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16. 01. 19

二人のそれぞれの人生

謙介、この年末年始、ふたりの女の人の文章を読みました。
一つは林芙美○の『放浪記』。もうひとつは広岡浅○の
『人を恐れず天を仰いで』という文章。

ドラマはどうせ随分と実態と違うだろうから、
実際のところ、あの人って、どういう考え方をしていた人なのだろう
と思ったわけです。

林芙美○の『放浪記は原作よりも森光〇がずーっとやってた
芝居の公演のほうで有名になっちゃっていますよね。
でんぐりがえし、とか。

謙介、林芙美○の小説を読んだのは高校の時でした。
『放浪記』とか、『風琴と魚の町』、といった作品を読みました。

林芙美○はすごく個性の強かった人でした。
学部の時に、近代文学専攻だった友達が、林さんで
卒論を書こうとしていたので、いくつか彼女のエピソードに
ついて聞いていました。

やっぱり一番印象に残っているのは、
林さんの葬儀の時に葬儀委員長だった川端康成が言った
言葉です。

「(林芙美○は)あと2,3時間後には、灰になります。
故人は生前、文学的な生命を保つために
ずいぶんひどいこともしたが、、どうぞ水に流して欲しい」
というようなことをあいさつで言ったとか。

でもね、謙介思うんですけど、
葬儀に来た人なんて、それでもわざわざ行ってやろうか、
というような人だったでしょうし、彼女に対してさほど悪感情を
持っていなくてまだマシなほうの人が参列したと思います。

本当に彼女のことを憎んでいた人は、
そもそも葬式になんか行かなかったでしょうし。


仕事柄、林芙美〇のところに文学志望の若い女の人が
自分の書いた原稿を持参することもあったようですが、
ちょこっと読んで、いい作品だった場合は、さっさと焼き捨てていた
という話も聞きました。

自分よりすぐれた才能が出てきたら
自分が負けてしまう、と思って、そういう芽が出ないようにしていた、とか。
それが川端さんの件のあいさつに出ていた、ということでしょうね。

次から次へとおつきあいする男をとっかえひっかえしていたとか。


うーん。自分の中の快・不快ということに正直だった、というのか
本能に忠実だった、ということなんでしょうかね。

彼女がそうなったのもわからないではありません。
生い立ちが不幸だったうえに、私生児として生まれる、
継父はろくに働かないし、しっちゅう義理の娘を利用しようと
する。挙句の果てに金をばくちに使って、仕事が長続きしない。
『放浪記』は小説の体裁こそ取ってはいますが、
実際の彼女の人生だった、のでしょう。

長い長い作品の最後のほうにこんなくだりがあります。

 次から次から商売を替えて、一つの商売に根気のないという事が、
 義父と母を焦々させているのであろう。12円からの家賃が始めから
 払えもしないで、毎日鼻つきあわせてごたごたしている。 第一まともに
 家なぞ借りたがるよりも、田舎へ帰って、木賃宿で自炊生活をして
 二人で気楽に暮らしたほうが良さそうに思える。(中略)

 お前はお父さんをどうして好かんとじゃろか? と母が泣きながらいう。
 あンたよりも二十歳も若い男をお父さんなぞといわせないでよと
 はんぱくする。母は呻ってつっぷしてしまう。お前じゃとて
 なりゆきというものがあろうがの----男運が悪いのはお前とて
 同じことじゃないかのという。

 「お前は八つの時から、あの義父さんに養育されとったんじゃ。
 十二年も世話になっていまさらお父さんはきらいとはいえんとよ」
 「いいや、私はそだてられちゃいないッ」
 「女学校にも上がっつろがや」
 「女学校? 何を言うとるンな、学校は私が帆布の工場に
 行きながら行ったンを忘れんさったか。夏休みには女中奉公にも出たり、
 行商にも出たりして、私は自分で自分の事はかせいだンよ。
 学校を出てからも、少しずつでも送っとるのは忘れてしもうたンかな?」
 いわでもの事を、私は袂の中で怒鳴る。

 「お前はむごい子じゃのう----」
 「ああ、もう、こう ごたごたするンじゃ、親子の縁を切って、あんたは
 お義父さんと何処へでも行きなさいッ。 私は明日からインバイでも
 何でもして自分のことは自分で始末つけるもン」

「家族だから、しようがない」と言って義父との生活を続ける母。
自分の生活をしようとすると、「家族だから」の一言で両親は
私(芙美子)を頼ってくる。新しい仕事さえ軌道に乗ったら、
と両親は言うけれども、軌道に乗り始めたら、義父はばくちに
手を出す。結果、すっからかんになる。

それでもどうしようもないグダグダの生活を続けなければ
生きていけないような生活がその当時の大多数の庶民の
暮らしだったのでしょう。それが証拠にこの小説は
多くの人たちに受け入れられました。 そこにはおそらく
その当時の人の多くから、「リアリティ」を持った作品として
支持された、のではないか、と謙介は思います。
 
 
一方広岡浅○のほうです。

文章が固い!(堅いとかじゃなくて固い)

彼女は60歳のころにキリスト教(プロテスタント)の
洗礼を受けます。それと相前後して乳がんの手術もしています。
その後、最晩年に1917年(大正6年)
に『一週一信』として来し方を振りかえり、信仰生活を鑑みた
(こちらの文章までかたくなってきてしまった)文章を書いています。

こんな具合です。

 (前略)十七歳の春を迎えました。この年、かねての婚約なれば
 とのことに、広岡家に嫁がなければならぬことになりました。(中略)
 嫁してみれば、富豪の常として主人は少しも自家の業務には
 関与せず、万事支配人任せで、自らは日毎、謡曲、茶の湯等の
 遊興に耽っているという有様であります。この有様を見た私は
 「かくては永久に家業が繁盛するかどうか疑わしい。一朝事
 あれば、一家の運命を双肩に担って自ら起たねばならぬ」と
 意を決し、その準備に務めました。それで簿記法、算術、その他
 商業上に関する書籍を眠りの時間を割いて夜毎に独学し、
 一心にこれが熟達を計りました。 
 (中略) かねて危急の場合に備えたはこの時と
 (明治維新になって体制がガラッと変わったこと)
 一族のため重大なる家政の責任を一身に担い、
 奮然起って事業界に身を投じました。以来、東奔西走真に
 席の暖まるの暇なく、、、、


要するに「うちの婿はんになんか任せてたら、
ろくなことにならしませんよってに、私が赤目吊って、
刻苦勉励・東奔西走してきばったんやないの」と
いうことでしょうか。

(浅子さんは決して「必死のぱっちできばったんどっせ」
などというようなおちゃらけたことは言わなかったに
違いありません。)

この文章から推して、こうと思ったらまっしぐらというのか一途に、
しかもパワフルと言うのか、ブルドーザーのようにがががががががと
一意専心・一心不乱に初期の目的遂行達成のために
(こちとらまで影響されて4文字熟語だよ)
前進していく女性だったのではないでしょうか。
文章からは全然しゃれなんて言いそうにないような感じですね。

アホなことなんて言おうものなら、「そんなしょうもないこと言うてるから
あきまへんのや。てんご(冗談)や言うてへんと、もっとおきばりやす!」
とか雷を落とされそうです。怖い。

林芙美○と広岡浅○。
似ている点ということでいえば、
家族のために働いた。働かざるを得なかった、
という点でしょうか。

それぞれの人生について、改めて考えさせられたことでした。

(今日聴いた音楽 落葉が雪に 布施明歌
 1976年 )


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Comments

才能豊かな人とか、名前があがる人とか、人よりもひいでてる天才とかって、なんというか…。
夢中で、それでもって、なんというか…根拠の無い自信みたいなものもあって…人生も波乱万丈でって方が多いですね。
彼女達も、おいたちとかの影響は、濃いい~のだろうけど、無我夢中の人生だったのでしょう…人生のウエイトが高いというか重いというか、そういう方多いですね。

Posted by: holly | 16. 01. 21 at 오후 8:26

---hollyさん
今回、二人の女性の文章をそれぞれ読んで
いろいろと思うところがありました。
もちろん持って生まれた性格とか、その後の家庭環境、人間関係、さまざまなものが微妙に影響しあって、全然違った人生を歩ませることになったのだと思います。本当に人生っていろいろだなぁ、と改めて読んで思った次第です。

Posted by: 謙介 | 16. 01. 21 at 오후 11:30

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