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16. 01. 14

読書通帳って何のためなの?

最近、公共図書館で読書通帳を作って
利用者に配る、っていうことをやっているところが
増えた、と聞きました。


読書通帳というのは結構以前から
ありました。

特に学校でやっていたところがあって、
謙介もその実践例の研究発表を
聞いたことがありました。

簡単に言えば
自分が借りた図書の記録をしたものです。

昔々(笑)謙介が小学校のころに利用していた
学校の図書室とか、
公共図書館の子ども室の貸出カードは、
いちいち自分の借りようとする本の
書名をカードに書かないといけない方式だったので、
自分がいつどんな本を借りたのか、ということは
自然と記録に残っていたのです。
わざわざ読書通帳なんて作らなくても、
貸出カード=読書通帳だったわけです。


それが図書館の貸出・返却というような業務が
電子化されてしまったために、昔のように
貸出カードにいちいち書名を書くことがなくなって
自分がどんな本を借りたのか、覚えていない、
ということになりました。

そこで、そうした自分の借りた本の記録を
残す方法として、読書手帳が出てきたようです。

なんだか昔に戻った、というだけのように思えるのですが。


どうして読書通帳を発行して配るのか、と言えば
自分の読書の記録が残るので、読書の励み!
になって、読書量が増え、
図書館側とすれば貸出冊数が増える、という理由だからだそうで。


さっきも言ったように、
小学校とか中学校でこういう読書通帳を導入している
学校がいくつかあります。その導入理由も生徒の
本の貸出率が上がるから、だそうです。

アホか、と謙介は思います。
そんな読書通帳なんか作ってごらんなさい。
生徒なんて、数をこなせばいいと思って、簡単な
すぐに読めるような本にしか手を出さなくなるのです。

要するに質より量、ということになってしまいます。

何のための読書なんですかねぇ。

少なくたっていいじゃないですか。
同じ本を何度も何度もそれこそ覚えるまで読む人だっているでしょう。

逆にパッパパッパと新書のように2,3時間で読めるような本を
どんどん読む、という人もいるでしょう。

(でも、サラリーマンの人とかで、パッパパッパと読んでいく人がいるのですが、
そんな人、その本の内容を覚えているんですかね。(笑) 
学生のときなんかは謙介でも3冊同時に読んでいたことがありました。 
朝の通学の時に読む本、帰りの通学の時に読む本、 
家に帰って読む本 とか。しかも、その本って高橋和巳だったり、
ドストエフスキーだったり、と結構ハードな本を同時並行で
読めてたんです。筋も忘れないでいたし、、。 
でもおっさんになってからは、そんなことしたら
新書みたいな軽いものでさえも
頭がごちゃごちゃになります。)

読書経験って、その人その人で違うと思うし、、
たくさん読んだからすごい、でもないし、
少ないからいけない、ということでもないと思うんですよ。

単に貸出冊数だけ増やしたって、仕方がないじゃないですか。

前に言った蔦○の図書館運営だって、蔦○が運営したら
図書館の利用率が上がる、ということがポイントの一つだったし、
今回の読書通帳も図書の貸出冊数が上がる、ということが
ポイントらしいですし、、。

そこまでして利用率上げないといけないのですか?


一体読書ってどういうものか、という基本の部分をないがしろにして、
ただ表面的な利用率というようなデータだけ見たって仕方がない、
と謙介は思うのですが。

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Comments

あった、あったありました。
読書通帳ではないかもですが、貸し出しのたびに何を借りたか記録されるやつ。
小学生や高校の時にあったような、なぜか中学の時の覚えがないのですが…そういえば、高校の時に図書館の利用率がどうたらこうたらで悪く、本を借りるようにうながされたような覚えが…。
本が好きな人は自然と借りるんだろうけど、もっと、本が好きになる、うながしの方法があると思いますよね確かに。
最近の学生さんは、スマホとかもろもろ興味の弾かれるものがあふれすぎてて、読書に思考が向かないんですかね?電子書籍でもあまり本を読まないのですかね?
簡単なインスタントな思考の人が増えるのも、なんだか、こんなところにもあったり、傾向がでたりするのかもですね。

Posted by: holly | 16. 01. 16 at 오후 5:31

---hollyさん
今はどうも二極分化していて、読む人はものすごく読むけど、読まない人は一切読まない、というふうになっているそうです。 加えて、今の人は興味の幅がものすごく狭い、ということも言っていました。謙介なんかは韓国文化に興味があったので、韓国の社会も、韓国音楽も、韓国の美術も、というふうにいろいろな分野をアトランダムに読んだのですが、今の人は、たとえば村上春樹なら村上春樹の小説しか読まないそうです。だから文学全体を俯瞰的に見て、その中でのこの人はこういう位置づけなんだ、というふうな見方ができないんですよ、と近現代文学を教えている知り合いが言っていました。若い時にはいろいろ雑多なものを片っ端から読んでみる、(王道のものも含めて)ということがあればいいのに、そういう幅の広さ、っていうのが必要じゃないか、って思うんですけどね。

Posted by: 謙介 | 16. 01. 16 at 오후 5:59

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