味の記憶 匂いの記憶
最近、本当に忘れっぽくなったなぁ、と思う。
固有名詞が出てこない。
以前は、自分にとって些末なしょうもないような
ことでも覚えていたのに、、
最近は、えーっとえーっと、と記憶の彼方から
呼び起こさないといけないようなことが
増えたように思う。
でも、そういうときには必死で思い出さないほうが
いいよ、ということも聞いた。
肩の力を抜いて、また別のことを考えたりしていたら
「あ!」とか言って思い出すこともあって、、
そんな時のことを謙介、「線がつながった」って
言ってるんだけどさ。(笑)
うちに電話(もちろん固定電話ね)というものが
入ってきたのは、確か小学校の2年生のころじゃ
なかったかなぁ、と思う。帰ったら茶の間に
黒い(もちろんダイヤル式)電話機があった。
祖母の話では、昼間に工事があった、と言っていた。
で、そのころは、電話って、市内電話と市外電話に
分かれててさ。
まぁ今の人にしてみたら、
「はぁ? 」っていうようなものだと思うけど、、。
今だと、相手の電話番号を押すだけで済むけど、
あのころまだ直通の電話がかけられないところが結構あったのですよ。
田舎は、まだ電話交換手さんがいてね。
どうするか、と言えば、まずは
電電公社の「市外電話のお申込み」という電話番号に
まず電話をしまして、たとえば075643局の34番にお願いします、
とか言うわけですよ。(あ、もちろん市外局番が075643で
市内局番が34番ということね。)
それで一度受話器を置くの。
そうして、しばらくしたら、電話がかかってきて
「おつなぎしました」って交換手のおねいさんが告げて
相手が出る、というような形態の電話だった訳。
でね、通話が終わったら、また電電公社のおねいさんから
お告げの電話がかかってきて、「ただいまの通話の
料金は○○○円でした。どうもありがとうございました」
というお話がありました。
謙介の小学校の頃って、まだ田舎のほうは
そういう交換手さんがいて、電話交換手のおねいさんが
一回一回電話線を手動でつないでいたわけです。
ふふふ。
で、高校に行って、保健の授業だったか生物の授業だったかで
シナプスというのを習った。
で、で、まぁ、刺激がどのように神経細胞を伝わるのか
って習った時に、理解した仕方が、「線がつながる」
ということから、「電話線みたいなものだ」という
理解の仕方だったわけです。
それで、いまだに「記憶」と言うと、謙介は
「線がつながる」「線がつながらない」というような
言い方をついしてしまうんですよね。
まぁ今や物忘れが激しいようなことになって
やれやれ、っていうようになりました。
シナプスのつながりが悪くなってしまったのでしょうね。
最近のことの記憶って全然ダメになってしまったのですが、、
とか言いながら、、
こないだ、ある会社のオフィスに用事があって
行ったんですけどね、、。
そうしたら、そこの事務所の匂い、、
何だか記憶にあった匂いと似てて、、、
いかにもオフィス、って言う感じで、
無機質な感じのところだったのですが、、
この匂い、記憶にあるぞ、とか思いはじめて、、
あ、って思いだしたんです。
大阪万博の時の、アメリカ館の匂いに似てる
って。
大阪万博って、1970年でした。
でも、匂いをかいだ瞬間にああ、
って思い出したんですよ。
時々そんなことがありましてですね。
全くのはじめてのところに行っても
あ、ここの匂い、前に行った、○○の匂い
みたいだ、とか思うことがあります。
うちの仕事場で、別棟の事務室があるんですが、
そこの部屋の匂いが、友達の下宿の部屋の匂いに
そっくりで、、(笑) 行くたびに、懐かしいような
気分になったりしています。
匂いもそうなんですが、食べ物の味も記憶されて
いるんですよね。
いろいろな人のブログなんかを読んでいると
かつて、母親が作ってくれた、○○がおいしかった、とか
あの味が忘れられない、とか書いてある文章に
行き当たることがよくあります。
味覚って、歳をとるごとにだんだんと
保守化していって、結局のところ、昔食べた味に
戻っていくのかなぁ、と思ったりします。
そういう中でファストフードの位置って
どうなんでしょう??
昨日、うちのアパートのすぐ近くの
マクドにカサノ○社長が来てて、
母親を集めてご意見の聴取会をやってたみたいです。
匂いの記憶、味の記憶、
みなさんにとっての懐かしい匂い、
懐かしい味って、どんなものなのでしょうか。
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Comments
マクドが子どもに優しい(オモチャ付きのハッピーセット。誕生日パーティーなど)のは、子どものうちに味を覚えてもらって、永い顧客になって欲しいからですよね。
大人になってもマクドがご馳走って人いますよ。
慣れた味が忘れなれないようです。
昼マックを廃止して客単価upを狙ったり、サラダなど充実させて健康志向を目指したり、頑張っているみたいですけど、方針転換がめまぐるしくて迷走に思えてしまいます。
Posted by: mishima | 15. 12. 04 AM 11:25
---mishimaさん
子どものうちからマクドに慣れさせておいたら、その味覚が固定化されて、いつしかマクドのものを懐かしがったり、ずーっと食べ続ける、というふうにさせたいのでしょうね。
ただ歳を取ると、謙介なんかは、嗜好が変わってきて、もうマクドの食べ物は受付ない、というのか、欲しくなくなってきました。
もうちょっと日本の食生活に合ったような
商品を出せないのですかね。いつまでも
アメリカ式の、っていうんじゃなくて、
って思うんですけどね。
Posted by: 謙介 | 15. 12. 04 PM 3:17
・・・黒電話に触発されて,1本ブログ記事書かせていただきました(笑)
マクドナルドを初めて食べた時,「なんてマズいんだろう!」とびっくりしました(笑) どうしてこんなものに人が群がるのか理解不能。
モスに初めて入った時,「ハンバーガーって美味しいものだったんだ」と感心しました。
マクドに人が寄りつかなくなった最大の理由は,そこなんじゃないですかねえ。あれは,今となっては欧米的=上物の式が成立する発展途上国タイプの社会でしか通じないやり方だと思います。
Posted by: Ikuno Hiroshi | 15. 12. 05 AM 9:57
---Ikuno Hiroshiさん
はじめてマクドのハンバーガーを食べた時に、うちで食べていた「ハンバーグ」と
全くの別物だったので、驚いたことが
ありました。あのパティ、っていうんですかね。あれが余りにパサパサで。 それにそのパティがあまりに薄くて、、
1個食べたら、もういいや、という気になったのを思い出しました。今や外国人が
お豆腐や寿司を普通に食べる世の中ですし、
味とか嗜好だってボーダレスになっているのに、いつまでも「アメリカ本土の方法」でもって日本とか先進諸国でやったって、
ダメなのわかんないのでしょうか、って
思うんですけどね。
Posted by: 謙介 | 15. 12. 05 PM 5:26
母親の料理って記憶に残るものというのはよくわかります。
僕の場合は良くも悪くも...ではあるんですけどね。
たまに聞くことがあるのですが、母親のカレーは特に残るみたいですね。
本来は○ーモントのルーの味なのでしょうけど、
水加減とか隠し味とか家庭で異なるから、
ベースがバーモ○トだけど、アレンジされたカレーが定着して、
結果それが他との比較基準になるんだろうなと思います。
母親は偉大、ということになりますね(笑)。
Posted by: ヒシ | 15. 12. 06 PM 2:01
---ヒシさん
結局、そういう身近な人の作ってくれた料理が、その人の一生の味覚の基礎になって
いくのでしょうね。身近だから何度も作ってくれて、何度も食べているうちに舌が覚えて行くのでしょうね。そうやって、その人の
嗜好が作られていくのだなぁ、とヒシさんのお話をうかがって改めて思いました。やはり
家庭の味、というのはすごいですね。
そんな中で同じバーモントカレーでも、割とさらさらに作る家もあれば、どろっとしたものに仕上げる家もあるし、バーモントカレーとほかのルーを混ぜる、という人もいるでしょうし、、そうやってその家のカレーができて、それがやがてその人の味覚の基礎になるのかもしれません。
言葉については、その人の12、3歳の時に居た場所の言語とか方言が、その人の一生の言語、方言の基礎になる、と言われています。
Posted by: 謙介 | 15. 12. 06 PM 11:41