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16. 01. 12

オオタニの戒めもしくはエイトネン

1月の連休明け、というのは、
大学の文系学部では卒業論文の提出時期でもありますね。

謙介の卒業した国文科では、卒論は和綴じにして
提出しなければならない規定でした。
(原稿が手書き、というのはいうまでもない。)

謙介は1月8日くらいに書きあげて、
それから和綴じの表紙の和紙を西本願寺の西側の津久間という
紙屋さんに(今もあります)買いに行きました。

9日に表紙を作って、10日に和綴じの製本をしました。
と言っても、和綴じの製本なんて1冊15分くらいでできますが。

それで11日でしたか、大学の教務に持って行きました。
論文の本論は規定なので50枚。
副論と注が別冊として100枚ほど。合計150枚。
300ページほどの論文に
なったか、と思います。

謙介の学生時代にもワープロはすでにありました。
でもあのころは1台が300万もするような機械で
そんなもの誰も持っておらず、1字1字、ペンで原稿用紙の升目を埋めて
書いていきました。
間違えたら、別の原稿用紙を間違えた部分に切って貼って
乾いたのちにその上から書いていました。

今のように訂正も簡単、差し替え、挿入も簡単、というわけには
決していきませんでしたが、できあがった時は、本当に自分の
作品のような気がしました。 

朝、8時半に教務課の業務開始とともに持参して、
提出書類と一緒に卒論を窓口に出しました。

あの時のずっしりとした2冊の卒論と、和紙の表紙の
ざらざらとした手触りは今もはっきりと覚えています。

そうして、教務課の人が、受理印を押してくれて
書類の半券を返してくれた時、ああ、これで無事に出せた、と
思わずため息が出ました。

それから、国文科の共同研究室に行って
助手の人と話をしたりしながら待機をしていました。

というのが、
何人かの友達から、和綴じ製本を頼まれていたのです。

全部で10人くらいの製本をしたでしょうか。

そうして、夕方の5時前になって、
頼まれていた製本も全部し終えましたし、
教務課の締め切りは午後5時までで、提出時間も終わったので
共同研究室を後に、同じ国文の友達と帰ることにしました。

キャンパスを門のほうへ向かって歩いていると、向こうから
同じ国文科のオオタニさんがやってきました。
「今から卒論出すの♪」ということです。
「え? 時間あるん? 」と友達が彼女に聞きました。
「だって、今、4時半やもん」と自信満々なお答えです。

謙介、ちょっとこのオオタニさんは、
苦手なタイプの女の人だったのです。
何と言うのか自己主張が激しいタイプで、、。

ただね、自己主張が激しくても、構わないんだけど、
人の話は一切無視するくせに、自分のことばかり声高に話す、
というタイプの人で、、。

一度あまりに自分の説ばかり言い募るので、
謙介も腹がたってきて
「あんたな、そんなこと言うけどな、
~のところは、どうやねん。
~のこころはどうなってんねん。
~の話、矛盾だらけやないか。」
と問題点をずらずらと挙げていったことがありました。
余計に激高していましたけれど、、。

そういうことがあったので、彼女の話には一切口をはさまない、
ということにしていたのです。

「そうしたらね」と別れた後で、一緒にいた友達は
「謙介、おまえの時計、今、何時になってる? 」と
聞いてきました。「5時20分過ぎやで」と答えました。
「俺のも、5時20分過ぎや」と友達。


次の日に別の友達から聞いたことには、
やはり彼女が卒論を教務に持って行ったのは
5時25分とかで、教務では受理してもらえなかった、
ということでした。


どうしてそうなったかと言えば
本人の時計が30分ほど遅れていたらしいのです。

指導教官の話によると、例年そういう学生が
ひとりやふたりはいる、ということでした。

年によったら、同級生が連名でその受理されなかった友達のために
「嘆願書」を書いて、どうか卒論を受理して、口頭試問を受けさせて
やって欲しい、という運動さえ起るときもある、ということでしたが、、。

謙介の周りからは、そういう声は全く起こらず、
周囲はそれぞれ口述試問の準備モードへと
傾いて行きました。

友達に「オオタニさんは? 」って聞くと
「遅れたんは自業自得なんやし」とか
「なんであんなヤツの嘆願書や書かんとあかんねんな? あほらしい」
という人までいて、、。

中には「私、あの人嫌いやし」と
はっきりと言っていた女子もいて、その発言に謙介がびっくりした、
ということもありました。「女の子もいろいろあんねんなぁ。そうかぁ。」
と謙介思ったこともありました。

日ごろの人づきあい、というのか
おそらくそれまでの彼女のとってきた対応に、
みんないろいろとおもうところがあったのだろう、と思いました。


結局のところ、彼女のことは最終的に教授会の審議事項となって、
我々より少し遅れての卒業となったようでした。

彼女の言動はともかくとして、その
30分の時計の遅れに気づかなかった、
ということは謙介の中で大きな教訓になりました。


書類などの提出はぎりぎりではなくて、
余裕を持って出しておく、ということを守らなければ、と
いうことです。それが「オオタニの教訓」です。

余裕があれば、もし仮にその書類が不備であっても
修正がきくと思います。ですがぎりぎりに出して
これはダメ、と言われたら、どうしようもありませんもんね。


そんな卒論の口述試問の時期に歌っていたのが
エイトネンの歌です。(元はエイトマンの歌なんですけど)


 落ちる試験 落ちる追試 落とす単位
 以降無敵の8年間
 落ちろ エイトネーン誰よりも長く
 立て 胸を張れ 居直りの胸を

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