌だ、と言っていましたもん。

そんなふうな「最悪の出会い方」をして俳句嫌いに
なっている若い人たちを見るにつけて、、
もうちょっと他のやり方があるだろうに、
と、謙介正直思うところが大なのです。

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Comments

俳句結社という名の悪口茶会もそうですが、暴走老人がときどき問題になりますね。
ネットニュースでも「最近の若い子は・・・」よりも、むしろいい年した団塊世代以上が問題と言われてます。
自分もそうならないように気をつけなきゃと思いますが、我が両親を見ているときっと血は争えないと言われるのだろうなと兄弟で苦笑いです。

同じ五七五なら、俳句よりも川柳のほうが気楽に作れそうです。
というより、私は季語とか文語とか難しいことが分からないので俳句を詠むことが無理なのです(苦笑)。
サラリーマン川柳ぐらいが合っています。

Posted by: 正憲 | 16. 02. 18 at 오후 4:02

---正憲さん
うちのバイトをしている大学生が
前に別のところでバイトをしていた時の
ことを話してくれたのですが、
お年寄りで結構理不尽なことを言ってくる
人がいるのだそうです。
蕎麦屋さんで働いていたそうですが、、
ざる蕎麦を注文して、どうぞ、と
持っていってテーブルの上に置いたのだ
そうです。お年寄りの人、15分くらい
新聞を読んでいて、それから蕎麦を
食べようとしたのだそうですが、、
「蕎麦が乾いている変えろ」と文句を
言ったとか、、。「15分も放置しておいて
乾いているもあったもんじゃないです」
と彼は言っていましたけど、、。
まぁその手のやたらクレームをつけて
くるご老人が多くて、、ということ
でした。謙介も人のふり見てわがふり
なんとやら、で、他山の石にしたいと
思いますが、年寄りになると、わがままに
なるみたいですし、、(うちの両親も
同じです) 自分の将来、よくよく
気をつけなくては、と思っています。

Posted by: 謙介 | 16. 02. 18 at 오후 11:40

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